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プロフィール
コメント数 3872
性別 男性
年齢 53歳

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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  明りを灯す人 舞台は中央アジア・キルギス共和国の、とある村。主人公は、その村で電気工事をやってる、いかにも朴訥としたオジサンですが、このヒトがこの映画の監督さんなんだそうで。こういう見事な作品を作るヒトが、こういう顔をしてるってのが、意表を突きますね。電気を引き明りを灯す、といのはいわば文明の第一歩。村の“はいてく”担当であるところのこのオジサン、電気の扱いにこそ慣れていても、別にインテリでも何でもない。自分に息子ができないことを悩んで、友人にトンデモない依頼をしたり、妙な事を信じて感電死しかけたり。その一方でオジサンは、風力発電なんぞにも取り組んで、彼なりの夢や希望を持っていたりもする。で、そんなオジサンの日常がそのまま続けばよいのだけど、村の外にはオジサンの知らない世界が広がっていて、その世界は、オジサンが村に文明をもたらすのよりもずっとずっと速いスピードで動いている。そしてその世知辛い外部の世界と接したら最後、元には戻れない……まるであの「遠くを見たかった」という子供が、木から降りられなくなったように。そして待ち受ける暗い運命、それは中盤のヤギを奪い合う競技で予告されていたり、冒頭シーンが思わぬ形で後のシーンに繋がったり、「風車」が象徴的に取り入れられていたりと、作品が巧みな構成を持ちながらも、一方ではノンビリした美しい光景が広がっていて、技巧に走った印象を与えることなく自然な映画の流れを感じさせる。見事な作品だと思います。[CS・衛星(字幕)] 9点(2014-04-27 13:43:07)

22.  黄色い星の子供たち 邦題を見てSF映画だと勘違いしたのは私は決して少数派ではないと思うのですが。第2次大戦、ドイツ占領下のフランスで行われた、ユダヤ人一斉検挙。ある少年の目を通して描くと同時に、ヒットラーの姿もまた並行して描かれるのは、実際にあった事件の再現ドキュメントとしての性格を映画に持たせますが、ここでのヒットラーは、映画が描く事件の異常性と単純に呼応させるような“狂気の人”としての描写ではなく、時に狂気を演じこそすれ、周囲の人間にとっては“普通の人”としても描かれています。これは、ひとつには、蛮行に加担したフランスを告発するべき本作が、ヒットラーという個人に責任をなすりつけて良しとするようなカリカチュア化した描写を行う訳にいかない、という表れでもあるのでしょう。しかしそれに止まらず、一方で主人公の少年、一方でヒットラー、という映画の中で決して交わることのない二人が描かれることで、両者の間に存在するどうしようもない「分断」が明らかとなります。いやそれだけではなく、フランスにいるユダヤ人と、フランス人たちとの間にも「分断」があり、それによってユダヤ人家族たちをバラバラにしてしまう、新たな「分断」が生まれる。映画は、あえて「フランス人が1万人のユダヤ人を救った」と告げて終わるけれど、映画自体は明らかに、それを素朴に肯定して描いたりはしていません。映画は、悲劇を、大きな「分断」を、怒りを込めて描いています。「再会」も描かれるけれど、家族がそろった元の幸せな生活が戻ってくる訳ではない。「分断」でいったん損なわれたものは、もはや決して取り戻すことはできない、という現実。1万人救ったと考えるべきなのか、1万人しか救えなったと考えるべきなのか。実際にあった事件を描くということで、史実を追うという点ではドキュメンタリ調の部分もありますが、それに縛られることなく、むしろ、情熱と怒りに満ちた描写が多く見られ、これはあるいは、監督が映画界の外から来た人(ジャーナリスト出身)ならではの、“なりふりかまわぬ気迫”の表れなのかも知れません。凄い映画でした。 ちなみに、競技場等のシーンで流れるのは、フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2楽章。これはちょっとセンス無いかな……。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-08-31 12:06:48)

