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41.  アンダルシアの犬 ピアノを引きずり女に近づこうとしている男、これとまるきり同じ状況ではなくとも、似たようなことをしている男はいるな、という感じは持てる。あるいはいつか自分がこれと似たようなことをしそうだ、という予感。ピアノとか馬とか修道士とかに、一つ一つの象徴を当てはめてはいけないのだろう。ピアノに漠とした「重さ」を感じるのは象徴とは違う。でも男というものは、ピアノを引きずり女に近づこうとするような存在だなあ、とはしみじみ納得できる。シュールリアリズムとは、そういうもんなんだろう。エロティックな幻想にしろ、蟻にしろ剃刀にしろ、全編触覚的で生々しい。例の剃刀のシーンでは、女性観客の「やっ!」という叫び声が館内に響き渡った。そして全編実に明晰。シュールリアリズムとは、夢を明晰に記録したい夢なのか。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-18 10:03:31)

42.  穴(1960) 音が凄い。削る音、ラストの警官たちとの揉み合いの音。本来静けさが支配している場所だけに効く。そして歯ブラシの鏡などの小道具の使い方。たしかに脱獄ものの名作だ。ただブレッソンの『抵抗』の感動とは違うんだな。映像では脱獄そのものの面白さを、どちらも中心にしているのに、「外」の深さが違うんだろうか。映画の感動には映像だけに任せられないものも含まれてくるのだろう。逃げ出す目的という非映像的な・説明的な部分も、映画の感動に関わってくるのだ。そういう「粗筋を読めば映像見ないでも分かるようなこと」は出来るだけ映画の感動から除外しようと、つい思ってしまうのだけど、そういうものでもないんだな。純な部分・不純な部分と多くの面を持つ複合体としての映画の感動…、そんなことを考えさせられた。たとえば歌のよしあしに、メロディだけじゃなく歌詞も関わってくるように。映画は密室の生み出す緊張が好きで、一方に襲撃してくる外部から立て籠もる密室と、本作のように何とか逃げ出そうとする閉じ込められた密室、を描き続けてきた。舞台という制約がないからこそ映画では、そういう状況が好まれるのか、これも興味ある問題。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-07 09:51:42)

43.  愛と希望の街(1959) 《ネタバレ》 後半、観客を次第に苛立たせていくあたり、もう「大島」である。この苛立ちが社会に対する新しい発見なわけ。階級のどうしようもない差を、小さな犯罪を通して、またそれを巡る倫理観の違いを通して認識させてくれる。少年のほうも、鳩を逃がしたほうが悪いんだ、と自分に言い聞かせなけばならない疚しさを持っていた。渡辺文雄も疚しさを持っている。「親父の家でごろごろしているのが、今から考えるとおかしいんですが、何か罪悪のような気がしましてね」。この「今から考えると…」ってところが重要だろう。社会の構造に対する疑問は階級の差を越えて誰もが意識するときがある。がブルジョワに属しているものにとっては頭の中だけのことになりがちで、その構造の秩序に則った考えが「普段」になっていく。そしてわずかに残る疚しさが「今から考えると…」と言わせているのだ。どうして好意を素直に受け取れないのかしら、という少女の側の無邪気さも、けっして嫌味になっていない。それだからこそラストの鳩撃ちがいっそう悲痛なのだ。悪人らしき悪人が一人もいないのに、不幸や苦痛は充満しており、人々の間の相互理解は阻まれ続ける。お前はブルジョワじゃないのか、と問い返されて娘が「正義の味方月光仮面」と逃げて答えているのは、『少年』での宇宙人に対する願望を予告しているよう。ブルジョワの枠の中での正義は同情以上のものではありえない、そういう構造外の正義を、この月光仮面に期待しているのだろう。当時であれば、それは「革命」ってことで分かりやすい結論だったが、今現在はもっと深く問い詰めていかなければならないはずだ。[映画館(邦画)] 7点(2012-05-02 12:23:26)

