1. <ネタバレ>後で調べてみると、そもそものシェークスピアの『マクベス』の映 .. >(続きを読む)
1. <ネタバレ>後で調べてみると、そもそものシェークスピアの『マクベス』の映像化としても史上トップクラスの評価…というコトなのですよね。私見ですがソレは、妖婆=原作に於ける魔女と、そして浅茅=マクベス夫人の表現方式にポイントがあった様に思えています。特に浅茅について、彼女を多面性を備えた「人間」として描くより、その邪悪な権力欲や冷酷さのみをより際立たせた一種の「人成らざる者」として描く方が要点が分り易く伝わり易い、その部分に所謂「能」の方法論を取入れて、不要なモノを極限まで削ぎ落した抽象的な表現・演技として纏め上げたコトが、本作に更に高度な幻想み・幽玄みや寒々しさを付与している様に思えたのですね。モノクロで、画質も特に好くはないのですが、何処も彼処も凄い迫力だな…と思ってしまいました(こないだのジョエル・コーエン版『マクベス』にも、少なからず影響はあったのではねーかと)。
他、ラストの弓矢のシーン(+ソコでの三船敏郎の狂態)も確かにスゴかったと思いましたが、あのお城のセットがまたスゴかったですね。引きで全景を映すトコなんか、たぶんもう一生忘れられないと思います(あの寒々しさ・禍々しさ…)。正直、尺的な観易さも含めて、黒澤明でも一番最初に観れば好い作品なのではないでしょーか(『用心棒』とかも短くて面白いと思いますが、ちょっと西部劇的なノリもあるので慣れないと微妙…かとも常々思ったりしてましてですね)。
2. <ネタバレ>これは戦国時代を舞台とした怪談(オカルト・ホラー)映画じゃな .. >(続きを読む)
2. <ネタバレ>これは戦国時代を舞台とした怪談(オカルト・ホラー)映画じゃないでしょうか。この映画から強く感じたのは“恐怖演出の巧みさ”でした。寂しい荒野に建つ『蜘蛛巣城跡』の木碑、野太い声の男性合唱が不気味。木碑が霧に覆われ、巨大な城に変わることで、観ている者を戦国時代に導きます。『乱』でも圧巻だった重さを感じさせる城。騎馬武者が駆ける力強さ。足軽の走る音。黒澤監督の描く戦国時代表現は、今観ても臨場感がありますね。
冒頭部分の合唱は、鷲津と三木が蜘蛛手の森で迷った際の、老婆の枯れた声の独唱と対になっています。予言を残し、忽然と姿を消す老婆と小屋から、不気味な怪談話へと誘導されていきます。藤巻が自害した“開かずの間”の、血の跡の生々しさ。時鳥の鳴き声。浅芽の歩く衣擦れの音。
この、映画館(私は部屋だけど)から戦国時代へ、更に怪談の世界へと誘導する演出が見事です。
物語を極力単純にする(それでいて飽きさせない)ことで、観るものに余計なことを考えさせない。=現実に引き戻させない。黒澤監督は映画を観るものを、自然とその世界に入り込ませる技術に秀でていると感じます。
終盤、戦に備える両陣営の豪華さと、鷲津の演説に盛り上がる戦演出。鳥の大群が場内に入る不吉な空気と、気が狂った浅芽の怪演出。
最後は娯楽映画として、きちんと驚かせてくれました。有名な無数の矢衾の画は圧巻です。
鷲津の最後は、戦のいち場面でありながら、観るものに恐怖を感じさせ、蜘蛛手の森が動くのは、鷲津の目には怪(道理がない話)でありながら…。凄い。
本作では『“戯曲”に“能”を取り入れる』試みがされていて、開かずの間で密談する場面、鷲津と浅芽の、能面のような、まばたきをしない演出が映えます。
