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1.   舞台となる温泉宿の二階4部屋を縦構図で捉えた画面の深度が驚き。しかもそれが雑然とすることもなく各部屋の主要登場人物たちの所作をそれぞれ明瞭に映し出す。約1時間強の内に複数組の宿泊客を巧く絡ませ、其々のキャラクターを的確に描出してしまう手腕はまさに驚異。冒頭でのギャグ三段返しの巧さ。温泉宿屋内ショットの内にも戸外の景観を奥行きに取り入れ風通しの良さを常に感じさせる構図取りの妙。開放的な屋外撮影に映える少年の白シャツの眩しさと爽やかさ。一本橋や登り階段でのおおらかなサスペンス。説明字幕代わりに、少年の微笑ましい日記や女性の手紙をさりげなく活用する粋なセンス。どれもこれも素晴らしい。川原で田中絹代が泣く場面があるが、ここには涙や泣き顔といったそれらしき心理的演技がまるでない。それでいて小道具(洗濯物)と小川だけでもって切ない情感を醸してしまう不思議。これは何なのだろう。[DVD(邦画)] 10点(2008-08-19 22:49:41)

2.  神々のたそがれ 《ネタバレ》 雨に霧に炎、蒸気、煙、吊るされた身体。 流動的で不安定、不定形のものが常に画面に充満している。 初めはそのフェリーニ風の世界観と意匠に眼を奪われ、次いで画面に突然現出してくる あらゆる事物、人物、動物、現象の動きそのものに約3時間驚かされ続けてしまう。 カメラがどう動くのか、様々な動物たちがどう行動するのか、 画面手前や横からいきなりフレームインしてくる奇矯なる人物達が次の瞬間に何をしでかすか、 次のショット、次の瞬間の予測が全くつかないので眼が離せないまま、 何やらドラマは進行してしまっている。 雨と泥土とモブの中で、尚且つ動物とも共演しながらの俳優は想定通りの芝居など出来ない上に、 即興演技も相当に入っているであろう人物同士も常にぶつかり合い、どつき合っている状態だから そのリアクションは必然的に生々しくならざるを得ない、という寸法のようだ。 人間たちは雨や泥に塗れながら唾や反吐を吐き、汗や鼻水や鼻血を流し、放尿する。 身体の大半が水分から成ることを改めて実感させる、個体の生々しさも強烈だ。 この即物性もまた、紛れもない人間描写である。[映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 00:33:52)《改行有》

3.  香も高きケンタッキー 《ネタバレ》 背後から父親(ヘンリー・B・ウォルソール)の目隠しをする娘(ウィンストン・ミラー)。 手と手が触れ合い、静かな沈黙の時間が流れる。 その手の感触で、それが長く別れて暮らしていた娘であることを父は悟る。 別離と再会のドラマ自体もそうだが、触れ合う指先が喚起する情緒という細部の モチーフからしても、なるほどこれはスピルバーグ『戦火の馬』のルーツだ。 離れ離れとなっていたかつての主人であることに馬(フューチャー)が気づくのも、自分に触れる手の感触によってだ。 前足の蹄を鳴らして何とか気づいてもらおうとする彼女の身振りが何ともいじらしい。 牧場を、競馬場を、自動車で混み合う街路を、疾走する馬の猛々しく美しい躍動感が 望遠や縦移動によって余すところなく捉えられていているのは勿論、 再会した母馬と娘馬が躰を寄せ合って喜び合うショットでは、 その身体表現の素朴な豊かさによって、立派に主役を張っている。 発砲の瞬間、厩舎の影から流れ出る白煙。競馬場の歓声。殴り合いの喧嘩に、乱れ飛ぶ白い皿。 音を意識させる演出やユーモアの数々によって、映画は賑やかで楽しい。 タキシードを着たJ・ファレル・マクドナルドが茶目っ気一杯の仕草で記念写真に収まり、 騎手の息子と恋仲になった娘が仲睦まじくツーショットを決める大団円は幸せ一杯で 屈託が無く、実に気持ちいい。[映画館(字幕)] 9点(2015-06-03 01:10:43)《改行有》

