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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  DUNE デューン/砂の惑星 PART2 SF映画史、いや世界中で生み出される“SF”そのものを巻き込みながら、紆余曲折を経て、ついに超大作として日の目を見た“PART1”の公開から4年。個人的には、「待望」していたと言って間違いないし、近年においては屈指のワクワク感を持って鑑賞に臨んだと言える。 圧倒的な映像世界、骨の髄まで響き渡るような音響表現が、前作以上の大スペクタクルと共に繰り広げられる。その映画世界のクオリティは、SF映画史のあらゆる文脈の起点でもある“DUNE”の世界観に相応しく、無論称賛を惜しむものではない。正直、「文句のつけどころがない」と言うしか無い作品だろう。 超大な画角で切り取られたダイナミックな映像世界は、全編どこを抽出しても世界最上級のクオリティに埋め尽くされている。そして、音響は砂の一粒一粒を伝わってくるように精細かつパワフルに、我々の鑑賞体験を包みこんでくる。 いやあ、なんてすごい映画なんだろうと、自分自身に努めて言い聞かせるようにこの一大叙事詩を観終えた。 ……と、ぽつぽつとこのレビューを書き進めながら、奥歯に物が挟まったような言い回しに、我ながら気持ち悪くなってくる。 ううむ、なんだろうと?と、鑑賞から数日経った現時点で、もやもやと明文化されない感情が、実は今この瞬間も渦巻いている。 語弊を恐れずにあえて端的に言ってしまうと、「これは、面白いのか?」ということ。 いやいや、こんなに凄い映画、「面白い」に決まっている。と、すぐさま別の自分が否定してくるけれど、また次の瞬間では熱くなりきれない空虚さみたいなものが襲ってくる。そんな自己問答を何ターンも繰り返してみて、この感情の在り方自体は概ね正しいのだろうと思い至る。 物凄く壮大で美しいSF超大作であると同時に、空虚な“渇き”が映画世界全体を包み込む英雄譚。それが、ドゥニ・ヴィルヌーブが生み出した“DUNE”なのだと思う。 圧倒的なスペクタクルを見せつけながらも、英雄の成長譚+復讐劇という“王道”を、安直なカタルシスに結び付けない映画アーティストとしての矜持が、本作の根幹にはそびえ立っているように思えた。 そして、この実世界や、人の世は、一辺倒な想像や予測、予知なんてものがまかり通るほど優しくはできていないということを、寓話的な映画表現の中でぎょっとするほどのリアリティと共に突きつけてくる。 それは、映画史上において多くの先人たちが挑戦し、時に頓挫し、時に酷評を浴び、高い高いハードルとしてそびえ立っていた“DUNE”を、「ドゥニ・ヴィルヌーブの映画」として完成させてみたことの証明なのだろうと思える。 ドゥニ・ヴィルヌーブの「作品」として、本作は思惑通りであり、成功しているのだろうと思う。 ただし、それがそのまま世界を熱狂させるほどの「面白い映画」かというと、そうはならない。 それは本作で監督自身が描きつけた“王道”に対するアンチテーゼにそのまま通じる。 この世界も、映画表現も、ときに非情なほどにシンプルではない。 誰よりもヴィルヌーブ監督自身が、その事実を承知しているからこそ、本作はこのPART2で“終焉”を許さなかったのだろう。 この映画は、成功しているが、完成はしてない。“王道”を否定して、その上でたどり着くべき物語の終着点を監督をはじめとする製作陣は、明確なビジョンと共に「予知」していることは間違いない。 ならば、どのような結末が用意されているのか。映画ファンとしては、ただただ待ち続けるしかなかろう。[映画館(字幕)] 7点(2024-03-24 23:06:07)(良:1票) 《改行有》

