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プロフィール
コメント数 3876
性別 男性
年齢 53歳

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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221.  いれずみ突撃隊 時は戦時中、中国戦線の部隊へ転属となってきたのが、いれずみ入れたヤンチャ坊主の高倉健。いっぱしのヤクザ気取りだけど、大口を叩きすぎるところもあり、ちとアヤしい。古参兵によるイジメが横行する部隊の中で、持ち前の反骨精神で何かと反発しては、営倉に放り込まれたり。 それを時に厳しく時に温かく見守る上官は、表向きは隠しているけど実は、そのスジでは大変名高いお方。という訳で2人の間には独特の関係が。要するに、ウルトラマンレオとセブンの関係みたいなもんですかね。 健さんと周りの兵隊たちとの関係に加え、「慰安所」の女性たちも描かれ、彼女たちの生き様を見せつけて物語に幅を持たせます。 戦闘シーンは、何だか西部劇調。中国側の兵士をアメリカ先住民みたいに描いていて、ダイナミックではあるけど、こんな描き方して大丈夫なのか、とちょっと心配になってきます。こんな映画に出てることがバレたら、健さんの中国での人気に傷がつきそうな。とりあえず内緒にするべし? 若々しい健さんの活躍は、その無鉄砲さがコミカルでもある一方、戦争ならではの悲壮感もあって、ラストの余韻はなかなかのものがあります。[インターネット(邦画)] 7点(2021-09-04 12:54:34)《改行有》

222.  恐竜グワンジ 《ネタバレ》 どうせグワンジ君は映画中盤くらいまで登場しないんだろう、と思ってたら、まあ、その通りなんですけれども、いざ登場したらもう、圧巻です。これでもか、と細かい動きを見せてくれます。 ストーリーはつまるところ、『キング・コング』と大差なく、とっ捕まったグアンジ君が見世物として連れてこられた都会で逃げ出し大暴れ、というもの。しかしやっぱり都会で暴れてナンボですから、これでいいんです。原子怪獣リドサウルスしかり、金星怪獣イーマしかり。などと言ってると、炎に包まれた最期とか、ゾウとの死闘とか、『キング・コング』以外にも色々と焼き直しが入っているような・・・。 しかしコレ、特殊効果の技術はスバラシイです。まさにダイナメーション技術の到達点。人間と恐竜とが直接触れ合うのはさすがに無理だとしても、投げ縄で両者を繋いで見せるなど、俳優とコマ撮り人形とが同一画面上で一緒になってアクションを繰り広げます。スティラコサウルスの腹に槍を突きさすシーンなど、あまりに自然な描写となっていて、ドキリとさせられる程。 グアンジ君はちょっと青みがかった色をしていて、何故かそういう点にも妙に納得してしまう。恐竜ってのは爬虫類、トカゲの親分。え、羽毛恐竜だって? そんなの知りません。グアンジ君は腕の指が三本、だったらきっとアロサウルスだね。アロサウルスは青色、ティラノサウルスは茶色。という私の間違った思い込みを補強してくれる、これは実にいい映画です。 西部劇と恐竜、という相性もバツグンで、それでいて終盤はパニック映画にもなっていて、別に過去の作品の焼き直しだっていいじゃないの、見どころは一通り押さえていて、特殊効果も手抜き無し。何より、これぞ恐竜、という描写がうれしくって。いやあ、いい仕事してます。[インターネット(字幕)] 7点(2021-08-12 17:50:09)(良:1票) 《改行有》

223.  不良番長 近年、昭和がイカしてた時代であるかのように吹聴され、それも80年代のバブルこそがイカした昭和だ、みたいな風潮があるけれど、いえいえ、本当にイカしていて本当にブッ壊れてたのは、70年代だと思います。その壊れ具合がよくわかる一例がこの、東映一のシリーズ作品数を誇る『不良番長』。製作はまだ1968年ですから、実は60年代末期からすでに、ブッ壊れ始めてたんですねえ。 不良番長こと神坂弘を演じるは、もちろん梅宮辰夫。どう見たって、不良にも番長にも見えないんですけどね。スーツ着てたりなんかすると、会社の重役みたいにすら見えてくる、妙な貫録が。 その彼がチンピラどもを引き連れて、まー、ロクなコトをしません。いきなりのアベック襲撃に始まり、やりたい放題のオンパレード、悪辣の限り。しかしカメラが回っているからこの程度なのであって、カメラの無いところではこの出演者たち、何をやってたのか想像もつかぬ・・・という、映画の存在自体が不良の極みみたいな、悪い意味で「伝説のシリーズ」となっちゃってます。 で、この不良軍団が、ヤクザの抗争に参入し、クライマックスでは単車をブッ飛ばし、トラックで突入し、しまいにゃマシンガンを乱射。一体どうしてこんなコトになってしまったのか。それはひとえに映画自体が「不良だから」。これぞアナーキズムの極致、ナンセンスの極致。こんなのホメようがない、という最上のホメ言葉を贈るしかありません。[インターネット(邦画)] 7点(2021-08-10 17:47:37)《改行有》

