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21.  アゲイン 28年目の甲子園 《ネタバレ》 中井貴一、柳葉敏郎ら旧友3人が居酒屋で酒を交わしながら楽しげに語り合う 長回しショットなど、地味な部分にアドリブ風のいい味が出ている。 ただ複数家族の感動仕立てのエピソードも細々と丁寧に詰め込んだ風ではありながら、 肝心要な部分である中井親子の葛藤と和解の演出はおざなりだ。 というより、演出放棄に近い。 娘:門脇麦の何らかの晴れ舞台に親が応援に駆けつけるとかならともかく、 自分の試合を見に来てくれというだけで一件落着させようという了見自体 虫が良すぎだろう。 キャッチボールシーンで言葉を交わさせなかった点はまずまずだが、 少なくとも彼女が翻意する契機としての何らかの挿話は欲しかった。 フィルムのザラつき感はドラマへの没入を妨げるレベルで、特に暗部はひどい。 [映画館(邦画)] 6点(2015-03-29 09:06:07)《改行有》

22.  アメリカン・ハッスル 冒頭の鏡に映った主人公とか、少年の割るガラスとか、クリーニングの衣装の波とか、 思わせぶりでありながら、なんら映画的な面白さにならない。 各俳優の既成イメージを逆手に取りましたといった、 これ見よがしの役づくりもあざといばかり。 選考の傾向と対策を抜かりなく踏まえたような「芝居合戦」とやらには辟易する。 冒頭のさわりから続いて早くも、主人公の来歴やら、二人の出会いやらのフラッシュバックへ。『ラッシュ』などもそう。近頃このパターンの何と多いことか。 ああ、時間の巻き戻しがまた始まったとうんざりする。 何故、この程度を現在進行形で語れないのか。 やるのなら、ウェルズやベッケルのような、必然性と意味のあるフラッシュバックで 一気に引き込んで欲しい。 無駄で無意味な時制弄り。 そんなところも、映画の失速の原因ではないか。 ロバート・デ・ニーロの登場からようやく締まる。[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2014-02-28 02:24:07)《改行有》

23.  甘い罠 《ネタバレ》 アナ・ムグラリスが車で出かけるのを、窓辺から見つめるイザベル・ユペール。 今回公開された『甘い罠』・『最後の賭け』・『悪の華』いずれにも共通して、屋内から窓外の事象を捉えるショットが特徴的だ。 窓一つを介した世界の隔たりと奥行きが、それだけで映画に波乱の予感を呼び込む。 そのフレーミングはルノワールの継承を感じさせる。(劇中では『十字路の夜』もチラリと登場。) ピアノの置かれた応接間と居間を繋げた重層的な空間つくりの妙。そこにさらに鏡が配置されており、人物のさりげない映り込みが幾重にもサスペンスを増幅させる。 石垣の連なる暗い坂道をヘッドライトが照らしながら、危うげに車が下っていくシークエンスの緊迫感が素晴らしい。この前進移動ショットはまさに『十字路の夜』だ。 そして、イザベル・ユペールがみせる仮面的表情とソファにうずくまる彼女の背後にレイアウトされた蜘蛛の巣の刺繍。隣室から聞こえてくる葬送曲の調べ。 それらが醸しだす不穏なラストの余韻まで緊張が途切れない。 [映画館(字幕)] 8点(2013-11-12 08:00:02)《改行有》

24.  アルゴ 車窓を流れていく、クレーンに吊るされた見せしめの死体。 夜の路側で炎上している車両。 マイクロバスの窓を叩いて威嚇してくる、デモ行進の市民。 それらはベン・アフレックの無言の視線を介して捉えられることで強調され、 同化を促し、不穏と緊張を巧妙に増幅する。 つながらない電話のシーンをさりげなく布石として配置しておき、 クライマックスに反復を仕掛ける手練。 人物の忙しない動きをスムーズに追いかけていく移動撮影もまた、 映画に緩急のリズムをもたらし、最終盤の盛大な横移動で テンションをマックスに高めていくよう、運動感の構成もよく出来ている。 細々した映画ネタが色目使いに見えなくもないが、あくまで適度におさめる品の良さがいい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2013-03-10 00:00:44)《改行有》