22.  テレフォン 《ネタバレ》 チャールズ・ブロンソンが、ソ連のスパイを演じるというキャスティングが的確だったかはさておき、単身アメリカに乗り込んで、自国が生み出してしまったテロリストを阻止するために暗躍するというストーリーはユニークでエキサイティングだった。 何十年も前に深層心理に植え付けられた「命令」が、催眠術によって“発動”されるという設定に対して既視感があったが、「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」でも同様のアイデアで、ウィンター・ソルジャーを操っていたな。多分本作が元ネタなんだろう。 米ソ冷戦下において、ソ連のテロリストを米国の諜報員が核戦争勃発を防ごうと奮闘する映画は多々あるけれど、ソ連側が自国のスパイを米国に潜り込ませて、秘密裏に危機を防ごうとする展開が新鮮だった。 ソ連側のスパイらしく、任務遂行のために時に冷徹に不安因子を消し去っていく様も印象的で、その部分においてはチャールズ・ブロンソンの無骨な存在感が合っていたと思える。 リー・レミックが演じる在米KGB局員との絡みも良い。アメリカ文化に馴染むおしゃべりな彼女のことを主人公が疎ましくぶっきらぼうにあしらったり、彼女自身も主人公を暗殺する密命を受けていたりと、表裏の感情が入り交じるやり取りが興味深く、また別の緊張感を生んでいた。 ストーリーテリングとしては、下手すればもっと煩雑で分かりにくくなりそうな展開をコンパクトにまとめられていて良かった。そのあたりは、ドン・シーゲル監督による娯楽映画職人としての技量が存分に活かされていると思う。 ソ連側(KGB)独特の冷酷さや非人道的な雰囲気も、それが正しいかどうかは別にして、うまく表現できていたとも思う。 その一方で、米国側(CIA)の描写はややおざなりで物足りなさを覚えた。 CIA側はコトの情報を掴みつつも、結局何も影響力を及ぼすことなく解決してしまうので、コトの重大性のわりにとてもミニマムな範囲で収束してしまったことは否めない。 この時代としてはとても先進的に、コンピューターを“相棒”のように駆使して分析をするCIAの女性局員など、ユニークなキャラクターは存在していたので、彼女たちがもう少し直接的に主人公やメインストーリーに絡む展開が欲しかった。 あと、時代的に致し方ないとはいえ、ソ連本国の描写においても人物たちがすべて英語を話すのには、いささか興が冷めたことも否定できない。 とはいえ、70年代の娯楽映画としては、今観ても十分に見応えのあるエンターテイメントだったので、現代の社会や世界情勢の設定でリメイクしても面白いのではないかと感じた。 本作では催眠術による命令発令の手段が「電話」しかない限定性が面白味でもあったが、ありとあらゆる通信手段が存在する現代においてもまた新たな展開が考えられると思う。まあその場合タイトル変更は必至となるが。 任務終了後、米ソ両国から命を狙われる自らの状況を悟って、どちらの体制にもなびかずに、女とモーテルに向かうラストシーンも良い。ダンディズム![インターネット(字幕)] 7点(2024-02-04 00:46:44)《改行有》

23.  DUNE デューン/砂の惑星(2021) 映画史における伝説や逸話が、何十年にもわたって先行し、流布し、世界中の映画ファンの「期待値」があまりにも大きく肥大したこの映画企画に挑み、“作品”として創造してみせたことを、先ずは称賛すべきだろうと思う。 ドゥニ・ヴィルヌーブ監督は、「メッセージ」や「ブレードランナー2049」でも見せたその芸術性の高さと、芳醇なイマジネーションを最大限発揮し、“DUNE”の世界観を見事にクリエイトしている。 この映画監督の素晴らしさは、ただ単に芸術的な画作りができるということではなく、絵画のように研ぎ澄まされた映像表現が、ストーリーを紡ぐ登場人物たちの感情や人生観にきちんと直結していることにある。 どこかのインタビューで、ヴィルヌーヴ監督自身が力を込めて話していた通り、映画製作における最優先事項は、映像の美しさや音響の素晴らしさではなく、その根幹に存在すべき人間の“ストーリー”なのだ。 そういう映画作りにおける本質を、圧倒的な創造性の中で表現できるこの映画監督の立ち位置は、今後益々孤高のものとなっていくだろう。 そして、本作も、そのヴィルヌーヴ監督の孤高の創造性に裏打ちされた見事な映画作品だった……とは思う。 ただし、この映画が、映画史における複雑に入り組んだ文脈、そこに深く絡む期待と宿命、それによるあまりにも高くそびえる“ハードル”を超える作品であったかと言うと、そこは「否」と言わざるを得ない。 僕自身は、本作で初めて“DUNE”の世界観に触れたのだが、1965年に発表されたSF小説「デューン 砂の惑星」と、その「映画化」への挑戦の歴史が、その後に創造されたあらゆる作品に多大な影響を与えていたことはよく理解できた。 製作開始直前にとん挫した1970年代の映画化企画による“遺産”が、その後の「スターウォーズ」や「エイリアン」に大きな影響を与えたことは言わずもがなだろうし、映画の構造としては、「マトリックス」や「ロード・オブ・ザ・リング」や「アバター」も、その系譜の上にあることは間違いない。 日本の作品に目を向けると、「風の谷のナウシカ」がその筆頭だろう。 描き出された未来世界のビジュアル、文化、慣習、人々の価値観や相関図に至るまで、あらゆる側面が色濃く影響していたことは明らかだった。 今回の映画化作品が、上述の歴史的大作の数々に匹敵するポテンシャルと魅力を備えていること自体は疑いようもない。 ただ、それらの作品が映画史上において果たしたような「革新」が、本作そのものに備わっていたかと言うと、残念ながらそれは無かったと思える。 壮大で果てしない映像表現も、体の奥底まで響き渡るような音響表現も、その上で息づく人物たちの深い生き様も、映画作品として最高水準のものであったことは間違いないけれど、そこに、心が沸き立つような映画的革新を感じることはできなかった。 「革新」を宿命づけられるなど、そもそもが無理難題なのだとは思う。 「スターウォーズ」にしたって、「マトリックス」にしたって、時代の中でふいに誕生したからこそ、その驚きと共に「革新」に至るのであって、予定調和の上の革新などあるわけがないのだ。 そういう意味で本作は、もしかするとたとえ「傑作」だったとしても「失敗作」という寸評から逃れられないあまりにも重い宿命を背負った作品だったのかもしれない。 だからこそ、その無理難題に果敢に挑み、映画作品として仕上げて見せたこと自体が素晴らしい成果だったと思う。 そして、その成果は、この後製作される“PART 2”によっていかようにも転じるだろう。 大きく上方修正されて、改めて革新的な「名作」として映画史に残るかもしれないし、逆に「駄作」として人々の記憶に残る結果に終わるかもしれない。 めでたくも続編の製作は決定しているらしいので、映画ファンとしては引き続き心待ちにしたい。 ラスト、主人公本人の台詞で明言された通り、この“伝説”は「始まったばかり」なのだから。[映画館(字幕)] 7点(2021-11-06 13:47:52)《改行有》

