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201.  メンフィス・ベル(1990) 《ネタバレ》 1943年5月の時点では、ドイツの防空能力は衰えておらず、連合軍にとっては大変な脅威だった。それなのに、真昼間に低空飛行で援護戦闘機も無しに爆撃しろというのだから無茶な話だ。損耗率が10%近かったので、25回も作戦に参加し、生還できたのは大変幸運だ。当時は無差別爆撃は邪道とされおり、専ら軍の基地や軍事関係工場だけを攻撃する精密爆撃だけがなされていた。だが、やがて勝利をあせる英国が無差別爆撃を主張しだし、米国も1945年には都市への無差別攻撃をするようになった。内容は史実に基づいたもので、戦闘場面はそれなりに迫力があるが、戦争映画としてみると底が浅い。これはどうみても勝者の作る青春アクション映画だ。敗戦国なら、ここに登場する若者の能天気な会話や次々と起る嘘っぽいトラブルの演出はないし、絵に描いたハッピーエンドにもしなかっただろう。戦争は、任務を成功させ無事生還出来たから喜ぶといった類の甘いものではない。勝っても、負けても悲惨なものだ。死に対する恐怖は描かれていても、戦争に対する苦悩が見られないのが残念。若者の勇気を称えても、戦争批判には到っていない。それでもいいじゃないかと言われればその通りだが、せっかくの実機を使っての映画なのに残念だ。アメリカでは全くヒットしなかったのに、日本ではそこそこヒットしたのは若手俳優の人気のせいだろうか。操縦席にトマト・ソースがあったり、敵機との応戦中に喧嘩したり、球面銃座から墜落しそうになったり、負傷者をパラシュートで落として敵国に救出してもらおうと考えたり、爆撃手でない者が勝手に爆弾を落とそうとしたりとやりたい放題である。無理に盛り上げようとするから、リアリティに欠け、こしらえ事に見えてしまう。史実を描くのに、虚構を交えて面白おかしく描く必要はないはずで、製作者の態度に問題がある。真摯に描けば、高射砲の砲弾の中を飛行するだけでも大変な恐怖が伝わってくるはずだ。ドイツ戦闘機との闘いは、全体の状況がよくわからないままに終了する。彼らは本当に勝者だったのだろうか?青春映画としてみると一定のレベルに達していると思うが、戦争の愚かさを描かない戦争映画は高評価できない。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-19 06:02:13)

202.  マグノリアの花たち 《ネタバレ》 女性はおしゃべりが好きだ。何でも気軽に話せ、愚痴を言い合える友達は貴重な存在に違いない。だから多少気が合わなくても、憎まれ口を叩いても、喧嘩をしても、やがて何事もなかったかのように仲直りできるのだと思う。あるいは喧嘩、和解、悪口、仲直りを繰り返すことによって、より一層強固で奇妙な友情が生まれるのかもしれない。いくら無二の親友がいても遠くにいては心もとない。遠くの親友より、相談できるご近所様ということもあるだろう。更に竹馬の友だったり、宗教もからめば、「友情」の一言では言い表せない「絆」が生まれるのだろう。その絆が本作の主題。美容院を舞台に普通の女性の日常生活がいきいきと描かれる。祝日、式、パーティ等の場面が多いのは偶然ではなく、そこは女性が活動する場だから。裏方で準備するのはたいてい女性で、頭が下がります。男といえば、近所迷惑を顧みずに鉄砲で鳥の木を脅したり、いたずらをしたりで、役に立ちません。シェルビーは、出産と子育てに命をかける女性の象徴。彼女が死して天使となり、母や子や夫を見守るのは当然でしょう。祈りとは運命を受容すること。 米南部の文化が紹介される。カラーエッグやクリスマスの家の電飾は、今でこそ珍しくないが、公開当時の日本ではまだ一般的ではなかった。プールにマグノリアを浮かべたり、アルマジロの巨大ケーキを作ったり、花婿の友達が銃を鳴らしながら登場したりと興味深い。娘の死を嘆いて涙する女性を友人が無理に笑わせる場面があるが、これこそ日本にないブラック・ユーモアのセンスで、周囲が悲しみに沈んでいるときに、わざと馬鹿をやったり、ジョークを飛ばしたりて皆を笑わせると誉められるらしい。運命を受容し、何もかも笑い飛ばすことができれば幸せでしょう。 原題「Steel Magnolias」のマグノリアは南部の州花で可憐な花だが、鋼鉄のマグノリアとなれば、伝統的に農業に携わってきた南部女性の芯の強さを指すのだろう。「鋼鉄のように強いはずの男が…」の台詞があるが、男性批判ではなく、自分の強さに気づいたということ。その強さは、それは出産し、子を育て、死を見守るという女性の役割に基づくものだろう。女性賛美の映画だ。男性の影が薄いのは、焦点を絞るための演出の妙。出産しそうな妻を乗せた車をバイクで追いかける。それも男の役割。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-18 23:47:49)《改行有》

