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プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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61.  ガキ帝国 関西を舞台に中高生を描かせたら井筒和幸の右に出るものはおらん。たぶん監督自身の経験が反映されているのだろうと思うのだが、いちいちリアルなのだ。在日朝鮮人の存在は在日朝鮮人がいる風景が日常だから。喧嘩も日常。喧嘩の仕方も虚勢のはりかたもゲーム喫茶も商店街もものすごくリアル。そんな世界から暴力の行き着く先、ヤクザの世界がクサイ虚構性をもって描かれはじめると途端にガキたちは非リアルなかっこよさを身に着ける。こうなってくると後半はどこかチープ。同じチープでもそのチープさが前半は魅力でもあったのだが。とくにラストあたりには人が死にすぎてついていけない。ドラマチックすぎて面白さが激減している。井筒監督の本領は前半の大阪ヤンキーの日常にこそある。[ビデオ(邦画)] 6点(2007-02-26 17:57:11)

62.  帰ってきたドラキュラ 《ネタバレ》 大司教の娘を襲うドラキュラに無神論者のボーイフレンドが挑む。ドラキュラが十字架を苦手とするのは十字架が正義の象徴であるから。つまりキリスト教が正義であるという世界観が大前提となっている。この作品はドラキュラと戦う相手を無神論者とすることでより鮮明にそのことを打ち出す。さらにドラキュラを抹殺するためには杭を打ちつけるときにキリスト教の祈りをささげなければならないという、とってつけた約束事を加えることで無神論者の勤勉で勇敢な若者を強制的にキリスト教信者へと導くのである。なんだかなぁ。娘を想う気持ちが悪を打ち負かす、、これでいいのに。あと、セットがチープ。それにドラキュラはいつも下僕を使うので本人はあまり活躍しない。登場したと想ったら誰かが来てハッとして逃げる。この「ハッ!」とするときの顔が小心者のように思いっきり「ハッ!」としてて笑える。ようするにこのドラキュラは人間味に溢れすぎててあんまり怖くない。むしろ可愛い。クリストファー・リーのドラキュラを楽しむ、という意味ではいいかもしれない。[DVD(字幕)] 4点(2007-01-26 17:38:28)(良:1票)

63.  カジノ スコセッシはこのあたりから大作志向へと転じたのだろうか。同じくデ・ニーロ、ペシのコンビで見せた『レイジング・ブル』『グッドフェローズ』と比べてもかなり演出が大味になっているような気がする。シャロン・ストーンはなかなかのはまり役のうえ、デ・ニーロ、ペシが彼女をうまく引き立てていたと思う。ただ三者の人物像にしたってやっぱり大味演出で繊細さに欠ける。この後、スコセッシの映画はどんどんストーリーが壮大になってゆく。それと同時に一瞬の画の煌きが失われてゆく。[ビデオ(字幕)] 5点(2007-01-11 12:23:19)

64.  ガントレット そこまで撃つ必要があるのか?この映画にとって物語とは、ただ車が蜂の巣にされるために、家が家でなくなるくらいに銃弾を浴びるために、傷つきながらもゆっくりと前進するバスを見せるために存在する。だから撃つ必要があるのだ。必要があるというよりそれが前提なのだ。だからなぜ狙われるのかとかどうしてそこまでとか、そんなことはどうでもよくて、ただ銃撃の凄まじさを見て、個を軽んじられた男が奮起する姿を見て女といっしょにしびれればそれでいいのだ。おっぱいはオマケなのだ。でもオマケも捨て難いのだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2006-12-15 15:23:38)(笑:1票) (良:1票)

65.  風が吹くまま 《ネタバレ》 白い壁の村、山なのか道なのか、屋根なのか道なのか、地形を利用した集落は自然との共存の象徴のような気がする。そこへ訪れる文明人。自動車はオーバーヒート。携帯電話は繋がらない。訪れた理由は風変わりな伝統を持つという葬式の撮影。しかし死ぬはずのおばあさんがいつまで待っても死なない。そもそも「死ぬはず」と考えること自体が摂理に反する。「死」はいつ来るというものではなく、いつのまにかやってくるもの。「生」もまたいつのまにかやってくる。隣家の奥さんがいつのまにやら赤ちゃんを産んで次の日から働いている。「生」も「死」も風の吹くまま訪れる。撮影打ち切りの報を聞き、拘束から開放された主人公がようやく「生」を愛しみ「死」を慈しむ。その穏やかな感情こそが風の吹くままに訪れる「生」と「死」を受け入れるということ。医者のバイクに乗せてもらい美しい地球を疾走する姿、このシーンに生きる喜びが凝縮されている。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-01 16:33:08)