24.  TENET テネット 文字通り縦横無尽に行き交い混濁する時間の渦に放り込まれた名もなき主人公が、世界を救うために奔走する。 「行為→結果」の理が反転する時間逆行の世界の中で、彼が救うのは「未来」なのか「過去」なのか。 論理的に考えれば考えようとするほど、矛盾は幾重にもパラドックスを生み、堂々巡りから抜け出せなくなる。 このタイムパラドックスもの特有の“堂々巡り”、僕は大好物である。 そして、時間逆行の概念をビジュアル化し、この上ない“活動的”な映像世界を構築した試みと成果は、充分に評価に値すると思う。 映画監督として、「誰も見たことが無いもの」を追求し続けるクリストファー・ノーランの立ち位置は孤高であり、彼が世界の映画産業のトップランナーであるこは間違いないと思える。 ただし、だ。 この作品が映画として「完璧か?」と問われると、正直素直に「YES」とは言い難い。 非常に意欲的でセンセーショナルな映画作品であることを十二分に認める一方で、「成功」とは言い切れないフラストレーションを大いに感じている。 肝となる時間逆行のプロセスや設定が破綻しているとは思わない。 多少の整合性の無さや、細かい理屈を度外視したマクガフィンの存在などは、この手のタイプの映画にはあって然るべきだと思うし、そういう「粗」こそが娯楽になり得ると思う。 僕が感じたフラストレーションの最たる原因は、詰まるところ「分かりにくさ」だと思う。 「難解」が売りのこの映画に対して「分かりにくい!」などと言うことは、本末転倒も甚だしい。 しかし、この「分かりにくさ」は、時間軸が入り乱れるストーリーテリングや設定についてではない。 映像作品としての“見せ方”が非常に分かりにくすぎると思ったのだ。特にアクションシーンにおいては、きっぱりと「下手」と言わざるを得ない。 視覚効果を極力廃して、生身の人間、実物セットでこの映像世界を構築したキャストやスタッフの尽力は痛いほど伝わってくる。 この映画に携わる総ての映画人たちが極めてアグレッシブに映画づくりに臨んでいることは明らかだ。 だが、この難解なストーリーテリングをベースにした映画世界の構築においては、時にもっとシンプルに、もっと手際よく映像を紡ぎ出すこともまた必要だったのではないかと感じる。 そういう意味においては、アクションシーンの映像的な描き方が実はそれほど上手ではないクリストファー・ノーランの数少ない“弱点”が露呈してしまっているように思える。 順行と逆行の時間軸が同一画面上で入り交じるという破天荒な映像世界を表現するためには、敢えて仰々しいまでの乱雑さを意識することは必要だろうし、その映像的な“カオス”も含めてこの映画の魅力となっていることも確かだ。 でも、今作の物語を決する重要な局面においては、そのような過剰な演出は不要だったのではないかと思う。 特に、クライマックスについては、あのように大部隊が入り乱れる戦場シーンにする必要はなかったのではないか。 この作品の物語が実は紡いでいた熱い友情と気高い決断、そして事の真相が一気に明らかになるシークエンスにおいて、戦場シーンの混沌と混乱は不要だった。 画面上に登場する人物を主人公とキーとなるキャラクター数人に絞って、シンプルに映し出したほうが、クライマックスの緊張感とエモーションがもっと高まったと思うし、クリストファー・ノーランの監督としての資質にも合致していたのではないかと思える。 (ただ、ノーランはああいう大合戦シーンを撮りたがる。「ダークナイト ラジング」でもあったなあ……) 方々の“考察”も見聞きしつつ、ストーリーが整理できてくるほどに、決して目新しい話ではないということに気づく。 ストーリーそのものはある意味とてもシンプルだし、諸々の設定やストーリーテリングについても、「藤子・F・不二雄」をはじめ古今東西のタイムパラドックスものを好んで見尽くしている者にとっては、むしろ王道的であった。 そういうプロットを、クリストファー・ノーランだからこそ許される孤高の美学で貫き通した映画世界構築は、もちろん称賛に値する。 ただ、物語にきちんと備わっていたエモーショナルをもう少ししっかりと描きぬいてくれていたなら、鑑賞後の満足感は大違いだったように思う。 同じく難解で大胆なSF映画だった「インターステラー」が、忘れがたき傑作になり得たのは、映画的な“エモさ”に溢れていたからだと思うのだ。[映画館(字幕)] 7点(2020-09-27 23:48:14)《改行有》

