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プロフィール
コメント数 3873
性別 男性
年齢 53歳

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81.  男はつらいよ 以前にシナリオを読んだっきり、なかなかお目にかかる機会がなかった、この記念すべき第1作目。BS2の全作放送でようやく観させていただきました。あのシナリオに書かれていた寅さんが命を吹き込まれ活躍する感動、「これがあの(日曜洋画劇場でお馴染みの)長寿シリーズ第1作なんだ~」という感動、そしてみな若く活き活きとしている感動。まさに感無量ですな。失恋して落ち込む寅さんの姿に、妻と二人で観ながら「可哀想」、「可哀想」、と連発しているうちに、本当に泣けてきそうになったのはやはり、その後のシリーズ各作品での寅さんの数々の苦闘、その長い道のりが、つい頭に浮かんでしまうからでしょうか。本シリーズは、我々日本人のデオキシリボ核酸に深く浸透しているのであります。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-11-13 18:53:44)

82.  放浪記(1962) これもまあ、「映画としての策略」という技術的な意味では、成瀬作品のベストワークのひとつに数えてよいものやら、よくわからんのですが、まずとにかく、面白かったなあ、と思える作品です。「貧困」「惚れっぽい」「直情的」・・・誰しも何がしか、自分自身の身に憶えがあったりするのだけど、それがいささか極端でぶっ飛んだ主人公の姿、何ともコマった人でハラハラさせられもするし、また何ともいとおしくもあります。つい笑ってしまうシーンもたくさんある一方、男女関係の緊迫感もまた格別。ヒヤヒヤ。そして主人公がときに見せる、自分はこれだけではない、これだけでは終わらない、という、怒りに似た表情にも、何か我々が忘れかけているものを思い出させ、ドキリとさせられると同時に勇気づけられもします。というわけで、良い意味で、自分に身近に感じられる映画、でした。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-10-31 23:25:19)

83.  大殺陣 雄呂血 バンツマの『雄呂血』には到底及ばない。【鱗歌】さん 3点  などと書けば話は早いのだが、そうはいかない。そんな事を書くのは私の役目ではない。私には、こういうヤンチャな映画を持ち上げねばならぬ使命と宿命がある(のかな?)。バンツマ&二川文太郎監督の方の『雄呂血』は、サイレントならではのデフォルメされた描写によって、実に活き活きとした迫力ある世界が築き上げられた、エネルギッシュな作品となっている。さて一方、本作はトーキー、同じ事をやっても新味が無いどころか、リアリティを著しく欠く事になりかねない。そこでまあ、ナンボか抑え気味なのがやや物足りないかも知れないのだが、どうしてどうして、よく見れば、ショットなどに(それなりに)工夫が見られ、なかなかの演出の妙である(---そろそろ話半分に聞いてください)。ストーリーも、サービス過剰な程、無情極まる展開、トテモよく出来た話なので、嫌でものめり込まざるを得ない。雷蔵の精悍そうで実は不健康そうでもある表情が、この荒んだ雰囲気に実にマッチしているんだな。そう、この砂埃に満ちた、荒んだ宿命の世界。シェイクスピア作品の完成度をグッと落としたような雰囲気とでも言おうか(何のこっちゃ?)。そしてラスト! ウム、雷蔵は何人の敵と戦ったのだろう?百人は軽く超えていそうだ。千人はいたか?いや私の記憶では、1万人くらい敵がいたのではないだろうか(←それは多すぎ)。とにかく、約15分にわたる、息もつかせぬ、いや、息も絶え絶えの、凄まじいノン・ストップ・チャンバラが展開! ほとんどランボーですよこれは。バンツマ版に対抗するには、このくらいやらねば到底かなわない、という誤ったリスペクトの結果でありましょう。でもね、こういうヤンチャさのある映画って、やっぱり好きだナア。やっぱり映画はベストワンよりもオンリーワンであって欲しいと思う。ところでこの映画、時代劇なのに、言葉遣いがちょっと現代っぽいところがあるのが気になったんですがどうでしょう。この当時「道路工事」なんて言葉あったのかなあ。9点(2004-04-17 00:40:37)(良:3票)