203.  マルタのやさしい刺繍 《ネタバレ》 老人による成功物語は珍しい。主題は、夢を追いかけるのに遅いということはない。夫を亡くしてふさぎ込んでいた80歳のマルタは一念発起して、若いころの夢だったランジェリー・ショップを始める。下着のデザインも仕立ても刺繍も全て自家製という凝りようだ。しかし障害があった。若者向けで肉体美を誇示するようなデザインの下着は、保守的な農村の人々にとって”いやらしいもの”としか映らなかった。伝統を汚すと理由で様々な妨害を受け、孤立し、下着は売れない。牧師である息子からは、店をたたむように詰め寄られる。しかし支持者もいた。最大の支援者はリージという熟年婦人で、陰になり日向になりマルタを励まし、モデルを務めたり、実務作業を手伝ってくれた。リージが心臓発作で亡くなることが転機となる。リージは、若い頃恋人を追って渡米したことになっていたが、それは嘘だった。しかしマルタは、彼女が本当に渡米したかのように夢のままに生きてた、その姿を思い出して、夢を捨てない決意をする。ここから成功物語が始める。それまで耐えに、耐えていた感情が一気に弾ける。老嬢なのでとても慎ましいですが。水戸黄門でいうと印籠を出す場面です。観客の胸をスカッとさせるのが、悪役が慌てふためきひれ伏す姿。ここが勧善懲悪ものの勘所で成功出来は、そこを如何に描くかにかかっている。本作でもやってくれてます。表向きだけ道義を説く息子の不倫をずばり指摘、いつもいやがらせをする男の靴元に汚物をばらまき、「あなたには美しいものを見る目がない」と噛みつく。あとは雪崩を打ったような展開で、友人の老婦人は生きる喜びを見つけたと叫び、若い女性は下着姿で歩き回り、合唱団はマルタの作った旗を掲げる。このあたりに作為が感じられるのが残念。息子の翻心はともかくも、村人の心変わりが唐突すぎる。それにマルタは、ネット販売で、既に商業的に成功しており、耐えに耐えての状況とは違う。又村人があえて妨害する事とも思えない。リージの娘が亡き母親の思いを抱いて渡米するのは泣かせる。原題「Die Herbstzeitlosen」はイヌサフランで、最後の場面の丘に咲いている花で、花言葉は「悔いなき青春」。老人と下着という意外な取り合わせのアイデアの勝利。心温まる映画です。ただ現実的に考えれば、あの高齢の指先で、あの細密な刺繍を施すのは無理かと思う。良い夢をみた気分になりました。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-18 14:55:07)

204.  パットン大戦車軍団 《ネタバレ》 鉄血将軍パットンの伝記映画だが、奥底には「人間は何故戦争するのか」という命題を含んでいると思う。新兵への演説で、 「米国民は常に戦いを求めている。お前たちが子供の頃あこがれたのはビー玉や徒競走の優勝者、野球の名選手、タフなボクサーだ。米国民は勝者が好きだ」と断言する。「死ぬほど戦場が好きだ。外に生き甲斐が無い」と言い切る男、「永遠に戦いに生きる男」とも 偉大なる時代遅れ」とも称される男、このような人間がどうして生まれたのか。それは時代が必要としたからだろう。平時ではものの役に立たない人物が、乱世や争乱になると人間ばなれした活躍を見せ、英雄になる場合がある。日本では、幕末の高杉晋作がよい例だ。戦争がいつから始まったか不明だが、紀元前25世紀の頃には記録がある。それ以前の戦争がない時代であも、動物を狩るということに快楽を覚えることがあっただろう。農業が始まると、富の蓄積が起こり、略奪行為が発生する。すると今度は防衛のための備えが重要になる。隣の村や部族同士で軍事力が増し、緊張が高まると、偶発的な事故や突発的な争いで戦争が勃発するようになる。生き残るためには常に戦争に備え、戦争に勝たなければならない。このような事情から、人類には闘争というDNAが沁み込んでいったのだろう。別言すれば、闘争というDNAを持たない人種、部族は滅亡する運命を辿ったのかもしれない。さて怪物的な闘争本能の持ち主であるパットンは良い時宜を得て、良い戦争に巡り合った。味方の兵にさえ人権を認めない彼は敵に対して容赦などしない。敵、味方関係なく、次々と屍の山を築いていく。勝つためには勇気と犠牲が必要だが、「愚将は敵より恐い」という諺があるようにその匙加減が難しい。彼は運よく勝利し、英雄となる。しかし勝利しても、「次はナチスと組んでソ連を叩く」と嘯く。戦うことが総てである彼にとっては当然の所見だ。ローマの英雄が現代に出現したかのような生き様を見せる彼は時代を映す鏡だ。国民を鼓舞し激励する指導者であり、戦争の英雄であり、血に飢えた愚将であり、弱い人間の見本のようにも映る。戦争と人間について考えさせられた映画だ。批判や英雄視を廃し、パットンを客観的に見据え続ける視座がよい。アフリカでの戦闘場面は迫力があった。  [DVD(字幕)] 8点(2012-12-17 22:25:23)(良:1票) 《改行有》

205.  ベイブ 《ネタバレ》 ブタは見かけよりバカじゃないことを世界中に知らしめた記念碑的?作品。以後ブタや猪のショーが各地でみられるようになった。 児童文学「シャーロットのおくりもの」の影響を受けていると思う。共に子豚が人間に食べられる運命と知って落胆するのを周囲が励まし、救う話だ。「豚は人間に食べられるために飼育される」という宿命は、裏返せば、生き物の命を奪わないと生きていけない人間の宿命でもある。自然界には食物連鎖、弱肉強食の厳しい掟があり、そのため食糧となる生き物には感謝しないといけないが、本作はそういった主題を正面に据えているわけではなく、あくまで子豚にとっての危機としての扱い。ベイブを見守るのは、寡黙ながら彼の牧羊豚としての才能を真っ先に見つけた農場主、疑似家族となった母犬のフライ、ベイブをライバル視し、一度は邪険に扱ったが最後には和解する犬のレックスなど。公開当初、技術の進歩により動物が本当に演技しているように見えるのが売りだった。今みても見劣りしない。ベイブが周囲の温かい応援により成長し、自から運命を切り開き、最後には立派な牧羊豚になる姿をユーモアとアクションを交えて描く。注目度の低い子豚を扱い、感動的な成長物語にまでまとめ上げた脚本が手柄だ。普通ならベイブが努力に努力を重ねて牧羊豚になるような「根性もの」にするだろうが、一風変わっている方法が採られる。人間はあくまで、動物と会話できないという設定が潔くて良い。会話が通じると甘くなってしまう。農場主を娘夫婦や孫たちと心が通わず孤独としたことで、両者の心が通う下地が出来た。それが農場主が子豚のためにダンスする場面で活きてくる。ベイブが優勝しても喜んだそぶりはみせず、ただ寄り添い、一言祝福を贈るだけ。その凛として気高い姿に作品の質の高さを見た気がします。違和感を覚える箇所が一つある。それは、羊を襲った野犬に対して、ベイブが猪突猛進して撃退する場面だ。そんな力量があるなら、訓練すれば牧羊犬と同様の追いこみ運動ができるだろうに。ベイブの特徴は、あくまで非力で、羊たちに命令したり脅したりせず、礼儀正しく接して、納得して協調行動をとってもらうことにある。従って野犬撃退の方法もそれに倣い、うまい嘘でもついて、追い払うような内容であってほしい。最後に牧場主がベイブに贈る言葉「That'll do(よくやった)」を製作者におくりたい。良質な映画です。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-17 02:28:45)(良:2票) 《改行有》