25.  デッドプール2 《ネタバレ》 前作を鑑賞した際も強く感じたことだが、「反則」こそがこのヒーローの最大の魅力であろう。 バラバラになっても再生するという不死身の肉体そのものがもはや反則的だが、それ以上に、「第4の壁突破」というメタ構造を自由闊達に行き来する独自のキャラクター性こそが、この赤マスクの最強の「武器」であることは言うまでもない。 そして、その要素を、原作キャラクターの枠すらも超えて最大限活かし尽くせるライアン・レイノルズをキャスティングできたことが、この映画シリーズの揺るがない成功要因だと思う。 ハリウッド俳優の地位は確立しつつも、いまひとつ作品に恵まれず、演技パフォーマンスの出来に関わらず嘲笑の的にされてきたライアン・レイノルズという俳優のキャリアそのものを、レイノルズ本人が自ら笑いものにし、文字通り“ぶっ殺す”様が、今作の稀有なエンターテイメント性のピークだ。 ライトなコメディ要素として、自らのキャリアを全否定する描写を入れているけれど、普通そんなことは容易ではない。 そういう意味では、レイノルズ本人の、俳優としての客観性と、人間としての懐の深さが表れている。 その俳優本人の魅力が、コミックキャラクターの枠を超えて溢れ出ているからこそ、ライアン・レイノルズが演じるデッドプールは世界中の映画ファンを熱狂させ得たのだと思える。 前作から引き続き、数々の“反則技”を繰り広げるデッドプールだが、今作ではついに時間すらも超越する。 その昔、スーパーマンが地球を逆回転させて時間を逆行させ、死んでしまったヒロインを救うシーンを観たとき、子供ながらに「それアリ?」とやや懐疑的に感じてしまった記憶があるが、デッドプールに対しては不思議とそういう感情は生まれなかった。 それは、彼の本当の武器が、“反則技”そのものではなく、非常識をまかり通した上で、それを味方は勿論、敵役にも、観客にも「許容」させてしまう“人間力”だからだと思う。 そりゃあ、ブラッド・ピットもマット・デイモンもバカな役でカメオ出演してくれるわけだね。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2018-11-24 10:47:02)(良:1票) 《改行有》

26.  10 クローバーフィールド・レーン 「クローバーフィールド」は、個人的にその年の「No.1映画」に選出するくらい大好きな映画だった。 「怪獣映画」を文字通りに“新たな視点”で描き出した大傑作だったと思う。 その「クローバーフィールド」の“続編?”“番外編?”と、例によってJ・J・エイブラムスによるシークレットで彩られたプロモーションで発表された今作を期待せずにはいられなかった。 真っ当な続編というわけではないだろうことは想定していたが、その想定を超えて面食らう映画だった。 “裏切られ感”と“コレジャナイ感”も大いに漂うなかなかのトンデモB級映画だったと言わざるをえない。 ただし、その唐突なトンデモぶりも、芳しいB級臭も、概ね製作者の意図通りだろう。 ならば、この映画は成功していると言っていいのだと思う。 “前作”のファンとしては想定外のストーリー展開と顛末に対して戸惑ってしまったことは否めない。 けれど、この異色の映画世界を全編にわたって楽しめていたことも事実。 「こうなるのかな?」という予想をことごとく覆し、まさかのエンディングに繋げた映画構成は、良作と駄作の境界線上を際どく駆け抜けるようで、色々な意味でスリリングだったことは間違いない。 SFパニックと密室スリラーを“PPAP”ばりに強引に合体させた奇妙な映画世界に素直に没頭し、巨漢界の名優ジョン・グッドマンの怪演を堪能すべき娯楽映画だ。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2016-12-03 23:36:13)(良:1票) 《改行有》

