私はID4の荒唐無稽さが大好きだった。映画だから許される無茶 .. >(続きを読む)[良:1票]
私はID4の荒唐無稽さが大好きだった。映画だから許される無茶苦茶さ、それはタコ型宇宙人という絵空事でしかない存在を相手にしているからこそ、それこそ絵に描いた餅のような対抗手段であってもおおらかな気持ちで受け入れられることが出来たのである。現実ではないからこその自由な発想を評価していたのである。さて今作品であるが、そういう意味では地球規模の環境破壊という問題は、エメリッヒにとってはいささかリアルすぎる問題であったかもしれない。ID4の敵が宇宙人であれば、今回の「敵」は地球そのものであったわけだが(もっとも人間の業の積み重ねともいえる結果ではあるのだが)、母なる星地球に敗北を喫させる訳にはいかないのだろう、これまでのパニック映画で乱発されていた核による変化の抑止をせず(これは私は評価している)、特にこれといった対抗手段を打ち出せず、人間ドラマに重きを置くことを選択せざるをえなかっただろう。しかしそのことが、エメリッヒならではの自由な発想力を束縛する結果に繋がってしまったのではないか。確かにデニス・クエイドは好演していたし公立図書館に残った人々の描写も力強さがあったものの、ID4で見られた胸のすくような逆転の発想は最後まで出てくることはなかった。そういう意味では残念ではあったが、ID4との共通点と言うかエメリッヒらしい部分は随所に見て取れる。ID4をよく見ている人ならば、端役に至るまで登場人物で誰が生き残り誰が死ぬか予測できたと思うし実際そのとおりであった(印象的だったのは、1500ドルのコートがどうこう言っていたビジネスマンと、回送中なのに彼から200ドル受け取って乗せたバス運転手が死んだこと)。映画の中では彼の嫌いなタイプ(と思われる)人物には容赦ない。また大統領に対する考え方も一貫していて、自分の命をかけてでも国民を守ろうとする、かなり美化された理想の大統領を見ることができる。ID4の話が多くなったが、比較した上で見るとなかなか興味深い映画である。ただしラストの演説は、イラク戦争は間違いなのではないかと気付き始めた今のアメリカを思うと、もはや手放しではアメリカ万歳とは言えなくなったことの表れなのかもしれない。・・・と。真面目に書いたがやはり一言ツッコみたい。「千代田区って、あれじゃあ『思いで横丁』じゃねーか!!???」 (知らない方へ。「思いで横丁」は新宿駅前、もちろん新宿区です)[良:1票]