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プロフィール
コメント数 3870
性別 男性
年齢 53歳

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61.  きっと、うまくいく 大学時代の同級生が10年後に再会する、が、その相手は? という、O・ヘンリの「二十年後」とか松竹新喜劇の「人生双六」みたいな発端(要するに、ハズレなしの鉄板ネタ、というヤツですかね)。学生時代と現在とを全く無理なく演じ分けた役者さんたちが、まずもって見事。というよりむしろ、たった10年後の設定にしては歳食い過ぎてるやろ、というヒトもいるくらいで(笑)、とにかく学生時代のシーンにおけるこの若々しさが、作品を成功に導いております。 作中に散りばめられたエピソードやセリフが、意外な形で伏線になっていき、ここまでうまく伏線回収されると、ちょっと人工的でイヤミな感じがしないでもないですが、ミステリ作品を楽しむような気持ちで観れば(実際、物語にそういう要素も若干あるし)、気持ちよく楽しめるのではないかと。もちろん、それらのエピソードが、回収するためにのみ伏線として存在するのではなく、ちゃんと物語の起伏に繋がっているからこそ、楽しめるワケでして。「誰だって間違うことはあるんだ」という学長の言葉が、結構、感動的だったりします。 ただ、こういう感動を、もう少し巧みに作中に入れ込んでくれれば、なお良かったんだけどな、という側面もありまして。何かと言えば登場人物に涙を浮かべさせて見せる演出、ややマンネリ感もあります。 ところで本作の中に、テストの答案を出すのが遅れて教官に受取りを拒否されるエピソードが出てきますが、コレ、本作のオリジナルではなくって、以前からある有名なもののようですね(早坂隆「世界の日本人ジョーク集」にも載ってます)。[CS・衛星(吹替)] 7点(2016-03-13 08:17:12)《改行有》

62.  96時間 リベンジ まず物語の発端が、前作の敵サイドからの復讐。ってのがまあ、何ともお手軽な設定。わかりやすいけど、その分、物語がどう展開していくんだろう、という期待感が乏しくなります。そして、「復讐なんだから、簡単には殺すまい」という敵の思惑が、結果的に主人公に何かとチャンスを与えてしまうのも、お約束過ぎるお約束。だいたい、さんざん手を焼いた末に宿敵たる主人公をせっかく拉致したにも関わらず、誰もちゃんと見張ってないから逃げられる、ってのが実にヌルい。いや、主人公はどうやったって助からなきゃいけないんだから、そのコト自体は構わないけれど、それにしたって、復讐譚としてぶち上げておきながら、まるで粘着質なところもないし、なんぞサスペンスを盛り上げる工夫って無いもんかねえ。 監督変われど見づらいアクションは前作通り、というか、これはアクション俳優リーアム・ニーソンの限界でもあるのか。[地上波(吹替)] 6点(2016-02-11 11:00:16)(良:1票) 《改行有》

63.  恐怖分子 冒頭、何らかの抗争事件が発生したらしいのだけど、その詳細は描かれない。ただ、そこに駆けつけるサエない刑事がいて、事件の写真を撮ろうとベッドを抜け出して来たジャニーズ崩れみたいな若いカメラマンがいて、現場から逃げ出そうとする若い女性がいて。はたまたその頃、サエない朝を迎えたサエない旦那とサエない小説家の妻がいて。その彼らが映画の進行とともに互いに関わり合いを持つんですけれどもそれが、不思議な位に空虚な繋がりなんですね。互いに連関し合っているハズなのに、みんなどこか、内向きにこもっていく。内へ内へ向かった挙句に、最後は「悲劇」が待つのだけど、映画はそこに至って、もはや事実の連関など有って無きがごとしといわんばかりに辻褄合わせを放棄し、にも関わらず、やっぱりあの「悲劇」はそこに転がっている、その衝撃。観終わった瞬間にこれほどゾッとさせる映画もなかなかないでしょう、それもその恐怖というのはまるで、我々が敢えて日頃気づかない「ふりをしている」恐怖を、突然突きつけられるような、怖さ・・・。[DVD(字幕)] 9点(2016-01-21 22:21:10)