84.  秋刀魚の味(1962) 《ネタバレ》 これは面白い! なんちゅう面白さ。評論家達はこんな面白い映画に「名作」というレッテル貼って、近付き難くしちゃうなんて、逆にもったいないではないか。何が面白いって、「燕来軒」の看板の文字! ハハハ、こんな小道具からしてすでに面白い。しかし何と言っても忘れ難きは、笠智衆の溜息「ん~」であります。勿論、「いやあ~」でも「まあ~」でもいいのですが、やっぱり「ん~」がサイコーです。それも、苦悩から発せられる「ん~」よりも、笠智衆の満足感が頂点に達した瞬間に思わず漏れる「ん~」がたまりません(白眉は娘の花嫁姿を観た時の会心の「ん~」である。聞き逃すな!)。さらにこの映画では、動きの無い笠智衆とは対照的に、過剰に動き語るひょうたん先生(演ずるは東野黄門様!神ワザのような演技である)の存在がユニーク。この対比により、笠智衆の動かない演技がさらに光るというものでありましょう。さらには亡き妻に似ているというTORYS BARのママとして、岸田キョンキョンが登場。笠智衆と岸キョンの夫婦では「美女と野獣・逆バージョン」ってな感じだが、幸いにもそんなに亡妻にクリソツな訳ではないらしい(雰囲気が似てるというのは結構いいものである)。さてさて、娘を嫁に出すまでの父の心の動きがこの映画のテーマですが、娘を嫁に出してやれなかったひょうたん先生の存在が、主人公に大きな影響を与えております。友人河合からも「おまえがひょうたんみたいになったら困るからな」なんてプレッシャーかけられたりして。で、なんやかんや紆余曲折あって(途中の展開と人物配置がうまく、観てて心地いい)、結局無事に娘を嫁に出す事に。河合も「おまえひょうたんにならなくてよかったよ」等と言ってくれる。しか~し。友人と別れた主人公は、一人酒を飲み、泥酔して家に帰ってくる。暗がりで「ひとりぼっちか」と呟き、歌を口ずさむ姿。そう、その姿は、まさにひょうたん先生の姿そのものではなかったか? 娘を嫁に出しても出さなくても結局は味わわねばならぬ孤独。そういう無常感のようなものが浮き彫りにされて余韻を残します。ところでタイトルは秋刀魚の味ですが、これは内容に直接関係なく、そのかわり色んな食べ物が出てきます。魚料理で出てくるのはハモですね。ハムではありません(!)9点(2003-12-28 00:28:44)(笑:1票) (良:3票)

85.  鉄男II BODY HAMMER あのカルト・ムービー『鉄男』がバージョンアップして帰ってきた! 何がバージョンアップって、一応35mmカラーになりましたからね。前作では廃品回収によって作り上げた超低予算特殊メイクでしたが、今回はさすがによく出来ています。それでいて、あのエネルギッシュさ、あのスピード感は健在です。前作とは連続しておらず別のストーリーですが(実は大差ないという説もあるが)、めくるめくパワフルな映像に圧倒されているうちに、驚くべき真相が浮かび上がってくる構成も相変わらずで、さすが。前作を観て膨らみまくった期待を裏切らず、またもシビレさせてくれました。しかし街のまん中で結構トンデモないシーンを撮影してますが、どうせ無許可撮影でしょ?ほんとよくやるねえ。9点(2003-12-19 20:14:31)(良:1票)

86.  鉄男 TETSUO 普通サイズの怪人シリーズ(!)。塚本晋也監督が脚本美術照明編集、撮影から悪役までこなして(役名は「やつ」。あはは)八面六臂の大活躍。ダイナメーションではなく、生身の人間でコマ撮りやっちゃう!田口トモロヲさんご苦労さんです! 粗大ゴミを拾ってきて作り上げたメイキャップがすごいぞ。 エネルギッシュな映像に圧倒されながら観ていると、だんだん謎が解けてくるストーリーの妙。これまで一体何人に薦めて撃沈されたか知れない映画ですが、懲りずにこれからも薦め続けてやるゾ。本作を始めとする諸作で国際的に有名になった塚本監督、確か北野武監督がベネチアで金獅子賞取った時の審査員の一人だったと思います。9点(2003-10-12 00:59:17)(良:1票)

