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プロフィール
コメント数 3873
性別 男性
年齢 53歳

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41.  祇園囃子 冒頭の、祇園の世界に吸い込まれそうなショットに息を飲む。まさにここは、「そういう世界」。木暮実千代演じる主人公・美代春も、「そういう世界」の人間。と言っても我々庶民には「そういう世界」ってどういう世界だか、なかなかわからないんですけれどもね~。まず美代春が、金の切れ目が縁の切れ目とばかり、自分に入れあげた客を邪険にする場面があり、ああオソロシや。と思いきや、形式的なしきたりの世界に生きる彼女にも、一方では、栄子やその父に見せる愚かしいまでに情に厚い一面も。そしてそのしきたりの世界に表面的には憧れても結局は馴染めぬ栄子と、その世界に生きていかざるを得ない美代春。彼女たちを利用しようとする者たちも含め、みんな何かしら、不自由を味わっている。ここは、そういう世界、なんだなあと。[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-03-17 22:55:09)

42.  コクリコ坂から 『ゲド戦記』という父殺しの作品を作った宮崎吾朗監督が、今回は父を想う作品を作ってきた。と思いきや、脚本にかかわっているのが当の父親本人だもんで、額面通り受け取ってよいのやら。主人公のウミちゃんが、母から事の真相を聞いて涙する場面。一見、「愛する俊くんと実のきょうだいではなかったことを知り、安堵の涙」とも受け取れるけれど、そうではないのかも知れない。彼女がその前に涙を流したのは、夢で父親と再会した場面であったから。亡き父へ送っていた旗の信号を受け取っていたのが、実は俊くんであったから(そして、彼女も「旗が父の代わりに俊くんを呼んだ」と思っている、あるいは思おうとしている)。そして、この場面の彼女の涙は、母親の「お父さんと彼は似ているのか」という質問にうなずいた直後のものであったから(実際、俊くんの育ての父に言わせても似ているらしい)。そんな訳で、高校生の恋愛という題材を借りてはいるけれど、実際は、セクシャルなものではない、近しい者に対する普遍的で無条件の愛が、ここでは描かれているんだろう、なーんて思うと、実はコレ、『ポニョ』の変奏曲みたいな作品なのかもしれませぬ。[地上波(邦画)] 9点(2015-01-23 00:04:54)

43.  浮草 『スクリーム』で「ホラー映画で“すぐ戻る”と言って出て行ったヤツが、帰ってきたためしが無い」ってのがありましたけれども、あの法則って、小津映画でも共通なんですね。川口浩に将棋で勝てない中村鴈治郎、必ず再戦するぞとやたら強調した後、階下に下りていくと、案の定、やってきた京マチ子と一大バトルを繰り広げることとなり、将棋どころじゃなくなってしまう、という寸法。そんなこんなで、本作、なかなかドロドロした愛憎劇なのです。目を三角に吊り上げて(ってこれは地顔だけど)中村鴈治郎がまくしたてる大阪弁と、小津映画のリズムとが、ハテ、噛み合っているのやら噛み合っていないのやら、いずれにしても一味違う雰囲気があり、これはもうひとつには本作が大映作品ということも関係してそうな、してなさそうな(なんか、大映と聞いただけで、松竹よりは、いいロケ撮影しそうな気がしてくるしなあ。実際、鄙びた地方色みたいなものは、よく出ています)。あるいは、旅回り一座の舞台裏が題材で取り上げられていることもあって、画面内に大勢の人物が動き回る場面がしばしば登場するのも目を引きます。モメにモメたお話を、ラストでいささかキレイにまとめ過ぎた感じも無いでは無いですけれども、ま、なかなかエエ話や、おまへんか。[CS・衛星(邦画)] 9点(2014-12-13 15:42:44)

