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21.  続・忍びの者 《ネタバレ》 私なんか山村聡っていうとテレビでの「ホームドラマの穏和なお父さん」って印象が強いので、昔の映画で暗い役やってるのを見ると最初は意外な気がしてた。煩悶したり自殺したり、ものごとを悪い方へ悪い方へと考えがちな、知的で暗い人物の役が多く、監督やらせると『蟹工船』だったり。だもんで、光秀=戦国史上一番暗い男=山村とすんなりキャスティングされたんだろう。まだ私はホームドラマのお父さん気分が抜けきれてないもんだから、ちょっと戸惑った。若山富三郎の信長体型もかなり違和感だったし(こっちの方がよっぽど石川五右衛門)。でもそれらは見てるこちらの問題。忍者映画にしては忍びの者が無力すぎないか。本能寺で何をしたかっていうと、トドメは刺したものの、追い詰める手段としては床下で火を焚いてるだけなの。個人的な子の仇なら、光秀を離反させるなんて遠回しな政治力学に加担するより、好きなときに自分で忍んで寝てるとこ刺せばいいじゃないか、そんな簡単に忍び込めるんなら。人に使われることが染みついた下忍根性のフガイなさ、ってテーマに集約されてるわけでもなく、なんか無力感ばかりが募る(本能寺で学んで、次の聚楽第では前向きになったってこと?)。そして左翼監督の悪癖、弾圧されるシーンでの悲壮感への陶酔。なぜ敗北したのか、と建て直しに向けた論理的な検証はなく、弾圧されたこと自体が自分たちが正義である証明だとでも言うように酔ってしまう。弾圧された死者たちは、ただの記念碑になってしまう。これ左翼に限らず、日本において野党的なるものに共通している心情。[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-12-06 10:29:28)

22.  それでも恋するバルセロナ 例のごとく、登場人物たちはふらつく。一つのキャラクターからはみ出そうと、反発と親和を織りなしていく。いつもだとそれがなんらかの着地点を見いだすのだが、今回はそのまま人間関係を広げていって、茫漠とした霧になって終わる。南欧的と言えば南欧的。アルモドバル的暖色が満ちる。ただひとつ残るのは、自分が「望まないもの」だけ、という話。ステレオタイプなスペイン人の描写は、ニューヨーカーの凡庸さの背景として意図したものかもしれない。観光名所的なロケとあいまって、誇張の効果。アメリカ人の会話にはうんざりだが、スペイン人のホットさにはついていけない、って。そのふらついていく一瞬一瞬には皮肉な面白さがあるのだが、一本の作品としては、とりとめなさの印象のほうが強くなってしまった。主要人物4ないし5人に、脇系の人が中途半端に絡んでくるのが、おい、本舞台に出るのか出ないのかはっきりしろ、といらつかされる。[DVD(字幕)] 6点(2010-04-07 11:59:07)

23.  そよかぜ 戦争終わって、さてなんか映画撮ろうというとき、軽音楽バンドの話にしよう、ってなった気分は分かる。あの戦争時の固い気分の正反対といったら軽音楽であろう。禁止されるちょっと前までは盛んだったわけだから、勝ったアメリカに迎合するというより、元に戻れたって感じ。上原謙がトランペット、佐野周二がトロンボーン、斎藤達雄がサックスという楽団。上原が「花も嵐も…」を吹く場面もある。照明係からスターになっていくという戦前パターンの踏襲も、とにかく元に戻れたって感じだ。けっきょく戦争の数年間が異常な時間で、昭和ヒトケタと戦後は気分としてつながっている。戦争を思い起こさせるものは壊れた橋が出るくらいで、中盤は戦災のなかった田舎に話が移る。都会の観客には、傷ついていない田舎の風景が希望に見えたのではないか、ちょっとの妬みも含んで。舞台で並木路子が「リンゴの唄」を歌うところ、「り~ん~ごの気持ちは~」ってとこで、テンポを落としてゆっくりになるのが、正調らしい。軽音楽の響きに、時代のホッとした気分が満ちている。まだアメリカの検閲や指導は本腰を入れてないころで、かなり正直な反映と思っていいだろう。人々はついに吹かなかった神風のかわりに、そよかぜを求めたわけだ(新聞の検閲が始まるのが10月9日、映画の検閲もそのころに始まったらしい。翌年になると佐々木監督が『はたちの青春』でキスシーンを入れるように情報局に強要されるまでにうるさくなる)。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-27 12:17:21)