87.  蜘蛛巣城 後に『乱』でもシェイクスピアを取り上げた黒澤監督ですが、『乱』の元ネタである『リア王』が壮大この上無い戯曲であるのに対して、こちらは、緊迫感がこの上ない『マクベス』が元ネタ。例によって、舞台作品を思わせるカメラではあるのですが、動と静の対比など、映画らしい演出がキマってます。劇ではバーナムの森が動くシーンなんて表現できないしね。昔NHK教育でやってた、BBC製作の「シェイクスピア劇場」での『マクベス』よりも、この『蜘蛛巣城』の方がむしろ、原作の臭いがよく出てるんじゃないの、と思えた程。ま、そのくらい、強烈なイメージで編み上げられた映画です。『乱』もこの頃のパワーで作られてたらなあ、という気はします。それにしても山田五十鈴は怖い。9点(2003-08-23 22:15:06)

88.  Shall we ダンス?(1995) これは観ててたまんないですね。自分も主人公と同じようなことやっちゃいそう。こういうのがホントの人生の楽しみですよね。癒し系などという言葉はキライですが、これは観て本当に癒される映画。9点(2003-08-15 21:52:44)

89.  ゴジラ(1954) モノクロ映像がとんでもない迫力を生み出しています。戦争で焼け野原になってから10年近く経ち、傷跡を残しつつも徐々に復興してきた東京、そこにまた核実験によって生み出されたゴジラが現れ、容赦なく火の海にしていきます。人々はなすすべも無く逃げまどい、ただ「チキショー」とか叫ぶんですね。泣けました。9点(2003-07-13 15:26:35)(笑:1票) (良:1票)

90.   私の周りにもこの映画に批判的な意見の人が多くて、まあ図星だな、と私も思うだけにつらいものはあります。中学の頃親に連れられて観に行った本作が最初の黒澤体験でして、鮮烈な印象を受けた(特にラストシーン!)のが忘れられません。当時の私は何をトチ狂ったか、たまたまシェイクスピアばかり読んでたんですが、『リア王』のスケールのデカさは、この映画にも感じることができました(ちなみにワタシの能力では、『リア王』はスケールがデカ過ぎて一読では理解できなかった。トホホ。今ではとても好きだけど)。まあ、実際には、『リア王』ではなく「三本の矢の教え」が映画の発想の原点だそうですが。とにかく雑なところも目立つ映画ですが、やっぱり圧倒的な存在感のある貴重な映画には違いないと思います。あと、武満徹という作曲家を知ったのも、この映画がきっかけで、何となくイイなあ、と思ってたんですが、あまり打楽器を好まなかった武満さんにとっては異色の試みでもあったんですね。9点(2003-07-05 20:54:45)(良:1票)

91.  血煙高田の馬場(1937) バンツマの身体能力のすごさは、セガールの比ではない(たぶん)。9点(2003-05-11 00:45:55)

92.  任侠清水港 《ネタバレ》 これぞ、オールスター映画。善玉悪玉主役脇役、多彩な俳優が目白押し。やはりこの頃の俳優の皆さんは個性的で、そういう皆さんがこれでもかとばかりに次々登場するのが、まず見てて楽しいですね。もっとも、個性的と言っても、片岡千恵蔵と市川右太衛門では幾分、互換性があるような。大川橋蔵と東千代之介では互換性しか無いような、気も(山形勲は、、、このヒトは誰とも互換性が無いなあ)。 まず冒頭の富士山の遠景、その手前に小さく、列をなして歩く人影が。もちろん言わずと知れた、次郎長一家。映画の中ではこういうロングショットが随所に見られ、効果を上げています。中盤、船に乗った森の石松の背景に、ひっきりなしに川岸を行き交う人々が描かれれている、なんてのも、実に雰囲気があって。 それ以外にも、カメラを振ったり、クレーンで上下したり、身振り手振りを交えた会話シーンで細かくカットを繋いだり、とにかくダイナミック。演出の方も張り切ってます。ストーリーの方まで張り切り過ぎて、映画開始早々からあれよあれよと、殴り込みに突入。いやはや、なかなか忙しい・・・。 森の石松を演じるのが中村錦之助で、さすが石松、さすが錦之助、落ち着きが無いの、なんの(笑)。この喋り方でカミシモ切ったら、ほとんど落語家のノリです。で、この石松が後半、大活躍。 そんでもって映画はますます加速し、いよいよクライマックスでは、次郎長一家と黒駒・都鳥連合軍との一大バトルへと。 実に賑やか、楽しい映画でございました。[インターネット(邦画)] 8点(2024-05-26 06:38:35)★《新規》★《改行有》

