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プロフィール |
コメント数 |
31 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/ |
自己紹介 |
某光学メーカーの宣伝部に所属 通勤の地下鉄の中で、ポータブルDVDプレイヤーで映画鑑賞し、モバイルPCでレビューを作成。全てを通勤の地下鉄内で実施しております 。
在学中に制作した 「LAST FESTA」 という名の8mm映画が ’84 ぴあ・フィルム・フェスティバルに入選。 映像作家を夢見て 3年ほど映像の現場に、根性無しの性根が露呈して途中断念。 方向転換して レディースファッションの宣伝部に、その後、専門学校の広報部に、そして今、光学メーカーの宣伝部におります。
1000文字の限度内ではではどうしても、映画に対する思いを伝えにくく、こちらには一言感想のみに控えさせていただきます。
↓ 正式HPはこちら、長文の完成版はこちらにあります。どうぞお立ち寄り下さいませ!
http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/
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1. フラガール
今作を鑑賞して 【 「内」 ⇔ 「外」 の対比と、 「第1次産業」 ⇔ 「第3次産業」 という生き方の相違 】 そして 【 ダンスの振り付けが雄弁に語る、物語進行上における法則性 】 という2つの側面がボクの興味を刺激していきました。
「表層的なエンタメ映画」 でありながら、その行間にある制作者の コダワリ や エゴ を秘めた 「裏ルール」 を紐解く楽しさをも感じ、この錯綜していく2つのベクトルの行方を楽しめた、言うなれば パラレルな動きを堪能した 鑑賞となりました。 完成版はこちらまで、ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-65.html
[DVD(字幕)] 8点(2009-01-20 23:16:40)《改行有》
2. フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ
《ネタバレ》 デカダンスの香り高き、実に上質なSF映画でした!。■最も興味深かかったのは“悪”のありかたで、従来は建造物の“破壊”とそれによる人的被害が怪獣による“悪”の表現でしたが、今作に持たされるものは“食べられる”という“破壊”の恐怖を超えた、生物であるが為の否定し難い、根源的な恐怖なのです。“異形”ゆえに持つ人類との“差別と疎外感”どころではない、捕食者と被捕食者という、両者の間には共存の妥協点などありようもない、揺るがし難い関係が構築されるのです。生きるために他者を殺し“食べる”という、自己存続のための“悪”に対し、人類(自衛隊)は異形の者(ガイラ)へ“メーサー殺獣光線車!”を駆使し、存続をかけた戦闘を仕掛けます。しかしその“悪”は生物の端くれである人類自体も背負っている宿命、どうしょうもない行為ではあるのです....。ガイラが殲滅される直前に、突如として善玉サンダが助けに入ります。今作は「“サンダ”善玉 ⇔ “ガイラ”悪玉」という対比の2体を
用意し、人類 対 異形の者 という単調な図式からの脱却を図っています。善玉のサンダは山岳地に息を潜め、「もののけ姫」「平成狸合戦ぽんぽこ」等のジブリ映画に見られる、人間社会に追いやられる“封印された生命体”という役回りを演じています。
人類に対する同化願望・従順性・ヒロイズム。それと並行する人類に対する疎外感・哀しみ。サンダとガイラの細胞レベルの結びつき等、様々な関係・感情がサンダの登場で生まれ、それらが絡み合いながらあの不条理なラストに突入していくのです。結局のところサンダは、ガイラによる根源的な“悪”と“異形である自分達”の存在を完全に封印するために、(彼らには予知できていた)海底火山での2体同時消滅という決着を望んだのかもしれません(涙...)。そしてガイラが、サンダや人類によって命を奪われたのではなく、海底火山という寓話性によったところに、ある法話を思い出しました。ガイラが“捕食”という、生を持つ者全てに備わっている醜悪さを一身に背負っているとすれば、そんな彼を無為に消滅させられるのは(裁くのは)同じ宿命を持つ“生物”であってはならないのです。何故なら、【他の生物に対して行われる行為の中で、唯一許されるのは“食べる”ことしかない。】からなのです。
[映画館(字幕)] 9点(2005-01-16 00:20:51)《改行有》
3. ブラス!
《ネタバレ》 ブラスバンドが、あの街・あの共同体にとって、何らかの前向きな感情を与える
「求心力」に昇華して欲しかったと強く思いました。
一瞬そのような雰囲気にもなるのですが、監督の自制が良く効いており、
感情の発露は望むべくもありませんでした。
「優勝・恋愛・家族の再生」という晴れがましい表面上の結末と、
「炭鉱閉鎖・集団失業」という絶望的な境遇。この落差が、「痛い」映画となっていたのでした。
ロンドンの街をオープンバス(?)に乗って「威風堂々」を演奏するラストに至っては、
まるで「威風堂々」がこれから始まるコミュニティ解体の葬送行進曲のように、
オープンバスが経済的破綻の末の「巨大な共同棺桶」のように思えてなりませんでした。
先日、「三井三池炭鉱」の廃坑以後を丹念に追いかけた写真展に行ってきました。
炭鉱という、たった一つの産業が崩壊した点で、「ブラス!」のあの街と同じであり、
いわば「ブラス!」以降のあの街を擬似体験してきたわけです。
写真展に、こんな作品がありました。
「見晴らしの良い丘にたつ墓地。その背景に広がる大規模工場。」
工場はかつて、全面的に石炭に依存し、その供給を支えたのがこの墓地に眠る人々だったのでしょう。
無情にもシステムを乗り換えた工場は今なお稼動し、片や時代遅れの墓がポツンと置き去られている。
写真家はこんなコメントを残しています。
「炭鉱で繁栄していたことを恥じるように、この街は死んでいった。炭鉱で働いていた過去を
消し去るがごとく、人々は姿を消した」。
そうなのです。「ブラス!」の街は「三井三池」の街と同じく、社会的インフラを剥奪され、
人的コミュニケーションも崩壊し、経験や感情が継承されない「共同体の廃墟」へと
朽ち果てていくことになるのです。(その象徴的な存在として「忘却された墓」が僕の脳みそを
直撃したのでした。)
このコミュニティ解体による惨状を写真家は凄まじい執着で訴えかけてきます。
そう。彼もこの街で生まれ、多感な少年時代を過ごし、出ていった一人だったのです。
「ブラス!」と「三井三池」。九州とヨークシャー。時空を超えて感情が「バチバチ」とリンクした。
《遠く離れた地で、少年たちはこの「街」を思い出すことがあるのだろうか?
ダニーが「眠る」墓は、はたしてどんな風景を見おろすことになるのであろうか......。》 6点(2003-11-13 00:35:10)(良:2票) 《改行有》
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