23.  レオン/完全版 《ネタバレ》 完全版ってのは今回初めて観ましたが、意外にも完全版の方がイイじゃないですか。しっかりと変態映画になっていて。うん、この映画はやっぱし、「ひとりの男が、少女に人生を狂わされていくオハナシ」なんです。変態映画なんです。完全版こそ変態映画。男は殺し屋、ってことになってるんだけど、また実際、滅法強いという設定になっているんだけど、どう見たって「虫も殺せない」タイプ(だいたい、観葉植物を愛でたり牛乳飲んだりする描写こそ頻出すれど、殺し屋としての殺害シーンは実にアッサリしている)。一方の少女はと言えば、これはもう小悪魔というか、魔性の女というか、よっぽど彼女の方が人殺ししそうなタイプ。いやもちろん、ここで映画が表面的に語っている物語は、そういうオハナシじゃないんだけど、その「語られる物語」と「見た目」との間に、どうにもギャップがあるのよね。そしてラストにおいては、「見た目」の方に凱歌が上がる。この映画の白眉は、警官隊との戦いを切り抜け、ようやく死地を脱したかと光の方へ彷徨い出ようとする時の、レオンのマヌケヅラにあるんじゃなかろうか。ここで彼を狙っているのはもはや、背後のゲイリー・オールドマンですら無く、ここでのレオンはいわば、マチルダというメスカマキリに食われようとしているオスカマキリなんですな。大の男が、少女に食われちゃう、食われてもいいと思う、そこに切ないまでの、倒錯した陶酔がある。そして少女は成長し、物語は『ニキータ』へと繋がるのでした…?[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-08-11 01:32:01)(笑:1票)

24.  アンノウン(2011) いやー実に実に面白かった、興奮しました。謎に満ちた発端がイイですね。テンポよく挿入されるアクションがイイですね。待ち受けているのは思わぬ展開(そりゃま、似たアイデアの作品は過去にあったけど、この程度の類似を見咎めて楽しまないのでは、日頃からミステリ小説なんて読んでいられない(笑))。そして何より、このサスペンスの雰囲気がイイですね。ミステリってのは、単なる「こんなトリック思いつきました」という報告書じゃなくて、本分は、そのトリックをいかに「語る」か、にある訳で。本作は、まずはその「語り」に徹している、その丁寧さに非常に好感が持てます。一体何が起こっているのか。誰が敵で誰が味方なのか。単純にプロットやトリックという意味での物語ではなく、それらを含めた、サスペンスの流れとしての「物語」、それをいかに「語る」か、どのようなカットを積み上げていくか。例えば“主人公が電話帳のページを破る前に辺りを確かめる視線”、などというレベルから、省略せずに描写をひたすら紡いでいく。この映画には「適当に色々撮って、後で編集で何としよう」みたいな発想は無く(そんないい加減な映画があるのかどうか知らんけど)、どのようなシーンにも強い意思が感じられて、しかもそれが、意思のための意思じゃあない、あくまでサスペンスを盛り上げ、映画を面白く「語ろう」とする意思であるのが、実に嬉しいじゃないですか。強いて文句をつけるなら……このタイトルはもうちょっと考えてつけてもよいのでは(こんなタイトル、どんな映画にもついちゃうよね)。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-05-20 08:34:54)(良:2票)

25.  突然炎のごとく(1961) 《ネタバレ》 この映画って、「3人の男女が織りなす自由な恋愛劇、進歩的でロマンチックよねえ」とか言ってウットリ観なければいけないんだろうか。あるいは「最後は死んじゃって可哀そうねえ」とか言って泣かなきゃいけないんだろうか。いやいやいやいやいやまさかまさか。この作品は、これはもう、“コメディ”でしょ。だってだって、こんなに楽しいんだから。そりゃま、ゲラゲラ笑うようなギャグはありませんけど、映画そのものに仕組まれたたくらみ、イタズラ心が、イヤミとならず、驚きと楽しさとなって活き活きと伝わってくる。なんでこんな場面で、空撮なのか、とか。男女が会話している場面で、背景の別の男女がチューしまくってるのが気になって、肝心の会話の字幕も読めん、とか。この作品こそまさしく、撮る楽しみと観る楽しみの幸せな一致。ただし、もしかしたら、「これならオレにも撮れちゃうかも」と大勢の映画志望青年を勘違いさせてしまった作品かもしれませんが(もしかしたら大勢の俳優志望青年が川に飛び込んだのかも知れぬ)。[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-04-22 08:10:44)