93.  ドッペルゲンガー 《ネタバレ》 『ドッペルゲンガー』というタイトルで、実際にドッペルゲンガーが登場する映画。ここまではえらく真っ当。 自分のドッペルゲンガーと出会うと死んじゃうらしい。とは昔からよく聞くけど、本人だけが死ぬのか、分身もともに死ぬのかは、よくわからず。はたまた、自分の分身と出会って、もしもその分身と同性愛関係なんかになってしまったら、自己愛そのまんま自分の肉体に溺れてしまったら、もはや絶対に歯止めが利かないこれこそ真の無間地獄じゃないか、と思ったり。ただし無間地獄ではあってもドラマは生まれ無さそうな気も。 この作品では幸いというか、これはこれで困るというか、登場するドッペルゲンガーは途轍もなくイヤな奴で、その手の無間地獄には陥らない。いわば、自分のイヤな面をそのまんま体現しているような感じですね。ははは。確かにこの状況は、イヤだと思う。これもまた困った状態。霊的な、超自然的な、幻想的なテイストからはどんどん遠ざかり(冒頭の永作博美とその弟とのやり取りにおける、やたら風に揺れるカーテンにだけはそういうテイストがあったけれど)、むしろ現実的に、主人公が追い詰められていく。当初の予想から外れて物語は、よりコミカルに、よりブラックに。ホラー映画らしいタイトルが選ばれたこの映画は、ホラー路線から離れて未知の領域へと。 やがて確かに、自分のドッペルゲンガーとの出会いは、「死」に繋がるけれど、死んだのは分身の方らしい。らしいけれど、実際はどっちがどっちなのか、どうでもよくなってくる。よくわからなくなってくる。はっきりしているのは、もう元には戻れないということ。ただし、元に戻るべきなのかどうか、元に戻って欲しいと誰かが思っているのかどうかも、よくわからない。とすれば、戻る必要も無いのかもしれない。登場人物たちの誰もが我こそ事態を操ろうとして、誰も操ることができず、無制御のロボットのように迷走した先には結局、崖が待っているだけなのだけれど。 この映画、役所広司が主人公とその分身とを一人二役(一役?)で演じていて、両者が一つの画面内に登場するシーンは、巧みな合成で違和感を感じさせません。しかし全部のシーンがそのように撮られている訳ではなく、当然、一方を代役が演じているシーンも多々ある訳で、下世話にも「いや、そうじゃなくて、見たいのは特撮なんだよ」と思っちゃう。いやホント下世話ですみません。さらには画面分割も。いやそうじゃなくてさ、と思っちゃうのですが、ある意味、一人二役を口実に画面分割を映画にちゃっかり取り入れてる訳で、しかもこれはこれで上手く演出しているので、ちょっと、してやられた感が。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-05-19 08:54:23)《改行有》