4.  かぐや姫の物語 子の成長、四季の移ろい、里から都への暮らしの変貌。 その「移りゆき」をモチーフとするアニメーションの素晴らしさは、 かつて高畑勲監督が賞賛したあのフレデリック・バックの『木を植えた男』 からの継承を思わせる。 作中のワンシーンにある、樹々の再生の件などはまさにそれへの オマージュともいえる。 桜の樹の下で舞い踊る娘の喜び、野や山をひた走る娘の激情が迸るクロッキー風の タッチ。 生物の営みそれ自体への慈しみが滲んでいる柔らかなタッチ。 その伸びやかで、味わいのある筆致が創りだす画面の躍動は、 動画であって動画を超えている。 (エンディングのスタッフロールでは馴染みのない様々な作画の役職が並んで 興味深い。) 波やせせらぎの表現の斬新と大胆。木々の影が人物の衣類に落ちて、揺れ動く紋様を創りだす様。機織りや演奏などをはじめとする写実的なアクションと、快活に跳ね回り、飛翔する姫のファンタジックなアニメーションの絶妙なバランス。 題材とのマッチングゆえか、今回はその技巧もそれ自体が目的といった感が無く、 一枚一枚のスケッチの丹念な積み重ねがキャラクターに血を通わせている。 ヒロインを回り込むようなカメラの動き、彼女の寝返り、振り返りなどの動作は スケッチを立体的に浮かび上がらせるだけのものではない。 青い星を振り返る姫の涙が美しい。 [映画館(邦画)] 9点(2013-11-26 23:59:30)《改行有》

5.  怪人マブゼ博士(1933) ドイツ公開バージョン。 怪しげな工場内を移動していくファーストショットと、そこに響く重い振動音からして尋常でない緊張感が画面を充たしている。 その序盤シーンをはじめ、窓やドアといった装置がその開閉だけでもサスペンス演出としてバラエティ豊かに機能しており、米独通じての空間・装置活用の傑出ぶりを見せ付ける。 多重露光によって浮かび上がるマブゼ博士(ルドルフ・クライン=ロッゲ)の禍々しい幻影と、その憑依表現の見事さ。 全篇にわたって画面に退廃的ムードを漂わせる煙草の紫煙。水流と火炎と投光機のライトによるスペクタクル。ヘッドライトに照らされる路面や木々の流れが素晴らしい、夜のカーチェイスのスピード感覚と、屋内・屋外含めて画面の装飾は凝りに凝っている。 「閉じたドア・カーテン」が仄めかす背後空間と、実体なき音声による煽動、そして暗く見通しの悪い夜の一本道を猛進する縦構図の疾走アクションに、時代の空気を読みたくもなる。 [DVD(字幕)] 9点(2011-08-21 14:42:07)《改行有》

6.  カトリーヌ ジャン・ルノワールとアルベール・デュードネの共同監督名義という、曰くつきの作品。様々なバージョンがあり、両者の関与の程度についても様々に議論があってややこしいが、ルノワール作品らしい瑞々しいショットに満ちている。同時に、随所に見出されるグリフィスへの傾倒も非常に感慨深い。放浪する「孤児」であり、「小間使い」である少女の薄幸のイメージ。照明とフォーカス効果、クロースアップを最大限に活かして、主役カトリーヌ・エスランの容貌を美しく印象付ける配慮。群衆が乱舞するニースのカーニヴァルのスペクタクル性と、屋内・屋外のダンスを「円」で繋ぐカットバック。さりげなく物語に機能する「椅子」。そしてラストのクロス・カッティングを駆使した「列車と自動車」による怒涛の一大救出劇。あまりに率直で直截なオマージュからは、初作品を通しての映画への思いが伝わるようだ。特に迫力に溢れたクライマックスの路面電車の暴走は圧巻である。後の『獣人』で鮮烈な印象を残す列車疾走の先駆けともいうべき圧倒的な画力に圧倒される。車両を背後から捉えるカメラは振動でぶれ、木立は流線となって後景を飛び去っていく。位置関係の整合性、スピードの一貫性を無視した荒々しい編集が却って無方向的なエネルギッシュさを発散させて『イントレランス』にも引けをとらない感動を生んでいる。[DVD(字幕)] 9点(2009-08-11 20:58:40)