後年の黒澤映画では、役者の顔に寄らない、いわゆる“引き”の画が多くなるため、何か『芸術作品を観せられている』感が強くなってしまったように感じたけど、白黒映画時代の黒澤作品は“娯楽映画”として、単純に楽しめます。
今回DVDで鑑賞。字幕があることで台詞の理解が補強されました。
3. <ネタバレ>オーソン・ウェルズ版('48)やロマン・ポランスキ .. >(続きを読む)
3. <ネタバレ>オーソン・ウェルズ版('48)やロマン・ポランスキー版('71)、
ジャスティン・カーゼル版('15)も見てる(ジョエル・コーエン版は未見)
自分としてはキリスト教の教義がわからない分、単純に
「野心と欲望に満ちた男の破滅」を日本的(能や狂言みたい表情演技)
なテイストで味付けしている、「マクベス」の映像化として一番面白かった。
好きなのは2点。まず女性の使い方が黒澤明作品史上一番うまい。
女性の美貌というより情念に重きを置いてるのが彼らしいっちゃ彼らしい。
山田五十鈴と浪花千栄子なら当然か。
あとは黒澤明の演出するアクション場面・演出力はこの当時
世界映画史上の才能をもっていた事がわかる、という点。
森林の中を駆け抜ける馬のダイナミズムや有名な弓矢の
ラストシーン。それを担っていた三船敏郎の素晴らしさもあるけど
弓矢が一本壁に刺さる、からのあの矢衾(やぶすま)は単純に凄い。
あえて難点をいうと、やっぱり音質。
今回「午前10時の映画祭」での4Kリマスター版で鑑賞。
映像は素晴らしいし、30年前に場末の映画館で感じた時の
「台詞がさっぱりわからない」頃から比べれば凄い改善なのだが、
これは出来たら字幕つけて欲しい。自分の鑑賞時は無かったけど
他のところはどうなのかな。老年に至る映画ファンの為にも、
いろんな意味でのバリアフリーを!
4. 音声のコントラストが消えてしまっていて何を言っているのかわか .. >(続きを読む)
4. 音声のコントラストが消えてしまっていて何を言っているのかわからない。字幕付きのDVDで見れて本当によかった。
映画自体は文句なしに面白い。ストーリーと言い、画作りと言い、迫力と威厳があって飽きさせない。
5. <ネタバレ>和製マクベスってことなんだろうけど、現代人から見るとありきた .. >(続きを読む)
5. <ネタバレ>和製マクベスってことなんだろうけど、現代人から見るとありきたりに見えてしまった。また黒澤にしては不必要なカットが多いように感じ、したがって展開が遅いなーと思ってしまった。演技はすごい。
6. <ネタバレ>映画作品だけれど能の世界のようでもあり、独特の雰囲気は原典シ .. >(続きを読む)[良:1票]
6. <ネタバレ>映画作品だけれど能の世界のようでもあり、独特の雰囲気は原典シェイクスピアの舞台劇と通底するものがあるのかな。いつもより大きな芝居の三船敏郎に、それこそ面を被っているような山田五十鈴。
心の奥底にあるモノを「言葉」にして表されると、人は絡めとられてしまうものなのですね。“物の怪”の予言にすっかり支配された鷲津と三木。正常な思考を持っていたのは三木の息子のみ。曰く「自分から進んで予言通りに事を行い、予言が当たったと思っている」。しかし息子の金言も親父には届かず、馬一頭逃げ帰ってきたことで三木親子の凶事が判るシーンは簡潔ながらも「ああやはり?」とぞくっとしました。
確かに無くはなかった権力への野望。それを唆す化け物は、森で出会わずとも身近なところに妻という形でいたのです。鷲津はツイてなかった。
