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コメント数 3860
性別 男性
年齢 53歳

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1.  ノー・エスケープ 自由への国境 こういうの、大好き。 私も、その昔初めて『激突!』を見たときのことを思い出しました。こんな小ネタっぽい題材で映画一本分、成立するんだろうか、などと思ってたら、もう、成立し過ぎて困っちゃうほどの面白さ。シンプル故に、逃げ場もない。 その時は、「だから映画って、面白いよね」と思ったものの、だけど実際には、なかなかそういう作品にはお目にかかる機会もなく。 だもんで、はい、この作品も、貴重です。 ひたすらだだっ広い砂漠で、追う者と追われる者。どこからともなく飛んでくるライフルの弾のコワさ、なんかこう、背中が無防備な状態の姿を見ただけで、ムズムズしてきます。 数々の雄大な光景が映画に登場しますが、それが「ただキレイな光景」というだけではなく、せれがそのまま、主人公の過酷な状況も表していて。 もう一度言おう、こういうの、大好き。[インターネット(字幕)] 9点(2021-06-15 22:36:18)(良:1票) 《改行有》

2.  野良猫ロック 暴走集団’71 シリーズ第5作、この最終作に至っても結局、何がノラ猫で何がロックなのか、分からなかったけど、まあ、そんなことはおいといて。 公開日の関係でタイトルには「'71」が入っているとは言え、映画の最後には「1970.12.23」という日付が入っていて、1970年という年の中を、5本が走り抜けたこのシリーズ。最終作は残念ながら(?)第2作目と同じく藤田敏八がメガフォンをとっていて、同一シリーズとは言え、第1,3,4作の長谷部監督作と第2,5作の藤田監督作とは、テイストが異なります。前者が「若者vs若者」の衝突であるのに対し、後者は若者が社会と対立、挑戦するような内容、いわば「若者vs大人」の構図。女性よりも男性の方が映画の中心にいて、特にこの第5作では、これまで中心にいた梶芽衣子の存在も影が薄くなり、いかにもビンボー臭い容貌の原田芳雄が、映画の真ん中に腰を据えている。むむむ。やっぱり、一体何がノラ猫で何がロックなんなんだ、と。 と言う訳で、ロックというより、だいぶフォークのニオイがする作品となっています。一応、ザ・モップスとかいうバンドで、モップ頭で歌う鈴木ヒロミツなんかも登場して、ロックに詳しいヒトにはもしかしたらタマランのかも知れませんが、私は疎いのでよくわかりません。むしろマチャアキが歌ってるシーンもあったりするもんだから、どちらかというと、漂っているのは昭和歌謡ムード。あと、乱交チックな場面を挿入して、多少アナーキーなところも見せたりしてます。これが、ロック? で、それが終盤には、銃やらダイナマイトやらでの闘争に発展。その舞台となっている背景のセットを見ても、いかにもマカロニウェスタンな世界。なんじゃ、こりゃ。 このぶっ飛び具合が、何となくハリキリ過ぎの作為めいたものを感じたりもするのですが、それもまた、今の観点でのうがった見方なのかも知れませぬ。この勢い。華々しい、シリーズの幕引きでした。[インターネット(邦画)] 6点(2021-04-17 09:36:57)《改行有》