64.  黄色いリボン 退役間近の老大尉を演じるジョン・ウェイン、当時はまだ40歳過ぎ。だもんで、ヒゲ生やしたり、老眼鏡かけたりした役作りで、時々あまり彼らしく見えない場面もあるのですが、しかし主人公のキャラに関してはまさにジョン・ウェインそのもの! というよりはもしかしたら、この作品が結果的に彼をその方向に引っ張って行ったのかも知れませんが。一見頑固で武骨で、でもどこか茶目っ気があって。後の『ヘルファイター』とか『グリーン・ベレー』とかにおけるジョン・ウェインも、この流れの中にあればこそ、何だか憎めない。本作、先住民族と一触即発の状況にある騎兵隊を描きながらも、派手な戦闘シーンはあまり無くって(でも馬の疾走シーンではちゃんと迫力を味わえます)、むしろ主人公の大尉は、無用な戦闘を避けるために先住民の長老との話し合いに臨む、この辺りは年の功とでもいいますか。若者に手を焼いているのは、敵も味方も同じ。引退を迎える最後の日まで、職務に忠実であり、それ以上に、仲間である隊に忠実であり続ける、名もなき老大尉の姿。つまり、国を守り支えてきたのは、決して「戦い」などではなく、「人間」そのものなんだなあ、と。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-05-05 09:54:32)(良:1票)

65.  祇園囃子 冒頭の、祇園の世界に吸い込まれそうなショットに息を飲む。まさにここは、「そういう世界」。木暮実千代演じる主人公・美代春も、「そういう世界」の人間。と言っても我々庶民には「そういう世界」ってどういう世界だか、なかなかわからないんですけれどもね~。まず美代春が、金の切れ目が縁の切れ目とばかり、自分に入れあげた客を邪険にする場面があり、ああオソロシや。と思いきや、形式的なしきたりの世界に生きる彼女にも、一方では、栄子やその父に見せる愚かしいまでに情に厚い一面も。そしてそのしきたりの世界に表面的には憧れても結局は馴染めぬ栄子と、その世界に生きていかざるを得ない美代春。彼女たちを利用しようとする者たちも含め、みんな何かしら、不自由を味わっている。ここは、そういう世界、なんだなあと。[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-03-17 22:55:09)

66.  切られ与三郎 中盤の、中村玉緒が出てくるあたり、さすがに端折り過ぎかとも思いますが、最後まで観ればなるほど、この結末のためには、決してこの中盤のエピソードも確かに落とせない訳で(だから、もう少し映画が長くてもよかったのでは、とも思うのですが)。クライマックスにおける、押し寄せる御用提灯の群れは、同じく伊藤大輔&宮川一夫&市川雷蔵による『弁天小僧』を思い起こさせると同時に、それに続く悲しいラストは、本作をまた一味違うものとしています。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-02-24 23:08:10)

67.  銀河鉄道の夜(1985) 主人公が走るシーンなど、ミニマルミュージックのような繰り返しの動作が随所に見られ、ふとそこに、変則的な動作が緻密なアニメーションによって描かれることで、ハッとさせられる。こういったところは、アニメという人工世界ならではの表現ですね。宮沢賢治の有名な童話に、基本的な流れとしてはおおむね忠実に作っているのですが、印象としてはかなり異なったものを感じます。このアニメ作品は、なんだか不気味でコワイんです。いや、登場人物がネコだからという理由じゃないですよ(多分)。例えば、ジョバンニが鳥を食べるように勧められる場面、勧められるというより、殆ど強要されてるじゃないですか。こんな感じで全編にわたって、観てて「不安」を感じさせるのです。ジョバンニの“カンパネルラといつまでもいっしょにいたい”という気持ちも、何だかまるで、彼にすがりついているような。この不安で寂しい感じこそ、原作のイメージを大きく崩すことなく、このアニメ作品が備え得た、オリジナリティと言ってよいのではないでしょうか。[CS・衛星(邦画)] 8点(2014-12-13 11:45:29)

68.  北国の帝王 貨物列車への無賃乗車に命をかける男と、それを命がけで阻止しようとする車掌との、命がけの戦い。って何に命かけてのよ~。無賃乗車の帝王学。たかがタダ乗り、リー・マーヴィンはいったい何をとくとくと自慢げに語っているのやら。⇒そこがいいんです。あまりにも価値観に一般性がないので(笑)、信念が生き、対立が生き、アクションそのものが生きる。ただ、この作品、「列車モノ」という非常に魅力的な題材な訳ですから、もうちょっとしっかり列車に乗ってて欲しいなあ(下車し過ぎ)、というのは完全に個人的な好みの問題ですが。あと、「ここはコミカルなシーンなんです」と変に念を押すような音楽の使い方って、コレ、どうなんでしょうか。ユーモラスなシーンはちゃんとユーモラスに撮れてんだし、ちょっと音楽はくどいですかね。何にしましても、さすがなのはボーグナイン、『コンボイ』にしてもそうですが、このヒト、打算を超えたサディストの役をやったら、ピカイチですね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-09-13 07:31:18)