44.  甘い生活 もしかすると有名な話なのかもしれないけど、中盤でマルチェロがうるさいと言ってラジオを止めさせた「天使のような少女」が聞いていた曲は、ラストのストリップの音楽と同じ“パトリシア”だったのね。その曲に導かれて怪魚の海岸に「天使のような少女」が戻ってきたとも取れるわけか。この二つのエピソードは対照されているよう。少女もやがて喧騒の中でタダレていくぞ、という幻滅の予感なのか、あの曲にいざなわれてもまだ少女はなんとか怪魚の腐臭からは隔たっているぞ、という確認なのか。観るごとに発見のある映画だ。それはともかく、本作は以後続くフェリーニ・ワールドとでも呼ぶしかない偉大な山脈への習作って気がする。前作『カビリアの夜』までで、物語を語っていく才能は十分に証明された。しかし監督はそれに飽き足らなかった。ここから物語を壊していく映画群・真にフェリーニの世界が始まる。冒頭、キリスト像を引っ提げたヘリコプターの影が路上を滑りビルの壁面を這い上がっていき、物語ではなく映像で何事かを見せていく姿勢をはっきり示している。以後も、物語を語るまいという意志と、まだそれに代わるものが整っていない困惑とが、渾沌としたまま展開されていく。だからちょっとおとなしい。古邸探検のエピソードなんか、以後のフェリーニだったら人々のメイクがどぎつくなっていただろう(カラーだったらもっと青く)。スターに群がるパパラッチや聖母を見たという混乱あたりに、かろうじてフェリーニ的祝祭感が味わえるが、ラストのドンチャン騒ぎなどあんまりドンチャンしていない。早朝の噴水にあったような喧騒の後の静けさが、すでに疲れとともに忍び寄ってるみたい。だいたい海が本物の海だ。フェリーニ・ワールドへ向かう化学変化が起こり始めた作品って感じで、奇っ怪に変貌するかも知れぬ気配をみなぎらせつつ、かろうじて「普通」にとどまっている緊張、それが本作独自の面白さなんだろう。現代の馬鹿騒ぎの背後から忍び寄る古代ローマの影の静けさ、ってのは彼の重要なモチーフであり、ロータの音楽も何か古代ローマをほうふつとさせた(レスピーギ『ローマの松』の“カタコンブ”に出てくる五拍子の弦楽器の刻みに似たモチーフが聞こえたり)。『フェリーニのローマ』は、歴史を越えたローマ巡りという同じテーマに、カラーで再挑戦したとも言えそうだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-22 09:39:37)

45.  アトランティス(1991) しばしば使われる上下逆さまの構図が気に入った。水面を下にすることによって海は完全に閉じた世界になる。波打ち際を逆さまに見る光景など、引っ繰り返しただけでこんなに面白くなるのかと驚いた。下降する気泡。底で痙攣する水面。静かな湖沼のようなシーンも美しかった。けっして風の吹かない別天地になる。この逆さまの空を、イカもエイも飛行いていく。天地創造の段取りになっているのが、あちらのお国柄で、別にいいんだけど、楽しくお散歩していたウミヘビが大魚を目にして逃げていくあたり、少し擬人化しすぎな気もした。マンタがアリアを歌うのは楽しめたが。loveとhateの対比はつまらない。人間が退場したぶん、『沈黙の世界』より詩的要素は高まった。広さを感じられなかったのは、あんがいそこで暮らす生き物たちにとって海中ってのはこんなふうで、目の前の世界しか存在しないんだろう。ラストで水面の上(下?)の輝きに初めて憧れていく。それまでずっと水面を出ることを禁じられていたカメラが、ラストの空撮で広さを存分に味わう。閉じていた世界が開かれる。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-19 10:27:22)