24.  育ちざかり 内藤洋子って映画から出た正統アイドルの最後の人かなあ(突然変異的な角川娘はいたけど)。と言っても微妙なところで、たしかにデビューは『赤ひげ』と映画だが、名前を売ったのはテレビの「氷点」で、そういう面では過渡期の人。映画ではさかんにおでこを強調して、アイドルとしてのセールスポイントにしている。でもこういう「愛くるしい系」の時代は終わりつつあり、次は秋吉久美子のようなちょっとスネた不良性を漂わす感じが70年代の主流となっていくのだった。時代に間に合わなかった哀しみが、この人にはある。一生懸命プロモーション映画としていろいろやっている。乗馬姿あり、水着姿あり、テニスもやって、レモンもかじるし、定番中の定番、海岸をスローモーションで走ったりもする。こういう不良性のないアイドルは、次からは完全にテレビへと、たとえば天地真理にバトンされていったのだろう。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-05 12:10:09)

25.  その名にちなんで 《ネタバレ》 人が異文化に溶け込んでいくさまを、ビーカーの水にたらしたインクが拡がっていくのを観察するように見つめていく映画。アメリカに渡ってもベンガル人だけのつきあいで閉じていた母の世代。でも子の世代になると、金髪娘とつきあい、親の決めたベンガル生まれの妻の心はフランス人に流れ、妹はアメリカ人と結婚、とゆっくり拡散していく。アメリカの寒さに震えた親の世代に対し、子の世代はインドの暑さがこたえる。アメリカ‐インドを両極とする軸に、もうひとつロシア人作家の名が絡んでくるところが膨らみになっていて、血でなく精神の受け渡しが描かれる。自分のアイデンティティを、血や土地と関係のないよその国の昔の作家に求めてもいいんじゃないか、と思えば、なんとなく気持ちもほぐれていく。見ている間は、ちょっと話があちこちしてダラダラしてるかな、という印象だったが、終わってみれば、言うべきことを言い尽くしていたのかも知れない。[DVD(字幕)] 6点(2008-11-03 12:12:27)

26.  それでも生きる子供たちへ 私は一番最初のアフリカの少年兵の話が良かった。たとえば青空の下の畑(?)での大人の敵兵との撃ち合いなんか、そこが遊ぶにふさわしいような場所だけに、その唐突さ・非現実感から現実感が生まれてくるジワッとした感じなどが迫ってくる。破壊するために訪れた教室で、学ぶ夢に誘われる少年を、スニーカーを脱いだ足で見せた。言葉は寡黙で映像が雄弁という理想的な作品だった。“学校の夢”はラストの中国篇とも呼応している。また中国篇は“ゴミ拾い”でブラジル篇と、アフリカ篇は“戦争”でイギリス篇とつながり、“盗み”でジプシー篇とイタリア篇が通じ合っている(あのイタリア篇、夜の遊園地が夢のようにきれいだと思ったら、カメラがヴィットリオ・ストラーロだったのか)。いま世界での苛酷な子供の状況を多元同時進行的に捉えることが出来るオムニバスでもある。[DVD(字幕)] 6点(2008-05-22 12:21:40)

27.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 主人公の漫画家ギレンホールの言う「とにかく犯人の目を見てこいつだと確信したい」っていう気持ちに、こちらも同化する。最初の事件のなんともいやらしい車の動きぶり、あれだって覆面しているようなもので、それ以来ずっと、こういうことする奴はどういう顔してるんだろう、いう興味がつのっていく。容疑者リー・アレンに警察が会うシーンが、この映画で一番ドキドキした。やってることはどうってことないんだけど、こいつかもしれない、こいつでないかもしれない、そういう宙ぶらりんの気持ちのまま、こいつかもしれない容疑者の顔を見つめることの緊迫。こういうシーンで映画としての充実を覚えたのは珍しい。この映画、犯人の分析や事件の社会へ与えた影響などにはあまり関心を示さず、犯人に関心を示した人たちへの関心を持ち続ける。ラストに主人公が犯人(というか濃厚な容疑者)の目を見つめるシーンが置かれるのも、その流れだろう。首尾一貫してはいるが、これだけの長尺を持ちこたえるには、ちょっと物足りなくもあった。[DVD(字幕)] 6点(2008-02-05 12:23:35)(良:2票)

28.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 ひとたびベルトコンベヤーに乗せられると、もう執行猶予付きの有罪へ向けて一直線に進む安定したシステムが出来あがっているのが怖い。みんながよってたかってそのシステムに奉仕していて、それにちょっとでも抵抗すると、ほら反省してない、という証明になってしまう。この映画が現実をリアルに反映しているのなら、日本の裁判は証拠主義とは言いながら、かなり心証の勝負で決まっているようだ。より雰囲気づくりに成功したほうの勝ち。ならば、最初は乗り気でなかった女性弁護士瀬戸朝香の心証が変化していくあたりを、もっとくっきり描いてほしかった。具体的な証拠が彼女の心証の変化を導くさまを、一つ一つ対照できるように描くことで、裁判それ自体を実証的に裁いてほしかった。[DVD(邦画)] 6点(2007-11-09 12:13:44)

