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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  コタンの口笛 こういう差別ものってどういう姿勢とっていいのか難しく、とりわけアイヌ差別なんてほとんど知らないわけで、現状に対してどの程度の「つくり」がなされているか分からない。主人公が完全無欠すぎるような気がした。でも差別が存在するのは間違いなく、無知ゆえの批判をしてしまってはいけない、といささか居心地が悪い。踊りを見せている人たちの苦痛にも触れるべきだったろう。けっきょく全体として「耐える」という方向に収まってしまっていたように思う。進駐軍のヘリコプターの音が入ったり、この監督ではかなり異色作とは言える。ロングショットを撮らせると美しい。道とか夜の校庭とか、特別「自然と交歓してる」という感じでもないんだけど、人が存在することの心細さ、というのかなあ。道が奥に続いていく感じ。音楽はもちろん伊福部さん。ドン、タタ、ドン、タタタって。水野久美がいなくなったままで終わっちゃうのなんか、『稲妻』の姉が行方不明のまま終わっちゃうのを思い出し、成瀬的だと一瞬思ったが、脚色者が違うんだから偶然だろうね。とりあえず山内賢の少年時代に息を呑んでください。[映画館(邦画)] 6点(2013-01-22 09:58:01)

2.  殺したのは誰だ “玉突き事故”って言葉があるくらいで、車とビリヤードはイメージの世界では接近している。この映画、保険金詐欺の話なんだけど、車の事故とビリヤードが実際に重ねられるところがミソ。どっちも金を賭けてのぶつけっこ。ロータリーへぶつけようとして逸れるところ、あるいはぐるっとまわってもう一度迫るあたりは、完全にビリヤードと対比されている。中央に据えたカメラの回転にあわせて幾多の車が走っていくのなんかも、ビリヤード的。車が夢や憧れだった時代、犯罪と遊びがどっちも日常からの解放を夢として差し出してくれた時代だ。当時のちょっとシャレた“イカす”感じが伝わってくる。この監督作品は銀座界隈をよく記録しておいてくれてるのが嬉しく、アタマには並木座が映った。小林旭が若々しい青年だったが、デビューしたてのころだな。[映画館(邦画)] 6点(2009-09-01 11:56:42)

3.  この広い空のどこかに 小林正樹の代表作リストを眺めていると、最初松竹の監督だったとはとても思えないんだけど、ちゃんとこういうホームドラマも作っているのだ。シナリオは木下恵介の妹の楠田芳子。川崎の酒屋。かわいい嫁さんが似合う久我美子。高峰秀子は松竹の明るい木下系の役でなく、東宝成瀬系の陰気を引きずっている。ここらへん監督が後年東宝でいくつか映画を撮ることになる予感か。まさか。商店街と土手が一緒にある場所を日本映画はとくに好んだ。戦災で脚を傷めた高峰がしばしば訪れる。とても絵になる。商店街という人間関係の濃密な場と、土手というそこからの息抜きの逃げ場があることで、ダイアローグ的な展開とモノローグ的な展開とを整理しやすいのかも知れない。ホームドラマのテーマは、「一人一人はいい人なんだけど、うまくいかないのよね家庭って」ってところに集約され、それがやがて時の流れとともに溶け合っていくのを肯定的に捉えるのが定番、もひとつ掘り下げがないのがもどかしい。二階では若夫婦がラ・クンパルシータを踊り、階下では陰気に姑と妹、それぞれにお菓子の缶がある、なんて描写。脚の悪い高峰が、手の指のなくなった男の縁談が来て傷つくところなんかは、ハッとさせる。後年の小林監督の社会性も、ちゃんとこうした庶民生活のささやかな残酷のスケッチという基礎があるからしっかりしていたのだ(なのになぜか場内で笑いが起こったのが分からない)。またこの映画、かつての酒屋の店先というものの記録にもなっている。屋根の上の物干し場とか。当時の多摩川のボート場も記録されている。[映画館(邦画)] 6点(2009-07-04 12:08:14)

4.  ゴジラ(1954) 映画館で見ると、あの足音の迫力が違う。タイトルのときに、音楽にかぶせて非同調的にあのズシンズシンという足音と例の叫び声がはいり、この効果がすでに素晴らしい。東京湾の遊覧船が襲われるときもこのズシンは聞こえ、現実の足音というよりも、もっと象徴的な響きなのかもしれない。たとえば空襲のときの爆音の記憶とか(焼夷弾じゃああいう音はしないか)。避難する人たちに空襲の記憶が重なっていたのは間違いなく、ゴジラは戦争の不安の結晶であるが、また科学者の倫理という問題も当時は生々しかったのだろう。とりあえず戦争は過去のものになったが、核兵器の不安は現実のものだった(今だってさらに核が拡散しているのに、不安を感じる能力が現代人からは消えてしまっている)。科学者の責任は、目の前に突きつけられているテーマだったのだ。あと気のついたとこでは、ゴジラは国会議事堂から上野浅草をまわってるんだな。当時はまだあそこら辺のほうが、西側よりも壊しがいのあるメジャーな地域だったのだ。そして今見て際立つのがラストの厳粛さ、暴れ狂う怪獣を叩き伏せるのではなく、水中でやすらっているところを襲う。水面に一度苦悶のあがきが出て滅んでいく。酒で眠らされて退治されたヤマタノオロチのような怨霊性が、こんなところにも出ている。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-20 12:18:20)

5.  ここに泉あり 《ネタバレ》 納得半分、反発半分。納得は、岡田英次の脇に小林桂樹を置いたことで、これが適度に批判者の役を持ち、いやらしさを緩和させている。一つの文化に接触させる機会を地方に与えるというのは、悪いことではない。ただそこに中央から周辺への啓蒙という意識が加わると、どうしても反発を感じざるを得ない。山奥の子どもたちに「彼らもあのまま木こりで終わってしまうんだなあ」などと上から憐れむような態度を見せられると、それは違うでしょ、と思う。楽団員たちが聞けない美しい音(たとえば小川紳介の「ニッポン国古屋敷村」で出来たての炭がたてた澄んだ響きのようなもの)が確固としてあるわけだ。地方で生まれ地方だけで充足している文化というものがあるわけだ。中央的なものを地方に広めることが文化活動のすべてであってはならない。中央の山田耕筰を連れてきて「オーケストラの少女」をやらないと映画が終わらないところに、都会人の作る良心的社会派映画の弱さがある。[映画館(邦画)] 6点(2008-02-03 12:22:34)

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