206.  ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 《ネタバレ》 「全てを映す、あらゆる視点から映す」という編集方針が成功の要因。この映像を見れば、どんな朴念仁でも、”ウッドストック”が単なる音楽祭でなかったことは容易に理解するだろう。約30組の人気アーティストの熱演と熱狂する大群衆の姿を見るだけでも圧巻なのに、ドキュメンタリー映像が付加され、当時の社会的状況や若者文化の一端が垣間見れる。音もフィルムもカメラワークも荒削りだが、これらが三位一体となって価値を高めており、間違いなく歴史に残る映像だ。特徴を一言でいえば「若者の熱狂」だろう。当時の音楽には若者を熱狂させる魔法のような力があった。愛や平和への切実な思いが込められていたからだろう。ベトナム戦争反対運動、徴兵忌避、麻薬の乱用、従来の価値観を否定するヒッピー文化の興隆など様々な社会変動の中で、最大規模に催されたイベントだった。企画が金銭目的でなかったのはあきらか。農場主のスピーチや、意外にも若者をほめる警察署長や医者など心温まるインタビューがあるが、最も感銘を受けたのはトイレ掃除のおじさん。芳香剤を置く気配りを見せて「自分にも彼らくらいの息子が二人いる。一人はベトナムに行っている」これにはほろりとさせられた。音楽のことはわからないけど、居ても立ってもいられず、トイレ掃除のボランティアを買って出たのだろう。ディレクターカット盤は225分、40周年記念盤は更に170分追加されている。好演が多い。ウッドストックを代表する曲を一つ選ぶとすれば、リッチー・ヘブンス がゴスペルの歌詞を借りて即興演奏した「フリーダム」だ。コード弾きを越えた「親指弾き」での熱唱は神がかり。三大ギタリストは、ジミヘン、ジョニー・ウインター、サンタナで、これにアルヴィン・リー、ピート・タウンジェント、レズリー・ウェストと続く。三大歌手は、ジョー・コッカー、ジョーン・バエズ、ジャニス・ジョップリン。二大ドラマーは、キース・ムーンと19歳のマイケル・シュリーヴ(サンタナ)。視覚的なカッコよさは、ザ・フー。上半身裸でマイクを振り回し、若さを発散させるダルトリーの姿は、ロックンロールそのもの。ジミヘンはトリに相応しい。スケジュールが押しに押して登場したのが四日目の朝となり、観客は2万数千人に減っていたが、演奏は文句なしに素晴らしく、特に「星条旗よ永遠なれ」の風変りな美しさは誰の耳にも記憶に残るだろう。天才のなせる業だ。 [DVD(字幕)] 9点(2012-12-16 16:40:22)《改行有》

207.  荒野の七人 《ネタバレ》 「オールスター・キャストによる痛快西部劇」「西部劇の代表作」と言われているが、厳しい眼でみれば、随所に甘さが目につく。 ガンマン7人の人物像は個性があり、描きわけができていて合格点。特に若者チコは秀でている。彼は農民出身だが、銃に運命を変えられガンマンとなり、クリスに憧れて「7人」に加わったが、最後は村に留まる決意をする。未熟と大胆の共存する若武者ぶり、警戒する村人と7人とをつなぐ役割、村娘との恋など、おいしいところ取りで、この人がいないと面白みは半減するだろう。ベルナルドと子供達の挿話は文句ない出来。ナイフ投げの名人が、敵に対してナイフを使わないのは理解不能。あれだけの伏線をしておいて。山師ハリーは一旦袂を分かつが舞い戻ってくる。その心の機微を描いていない。戻ったものの瞬く間に射殺されてしまう。もっと活躍させてやるべき。賞金稼ぎのリーは最も影が薄い。腕に自信を無くしており、悪夢に悩まさせるのはよいが、どうやって立ち直ったかが判りづらい。山賊のボスはいかにもバカそうだが、もっと悪賢く、残虐な人物にしないと肝心の”正義””英雄行為”が際立たない。一網打尽にした7人を開放してやるなんて、甘い甘い。手下を何人も殺されており、手下に示しがつかないではないか。復讐が怖い?そんならボスなんてやめちまいな。銃の腕が立つわけでもなく、悪玉として魅力に欠ける。チコがメキシコ人に扮して山賊の元に潜入する場面があるが、安易すぎる。お互いの顔を知らないわけがない。脚本の工夫が足りない。死人が出るのを嫌った農民が7人を裏切って山賊を手引きするが、その直前の場面では皆で戦うと意思確認している。このあたりの物語の流れがスムーズでない。それに山賊が7人に気づかれずに戻れたのも不自然だ。ガン・ファイトはさすがに絵になっている。しかし注意深く見ると、7人に隙があるのに、敵方が撃っていない場面が散見される。村人が敵に農器具などを持って躍りかかるが、敵は何故か撃たないで、一方的にやられる。これは見逃せない瑕疵だ。折角の良い映画が絵空事に思えてしまう。村人にもそれなりの死傷者が出てこそ、現実味が増し、勝利の重さも違ってくる。犠牲があってこそ、最後にクリスが言う「勝ったのは村人たちだ」の台詞が活きてくるというもの。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-15 19:37:15)(良:1票) 《改行有》