46.  阿賀に生きる 遠藤さんの感覚麻痺による火傷、おそらくこんなにも「水俣病的」映像から離れた地点で水俣病を生々しく感じられる映像はないだろう。怒りも叫びもない、淡々とした描写。暮らしや技術を破壊した近代がパッと眼前に大きく感じられる。映画のテーマの一つは技術の伝承でしょう。舟作りとカギ漁という川の生活の基本が軸になっている。生活とは技術なんだ、という小川紳介の流れが感じられる(小川が死んだ年の映画)。その技術の伝承を破壊した水銀中毒としての新潟水俣病。その伝承の断絶と対比されるように、老夫婦のいる光景ってのは安定している。同じ暮らしが未来へ延びていきそうもないことと、同じ暮らしが繰り返されていること。餅つきの加藤さんのとこ、囲炉裏端から席を譲らぬお婆さん。長谷川さんのとこで、喋りながらトロトロと寝入っていくとこ。風に敏感でないと舟が危ない、という自然と暮らしの関係。若干ナレーションが語りすぎるような気がしたが、そのぶんカギ漁のシーンは対岸からのロングで慎ましい。加藤さん夫婦が冗談で、首を絞めようか、というあたりに厳しさがにじむ。遠藤さんが舟作りを断念した絶望の深さもある。でも新しい舟を一つこしらえたことの希望の大きさ、この振幅の中に阿賀で暮らすということがスッポリ納まっているのだろう。監督佐藤真。[映画館(邦画)] 7点(2012-02-07 10:08:41)

47.  兄とその妹(1939) 《ネタバレ》 日本映画は「坊っちゃん」パターンが本当に好き。主人公佐分利信は曲がったことが嫌いで、姦計を弄する赤シャツ的河村黎吉がいて、碁がたきの重役坂本武がさしずめタヌキ校長、友人の笠智衆が山嵐って感じ。「曲がったことが嫌い」な主人公も、国策としての曲がったことには鈍感になってしまうところに、同時代に生きる者の限界がある。取ってつけたようなラストはどこまで作者の責任なのか、当局に強いられたものなのか分からない。最後に不意に植民地が浮かび上がるのは『隣の八重ちゃん』もそうだった。国策への迎合と言うより、家庭劇の狭さから飛躍したいという作者の平衡感覚かもしれない。兄と妹との気の遣い合いがテーマだけど、家庭の描写の自然さが素晴らしい。会話もそうだが、沈黙が自然に描かれる。普通のドラマだと「気まずさ」を表現してしまう長い沈黙も、この監督のテンポだと自然。だいたい普通の家庭の中ってドラマほどしゃべり詰めじゃない。別に気まずくなくっても黙ってる時間がある。そういう時間を描くのが一番難しいんじゃないか。それに成功している。健康な娘ってのもいいんだ。「おいしい」ではなく「うまい」と言う。ハイキングは、もしかするとこれが三人での最後の外出になるかも知れない、という予感が微妙な切なさを醸していたが、それをあっさり健康な妹の兄想いが凌駕してしまう(現実の桑野通子はあと十年も生きられなかった)。観終わって冒頭シーンを思い返すと(夜の帰路での背後の靴音)、会社勤めをしている者のけっこうモダンな心理描写だったわけだ。当時の機材での暗い路上の移動撮影は大変そう。だいたい夜のシーンってのは昼間撮影してそれを夜っぽく処理するもんだけど、これは本当に夕方くらいの暗い中で撮影してたみたい。違うかな。かつてスクリーンで観たとき、上原謙のキザな写真が出てきたとこで場内が大笑いになった。戦後得意とした二枚目半役はすでにこの頃からやってたんだ(もうこの時は小桜葉子と結婚していて桑野とのロマンスは上原が振った形で終わっていた、本作での桑野が上原を振る設定に特段の意図はないんだろうな)。[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-21 10:29:51)