29.  ゾンビ革命~フアン・オブ・ザ・デッド~ 《ネタバレ》 “ゾンビ世界めぐり”を志しているわけではないが、変わった国のゾンビ映画が目につくと見てしまう。イスラム圏初の『パキスタンゾンビ』とか、最近では(イギリス製だが)アフリカものもあった。「世界はゾンビで一つ」の思いが深まる。やってることはだいたい同じなのに、風土が変わることで、微妙に映画の表情も変わるとこが味わい。で今回は共産圏から参加。まずこういう映画が作られ得ることに驚いた。検閲はないのか? 「米帝国の陰謀による反体制運動」と報ずる国営放送など、平気でおちょくっている。壁のスローガンも笑いの対象。中国では作れまい。ゾンビ蔓延する街が海で限られてるとこが一番キューバらしさで、すぐに現状と重ねて思うが、それほど逃走に切迫した意志は感じられず、ダラダラとアパートの屋上から状況を眺めているのが、とりあえず食うに困らない島国で安穏に暮らしたい気分と通じる。若者たちはマイアミを目指すが主人公は国にとどまる決着は、ガス抜き映画として当局も認める落としどころだろう。手錠で一列につながれている端からゾンビになって齧られていくのがおかしい。広場でうごめくゾンビたちをちょん切っていく手段がユニーク。[DVD(字幕)] 5点(2013-06-26 09:31:04)(良:1票)

30.  ゾンビ大陸 アフリカン ゾンビ映画最初のころは、なぜ死者が蘇るのかいちいち説明してたよな。化学物質による汚染だったり、特殊な宇宙線の照射だったり、「科学的」な説明が付いていた。そのうち面倒になったのか、見るほうも「そいうのはいいから早くやれ」という無言の圧力を強めたのか、最近は自然現象のように死者が蘇ってくる。ゾンビ映画という世界中で作られるジャンルが一つのシリーズもののように、後続は細部を説明しなくなった。これって映画史的に見て珍しいことなんじゃないか。自然現象となったゾンビ発生は、とうとう人類の故郷アフリカにまで広がった。主人公が白人男性なので、なんか植民地時代の差別観が根底に来るかと思ったが(海岸で襲われるあたりは「人食い土人の島への漂流もの」をほうふつ)別にそうでもなく、今はアフリカなら内戦多発地帯ということで、死体がごろごろしてるのが自然なんだ。昔風のゆっくり歩くゾンビが嬉しく、主人公の車がエンコしたりすると、近所の村人たちが暑さしのぎに散策してるような感じで、ジワジワとやってくるのが風情。グチャグチャドロドロの描写はあるが、全体爽やかなサバンナの風に吹かれていて、腐臭が漂う感じがない。湿度が低い。腐肉をあさる猛獣や猛禽類の存在を思うと、早晩ここのゾンビは絶滅するのではないかと心配だ。[DVD(字幕)] 5点(2013-05-02 09:45:12)(笑:1票) (良:1票)

31.  続・菩提樹 『サウンド・オブ・ミュージック』では見られなかったトラップ・ファミリーの「その後」が見られるという楽しみはあるが、映画としては平板でも一つ面白くない。安下宿の裏手で「オールド・ブラック・ジョー」を歌うシーンが一番良かった。興味を引いたのは「戦勝国アメリカを旅するオーストリア人を描いた敗戦国ドイツの映画」という屈折。同じ敗戦国として、なんか感じるものがある(日本映画ではアメリカロケって、いつごろから出来たんだろう)。一生懸命彼の地でがんばって、故郷に似た土地に家を得るまでの苦闘。しかし歌はいつも折り目正しく、アメリカに媚びたりしてない。オールド・ブラック・ジョーもオー・スザンナも、バッハやパレストリーナと似たトーンになる。セックスアピールが必要と興行側に言われても、尼僧姿を選ぶ。出来るだけヨーロッパ風・聖歌風で押し通そうとする。そこに敗戦国の意地が感じられた。といってニューヨークの摩天楼には素直に感嘆を示し、アメリカ文化を卑下するわけではない。屈折はあるのだが、それに拘泥せず前向きなのがよろしい。前向きにならざるを得ない状況だったけどね。これを撮影していた映画人にも屈折はあっただろう。戦前はドイツ映画はアメリカと肩を並べていたのに、いまでは青息吐息。その戦勝国をドサ回りしている映画を何とか撮っている。同じ敗戦国のイタリアや日本は、50年代に黄金期を迎え映画祭などを賑わしていた。屈折するなってほうが無理。でもドイツ映画の没落は、敗戦が原因というより、ナチスの存在でユダヤ系映画人が逃げ出したことの方が大きかった。ああいうことやると、回復困難な致命傷になるんだよな。[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-01-16 12:19:56)

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