208.  瞳の奥の秘密 《ネタバレ》 時代背景として1974年はペロン大統領が死去を受け、第三夫人だったイサベル・ペロンが大統領に就任したものの、政治は不安定に陥り、右左派によるテロの応酬が激化した時代。サスペンスとラブロマンスを融合させた意欲作で、カメラワークも冴えている。死刑と私刑議論も提供する社会派で、誰にでも薦めることのできる佳作である。短所は現実的でない部分が多い事だ。素人探偵ではなく、検察による本格捜査なのに、死因、犯人の遺留品、血液、精液など犯罪に関わる情報が一切ないこと。「写真で被害者を見つめている瞳があやしい」だけでは弱い。血液型が一致するなど補完すべき。被害者とその夫の家族が登場しない。悲しんでいるのは夫だけではないはず。葬儀の場面もなく、マスコミも登場しない。新婚美人教師の強姦殺人事件なら格好の三面記事ネタ。その犯人が行政命令により釈放され、イサベル・ペロンのボディーガードをしたなら世間は大騒ぎとなるだろう。まして犯人はパブロ殺害の容疑者である。二人はと夫はどうしてマスコミに訴えなかったのか。二人の泣き寝入りは納得しがたい。ベンハミンは逃亡し身を隠したが、イレーネはどうして逃げなかったのか。同様に命は狙われていたはず。母音Aの打てないタイプライターなど使えるはずもないのに「なくても平気よ」はないでしょう。せめてワープロをプレゼントしなさい。ベンハミンはPC持ってないの?犯人イシドロは、イレーネの挑発によって自白するが、安易すぎる。検事によれば「いい仕事をした。賢い勇敢な男」のはずで、矛盾する。パブロは酒場で喧嘩をしでかし、家に連絡できずに、ベンハミンの家に預けられ、そこで遭難した。家に連絡できない理由が「1年前から電話が故障して修理人が来ない」。もう少しましな理由を考えなさい。夫は犯人を25年間軟禁してきたが、あの場所なら誰かが訪ねてきたとき大声を出せば聞こえると思う。郵便配達は来るだろう。犯人はパブロ殺しの実行犯を知っているのに夫がそれを追求しないのも納得しがたい。実行犯は野放しのままで、事件は未解決。それなのにベンハミンは「怖い」から「愛している」に変わる。そもそも、ベンハミンがイレーネを愛していたようには見えなかった。イレーネの婚約を聞かされても「幸せを願っている」と笑って答えている。イレーネもベンハミンを困った人ぐらいにしか見てなかった。一番の名演技は犯人母の電話の声。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-14 02:57:58)

209.  ウエスタン 《ネタバレ》 「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)

210.  ヴェラクルス 《ネタバレ》 1866年フランスの傀儡政権であったメキシコ政府は、フランス兵主体の軍隊でかろうじて持ちこたえていたが、農民主体の革命軍に脅かされていた。いわゆるフランス干渉戦争が舞台。1873年に登場した十七連発のウインチェスター73年型ライフルと思われるものが登場するのはご愛嬌か。それまでは六連発だった。人間を好まない根っからの悪漢ジョーとその手下どもと、常識人である南軍の敗将ベン元大佐が政府軍に雇われ、侯爵と共に伯爵夫人の馬車を港湾都市ヴェラクルスまで護衛する任務を担う。馬車には金貨が隠されていて、それを知るジョー、ベン、伯爵夫人、侯爵、それぞの思惑が交錯し、さらに革命軍がこれを狙うという展開で、先が読めない面白さがある。人間ドラマとして、ジョーとベンの二人の強烈なキャラクターのぶつかり合いと最終決闘がある。遺憾に思えるのは、ベンのキャラが弱いこと。馬から落ちて死んだふりしたり、金貨に執着をみせたりと一貫性がないように思える。汗もかかず、髪も服装も乱れないのでは戦場感がなさすぎる。ベンと農民娘との恋愛は映画に彩を添えている。ジョーが最後に改心すれば、彼の成長物語として感動できたと思う。その伏線があっただけに残念。圧巻であるはずの、最後のモブ突撃シーンだが、へたなぶつぎり編集で、流れが断ち切られ、派手な銃撃戦にも関わらず緊張感がでていない。最終対決では、銃撃音が急になくなり、あたりが静寂にと包まれるというベタな演出。洗練されておらず、凡庸な出来だ。傑作になりこそねた。[DVD(字幕)] 8点(2012-12-12 17:29:07)