69.  キャット・バルー まず冒頭、コロンビア映画お馴染みの自由の女神が、拳銃をぶっ放し、いかにもコミカルな幕開け、と同時に、カラミティ・ジェーンみたいな女傑が活躍するオハナシなんだろう、とも思う訳ですが、映画が始まり、オヤ、と思う。ジェーン・フォンダ演じる主人公、あわれ縛り首になろうとしている囚われの身なんだけれども、それが女傑とよぶには程遠い、可憐な姿。どうしてこういう事態になったのか、そこに至るまでの成り行きが描かれていきます。もちろんコメディ調、ナレーションがわりの歌が挿入されるのもバカバカしくって楽しく、また一方、長廻しのダンスシーンにおける見事なかけ合いなど、味な演出も披露してくれます。主人公の敵役の怪人物にはリー・マーヴィン。と思いきや、主人公の助っ人にもリー・マーヴィンが登場。それぞれの役でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞、という訳でもないのでしょうが、一人二役で大活躍。今だったらジョニー・デップあたりがやりそうなハチャメチャな演技をよりにもよって、コワモテのリー・マーヴィンがやってます。あはは。と言う訳で、いたってバカバカしく、見せ場はしっかりと見せる、ゴキゲンな映画です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-08-12 23:50:30)

70.  飢餓海峡 《ネタバレ》 この作品では、タイトルとは裏腹に、「飢餓」というものはあまり描かれていません。というのはつまり、三國連太郎演じる主人公・樽見の過去については必ずしも深く描かれてはいない、ということでして。もうひとりの主人公、左幸子演じる八重との出会いから、彼女を中心に描かれる戦後の描写は、貧しさはあるけれど、一種の自由さもあり(無論、犬飼から渡された大金のお陰ではあるものの)、その自由さは例えば東京の光景をどこまでもクレーン移動するカメラで拡がりをもって描く場面などからも感じられます。それに比べると、戦後10年以上たち、過去から決別し封印したはずの樽見が描かれる後半の、不自由さと圧迫感。貧しさイコール悪、とかいう単純な図式ではなく、暗い過去に閉じ込められた人間の姿そのものを、刑事との対決の中で描き(過去に閉じ込められた人間は樽見ばかりではない、伴淳三郎演じる弓坂刑事もその一人であり、その事実がまた樽見を過去に閉じ込める)、また北海道行きの船上という、開放感の光景の中で、「死」という最後の逃避を選ぶ姿を描く。もう、これ以上に追いつめられた三國連太郎を見ようと思ったら、『真剣勝負』の宍戸梅軒を見るしかないでしょうなあ。[CS・衛星(邦画)] 8点(2014-06-02 23:33:17)

71.  ギターを持った渡り鳥 何せ尺の短い娯楽作品、冒頭からいきなりの乱闘騒ぎなど、強引にお話が進んでいきます。さらには出てくる人出てくる人、「おや、君はあの時の」式に偶然の再会を連発。どこまで世の中狭いんだ。いやはや、問答無用ですな。陰のある流れ者の主人公は勿論、小林旭。最初は地上げ屋の手先みたいなコトもやったりして、単なる正義漢ではない、我が道を行く一匹狼。中盤には、意外な過去も明らかに。ってか、かなーり不自然にニヒルな笑みを浮かべる宍戸錠が出てきたあたりから、妙な展開になっちゃった気もして、やっぱり宍戸錠は只者ではないな、と(笑)。それにしても、函館を舞台にした本作、ロケーションが素晴らしいです。この「空気が澄んでいる」という感じは、一体何なんでしょうか。そして揺れる船上のシーン、観てるだけでも酔いそうな(挿入歌「地獄のキラー」がこれまた意外にイイ歌だったりする)。乱闘シーンでは、足を滑らせそうな危ないスタントも小林旭自ら演じているなど、とにかく、大作映画とは異なる活きの良さが感じられて、楽しい作品です。ところで、刑事さんがタバコをスパスパ吸いながら神社の境内に入って行っちゃうどころか、吸い殻をポイ捨てしたりするシーンを見ると、大らかな時代というか何と言うか。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-11-10 11:21:45)