66.  風の輝く朝に 貧しさも戦時下の厳しさも日本兵の残忍さも、すべて三人の男女を輝かせるために存在するかのように三人ともが実にいい顔をしている。ただ三人の中でチョウ・ユンファだけ、やたらとかっこ良すぎ。全然うろたえないし、焦らないし、強いし、頭良いし、二枚目だし。スクリーンではなくテレビ画面だったせいか、画面が暗くて見づらかったのも残念。[ビデオ(字幕)] 5点(2006-11-30 11:26:48)

67.  風と共に散る メロドラマの巨匠、ダグラス・サークの映画はどんな有名俳優が登場しようと俳優の映画ではなくダグラス・サークの映画になる。物語はありがちなメロドラマだけど、風に揺れるカーテンや螺旋階段や車が効果的に感情表現に一役買った演出は巧いし、石油会社の息子の奔放な行動のひとつひとつに破滅を予感させるなにげない伏線も巧いけど、それ以上に画面全体に独特の色を持っているのが実に惹かれる映画なのです。洗練された、という表現はちょっと違う、かといって古臭いというのでもない、どちらにも当てはまりそうでいて少しずれてる感じ。うまく表現できないけど、あぁ、サークの映画を観ているんだぁという感慨にふける、その体験に感動。[映画館(字幕)] 8点(2006-11-28 13:21:47)

68.  風と共に去りぬ 土地さえ持っていれば大丈夫というアメリカ開拓時代から脈々と受け継がれてきた神話を刷り込まれ女の悲劇、同時にその根拠のあいまいな神話をかたくなに信じる強さ(信じるものは救われるじゃないけど)ゆえにどんな波乱をも乗り越えてゆけた女の人生賛歌。という見方をしました。波乱に富んだ物語を完結させることなく、この「強さ」を再アピールして終わらせるというとんでもないエンディングに呆気にとられました。あまりにも明確にキャラ分けされた登場人物たちというのがいかにもハリウッドなのですが、「これがハリウッドの映画だ!」という堂々ぶり、とくに医者を単身探し歩くスカーレットをカメラが徐々に引いていったときに映し出される惨状の画の圧倒感、火薬庫に火がまわるときの迫力、ともに「真似できるものならやってみろ!」というハリウッドの威厳みたいなものを感じ、ただただ感心。映画は監督のものではなく製作者のものという映画が芸術であることを拒絶したような図式を確固たるものにしてしまった感もあるが、それでも制作意欲が尋常でないことはじゅうぶん想像でき、大衆娯楽の王様的な輝きを持ったこの作品には敬意を表する。 (追記)スカーレットの人格に対してもそれほど嫌悪感は無かった。強がってわざと他の男と遊ぶ様とか酔っ払って香水で口をゆすぐ様とか可愛かった。こうゆうシーンをちょっと大げさにユーモアを込めて描写するあたりが良い意味で抜けめ無いハリウッド映画だと思いました。[映画館(字幕)] 7点(2006-11-27 12:45:14)(良:1票)

69.  帰って来たヨッパライ 当時はかなりデリケートに扱うべきだっただろう題材をコメディにしちゃう神経というかなにかしら物議を起こさせようとする反骨精神というか、いかにも大島渚だなぁという感じ。物語がオープニングに回帰し繰り返される構成は今でこそいくつかの映画に見られるが、それでもこの作品のソレは色あせない斬新さを持っている。戦争逃れの密航者の佐藤慶が「今服を捨てましたね」「拾ってきてください」と妙に丁寧な言い回しで淡々と命令する口調がなぜだかツボにはまってしまった。祖国を捨てても祖国を愛する朝鮮人。名前を捨てても朝鮮人であることに誇りを持つ朝鮮人。一方、朝鮮人に無理やりならされ、流れのままに朝鮮人として右往左往する日本人。街頭インタビューでもしなきゃ判らない同じ顔を持つ両者の極端なまでの思想の違いに何を思うかは自由。でも何か思うはず。[DVD(邦画)] 6点(2006-09-06 15:04:29)