48.  愛の風景 《ネタバレ》 「合わない」男女は、いかにして愛し合えるのか。慈悲と無慈悲、寛容と不寛容といったモチーフがいろいろ変奏されていく。アンナとの出会い、「まず欠点から言おう」なんてあたりにベルイマンの空気が香る。母の祈りもすごいよ。「あの女を愛せない私をお許しください。どうかあの二人を引き離してください」って。父の死、結婚、から第二部と思っていいのかな、ちょっとトーンが違ってくる。慈悲なり寛容なりのテーマは一貫してるんだけど気分に段差があり、一本の作品としてはやや完結性に欠けた。少年ペトルスのエピソードがいい。慈悲のつもりが裏返されて無慈悲に転じていく痛ましさ。良くも悪くもベルイマンから出られてない映画だ。「人と人とはしょせん“合わない”のであり、だからこそ愛は素晴らしいのだ」ってな結論ということにしておきましょう。ラストは、二人別々のベンチに座ったままやり直そうと言ってる。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-09 10:10:51)

49.  アメリカの影 芸人、それも受けない芸人というモチーフは、監督のデビュー作から登場していた。慣れないジョークの練習をする。歌も本格的すぎて重く、ハショられてしまう。客との関係をうまく演じ切れない芸人。「演じること」へのこだわりは、監督の作劇法にも根ざしていて、おおむね役者に任せたって言うじゃない。演出するってことで(映画の)観客の期待におもねってしまう意識が入り込んでくるのを拒否したかったのか。観客との齟齬を感じる芸人を描くにあたって、そのドラマの演出から姿勢を決めてきている。ステージから降りても、人の暮らしは「演じること」に満ちている。「演じてしまうこと」と言ったほうが正確か。突然現われてくる人種偏見の凄味。妹が黒人青年にダンスパーティを巡って示す高慢な態度、これも「演じること」だろう。他人の存在になにやら作用を受けて、その当人が動かされてしまう。当人が動くというよりも、動かされる・演じさせられる。そういうふうに社会を眺めている監督なのだった。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-25 10:02:24)

50.  ア・フュー・グッドメン 冒頭の規律正しい動きの美しさと気味悪さで、すでに作品の雰囲気が決まる。「軍はもうキューバを撤退するよ」というジョークを何の疑いもなく打電に行きかける兵士のエピソードなどでも「軍隊」を垣間見せる。ほかにも正装して自殺する軍人や、無罪になったのに除隊処分される兵士など、軍隊というものをじっくり観察していく演出。殺された兵士の視点に密着させなかったことで(邦画だったら彼の側にもっと情緒的につくだろう)、乾いたトーンが出た。殺した側の弁護でスタートさせるとこが憎い。T・クルーズが成長していくときのD・ムーアの役割りは、恋人というより正義の女神みたいなもん。前半は旗を振り、後半は後押しをする。キューバでJ・ニコルソンがテーブルで若造をコケにするあたりの「常軌を逸した社会での権力者」って感じが、やはりうまい。人間関係の調節などにまったく気にせずにやってこられた男とその環境。その尊大さ・横柄さだけなら、たぶんM・ブランドのほうが一つ上だろうが、その興奮しやすさ・馬鹿さもくるめて「軍人」という人種を嬉々として演じるとなると、ニコルソンだ。アメリカ映画でいいのは「超人」の正義でなく「僕たちの勇気」によって光りだす正義を描くとこ。法廷もの映画が流行る国には、それなりに正義を追求してきた歴史がある。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-23 12:48:29)(良:2票)