94.  回路 よくわからん映画。です。 ホラーなんだから、「わかっちゃいけない」ってことなんでしょう。定番の殺人鬼が定番の凶器を持って襲ってくるとか何とか、恐怖の正体が明示されたタイプの映画には、「身の毛がよだつ」ようなジワジワとした恐怖は無く、あるのはせいぜい、定番のショック描写と、一過性の緊張感。これ、場合によってはギャグにもなってしまう。 この作品では、何が起きているのかは一応示されるものの、殊更にそれを説明しようとはしません。恐怖の正体が「外部」にあって、それが徐々にコチラ側に滲みだしてくるような。怪しいサイトからネット回線に乗って、黄泉の国で溢れた死者が「この世」を侵略し始める、というか、気が付いたら侵略されてしまっている。 ある意味、インターネットなるものが社会を分断し、個人の孤独を深めていく今の世の中の姿を予言した、と言えなくもないけれど、そう言ってしまうと味気ない。たいした「予言」じゃないですもんね。むしろ、広まりつつあったネットというものに対する当時の不安、不気味さに対し、今やネットなんてのは具体的にイメージできる攻撃手段、詐欺手段になってて、いわば「定番の殺人鬼」に近いものになっちゃってる気も。制御は相変わらずできてませんけれども。 最低限、何が起こりつつあるかは示すけど、具体的には説明せず、「何かがあるらしい」というイメージ、つかみどころのない恐怖で映画を埋め尽くします。 ザラついた画面。 ショック描写も排除し、何なら、ホラー映画からクローズアップをどこまで排除できるかに挑戦しているかのような。 こんなよくわからん映画、個人的にはイイなあ、と思いつつ、世の中的には受け入れられんだろ、とも思っちゃうんですが、結構、受け入れられてるようで、嬉しくもあり、気持ち悪くもあり。 作品を貫いているのは「個人の孤独」、いわばネット社会のキーワードみたいなもんですが、一方で、作中、並行して進んでいた2つの物語が交わる「出逢い」ってのもあって、その行きつく先に何故かいる、定番の役所広司。 何者なんですかねえ、この役所広司というヒトは。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-04-27 07:40:51)《改行有》

95.  CURE キュア 《ネタバレ》 一連のオウム真理教事件が作品にそのまま投影されている訳ではないにしても、やはり「オウム後」の作品、ということではあるのかなあ、と。 普通に暮らしている(のであろう)一般人が、ある日突然、身近な人間を殺害する。続発する類似事件の要には、得体の知れない一人の若者がいて・・・となると、この若者が周囲の人間をコントロールして、自らが望まない殺人へと駆り立てる、ということのようではあるのですが、どうもそう簡単には割り切れない。若者にコントロールされるというより、日頃は表に出さないが実は心の底に抱えている鬱屈が、若者と接することで表に出てきただけ、という風にも感じられてきます。そういう、各人の心の暗部みたいなものが、孤立して存在しているようで、実は「この時代」というものを介して、互いに繋がっているような。 若者は、警察のお偉いさんに、あんた誰?という言葉を繰り返し投げつける。いや、名前はわかってる、そうじゃなくって、アンタは何者なんだよ、と言うのはつまり、若者が心に入り込めない相手、逆に言えば、時代が共有する暗部に無頓着で、何も気づかず能天気に生きている人。 たまたま、若者に形を変えて現れた「それ」は、若者が退場したとて解決する訳でもなく、形を変えてこの社会に残っていく。 一種の喩え話のような、寓意性を多分に感じさせる作品ですが、具体的に何が何の比喩になっている、というよりもまず、次々に現れる不気味なイメージが、ちゃんと「ホラー」として機能しています。正体が掴めそうで掴みきれない、何か。 水とか、ライターの炎とかいった、根源的なイメージはある種、「お約束」みたいなところがありますが、それにしてもまあ、この映画に出てくる建物のボロいことボロいこと、特に病院の建物はどうしてこんなに汚いイメージなんでしょうか(笑)。いや、実に見事なキタナさ、です。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-03-30 04:37:48)《改行有》