26.  サクリファイス この作品のオチは要するに、「親は無くとも子は育つ」ってヤツですね。口を聞くことができなかった子供が、植えたばかりの木の下で、新しい世界の始まりを宣言する。そしてダメ押しのように、タルコフスキー監督から息子への献呈とメッセージが。「自分の人生は失敗だったと思わないか」「以前はそう思ったが、子供が生まれてからはそう思わなくなった」。自分の人生が自分だけの人生でなくなり、「子育て」という形で、他の人生のために費やされる。自分に子供が出来た時から始まる、自己犠牲。しかしそれは本当の意味の「犠牲」なのか? 一種の自己満足に過ぎないのではないのか? 口のきけない子供、声なき子供、その一方で、大人たちが始めてしまった戦争の影が、いつ明けるとも知れぬ夜の闇とともに、映画の中盤を覆い尽くす。挿入される戦争のイメージ、恐怖のイメージ。そして、その家に集まる大人たちの間にも渦巻くのもまた、結局のところは大人のエゴではなかったか。取り返しのつかない戦争。過去を取り戻すためならすべてを捨ててもよいという言葉、それは結局のところ、単なるノスタルジーであり、自分自身のための祈りではなかったか。そしてマリアの元へ向う主人公が求めていたものもまた、自分自身への慰めではなかったか。やがて明るい朝が来て、主人公の行った行為。それこそが、過去としての自己の否定と、次世代への無限の信頼、すなわち真の自己犠牲であったと思うワケです。[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-01-29 08:32:17)

27.  13/ザメッティ 集められた13人がグルリ輪になって、各々の前の人間に向け引き金を引くロシアン・ルーレット。観客は誰が勝ち残るか賭けに興じる。って、このゲーム、実際にやったとして、傍で見ててそんなにオモシロいですかね~。私にはわからん。しかし映画は面白い。この映画の凄さは、映像そのものというより、映像の積み重ねにありますね。ワンシーンごとに切り離して単独で見てしまえば、別に目を覆うような残酷さがある訳でもなく、なんということもない光景であったりするのですが、映画として、ショットの積み重ねとしてそのシーンが存在することにより、強烈な意味を放つことになります。例えば「主人公が車窓の外を眺めている」という平凡な光景。この光景が映画の始めに置かれた時と、ラストに置かれた時で、全く違う意味を持つ、ということ。[DVD(字幕)] 9点(2011-11-20 12:02:20)(良:1票)

28.  戒厳令(1972) 《ネタバレ》 ロメロ監督の某ゾンビ映画を観た直後に本作を観ると、戒厳令下の冒頭シーンが何だかゾンビ映画にソックリだなあと。むしろロメロ映画が政治映画にソックリというべきなんですかね。それにしてもこれまた力作のこの映画。南米の某国にて、あるアメリカ人が殺害される。そこから映画は過去に遡り、彼が反政府組織に誘拐されてからの一週間が描かれる訳ですが。ただ、その描かれ方が、単純に「物語」として、事件の顛末や登場人物の感情を追いかけるものではなくて、ドキュメンタリ調の断片的なシーンがパッチワークのように錯綜的に積み重ねられていき、その中では、拷問シーンも会議のシーンも同レベルの扱い。そしてその描き方は、まるでキュビズムのように各部をデフォルメして強調し、状況のグロテスクさをえぐり出していきます。最後はまた主人公の葬儀のシーンとなり、流されるオルガン曲(バッハの幻想曲とフーガ)が感傷的な気分を醸し出すけれど、それは突然に断ち切られ、事態は何も変わっていないこと、また同じことが繰り返されるであろうことが仄めかされて映画が終わります。「これは感情の問題ではない、政治の問題である」と言わんばかりに。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-01-23 08:51:28)