70.  風花(2000) 《ネタバレ》 物語がとんでもない方向へ飛んでゆくことを期待しながら見ていても、いつまでたっても淡々と進んでゆく。それでも変な二人の、かたくなに寄り添わない二人のロードムービーに次第に引き込まれてゆく。「風花」とは山肌の雪が風にさらわれ花びらのようにひらひらと舞う雪のことなんだそうです。小泉演じる風俗嬢も浅野演じるエリート官僚も昔は持っていただろう「目的」を失いまるで風花のようにフラフラと人生を消化してゆく。その行き着く先に「死」を見つめる。しかし風花が溶けるということは「死」を意味すると同時に春を招く、つまり「再生」を意味する。まさに二人のロードムービーは「再生」への旅。顔を上げる時期は必ず訪れるのだ。春を告げるカエルがぴょんと跳ねるエンディングが清清しい気分にさせてくれます。[DVD(邦画)] 7点(2006-08-25 18:24:02)(良:1票)

71.  歓楽通り 男が女に対して尽くしまくる無償の愛を幻想的に描く。たしかに現実的ではなく、感情移入など出来るはずもない設定ですが、映画は現実的でなければならないものではなく、むしろこの映画は非現実的で大げさな設定を用意することでその中から男女の淡い恋心を紡ぎだそうとする。もともと娼婦たちの思い出話として始まるこの物語は皆がかわいがった男の愛を究極に美化したものだと捉えることが出来る。だからどこか切なく、そして美しい。思い出話にしては本人たちにしか知るよしのないストーリーも大いに展開されますが、これも想像の産物と捉えれば幻想的な映像美とともに納得。娼館が廃止され路上で客引きをする娼婦たちの良き時代を懐かしむ美しい思い出話として。[DVD(字幕)] 6点(2006-07-18 19:17:06)

72.  カミュなんて知らない 『黒い罠』のトップシーンが3分、『ションベンライダー』が6分半、『ザ・プレイヤー』が8分だけど実は2カットをうまく編集してる、あるいは『元禄忠臣蔵』のカット数の少なさなんかを学生たちに語らせながら主要登場人物が次から次へと映し出される本作のトップシーンの長回しが面白い。喫茶店に入れば、ゴダールの『男性・女性』のカフェでの長回しが語られ、「殺人の名場面映画」として『サイコ』や『サムライ』のタイトルが語られ、挙句の果てに大学教授のあだ名が「アッシェンバッハ」だったり妄信的に彼氏を愛する女は「アデル」と呼ばれたりと、映画ファンにはたまらない引用やオマージュに溢れている。しかも映画ファンを喜ばすだけに終わらず、いや、どちらかというと映画ファンを困惑させるように現代社会が「映画」に馴染めない環境であることを露呈させてゆく。「アッシェンバッハ」は美を眺めながらの死を許されずに美が妄想であることを思い知らされ、「アデル」も夢に生きることなく現実に戻ってくる。莫大な映画知識は「オタク」と笑われる。若者特有の「軽さ」、そして現代社会と映画との冷めた関係が描かれる。その中で町を走り抜ける学生たちを上空から捉えたシーンなんかパリを疾走するトリュフォーの画を彷彿させ「若さ」の瑞々しいところが描かれ、映画を通して次第に熱くなってゆく学生たちの描写は、けして「冷め切った」関係ではないことを見せてくれる。いいかげんな自由恋愛が横行するかと思えば、そのことを悔い、涙する女が映される。若者に対する凝り固まった概念を解凍しながらとらえどころのないリアルさを持った青春映画に仕上がっている。ラストの「映画」と「現実」の曖昧な境界線で見せる切りかえしはなかなか圧倒されるものがあった。中盤の中だるみがおしい。[映画館(邦画)] 6点(2006-05-15 17:56:15)(良:1票)