3.  野良猫ロック マシン・アニマル 《ネタバレ》 最初こそ多少のいざこざはあれど、「米軍脱走兵を匿い、海外へ逃がす」という目的のもと、たちまち梶芽衣子と藤竜也が共闘モードに入るもんで、この第四作、内容的にはかなりスッキリしています。ちょっと拍子抜けするくらいに。 最初に少しいざこざを交えることで、それに対する和解が、一気に親密度合いを深める、というわけですな。 仲間が集まりワイワイやってる、それを見守る各リーダー格の藤竜也と梶芽衣子が、何だか、デカイ子供たちを見守るパパとママみたいに見えてくる。 実際はそこに、LSDの取引などといったアブナイ話も絡んで、そこは本シリーズのアナーキーな持ち味でもありますが。 一方で油断ならないのが、郷鍈治率いるバイク軍団。そうか、リーダーはサイドカーに乗るものなのか。じゃあゴレンジャーのリーダーは実はキレンジャーだったのか。 彼には何やら過去があり、彼の背後には車椅子の范文雀がいて。紫色の部屋で、いつもオルガン演奏によるバッハの「フーガの技法」を聴いてるのが、なんかコワい。 やがて梶・藤と郷との抗争に発展した事態は、急転直下、すべてが徒労に終わるという虚しさに溢れた顛末を迎えることになるのですが、どこか、全てをやり切ったという清々しさみたいなものも感じないでは無く。 これまでの四作中、三作を長谷部安春が演出していて、細かいショットをチカチカとサブリミナル的に切り替える実験的な手法はここでも健在。とんでもない場所をバイクで突っ切ったりするアクションも、第一作のノリを感じさせます。 違うのは、藤竜也にヒゲが無い、ってことだけど、ヒゲが無くても、カッコいいねえ。[インターネット(邦画)] 7点(2021-04-11 22:44:03)《改行有》

4.  野良猫ロック セックス・ハンター 監督が長谷部安春に戻ると、また梶芽衣子が女性軍団引き連れてます。しかし一方では、藤竜也率いるジープ軍団と、一匹狼・安岡力也の対立があって。 藤竜也がいかにもワルそうで、いかにもカッコいい。安岡力也は何だか松田優作をイカツくした感じで、時々、松田優作そっくりに見えることもあり、やっぱりイカツいのでそっくりに見えないこともある。 ストーリーはあるのやら無いのやら、だいぶ適当な気もするのだけど、リンチやらレイプやら、暴力性はグレードアップし、梶芽衣子も火炎瓶振り回して、かなりアナーキー。クライマックスの銃撃戦に至るまでひたすら暴走気味で、まさに、野良猫は眠らない。[インターネット(邦画)] 7点(2021-04-04 21:40:18)《改行有》

5.  野良猫ロック ワイルド・ジャンボ 第一作が女性軍団大活躍、という作品だったのに対し、監督代わって第二作では、男性達の中に女性が混ざった、ゴレンジャータイプ。この時点でちょっと特色も薄れ気味、ではありますが。 しかしワイルドジャンボって、一体何でしょうね~。そんな名前の宝くじ、いかにもありそうですよね~。 という訳で、というワケじゃないけど、一攫千金のオハナシ。前半はおバカな若者たちの野放図な生態が描かれ、後半は彼らの現金強奪作戦が描かれます。 やっぱりこういう映画って、例によって、『冒険者たち』みたいな作品を狙ってるんですかねえ。似ても似つかん、とまでは言わないけど、言わないだけで心の中ではそう思ってる。 だけど、こういう全部を投げだすようなラスト、イイなあ、と思っちゃう。メチャクチャなんですけどね。 カメオ並みのわずかな出番だけど、アッコさんのパワフルな歌声は存分に味わうことができます。[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-02 06:22:11)《改行有》