29.  桜桃の味 《ネタバレ》 クルマを運転しつづけるオッチャン。オッチャンは死ぬことを、自殺することを、考えている。で、出会う人に自殺の手助けを頼む。しかしオッチャン、一人で勝手に死ねばいいでしょう、一人で死ぬ方法なんていくらでもあるでしょう。見知らぬ人から自殺幇助を頼まれて簡単に引き受ける人なんて、そうそういないでしょう。と言う訳で、なかなか「自殺」の手助けを引き受けてくれる人には巡り合わない。オッチャンは何故死のうとしているのか、それはわからない、ただ、生への別れを告げるにあたって、誰か見知らぬ人に自殺幇助を頼む、それが、オッチャンの生に対する最後の繋がりであって、見知らぬ人との会話を通じ、その見知らぬ名もなき人たちの人生が浮かび上がる。会話は淡々と続き、車窓には荒涼とした風景が淡々と流れ、クルマは淡々と荒れ地を走り続ける。そしてついに、オッチャンは、協力者を得て、命を絶つ・・・絶った、らしい。この映画のラストは、どう解釈すればよいのか。荒涼としていた風景には緑が芽生え、撮影隊が映画の撮影を行っており、あのオッチャンもそこにいる。あくまでこれは映画なんです、という“メタ”なのか。あるいはこのシーンは、オッチャンが生き返って、心機一転、映画俳優としてデビューしたという後日談なのか(そんなアホな)。監督の意図ははっきりとはわからないし、このラストだけが本作の真価でもないはず。ただ、このラストが何となく「面白い」と感じたのは、映画本編が「自殺の手助けを見知らぬ人に頼むがなかなか引き受けてもらえない」という孤独な物語であったのに対し、このラストのオマケは「こういう孤独な内容の映画でも、こうやって大勢のエキストラを動員し、大勢の協力があって作られてるんですよ」と言っているようで、その対比が印象的だったから・・・。[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-08-23 22:35:26)(良:1票)

30.  ファム・ファタール(2002) 《ネタバレ》 これはオモシロイ! 面白すぎてびっくりした。デ・パルマ、もうこれ以上の作品は撮れんだろ、あとはゆっくり、ラジー賞の受賞を目指して余生を送って下さい。一応ネタバレ表示しておくけれど、それでもストーリーに関しては語らない、語りたくない。語るほどのもんでもない、という気もするし(笑)。ストーリー(オチ)が面白いかどうかより、何がどうなっているのか、この先どうなるのか、映画にひたすら幻惑され続けるスリルこそが、本作の魅力。全部の手がかりをフェアに提示するゲーム性だけが良いミステリの条件とは限らないのです。お得意の長廻しに始まり、犯罪の過程が同時進行で描かれる、緊迫感に満ちた映画導入部。しかし、そこから先はもう、先の見えない、映画の迷宮です。映画中盤、バンデラスがフランス警察の取り調べを受けるシーンで、ここでも例によってカメラ長廻しが用いられます。結構長くカメラがまわっているのに、背景の壁掛け時計の時刻が一向に進まない。時計止まってるんじゃない、小道具さんのミス? いえいえ。その「止まっている」時計の指す時刻にご注目。ちゃんと意味があるのです! むしろ、(小道具さんの準備した時計は動かないのに)音声さんはちゃんと時計のコチコチという効果音を入れているのが、芸が細かいですな。本作の音楽は坂本龍一、ワタシ、このヒト、どうも苦手。苦手なのに、曲を聴くとイイなあ、と思ってしまうので、ますます苦手になる。って、これでは全然、苦手な理由になってませんけどね。いや本作の音楽も、良かったです(笑)。メインのテーマは、ラヴェルの「ボレロ」っぽいですが、どうもこういう音楽を聴くと、「ボレロ」よりむしろ、ヴォイチェフ・キラルの「エクソダス」とか、早坂文雄の『羅生門』の音楽を思い出してしまう。パクりパクられる、音楽の歴史。パクリと言うと人聞き悪いですけど。[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-04-25 09:24:46)(良:1票)