73.  カンタベリー物語(1972) 文学の世界から映画の世界へ転身してきたパゾリーニは、昨今のストーリーをなぞるだけの「原作の映画化」とは異なり、どの時代の原作においても潜む現代に通ずる普遍的なテーマをあぶり出し、独特の感性において映像化する。この作品は、人間の「欲」の醜さをこれでもかと見せつけた、いかにもパゾリーニな映画にもかかわらず、けしてネガティブな印象を持たせない。それどころか、どす黒い人間の暗部を楽しく拝見できるという凄い作品なのである。「パロディ」の真骨頂!です。パゾリーニ作品の常連、ニネット・ダヴォリがチャップリンの風貌で登場するエピソードはチャップリンの風貌でなければ、とんでもなく後味の悪い悲劇になりかねない。敬愛するチャップリンの最善のパロディと言える。すべてのエピソードがわかりやすいストーリーなのでパゾリーニが苦手な方にも受け入れやすいのでは。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-01-20 13:49:50)

74.  回路 ジャパニーズホラーといえばやっぱり「幽霊」。しかも幽霊なのか違うのか、やきもきさせる展開ではなく、バーンと「幽霊」できた!そして世界の終末に繋げるのが黒沢流。終末へ向かうホラーとして、らくだのシアンツさんも『リング』に触れられていますが、なんてったってインターネットで広がっていくぶん終末へ向かうスピードが違う。だからより終末感が漂う。そして恐怖の対象が「幽霊」ではなく「孤独」というのが新しい。幽霊が直接、あるいは怨念とやらで人を攻撃するのではなく、幽霊の存在が人の漠然と抱く「死」に対する概念の崩壊を招く。孤独からの解放が永遠に訪れないことを目の当たりにした人々が次々と自ら死んでゆく。黒沢清のホラーにはビックリが無いので安心して画面に集中できるし、集中させる力がある。中盤の加藤と小雪の恋愛がらみのエピソードが助長ぎみに感じたけど、それを補って余りある画の迫力にじゅうぶん満足させていただきました。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-12-15 16:16:47)(良:1票)

75.  カリスマ 森の中で「カリスマ」と称される木をめぐって人々が争う。その主張はわかりやすく3つにわかれるがその部分だけ見れば「共生」がテーマとなるのだが、ストーリー上の本当のテーマは冒頭で語られる「世界の法則を回復せよ」と「カリスマ」をめぐる争いがどう関係してくるのかを紐解いていけば浮かび上がってくる。「規則」ではなく「法則」ということは、人間が人間の都合で生み出した様々な法や規則、あるいは理性や概念というものが様々な歪みや弊害を生み出した今、この世界を自然の摂理にもどせ、ということ。その結果世界が終わることをも許容する「カリスマ」の存在をこの作品は描いてゆく。「カリスマ」が木から役所宏司へと受け継がれる展開は『CURE』の伝道師の役目を萩原から役所へと渡された展開に似ている。しかし終末を許容する存在を明確にすることで『CURE』では描かれなかった終末がとうとう描かれてしまう。恐るべき終末映画。とは言うものの私がこの映画に惹かれたのはストーリーと画と演出がバラバラなところだったりする。ストーリーとは裏腹に気を失った役所を引きずる画といい、療養所の未亡人の存在といい、いや、佇まいや歩く姿まで、さらには家や森までホラー色全開で見せる。かと思えば木(カリスマ)が燃やされた後のカリスマでもなんでもない木をめぐる人間の描写はコメディそのもの。この綿密に計算されたかのようなバラバラ具合にたまらなく惹きつけられるのである。 まるでこれまで培われてきた映画の規則に対する「映画の法則を回復せよ」という黒沢清の声が聞こえるようで。[DVD(字幕)] 7点(2005-12-14 14:19:25)(良:1票)

76.  勝手にしやがれ!! 強奪計画 ハードボイルド喜劇とでも言おうか、男っぽさをコメディの中で見せるこの手のジャンルは一時期流行ました。かっこ良くキメても欧米人のようにはキメられず、その照れ隠しに喜劇がピッタリはまる、といういかにも日本向けジャンルで、既に日本においては古典ジャンルといってもよい。その代表が「傷天」であり、その後の「あぶ刑事」であるのでしょうが、これらの特徴として必要不可欠なのが主役のキャラの面白さだと思うのですが、ぐるぐるさんも書いておられますように、今作の主演二人のキャラはけして濃くはない。むしろ薄い。哀川翔のこれまでVシネで培ってきたキャラの濃さを考えれば、あえてそうしているとしか考えられない。つまりはキャラで勝負しない。ストーリーだってベタベタである。つまりストーリーでも勝負しない。ただ、自転車で疾走する二人を見てくれと。そのときの生き生きとした背景を見てくれと。ブツを絶妙!にキャッチし損ねる瞬間を見てくれと。二度目のブツと人質の交換シーンのバカバカしさと緊迫感が同時に襲ってくる感覚を味わってくれと、、、そういうことなんじゃないだろうか。私的には、笑いがもう少しツボをついてくれたら言うことなかったんですが。[ビデオ(字幕)] 6点(2005-12-12 15:46:32)