224.  柳生武芸帳(1961) オープニングの映画会社のロゴ、「ニュー東映」ってのがなかなか珍しくって、お釣りにギザ付10円玉が混じってたときのように、ちょっと得した気分。 しかし要するにこれっていわゆる「B級映画」ってやつ?などと思うと、東映時代劇よりエキストラが少ないんじゃないの~とか、スタジオ撮影なのになんでこんなに吐く息が白いんだ、とか、変なコトが気になってきたりもします。 それはともかく、物語はというと、柳生武芸帳(?)の争奪戦、みたいなオハナシで、武芸帳への関心がイマイチ薄そうな柳生十兵衛はあまり物語に関係無さそうなのですが、一応、主人公。演じるは、何と言ってもこの人、近衛十四郎。何かにつけて、よく分からない高笑いを繰り返しても、不自然ではない、というのがこの人の持ち味です。それにしてもなぜ、高笑いばかりしてるんだろうか。 あったはずの武芸帳(?)が行方不明になったり、色々と事件が起こりますが、最後は何と言っても十四郎アクションが炸裂。多少投げやり気味のワイヤーアクションなんかもあったりして(いやもう、これで充分です)、外連味もたっぷり。[インターネット(邦画)] 7点(2021-07-07 22:58:16)《改行有》

225.  帰ってきたドラキュラ 1年前にドラキュラを倒したはずなのに、再び惨劇が繰り返され、司教がドラキュラ城に出向いて封印の儀式を施す。しかし結局は司教一行が足を運んだが為に、ドラキュラが蘇っちゃう皮肉。 じゃあ、ドラキュラがまだ復活してなかったんだったら、あの冒頭の犠牲者は何だったんだよ。とか言うことはこの際、どうでもよくって。この後、映画の半分くらい、何も起きずにズルズルとオハナシが進んでしまうことの方が、問題。 しかし、色彩的な映像が目を引いて、何も起きないながらも結構、惹きつけられます。いよいよドラキュラが暗躍し始めても、これまたやることいちいち、スローモーなのですが、それがドラキュラらしさでもあって。じわじわと迫ってこられて、なぜか逃げられない、という恐怖。いや、所詮はクリストファー・リーのジジ臭い顔なので大してコワくはないけれど、あの「血走り過ぎた目」の描写などで、映画の色彩が活きてます。 家々の屋根を舞台にしたシーンなども、何となく現実離れした感覚があって、なかなか悪くありません。 音楽も映像にピタリと合わせていて、キマってるし。 最期はちと、おマヌケでしたけれども。[インターネット(字幕)] 7点(2021-06-28 23:07:06)(良:1票) 《改行有》

226.  関東テキヤ一家 「仇の一家へ殴り込みをかける主人公、その歩く姿の背景に流れるのは、主演俳優のヘタクソな演歌」というクライマックスシーンは、もう既視感バリバリなんですが、その主人公が高倉健ではなく菅原文太というのがミソ。 そんなんどっちだって大差無いわい、などと言うなかれ。いやここだけ見たら大差無いかもしれないけれど、やはりそこは菅原文太。そして監督が鈴木則文。血飛沫飛び交う殴り込みの激しさがある一方で、全体的にはユーモアが溢れてます。まず、ヤクザ映画でありながらも、あくまで「テキ屋」なもんで、少し寅さん路線も入ってます。寅さんよりガラが悪く、そして寅さんよりも、ヤセ我慢の世界。 興行のハナシが出てくるのは題材からしてもごもっとも、ではあるけれど、そこで全女が登場する、というのがなかなか貴重。かつて全女が不渡り出して倒産した時には「現存する日本最古のプロレス団体が倒産」とニュースで騒がれたけど、そう、何せこの映画の頃にはまだ新日も全日も無かったんだもんね。 アラカンの親分は、やっぱり見ててヘンなんですが、他の人では出せない味があります。そして桜町弘子姐さんの、こちらは掛け値なしのカッコ良さ。その他、例によって例のごとく多彩な登場人物たちが収まるべきところにピタリと収まって。お見事。[インターネット(邦画)] 7点(2021-06-14 23:04:27)《改行有》