31.  ランド・オブ・ザ・デッド で、「ドーン~」に続いてまたゾンビです。父ちゃん、またこんなの観てます。いや、こちらの話。この映画。だいぶ殺伐としてます。いやゾンビ映画なんだから映画の中が殺伐とするのはモットモなのだけど、映画の外の、滲みだしちゃいけない領域にまでそれが滲み出していて。ロメロのゾンビ映画における寓意性。「ナイト・オブ~」ではまだ視点が日常にあり、戦争という暴力が渦巻く現代社会の中に属した平和な日常、という欺瞞を裏返して見せたような作品だったと思うのですが。この作品ではとうとう、映画の視点が現在の国際関係にまで踏み込んできたようで、ここではまるで、人間=先進国、ゾンビ=新興国。ゾンビが意志を持ち、互いにコミュニケーションをとり、道具を使う、ということだけがそれを示しているのではなく、ついにここでは「ゾンビ頑張れ!もう少しで防御線と突破できるぞ!人間なんかやっつけちゃえ」みたいな感じすら起こさせる、この作品の色合いが、それを示しているとともに、作品の存在そのものを殺伐としたものにしている点でもあります。とうとう、ここまで来てしまったか、と。勿論、グロテスクさを売りにするホラーとしてのファンタジー性は、作品を十分楽しめるものにしており、一方では独特の哀感というものもよく感じられたのですが(比べる意味もないだろうけど、一応、『ドーン~』より面白いと思った、というのが私の感想)、しかし、大いに限界を感じさせる作品でもあります。もう次はないんじゃないか(あるかもしれないけどやめた方がいいんじゃないか)。しかし、その限界というものをここで観ることができたのも、まあ、良かったかな、という気も。ま、気にせず、まだまだ作ってくださいな。 あのモハヤお馴染みとなった、“ゾンビ役のヒトが嫌そうな顔で屍肉をむさぼる表情”、大好きです。[DVD(字幕)] 9点(2009-08-06 23:55:58)

32.  黒いオルフェ ギリシャ神話とリオのカーニバル、という、いかにも食い合わせの悪そうな2つの世界を見事に融合した、まさに地球規模の一本。スケールでかいぜ。問答無用、唖然としつつも、渦巻く熱狂にとにかく渦巻かれてみるべし。全編、ハイテンションのダンスが繰り広げられ、役者の演技までハイテンション。しかし、確かにギリシャ神話の運命論的な糸によって映画が貫かれています。カーニバルという非日常の舞台設定(いやまあ、このヒトたち、日常的に踊ってそうな気もするけど)が、現実と非現実の境を曖昧にしており、絶妙。跳梁する死神は、祭りの中のマスクマンとして、うまく映画舞台に溶け込んでおり、なまじホントの死神よりも恐怖感を引き起こします。そして、この極彩色の世界を捉えたカラー映像が、これまた見事。この映画の斬新さは、間違いなく時代を超越しています。この映画、50年前の作品と言われるより、今年の新作と言われた方が、私は信じるかもしれません。それにしても、“祭り”という非日常の世界、それは日本にもまだまだたくさんあるわけで、日本の“祭り”からだって、いくらでも素晴らしい映画が生まれる、はず。[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-05-24 11:55:53)

