溝口映画祭で唯一観ることのできたサイレントもの。
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溝口映画祭で唯一観ることのできたサイレントもの。
この映画祭を通して山田五十鈴姉さんにはこのあと数度お見かけすることにはなるのであるが、ふと本作の発表年に目にやり「浪華悲歌」や「祇園の姉妹」よりも一年前の1935年となっていることに気づくと、これが彼女にとっての最若年の時代であったということになり、彼女の演技が既にかなりのレベルで完成されていたことに改めて驚かされる。生き生きした目と崩壊した目の差と言ったら…。
溝口の撮る女、そこには諸行無常の様が激しく刻みつけられている…。