27.  デッドプール 「反則技」というものは、“フツー”は非難の対象であろうが、同時に確固たる“エンターテイメント性”を孕んでいるものだ。悪役レスラーしかり、マラドーナの神の手しかり、人々は「反則」を非難しつつも、往々にしてそれに魅了される。 デッドプールというアメコミ映画におけるニューヒーローは、まさにそういう存在であろう。その存在性と魅力そのものが、きっぱり「反則」だと思う。 冒頭、タクシー移動をする“俺ちゃん”が、うっかりガムの食べかすを指につけてしまいそこかしこにこすりつけようとする。ふいに鑑賞者側にひょいっと腕を伸ばし、“存在しないことになっている”カメラのレンズにガムをこすりつける。これぞこの“赤マスク”に全身を包んだヒーローの最も特徴的な特殊能力「第四の壁の突破」である。 その後も赤マスクは、どんなに緊迫感が高まっている場面であっても構わず我々(鑑賞者)に向かって話しかけてくる。(最後の最後まで) 本来、こんなキャラクターが存在していいわけないのである。まさに反則。故に唯一無二に魅力的なのだ。 今回の映画化にあたっては、ここに至るまでの製作的な“文脈”にも注目したい。 文字通りの紆余曲折を経て待望のデッドプール役に“返り咲いた”主演俳優ライアン・レイノルズの執念が、このヒーロー映画にユニークな味わい深さを加味している。 何年も前からこのキャラクターを演じてみたいと切望し、「ウルヴァリン:X-MEN ZERO(2009)」で念願のデッドプール役を手に入れたはいいものの、用意されたキャラクターは原作とはあまりに乖離していたため酷評の的となってしまった。(今思い返してみたら、それでもレイノルズはいいパフォーマンスをしていたと思うけれど) その後も、「グリーン・ランタン」「R.I.P.D」とコミックヒーローを演じるがヒットには至らず嘲笑されるばかり。 そんなライアン・レイノルズのフィルモグラフィーは、「第四の壁の突破」という“メタ構造”がまかり通るこの映画において、格好のイジりネタであり、故に彼以上の適役はいないわけである。 絶え間ない軽口、飛び散る血しぶきと肉片、アメリカ的ジョークのオンパレードに仕上がっているこの映画化は、間違いなく大成功だろう。 ただし、だ。アチラの“馬鹿ウケ”は、イコール日本人の感覚では全面的に受け入れることが難しいということも事実。 愉快に笑えた映画ではあったが、諸手を上げて大はしゃぎとまではいかなかったことは否めない。 「X-MEN」シリーズはそれなりに成功を収めてはいるが、リブート版「ファンタスティック・フォー」の失敗も記憶に新しい20世紀フォックスでは、それほど莫大な予算組みが出来なかったのであろうことは、容易に想像できる。 “例の学園”に訪れたデッドプールが、二人だけしか登場しないX-MENに対して「予算がないのかな」と自虐するのだが、まさにその通りなのだろう。(せっかくネタにもしていたのだから、“スチュワートの方”のプロフェッサーXくらいはカメオ出演してほしかったな) そのせいもあってか、描き出される場面は非常にミニマムになっていて、ストーリーテリングにも広がりが無かった。 回想も織り交ぜながら、上手く「デッドプール誕生秘話」を描き出していたとは思うが、期待を膨らませて散々見てきた予告編から伝わってくるもの以上の物語性が無かったことは、少々残念だった。 とはいえ、「バットマンVSスーパーマン」「シビル・ウォー」と立て続けに公開され、「X-MEN アポカリプス」の公開も間近に控えるという、アメコミ映画ファンにとっては盛りだくさんすぎてオーバーヒートしそうな中で、今作が丁度いい潤滑油になったことは言うまでもなく、このニューヒーローの“独自性”が、群雄割拠のアメコミヒーロー映画界における“新ジャンル”になったことは間違いないと思う。 (レイノルズにとっては念願の)世界的大ヒットによって続編の製作は必至。次回はビッグバジェットも確保できるだろうから、より一層大々的に、馬鹿馬鹿しく、毒々しい“俺ちゃん”の活躍に期待大。[映画館(字幕)] 7点(2016-06-16 14:18:02)《改行有》