6.  ノッティングヒルの恋人 くそ~何となく腹立つよな~ という、そんな映画。ああ、何という投げやりなコメント。そう羨むなっての。 とりあえず、ジュリア・ロバーツがちゃんとチャーミングに描かれていて、それ以外の人物たちがちゃんとブサイクに描かれているので、映画の所期の目標は達成できていると言ってよいのではないか、と。特にこの、ヒュー・グラントのタレ目っぷりが、もう頼りなさ全開で。かつてはイギリス美青年軍団の一翼を担っていて、実際私もいまだにこのヒトと言えば『モーリス』のイメージなんですけれども、ここではまあ見事にダメダメ感を出してくれています。周りがもっと変だから、そんなに目立たないけれど。 という訳で、いっそこの映画のタイトルは、『ノッティングヒルの変人』でどうでしょうか。←青い山脈かっての。 ・・・と、それはともかく。 浮世離れしているであろうハリウッド女優が割と普通の感覚を持った自然体の女性であり、むしろ庶民の代表のような本屋の兄ちゃんが煮え切らない態度を取って右往左往するもんだから、纏まるものも纏まらない、という、実に実に「さもありなん」なオハナシ、なんですね。いや、時々は行動を起こそうとするんですけどね、でも結局は、ただのイイ人。自分がイイ人だと、周りも何となく気を使ってしまう。それがまた本人をスポイルしてしまう。しかし本人の決断と周りの一押し二押しがシンクロすれば、それはもう鬼に金棒で、クライマックスで何で全員がクルマにすし詰めになって主人公に同行しなきゃいけないのか訳がわからんのだけど、でも実際、これが妙に盛り上がるんです。カーチェイスみたいな派手さは無いのに、カーチェイス並みに盛り上がる。 結局は、ヒュー・グラントって手がかかるよね、という事なんですけれども。[CS・衛星(字幕)] 6点(2021-02-22 20:41:23)《改行有》

7.  野火(2014) 中学に入る前後くらいの頃に、世の中に文庫本なる廉価なものがあるのを知って途轍もなく世界が広がったような気がしたものですが、当時読んだ2つの戦争文学が妙に心に引っかかってて、というか、それらの小説の主人公・「田村一等兵」と「木谷一等兵」の存在が、妙に心に引っかかったのでした。おそらくそれは、彼らの存在が、人間が生きていく上で受けねばならぬ束縛、不自由さみたいな、普遍的なものを反映しているように感じられたから、かも知れません。後者は勿論「真空地帯」の「木谷」であって、彼は軍隊組織の中で抜き差しならない立場に置かれている訳ですが、一方、本作の主人公である前者の「田村」は、戦場で極度の飢餓状態に追い込まれており、いわば人間が肉体を持つが故に束縛された不自由な状態となっています。 そういえばこの「野火」という小説の中では人肉食がテーマの一つとなってますが、手榴弾で負傷した木谷が自分の肉片を口にし、その行為は明らかに自分の自由だ、なんて言う場面があって(映画ではかなりアッサリと描かれてます)、このエピソードが何だか作者の主張を無理矢理に挿入したみたいな違和感を昔から感じていたのでした。が、確かにこれもまた「自由」の問題であって。小説の木谷は、肉体の束縛だけでなく、神の視線という束縛、いやむしろ、「神の視線を意識している自分自身」にこそ、束縛されているのかのような。 というような観念的な部分は、映画の中で語ろうとすれば、独白に頼らざるを得なくなっちゃうので、本作では直接には描かれません。途中、他の兵士から「お前は自由だ」なんて言われる場面こそあるものの、この作品における木谷には自由など持ち合わせておらず、未知の島を彷徨う自由、死を身近に感じる自由なんてものもない。 死は恐怖。肉体という厄介なものを抱えた人間は、それ故に飢餓に苦しみ、またそれが故に敵の攻撃で肉体を損壊させ、のたうち回る。 そういう恐怖が、この映画では徹底して描かれています。映画前半で目を引いた花の「赤さ」が、終盤、友軍兵士の血に染まった舌の「赤さ」として再現し、我々の目に突き刺さってくる。この何という恐ろしさ。 そういう視覚的な怖さの一方で、劇中のセリフは抑制され、主人公の内面は封印されていますが、奇怪なラストで彼の内面が一気に噴出して、ドキリとさせられます。[CS・衛星(邦画)] 8点(2019-10-26 12:14:29)《改行有》