初めこそ凛々しい武者顔だった三船が憑かれたように形相を変えてゆく姿が酷く、印象的です。
本家シェイクスピアの舞台劇は観ていないけど黒澤の蜘蛛巣城は観た、ということで単位をもらえそうな気がしますよね。見事な黒澤版マクベスでした。[良:1票]
7. 巻頭の蜘蛛巣城跡の史跡と背後に流れる能の謡(うたい)が純日本 .. >(続きを読む)[良:1票]
7. 巻頭の蜘蛛巣城跡の史跡と背後に流れる能の謡(うたい)が純日本的な雰囲気が醸し、画面は一気にタイムスリップして蜘蛛巣城があった頃の迷路の様な原始林を駆ける二人の武将の騎馬の姿に焦点を合わせる。。。ここまでを事前の情報なしに見たならばこれがシェイクスピアの戯曲に基づいていた物語だとは誰も思わないでしょう。でもわたしが読んだシェイクスピアの「マクベス」の解説書には本作品が「マクベス」の映画化作品、しかも英語圏で作られたどの舞台・映画作品よりも原作のテーマと雰囲気を再現しているといる作品として紹介されているのです。そして二人の武将が運命のお告げを聞くシーン、原作では荒野で邪教のぎしきを行う魔女、本作品では原始林で系を紡ぐ山姥。。。どちらもイギリス(スコットランド)と日本の風土と文化を反映した設定ですが魔女はヨーロッパの原始宗教の産物でイングランド人はもちろんカトリックに染まった近代スコットランド人は「おやおや、こんなのが言うことを信じたらまずいのでは。。。」と思うはず。。。でも清教徒の天地だったアメリカでも魔女狩りが行われたほど土着の異教は英語国文化の根底に巣食っているのです。かたや山姥は日本古来のアニミズムの象徴的存在です。近代の自意識や秩序への信頼感と潜在意識に巣食う原始宗教のせめぎ合いが伏線として提示され、物語は武将鷲津(マクベス)と主君との関係に象徴される近代的秩序と山姥に象徴される原始的野望のせめぎ合い、そして運命をテーマとして展開していきます。舞台を前近代のスコットランドから戦国時代の日本に移したからこそシェイクスピアが意図した人類共通の真実がより効果的に炙り出されたのかもしれないと思った次第です。[良:1票]
8. <ネタバレ>黒澤の凄さだけでなくシェイクスピアの凄さも理解できた映画だっ .. >(続きを読む)[良:1票]
8. <ネタバレ>黒澤の凄さだけでなくシェイクスピアの凄さも理解できた映画だった。
森が動く!という伏線と展開は原作と同じであり、そのトリックは意外性があって楽しめた。
原作執筆から何百年もたっているが、面白い作品は何年経とうが面白い。
黒澤の能を取り入れた演出も素晴らしい。登場人物たちの動きがなんとも妖しく不気味だ。
ホラー的な表現も黒澤は十分に出来るということがわかる。ダイナミックな演出のみに終わらぬ多彩な表現能力を持つところはさすが世界の巨匠。
たくさんの方が触れているが、あの弓矢のシーンは凄いとしか言葉が出てこない。
素人に毛が生えた程度の学生に矢を射させたというから、三船が本気で怖がるのもむべなるかな。
数ある黒澤映画の中でも特に有名なシーンであり、私も大好きな場面だ。[良:1票]
9. <ネタバレ>黒澤×シェイクスピア、第1弾。
ご存知「マクベス」の時代劇 .. >(続きを読む)[良:1票]
9. <ネタバレ>黒澤×シェイクスピア、第1弾。
ご存知「マクベス」の時代劇版。
これが後の「乱」へとつながっていく。
もう天才と言うしかない。
黒澤監督は30作、世に生み出しているが、どれも傑出している。
こんな才人はもう日本から出ないのではないか?