28.  天然コケッコー 登下校の何気ないひと時、遠い昔の記憶は、いつも奇跡のように思い出される。 それは、全校生徒が数人しかいない田舎の小中学校に通っていなくても、誰しもが持つ経験だと思う。 この映画は、単純に田舎の純朴さや雰囲気の良さを描いているのではなくて、そういったすべての人が持ち得る「遠い記憶」の何にも代え難い「価値」を描いていると思った。 主人公の中学生たちは、決して人間として完成なんてされていない。当たり前だ、中学生なのだから。 そんな彼らが、まわりの人間や自分自身の言動によって、喜び、傷つく。 全編通して、それほど大きな事件が起こるわけではない。むしろ「何もない映画」と言えるかもしれない。 しかし、日々の生活の中のたった“一言”が、彼らに生活の中では大事件であり、心は大きく揺れ動く。 きっとそれは誰しもが経験し、成長とともに徐々に薄れていく感受性なのだろう。 でもそれは全く無くなってしまうわけではなくて、それぞれの人間の奥の方に、ずうっと残り続ける。 そんな感覚をそっと思い起こさせる映画だった。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-09-05 08:54:02)《改行有》

29.  転々 「人生」なんてものは、まさに“転々”としていくもので、悲しい事も、嬉しい事も、順繰りにめぐるものだと思う。 ただ、幸せは、はっきりと目に見えるものではないし、これがそうだと実感できるものではないから、見逃してしまいがちで、辛い事ばかりに目がいってしまうのだと思う。 そういう人生の中での、ささやかな幸せを、淡々と、とぼとぼと、踏みしめるように映し出した映画だった。 三木聡監督らしいゆる~い可笑しさと、ふいに垣間見せる温かさの中で、オダギリジョーと三浦友和がさらにゆる~く息づく。 冒頭では、ただの借金を抱えた大学生とそれを追う取立屋だった二人の関係が、東京の可笑しさに溢れた“散歩”を通じて、次第に“疑似親子”のそれになっていく様に、人と人が触れ合うことによってはじめて生じる滑稽さと、その素晴らしさを感じる。 むさくるしい風貌の男二人の掛け合いがメインの映画なので、上野樹里と蒼井優が出演した「亀は意外と速く泳ぐ」ほどの華やかさはなく全体的に地味な感じはあるが、その分、じんわりと暖かみが染み渡る作品だったと思う。[DVD(邦画)] 7点(2008-06-21 10:46:14)(良:1票) 《改行有》

30.  ディパーテッド 《ネタバレ》 香港ノワールの大傑作「インファナル・アフェア」を、ハリウッドを代表する映画人たちがそのプライドをかけてどうリメイクしてみせるのか。やはり、この話題作の焦点はそこだったと思う。 スコセッシ監督のドライな映画世界も、ディカプリオの苦悩に溢れた表現力も、ニコルソンの流石の存在感も、この「ディパーテッド」という映画がまったくのオリジナルであれば、もう手放しで評価しても良いクオリティーは随所で見られたと思う。 しかし、これが香港映画のリメイクである以上、オリジナル作品と比べないわけにはいかず、結果として「ディパーテッド」の惨敗、「インファナル・アフェア」がどれだけスバラシイ映画であったかということを改めて知らしめるための作品となってしまったかもしれない。 映画として、ストーリーとしての「美意識」という観念において、今作はオリジナルに対し大きく引けをとってしまっているように感じた。 やはり主にはラストの顛末についてのことになるだろう。アンディ・ラウ(警察に潜入したマフィア)が結局最後まで生き残り、複雑な感情が入り混じる苦渋の表情で締める「インファナル・アフェア」に対し、今作の顛末にはあまりに節操が無く、余韻が残らない。 クライマックスの流れまでほぼオリジナルに沿っているわけだから、最後まで通した方が良かったのではないかと思う。 前述しているように、映画としてクオリティの高い箇所はいくつもあるし、面白くない映画では決してない。 ただあらゆる面において、オリジナルである「インファナル・アフェア」の圧勝であることは、否定できない。 [映画館(字幕)] 7点(2007-01-28 23:10:59)《改行有》

31.  デイ・アフター・トゥモロー さすがはハリウッドきっての直球王ローランド・エメリッヒである。小細工なしのど真ん中ストレートを投げさせたら、今の大作娯楽映画界に彼の右に出るものはいないだろう。もちろん、直球しか投げられないと言ってしまえばそれまでだが、娯楽映画に必要なのはまさにその豪快さである。CGによる映像技術が進歩したといっても、これほどまで地球が滅亡していく様をまざまざと見せつけたものはなかった。その映像世界に対する絶大な圧倒感だけで、この映画は存在する。まさに豪快。まさに娯楽。ただ残念なのは、人間描写にエメリッヒ監督ならではのカッコよさがなかったこと。デニス・クエイドが主役という時点でキャスティングの弱さは致し方ないが、「ID4」「ゴジラ」にあったような脇のキャラクターの小気味よさをもう少し見せてほしかったと思う。妙に男前な大統領や犬連れの浮浪者にその期待をしたのだが、不完全燃焼に終わってしまった。まあ、自然の驚異、地球環境の悲鳴に対する人間の無力さというものを考えれば、人間の動きが弱いのも納得できなくはないが。ラストの宇宙飛行士の言葉にあるように、地球には、人間には、「浄化」が必要なのかもしれない。7点(2004-06-07 11:39:54)