44.  浪花の恋の物語 タイトルだけ聞くと何だか軽くてヌルそうな感じですけれども、実際は文芸調の重みのある作品。悲恋の物語がじっくり描かれていき、じっくり描かれるからこそ、物語が後半の主人公たちが追い込まれてく姿に収束していく時のその絶望的な流れに、格別なものがあります。主人公の行動は、客観的に見ればいたって浅はかでどうしようも無いものではあるのですが、ここではその短絡的で直情的な行動が、絢爛たる花街の完成されきった世界の描写の中で対比的に描かれることにより、その無力さ、果敢なさが浮き彫りとなって我々に迫ってきます。圧倒的な非人情の世界の中に放り込まれた、無力な二人の姿、その世界に抗おうとして敗れ去る二人の姿。そしてその世界と、二人との間に位置する観察者としての近松門左衛門の存在が、またこの映画の物語に厚みを加えています。ラスト、彼によってこの事件が脚色された文楽が上演されている。(あるいは実際の事件の顛末を知ることなく)この舞台上の物語に魅了され感動している観客たちの姿と、実際の事件と自ら脚色した物語との違いを知る近松の最後の表情。彼の表情の奥にある心の慟哭こそがこのシーンの多層性、とも言えるのですが、それにとどまらず、現実の事件に触発されてひとつの作品が作られることそのものの感動もまた、ここにはあります。実話を元にしたなんて言うと、得てして「表面的」とか何とか批難されたりもするのですが、実際の事件を作品でそのまま再現する「リアリティ」が重要なんじゃなくって、それこそ様式化された人形劇へ置き換えちゃったってまるで構わない。実際の事件におけるある感情の一面、それは単なる一面に過ぎなくとも、作品として再構築され普遍化されて、人々の感情へと刻み込まれて永遠化していくということ。その感動ですね。[CS・衛星(邦画)] 9点(2014-11-26 01:39:21)

45.  弁天小僧 弁天小僧の雷蔵に、遠山の金さんの勝新。ふたり揃っていれずみブラザーズってのがまず楽しい。そんでもって、弁天小僧は、義賊って訳でもなく、どうしようもないチンピラで、女性を助けたのかと思いきやいきなり手籠にしようとするとんでもない奴。しかしあれこれ悪事を働こうとしても結局は「弱きを助け強きを挫く」ってな感じで、人助けの方向に走ってしまう。浜松屋恐喝のくだりを歌舞伎舞台として描くのも、サービスという面もあるだかも知れないけれど、ひとつには弁天小僧の悪事あまり生々しく描かず、オブラートで包んで憎めないものにしようという演出上の工夫にも思われます。クライマックスは、弁天小僧の出自の物語と、弁天小僧が愛する女性との物語が重なり、さらにそこに、夜の町を駆け巡る無数の御用提灯が畳み掛けてくる。これほど盛り上がる映画もなかなかあるもんじゃありません。[CS・衛星(邦画)] 9点(2014-10-14 13:26:32)

46.  縄張はもらった まあ何とガラの悪い映画。一応は日活のスター映画なんでしょうけれど、長谷部安春監督がやりたい放題、女優の皆さんはやられたい邦題で、刺激的なシーンの数々でございます。街を闊歩するチンピラどもを見てると、ここは無法国家かと。主演の小林旭もここではコワモテの役柄。彼が刑務所を出所した時、彼のいた一文字組に昔の面影は無く、ハザマ組に呑まれかかっている。そのハザマ組の密命を受け、小林旭は、街で幅をきかせている別の2つの組の対立をあおって殲滅を図る。この計画のために集められた精鋭(?)たちが、役に立ちそうな立たなそうなユニークなメンバーで、なかなかに魅力的なのですが、危険な作戦の中で、ひとりまたひとりと犠牲になっていきます。非情に徹する小林旭。しかしやがて彼は、ハザマ組にも反旗を翻す。という訳で、抗争に次ぐ抗争。またそこにはライバル同士の友情なんかもあったりして。こだわりのカメラにトンがった演出、エロあり暴力あり、そして男の哀しさ、女の哀しさがある。この映画、カッコ良い。[CS・衛星(邦画)] 9点(2014-03-13 23:30:25)(良:1票)