72.  キラーカーズ/パリを食べた車 ずいぶん昔、劇場未公開である本作がビデオリリースされた時に某雑誌で紹介されてるのを見かけ、掲載されていたトゲトゲカーの写真にいたく興味を引かれたまま、見る機会がなかなか無かったのですが……何となく、デヴィッド・リンチ作品みたいなのを想像してたのですが、当たらずとも遠からず、しかし『2000人の狂人』とかの方が近いかも知れない。そして『マッドマックス』を生み出したオーストラリア映画らしく、クルマを題材にすると、とっても変に(アホに)なっちゃうんですね。そういや、ジャイロキャプテンそっくりな変なヒトが出てるな、と思ったら、本人でした。さてさて、「パリを食べた車」となっておりますが、パリってのは某国の首都のことではなく、映画の舞台となっているさびれた町の名前。別に車に食べられる訳じゃなく、むしろ、この町の方こそが、クルマを食べて生きているかのような。この町を通りかかった車はきっと謎の事故を起こす。車は町の住人によって解体され(どこかロメロのゾンビに繋がるものが)、すべては闇から闇へ。という変な町でして、やはりこの町で事故を起こし、心に傷を負った主人公、町から出ることもままならず、この奇妙な町に取り込まれていっちゃう。で、この後、「しかし住人たちの悪だくみは意外なところから瓦解し…」という展開になるのなら、まあ普通の映画。本作は違って、さらに訳がわからず、そこがまた振るってます。クルマというクルマを食いつくしていくようなこの町でも、さすがにこれは食えんわい、というポンコツ車軍団が登場、住民たちと対立した挙句、ついに、舞踏会の晩、ポンコツ車集団が町に襲いかかる!! で、その中心にいるのがハリネズミのようなトゲトゲカー。このトゲトゲ、一見ウレタンか何かで出来てそうな頼りない感じなのですが(予算的なもんなんですかね)、心配ご無用、我々の期待を裏切らず、ちゃんと人間を突き殺す凶器になりうる優れモノ。まーたいがい訳のワカラン作品ですが、おそらく、このトゲトゲカーを思いついた時点で、ピーター・ウィアーは「これは傑作になる」と確信したのではないでしょうか、実際、私も映画史に残る(残るかも知れない・できれば残してあげたい・やっぱ無理かな)クライマックスだと思うのですが、どうでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-10-05 00:24:42)

73.  黄色い星の子供たち 邦題を見てSF映画だと勘違いしたのは私は決して少数派ではないと思うのですが。第2次大戦、ドイツ占領下のフランスで行われた、ユダヤ人一斉検挙。ある少年の目を通して描くと同時に、ヒットラーの姿もまた並行して描かれるのは、実際にあった事件の再現ドキュメントとしての性格を映画に持たせますが、ここでのヒットラーは、映画が描く事件の異常性と単純に呼応させるような“狂気の人”としての描写ではなく、時に狂気を演じこそすれ、周囲の人間にとっては“普通の人”としても描かれています。これは、ひとつには、蛮行に加担したフランスを告発するべき本作が、ヒットラーという個人に責任をなすりつけて良しとするようなカリカチュア化した描写を行う訳にいかない、という表れでもあるのでしょう。しかしそれに止まらず、一方で主人公の少年、一方でヒットラー、という映画の中で決して交わることのない二人が描かれることで、両者の間に存在するどうしようもない「分断」が明らかとなります。いやそれだけではなく、フランスにいるユダヤ人と、フランス人たちとの間にも「分断」があり、それによってユダヤ人家族たちをバラバラにしてしまう、新たな「分断」が生まれる。映画は、あえて「フランス人が1万人のユダヤ人を救った」と告げて終わるけれど、映画自体は明らかに、それを素朴に肯定して描いたりはしていません。映画は、悲劇を、大きな「分断」を、怒りを込めて描いています。「再会」も描かれるけれど、家族がそろった元の幸せな生活が戻ってくる訳ではない。「分断」でいったん損なわれたものは、もはや決して取り戻すことはできない、という現実。1万人救ったと考えるべきなのか、1万人しか救えなったと考えるべきなのか。実際にあった事件を描くということで、史実を追うという点ではドキュメンタリ調の部分もありますが、それに縛られることなく、むしろ、情熱と怒りに満ちた描写が多く見られ、これはあるいは、監督が映画界の外から来た人(ジャーナリスト出身)ならではの、“なりふりかまわぬ気迫”の表れなのかも知れません。凄い映画でした。 ちなみに、競技場等のシーンで流れるのは、フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2楽章。これはちょっとセンス無いかな……。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-08-31 12:10:37)