32.  デリカテッセン ジャン・ピエール・ジュネ監督の悪趣味全開という趣向の映画だった。しかしただ悪趣味でグロテスクなわけでなく、その中に映像的な美しさや特異な物語の中の確固としたテーマ性が観客を引き付ける妙技だと思う。7点(2004-01-28 16:50:56)

33.  デスペラード 崇高なまでに単純なアクション満載のストーリーは日本のサムライ映画に通じる部分もあり、娯楽映画の真骨頂と言える雰囲気を醸し出している。ひたすらに撃ちまくり、ひたすらに濃いアントニオ・バンデラスがカッコ良い。[ビデオ(字幕)] 7点(2003-11-28 18:15:01)

34.  天使の涙 賞賛すべきはウォン・カーウァイの圧倒的な世界観だが、あえて抑えて欲しいのは、金城武の存在感である。日本のメディアでしか彼を見たことがない人は、ウォン・カーウァイの世界にハマっている彼の存在にハッとするはずである。金城武には日本でなくアジアの舞台で積極的に活躍してほしいと思う。7点(2003-11-18 18:31:12)

35.  デッドマン・ウォーキング 安易に感動を強調するテイストに仕上げてはいないので、むやみに心が揺さぶられるということはなかったけど、心の奥にずうんと響くものはあった。死刑判決が下るほどの犯罪を犯した死刑囚が主役なわけだから、手放しに主人公に同調することは出来ない。作り手としては非常に難しい題材であったはずであるが、見事に上質なドラマとして仕上げたティム・ロビンス、ショーン・ペン、スーザン・サランドンに拍手。7点(2003-10-14 14:55:20)

36.  テッド 二日酔いが地味に残る日曜日の午前中。 朝からの降雨も手伝い、食事を買いにコンビニに出かけることも億劫だったので、午前10時から宅配ピザを頼んだ。ペプシコーラを飲みながらダラダラとこの映画を観た。 映画は評判通りにしょうもなくて、その“体勢”で観るのに相応しかった。 この映画にとってその評は、とても的確な褒め言葉だと思う。 ストーリーは想像以上にくだらなくて、繰り広げられる殆ど「悪態」に近いブラックユーモアは、必ずしも笑いの連続というわけではない。 素直な可笑しさが思ったよりも少ないのは、文化の違いによるものかと思ったが、実際はアメリカ本国でも失笑の連続だったようだ。 すなわちこの映画は、決して完成させれたユーモアを楽しむ類いのコメディ映画ではなく、つくり手があまりに個人的な趣向を全面的に押し付けてくる粗くゆるいコメディ映画なのだと思う。 失笑はおろか怒りさえ禁じ得なかった人も少なくなかったろうけれど、そのようにある意味意識的に「間口」を狭めたことも、つくり手のねらいだったろうと思える。 笑いたきゃ笑え、怒りたきゃ怒れ。そういう“開き直り”の精神が、この映画には満ち溢れているように見える。 こういうある種の危険性も孕んでいる馬鹿馬鹿しい映画にも、しっかりとスター俳優が揃い、大物ゲストが顔を出すあたりに、やはりアメリカという国の文化の豊かさを感じる。 ただひとつ言っておきたいのは、この映画において、まさしく「奇跡」と呼べるキャラクターは、しゃべるクマのぬいぐるみ“テッド”などではないということ。 世界中のボンクラ男子にとって「女神」としか言い様がない、ミラ・クニス演じる“ローリー”こそ、完全なる空想の産物であり、もし存在するならそれは「奇跡」としか言い様がない。 強烈なぬいぐるみ以上に、希少なヒロインに萌えた。[CS・衛星(字幕)] 6点(2014-11-09 14:02:46)(良:1票) 《改行有》