25.  アウトロー(2012) レザーを纏い、獣性を帯びたカマロを駆る流れ者トム・クルーズ。 勾配のロケを舞台とした狙撃戦から、雨中の徒手格闘へなだれ込むアクションの流れ。 決斗の場となるアジトの四角いドア枠に、細かいところではバスタブの意匠など。 映画は古典的なウェスタンの趣を漂わせる。 殺し屋の持つ携帯電話に、幾度も発信しては語気鋭く相手を挑発する主人公。 あるいは、ロザムンド・パイクの部屋にかかってくるトム・クルーズからの電話。 彼女の背後に立つ二者のどちらかが裏切り者だと伝えられる、その表情とリアクションのサスペンスが素晴らしい。 公衆電話と携帯電話を介した緊張感漲る駆け引きが光る。 ロバート・デュヴァルとの再共演もやはり感慨深い。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2013-02-22 01:42:28)《改行有》

26.  アフロ田中 《ネタバレ》 『モテキ』の絶叫モノローグが使いどころとバリエーションを心得て より効果的に使われているのに対し、 その二番煎じのようなこちらは終始一本調子であり、 終いにはいい加減飽き飽きしてくる。 そして、あくまで森山未來のアクションやダンスによって映画を弾けさせる 『モテキ』に対してこちらは松田翔太の顔芸と奇怪な挙動と、 原作由来だろうダイアログのギャグ頼みだ。 それはやはりテレビの笑いに近く、映画の笑いとは云えない。 蓮實重彦の『バットマンビギンズ』評ではないが、 自動車で並走しながらの愛の告白という絶好の映画的シチュエーションをつくりながら、 そこに流れる風景を画面に収めて走行感を出す才もないために 情動が喚起されることもない。シーンを停滞させ失敗している。 佐々木希の演技が不十分ならそれこそダンスの見せ場でも作ればよいものを、 その知恵もなく、単にファッション着せ替えのモデルでしかない。 彼女に関しては、かろうじてラストの上段蹴りのショットが救いである。 [DVD(邦画)] 3点(2012-12-16 23:44:40)《改行有》

27.  悪の教典 《ネタバレ》 屋上でキスをする伊藤英明と女生徒の前景と、後景の校舎。 人影は映らないものの、間違いなく誰かに見られている、という感覚で シネスコ画面が効果的に活かされているが、 どちらかといえば広がりよりも、奥行きや深さを強調した画面が印象的だ。 (吹越満の乗る電車車両の揺れる悪夢的感覚。 廊下奥や教室奥の外光で薄暗く浮かび上がる伊藤の姿など) 一方で、AEDレコーダーや救助袋の伏線シークエンスなどは あたかも取ってつけたようで、 回収地点でかえって作り手の逆算が露呈し、大いに興ざめである。 これなら、余計な伏線など無いほうがよほど気が利いているし、 インパクトもあるだろうに。 回収のための伏線張り。それは単に観客に辻褄合わせの納得を促すだけで 何ら驚きをもたらさない。 ついでに、盗聴器を仄めかすコンセント口等のショットのくどい反復や、 伊藤の来歴のフラッシュバック。 これらの無駄を省いただけでも、 110分程度には引き締まったはずだろう。 [映画館(邦画)] 7点(2012-12-02 22:56:39)《改行有》

28.  アウトレイジ ビヨンド 『アウトレイジ』の主要な顔でもある黒塗りの車体と、 北野映画の「海」とが組み合わさるタイトルバックから一気に惹き込まれる。 前作にも引けをとらない俳優陣の面構えの強さと、 暗闇に浮かび上がるブルーがかった街路と黒塗り車の光沢の艶。 舞い上がる土埃。そして暗転した画面に響く銃声もまたフェティッシュな感覚を纏う。 今回はどのように煙草を使うかと見ていれば、 「煙草は止めた」との台詞で主人公の変化を提示し、 新井浩文・桐谷健太二人の遺影の前に置かれた二箱の煙草のショット一つによって、 乾いたドラマの中にさりげなく情緒を潜ませるあたりが熟練である。 ほとんど顔を見せない高橋克典の身のこなしも凄みがあり、いい。 映画の締め方にも痺れる。 [映画館(邦画)] 8点(2012-11-04 21:32:51)《改行有》