映像良し、ストーリー良し、静と動のバランス良し。
ただ「マクベス」を知らぬ人で、会話が聞き取りづらい人には、
あまり高評価はないかもしれない。
黒澤さんの作品でよくしゃべる映画は字幕で観たい。
ポイントのマクベス夫人を山田五十鈴が演じるのが凄い![良:1票]
10. この作品のために作られた城のオープンセットをはじめとして、多 .. >(続きを読む)
10. この作品のために作られた城のオープンセットをはじめとして、多くの馬や役者などからは、時間や手間、お金をかけているのが伝わってくる。こういった点は、黒澤作品ならではのゴージャス感として高く評価している。また、ラストでの、矢で串刺しになる主人公、鷲津武時の死にざまは、壮絶で美しく、そして迫力満点で、強く印象に残るものだ。しかし、その他の面においては、多くの不満が残る作品だったのも事実だ。まず、ストーリーに関して、理解はできるのだが、物の怪の妖婆の登場で見方が分からなくなってしまった。おとぎ話として観ればいいのか、実際にあったことのようにリアルな視点で見ればいいのか、それが僕の中で定まらないまま、作品が終わってしまった。つぎに、映像面に関しては、重厚ではあるのだが、シーンによってはバッサリ切れるだろうと思われるカットがあったり、明らかに間延びしているカットがあったりして、映像の流れと気持ちがシンクロ出来ず、気分が高揚しなかった。この原因としては、ゴージャスに作りすぎたために、編集段階で切り詰めることができなかったのかな、と勝手に想像している。それから、能などの伝統芸能を演出に取り入れていることに関しても、それが映像作品としての完成度を上げているかと考えると、疑問が残る。上記の、不要と思われるシーンやカットと同様に、その演出が、作品と僕の心のシンクロを阻んでしまったからだ。もっとも、これに関しては、伝統芸能に対する僕の素養が足りないのかもしれないし、この作品の公開当時と現在とでは、いわゆる一般大衆の、伝統芸能に対する経験値が違うのかもしれない。あと、人物描写で言えば、主人公の妻の浅茅には、最後まで強いままでいて欲しかった。主人公に主君の殺害を吹き込む前半と、殺害時に付着した手の血の幻を洗い流そうとする後半で、その描写が、明らかに齟齬をきたしてしまっている。最後に、音響面に関して述べてみたい。作品鑑賞の前にこのページを読んだところ、セリフが聞こえにくいとあったので、最初から字幕をつけて観ることにした。字幕によって、画面全体は観にくくなったが、ストーリーが追いやすくなったのは良かったと思う。それにしても、一番聞き取りにくかったのが三船敏郎の声というのは、意外と言えば意外だったかな。
11. <ネタバレ>所謂、城というよりは野戦砦や館に過ぎないので、歴史を彷彿とさ .. >(続きを読む)
11. <ネタバレ>所謂、城というよりは野戦砦や館に過ぎないので、歴史を彷彿とさせるその殺伐とした雰囲気が出ていたのはよかった。もうちょっと山間部で撮影してもよかったような気もするが。ただし、主人公の心情変化の描き方は雑だし、奥さんや化け物に唆されてという流れと本人の野心が混在してしまって、下克上と忠誠・忠臣との葛藤がうまく伝わってこない。演技が仰々しくて派手なので小心者には見えないし、でも一応は悩んではいるようだし・・・。で、結果的に三船のひとり芝居だけの作品になってしまっている。ラストシーンは印象的ではあるが、あれだけやられると逆に顔にだけ矢が刺さらないのが不自然にも思えた。
12. 2015.04/23 3回目?鑑賞。第一印象は暗いなあ、重い .. >(続きを読む)
12. 2015.04/23 3回目?鑑賞。第一印象は暗いなあ、重いなあだった。でも流石それでも段々画面に引き付けられる。なんと言っても矢を射掛けられるシーンの迫力には度肝を抜かれた。英国・シェークスピア「マクベス」
対日本・黒澤「謡・能・踊・舞・吟を含む日本文化」の感、強し。文学対映像の対決か?