47.  男はつらいよ フーテンの寅 シリーズ中、山田洋次以外の監督がメガホンをとった2作品のうちの一本である、第3作。やはり雰囲気も異なります。長廻しもあれば、ごく短いカットの応酬もあり、特に江戸川べりでのさくらとの別れの場面の抒情性は、長いシリーズ中でもかなり異色のシーンですね。で、立ち去る寅さんは、駅に向う通勤者たちとは逆方向に歩いて行くのだけれど、一体どこに向ってるの?? 後半の舞台は湯の山温泉。ここでもまた、寅さんは例のごとくテキトーでいい加減なのだけれど、それでも、最後には実にいいトコロを見せる。そして見事に仁義を切って見せ、根なし草として生きる男の意地と孤独を、我々に見せつける。単なる失恋コメディに収まらず、寅さんの生き様をしっかり描いてみせた点、監督を交代しただけの価値ある異色かつ出色の作品となりました。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-12-31 11:55:58)(良:2票)

48.  薄桜記 「忠臣蔵外伝・丹下左膳ビギニング」みたいなお話で、その名前を少しもじった丹下典膳という人が主人公。高田馬場の決闘から吉良邸討ち入りまでの中山(堀部)安兵衛の姿と、そこにクロスする丹下典膳なる人物の運命が描かれ、物語運びの上手さ、巧みな演出に、さらに忘れ難きは雷蔵の美しくも悲壮な表情、これぞまさに出色の時代劇です。高田馬場の決闘をきっかけに、安兵衛と典膳とは互いに一目おく存在となり、武士道を通じた敬意による、信頼関係が生まれる。しかし同時にまた二人の運命の交錯は、それぞれにとっての波乱の始まりでもあり、道場からの破門、同じ女性への恋。そして典膳と妻に悲劇が襲いかかる……。安兵衛が見つめる川面に降り注ぐ涙雨。典膳夫妻の絆を象徴する紙人形。背景の暗転によって強烈に浮かび上がる肩口の血の深紅。決闘の場へとひた走る勝新の描写、あるいは俯瞰による殺陣の描写など、カメラの工夫にも溢れており、そして何と言っても、ラストの息も絶え絶えの(後の『大殺陣 雄呂血』でも見せたような)悲愴感溢れる雷蔵の死闘、そして表情。ああ、早く来てくれ勝新よ、と思わずにはいられないクライマックスが、もうたまりません。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-10-26 10:28:16)

49.  集団奉行所破り 東映の一連の“集団抗争時代劇”が、時代劇の歴史における異色作であるならば、本作はさらにその集団抗争モノの中の異色作とでも言えるでしょうか。虚無感や悲愴感より、ユーモアがまずは表に出ています。ここでの“集団”とは、ほとんどゴロツキのような連中、その彼らの大阪弁での軽妙な会話というか、逆にディープ過ぎる会話というべきか、がテンコ盛りで、要するにユーモラスであると同時になんともコッテリした、関西人以外のヒトが観れば胸焼けしそうな世界です。開高健の「日本三文オペラ」みたいなエネルギーあふれまくりの世界。小難しい顔した大友柳太朗演じる浪人も、軽妙な彼らの中に混じるとむしろ、これまたユーモラスな存在ともなるんですけれども、映画はただただ明るい色調なだけではなく、登場人物たちそれぞれの「訳あり」なところが、時に映画に暗い影を落としたりもします。彼らが目指すは、よりにもよって、奉行所への押し込み強盗。究極のアナーキズム。そしてクライマックスの死闘へなだれ込むと、やはり悲愴感・虚無感が表れてくるのですが、それをひたすらあおり立てるのではなく、BGMなどに感傷的な要素を入れているのも、見逃せない本作の特徴。登場人物誰もが、活き活きとして素晴らしい。一見冷酷ながら二面性を備えた役どころの佐藤慶が素晴らしい。そして誰よりも、シナシナとシナを作りつついかにも訳アリ感に満ち満ちた、桜町弘子が素晴らしいです。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-31 10:54:04)