51.  アフリカの女王 《ネタバレ》 話の大枠は冒険ものだけど実質は「流れ下る室内劇」で、男女二人のドラマを楽しむ味わい。船という密室空間でほかの男女に出会えない状況なのだから、ロマンスの成長だけが見どころになり、それを二人の名優がたっぷり見せてくれる。とりわけキャサリンはピタリの役どころで、宣教師の妹の英国淑女が自分の流儀を保持した態度をとりつつ、けっこう過激な提案を荒くれ男の船長に提示していくあたりのおかしさ、ひとたび結ばれると自分からお茶を「旦那さま」に運んでいくかわいさ、などなど。ときに思い出したようにドイツ軍の銃撃があったり急流があったりするが、ほとんど二人の心理劇だけで運ぶ前半はなんとも鷹揚で、映画黄金期の観客はそれをゆっくりと見物する大らかさを持っていたのだろう。しかしのちの「映画がコセコセする時代」になってからの映画ファンである私にはいささか大らかすぎて物足りなく思っていると、終盤、その大らかさの味わいが私などにも分かってくる。船が隘路に入って身動きが取れなくなってしまい、二人は絶望し神に祈ったりしている。そのときカメラはそっと上昇し、すぐ先に湖への出口があることを観客にだけ知らせてくれるのだ。そしてスコールが訪れ、船は動き出し湖に出て行く。後の映画だったらそれは伏せといて、脱出の驚きの効果を優先するのではないか。でも監督は手の内を見せて、観客にゆっくりと見物させるほうを選ぶ。そのとき生まれるユーモアの味わい。あるいはラストのひっくり返っているクイーン号に静かに近づいてくる敵艦のカット、これも先に起こることを観客に知らせておいてゆっくり見物させる手法だ。そのカットの生み出すユーモアこそ、後のコセコセした時代の映画が失ったものだろう(晩年の監督作『女と男の名誉』では飛行機が飛んでるカットだけで笑わせた)。なんか第一次世界大戦の映画ってノドカでいいんだよな、もちろん殺し合いをしてたには違いないんだけど。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-16 10:09:19)

52.  アスファルト(1929) 夜の街。これセットなんだろうが、ふんだんに人を使ってる。カメラがぐるぐると対象を物色してる感じがいい。やがて歩道に沿って延々と流していき一人の女性に集中していく。ここらへんかなり興奮。宝石店。ヒゲの店員は客の美貌にトロッとなっているが、離れた支配人は横目で見ている。この構図よし。ま、その後いろいろあって、つまりは警官が女の誘惑に負けてゴタゴタに引きずり込まれ、殺人にまで至るという、この時代に多い話。なんなんだろう。犯罪都市ものと言うか、美女は悪人になり、警官は色香に迷う(教授とか、立派な制服的人間が迷っちゃうの)。精神分析の流行とか、無意識の発見とかが、影響を与えてるんでしょうか。家庭の外の闇には、こういう魔が潜んでいる、いう話がやたら多い。そして映画は夜の雰囲気を出すことを任されると、実にいいんだ。ここらへん、ドイツではすべてがうまく機能して「夜の犯罪都市もの」という一つの型を作れたようだ。[映画館(字幕)] 7点(2011-09-06 12:13:43)

53.  赤い薔薇ソースの伝説 《ネタバレ》 家庭料理は怖い、いう話。家に縛られた女の情念が凝り固まって料理となっていく。食べることのおぞましさの映画としては『最後の晩餐』などがあるが、これは調理のおぞましさ。大量の涙(塩)を流しつつ生まれた娘、ティタ。彼女の涙が一滴料理に入ると、食べたものがみな泣き出してしまうんだな。娘は、家の料理人であり子守であり家事一般を生涯にわたって受け持つよう母親によって運命づけられているの、それと交換されるのが彼女の料理なんだ。彼女が唯一キッチンにいながら社会に作用できるもの。ソースで興奮させて上の姉は革命党へ走っていく。そういった現実と伝説が混交しているような設定自体は、いかにも中南米的で面白い。憧れる男がそれほどのものに見えないとか、画調が暗すぎるとか、音楽がうるさいとか、後半ヒロインが狂って焦点が揺らぐとか、不満はあるけど。[映画館(字幕)] 7点(2011-09-01 09:42:40)

54.  安城家の舞踏会 《ネタバレ》 『暖流』のころからモダンな監督だったが、これはもう思いっきりバタ臭く作っている。原節子の背中からスタートして、タバコのわっかの煙から森雅之に移ったり、女中がズンとピアノの上に座り込むショックなんかも効いている。ラストのピストルが滑ってってビール瓶に当たるとこなんかも。きっと「やりすぎ」なんだろうが、その「やりすぎ」に、これからは日本映画はこういうタッチになっていくんだ、というような気負いが感じられ、それなりに時代の気分の記録として味わえる(ドラマとしては型通りで、その時代の中に今いるという切実感がもひとつ感じられなかった)。それぞれの思惑が進行していって、結果すべての人のもとに明るい朝日が差し込むの。神田隆だったか「あっしは働いて働いてかせいだんでがすよ」と言うあたりは、そうだねえ、と思った。[映画館(邦画)] 7点(2011-08-04 12:15:48)