227.  宇宙大怪獣ドゴラ 《ネタバレ》 デーブ・スペクターみたいな外国人タレントって、昔からいたんだなあ、と。 この映画、こういうタイトルではありますが、基本は宝石窃盗団と当局との戦いのオハナシです。そういうのを、例えば大嵐の中の戦いとして描くとか、何か天変地異と絡めた物語とする、というのなら、まあアリかな、と思うのですが、本作はその代わりに「宇宙大怪獣の襲撃」を背景として描くもんだから、斬新というか、ワケワカランというか。 嵐ならば戦いにも大きく影響しそうですが、なにせ遥か上空で暴れるだけの怪獣、だもんで、戦ってる連中も怪獣のことには無頓着、まるで関心なさそうな。 このまま、窃盗団の話と怪獣の話が最初から最後まで全く噛み合わずに終われば、相当ハイレベルの斬新さとワケワカラナさがあったところ、ですが、さすがにそんなコトはなくって、この宇宙生物の「炭素大好き」癖が、事件の解明に一役買っている、という意外な関わりを見せてくれます。そう、宇宙生物が奪おうとするのは炭素。石炭も炭素、ダイヤも炭素素、たけど宇宙生物が狙わなかったニセダイヤの正体は、氷砂糖・・・これもやっぱり炭素(炭水化物)じゃないのかなあ。ブツブツ。 ついでに、酔っ払いのオッサンも、炭素でできてる、ってか。怪獣が出てくるまでの謎めいた事件の数々が、なかなか魅惑的。 肝心の怪獣は、これまた意外をつく無脊椎動物、それも腔腸動物系かしらん。やたらとリアルで有機的な動きに、注目。 怪獣といいながら、やはり映画の中での扱われ方は、天変地異のメタファーなどではなく、見るからに天変地異そのもの。上空からの間接的な襲撃が、攻撃のほとんど(海外は手酷く襲撃されたようだが、詳細不明)。 怪獣にしては、引っ込み思案で、いささか消極的なのでした。[インターネット(邦画)] 7点(2021-06-03 23:47:53)《改行有》

228.  血ぬられた墓標 200年前に魔女裁判みたいなのがあって、裏面にトゲトゲがついたマスクを顔面に打ちつけられる、というショック描写で作品の幕が開きます。 で、それから長い年月が経ったある日。彼女の墓を訪れた者が、彼女を蘇らせてしまう。 昔話じみた陰鬱な屋内セットでの撮影で、怪談テイストばりばり、といった印象ですが、物語は意外に入り組んだ感もあって、ちょっとミステリっぽい雰囲気もあります。もちろん、あくまで怪談なので、合理的な解決があるわけでもなんでもないんですが、なんとなく、何かが隠されているような、パズルのピースが欠けているような、モヤモヤとしたものがあって。 ストレートな恐怖を求める向きには、ちょっとモタつくように感じられるかもしれないけれど、得体のしれないヤな雰囲気が、作品全体を覆いつくしています。 冒頭だけじゃなく、生きたまま人間が焼け焦げていく描写など、残酷趣味は映画の古さを感じさせません。[インターネット(字幕)] 7点(2021-04-08 22:47:54)《改行有》

229.  ローズマリーの赤ちゃん 『悪魔の赤ちゃん』があまりに唐突に惨劇が始まるもんで、いわばそこに至るまでの過程を描いたような本作を、久しぶりに見たくなって。 ちなみに『悪魔の赤ちゃん』の原題、「It's alive」ってのは、本作のミア・ファローのセリフでもあるんですけど、両者の間に関係があるのかどうかは、知りません。 それにしてもこの作品見てると、妊娠の不安ってのは、周囲との断絶、とりわけ夫の無理解にある、というのがよ~くわかります。さらには隣人への不審やら不満やらってのが、普遍的な悩みだってことも。 オカルト映画なのかどうなのか、の境界を行き来する、それ自体がサスペンスになっていて。線の細いミア・ファローがさらに弱っていく姿が、さらに不安をかき立てます。ただし一部のシーンではメイクのし過ぎか、顔色の悪さが画面上で浮いてしまって、ゾンビみたいになってますが。 さあ、この作品を見るとまた、『悪魔の赤ちゃん』が見たくなりますね。ならない?[インターネット(字幕)] 7点(2021-04-03 12:03:35)《改行有》