96.  透明人間現わる 現れないのが透明人間、と、かのピンク・レディーもおっしゃってる訳ですが(いや、阿久悠か)、その「現れないもの」をどうやって表現するか、が映画の見どころ、見せどころ。 そりゃまあ、今の映画がコレと同じことをやっても厳しいものがあって、透明人間が服を脱いでいく場面の、これでもかという合成映像感など、ちょっと目のやり場に困ってしまいます。しかしこれ、昭和24年の作品。映画のクラシカルな雰囲気の中では、こういう手作り感も悪くないもんです。それよりも、戦後早くもこんな特撮映画に取り組んでいることにも驚かされるし、単に「チャチだ」と笑っていられないような、手の込んだ特殊効果にも驚かされます。 透明猫をカメラが追いかける。何もない空間を追いかけてるだけなんですけどね。しかしいかにも、ソレっぽい。姿は見えなくとも、ピアノの鍵盤が押され、モノが倒される。何もいないかと思いきや、足跡だけが点々とついていき、それをカメラが追いかけていく、摩訶不思議な感覚とスピード感。畳みかける演出が、見えないものを見せる。いや、「見せる」以上の、臨場感。 透明人間がタバコを吸えば、周囲に煙が充満し---あれ、そしたら煙が気道の形に浮かび上がるんじゃなかったっけ?(by H.G.ウェルズ)---とにかく、「姿が見えないからこその存在感」みたいなものがあるんですね。 透明人間がモノを持ち上げ、振り回す。ヒモで吊り下げて撮影しているんだろう、とは思うものの、とてもそうは見えない俊敏な動き。いったいどうやって撮影したのか? そういう、見えないものをどうやって表現するか、に対する拘りが、結果的にこの作品を「見せる映画」にしていて、どこかサイレント映画の雰囲気を漂わせています。透明人間が登場していないシーンにすら、そういう雰囲気があって。 どういう訳か、あの隠し戸棚みたいなヤツが、妙に印象的でした。[インターネット(邦画)] 8点(2024-03-24 07:03:52)《改行有》

97.  メトロポリス(2001) 《ネタバレ》 終盤のカタストロフィ、結局は物語をここに持っていくのであれば、何もこんな込み入ったオハナシにしなくても、と思わなくもないけれど、一方では、収斂する物語の快感、というのもある訳で、やっぱり引きこまれてしまいます。 もちろん引き込まれる理由というのは、中盤に盛り込まれた雑多なエピソード(例えばロボットたちと人間との関係)がクライマックスに向けて収斂していく過程、にもあるとは言え、やはり最大はこの、緻密を極めたアニメーション、その細部へのこだわり。CGもかなり使われているけれど、CG部分に負けないだけの驚くべきアニメ表現がこれでもかと詰め込まれていて、CG部分が浮いて見えちゃうようなことは全くありません。 ケンイチくんは昭和感丸出しのキャラで、こんなクリクリ目玉の少年はもはや、ビッグボーイの看板くらいでしかお目にかかりません。ティマちゃんは、普通の美少女キャラとは一線を画したようなところがありますが、イヤミなほど足がスラリとしてます。ケンイチくんの昭和な足とは全く違う。しかし一部の作画では、さすがに足が長すぎる気もしましたが、どうでしょうか。 それはともかく。終盤、「私は誰?」と問うていたティマに対し、残酷な答えが突きつけられ、内側がむき出しとなっていく彼女の要望にもそれが表れるのですが、結局彼女はその問いを最後まで抱いたまま、彼女を救おうとするケンイチの手を離れ、墜落していく。自分は誰なのか、という問いへの答えが得られることは決してないのですが、その問いを抱えている者こそが、すなわち人間なのではないか、と。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-05-06 08:44:39)《改行有》

98.  網走番外地 大雪原の対決 前作の「南国の対決」から、帰ってきました北海道。雪また雪の真っ白な世界、ロケ撮影も大変でしょう。雪に足が取られたのか、カメラが猛烈にガタつく場面もあって、さすがに今の撮影は失敗じゃないの、と思ったりもするけれど、そういう作品の傷のような荒々しさも含めて、これぞ大雪原の対決だなあ、と。 冒頭の刑務所の場面から始まって、あれやこれやと行き当たりばったり、適当なストーリーのようでありながら、意外なまとまりを見せて、ちゃんと内田良平との対決に始まり対決に終わる、脚本の妙。そこに、ニセ鬼寅親分のエピソードも加わって、今回はアラカン大活躍です。クライマックスは、銃撃戦を繰り広げつつドスも振り回し、西部劇と任侠映画が同時に楽しめる親切設計。 油井に組まれた櫓が一気に燃え上がる場面なども、壮観でした。ダイナミックな作品です。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-02-19 12:30:12)《改行有》

