ダウト ~あるカトリック学校で~ の オルタナ野郎 さんのクチコミ・感想

Menu
 > 作品
 > タ行
 > ダウト ~あるカトリック学校で~
 > オルタナ野郎さんのレビュー
ダウト ~あるカトリック学校で~ の オルタナ野郎 さんのクチコミ・感想
作品情報
タイトル名 ダウト ~あるカトリック学校で~
製作国
上映時間105分
劇場公開日 2009-03-07
ジャンルドラマ,ミステリー,学園もの,戯曲(舞台劇)の映画化
レビュー情報
《ネタバレ》 あるカトリック学校で一人の黒人生徒に関わる“疑い”を巡って、厳格な女校長(メリル・ストリープ)と寛大な神父(フィリップ・シーモア・ホフマンの西田敏行感は異常)が対立するというお話。昔、古畑任三郎で似た様な話があった(確か沢口靖子が犯人の回)のを思い出したが、結論から言うと非常に見応えのある素晴らしい映画である。演技派の2人による罵り合いや嫌がらせ合戦を観ているだけでも十分に面白いので、個人的にはこの泥仕合を延々3時間くらい続けてくれても飽きずに観ていられる自信がある。まず2人の確執を通して表立ったテーマとして語られるのは、信仰における美徳(規則や戒律)と寛容(博愛や慈悲)の間にある葛藤である訳だが、1964年(JFK暗殺の翌年)という時代設定も相俟ってここにイデオロギーや人種・ジェンダーといった、この時代に顕在化していった様々な対立軸も巧みに織り込まれているあたりも実に憎らしい。最終的にこの映画は色々と不明瞭なまま様々な含意と余韻とを残して終わるのだが、何としても神父の“疑い”を暴こうとする校長に対して黒人生徒の母親が、「理由はどうでもいい。息子を気にかけてくれるなら。」と涙ながらに訴えるシーンがとても印象的である。そもそもこの映画において神父と黒人生徒との“疑い”の真相や、神父と校長の論争の勝敗なんて大した問題ではないのだろう。むしろ、周囲の人間からの孤立を招いてまで“疑い”を確信へと変える必要はあるのか、あえて“疑い”を“疑い”のままにしておく方が人心を救う事にもつながり得るのではないか、という問いかけこそがこの映画の本当のテーマである様に思える。神父が学校を去った後の校庭のラストシーンで、校長は堰を切った様にシスターに告解を始める。“疑い”を持ってしまった事。そして、その“疑い”を確信に変えたいがために嘘までついてしまった事。おそらくここで彼女が吐露した“疑い”とは、自身の信仰や生き方に対して抱いてきた“疑い”でもあるのだろう。泣き崩れる彼女の胸中には冒頭における説教を締めくくった神父の言葉があったのではないだろうか。「“疑い”は、確信と同じくらい強力な絆になり得る。道に迷った時、あなたは独りではない。」
オルタナ野郎さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2013-01-10 21:19:27)(良:1票)
オルタナ野郎 さんの 最近のクチコミ・感想
投稿日付邦題コメント平均点
2015-01-12ピアニスト7レビュー6.07点
県警対組織暴力7レビュー7.57点
イエロー・ハンカチーフ4レビュー5.09点
インドへの道7レビュー6.35点
2014-10-12ボーイズ・オン・ザ・ラン7レビュー7.05点
2014-10-12アリス・イン・ワンダーランド6レビュー5.21点
2014-09-074デイズ7レビュー7.06点
2014-09-07アナザー・カントリー5レビュー6.09点
2014-09-07ハンター(2011)6レビュー5.72点
2014-09-07ニュースの天才7レビュー5.52点
ダウト ~あるカトリック学校で~のレビュー一覧を見る


© 1997 JTNEWS