230.  地獄(1960) こういうネタで映画を一本でっち上げようというセンス、というかセンスの無さ、というのが一番オソロシくって、全く常識が通用しそうにない、何が起きるか本気でワカラン、という映画です。実際、子供の頃テレビで怪奇映画を紹介する番組やってた時、この映画は破格の怖さでした(そう、ゴケミドロ並みに)。 100分ほどの映画のうち、最初の1時間で現世のドラマが描かれるも、面白いように人が死んでいき、気が付いたら都合よく、全員死亡。そこから後はひたすらあの世が描かれ、地獄の描写では拷問に次ぐ拷問。ちょん切られた手が一瞬動く、などはなかなかの芸の細かさです。皮剥の刑では何故か肉まで毟られ、もはや『ピラニア(新しい方)』状態。亡者どもが大勢、グルグルと彷徨う姿は、これこそが本当の死霊の盆踊りと呼ぶべき光景じゃなかろうか、と思えてきてしまう。 あの淡々とした罪状言い渡しが、曰く言い難い味があって、それとハチャメチャな映像とのギャップが、もう何とも言えません。[インターネット(邦画)] 7点(2021-03-28 21:44:04)《改行有》

231.  昭和残侠伝 映画の前半は「挨拶の仕方大全集」みたいなノリで、池部良が仁義を切ってみせるのをフルバージョンで描くのに始まって、復員してきた健さんも挨拶しまくり頭下げまくり。いやあ、やっぱり礼儀って大事だよね、見てて気持ちいいよね、と。 あまり礼儀が出来ていない若き日の松方弘樹や梅宮辰夫も、威勢がよく茶目っ気もあって、これはこれで見てて気持ちがいい。 しかし例によって例のごとく、対立する悪辣なる一味から散々、悪辣なるイヤガラセと攻撃を受け、ついに堪忍袋の緒が切れた健さんが、殴り込みをかける。 そこで、やっぱり、池部良。 物静かな雰囲気がかえって、次に来るであろうクライマックスの修羅場を予感させて。 イイですねえ。[インターネット(邦画)] 7点(2021-03-09 22:55:34)(良:1票) 《改行有》

232.  アラスカ魂 ジョン・ウェインと言えば、西部劇におけるヒーローの中のヒーロー、というイメージがあるのですが、しかし実際に映画に登場する彼から受けるのは、剽軽でお茶目なオヤジ、という印象。ある作品を「おおらかな西部劇」と言った時、そのおおらかさの半分は、彼に起因するものではないか、とすら思えてきます。 その彼が、ここでは文句なくコミカルなドタバタをやってます。何かといえば大騒ぎ、乱闘、殴り合い。何かといえばおごってくれる気前の良さ。 男女が意地を張り合う凸凹恋愛劇、という基本ストーリーは、これは50歳を過ぎたオヤジには似合わぬキツイものが、若干無いでは無いけれど、こういうアホらしいオハナシをえらく手間をかけて大々的に撮影し、乱闘ドタバタのみならず、こんな作品には誰も期待しない銃撃戦まで織り込んでみせたりして。相棒ジョージ(スチュワート・グレンジャー)の人懐っこい表情も忘れ難い。実に「おおらかな」作品です。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-12-31 09:21:39)《改行有》