8.  野火(1959) 生とは何か、生きる上で何が許されるのか。多分に観念的な原作小説では、その問いがさまざまな形で問われ続けますが、一方で、むせ返るような空気、飢餓、人肉食といった極限状況を描き、観念性と生々しさが見事に同居した作品となっておりました。それを映画化する難しさ。 よってここには当然ながら映画らしいアレンジがあり、主人公の田村一等兵の意識や思索といったものは抑制されていて、どっちかというと何も考えてなさそうな(笑)船越英二が主人公を演じ、ただただ、目をぎらつかせている。そして、周囲の人物の描写が比較的多く取り入れられていて、平凡な人たちの異常な体験、という印象が強くなっています。その彼らの、あまりにあっけない死。 芥川やっさんのロシア音楽みたいな映画音楽、確かに異境の感じを出してはおりますが、もう少し音楽の挿入自体を控えてもよかったかと。いささか過剰な気もしました。[CS・衛星(邦画)] 7点(2016-08-11 10:05:08)《改行有》

9.  のぼうの城 多勢に無勢、2万人対5百人の戦い。ってのが何だか、この作品における「豪快過ぎるスペクタクルシーン」対「野村萬斎のひとり踊り芸」と重なるような気がして。実際、この作品では(とくに前半)、主人公であるはずの野村萬斎の扱いがあまりよろしく無くって、あまり光も当たらない。むしろ彼を取り巻く人々の表情の方が、描かれてます。それに、この主人公、奇行が目立つとは言え、「天才」ならではの裏のある奇行なんぞではなく、むしろ裏が無く計算もあまり無く、場の空気や常識にそぐわぬ闇雲な率直さが結果的に奇行奇策に繋がっていく、という具合。映像は派手な合戦シーン、派手な水責めシーンと、どんどん視野を広げスケールを大きくしていき、主人公の魅力と野村萬斎の芸が、それに対抗する。ってのが、何だか愉快ではありませんか。[地上波(邦画)] 7点(2014-03-16 20:44:14)(良:1票)

10.  ノウイング 《ネタバレ》 ドロズニンのトホホな著作『聖書の暗号』を思い起こさせるような、未来の災厄を予言したという数字の暗号。そこからオハナシは思わぬ方向(あまり暗号とは関係ない方向)へと進み、最後は“ノアの方舟”へ。とりあえず企画的にはワケわからんけど(笑)、そのワケわからん流れをちゃんと繋いで行ってるのが、非常に好感持てます。面白く観させていただきました。息子が寝室で亡き母親のビデオを見ているのを目撃し、主人公はまた落ち込む。放心状態で酒を注ぐ手もおぼつかなく、こぼした酒で「手紙」を濡らしてしまう。コップの底の形に濡れた「手紙」に書かれた数字に目をやると・・・という、日常から非日常への繋がり(しかし私ならまずこの手紙、息子か誰かが偽造したものじゃないかと疑いますが…)。大災害のスペクタクル映像(ワンカットで描く墜落事故のインパクト。ネット上に転がってる“インチキ動画”みたいな雰囲気ではありますが)の合間に、時々姿を現す謎の集団に謎の石ころ。そこにさらに、「子供たちを救いたいあまり取り乱して勝手な行動をとる母親」と来るもんだから、ストーリーはひらすら思わぬ方向へと「繋がって」いく。“落ち葉”がしばしば背景に描かれるのも、映画を通じる一種の繋がりか。主人公の両親や妹(美人です)が、途中何のために登場したのかと思ったら、一緒に死ぬためだった、というのも切なくてイイじゃないですか。クライマックスに流れるベートーヴェン第7交響曲お馴染みアレグレット、選曲自体はベタな気もするけれど、映画途中で予告的に挿入しておくのなんかも、心憎いなあ。[地上波(吹替)] 9点(2012-04-08 07:37:59)(良:1票)