211.  リオ・ブラボー 《ネタバレ》 西部劇といえば息づまるガン・アクションを中心に、勧善懲悪を主体としたエンターテインメント。これにヒューマン・ドラマが加味すれば名作めく。必要不可欠なのは正義の英雄の存在だが、忘れてならないのは、悪玉、敵役の重要性。闇が濃ければ濃いほど光が輝く。本作品では、悪玉に魅力がない。ボスは登場が遅い上に、ろくに活躍もしない。小ボスもしかり。あまりにも弱すぎるのだ。活躍するのは金で雇われた殺し屋連中だが、これに対して正義側は無粋にもダイナマイトを持ち出す始末で、感心しない。アラは沢山ある。冒頭、保安官補デュードが痰壷の銀貨を取ろうとして保安官に邪魔される。怒ったジュードは棍棒で保安官を殴り倒す。この時点で傷害罪だ。ジュードは勢いで、銀貨を恵んでくれたジョーにも棍棒で殴りかかるが、逆にジョーに殴られる。これは正当防衛。止めようとした男をジョーは射殺してしまう。男が丸腰だったために殺人の罪で逮捕されるが、一種の暴発事故のようなもので、殺意があったわけではないだろう。後に保安官は自分が殺人を目撃したと主張するが、そのときは意識を失っていた。友人が助太刀を申し出ると「素人の手は借りんよ」とつっぱねる。が、結局は友人は死に、友人の連れの力を借りることになる。新しい服に着替えたデュードが保安官事務所に入ろうとするとスタンピー老人に撃たれてしまうが、これはやりすぎ。相手を確かめずに撃つなんて、常軌を逸しており、正義側のやることじゃない。ジュードとジョーの人質交換のとき、ジュードがジョーに突っ込んで行き喧嘩となるが、そのとき相手が撃ってもいないのに、正義側から発砲する。悪玉側から発砲してこその西部劇のはず。ダイナマイトで家をぶっとばして勝敗が決するが、そんなものを使えば勝って当たり前。ボスと小ボスがどうなったかは不明のまま。あの狭い留置所に全員入っているのだろうか。ロカビリー・アイドル歌手のニッキー・ネルソンを起用して歌をうたわせたり、売り出し中の美脚女優を起用して美脚を披露したりと、ヒット狙いが見え見えのファミリー向けの映画。二人共演技に難あり。女に裏切られてアル中の男、二挺拳銃使い、お尋ね者の女賭博師、跛で発砲狂の頑固老人、ダイナマイト等、作り物臭さが目立つ。ジョン・ウェインが階段で転倒する場面はスタントマン。降ってきた女性下着を首に巻き、軽佻の雰囲気のまま終了。 [DVD(字幕)] 6点(2012-12-12 10:40:36)(良:1票) 《改行有》

212.  上海特急 《ネタバレ》 お金持ちの男達の間を渡り歩いて、金を貢がせ、世間で”上海リリー”という悪名を頂戴している女が、昔の恋人である軍医と再会し、ヨリを戻す話。ディートリッヒは鉄面皮のように表情を変えず、その退廃的で人間離れした容貌には最後までなじめなかった。異国趣味、戦争、サスペンス要素を加えたメロドラマといった内容だが、脚本はかなりいい加減だ。サスペンスが第一で、恋愛は不可要素と考えていたのだが、あてがはずれた。従って、かなり退屈に感じられた。物語というか演出に問題ありでえ、ダイナミックな起伏が少なく、緊張が高まるところがないのだ。終始ゆるみっぱなしといった印象。リリーの感情も軍医の感情も伝わらない。この映画で泣く人はいないだろう。冒頭に出てくる「神」と描かれた巨大銅鑼からして意味不明。中国語もでたらめ。一等席の乗客のほとんどは噂話をする程度の役割でしかない。傍ら、線路にたむろし、列車の通行の邪魔になる牛や鶏の描写が妙にリアルで印象に残る。反乱軍のチャンは武力で列車を乗っ取り、政府軍に捕まった部下と交換できる有力者を探すが、結果軍医が人質となる。リリーは軍医を無事救い出そうとチャンと直談判する。このチャンが間抜けでいらいらさせられる。やることなすこと”ぬるい”のだ。挙句の果て、リリーの女友達にあっけなく刺殺される。その動機は不明だ。賞金目当てか、政治がらみか、リリーを助けるためか?女友達がいつ、どうやってチャンの部屋に忍び込めたのかも描かれていないので不満が募る。無事救い出された軍医はリリーの行動を知らず、リリーも何も語らずで、ここからはすれ違いメロドラマ。結論は見えているので、感情は動かない。ディートリッヒ演じるリリーを、時代を先取りする”強い女”と見れば、違った感興がわいてくるかもしれない。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-11 17:48:53)

213.  赤い河 《ネタバレ》 カウボーイの生活はよく知らないので興味深く見れた。9000頭の牛を青森から山口にあたる1400キロを100日かけてゆっくり移動させる。アフリカの200万頭のヌーの半年かけた大移動に比較すればおとなしいものだが、苦労は耐えない様子だ。牛の暴走シーンは白眉だった。南北戦争の影響で牛の価格が下落したので、隣の州に売りに行くのだが、そんなに価格の差に違いがあるのかという疑問がある。5セントと2ドルで40倍もの差がある。テキサスでは牛は五万といるのに、隣のカンザスやミズーリーにはいないのか?そのあたりの背景がわからなかった。主人公のダンソンは問題を銃で解決するタイプ。人の土地を奪っておいて、奪いにきた人は殺す。契約に反して隊から逃れようとした仲間も射殺する。現代の感覚からは理解しかねるところだ。14年の間牧場作りに明け暮れたわけだが、どうして結婚しなかったのか。亡くなった恋人に操を立てるタイプとも思えないが。養子のマシュウは演技力不足で、カウボーイに見えない。ライバルの若者と銃対決をしたときに、ダンソンの相棒グレートが「きっと二人は対決する」と言うが、伏線のまま終わる。あれだけ伏線を張っているのだから必ずインディアンに襲撃されると予想していたが、予想ははずれた。最大のサプライズは、ダイソンとマシュウが敵同士になること。ダイソンの逆襲をあれだけ恐るのなら、彼の馬と金を奪っておけばよいと思ったのは私だけだろうか。ヒロインの女は、インディアンに襲撃されている最中にマシュウに怒ったり、ひっぱたいたり、理解不能である。最後の仲直りの仕方を見ても、所詮絵空事のようにしか見えなかった。いちいち歴史書を朗読するのは不要。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-11 08:35:35)