233.  関東流れ者(1965) 本作の新規登録依頼を「日本大侠客」と一緒に出させていただきましたが、どちらの作品も、明治時代を舞台に鶴田浩二が、大木実を子分に従え、藤純子とは微妙な関係にあり、内田朝雄に立ち向かう、要するに殆ど同じようなことをやってるもんで、チョット混乱してきてしまいます。私自身はコチラの方を先に見たにも関わらず、両者を比べると何となくコチラの方にパクリ感を感じてしまい、でもコチラの方が先に作られた映画なのです。本作の方が、やることなすこと、いちいち極端なんですよね。面白いからいいけど。 何が極端と言って、ダイナマイトを手に獅子奮迅の活躍をする大木実もそうだけど、とにかく村田英雄の眼力のスゴさ。ほぼ人間離れしていて、これぞ極端中の極端といってよいでしょう。顔は鶴田浩二より若いようにしか見えないけれど、描きに描きまくったような眉毛の下で眼力を飛ばしまくり、鶴田浩二に「オヤブン」と呼ばれて本人も完全にその気になって、ひとり、異次元に突入してしまっています。まさに摩訶不思議な村田ワールド。 後半には若き日の北島サブちゃんも登場。正直、こちらはサルにしか見えない。ごめんなさい。いやホントごめんなさい。でも風呂に入ってはイイ声を披露し、終盤には泥にまみれて壮絶な最期を遂げてみせる、さすがサルちゃん、じゃなかった、サブちゃん。 ちょっと冷たい感じの小山明子と、鶴田・大木との哀しき関係。さらにはどこのイモ姉ちゃんかと思ったら洋装の藤純子。工事請負に関し不正を働く、内田朝雄・遠藤辰雄率いる悪徳業者の横暴ぶり。ついに彼らが一線を越えたとき、男の怒りが炸裂する。 やってることはいちいち極端だけど、ストーリーの盛り上がりに対してすべてがちゃんと収まるところに収まっていて、さすが、と思わせるオモシロ映画になってます。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-12-31 06:56:08)《改行有》

234.  日本女侠伝 侠客芸者 《ネタバレ》 藤純子演じる芸者さん、威勢よく啖呵を切って見せたりもするけれど、さすがに「侠客」ってなことはなくって、それはどちらかというと健さんの役どころ。侠客&芸者、です。 無論、芸者さんなので、男性客をもてなしてナンボ、のところはあるのですが、一方で理不尽にははっきりノーと言い、それも常人離れした格闘能力がある訳でもなく、皆で力を合わせて相手の横暴に立ち向かう。かつてのウーマンリブ運動を見るようでもあります。 その一方、健さんはというと、こちらは弱小企業が悪徳大企業に押しつぶされようとするのに必死で立ち向かう、その先頭に立っていて。 いやがらせの数々を何とか耐え忍ぶも、ついに一線を越えて犠牲者が出たことから、健さんの怒りが爆発。このテの映画の定番、殴り込みとなる訳ですが、ここでもやっぱり、死地に赴くのは男であって、女の姿はそこには無い。男は気前よく死んでみせ、女はただ、芸者の身のままで悲しみに耐えるしかない、という、今見りゃ、ちょっと古風過ぎるオハナシで、フェミニストの皆さんからはブーブー言われそうな内容なんですけれども、でもラストで、悲しみに耐えつつも強く生きていこうとする、いや強く生きていかねばならないからこそ悲しい、そんな表情を湛えた藤純子が、イイんですねえ。鮮烈な印象を残します。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-11-25 21:46:53)《改行有》

235.  テキサス このテの役を演じさせるんなら、アラン・ドロンじゃなくってやっぱりジュリアーノ・ジェンマだろう、と思っちゃうのですが、きっと、ジェンマはマカロニで忙しかったんでしょう。アラン・ドロンがヒマだった訳でもないとは思うけど。 でも、暇つぶしに出演したんじゃないか、と言いたくなるくらい(あるいは、これこそジェンマにうってつけの作品だと言いたくなるくらい)、テキトーな映画です。 だから、見始めてしばらくは、こらアカンのちゃうか、とか思ってたんですけどね。 それがもう、見てるうちに、すっかりハマってしまって。いや、面白いんだこれが(笑)。 なにせ、展開が早いというか展開がデタラメというか、5分後にはオハナシがどうなっているかわからない、5分前にはオハナシがどうだったか思い出せない、という状況。 エロいとまでは言わないけれど、多少はお色気も散りばめていて、先住民の娘の着ている先住民服が、もう完全に、太腿の横にスリットが入りまくったチャイナドレス状態。こんなの、アリかよ。もちろん、アリです!? ディーン・マーチンとの噛み合わないコンビぶり、本当にどうでもいい四角関係、我々も負けてはならぬとウケ狙いに走るコマンチ族。ここまでデタラメでホントにいいのか?と思ってたら、まさかまさかのズバリと決まるラストのオチに、意表を突かれて。 いや、参りました。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-11-02 20:25:56)《改行有》