50.  宮本武蔵 二刀流開眼 宮本武蔵5部作の中で、ドハデな決闘を描く第2作と、破天荒過ぎる戦争映画のような決闘を描く第4作に挟まれ、繋ぎのような、はたまたちょいと地味な緩徐楽章のような、この第3作。サブタイトルの“二刀流開眼”がじっくり描かれる訳でもなし。しかし、前2作からの因縁をここに纏め上げ、続く2作へと期待を盛り上げる意味で、この第3作が一番、シビレる作品と言えるかも知れません。いや、実際、本作を観ていると、最終作では小次郎とではなくオババとこそ因縁の対決をして欲しくなっちゃう(笑)。いや、健さん小次郎の高笑いも勿論悪くないですよ。非人間的ですらある剣豪・小次郎と、剣豪になるには人間的すぎる武蔵。そして剣豪として担ぎあげられてしまった悲劇を背負う吉岡清十郎。はたまた、彼らに翻弄されてしまった女たち。実にシビれる、5部作の中でも特に欠くことのできない作品だと思います。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-15 20:59:38)(良:1票)

51.  忍者狩り(1964) 浪人と忍者との戦い、どちらかというと私闘に近い物語ではあるけれどもこのオドロオドロしい雰囲気、まさしく東映の集団抗争モノの一本ということができます。とにかく暗いのです。そして壮絶。近衛十四郎父ちゃんが、城を失い帰属を失った浪人、他藩のためにいわば傭兵として宿敵に挑む浪人の凄まじいばかりの執念を見事に演じてます、顔のクドさにも負けぬくらい濃い役どころで、ハマリ役と言えるのではないでしょうか。他の雇われ浪人とともに、お墨付き書を狙う甲賀忍者の殲滅に挑む、という物語、タイトルは『忍者狩り』だけれども、狩られるのはどちらなのか。忍者の首領は、闇のクランドとかいう、滅法強いメチャクチャ強い謎の人物。“魔人”と言ってよいでしょう。主人公は外様の浪人の立場、味方の理解も協力も乏しい状態で敵と戦わねばならないのだけど、相手はこの恐るべき“魔人”、しかも主人公にとっては個人的な恨みを持つ宿敵でもあるもんだから、主人公の姿勢にも鬼気迫るものがみなぎってくる。そしてついに二人が相まみえるクライマックスの死闘!! 虚無感あふれるラストまで目が離せない、とにかく凄まじい作品です。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-04-12 00:17:25)

52.  悪名一番 感動的な作品ですよ、これは。今回、朝吉親分と清次のコンビが向うのは、大都会・東京。八尾ではそれなりに知られた存在の朝吉親分も、ここでは完全に田舎者扱い。いや、田舎者以前に、見た目といい、言動といい、時代錯誤も甚だしく、チャラチャラした清次の方がよほど進歩的。都度、朝吉親分にたしなめられる清次、しかし靖国神社でついに二人は決裂。とってつけたように靖国神社の英霊の前で号泣する朝吉親分には、清次ならずともア然とするところ、しかし朝吉はそれが気に食わず、大ゲンカになってしまう。まあ要するに、朝吉親分、都会からも、時代からも、ちょっと“浮いた”存在な訳ですね。それでも自らに忠実に、愚直に突き進む朝吉親分、その一方で清次は清次なりに活動を開始する。清次の活躍が見どころです。で、クライマックス。敵の事務所に監禁された清次の救出のため、殴り込みをかける朝吉とニセ朝吉ニセ清次。すさまじいばかりの格闘シーンが続きます。そして、リンチでズタボロになった顔の清次が、朝吉と言葉を交わす時。どうしてこんなにダサいシーンなのに、感動しちゃうんですかねえ。スバラシイです。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-03-05 20:48:02)