74.  危険がいっぱい これはどういうオハナシかというと、「日頃の不真面目さがたたり、ついに和尚さんにお寺を追放されてしまった小坊主さん、山中で道に迷い、たまたま見つけた一軒屋に泊めてもらうことに。しかしその一軒屋で暮らすお婆さんの正体は、鬼婆で……」という、アレですね。だいぶ違うけど、まあ、そういうことでしょう。ただし3枚のおフダは出てきません、代わりに気の利いたオチが待っています。アラン・ドロン演じる主人公、ギャングに追われ、逃げのびた先で、とあるマダムの運転手として雇われる。しかし、マダムの家には、秘密があった。という訳で、マジックミラー越しのやり取りなどのミステリアスな道具立てや、ときにはユーモアなども織り交ぜながら、自由きままだった主人公が、身動きが取れなくなっていく様を描いていて、大いに楽しめる作品ながら、毒のきいたオチには、ため息も出てしまいます。ラロ・シフリンのいかにも彼らしい音楽も、秀逸。[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-08-18 16:38:55)

75.  キラー・エリート(2011) 冒頭の派手なアクションから、これは節操なく暴れまわるドンパチ映画なんだろう、と思っていると、物語のテーマ自体は結構、地味だったりするのです。何しろ、主人公が依頼されるのは「事故に見せかけた暗殺」、ですから、派手にやりようが無い……ハズなんですけどねえ。だから、その暗殺の過程を地味でも着実に見せていけば、面白い映画になる……ハズなんですけどねえ。どうしてもこの作品、派手な方向に向かおうとして、結局は大味な作品になっちゃう。まず主人公の人物像、いったいどう描きたいのか、あるいは何も描きたくないのか。思わせぶりに寡黙で、冒頭のエピソードも意味ありげで、影のあるキャラなのかと思いきや、普通に彼女がいて、デ・ニーロとの友情にも恵まれていて、何の不足もないやんか。何のドラマも内包しない、たいして面白みのない人物像のくせに、顔だけは何やら思わせぶりにムツカシイ顔している。物語の方も、中身より外観の派手さの方に向かい、暗殺劇は抗争劇へと様相を変えるも、これまた、敵の組織がとても精鋭とは思えぬトロ臭い感じ、ワクワク感には程遠いのです。しっかりしてくれぃ。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-04-06 23:07:47)(良:3票)

76.  96時間 疎遠になろうと父親は父親、旅先で出会ったチャラ男なんぞよりよっぽど信用できる、という映画。実にスバラシイ。さらに、中盤のカーチェイスあたりで嬉しくなってくるのは、このデタラメさ、強引さ。カーチェイスなり銃撃戦なりを盛り込むことが第一優先で、物語の自然さなど二の次になってるのは、これ、まさに木曜洋画劇場テイストで、今となっては懐かしさすら感じさせます。惜しむらくは、アクションシーンが何やってるのやらバラバラでわかりにくいこと。あとリーアム・ニーソンみたいなイカツいオッサンが走るシーン、というと個人的にはワクワクする、はずのシーンなんけど、イマイチ盛り上がらなかったこと(もっとなりふり構わないド迫力の走りを期待しちゃうのです)。[地上波(吹替)] 7点(2013-02-17 09:14:37)

77.  祇園の姉妹(1936) 《ネタバレ》 祇園の姉妹、とは言っても中心的なのは妹役の山田五十鈴。で、さっぱり色気がない(笑)。中性的。で、和装、洋装、下着姿、さまざまな姿で登場し、アレコレうまいこと言って男どもを手玉にとる。このあたりのやりとり、どこか落語調で、イヤミが無く、結構楽しい。しかしラスト近く、それまで中性的だった山田五十鈴が、カツラをかぶって芸妓姿となるシーンの色っぽさ。ここにドキリとした直後、手玉にとられた男たちの復讐が待ち受けているという、二重の衝撃。[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-05-17 00:46:41)