214.  キー・ラーゴ 《ネタバレ》 これといった見所もなく、淡々と過ぎて、最後に不満の残る映画だ。舞台装置は面白い。南国フロリダの小さな島の小さなホテルに、脱獄した二人のインディアン、退役軍人フランク、戦争未亡人、ギャング一味、ボスの女、副保安官と役者が揃ったところで嵐が襲来し、密室劇となる。最も不満なのはボスに凄みがないところ。コメディアンめいた顔で、よくしゃべる。身を隠していたはずなのに、自分の正体を積極的にばらしてしまうし、偽札の取引現場も筒抜け。髭が生えてないのに髭を剃らせたりする。部下もほんわかしたムード。人質を拘束せず自由にさせているので、生か死か、という緊張感がない。隙がありすぎるのだ。嵐の中、敢えて取引を急ぐ理由が説明されないので違和感で一杯。一度の取引なのに、一週間もホテルを借り切る理由は何だろう。それもアル中の女を連れてくるとは。フランクは「私の人生は考えることとやることがいつも逆なんだ。理性が負ける」などと気取っているが、結局はギャング五人を容赦なく殺してしまう。それもボスの女がボスから盗み取った拳銃を渡してくれたおかげだ。英雄的な行為にはみえない。ボスが副保安官を射殺したが、これは副保安官から仕掛けたからだ。二人のインディアンは無実の罪で保安官に射殺される。なんとも後味が悪い。フランクに言いたいことは、戦死した部下の遺族の経営するホテルを訪れるのなら、あらかじめ電話しろということ。元少佐なら、それくらいの常識は持ち合わせていてしかるべき。ちなみに撃たれた副保安官が階下へ落ちる場面が省略されていて残念である。嵐の場面では、しなるヤシの木にピアノ線がみえて萎えた。戦争未亡人も「火の玉」になりきれずに終了。[DVD(字幕)] 5点(2012-12-11 02:52:36)

215.  アスファルト・ジャングル 《ネタバレ》 荒涼とした都会の犯罪多発地域が舞台。不況のせいで庶民の生活は苦しく、心は荒んでいる。そこへ出所した知能犯ドックが、周到に練られた宝石商強奪計画を持って現れたところから物語が動き出す。宝石略奪という大博打にかける六人男たちの行動と心理が鮮やかに描かれる。表情を常に正確に捉えるライティングや端正に構図を決めるカメラワークは好印象。緻密な計画だが、弁護士があらかじめ裏切りを決め込んでいるなど、不確定要素を含んでいてサスペンスが持続する。うまい脚本だ。舌を巻くのは各人の掘り下げがきちんとできていること。個性豊かなのが嬉しい。全員根っからの悪党ではなく、善人の部分と精神の弱みを併せ持つところが味噌。実に人間らしいのだ。ドックは頭脳明晰で大胆かつ紳士だが、若い女性に弱く、失敗は偶然のせいにして反省しない傾向が強い。そのため自滅する。用心棒のディックスは競馬狂いで強盗常習犯だが、子供時代に育った農場を買い戻す夢を捨てていない。そっけないが、約束は守り、女性にも親切だ。資金提供者のエマリックは悪徳弁護士で高利貸しだが、若い娘を囲うなどの散財で破産の憂き目にある。それでも病気の妻への愛情は持ち続けていて、最後は自責の念から自殺する。金庫破りのルイは風邪をひいた自分の赤子を気遣う、良き父でもある。運転手のガスは食堂経営者だが、せむしで小男のため世間からは冷たい目で見られている。金に困っているディックスに金を融通するなど、友情に篤い面がある。賭博業者コビーは大金を見るだけで汗をかくという気弱な性格。これに賭博業者と結託する悪徳刑事とディックスに思いを寄せる女が絡むのだから、面白くないわけがない。犯罪撲滅に苦慮する警察側の様子も描かれるという丁寧さ。まだ無名のマリリン・モンローが花を添えるという贅沢さもある。監督が描きたかったのは、犯罪そのものではなく、犯罪を生む風土だ。死人の出る犯罪映画だが、過激で扇情的な演出や痛快なアクション、美男美女の織り成す恋愛などの現代映画的な要素はなく、むしろあっさりしている。これは時代の制限であり、監督の良心でもあるのだろう。古い映画だが、今でも映画作りの手本になる映画だ。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-10 15:48:17)(良:1票)