55.  アメリカ 横顔の映画。体全部が真横を向いている(おもに左)。顔の半分が見えていないことによる膨らみと言うか、かえって内面への興味をそそられる。また視線の方向は分かるが、相手との距離感が分からない(見えてる目玉が一個なので)。そして原則として相手は同一画面に収まらない。だもんで人物間の距離感覚がひどく曖昧になってしまう。あのように真横だと永遠に平行線が引き伸ばされていく感じで、「相手」が漠然と霧散していくような取りとめのなさが満ちてくる。この原作はそもそも「本人がまったく望まないのに人間関係のごたごたを招き寄せてしまう喜劇」という一面がある。映画ではその他人たちが曖昧になっていくところに、この監督なりの解釈があるのだろう。エレベーターボーイのエピソードが一番面白かったか、だんだん抜き差しならなくなっていく感じ。警官もタクシーの運ちゃんもポスターもすべてドイツ語のアメリカ。ラストは延々と湖の脇を走る抜けていく車窓シーン、汽笛とともにクレジットタイトルが入ってくる。[映画館(字幕)] 7点(2011-05-14 09:43:38)(良:1票)

56.  青い凧 《ネタバレ》 凧というのは、中国人にとって自由の象徴なのだろうか、このころのチェン・カイコーの作品にも、よく使われてた。笑顔笑顔の結婚式で始まるが、ジワジワと嫌な感じが迫ってくる。行進や集会や。けっきょく何人か「右派」を作り上げねば「整風運動」に反したことになってしまう空気。トイレに立ったすきにやられてしまう怖さ(PTAの役員選挙でもそういうことがあるそうだが、怖さが違う)。どこかいじめの構造ともつながってますな。そして家族を覆い出す病い。眼疾、旦那の胃病、次もふらつき、三番目も心臓病。直接の危害の前に、病いとして敗北していく人々。その中でだんだん成長していく子ども。校長をつるし上げるので生き生きとなる少年が描かれる。ここらへん、もしかすると継父も母も裏切って「正しい紅衛兵」となっていく結末を夢想してしまった。中国映画の文革反省ものって、被害者の視点が多かったでしょ。あの鉦や太鼓鳴らして、生き生きとした自分を手に入れた連中の側の物語ってのも欲しかった。日本の戦後の反戦映画も、庶民はみな被害者づらして、あの当時ハチマキ締めて生き生きしてた部分が、主体として描かれることが少ない。その視点からの点検がないと、愚行は何度でも繰り返されるんじゃないかと思ってて、中国も同じだなあ、と感じてたもんで、ちょっと期待しちゃった。でもなかなか描けないんだよね、そういうカタストロフは。カタストロフじゃないと、受け取られてしまう心配があるからか。ま、文革反省ものの定番的な展開になったが、定番を確定するのも大事なことだ。三番目のお父さんなんか、いい役だった。冷たそうでいて、最後に思いやりを見せる。そのぶん母親のキャラクターは、いまいち明確さに欠けた。お正月、花火と提灯の中でかくれんぼするあたりのリリシズム。[映画館(字幕)] 7点(2011-02-04 10:26:14)

57.  青いパパイヤの香り 前半が素晴らしい。漂い続けるカメラは、家の霊というか地の霊の視点というか。したたるパパイヤの汁、したたるロウ。なんらの恨みがましさも叱責の声もない家。熟し終わった家庭の匂いが、画面に立ち込めている。静かに静かにしゃべる。悪い時代の前の静けさ、いやこのころだってインドシナはちっとも平穏じゃなかったはずで、でもそのなかで家の静けさを維持し続ける緊張のようなものが、空気を濃密にしている。フランスでセット組んで撮ったって言うんだけど、細部のアップもあり大変だったろう。まあ20世紀末のベトナムで撮っても、同じ苦労があったかもしれないが。前半に比べると後半は、少女の初恋が成就されるということで黙劇的な緊張はあるんだけど、話が狭くなった感じ。けっきょく、女は弱しされど女は強し、っていうような話に落ち着く。みな影のように生きている独特の感じ。[映画館(字幕)] 7点(2010-10-06 09:54:08)