53.  十七人の忍者 「十七人」とはちと多く無いですか? 100分の映画なら一人あたり6分しか持ち分が無いですやんか。いえいえ、この数字は、捨て駒として露と消えてゆく忍びの者のはかない命を表しているのです。これがおサムライさんだったら、一人ひとりの存在感も高く、『三匹の侍』あるいは悲壮感が増してくると『七人の侍』『十一人の侍』『十三人の刺客』と人数も増えてくる。忍者はそれ以上に“消耗品”扱いなんですな。「カシラが死ねと言えばいつでも死ぬ、それが掟」。なお、さらに人数が増えると「101匹わんちゃん」とか「2000人の狂人」とかになる訳で、“忍者”の置かれているポジションが数字によく表れていますね。さて本作、いやこれは面白いですよ。密命により、城にある連判状を盗み出す決死の作戦に挑む伊賀忍者隊。片やこれを待ち受ける城の防衛を指揮するのは、根来忍者・才賀。彼の鋭い読み、鉄壁の守りに対し、伊賀忍者たちは仲間の命を犠牲にしながら隙を窺うが……はたして、連判状奪取作戦の行方は、いかに。十七人もいた仲間が次々と命を投げ出していく大胆な消耗戦、ある意味大味な展開の一方で、城への侵入の模様などの“忍術”をディテール豊かに描いて見せる、その対比が面白くてワクワクします。伊賀忍法と根来忍法、勝つのはどちらか。敵の忍者・才賀がえらくキャラ立ちしていて、忍術使いというより妖術使いに見えちゃうのですが、“忍術”とは言っても最後にモノを言うのは、腹の探り合いであり、自分の命すらかえりみないヤセガマンであり。またそれこそ最後に勝敗を左右するのは、人望とか仲間内の結束力とかであったりする訳で、ビジネス指南映画としても最適でしょう…?。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-01-20 08:24:04)(良:1票)

54.  切腹 日本人にとって、切腹というコトを口にするのは、ちょっと微妙な感情、一種の居心地の悪さが伴う訳で、それは、いわば日本を代表する風習のひとつでありながら、自分自身はそれを決行する自信が全くないこと。何かと耳にはする「切腹」という言葉と、その意味する実態が想像を絶することとのギャップ、しかし世が世なら自分もそれをせざるを得なかったかも知れないという恐怖(武士だけの行為ではない。近代でも自らそれを行った例が多々あるとのこと)。あと、世のSMマニアの中には切腹マニアというのもいて、そのテの本や写真集もあるそうで(三島の『憂国』だってその一例だ)、それも居心地の悪さの原因かも知れないけれど(笑)。さて本作。ひとつには物語の構成の妙が我々を釘づけにするんだけど、“切腹”を正面から捉え、しかもそれを痛々しく理不尽に描いているのが、強烈この上無い。切腹ってのは、腹膜まで切ろうとすると非常に苦しいものとなり(腹筋を切り裂くのがまず大変)、浅く切ってすぐ介錯してもらうのが楽で良いらしい(とモットモらしく言ってるのがこれまた居心地悪いんだが)。それを何と、竹光での遂行を迫られる理不尽さ、その苦痛はいかばかりか、画面からヒシヒシと伝わってくる。なのに本作の音楽担当が「たけみつ・とおる」とはこれまた何と理不尽な。それはどうでもよいが。後半、物語は一変、いや、視点が変われば物語も変わるということ。強い立場、迫る立場、追いつめる立場であったはずの人間が、実は追いつめられていってる、というその過程が、別の意味でコワイ。何ものかにとらえられている存在であることには、皆、変わらない。この凄惨なクライマックスは、一種のエンターテインメントでもあるのかも知れないけれど、そこには同時に、秩序が内側から自壊していく恐怖もある。いやむしろ、秩序の虚飾が内側からが崩壊してなお、秩序の外枠だけがガランドウのように残り続けていくことの恐怖なのかも知れない。[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-09-29 03:47:41)(良:1票)