11.  ノーカントリー 《ネタバレ》 麻薬取引の大金をまんまとせしめた、通りがかりのオッチャン。彼の逃避行、そして彼を追う血も涙もない殺人鬼との対決、これらが本作のテーマ、であるかのように、一見、なっておりますが・・・。確かに前半は、映画らしい撮影技術を駆使しつつ、上記の路線で映画を盛り上げていき、中盤の対決シーンなどは、大いに盛り上がります。しかし、後半に至ると、一気に、映画の“解体”が起こります。明らかに故意の失速。うーむ。前半を我々が十分楽しんだことを見透かした上での、これまた随分イヤミな映画じゃあ、ないですか。主人公のオッチャンは、ベトナム帰りという設定。死体の山を見ても冷静、武器を拾っては着々と武装する。テントのポールとハンガーで即席のマジックハンドを作るあたりなど、まさに映画的な「ベトナム帰りのヒーロー」。当然、銃弾を浴びて流血しても決して大騒ぎなどせず、ひたすら逃避行のサバイバルを演じてみせます。彼をとりまく世界もひたすら映画的で、彼を追う殺人鬼の超人ぶり、事態を追跡する初老の保安官(←西部劇的)、そしてギャングの抗争と、死体の山。そういえば、点々と横たわる死体の中に犬の射殺体が混じっているのを見て「犬まで撃つとはヒドイ」というセリフが入るシーンがあったけど、別のシーンでは、我らが主人公も、自分を追いかける犬に容赦なく銃弾を浴びせていたんだっけか。主人公の、この冷徹さと、殺人鬼の冷血さとぶつかり合う、というのがいかにも映画っぽいオモシロさなんですが、だがしかし。映画がラストに向かうに連れ、この路線から軌道がズレ始めます。いかにも映画的な登場人物であった、ヒーロー、保安官、そして殺人鬼までもが、ひとりまたひとりと、映画から退場していく、これが本作の後半過程。確かに殺人鬼氏は、斃されることなく社会の中に紛れこむことで、いずれ復活するのかも知れない、何しろ銃弾を自分でホジリ出すくらいだから、複雑骨折だって自分で治しちゃうかも知れない、という含みもあるのかも知れません。だけど、お得意の殺人ではなく、金を払うことで生き延びようとした時点で(コレは主人公が映画の中盤で一度やって見せたコトの二番煎じでもあります)、ああ、この殺人鬼も、もう終わったな、と。という訳でこの映画、楽しんで観た分、後半の壊れぶりが、何だかイヤミだったなあ、と、後味の悪い部分もありました。[DVD(字幕)] 7点(2010-01-10 05:55:22)

12.  野良犬(1949) おもしれ~!と思わずうならされる刑事サスペンス。イタリアでは「自転車泥棒」が出没している頃、日本ではピストル泥棒が発生。暑い暑い最中、暑苦しい顔の刑事(ミフネ)が拳銃を盗まれてしまう。町中を彷徨う刑事(もちろん彼は他人の拳銃に手を出したりはしない、よね?)、その執念が前半描かれるのだけど、手がかりを持っているらしい女性を追い続ける場面の、セリフの無いパントマイム劇が見どころ。このシーンの音楽もなかなか絶妙。この映画、既成音楽の引用も多い(シーンと対比される明るい音楽がしばしば用いられる)のだけど、やっぱり早坂文雄のオリジナルスコアが、見事であります。さて映画後半は、ベテラン刑事(シムラのおっちゃん。結構若い)との捜査が描かれます。拳銃が悪用されるたびに大げさに悩むミフネ刑事の深刻ぶり加減が、良くも悪くもクロサワ映画だのう、と思っちゃうところなのだけど、そういう“舞台的”“戯画的”な部分が、この映画では特に、数多い登場人物の存在感をそれぞれ際立たせ、「うまい脚本だなあ」と思わせられるところです(脚本のウェイトの高さが、黒沢映画の批判を受ける部分かもしれませんが)。野球場のシーン、あるいは安ホテルのシーンでの、無類のサスペンス感覚。クライマックスの対決シーンも忘れられない。子供たちの歌声を背景にした、犯人の呻きは、時代そのものの呻きでもあります。戦後まもないこんな時代によくこれだけの作品を作った、と同時に、この時代でなければ生まれなかった作品、なのかもしれません。[CS・衛星(邦画)] 9点(2008-12-09 17:20:59)