216.  ネバダ・スミス 《ネタバレ》 惨殺された両親の復讐に執念を燃やす若者が、その途次に彼を気遣ってくれる大人たちとの交流を通じて成長していき、最後には復讐や殺人の虚しさを悟るという物語。 混血にも16才にも見えない役者が主人公を演じるのには目をつぶるが、首をかしげたくなる場面が多いので高評価はできない。 冒頭、悪漢三人がマックスと会話するが、悪漢の一人が不用意に本名を名乗ってしまう。そして家を訊いたあと、何故か、マックスの馬を脅かして追い払うようなことをする。不審がられて当然の行為。マックスもすぐ家に帰ればよいものを、随分と遅れて帰宅。両親の遺体を埋葬せず、家ごと焼却するという暴挙にでる。三人はマックスの父の馬を奪っているのだから、4匹の馬の足跡を追えばよいはずだが、3匹の馬の足跡を追い、人違いをしたあげくに馬と銃を奪われる始末。未熟さゆえんである。ようやく悪漢の一人目を探したとき「首に切り傷がある」というが、画面で首のアップがなかったので観客にはわからない。銃を持っているのに、最後は何故かナイフ対決となり、刺殺して終了。悪漢の妻からも感謝される。二人目は刑務所の中にいると判明。わざと銀行強盗で捕まり、同じ刑務所へ。悪漢が脱獄に失敗して半死状態になっているのをわざわざ助けて、後に共に脱獄し、射殺するという手の込んだことをする。このとき脱獄に利用した女を見殺しにしてしまう。三人目を見つけたが、油断させるため一旦仲間に入る。馬車を襲って金塊を強奪する計画で、いざというときには裏切ると予想していたら、全員見殺になるまで見守ってから行動開始。悪漢の手足に三発命中させ、「殺す価値もない」と立ち去る。この人、あまり成長していない。子供の手本になるような行動はしない。やることは無法者と変わらない。銃を教えてもらったり、読み書きを学んだり、女性から慕われたり、親父に助けられキリスト教を知ったりと盛りだくさんの挿話があるのに生かされていない。復讐のために払った犠牲の大きさが見えてこない。マックス・サンドがお尋ね者となり、本名を隠してネバダ・スミスと名乗るようになる。それが映画タイトルだが、その意図はよくわかりません。[DVD(字幕)] 5点(2012-12-09 23:22:43)《改行有》

217.  ブリット 《ネタバレ》 常に死と隣り合わせの寂漠たる刑事の日常を描く野心作。残酷な犯罪に不感症になっていく刑事の悲劇を描きたかったのだろう。強烈なガン・アクション、スピード感あふれるカーチェースは見応えがあるが、肝心なサスペンスの妙味がない。ちょっとしたカットで描く独特な人間ドラマ、凝ったカメラワーク、俳優などは一流なのに、あまりにもお粗末すぎる脚本が作品を台無しにしているという勿体無い作品。 冒頭、組織の金をくすねたジョン・ロスが殺し屋に襲われる。弟の援助を得て車で逃走するが、駐車場で待ち構える殺し屋に至近距離から何度も撃たれても当たらない。殺し屋失格だ。ジョンの身代わりのレニックが指示通りにホテルで手紙を受け取ろうとするが、手紙はない。どうして?2つしかない支持書きの1つをペンで消す不自然さ。裁判の証言に立つ予定のジョン(実はレニック)を警察が保護するが、ホテルから移動して保護下に置くことをしない。殺し屋がくるが、わざわざフロントから電話をよこすまぬけぶり。レニックとは段取りがついていたはず。刑事はもっと間抜けで電話で上司に支持を仰ぐ始末。殺し屋は何故か、刑事の脚とレニックの胸を撃ち、とどめを刺さずに去る。次にレニックが運ばれた病院を襲うが、何故か看護婦が男の姿を見ただけで叫び声をあげる。刑事がレニックの女の居場所に行こうとするが、あいにく警察車両がなくて、仕方なく恋人と恋人の車で向かう。そんな馬鹿な!ホテルに着くと、女は殺されていた。殺したのはジョンだが、何故殺した?レニックに旅券を用意させて受け取ればよいだけ。カバンの中身の服がすべて新品なのも謎。ジョンのいる飛行機の座席までわかっているのに逮捕できない。単独行動するからだ。ジョンが拳銃を持っているのもありえない。最終的にジョンを射殺する刑事。証人が消えて組織の勝利。刑事は家に帰って、恋人の待つベッドへ。恋人「暴力と死に囲まれた仕事で不感症になってる」と批判していたのに、いつのまに仲直りしたの。いわくありげな上院議員も刑事の上司も恋人もあまり物語に絡まないのも不満。 最大の謎はレニックがドアの鍵を外した理由。ジョンとどういう取り決めがあったのか?刑事が撃たれて逃走する予定なのはわかるが、殺し屋はどうやってあの場所を知ったのか?ジョンがチクったのか。刑事の買い物姿を描くより、そこのところを描いてほしい。[DVD(字幕)] 6点(2012-12-09 17:44:01)(良:1票) 《改行有》

218.  戦争と人間 第三部 完結篇 《ネタバレ》 史実に基づいた戦争群像劇大作にしたかったらしいが、中途半端に終わっている。広義の日中戦争を多視点から描くという姿勢は称讃に値するが、如何せん、いわくありげに登場した人物の多くが途中からいなくなるようでは、脚本の未熟さ、企画倒れの謗りを免れない。一言でいえば「詰め込みすぎ」だ。ダイナミックな戦闘シーンは見れても、ダイナミックな人間ドラマは見られない。戦争の実態を暴き、振興財閥である伍代家の人達が、戦争という魔物に呑み込まれることによって、どのように変貌するかを描くことで、人間の本質を顕現させるだけでよかった。女情報屋、人妻とのよろめき、ベッドシーン、抵日朝鮮人とその愛、満州二世の医者、中国大商人の娘の抵日闘争、ナイフの名人などは、ばっさり切り捨ててよい。第三部が一部二部と較べて退屈しないで見れるのは、描く視点を絞ったからだ。恋愛パートが全体の三分の一を占める。お金持ちのうわついた恋愛を描いたところで、世間の実情とかけ離れるだけ。ベットに誘うのはみな女性からという共通点がある。農村の不幸な身売娘を登場させたのはお手柄。身売りせざるをえない不況の実態があったからこそ、武力をもって国外に進出すべしという世論が形成された。この娘が、最後に「兵隊さん、今度遊びにおいでよ!可愛がってやっからさ」と叫ぶが、これこそが生身の人間の痛切な心の叫びであって、感動するものがあった。「夢中になれるものを探しているの」という長女の言葉の何と薄っぺらいことか。お金持ちの恋愛は、虚構にしか見えない。歴史観は、戦争反対、陸軍批判、資本主義批判の立場で、共産党賛美のプロパガンダに彩られている。陸軍幹部はみな愚かで、資本主義は民衆を搾取し、死の商人である財閥は醜怪で、共産党員は当局の弾圧にも屈せず、常に貧しい人たちや労働者のために闘う正義の人らしい。 張作霖爆殺や柳条湖事件を再現したミニチュアは失笑レベル。明らかに人形とわかる死体を吹っ飛ばすのはやめてほしい。他方、ソ連と共同して撮ったノモンハンでの戦闘場面は迫力があった。当時の歴史認識では、ノモンハン事件では、日本軍が近代兵器を擁するソ連軍に一方的に蹂躙されたことになっていた。しかしソ連崩壊後の新資料により、ソ連側にも日本を上回る被害があったことが判明した。実質引き分けで、プロパガンダによるソ連の勝利である。不満は縷々あるが、見ておいて損はない映画だ。[DVD(邦画)] 7点(2012-12-08 03:39:11)《改行有》