55.  アンノウン(2011) いやー実に実に面白かった、興奮しました。謎に満ちた発端がイイですね。テンポよく挿入されるアクションがイイですね。待ち受けているのは思わぬ展開(そりゃま、似たアイデアの作品は過去にあったけど、この程度の類似を見咎めて楽しまないのでは、日頃からミステリ小説なんて読んでいられない(笑))。そして何より、このサスペンスの雰囲気がイイですね。ミステリってのは、単なる「こんなトリック思いつきました」という報告書じゃなくて、本分は、そのトリックをいかに「語る」か、にある訳で。本作は、まずはその「語り」に徹している、その丁寧さに非常に好感が持てます。一体何が起こっているのか。誰が敵で誰が味方なのか。単純にプロットやトリックという意味での物語ではなく、それらを含めた、サスペンスの流れとしての「物語」、それをいかに「語る」か、どのようなカットを積み上げていくか。例えば“主人公が電話帳のページを破る前に辺りを確かめる視線”、などというレベルから、省略せずに描写をひたすら紡いでいく。この映画には「適当に色々撮って、後で編集で何としよう」みたいな発想は無く(そんないい加減な映画があるのかどうか知らんけど)、どのようなシーンにも強い意思が感じられて、しかもそれが、意思のための意思じゃあない、あくまでサスペンスを盛り上げ、映画を面白く「語ろう」とする意思であるのが、実に嬉しいじゃないですか。強いて文句をつけるなら……このタイトルはもうちょっと考えてつけてもよいのでは(こんなタイトル、どんな映画にもついちゃうよね)。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-05-20 08:34:54)(良:2票)

56.  瞼の母 《ネタバレ》 中村錦之助泣く。ひたすら泣く。背景も何もわからぬ映画開始早々から、いきなり何やら込み入ったことになっておりますが、前半のエピソードが一段落するとき、そこには「母親」⇒「涙」という構図が現れています。そしていよいよ、母を訪ねて三千里。皆から冷ややかな視線を投げかけられているようなオバチャンに対しても、主人公忠太郎はひたすら優しい。こんなにウェットだと、本当の母親に出会った日には、もう大変なことになっちゃうよ。ってな訳で、忠太郎にとっては母親は母親であって、身分も境遇も何もナイ、と言いたいところですが、いざ見つけ出した母親の方はそうもいかない。誰とでもうまくやっていけそうなキップのいい忠太郎として描かれた前半に対して、まさかまさかの強敵キャラなのでありました。それまでのテンポのよさから一転、二人のやりとりがじっくり描かれます。そして「どうしてやくざに何かなってしまったのか」という母の一言、これは歩み寄りの一言にも聞こえるけれど、実は忠太郎のアイデンティティに関わる、触れてはいけない一言。忠太郎は去り、さらには母との絆を断ち切りヤクザの道に生きることを決意するかのように、また人を斬ってしまう。その後で母が彼を探しに来たって、もう会うことはできない、会わせる顔も無い。目をつぶり涙を流す忠太郎の顔が大写しになったとき、その涙はもう、母を想う涙ではなく、まるで、瞼に浮かぶ母の面影を洗い流す涙であるかのよう。映画にしばしば挿入される短いカットが、見事に感情をゆさぶります。[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-04-08 08:16:39)