33.  華氏451 最初に観たのは、中学か高校の時、よみうりテレビの深夜放送「cinemaだいすき」で。エラくハマってしまい、それ以来、「もっともSFらしいSF映画」というと、本作を思い浮かべちゃう。と言っても、別に宇宙人やら巨大生物やらが出てくるわけでも無いし、画面がキラキラピカピカと特撮で飾られているわけでもない。どっちかというと、地味な田園風景が広がっている映画舞台、そこに登場する、妙な形の消防車やら、モノレールやらのカッチョ良さに、当時の私は、惹かれたようです。で、最近観直してみたら、やっぱりそういったシーンに、「そうそう、これこれ!」とうれしくなってしまう。それに、独身時代は親から、結婚後は妻から、「本買い過ぎ!」「これ以上買うの禁止!」と責められてきた私にとって、この映画で描かれている内容は、なかなか他人事と思えないものがあります。もし、ピンと来ない方は、この映画の「本」を「エロ本」と置き換えてみれば、男性諸氏ならばヒジョーに身につまされることでしょう、隠した「本」を見つけ出され、処分される、その恐ろしさ、ブルブル。[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-04-25 20:35:20)

34.  酔っぱらった馬の時間 絶望的な環境の中でたくましく生きる子供たちの姿、などと言ってしまっては、かえってアリガチで安っぽくなるかもしれないが、本当にそうなんだからしょうがない(笑)。それがこれほど強い力を持っているのは、もちろんリアリティとかいうコトもあるんだろうけど(これまたアリガチな・・・)、しかし何と言っても、作品の背景に、人間の生命力と言うものに対する、無限の信頼、とでもいうべきものがあるからじゃなかろうか。周りの大人たちも、確かにいいヒトたち、親切なヒトたちばかりとは、到底言えないけれども、この環境では致し方なしか、と思えるウラにはやはり彼らの生命力というものがある。そして何と言っても、ラストシーン。有刺鉄線の柵(国境)と踏み越えていくモチーフは、『わが故郷の歌』とも共通のもの。痛々しくも無上の人間賛歌。[CS・衛星(字幕)] 9点(2007-12-03 00:25:32)(良:1票)

35.  ベニスに死す 《ネタバレ》 昔読んだトーマス・マンの原作をパラパラとめくり、ふと思う、「そうそう、アッシェンバッハ氏って、音楽家じゃなくて作家なんだよな」。それでも強い、この“アッシェンバッハ=音楽家”というイメージ、まさにこの映画において、あまりにもマーラー交響曲5番4楽章アダ-ジェットが、ピタリとはまり過ぎているから。もっともこの映画の主人公アッシェンバッハ、「調和がどうのこうの」とかいう言動を見る限り、どーもワタシの持つマーラーのイメージに合わない、ってか、ほとんど対極かも知れない(笑。原作でもマーラーから借りたイメージは、風貌だけでしょ)。ま、そもそも、このアダ-ジェット自体、一番マーラーらしからぬ響きの楽章、とも言えるかもしれんし。主題は多分、第1楽章のテーマの変形だと思うけど(一種の循環形式ですな)似ても似つかぬ柔らかな響き。また第4楽章の一部は第5楽章でも再現されるが、驚く程の響きの違い。弦楽合奏+ハープなら、マーラーでも「美しい曲」が書けるという実例か。とマーラーの話をしていてもしょうがないので、映画に戻る。またこの映画、クローズアップが実にいやらしいんだなあ。例えばある場面では、主人公の視線を模するカメラ。美少年一家に目が止まり、クローズアップ! う、いかんいかんとオドオドする主人公の表情を、これまたイジワルにもクローズアップ! うひょうひょ、もう恥ずかしいのなんの。これって例えば「電車に乗ったアナタの前に、色気ムンムンのオネーチャンが⇒つい見惚れそうになり、イカンイカンと自制するアナタ⇒ふと周りの乗客を見回すと、何だあのオッサン堂々とオネーチャンに見惚れてやがるぜ、と、今度はそのオッサン客の観察にいそしむイジワルなアナタ」という、そういう下世話な楽しみに相通ずるものがありますね(何のこっちゃ)。それをきっかけに主人公につい主人公に感情移入するアナタ(←しつこい)。正直、映画前半はホテル内部のシーンが多く、ヴェニスらしい雰囲気が感じられないのが残念なのですが(窓から外の景色が垣間見えるシーンがあれば・・・)、第3交響曲の流れる海岸のシーンのあたりから、のめりこんでしまう、圧倒的な映画世界。ラストの虚脱感は無類のものがあり、忘れられません。どうでもいいけど、コレラって極度の下痢で脱水症状になり死に至ると思っていたが、本当にこのラストシーンみたいな症状なのか?(←気にしないこと)[ビデオ(字幕)] 9点(2007-09-23 00:09:23)(笑:1票)