99.  人生劇場 飛車角 いや素晴らしい。この映画に減点要素があるとしたら、鶴田浩二の髪型が何となく変、ってことくらいじゃないでしょうか。 任侠映画の嚆矢とも言われる作品ですが、東映時代劇路線からの橋渡しのような作品でもあり、趣きがあります。暗めの映像、雨や雪、岩に砕ける波。そして随所で用いられるクレーン撮影、画面がビシっとキマります。 さらには何と言っても印象的な、鶴田浩二の横顔。やっぱり髪型が何となく変。ってのはどうでもよくって、耐える男の横顔が、いい。 健さんが若い。後の作品のような寡黙な役どころではなく、一本気の若者を熱演して、健さんらしからぬあんなことまで・・・。 月形龍之介がまた、いいんです。元・侠客の吉良常。定年後のサラリーマンみたいですが。飛車角の漢気に惚れる彼もまた、充分に惚れられる存在となっています。 ラストの坂は、任侠映画屈指の名シーンでもあり、任侠映画の型がまだなかった初期作品ならでは、とも言えそうです。[インターネット(邦画)] 8点(2023-02-12 10:13:59)《改行有》

100.  地獄の警備員 まず何が良いと言って、タイトルが良いではありませんか。「悪魔の~」も悪くはないけれど、「地獄の~」の方がより汎用性が高く、その分、得体が知れない。そこが良い。ちなみのこのサイトでタイトル検索したら、本日段階で「悪魔の」が100件、「地獄の」が76件。意外に健闘してるのでは。で、しかもそれが「警備員」、ってんだから、訳がわからなくって、何だかワクワクします。 その地獄の警備員を演じるのが、いまや「孤独のグルメ」で押しも押されもせぬ国民的大スター(?)となった、松重豊さん。片や殺人、片や食事と、やってることは大きく違えど、観てるとどこか共通点を感じてしまうのは、一体何なんでしょうかね。 氏が演じる謎めいた警備員は、元力士、なんだそうで。しかし、上背は確かにあるものの、ヒョロッとした体形で、いくら廃業したとは言えここまで痩せるもんだか。これがすでに、不条理世界への入り口。 筒井康隆氏の短編でも力士(現役)が襲ってくる「走る取的」というのがありましたが、やはり日本人は、力士という人たちに何らかの神秘性みたいなものを感じているんでしょうかね。その頂点に君臨するのが、デーモン小暮閣下、ということで(・・・悪魔か)。 で、この元力士の警備員が、理由もなく殺戮を繰り返す。警備員だから、制服を着ている訳で、この制服姿での殺人というのが、また不気味。この辺りは『マニアック・コップ』からの影響もありそうな。ちなみに日曜洋画劇場での放送時のタイトルはもちろん、『地獄のマッドコップ』! しかし松重警備員の殺人には、マニアック・コップよりもさらに動機が無く、それ故さらに純化され、さらに不条理に徹しています。ホラー映画には「恐怖」があればよいのであって、それをわざわざ中和するような「真相」なんて、要らないでしょ、と。 終盤、主人公たちが閉鎖空間に閉じ込められるのも、いや、いくら何でもどっかに逃げ道が無いわけないやんか、という場面ではあるのですが、そういうのを理屈で補おうとすればするほど、大抵ボロが出る。ので、ここでは細かい理屈は無視して、シチュエーションだけを映画にぶつけてくる。バカバカしさと紙一重の、恐怖。 ホラー映画では常套手段として、前触れなく突然襲われるような(実際は何でもなかったというカマシを含めて)我々をビックリさせるシーンがしばしば登場しますが、この作品では「驚きと恐怖とは別物でしょ」と言わんばかりに、あくまでジワジワ系の恐怖で勝負。 で結局、この作品が途轍もなく怖い作品に仕上がっているかというと、さすがにそこまででは無いですが、シンプルさの周囲をとりまく不条理、不条理ゆえのユーモア、ユーモアゆえの不気味さ、要は、わけのわからなさ。そういった魅力ですね。[インターネット(邦画)] 8点(2022-11-20 08:58:47)(良:1票) 《改行有》

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