13.  ノスタルジア この映画に感じる、映画音楽「として」の強い印象。ここでいう映画音楽とは、作品内で引用されるヴェルディ(レクイエム)やベートーヴェン(第九)だけを意味するのではありません。映画の背景に流れるすべての物音、あるいは静寂までもが、音楽なのですね。と、これだけ言うと何だかジョン・ケージの受け売りみたいでアホ丸出しだけど、どっちかというと、私はこの映画「音楽」から、ルイジ・ノーノの作品などを思い出してしまうのです。断続する微かな音と静寂。この作品を表現するのに、「映像的な音楽」と言っても当たらないし、「音楽的な映像」と言っても違和感がある。水、炎、霧といった原宗教的な映像と、さまざまな音、微かな音が織り成す独特の流れの世界。この映画がイタリアを舞台にしているのは、「音」としてイタリア語の響きが必要であったから、とすら思えてしまうのですが、これはさすがに穿ち過ぎでしょうか。そして、その流れの先にあるのは、静かなる高揚と、あまりにも美しい徒労。・・・・・・そういえば、この映画「音楽」より思いが馳せるルイジ・ノーノ作品のひとつ、彼の晩年の作品に、以下のようなものがありました。『進むべき道はない、だが進まねばならない・・・アンドレイ・タルコフスキー』[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-04-20 16:26:44)

14.  野いちご 《ネタバレ》 名誉博士の学位を受けることになり授与式の地に向かう、ある老医師の一日が、色々な人との交流と、幻想的な夢や回想とを交え、綴られます。一日の終わりに、老医師は、「今日の出来事は何かつながりがありそう」と気づきますが、観てるワタシも「ちぇっ気づきやがったか、私も何かつながりがあると思うんだけどね、それがはっきりせんのよ」(笑)。ま、しかし、言葉でスラスラ説明できるような厳密な論理構成でエピソードが配列されてたりしたら、そんな露骨に人工的なものに感動もへったくれもないわけで、やはり、メタファーによる映像詩ともいうべきこの映画の魅力は、一味も二味も三味も違うもの。息子との関係、息子の嫁との関係、年老いた母との関係。亡き妻。もはや熟年夫婦同然にツーカーの関係の家政婦。中には自分を慕ってくれるガソリンスタンドの店主などもいる。そして、旅に同行することになった、3人の若者(女性は二人の男性のどちらを選ぶか、“アッケラカンと”迷っている)。一方で、夫婦喧嘩ばかりする、とある夫婦。なーんとなく、「夫婦関係」とか「死」とかいうテーマが見えてくるのだけど、その印象を圧倒的に強くするのが、主人公の幻想的な夢と回想の夢。生者は溶け去り、棺桶の死者が手を伸ばす。医学の基本すらわかっていないらしい自分。あるいは過去の苦い思い出。現実世界の人物と夢の中の人物が混じりあい、夢のもつ皮肉さはいやでも強められる。そして、自分の人生のみならず息子の人生にまでも暗い影を落とす、あの出来事・・・。ワタシよりも先に何か気づいたらしい(笑)主人公の最後の幻想、そして彼の表情が、心に沁みます。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-02-03 08:59:45)(良:1票)

15.  呪いの迷宮/ラビリンス・イン・ザ・ダーク この世に無数に存在する、いわゆるB級あるいはC級ホラーの一本です。実際、制作費もかかってなさそうなのですが・・・主人公が訪れる先はブダペスト。金も無い(らしい)のにどうやらホントにロケやってるみたい?これが何となく異国情緒みたいなものを感じさせて、ちょっとイイ感じなのです。肝心の怖さの方は、展開のヌルさもあり、イマイチ。敵の邪教集団、一体何がしたいのか?せっかく主人公に襲いかかったのに簡単に逃がしてしまったり、とてもまわりくどい。そうそう、途中変なクモが出てくるんですけど、これが意外にもストップモーションで描かれて、ちょいとうれしくなります。で、クライマックスに至っては、変な赤ん坊(?)が登場、ぐちょぐちょ~と妙な生物への変身を見せ、観てる側としても「低予算ながらよくガンバッてるよなあ(ちょっと気恥ずかしいが)」と力が入ること請け合い。ウン、ガンバッてる事はよくわかるので、ストーリーだけ、何とかしてください。5点(2003-12-29 00:40:51)