37.  手紙(2006) 《ネタバレ》 「手紙ってめちゃ大事やねん」と、沢尻エリカが主人公をこれでもかと諭すように言い放つ。 もう映画のクライマックスだと思っていたシーンでのこの陳腐であざとい台詞を聞くや否や、思わず大あくびをしてしまった。 物語としての面白さがまるでない道徳映画を観てしまったなあと思った。 が、映画はもう少し続いて、結局最後は泣いてしまった。 東野圭吾の原作は読んでいないので、一概には言えないが、ストーリーには彼らしい捻りはない。 殺人を犯した兄を持つ主人公の苦闘の日々を、兄弟間の“手紙”のやり取りを絡めながら、つらつらと重苦しく描く。 映像となり、主人公を山田孝之が演じることで、その“重さ”は余計に”じっとり”としたと思う。 だからと言って、特筆する程の「悲劇」も描かれない。明確だけれど地味な「不幸」が波のように訪れるばかり。 苦悩し続けた主人公は、ついに兄との明確な「決別」を決意する。 ラスト15分、そこから物語はようやく感動へ転じていく。 映画の中でも説教臭く描かれる通り、世の中から「差別」が無くなるなんてことはないのだろうと思う。 なぜなら、人の世の中は、差別し、差別されることで成り立っている要素が多分にあるからだ。 そして、そのことと同じく、一度繋がった人と人との関係性を完全に消し去るなんてことも、実際不可能なことだろうと思う。 それが血縁者であるなら尚更。ただただ受け止めて、生きていくしかない。 使い古された言葉を敢えて使うなら、それが「宿命」というものなのだろう。 そういうことをこの兄弟がそれぞれに受け止めたラストシーン。 受刑者の兄を演じる玉山鉄二が、漫才をする弟の姿を見つめながら、号泣を押し殺すようにひたすらに両の手を合わせる。 それは、延々とありふれた道徳論を描いてきた映画の果てに辿り着いた、綺麗ごとではない真実味だったと思う。 映画としての展開は非常に稚拙で、ラストシーンにしても小田和正の楽曲を無理矢理持ち出して、強引に涙を誘うというあざとさが溢れていることは否定できない。 ただあざといからこそ、人間と社会、人間と人間の結びつきについて考えさせられる映画だとは思う。[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-12-22 17:20:08)《改行有》

38.  ディナーラッシュ 緊張感のある厨房内の映像をはじめとする映像感覚は非凡で目を見張るものがあった。予想外のラストも小気味良く満足感はあったが、中盤の群像劇にもっと秀でたドラマ性があれば更に膨らみをもった秀作に仕上がっていたと思う。6点(2004-01-30 18:04:25)

39.  ディープ・インパクト(1998) 人間のドラマ性を重視した彗星衝突を軸としたオムニバス的なストーリー展開は感動を誘い、同時期に公開された「アルマゲドン」よりは遥かに優れた映画に仕上がっている。しかしながら、題材のわりにはもうひとつ盛り上がりがなかったことも確かだ。基本的には、三様の人間ドラマを軸に構成されているわけだが、それぞれが散発的で一つの映画としてはまとまりがなかったように感じた。タイトルに対して、ストーリーにインパクトが無かったことが残念だ。6点(2003-11-11 15:28:24)

40.  デンジャラス・ラン 冒頭のタイトルバックで初めてこの映画の原題が「Safe House」だと知る。 諜報機関の“隠れ家”であるセーフハウスの管理人(という役割を与えられているCIA職員)が主人公という設定はフレッシュで面白いと思った。 もっとそのフレッシュさと特性を生かして、セーフハウス自体を軸に物語を展開させられたなら、遥かにオリジナリティに富んだ映画になっていたかもしれない。 もはや敢えて怒りはしないが、邦題の付け方は相変わらずダサい。デンジャラスって……。 とはいえ、そういう苦肉の邦題を付けたくなる気持ちも分からなくはない。 “管理人”という設定を見せ終わってからは、ただただありきたりな逃亡劇が延々と続く。 ヨハネスブルグをを舞台にした逃亡シーンでは、独特の煩雑さとじっとりとした空気感が、切迫さを助長していたとは思うけれど、ストーリーに特筆する程の工夫が無いのでやはりダレてしまう。 デンゼル・ワシントンは、ここ数年すっかり板に付いた印象のあるでっぷりとふてぶてしいキャラクターを安定した演技力で見せてくれるが、その演技プランももはや新鮮味には欠け、彼の名優としての実力を踏まえれば、手抜き感は否めない。 彼が演じるキャラクター的には、最後までその謎めいた不穏さを貫き通してほしかったと思う。 最も腑に落ちなかったのはラストの顛末。 CIAの下級職員だった主人公は、絶体絶命の危機を生き抜き、諜報員として得難い「経験」をしたとは思う。 しかしだからと言って、蓄積された実績がまるでない主人公がラストシーンのその後を生き残れるとは決して思えない。 愛した見納め格好良く去った次の瞬間に頭を撃ち抜かれてるんじゃないかとすら思ってしまう。 まあ適度に緊張感はあるし、アクション映画としてのスピード感も悪くは無い。 暇つぶしには適当な映画だとは思う。[CS・衛星(字幕)] 5点(2014-08-02 00:27:50)《改行有》

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