13. <ネタバレ>まさに演者の凄み、ラストの場面は壮絶。というか矢が次々に突き .. >(続きを読む)
13. <ネタバレ>まさに演者の凄み、ラストの場面は壮絶。というか矢が次々に突き刺さるのはホント危ない。あの三船さんでも怖かったという話のようだけど分かるなぁこれは。結構無茶なことをしてると思う。演技半分素の恐怖半分、鬼気迫る表情は観る者を圧倒する迫力。そこを狙ったとすればさすが黒澤監督。お見事でゴザイマシタ
14. <ネタバレ>オーソン・ウェルズの「マクベス」には及ばないが・・・あの怪奇 .. >(続きを読む)
14. <ネタバレ>オーソン・ウェルズの「マクベス」には及ばないが・・・あの怪奇幻想的な雰囲気が登場人物たちのドロドロした情念みたいで面白いんだけどさ、霧の中突っ走る場面は長いし、盛り上がりも少ない。
淡々と一つ一つ事を片付けていく感じだな。
一人の男が栄華を極め、そしてあっけなく滅んでいく。
こんなところに住みたい民はいねえだろうな。
だって城下町が無いんだもん。
夜逃げでもされた?
ただラストシーンは壮絶!
もうそこだけは何回も見たくなるね。
動くはずがない森が動き出し、絶望に暮れ始める鷲巣たち。
円谷英二の怪獣映画さながらの技法が、このおどろおどろしい映画を一気に盛り上げる!
いままで散々上司や仲間を裏切ってきた男に、真の忠誠を示す部下は一人もいない。
一方で、苦楽を共にしてきた小田倉と義照には心で結ばれた部下を率いる。
いつも対照的な役柄を演じる三船敏郎と志村喬が魅せる光と影が如実に現される。
そして矢の雨が横から降り注ぐ凄まじい絵!
マジで本物の矢をドカドカ撃ちまくる!
矢が首に刺さって苦悶の表情をする鷲巣。
まるで往年のサイレント映画さながらだ。
映画は鷲巣が崩れ落ち、強者どもの夢の跡を映す城跡が映り幕を下ろすが、撮影後に三船が本気でブチギレて散弾銃を武装して押しかけた話はあまりにも有名である。
いやあ、本気で監督を殺しにかかれる俳優、今の時代にいるかい?(何を言ってんだ俺は)
15. おそらく映像美としては黒澤最高作だろうが、これ音もいいんだよ .. >(続きを読む)[良:1票]
15. おそらく映像美としては黒澤最高作だろうが、これ音もいいんだよ。旗さしもののパタパタいうのから、矢の突き立たる音まで、なんというか、中世の渋い音が満ちている。一番はマクベス夫人の衣擦れの音ね。主人殺しの槍を持ってくるとことか、ほんとに音だけで怖い。浪花千栄子の魔女の声もある。『羅生門』の巫女でも男声を使ってたが、ああいう効果がある。演出としては、モノノケの家がワンカットの間に取り除けられる、なんてのをやってた。マクベス夫人の視線の演出も凄い。話し相手には向けられない。いつもどこか虚の一点を見詰めている。旦那の目を見てものを言うのは「酒を見張りの者たちにつかわそう」と、言外の意を含んでいるとき。真意を眼で告げているわけで、「企む女」の演出がここにキマる。謀反の瞬間は、夫人の所作のみで見せていた。ほとんど舞いである。黒澤の能好きが一番生かされたフィルムで、異なる芸術分野がひとつの作品に理想的に結晶した稀有な例であろう。[良:1票]
16. <ネタバレ>凡百の日本の時代劇とは一線を画する哲学的なストーリーと、それ .. >(続きを読む)
16. <ネタバレ>凡百の日本の時代劇とは一線を画する哲学的なストーリーと、それを彩る陰鬱とした映像美はさすがに見事としか言いようがない。後の傑作「乱」を髣髴とさせるダークな世界観と、ラストそれを切り裂くかのように画面狭しと降り注ぐ矢の雨あられ。本当にその独特の幽玄の世界はとても良い余韻となっていまも心に残っている。
17. <ネタバレ>霧がたちこめ鬱蒼としたした感じ、最後の森が動くシーン、白黒な .. >(続きを読む)