36.  過去のない男 記憶を無くす、名前を無くす、過去を無くす。それは、自身の存在証明を無くすこと。なーんて言ってたりすると、つい、安部公房の『壁-S・カルマ氏の犯罪』とか『燃えつきた地図』を思い出しちゃうんですけども。しかしこちらは映画作品。過去を失い帰属を失い、ただ「現在」のみを生きる主人公の姿が、映画ならではの語法で描かれております。それは、彼を取り巻く冷徹な「視線」。いささか戯画化された登場人物たちの立ち居振舞いにおいて、表情というものが徹底的に抑えられ、その中で強い印象と緊張をもたらすのが、主人公へと注がれる、他者たちの冷たい視線の数々。その視線は主人公を通じて我々にもブスブス突き刺さってきて、ナントモ居心地のわるーい映画体験になっております。しかし、結末はいかにも「ものがたり」らしく、ユメのあるまとめ方、実に心憎い。拍手!![CS・衛星(字幕)] 9点(2007-04-12 23:15:20)

37.  息子のまなざし 映画的な“大局”からの視点ではなく、生身の人間の視点を思わせる生々しい映像が、ハンディカメラによってどこまでも綴られる。このため、極端なまでに断片的な印象を受けるが、次第に映画の背景が浮かび上がってくる。それでも、映画はあくまで彼ら登場人物たちの人生の、ある「一断片」を描いているに過ぎないのだが、考えてみれば我々の人生もまた、一見連続的であるようでいて、実は非連続な断片の集合体に過ぎない。この映画でも、「ある事」をたまたま「してしまった」人と、たまたま「してしまわなかった」人がいて、そこに何か明確な差があったわけではない。「ある事件」から5年たったその日、あるきっかけがあり、ある顛末となった・・・では「1年後」だったら?「4年後」だったら?あるいはそれこそ、例えば雨が降ってなかったら?それは誰にもわからない。我々もまた、たまたま何かをしちゃったり、(より多くは)何かをせずに終わったりして、無難に終わったり、後悔を残したりする(後者の方が記憶に残るために、我々は過去を思い出すたびに頭をかかえてしゃがみこんでしまうのだけど)。そこに何とか因果を見出そうとするはかない試み。人生がときに複雑怪奇に思えるのは、実は人生の断片が脈絡無く連続しているそのシンプルさが、それが実に残酷だからではないのか(ある日突然、事件・転機は訪れる。主人公の男と少年の間にも、大きな変化が発生した、にもかかわらずなお、ラストシーンは「外面的には」日常と連続している「かのような」この人生の不可解さ。これが時には救いにもなり得るのだが・・・)。この映画の演出方法は、もしかしたら映画的ではないのかもしれない、けども、人生の真実をしかるべき方法で描いた、ひとつの映画の可能性と言えるだろう。[DVD(字幕)] 9点(2006-05-02 22:17:16)