29.  アイアン・スカイ 月面の硬質な近未来空間と、黒づくめのユニフォームを始めとする 旧態依然とした第四帝国の武骨なレトロ感覚。 両者がモノクロ画調の中でよくマッチしている。 そのナチズムの形式主義を茶化したギャグは ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』を少し思い出させてそれなりに面白いけれど、 こちらは若干くどい。 クライマックスの決戦ではヒロイン:ユリア・ディーツェを もっと活躍させる事が出来たはずだし、 クリストファー・カービーとの協調と連携も淡白すぎる気がしないでもないが、 二人の微妙な関係性は本作の面白味だ。 宇宙間戦闘のSFXも健闘している。 [映画館(字幕)] 8点(2012-10-16 07:25:38)《改行有》

30.  アベンジャーズ(2012) 《ネタバレ》 それぞれの超人達が対立する前半は、 身体あるいはエネルギーを一直線的にぶつけ合うアクションが中心であるが、 彼らが結束してゆく後半はアクションのスタイルも微妙に様変わりしてゆく。 洗脳されたジェレミー・レナーが航空母艦の巨大プロペラの破壊を企てるのに対し、 ロバート・ダウニーJr.らはまずその旋回運動を復活させる。 そして超人たちはビルの乱立する市街地を舞台に、 身体の捻りや回転を利用した縦横無尽の殺陣を見せる。 (ボウガンを放つJ・レナーのしなやかなアクションが素晴らしい。) 直線的な核弾頭の進路を逸らし、屈曲させ、 最後は垂直落下してくるアイアンマンの進路を曲げることで激突から回避させる。 対立から結束へ。そのイメージ化としての、直線から円環へ。 その主題を最も象徴する映画的見せ場の一つが、 市街地に降り立った6人が外向きに円陣を組んで空を臨む勇姿を捉える 周回のキャメラワークだろう。 エンディングロール後のラストショットのとぼけた大団円も、 そのクライマックスとは対称的な円形のバランスとニュアンスに味がある。 ただ、最も感動的なアクションを挙げるなら、 それはスクールバスに乗った子供たちを救助する1シーンだ。 具体的なアクションとして一般人を救ったのは、このシーンくらいではなかったか。 ラストのニュース映像で、ヒーローを擁護するのはこの子供達のほうがふさわしい。 [映画館(字幕)] 6点(2012-08-28 07:14:21)《改行有》

31.  アナザー Another(2011) 《ネタバレ》 「そこにいないのに、そこに見える」死者と、 「そこにいるのに、そこに見えない」生者。 その実像と虚像が、硝子の反射と水の透明性のモチーフによって視覚化されていく。 巻頭の病室におかれた硝子コップ。窓ガラス。鏡。校庭の池の水面。義眼の碧い瞳。 それらの反射面に浮かび上がる不鮮明で半透明な人物の像が示すのは 彼らのあいまいなアイデンティティだ。 印象的なその碧い瞳の超クロースアップは、 見る主体と見られる対象を同時に画面に乗せ、 橋本愛の冷やかな印象を強調するとともに 観る側の視線を引き付ける求心的な効果がある。 切り返しを排し、見る主体を不明瞭にしたままの歪な一方向的主観ショットと編集が、 ラストシーンの別れでは切り返しによる視線の交換へと変わり、 橋本愛と山崎賢人の淡い交流を際立たせる。 その表情は画面からは判然としないが、 さわやかな水色の衣装で大きく手を振って車を見送る橋本愛が小さくなっていく、 山崎賢人の見た目のショットがいい。 二人が携帯電話の番号を交わす合宿所の夜、 二人の座るテーブルに置かれた白いカップはもはや硝子製ではない。 [映画館(邦画)] 6点(2012-08-14 08:03:11)《改行有》

