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1.  転校生(1982) 《ネタバレ》 『転校生』のプロットはまさに画期的かつ奇想天外だ。だが本当に面白いのは、この突飛な設定に反し本作が実は一貫してオーソドックスな青春映画でありつづけようとすることだ。一美が一夫であり一夫が一美であるという彼らの身に起こる一大事は、言わば本人たちがただ勝手にそう主張し上を下へと大騒ぎしているだけに過ぎない。つまりは彼らがいかにハチャメチャな騒動を巻き起こそうと、映画はひたすらに何の変哲もないありふれた青春の、それゆえ美しい日々を、ただありのままに捉えるのだ。そんな風にして描かれるのは、だれしもがかつて学校の音楽室で耳にしたはずの入門編クラシックと、郷愁をさそう尾道の町並み、そしてそんなノスタルジアを背景に先述の二人がくりひろげるそれこそ古典的なまでのドタバタ喜劇。それらを奇を衒うことなく綴っていく大林宣彦監督のその視線はいつにも増しておおらかだ。彼が前作『ねらわれた学園』や次作『時をかける少女』では一転、角川映画の製作費を投じ大林印のきらびやかな特撮を駆使していたことを考えると、そうした特撮を徹底的に除いた本作のカラーは低予算ゆえの決断だったかもしれない。だが逆に言えばその英断ゆえ、本作は大林印に免疫のない観客層にも訴求する力を持つ作品となってもいる。一美役に起用した小林聡美がいわゆる大林印の美少女でないことも然りだ。主人公二人の内面だけに起こる目に見えない奇想天外、それを特撮もデコレーションも排したありきたりな風景の中でファンタジーとして体現できる女優は小林聡美をおいて他にいないだろう。「さよなら私」「さよなら俺」、手をふりあう一美と一夫。それは転校生とそれを見送る者とのセンチメンタルな別れであると同時に、子ども時代というファンタジーの終焉でもあり、さらには人知れず悩める思春期との決別であり、また、初めて意識しあった「異性」との別れでもある。望遠レンズでも追いつかないほどにどんどん小さくなっていく「俺」はいつしか「あなた」となって、別れに胸を痛めながら、それでも健気に軽やかなスキップでまたその先を進んでいく。そうして八ミリの中の豆粒のような斉藤一美は、消える寸前、ついに芳山和子や橘百合子に負けない大林映画の美しきヒロインとしてフィルムにくっきりと焼きつくのだ。「さよなら俺!」、やさしくささやくような一夫の、その言葉と共に。[DVD(邦画)] 9点(2010-03-03 03:05:57)(良:3票)

2.  デス・プルーフ in グラインドハウス 《ネタバレ》 冗長なガールズトークは嫌いじゃない。無意味にスクリーンいっぱいに接写されるメール送信画面にブライアン・デ・パルマ監督『BLOW OUT』の流麗なサントラをこれまた無意味にかぶせてしまうタランティーノ流お遊びも、楽しい。だがこの映画には決定的に欠けているものがある。復讐を描くには美意識が要る。例えば悪趣味かつ馬鹿丸出しな『キル・ビル』が、それでも一方で張りつめんばかりの緊張感を持ち得たのは、『修羅雪姫』や『女囚さそり』シリーズへのリスペクトを基にタランティーノが描くその復讐劇が、前述の映画に存在した(梶芽衣子式とでも呼ぶべき)気高い美学にきちんと則っていたからだ。わが身に降って湧いた卑劣な裏切りへの報復を誓い、時に敵の四肢を斬り落とすほどの非情さを見せるユマ・サーマンだが、彼女はその前提として自らの命を賭すだけの悲壮な決意をもって、血みどろの闘いに臨んでいた。それこそがつまり、復讐の美意識だ。だが一転、『デス・プルーフinグラインドハウス』にそんなものは微塵も存在しない。何のためらいも葛藤もないまま変態殺人鬼と同じレベルに堕し、野放図にそして嬉々として行われる汚らわしいだけの復讐。それは、真珠湾攻撃の報復に原爆を投下しカタルシスに浸る、そんな類いの正義にもどこか似ている。低俗なB級C級映画を敢えて再現するというコンセプトの上に成り立つこの映画にとって、批判こそが最大の賛辞なのは百も承知だ。そうして小狡く舌を出すタランティーノの茶目っ気もよく解っているつもりだ。そもそもそれ以前に、復讐などに美醜を求めることこそが間違っているのかもしれない。だがそれでも、と、爆笑と歓声に沸くとある被爆国の映画館で、私は一人寒々しく思った。復讐という名の下ただ卑しいだけのこんな蛮行に愉快痛快と拍手喝采を送る感覚を、少なくとも私は、持ちあわせていない。[映画館(字幕)] 0点(2010-01-28 22:54:25)(良:1票)

3.  天使の涙 《ネタバレ》 ウォン・カーウァイの映画では、登場人物たちは縦横無尽に街を疾走し、すれ違い、出会い、別れ、また出会い、あるいはまたすれ違う。せわしない彼らの疾走が止むことはない。それは60年代の香港であっても現代の香港であってもブエノスアイレスであってもニューヨークであっても、変わらない。街の動きとはそういうものだと言わんばかりに。撮影監督クリストファー・ドイルが描出する過剰にスタイリッシュな、色と光の洪水のごとき映像。行き当たりばったりなストーリー。ときにポップ、ときに絢爛な美術。スター俳優ばかりを起用した贅沢なキャスティング。カーウァイ映画は、とかくこれらの要素ばかりに着目して毀誉褒貶が下されがちだが、それはとても無意味に思える。なぜならそれらはウォン・カーウァイ独特の目くらましにすぎないからだ。手を変え品を変え装飾されたその表層の下には、常に同じシンプルな主題が恥ずかしそうに息を殺して隠れている。広角レンズを多用し、ひときわ強調される目くらましとはうらはらに、『天使の涙』は彼がもっともすなおにその素顔を見せた作品でもある。ウォン・カーウァイの映画は憑かれたように一瞬を描きつづける。腕時計の秒針の一周を共に見守る一瞬、明け方のグラウンドでポケベルが鳴る一瞬、固い握手をかわす一瞬、そして二人乗りのオートバイの背中に体温を感じる一瞬。心と心が通いあい、魂がことりと音をたてるようなその一瞬。ときに人は永遠を夢みてしまう。『欲望の翼』でマギー・チャンがせつなく演じたスーのように、一瞬の輝きに囚われ、それをつなぎとめたいと必死に願う。そして打ち砕かれる。『天使の涙』では、過去に出会ったはずの男女の片方がまるごとその記憶を失くしているというおよそ現実ばなれしたシークエンスが二度くりかえされる。失恋女は失恋の痛手から救ってくれた武(モウ)をきれいさっぱり忘れ、金髪女は今度こそ忘れられない一瞬を刻むため自分を忘れた殺し屋の腕に力の限りかみつく。人と人に永遠などない。すれ違い、出会い、別れ、またすれ違っていく。それでも人は疾走を止めない。いとおしいその一瞬を少しでも引き延ばすかのようにスローモーションへと変わっていくラストシーンは、奇跡のように美しい。ウォン・カーウァイは描く。その一瞬こそが、永遠なのだ、と。[映画館(字幕)] 10点(2009-07-22 22:57:13)(良:2票)

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