77.  仮面の男(1998/ランドール・ウォレス監督) 源義経の死の謎とかダ・ヴィンチの絵の謎とか写楽の正体の謎とかツタンカーメンにまつわる謎とか、、歴史上の人物のまだ明かされない謎をフィクションで綴ったものって昔から大好きなんです。だからこの作品も題材だけは興味をそそるものでしたが、いかんせんフィリップの哀しみも伝わらなければルイの横暴さも演出で表現したものが無く、戦いは迫力が無く銃士たちの結束は役者の演技だけが頼り、さらには背景は偽物の臭いプンプンというなんともお粗末な作品でした。「仮面の男=フィリップ」という物語の中にあってメインに描かれたのが、忠誠心によって自分自身を偽った(見えない仮面を被った)男、ダルタニアンの物語というのは良かった。音楽を聴くと私もパーフェクトな氷の舞いを披露したヤグディンを思い出す。というより、「愛しのヤグディンさま~~」と悶絶する嫁さんを思い出す。[DVD(字幕)] 4点(2005-11-15 13:01:52)

78.  川の流れに草は青々 オープニング、物語が始まる前に、子供達が電車と競争しているシーンを見た瞬間、この監督が才能有る作家であり私好みの作家であることが確定。いつになったら学校につくんだ?ってくらい自由気ままな子供達のなにげない行いが映し出され、物語が始まっても物語とは関係のない行動ゆえに省かれがちな子供達の日常が常に背景と同化し、そのことによって物語に深みというか味わいが生まれ、同時に少年時代を懐かしむような心地の良いノスタルジーに浸れる。ただ、所々で先生と子供達が戯れたり、大人同志の楽しんでる様をセリフを消して音楽とともにパパッと見せるシーンがあるんですが、どうにもわざとらしい演技なんですよね。例えば、こんなシーンはないのですが、コイツ~っておでこをつついてエヘってするような気恥ずかしさが溢れた感じの。バックに流れる独特の陽気な歌も影響していると思うのですが、ちょっとクサイです。でも、なんか癖になりそうなクサさでもあるんですけどね。その演出自体にノスタルジーがあって。[ビデオ(字幕)] 6点(2005-09-06 14:01:15)

79.  カイロの紫のバラ スクリーンから映画の登場人物が出てきての珍騒動というアイディアも、アレンの映画特有の自分の世界を持った人物描写も良かったが、やっぱり最後の「映画」に癒されるミア・ファローの表情につきます。映画の見方って人それぞれだし、どの部分をもって面白いと思うかも人それぞれ。でも最終的には、映画を見ている時間だけ笑ったり泣いたり怒ったりして現実を忘れて映画の世界にどっぷりと浸かれたらそれでいい。けして勇気を与えてくれなくたって、問題を解決してくれなくたって。私も彼女のように「映画」とのいい関係を築いていきたい。[DVD(字幕)] 7点(2005-06-17 16:25:54)

80.  ガルシアの首 男臭さに汗臭さがプラスされたなんとも暑苦しい作品。ラスト付近で、お金も手に入れたしもうその辺でやめとけば?と思っても全然やめてくれない。もう目的も何も無く、そこにあるのは男の意地だけ。こちらが、よし!もうとことん行け!と思うまで怒涛のご都合主義的展開で進んでゆく。天晴れである。ガルシアの家族と殺し屋との屋外銃撃戦、その後のホテルの一室での銃撃戦、そして親玉の屋敷での銃撃戦はやっぱり美しい。それだけにそこに行くまでがチト中だるみ感あり。[ビデオ(字幕)] 6点(2005-05-26 14:57:52)

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