32.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 リーアム・ニーソンがパスポートの入ったバッグを空港に置き忘れるのは、ホテルのカウンターでジャニュアリー・ジョーンズだけがチェックインするのを監視カメラが捉える状況を作り出すというあくまで単純な作劇上の必要性から逆算した設定であり、その彼女が爆弾を止めようとして失敗するのも、届かない手のサスペンス(前半の鋏と照応)と爆破のスペクタクルを構成するというシンプルな映画的要請からくるものである。 フィクションに囚われ「<らしさ>とか<首尾一貫性>とか<心理>とかにばかりこだわる観客」(ヒッチコック&トリュフォー「映画術」)にとっては、単にキャラクターの愚かな行動という見え方でしかなくなるのだが、ジャウマ・コレット=セラ監督はそうした<らしさ>にも<首尾一貫性>にも<心理>にも拘ることなく、ひたすら状況設定とサスペンス感覚を核として映画を見せていく。 画面の意匠のみならず、そうした作法自体が「映画術」の忠実な踏襲として芯が通っている。 曰く、「マクガフィンには何の意味も無いほうがいい。」(ヒッチコック) 曰く、「映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ。」(トリュフォー) 鏡面を使った看護師瞬殺シーンの絶妙な構図。アフリカ系タクシー運転手の亡骸に当たる照明。 その状況の秀逸な見せ方ゆえに、ブルーノ・ガンツ、フランク・ランジェラらは勿論、僅かな登場シーンしかない端役キャストに至るまで個性があり、そのいずれもが印象強い。 鏡面に映る二人の虚像を破砕するリーアム・ニーソン。その破片を握りしめる右手と、立ちすくむダイアン・クルーガ―の構図。 爆発による停電でモノトーンとなった画面に漲る一瞬の緊張と、交感する二人の表情がいい。 [DVD(字幕)] 8点(2012-08-10 21:07:33)《改行有》

33.  愛と誠(2012) ミュージカルシーンに映画を感じたのは、 大野いとの『夢は夜ひらく』と、安藤サクラの『また逢う日まで』。 動きのとれないトイレ個室内での歩調と、 大野の決して上手くない歌がシュールでいい。 雨に濡れた夜の歩道を走る安藤の躍動と笑顔、そしてそれを追う横移動のカメラがいい。 武井咲も斎藤工も、 一青窈・市村正親コンビの達者な身のこなしなどと比較してしまうと可哀相だが、 シンプルな振付と頻繁なカットつなぎにも助けられて健闘している。 そのミュージカルの少し硬い感じが逆に味となって後半のドラマに活きており、 特にこの二人がそれぞれ違うシチュエーションで土下座をして 必死に懇願するシーンではその熱演と表情が一気に輝き出して素晴らしい。 ただ、妻夫木聡のワイドショー番組的な安っぽい突っ込み台詞の数々は もう少し工夫が欲しかったところ。 [映画館(邦画)] 7点(2012-07-02 20:26:44)《改行有》

34.  ある戦慄 夜の街を疾走する列車に被るロック風オープニング曲が非常にクールだ。 生々しいモノクロ・ロケ撮影による夜の都会の濡れた街路や、神経症的キャラクター群、そしてその濃い影が印象的なノワールスタイルを特徴とする前半部。 これから乗り合わせることになる登場人物たちの個性が列車の進行とカットバックされつつ簡潔明瞭に描写分けされていく。 そして密室劇となる後半部でもまた車両内の計18人それぞれを過不足なくドラマに関与させ、二部構成でサスペンスを醸成していく手捌きが巧みだ。 列車内はアメリカ社会の縮図と化し、その舞台劇的設定の中に人種差別・所得格差・同性愛・都市犯罪等々の社会問題を浮かび上がらせていくが、それはあくまでショットの力強さによる。 俳優の顔面と直近で正対するカメラの圧迫感が秀逸だ。 その時、視線を返されているのは観客自身である。 同性愛描写に関するコード改定が61年。 黒人問題を描いたラリー・ピアースの前作『わかれ道』が64年。 そして66年の新コード採用によって、アメリカの内包する苦悩が赤裸々に曝け出されている。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-15 22:50:55)《改行有》