78.  ギルバート・グレイプ 《ネタバレ》 舞台は北欧からアメリカの片田舎に移れど、はたまたイングマル(=弟としての存在)とギルバート(=兄としての存在)はかなり異なるキャラではあるけど、やっぱりこれは『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』の変奏曲、のように思えてくる。やや受け手の存在である主人公、彼を取り巻くいっぷう変わった人々。彼らが日々同じような奇行(?)を繰り返すことで、変化の無い日常が描かれる。しかしそこには少しずつ変化が刻まれていく。例えばハンバーガーチェーン店がやってくる、という変化だけでも、何だか愉しかったりする(変化の無い日常自体が愉しく描かれていた『マイ・ライフ~』で、変化というものが時にヤなもの、切ないものとして捉えられていたのとは趣きが異なりますが、主人公が成長過程であるか、成長していよいよ飛び立とうとしているか、の差から来るものなのかも)。で、小さいが様々なギルバートの経験が描かれていく中で、ある大きな転機が発生する。保護すべき存在であった弟アーニーを感情に任せて殴ってしまう。いやそれよりも、アーニーが独立した存在としてその感情を受け止めてしまう。そして、太り過ぎて動けない母が、息子の為とか云う理由からではなく、自らの意思で階段を上る。日常における“奇跡”って、そんなもんなのではないでしょうか。ここでふと、屋根修理オジサンがある日屋根を下りて川に入るエピソードを思い出す。大きな、極めて大きな転機の象徴。そして母の死とは、息子にとって旅立ちの時。イングマル君は“火”を制御できず不本意ながら火事を起こしてしまったが(母号泣でしたね、ははは)、ギルバートは決然と、母のため、自分たちのために、“火”を放つ。・・・と言う訳で、本来なら独立した作品をこうやってあまり(強引に)結び付けて観るべきではないのかも知れませんが、何だかグッときてしまうのです。あと、どちらの主人公も将来、尻に敷かれそうな気が。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-10-24 23:07:57)

79.  紀元前1万年 この作品を「紀元前1万円」と呼びたい。スペクタクル映画一本で一万円とは確かに安過ぎるけど、自腹を切るにはちょっと痛い。そういう、値頃感を含めてのリスペクトを示しているのです。しかっし、エメリッヒ、さすがです。何と言ってもこの、気持ちの強さよ。こういう映画を作るためなら、バカと思われることなど何とも思っちゃいない。何しろ宇宙人、怪獣、氷河期と、様々な敵と戦ってきた男。「バカと思われる危険性」というのもこれらに劣るとも勝らぬ強敵であるけれど、今回も堂々と打ち破って見せてくれました。“CG”という心強い味方さえいれば、どんな逆境も乗り越えられる。いや実際、よくできたCGです。CGをフル活用する以上、マンモー(マナクではなくマンモーと呼ぼう)はたくさん登場させねばならぬ、群衆はさらにテンコ盛り出さねばならぬ、これを画面に収めるには、相当高い視点からの映像が必要だなあ、と。かえって欠如してしまったスケール感がこれまた愉しい作品。喜び過ぎってか。[地上波(吹替)] 7点(2011-10-02 07:54:31)(笑:1票) (良:1票)

80.  金環蝕(1975) 古き良き、密室談合政治の時代。それなりに大らかで余裕のある時代だったから、こうういうのも裏で成立してたワケでして、“政権交代”とはつまり、社会から余裕が失われた証でもあったり。そりゃま、この映画で繰り広げられているのは、今の視点からだって当然、「醜悪さ」そのものであることは間違いないんですけど。ただ、奇妙な暢気さを伴う“切羽詰まった感”が漂う昨今、こういう映画にはどこかノスタルジーを感じてしまうのも事実であります。まあしかしこの映画。とにかく、ワルそうなヒト同士が集まり、ワルそうな会話を交わす、というシーンのひたすら繰り返し。会話、あるいは電話。事件ではなく、会話のやり取りが描かれ続け、ここまで徹底していると、いやスゴイ。後半、1時間を切るあたりから少し動きが加わってきて、「スーさん大いに吠える」あたりはなかなかに盛り上がったりもしますが。この映画、醜悪さのオンパレードの中で、巨悪との戦い―――これを「善と悪の対決」と呼ぶにはすべてがあまりにダーティなんですけれども―――があって、でもその本当の対決は直接は映画に描かれずに封印されている感じがします。周辺の小競り合いの数々を描きながら、巨悪のイメージを浮かび上がらせる。金環食において我々が目にするものとは、それは太陽の輪郭なのか、それとも月の陰なのか。[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-05-28 00:24:27)

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