17. <ネタバレ>霧がたちこめ鬱蒼としたした感じ、最後の森が動くシーン、白黒ながらも
血の色や緑色を感じてしまいました。
ミステリアスなところがお気に入りです
18. セットや映像は素晴らしいが、所々テンポが悪い。音声の状態が悪 .. >(続きを読む)[良:2票]
18. セットや映像は素晴らしいが、所々テンポが悪い。音声の状態が悪いので字幕は必須。[良:2票]
19. <ネタバレ>黒澤映画としては最も重厚な作品。全編を貫く陰惨で怪異で重苦し .. >(続きを読む)
19. <ネタバレ>黒澤映画としては最も重厚な作品。全編を貫く陰惨で怪異で重苦しい雰囲気。鷲津は権勢欲の虜となり主殺しと裏切りの罪を犯した。森の物の怪が未来を予言し、妻が謀反をそそのかしたということがあるが、根底には人間不信がある。戦闘と裏切りと死を繰り返す戦国の修羅の世に生きる武者にとって、人間性を失わずにいるのは難しい。人を信じることが出来ないで過ごす人生は、心が休まることがなく、灼熱に焼かれるような苦しみの連続だろう。物の怪の予言は戦死した武者の亡霊が復讐を企てたもの。鷲津が特別野心が大きく、心が弱かったわけではない。たまたま欲望の陥穽に落ち、魂が悲運の蜘蛛の巣に絡み取られてしまったのだ。
◆原作では主人公は華々しく戦闘に討つて出て戦死するが、本映画では裏切りにより、刀を抜く間もなく惨めに射殺される。より惨めな死に様を提示することにより、道を踏み外した人間の愚かさ、因果応報の恐ろしさを見せつける。原作の洞窟の三人の魔女を糸車の老婆と武将の亡霊に改変したのも成功している。日本人にしっくりくるのだ。
◆次の場面が省略されている。①北の館の前主が謀反に失敗し、自決して、部屋が血染めになる場面。②鷲津が眠っている主を槍で殺害する。③鷲津の使いの暗殺者が僚友三木を襲って殺す。④鷲津の妻の死産と狂ってゆく様子。最後にどうなるのか。⑤最終戦闘場面。何れも死を描く場面。考えて見れば、死が直接描かれるのは鷲津の矢だるま場面だけ。それでもいたたまれないほどの陰惨な印象が残るのは映像の力によるものだろう。白黒なのに血が夢に見るほど怖ろしく見える。凄惨な場面をあえて排除したのは監督の観客への配慮だろうが、どこか物足りなさを感じる。鑑賞後。どこかぶつ切り感が残るのだ。想像させるのは重要なこどだが、バランスが難しい。
◆独特の映像美には讃嘆するしかない。それだけで十分鑑賞の価値あり。もし監督がホラー映画を撮ったら、とてつもなく怖いものが出来上がっただろう。
◆違和感を覚えたのは、鷲津と三木の二人だけで森を抜けて城に向かう場面。いくら戦闘が終了したとはいえ、準戦闘状態にある中で大将が単騎で行動するはずがない。しかも別々の場所を守る二武将が揃って登城などありえない。二人だけ本隊とはぐれたなどの設定にすればよかった。
20. <ネタバレ>このところ、黒澤映画に出始めた頃の三船敏郎を何作か見ていたけ .. >(続きを読む)[良:1票]
20. <ネタバレ>このところ、黒澤映画に出始めた頃の三船敏郎を何作か見ていたけど、現代劇より時代劇の方が世界観の中にしっくりと納まる。基本的に、武士という空気を纏っている人だったことが良く分かる。実は奥方が物の怪かと思っていたんだけど、後半は出てこなくなり、いつの間にかノイローゼになっていて残念でした。その欲深い奥方にそそのかされるところが面白かったくらいで、自分にとって他には特に観るところなし。真面目で忠勤に励んでいた武士が権勢欲に囚われ道を踏み外すような描かれ方だけど、戦国の世には普通にあることで特別とは思わない。いわゆる芝居がかったというか、歌舞伎の舞台でも観ているかのような間の取り方とか葛藤の見せ方にはちょっと辟易しました。[良:1票]