219.  華麗なる一族 《ネタバレ》 万俵財閥の領袖で、銀行のオーナー頭取である万俵大介が、政府主導による金融再編の機運が高まるのに危機感を覚え、小が大を喰う銀行合併を目論み、強硬におし進める話。大介の全てを財閥発展にかける偏狂さ、執念深さ、異常ぶりを描くとともに、日本の政官財癒着の歪んだ資本主義構造を浮き彫りにしていく。 長男鉄平が専務を勤める同財閥直系の鋼鉄会社を捨石にするのが最大のサプライズで、大介の冷徹ぶりが存分に表現されている。 高須相子という大介の愛人兼家庭教師兼執事の存在が、奇態な万俵家を表現するのに一役買っているとともに華やかさを添えている。残念なのは原作では39才なのに、本作では50才の二重あご女優が演じていて、ひたすら気持ち悪いこと。 ゆえに大介の長女の聟で大蔵省幹部役人の美馬が、相子に言い寄る場面が意味不明にみえる。 古い作品で当時としては衝撃的でセンセーショナルな内容なのだろうが、現代となってはたいして心が動く内容ではない。現実離れしすぎているのだ。 最大の瑕疵は、大介の銀行合併にかける行動の動機がわかりづらいことだろう。金融再編が避けられない諸事情が描かれていないのでは当然だ。”銀行員残酷物語”めいた挿話があるが、これくらい具体的に描かれてしかるべきだった。 鉄平の突然の猟銃自殺が一族の悲劇を嫌が上にも盛り上げるが、納得できる動機は描かれていない。会社が倒産したので、責任をとって自殺しましたでは弱すぎる。本作品のみどころであるはずの「父との確執」「出生の秘密」「経営方針をめぐる争い」「悪と正義の戦い」が中途半端に終っているのは遺憾だ。父を会社への背信行為で訴えるのはよいが、見通しが甘すぎる。死後、鉄平は大介の実子であったと判明するが、なぜそれまで違った血液型と思い込んでいたのかという疑問が残る。鉄平が生まれたとき、誰が父親であるかは、大介夫妻の最大の関心事のはずで、真っ先に調べたはずである。次女の行動にも首をかしげる。政略結婚は珍しくないが、「偽装婚約」とは珍しい。次女は父親の思惑に背き、純愛を貫いてこそ輝く存在になるはずである。アメリカに就職した恋人を追っても、純愛にはみえない。その他、高炉爆破の原因が不明のままだったり、「鎌倉の人」が名前だけしか出てこなかったり、華麗なる一族ぶりを披露する絶好の機会である次男の結婚式を省略したり、未消化の部分も多い。[DVD(邦画)] 7点(2012-12-06 08:03:00)《改行有》

220.  破れ太鼓 《ネタバレ》 前近代的な家父長制度の残滓のような父親が主人公。家でも会社でも高慢不遜な態度は変わらない。根は悪人ではないが、苦労性のせいで自分の価値観を家族に押し付け、暴力を振るい、意のままに操ろうとするので、家族の不満は爆発寸前である。ひと波乱起きて、ばらばらとなった家族が再生していく物語。極めて記号的な人物描写のオンパレードで退屈だ。理想的な大団円はリアリティに欠け、軽佻浮薄な印象はぬぐえない。主人の傲慢さに耐え切れずに三ヶ月で辞めた女中が戻ってくることでも証明される。コメディとしてみても、笑える場面はわずかだ。宇野重吉が恋人役というのが一番笑えた。へたな歌を何度も聞かされて、気分がめいった。 会社の資金融資が目的で、お金持ちと結婚させられそうになった長女は、婚約破棄して、貧しい画家と恋人関係になる 父親の会社で、自分に合っていない仕事をさせられている長男は、知人との共同出資による新事業を始め、成功する。 忍耐強く夫に仕え、耐え続けてきた妻は、家を出て長男の仕事を手伝う。 父親は、資金繰りが悪化した会社が倒産し、隠退を決め込むが、苦労続きだった自らの半生を思い起こし、憤りを感じる。 長男の新事業が軌道に乗ったおかげで家族が再生されるが、事業資金は母親が出したものであり、本当の意味で長男は自立していない。長女が結婚を断ったのが原因で会社が倒産し、長男の新事業がうまくいったので父親ががそこの顧問に収まるなど、展開が短絡すぎる。あれだけ傲慢で頑迷だった父親が、すぐに悔悟、改心するわけがない。長女と妻に成長はあったが、残りの3家族は最後までどっちつかずだ。 [DVD(邦画)] 5点(2012-11-24 00:09:56)《改行有》

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