7.  限りなき舗道 ウエイトレス仲間である主人公の親友(香取千代子)は表情豊か。茶目っ気に満ちた身振りで枕やリンゴを放り投げ、拾った空っぽの財布を投げ捨て、部屋の中で軽やかに飛び跳ねる活発なアクションを担う。対照的な主人公(忍節子)は清楚で奥ゆかしく動作は控えめ。うつむく、振り向く、首をかしげる、とアクションは小さく慎ましい。自動車事故でベッドに横になった彼女はさらに身動きを制約されてしまうという具合だが、その中で健気に首を起こし親友たちの見舞いに応える小さな所作こそ優れて情感的なアクションとして際立つ。同時に、これらの小さな屈曲を主体とした半円的な身体運動の数々は、終盤の決意の場面で唯一用いられる彼女の自立的な表情への直線的なトラックアップの強度を一層引き立ててもいる。 ●この作品では成瀬映画おなじみのモチーフともいえる交通事故が二度も登場。後期の『ひき逃げ』以上に直截的な描写であるのが興味深い。 ●同じく特徴的である、スムーズな場面転換術も随所で効果を発揮。(デザートグラスからウイスキーグラスへ、手鏡から鏡台へ、花瓶の花から観葉植物へといったドラマ的な対象物同士によるつなぎの妙。ドアの多用。結婚後すぐの場面に登場する鳥かごのさりげない暗示性など。)[CS・衛星(邦画)] 9点(2009-07-18 22:33:31)《改行有》

8.  過去を逃れて 特に夜間場面におけるモノクローム撮影術の見事さは、『キャット・ピープル』のジャック・ターナー&ニコラス・ムスルカのコンビならではのもの。人物のシルエット、シェードランプやカーテンの揺れが十分に使いこなされ官能的ムードに満ちた屋内撮影はノワール様式の充実ぶりを示す。一方で、黒塗り車の光沢が醸しだす夜の街路の妖しさやアカプルコ~タホ湖近辺の自然景観など、屋外ロケの充実も作品世界をより豊かにしている。ロバート・ミッチャムの一貫して動じない物腰とポーカーフェイスの魅力、ジェーン・グリアのミステリアスな美貌。さらに不敵なカーク・ダグラスも絡んだ駆引きのサスペンスと展開の圧倒的スピード感によって、最後までドラマの緊張が途切れない。さらに注目すべきは、夜の山小屋でのスピーディな殴り合いの迫力。作中ほぼ唯一の身体アクションの場面だが、これほどのスピード感に満ちた拳闘アクションはなかなか見られない。[DVD(字幕)] 9点(2009-04-11 23:00:08)

9.  帰ってきたヒトラー 《ネタバレ》 タイムスリップしたらしいヒトラー(オリヴァ―・マスッチ)が軍服で街中をふらつくゲリラ撮影的シーンで通行人たちが様々な反応を示す。 それがどこまで仕込まれたものなのか、完全なアドリブなのか当初は判然とせず、フィクションとドキュメンタリー的画面が せめぎ合う中、現在の人々が彼との対話の中で示すリアクションに強く興味を惹かれていく。 白眉はNPD本部に突撃しての党首との対論だろうか。 御本人なのか俳優なのか、畳みかけるオリヴァ―・マスッチの饒舌とその迫力に強張る党首氏と取り巻きの表情に、こちらも息を呑む。 ふと『ゆきゆきて、神軍』を思い起こすシーンでもあるが、そうしたリスキーな対話シーンが度々登場してくるのが面白くもありスリリングでもある。 そこだけとっても、監督や主演俳優の果敢さは大いに評価されていい。 そのフィクションとドキュメンタリーを転倒してみせるラストも唸らせる。[映画館(字幕)] 8点(2016-06-26 22:15:06)《改行有》