236.  さいはての用心棒 映像が安っぽいとか何とかいう以前に、カットが切り替わるたびに映像の色温度が激変したりして、見てて途轍もなくイヤな予感がしてくるのですが、まあ、その割には、面白い。いや、それでもなお、面白いんです。 南北戦争を背景に、陰謀劇みたいなのが描かれていて、例によってジュリアーノ・ジェンマ演じる主人公が大活躍するワケですが、彼のアクションスターとしての身のこなしはやはり、さすが、と言えるものがあります。持ち前の運動神経で、中盤の乱闘シーンでは宙返りなんぞも披露して、ここまでくると完全に浮世離れしておりますが、ジェンマだからこそ許されるのです。 マカロニウェスタン恒例(?)の見せ場のひとつに、主人公が敵につかまってリンチにされる、ってのがありますが、本作ではなんと、炎天下に放置されてメダマを目玉焼きにされてしまう、という奇抜な拷問が登場。顔に変な網をかけられての放置プレイ、ジェンマの端正な顔立ちが、顔にかけられた網のせいで「オマエ一体誰なんだ?」と言いたくなるブサイク顔になっていて、これは必見と言えましょう。 クライマックス、彼は果たして北軍と南軍の激突を阻止できるのか、そして陰謀の行方は。ジェンマの協力者となるジイサンの存在も忘れ難く、なかなかの盛り上がりを見せます。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-29 09:31:29)《改行有》

237.  あゝひめゆりの塔 映画開始早々の運動会シーンで、登場人物たちの顔立ちも話し言葉も、その他何もかもが「こりゃ沖縄じゃないよなあ」という感じなのですが、製作は1968年、まだ沖縄が返還される前ですから、仕方ないっちゃあ、仕方ない。というよりも、女子学生の運動会に何とか忍び込みたい男子学生たち、それをたしなめる吉永小百合、なんていう日活青春テイストが、映画を観る人々と登場人物たちとの距離感を縮めるのには確かに必要なのかも知れませぬ。だから、冒頭の渡哲也にわざわざ釘を刺されるまでも無いだろう、とは思うのですが。 という、まず馴染み深い日常があって、戦火が近づきつつあることをナレーションが解説しつつもその実感はなかなか湧かないのですが、次第に不穏な空気が流れるようになり、やがて日常は、過酷な戦場へと変化していくことに。米軍による攻撃の描写が、いろいろ違和感を感じさせる部分も多いのですが、少なくとも、「日活青春路線の映画がここまでやるか」と思わせるだけのものはある、激しい描写になっています。一方で、吉永小百合は清純派でなければならず、清純派は演技がクサくなくてはならぬ、みたいなこの感じは、ちょっとどうなんでしょうね。むしろ「表に出さずに堪える」ことが感情表現につながる場合もあると思うのですが。 最初の方で、男子学生の列と女子学生の列が、それぞれ別の歌を歌いながらすれ違う場面、異なる歌が重なりつつ、さらにそこにセリフまで重なって、映画的なポリフォニーになっているのですが、その後も、卒業式の場面で「仰げば尊し」の歌声と砲声が重なったりとか、切断された手足が砲撃で飛び散った中に花が咲いているとかいった対比が織り込まれており、「平和vs戦争」という対立軸を強調しています。そういう意味では、戦争映画と青春映画とが本作の中で必ずしもうまく混ざっていないこと自体が、作品の欠点もありながら、一方では本作の独自性にもなっているように思われます。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-03-08 12:42:23)《改行有》

238.  祇園の暗殺者 近衛十四郎というヒトは、いつも暑苦しい程に自信マンマンの表情を浮かべている印象があるのですけど(表情というより、もはや「自信」が顔の一部になっているかのような…)、別にいつもいつもそういう訳ではない、というのがこの映画。 時は幕末、京の街では彼を始めとする浪士たちが、血も涙もない人斬りを繰り返している。で、今日も首尾よく(?)、ターゲットの家に乗り込み、見事仕留めたはいいけれど、押し入れの中に不穏な空気、戸を開けてみるとそこには、恐怖と驚きに顔を引きつらせた子供の姿が。で、この映画、何がポイントかといいますと、このシーンの子供の顔が、完全に「呪怨顔」なんですね。バッチリ時代を先取りしてます。この呪怨顔を見てしまったら、さすがの十四郎フェイスも曇ろうというもの。以降、主人公は罪の意識に捉われたか、ときに殺人の幻影に悩まされ、何かと調子が出なくなっていく。そして彼に訪れる暗い運命。 終盤の、狭く入り組んだ京の路地を舞台に繰り広げられる追跡劇が見どころで、ついには鴨川べりと思しき水辺に追い詰められるのだけど、それは作品の中盤でも描かれた暗殺パターン。因果はめぐる、といいますか。 人斬りがテーマながら必ずしもチャンバラに重きを置かず、代わりに呪怨テイストを絡めてきたのが、ちょっと異色な時代劇でした。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-02-22 03:41:41)《改行有》