35.  アマルフィ 女神の報酬 商業映画、特に『~記念大作』の類の必然として各俳優やロケ地のサービスショットなり、タイアップなりのしがらみに満ちた「企業の映画」たらざるを得ない中、画面にはそれに甘んじきらないスタッフの自己主張が随所に感じられて頼もしい。 何よりも主流ヒット作に顕著ないわゆる「万人受けの法則」つまり感傷場面の引き伸ばしに対して極めて自制的である。 主演二人のベランダの場面から、翌朝へのドライな繋ぎ。クライマックスから後日談への唐突でぶっきら棒な暗転。背中で隠したラストの「きれいな海」等はいかにも批評的で面白い。 出自やら来歴の説明を確信的に省いた風来坊のキャラクターも実に映画的で正しい。 無言を貫く主演二人の一連の動作と視線によって興味を引かせる導入部。これが終盤に活きてくる。渋滞の喧騒の中、二人は互いの言葉を聞き取れない。二人があくまで言葉によらずアイコンタクトのみによって意志を疎通させる展開の映画性。 また、空港の場面で戸田―スリの男―織田―天海親子、といった具合に人物の出し入れを(さりげない伏線の導入を含め)的確な流れで捌いた画面連鎖の見事さ。 これら、主要人物からエキストラまで複数の人物の頻繁な出入りが一貫して画面に活力を与えており、監視カメラ画像の連鎖を含めた引き、寄りのバランス感覚も悪くない。 クライマックスで織田裕二と佐藤浩市が一瞬交錯し、すれ違うショットの画面処理も的確で、二人の相容れない行路を明確に可視化している。 結果的に、類似した主題ながら台詞過多と画面の停滞で後半失速した東宝映画『誘拐』(1997)の愚を回避している。[映画館(邦画)] 8点(2012-04-29 00:41:20)《改行有》

36.  アーティスト 《ネタバレ》 幾度も導入される鏡面、水面、質屋のショーウィンドウといった反射装置、または肖像画、あるいは階段などの建築構造で以て「映画スターと映画」という虚像および虚構空間の隠喩をやらんとする意図だけは伝わる。 しかし、まさにその意図だけしか伝わらない。理屈だけの、体裁だけのオマージュ。 「モノクロ」「サイレント」に対するも然り。モノクロは単にモノクロであるだけで、レンズのフォーカスや照明の繊細な技法が創り出す画面の艶やエモーションに対する無頓着を見せつける。 『サンライズ』など、どこにも見当たらないが。 フィルムが燃え上がる炎も煙も、タランティーノの画面にも遥かに及ばない。 犬の「芸」はただ単に人間の調教ぶりを示すだけだ。 加えて、饒舌で説明的で煩わしい劇伴音楽がさらに画面の邪魔をする。 恐らくはグリフィスを意識しただろう「最後の瞬間の救出」のクロスカッティングがこうも盛り上がらないとは。 とどめは、サイレント俳優がトーキーへの「適応手段」として思いつきのような「名案」に乗って要領良くタップダンスに転向し活路を見出すという安直な作劇。 幼少から鍛錬と努力を積み上げてきたはずのハリウッドのダンス「アーティスト」達も随分と舐められたものだ。この脚本では、そう取られても仕方ない。 だから、頭でつくられたダンスになりさがる。 ケリーかアステアか。どうでも良い。そういうスタイルの問題ではない。 [映画館(字幕)] 2点(2012-04-23 21:07:42)《改行有》

37.  アレクセイと泉 チェルノブイリの被曝地域であるブジシチェ村にご両親と共に暮らすアレクセイ・マクシメンコさん。その朴訥としたナレーションと、はにかむような表情と佇まいがとても素晴らしい。ラストの老夫婦のツーショットも心が暖まる。 朝もやの美しい情景を始めとする固定ロングショットの数々は、ともすれば単に「美しい風景」に陥りそうなところで、湧き出る水や村に残る様々な動物たちや高齢者たちの慎ましく淡々とした営為がフィルムに「生」のダイナミズムを湛えさせている。 その映画志向は『ナージャの村』から一貫しているものだ。 収穫を祝う村人たちのパーティと踊り。色鮮やかなスカーフを巻いて踊る女性たちと、酔いつぶれている男性たちのショットが微笑ましい。 水汲みや農作業、木材の切り出しから洗い場の組み立てまでの労働。落成した洗い場にイコンと十字架を供え、祈りを捧げる村人たちの敬虔な様が尊く美しい。 村人の周りに常に寄り添っている動物たち(馬、犬、家鴨、豚など)。 人間が汚染した土地に、邪気無く共存していく彼らの姿が愛おしい。 被曝地帯である現場に腰を置きつつ被写体である彼らに不必要に寄ることをしないキャメラの倫理は、3.11後を報道するテレビドキュメンタリーのカメラの多くがその涙を狙って被災者の顔面と眼に図々しく寄っていく浅ましさの対極にある。 それは、ひたすら『感情移入』と称した他力的な感傷と刺激の欲求を肥大化させていく「見る側」の倫理問題でもある。 [ビデオ(字幕)] 9点(2012-04-04 00:32:07)《改行有》