58.  赫い髪の女 にっかつロマンポルノは70年代初めに青春の終わりを描くことから始まったが、ここに至ると、もう青春の終わりでなく、中年まっただ中。いいかげん落ち着かなくちゃいけない、って年頃も過ぎている。もうよそに働きに出ていく気にもなれないし、若いもんのようにカケオチなんかも出来ない。半分はそういう状況を受け入れてるんだけど、あとの半分でわだかまりを残している。やたら雨が降る。ガラス戸はずしちゃって室内にまで雨は流れ込んでくる。若いもんに赤髪女を貸してるときにも雨は降っている。狭い飲み屋のシーンなんか良かった。室内はひっくり返った電気ごたつの赤。若いもん同士は廃船で密会するのだが、この監督、船好きみたい。これまたうらぶれた風情を強めている。弱者を描くんだけど、そこからは強者への恨みも妬みも感じられない。革命の気配などトンとない。「わしらはわしらでやってんのや、ほっといてんか」ってことでしょうか。こういうニヒリズムに沈んでいく世界観が間違いなく70年代末のもので、60年代末の高揚から10年でここまで来てしまったという記念碑のようなフィルム。[映画館(邦画)] 7点(2010-08-31 09:51:50)

59.  哀戀花火 ちょっとの火も危険と靴を履き替えさせられる花火工場、なるほど、ここぐらいメロドラマの舞台にふさわしいスリリングなところはあるまい。女主人は視線をそらして絵描きに話しかける。愛の火花が散っては危険だからだ。でも番頭との間には摩擦熱も生まれつつ、あぶないあぶない。恋愛映画はスリリングなのである。恋の発生の危険が現実の発火の危険と重ねられる舞台設定が秀逸。しばしばメロドラマが戦争を舞台にするのも、危険が満ちているからだろう。でも無粋な爆弾工場より花火工場のほうがロマンチックである。ちょっと役者(とりわけ男のほう)が物足りなかったか。黄河の両岸からの花火合戦よりも、そのあとの煙のたゆたいが美しかった。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-30 11:57:25)

60.  ある映画監督の生涯 溝口健二の記録 神話化の裏にある俗物的な部分がちろちろ見えるのが興味深かった。官尊民卑的なところがあった、との川口松太郎発言は、単純に「底辺からの視点」って誉め言葉でくくって済ましてしまう評価をえぐる(19世紀生まれの人の限界ということか)。中国へ行くときは将官待遇でなきゃやだ、とゴネたとか。あるいはヴェネチア映画祭のホテルで香を焚いて入賞を祈ってた、なんてのも面白い。なんとなく泰然とした印象を醸してた裏に、そういう人間味もあった。もちろんそういう人間だからこそ、あの美しくもネットリとした奥行きのある世界を構築できたのだろう。具体的なシーンについて発言しているときは、もっとオリジナル作品の映像を取り入れてほしいところだが、著作権とかで難しかったのか。ときにインタビューに誘導気味のところがあるような気がした。『雨月物語』の森の帰宅シーンの気合いの入り方を語る田中絹代のシーンは凄味があった。ぎりぎりのところで仕事をした人の貫禄と言うか。森さんがふっと煙草をくわえると、監督自らがライターを点したそうな。映画のそのシーンも美しいが、撮影現場のそのシーンも劣らず美しい。依田義賢が『雨月』『近松』はちょっとすましているところがある、と発言しているのには、なんとなく同感。[映画館(邦画)] 7点(2010-04-05 12:05:55)

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