239.  森の石松鬼より恐い 「森の石松」の舞台演出に悩む演出家が、ある日タイムスリップして石松本人になっちゃう、というSF超大(?)作。 という訳で、演出家役の錦之助がカツラ無しで登場し、なかなかレアです。しかし錦之助、時代劇カツラをかぶっていないと、結構、フツーのおっさんで、こんなにもオーラが無いのかと。いや失礼。 それが、目が覚めると自分が森の石松本人になっていて、その事実を飲み込むまでがドタバタの連続。そのネタでここまで引っ張るかと思うくらい引っ張るのですが、この石松ワールドの配役が、冒頭の現代のシーンと被っているせいで主人公も混乱する、ってのがどうにも可笑しく、ああ、あのヒトがこの役で再登場するのか、と大いに楽しませてくれます。そんじゃあ寿司屋の大将・鶴田浩二もきっとどこかに再登場するよね、と期待していると、まあ再登場はするものの、これはちょっと肩透かしですが。 とにかくこの前半の引っ張りで、主人公が簡単にこの世界に入り込めない、ってのがあるからこそ、あれやこれやの事件に巻き込まれ、彼自身も「石松」としての自分にめり込んでいく後半が、冴えわたるんですね。ただのドタバタに終わらず、クライマックスではしっかり、森の石松譚を堪能させてくれます。 例によってというべきか、屋外ロケシーンとスタジオセットシーンで、あまりに声の響きに差があり、これ何とかならないもんですかね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-01-25 03:06:08)《改行有》

240.  殺しが静かにやって来る 《ネタバレ》 マカロニとかスパゲッティとかいう西部劇のタイプとはだいぶ印象が異なって、雪に囲まれた町と山岳地帯が舞台。音楽もノリのよいマカロニ調ではなくって静かなものが多く(酒場ではショパンが流れてます・・・?)、抒情的です。むしろ、もはやオカルト映画のテイストに近いかも。ときに、大胆な、というか、乱暴な、というか、単に「雑な」というか、そういうカメラワークが、どこかオドロオドロしい雰囲気にも繋がってますし、やってることも結構エゲツない。実際、保安官が馬車の窓から外を見たらそこに逆さ吊りの死体の顔、なんていうシーンは、犬神家もビックリです。 オハナシの方は、途中までは正直、よくワカラン。っていうか、一体誰が主人公なんだよ、と。誰がと言えばそりゃ、トランティニャンなのでしょうけれど、そもそもの印象が強くない上に、役どころはサイレントサムライならぬ、サイレントガンマン。セリフが無く、出番も多くなく、さらに印象が薄くなっちゃう。敵役の方がむしろ、クラキンみたいな強烈な人相で(←本人です)存在感を示しまくってます。しかし、どんなに女優の顔が怖くっても物語の中心にいればそれはヒロインなのであり、ヒロインとラブシーンを繰り広げてそこにとってつけたように情熱的なBGMが被されば、残念ながらこのトランティニャンが主人公なんだろうと認めざるを得ないわけです。 とか何とか、ボロクソ書いてますけれど、物語の進行とともにちゃんと焦点が結ばれていくのは、さすが(カメラの方は、ときどき焦点がボケてますが・・・)。人質をとった敵が待ち受ける死地へ、ひとり赴く主人公。この場面、ヒロインが敵の伝言を主人公にまるまる伝えた上で「これは罠よ、行かないで」などというくらいなら、そもそも伝言を伝えるなよ、と言いたくなるのですが、まあこれは、こんなヒロインと結ばれてしまった主人公が不幸だった、ということで。 まさかまさかのラストです。いや、まさか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-01-12 09:49:07)《改行有》

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