10.  ガールズ&パンツァー 劇場版 《ネタバレ》 キャラクターの絵柄も、声優の声音もまるで苦手。だが活劇として文句なく面白い。 誰が誰やらという感じの女性軍団が延々と賑やかなトークを繰り広げるが、それらは常にアクションを伴うから心地よい。 それはメカニックの擬人化ともなる。そして迷いのない決断と行動が一貫していて清々しい。 これはホークス的と云ってよいかもしれない。 ラスト近く、二台対三台となり科白がほとんど省かれてからの近接戦闘とぶつかり合いの素晴らしさ。 舞台装置や大道具を存分に駆使しふんだんに投入された戦術のアイデア。 斜面やコーナーでの遠心力や重力を活かしたアクションの物理性。重量と戦速の感覚。 映画ならではの市街破壊のカタルシス。 その過剰とも言えるサービス精神と、今のご時世でミリタリー趣味と街おこしの相性のデリケートさを踏まえた上で尚 ひたすら活劇性に徹してみせる作り手の心意気が感動させる。 全編通してカット数も多い分、大洗町内の背景画の数も膨大である。ランドマークだけでなく其処此処の路地までロケハンが尽くされているのがわかる。 単に街並みを絵で忠実に再現するだけならどうということもない。そのロケーション(地形・建築)をアクションにどう活かすか、がポイントなのだとよく心得られている。 「A級」気取りの作品が入れたがる冗長な後日談を一切カットした、この潔いB的感覚も嬉しい。[映画館(邦画)] 8点(2015-11-26 23:55:55)《改行有》

11.  風の歌が聴きたい 《ネタバレ》 大沼公園をデートする長廻しシーンをはじめ、中江有里と雨宮良の二人は手話を完全に自分のものとし、 モデルその人になりきるようにナチュラルにコミュニケーションをとっている。 その他の出演者達も手話の身振りを器用にこなしており、そうした俳優の努力だけとっても感心させる。 が、そのようなテクニック以上に彼女の身振りと表情の豊かな表現力に感動させられる。 一般的に健常者がやれば過剰と見做されるその身体表現には、相手に心を伝えようとする切実な意志の力が漲っている。 サイレント映画の俳優が全身で喜びや悲しみを表すあの表現力。まだ喋れない幼子のあの表現力を思わずにいられない。 髪型も幾度か変え、学生時代から出産までを演じる中江はその容貌だけでなく、雨宮との交際の中で変化していく感情を 演じきって、魅力的だ。[DVD(邦画)] 8点(2015-10-27 17:18:04)《改行有》

12.  風立ちぬ(2013) キネマ旬報の何某は、この喫煙シーンを狭量な「挑発」だという。 勿論、『紅の豚』でも煙草のポイ捨てシーンをあえて描いているのだから 一種の挑発的な意図もあるのだろうが、 宮崎駿の細やかな絵コンテ指示を見てもわかる通り、単なる挑発だけで多大な経費や手間を要する作画・エフェクトの指示はすまい。 それこそ、何よりも風を生起させる行為として紫煙は表現されている。 震災の黒煙、工場の煙突からの排煙、汽車の蒸気、雪の朝の白い息、バスのあげる土煙、 家から登る白煙。それらと同様、二次元の画面に豊かな空間の深みと流動態を与え 画面を息づかせる描画演出のひとつに他ならない。 絵を常に何らかの形で動かすことへの徹底したこだわり。 眼に見えない大気をも可視化させアニメーション化することで世界に生気を与えること。 そこにアニメーション作家の矜持を見る。 その挑発ならぬ挑発に簡単に引っ掛かってしまう学会こそ滑稽だ。 嫁入りの夜、襖が静かに開き、美しい奈穂子の正面のカットとなる。 そこに風花がさっと舞う。その柔らかな大気の流れがシーンの美しさを引き立てる。 『ひこうき雲』の流れる映画のエンディング。 静止画となる人間不在の情景カットにあるのは、全てを語りきったという思いか。 [映画館(邦画)] 8点(2014-02-16 04:31:13)《改行有》