57.  デルス・ウザーラ たき火を囲む人々、物音がして、デルス・ウザーラが現れる冒頭のシーン、ここを見たら「うわー(異国テイスト全開でもやっぱし)クロサワだぁ」とか思っちゃうんだけど、この作品、“上手く”撮られている映画、というタイプの作品ではなく(美しくは撮られているけれども)、自然の荒々しさをそのまま伝えるような、荒削りの感覚。ひたすらロングショット、時には人物がほとんどシルエットに近い状態にもなり、誰が誰やら、はっきり言って終盤のハバロフスクの隊長宅の場面になってようやく「ああ隊長ってこんな顔だったのか」とか思っちゃうんだけど(笑)、デルスの顔だけは、鮮明に脳裏に焼きつき、忘れられない。あまりにもいい味のオヤジ。厳しい自然を生き抜く自然児、ということで超人的な才能を発揮したりもするんだけど、その自然児ぶりたるや、あの『まあだだよ』の百閒先生に繋がるものが。しかしこちらの作品は厳しい。ひたすら厳しい。物語の中の登場人物のみならず、俳優、スタッフみな命がけ。第一部のクライマックス、夕闇が迫る中で草を刈り続けるシーン、息遣いをそのまま取り入れたもの凄い緊迫感。沈みゆく太陽の恐ろしいほどの効果、いや実際は何カットにも分け、何日もかけて撮影されたのかも知れないけれど、そんなこと考えも及ばない、寒さと恐怖を共感し、無事に朝を迎えられた時にはひたすらホッとする。これほどまでに自然は厳しいのに、しかも我々は映画冒頭でデルスに死を知らされているのに、彼は都会に住めないと言い、山へ帰っていく。その後の展開の、省略された描写が実に鮮烈。厳しい映画です。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-12-28 22:57:57)

58.  関の彌太ッぺ(1963) 映画前半はもう、エエ話のオンパレード、まさに5分に一度は炸裂する美談また美談。「いやぁエエ話だったな~」と、ここで「終」の文字が現れるんじゃないかと何度思ったことか。で、後半は突然、話は十年後へ。少々血なまぐさい展開の中、一度途切れた物語が、一度断絶した人間関係が、逆廻しのように繋がっていく、しかし決して元通りには戻れない(何しろエントロピー増大則があるからな。何のこっちゃ)。花はあの時と同じように咲き、同じようにお小夜は新しい着物を着せられている。そして、あの日と同じ、運命の森。しかし人間は、かつての自分たちには戻れないのです。ラストシーン、低い位置のカメラが捉える道端の彼岸花の赤さが、突き刺さります。・・・それにしても十朱幸代の表情、一体どう受け止めればいいのやら(そもそもこの演技でよいのやら)。[CS・衛星(邦画)] 9点(2011-12-15 23:19:09)(良:1票)

59.  十一人の侍 『十三人の刺客』と『七人の侍』を足して2で割ると、ああ確かに(13+7)÷2=11人。ハイ、計算間違い。いや何にせよ、タイトルと言い、敵を待ち伏せる展開と言い、クライマックスの豪雨といい、『七人の侍』と敢えて共通点を持たせることによって、作品のベクトルの違いが、より強く印象付けられます。どっちかというと、“忠臣蔵”からあらゆる潤いを取り去って、ひたすら殺伐とした作品としたような感じ(僅かに残された潤いも、すべて作品の中で取り去られる)。集まった侍たちは、個性豊かに描き分けられることなく、単色に染められ(互いにやたらと名前を呼び合う点だけが、唯一の存在主張)、いわば“消耗品”として、戦いの中に命を散らせて行く。要するに、テロリスト。いやホント、殺伐としてますなあ。[CS・衛星(邦画)] 9点(2011-09-18 07:58:02)

60.  墨攻 最初は、何だかメリハリなく戦闘シーンの続くだけの映画かと思いながら観てたのですが・・・いやあ、最後はホント、感動しました。前半、立て込もり外敵との闘いを繰り広げた城、その光景がクライマックスにおいて、変容を繰り広げ(ナゼ水浸しなのか、などとヤボは質問は当然しない)、また登場人物たちの置かれた立場や互いの関係もまた激しい変化を見せる(支配する立場とされる立場が入れ替わること。また敵同士だった者が心を通わせること)。何と言うのか、前半においては、ある意味律義に死体の山を築き続けた映画が、後半、「解」を仄めかしつつも、もの凄いカオスとなっていく有り様に、何だか感動してしまったのです。あとこの映画、時々妙にクロサワチックなシーンがありますね。意識してるんですかね。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-08-06 09:32:42)(良:1票)

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