38.  パピヨン(1973) そりゃまあ、マックィーンが男前だとは言いませんけどね、かのヒーローがどうしてこの役にここまでフィットしてしまうのか(こりゃまるで、サルが人間にとっつかまって虐められる『逆・猿の惑星』by フランクリン・J・シャフナー、ですね)。見事なハマリっぷりに、観た後でふと一抹の寂しさすら感じないでもなく。一方、ダスティン・ホフマンはと言うと、いつになく役作りを放棄、地で演じてます(そんなワケないか)。この役は彼以外の役者が演じたら絶対イヤミになる。彼のスゴさは、演技力云々よりも、‘どんな「共演」もこなしてしまう’ところ、ですかね。それにしても、観てて切なくなる映画でありました。実録っぽさと、幻想味が、奇跡のように両立しております。残酷なまでに青い空、そして海・・・はあ~(溜息)。ゴールドスミスの音楽、甘いメロディも提供しておりましたが、エンドタイトルに硬派な音楽をぶつけてきたのが、映画をぐっと引き締めており(廃虚の映像に実にマッチしてる)、たまらない余韻を残します。必聴です。彼ほど、無調でありながら親しみ易い音楽を書いて来た作曲家もザラにはいないのではないでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-04-09 11:08:30)(良:2票)

39.  ストレイト・ストーリー 雄大な風景とジジイの表情だけでコレほどまでに愛すべき映画が作れるとは、まさに一種の「映画作りに関する裏ワザ」と申せましょう。特に橋を渡るシーンの表情が何とも言えませんナ。ワタシもいつかあんな表情が自然とこぼれるような体験をしたいもんです。この映画、いかにも正攻法な描写に、「ちょっとご愛嬌」と加えられたヒネリと遊びがうまく噛み合い、ひと味違った作品になっています。リンチ監督は、自分はキワモノ映画ばかり撮っていても、実は、古きよき時代のクラシック作品への絶大な愛情と信頼を持っているのかなあ、と思いました。本作も軸となっている手法は、いわばオーソドックスなもの(象徴的に「見せ付けられる」鹿の角なんて、ちょっと懐かしい雰囲気の小道具)、でまあ、現在の映画においては、オーソドックスな手法というのが逆に新鮮だったりするわけなんだけども、おそらくこの映画ではそんな「時流に逆らう効果」なんていう場当たり的なものは狙っていない(そんな効果は結局は一時的なもの)。「昔のモノがいかに優れていようと、いまさら昔と同じことはできない」、これこそが真っ当なクリエイターの信念でありましょう。だもんで、本作は、「キチンと見せる心地よさ」を示しつつも、ちょっと照れたような「リンチ風味」を加えており(素材の味をホンの少しジャマするくらいがよいのです)、で結局は、気が付いたら何だかホロリとさせられてしまっている。ちょっとそぐわない言葉のようだけど、あえて、「痛快作」と呼ばせていただきましょう。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-04-02 14:39:50)

40.  ブリキの太鼓 3歳で自ら成長を止め、太鼓を叩きながら冷たい視線を送りつづけるオスカル、別名エロ探偵コナン(見た目は少年、性欲はオトナ! むしろクレヨンしんちゃんに近いか?)。この「冷たさ」のせいで、本作には、「グロテスク」「アブノーマル」といった言葉より「残酷」という表現の方が合う気すらいたします。映画全体をインモラルが貫き、敢えて「調和」には背を向け続けるかのよう。生れた瞬間から世界を冷静に見続けるオスカル。肉体的成長を止めた彼とは対照的に激しく迷走する大人たち。しかし彼もまた時代に飲み込まれざるを得ないのだが・・・。また本作、特異な音楽も忘れがたいものがあります。行進曲のリズムをオスカル少年の太鼓が狂わせてしまう場面、あるいは、母がレコードの音楽にヤケクソにピアノ演奏と歌をかぶせる場面(一種のヘテロフォニーだ!)、などにおける、不気味な音のカオス。やはり「調和」とは一線を画し続ける、不思議な映画です。ところで、その後のオスカル君の消息ですが、何でも、道頓堀「くいだおれ」の前で今でも太鼓を叩きつづけているらしいんです(んなアホな)。9点(2004-11-24 00:21:02)(笑:1票)

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