13.  ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 《ネタバレ》 赤道付近の密林から、京都駅構内、そして生命体内奥へと舞台を狭めていくように、 物語においても画面においても、拡がりよりも深さと垂直性が志向されている。 人間が怪獣を見上げる視点。その仰角もシリーズ中で最も大きく、 ほとんど真上を見るようなショットの多用によってスケール感が出されている。 渋谷のシークエンスでの、デフォルメ造型されたガメラの巨大な足が キャメラの眼前に迫るショットのパースなどは絶品だ 。 ミニチュアセットでは貧相になりかねない「火炎」の合成への 果敢な挑戦と成功にも拍手したい。 炎や破片、逆巻く細かな雨滴のスペクタクルも圧倒的だ。 特撮映画は、記憶に残る物語など無くとも、 強烈に印象に残るショットさえあれば十分に勝ちと云って良い。 ラストの炎に包まれる京都の超ロングショットも、 まるで『関の彌太っぺ』のように感動的だ。 [映画館(邦画)] 8点(2012-11-05 22:13:03)《改行有》

14.  顔のないスパイ 本来なら星条旗の露出は、中盤の木々のざわめきや物干しにかかった衣類のはためき、情報屋のアジトである304号室の廊下の窓外で揺れる影などと共に何よりも具体の揺れとして画面に呼び込まれるべきはずだが、その頻出はメリハリを欠く上に何らかの象徴的な意味付けを感じさせて少々煩わしい。 逆に議員暗殺現場の路地の照り返しや、回想シーンの中で倒れている妻と娘に駆け寄るリチャード・ギアのロングショット、格闘シーンに入り込む割れた鏡など、所々に差し挟まれたさりげない部分の方が目を引く。 プラント内の監視室のシーン。リチャード・ギアより先に観客にトラップに気づかせてしまうようなモニター画面の映し方も小器用ではないし、主役二人の暗殺アクションの数々は短いカッティングが逆に俊敏性を欠いて物足りない一方、スティーヴン・モイヤーが乾電池二つを呑みこむ1ショットの異様が突出してしまう辺りの不均衡もこの映画の歪な魅力でもある。 尤も、小器用な映画などに面白味はない。 [映画館(字幕)] 8点(2012-03-11 23:59:55)《改行有》

15.  海炭市叙景 小林薫、加瀬亮ですら、登場当初はそれと判別できない。南果歩に至っては最後まで気づかなかった。それほど、彼らの風貌は地方都市生活に馴染んだ趣をみせる。 現地の素人キャストらが演じる脇役たちの佇まいも、生活実感に基づいたロケーションや照度を落とした映像と相俟って見事な存在感を放つ。 夜半から夜明けにかけての函館山からの望遠や路面電車の風情など、当地映画としての魅力も強かに保持しながら、北海道ロケ作品にありがちな美景ショットや、安易に心象を仮託するような情景ショットに陥っていないのは、まずもって生活地としての風土の叙景に徹している故だろう。 その上で、小林薫の一家が見上げる美しい夜空や竹原・谷村の兄妹が手を繋いで渡る踏切と坂道、あるいは白く煙る半島を三浦誠己がフェリーの甲板から見つめているショットが深い情感を呼び込む。 兄妹の繋ぐ手、猫を撫でる老婆の手、酔漢を制する手など、冬の映画の中で手のアクションがささやかな温もりを伝えている。[映画館(邦画)] 8点(2011-01-29 15:50:02)《改行有》

16.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 さらにシンプルさの美徳を極める宮崎脚本。百戦錬磨のストーリーテラーにとって、一般受けしそうな物語的起伏や善意の公式テーマ的なものをそれらしく放り込んで安い感動を作リ出すことなど容易いはずだろうが、それらは結果として作り手の最も見せたいものを見えなくするだろう。 例えば、テントウムシやアリ達の足の動きが表現する生命感であり、蔦の葉の揺れ具合が表す大気の感覚である。針子仕事や洗濯物干しといった労働の所作の体感。上下軸を活かしたアクションの爽快感。少年からもらった大事な角砂糖を両手で受け取り右足でバランスを取りながら大切にバッグにしまう細やかな動作が伝える少女の感情。 それらの瞠目すべき動画再現力、つまりはアニメーションの本質的な醍醐味が、作劇の賢明なシンプルさによって引き立っている。 音の感覚についても同様だ。 スタジオロゴに風鈴の音が重なり、「あの夏の一週間」を回顧する少年のモノローグで映画はスタートする。風と音の記憶に導かれた少年の回想としての物語であり、それは二人が出会う時、風と音を介していたことに拠っている。 孤独な者同士が始めて見詰め合う官能的な場面の息詰まる感覚の素晴らしさ。頬を赤らめる少女と、穏やかな息づかいの少年。それぞれが纏うシーツとティッシュペーパーの衣擦れの音。「見られてはならない」禁忌ゆえに、少女の内奥に芽生えたかもしれない裏返しの願望。彼女はラスト、自分を見てくれた相手に真っ直ぐに視線を返してあげる。 宮崎脚本が本作でも一貫したモチーフとして描くのは、存在そのものの孤独であり、関係性への憧憬であり、そしてそれへの共鳴と開放である。(少年がベッドで読むバーネットの童話もそれを示唆する。) [映画館(邦画)] 8点(2010-09-13 23:11:29)《改行有》