16.  ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 犯罪を描きつつ、意外なカメラアングルの映像でハッとさせるあたり、この映画の第一印象は、ニセ「コーエン兄弟映画」。こちらはかなり悪ノリが目立つので、逆に、コーエン作品って計算しつくされた絶妙のバランスの上に成り立ってたんだなあ、と、コーエン作品の方にむしろ感心してしまったり。いや別に本作がコーエン作品のパクリだとは思っているわけではないので、こちらはこちらで楽しく拝見しましたよ。そうそう、畑の中を車で走っていくシーンは『ハンター』のパクリみたいですけど、これもまた楽しいじゃないですか(まあ要するに、米映画も欧州映画も結構似たような事やってるんですよね)。ただ、深刻な設定の割に、非常にお気楽なノリで人物描写も欠けており(それが狙いなんでしょうけど)、例えば不治の病を宣告された人がこの映画を観ても本当に不愉快に思わないかなあ、などという心配をしてしまったのですが・・・。7点(2003-11-15 11:27:39)

17.  ノー・マンズ・ランド(2001) 《ネタバレ》 この映画は結局観客に媚びなかった。観てる途中、「ああ、こうやってだんだん打ち解けて行って、最後は人類愛を謳い上げるハッピーエンドが待ってるんだろうな」という油断が、自分の中に確かにありました。しかしこの映画、そんな事は計算済み、完璧に打ちのめしてくれました。別に誰か極端に悪意に満ちた人間がいる訳じゃ無い。むしろ後半、様々な国の人が協力しあって事態を良くしようという気運が高まってくる。しかしあっさりと最悪の結末を迎え、国連軍兵士は何もできずに去っていく。あまりにも虚しい。現実の世界だって、平和が嫌いな人はいないし、現にそのための活動や努力がいつも行われて「きた」。なのに多くの事が実際「解決できなかった」。努力の末の失敗や敗北は注目されず、成功のみ美談としてクローズアップされがちだけど、それで終わっちゃ単なる気休め、その先に根本的解決はあり得ない。それでも何でも、とりあえずは安心感を求めてしまう我々を、告発しているような映画です。8点(2003-11-03 17:37:13)

18.  ノイズ(1999) はい確かに昔『ローズマリーの赤ちゃん』という面白い映画がありましたね。他にも面白い恐怖映画イロイロありましたね。それを踏まえて、映画はさらに進化してより面白くなっていくハズ。と思いきや。コレ、映画のとっかかり以外は、どこかに新しいトコあるんですか。グダグダなラストなんて、何だか懐かしい気分になってしまったではないか。これを踏まえて、次は面白いのを撮りましょう。5点(2003-11-01 02:44:35)

19.  ノー・マーシイ/非情の愛 手錠のままの脱獄男女バージョン(脱獄してないけど)。美男美女同士を繋いじゃあ、デキちゃうのが当然。トイレは困るけど。まあ、この設定のお陰で映画がとりわけオモシロくなったかと言えば、よくわからんのですが、クライマックス、ギア様が敵を待ち構えるシーンはかなりシビれました。7点(2003-09-27 11:49:42)

20.  ノスフェラトゥ(1978) すでに不動の名声を持つあの歴史的作品をわざわざリメークする意義は?と思って観てしまうといささか心もとないわけですが。逆に本来、技術さえあればこういう風に作られるべき映画だったのかも知れません。ムルナウ版との違いを探すのもまた一興(?)。ところで、冒頭、タイトルのバックの映像が全編で一番コワイですねえ。7点(2003-08-10 20:05:07)

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