38.  アントキノイノチ 一種の流行なのか、役者の表情にハンディの高速ズームを度々入れてくるようなところが映画の統一感を欠いてさもしく煩わしい。 一方で、主演する岡田将生・榮倉奈々の二人の表情を捉えるショットは二人の瞳や口元の繊細な震えと動きを的確に伝えているし、部分的にVFXも使われているのだろうが、山の稜線やビルの高層階を捉えた高所のショットの危うい感覚などは見事だ。 二人は居酒屋、観覧車、ラブホテル、浜辺で互いに向き合い言葉少なに対話を紡ぐ。 二人の声のトーン、息遣い、ナイーヴな表情とぎこちない動きが素晴らしい。 にもかかわらず気になるのは、「友情出演」でクレジットされる壇れいのための水増しシークエンス。浜辺の波音、山稜の風音に負けず劣らず盛大な「泣かせ」の劇伴音楽。頻繁すぎて停滞を招く過去のフラッシュバック、、。 『感染列島』以降のシネコン症候群は如何ともし難く、しがらみと不自由を感じさせる。 [映画館(邦画)] 6点(2011-12-05 12:37:12)《改行有》

39.  アンダルシア 女神の報復 《ネタバレ》 バルセロナの路地で、異変に気付く織田裕二のショット。その後景に、意味ありげにバイクを止めている男が映っている。続くチェイスシーンでは既に織田はオートバイを駆っている。という具合に、鮮やかな省略の妙味を随所に見せてくれる。 一方で、カットは多めに割られながらも、そのうちの1ショット内に難度の高いアクションを取り込んでインパクトを作る工夫も徹底されている。(タクシー後方からの清掃車の激突、マーケットでの三つ巴の追跡シーン) 空ショットは極力抑え、自然光を活かしながらロングショットでロケーションと人間とを同化させることで、双方の存在を見事に際立たせている。 その白眉が、緑の地平線を背景に黒木メイサが片足を引きずりつつ歩む横移動のショットだろう。 あるいは、風の感覚を伝える演出の数々も細かい。空撮の、風に乗るような感覚のみならず、ホテルや車の窓の開閉によって主人公らの顔に吹き付ける風は、独特の情感を醸し出すとともに、説話的にも無駄なくシークエンスに活かされている。 伏線としての小道具、仕草の活かし方もさらに良くなっている。 [映画館(邦画)] 7点(2011-07-01 21:57:39)《改行有》

40.  アジャストメント 追手と妨害をかわして、ドアの合間からエミリー・ブラントのダンスを「見て」しまうマット・デイモン。 マット・デイモンの語る真相に混乱を来しながらも、ただ彼と「見合う」ことで彼を信頼するエミリー・ブラント。 親密な眼差しこそが男女の運命を決していく。 古典的な切り返しによって結び付けられる二人の視線。そのシンプルな二元論的編集が二人の運命的な愛の成就を予告する。 「人を見ること」=「人を愛すること」という古典的スタイルの直截なあり方がいい。 同じく、ブラフとしての台詞(理屈)をことごとく裏切っていく画面の、シンプルな活劇性がいい。 ソフト帽をかぶり、ドアからドアへとマット・デイモンは無我夢中でひた走る。 (選挙対策のような)知略も作戦も捨て、ただひたすら疾走することによって愛を獲得する。その無謀の運動性こそ映画らしい。 夜の路地で競争する二人の楽しそうな笑顔も良かった。 [映画館(字幕)] 7点(2011-06-03 23:21:37)《改行有》

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