17.  カフェ・ソサエティ 《ネタバレ》 撮影がヴィットリオ・ストラーロ。 停電した部屋の中で、蝋燭の灯りに照らされるクリステン・スチュアートとジェシー・アイゼンバーグのツーショットなど真骨頂である。 伯父を選ぶ彼女の表情と台詞から一転、マンハッタンブリッジの夕景へとディゾルブされる場面転換の鮮やかさ。 それが橋のショットであるのは、単なるランドマークの提示以上の意味があるだろう。 同じく、それぞれの場所でふともの思いにふける元恋人たちを緩やかに溶け合わせるラストのオーヴァーラップの情感も素晴らしい。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2017-05-08 12:23:53)《改行有》

18.  神様メール 《ネタバレ》 カトリック教会での炊き出しシーンをはじめとする風刺の数々に笑い、突飛な発想にただ唖然とし、左手のダンスに魅入る。 鳥と会話を交わす、水面を歩む、人々の内なる音楽を聴くなどの、少女がみせる奇跡のささやかさがいい。 母親のつくり出したカラフルな空模様自体にはさして感動するものではないが、 劇中ほとんど笑みを見せなかった少女がその空を見上げて笑う、その笑顔のショットが何より素晴らしいと思う。[映画館(字幕)] 7点(2016-06-04 23:54:58)《改行有》

19.  ガンファイターの最後 《ネタバレ》 撃つ者と撃たれる者が縦構図の中におさまり、 撃つ瞬間と撃たれる瞬間、双方のアクションが 同一画面の中に展開する。 ガンアクションの醍醐味溢れる秀逸なショットに痺れる。 落下スタントを織り交ぜた冒頭の暗い納屋での対決や、 リチャード・ウィドマークが部屋に飛び込みざま 手前に滑り込みながらドアの背後の若者を銃撃する、 レナ・ホーンの部屋での対決などだ。 物語自体は時代の反映もあってか陰鬱でアクションシーン自体も少ないが、 そうした瞬発力の高い銃撃ショットが強烈な印象を残す。 乱打、乱射を細分化したカッティングで見せる昨今のアクションフィルムとは 比較にならないシンプルなワンショットの何と活劇的なことか。 「列車の到着」で幕を開け、緩やかな列車の出発で幕を閉じる。 その夜の深い黒がよく映える。[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2015-07-08 15:10:13)《改行有》

20.  紙の月 《ネタバレ》 地下鉄駅のホームで、線路を挟み向かい合う宮沢りえと池松壮亮の視線が合う。 列車の到着と発車の中で彼女の姿がかき消される。 発車後のホームに彼女の姿はない。振り返ると、 池松側のホーム階段を降りてく彼女の脚がある。 次は一気にホテルのシーンだ。 ラストも同様、「見えない壁ガラス」を割った彼女は次のシーンではもう 自らの脚で駆け出しており、街路の壁を曲がるところだ。 観客が気付いた時には彼女はすでに足を踏み出している。 画面には交差点や線路、白い会議ルームの壁のラインや窓ガラスなどの境界線が配置されているが、彼女は意を決したらもう躊躇わない。 心理を露呈させることなく、観客の共感など置き去りに突き進んでいる。 その潔さ、唐突さがいい。 儚げでありながら時に不敵な面持ちを見せる宮沢りえが随所で単に美しいだけに 留まらない複雑性を内包した魅力的なヒロイン像を見せる。 [映画館(邦画)] 7点(2014-11-19 23:59:47)《改行有》

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