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281.  羅生門(1950) 《ネタバレ》 芥川龍之介と黒澤明の夢のコラボ。人間の心の怖さ、脆さ、危うさ、人間不信、人間愛を描いた作品。原作「藪の中」では三者三様の別々の矛盾した物語が述べられ、真相は語られないる。対して本作では、解答編すなわち杣売の目撃談が語られる。非常に丁寧に作られた作品で、映画作りに対する真摯な態度に頭が下がる。先ずは時代背景。疫病、飢饉、台風、火事、盗賊の横行、羅生門の放棄死体等の話題を出し、人民が荒廃している様子が示される。その象徴が半壊放置の羅生門。次に事件のあった日のうだるような暑さ。ぎらぎら輝く太陽、木漏れ日、顔に映る葉影、玉の汗、光る刀、岩清水…枚挙に暇がない。この暑さが事件の外因になっているのだから重要だ。そして人間不信に陥った杣売、僧の心の状態を表現する大雨。こういった道具立てに手抜きがない。映像も例えば、開始15分30秒に騎馬の多襄丸が夕日を背景に疾走するワンショットの目の覚めるような美しさ。映画に対する意気込みが違う。意図せず芸術になっている。恐ろしいと感じた場面がある。それは「青葉を鳴らして涼しい風が吹いた」という偶然が、多襄丸に女の顔を見せ、犯行の動機になった事。偶然により大きく狂わされる人間の運命というものに震撼した。もう一つ。武士は被害者なのだが、思いめぐらしてみれば、そもそもは多襄丸の口車に乗って刀や鏡を安く手に入れようと欲を起こしたことに非がある。ほんの少しの欲が顔をもたげたばかりに殺されることになってしまう悲運。人知を超えたものだ。そして女の美しさ。美しいことは罪だろうか?多襄丸が女をものにしたいと思ったのも美しさの故だ。美しいという美徳が罪悪の原因にもなるという撞着。菩薩にも魔性になる女の変化。価値観が揺り動かされます。最後に、恥の文化。恥は名誉を重んずる事で人間を人間たらしめる。証言が矛盾するのは、対面や体裁を取り繕う気持ちが強いから。無意識に自分自身を騙し、信じたいものを信じてしまう事もあるだろう。人間の心がいかに危うい価値観の上に成立しているか、それを認識させてくれる稀有な作品です。最後のメッセージは明快で、人間の本来持っている善の部分を信じたいということ、赤ん坊の未来は明るいということ。大雨の後の雲間に希望の光が射してくる。とても単純だけども、とても力強い演出です。ヒューマニスト黒澤明ここにあり![DVD(邦画)] 9点(2012-07-11 16:33:52)

282.  さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 《ネタバレ》 鉄郎が再び銀河鉄道に乗り旅にでるが、その目的も目的地も不明のまま。受け身で出発する。で、それは敵の罠だった。機械化人を創り出したプルメシウム(メーテルの母)と黒騎士(鉄郎の父)の策略。で、何のために?これが分りづらい。鉄郎は放っておけば地球でくたばる宿命。彼に特殊な能力が備わっていて、それを恐れるというような秘密があるわけじゃなし。わざわざ呼び出して、父と子で殺し合って、何がしたいのか?結果は前作と同じで、ハーロックとエメラルダスが助っ人にやってきて、メーテルが母を殺し、星一個無くなる。魔女サイレンの重力に飲み込まれたわけだが、主要人物の葛藤や戦いが延々描かれた挙句に、第三者が登場して決着がつくという展開は素っ気もない。自分たちの力で決着をつけてこそ感情移入できるというもの。ところで肝心な部分、どうして人間と機械化人が戦争をするのかという、この動機部分が描かれていない。機械化人の方が人間を圧倒している状況だが、機械化人にとって補充エネルギーは人間の命。人間を滅亡させてしまっては元も子もない。それに機械化人だって元々は人間、同胞です。人間にとっても機械化人がいた方が便利ということもある。現に銀河鉄道は機械化人により運行されている。あたかも人間と機械が戦っているように見えるが、そうではないわけです。前作では母の復讐をする為に、機械の体を求めて旅をする話。主題は愛と永遠の命で、話に深みがありました。本作では、単なる戦闘ものになっている。常に銃をぶっ放す戦士になってしまった鉄郎に魅力はない。銀河鉄道999は愛の物語ではなかったか。戦闘シーンのオンパレードで、命を大切にしない映画だ。鉄郎が銀河鉄道に乗るためだけでも何人もの命が失われている。まるで西部劇。ところで、メーテルとエメラルダスは、若者にしか見えない時の流れの中を旅する時の旅人、青春の幻影で旅に終りはないという。神秘的ですね。二人が双子という察しはついているのですが。[DVD(邦画)] 5点(2012-07-11 03:37:29)

283.  望郷(1937) 《ネタバレ》 ペペはギャングの親玉。銀行強盗稼業で荒稼ぎ、殺した刑事は五人。フランス警察の手を逃れ、仏領アルジェリアのカスバに逃げこんでいる。カスバは建物が迷宮のように複雑に入り組み、各家のテラスがつながっていて、どこからでも逃げれる。男気があり、人情に厚いペペは手下からは崇拝され、住民にも人気がある。カスバはペペを守ってくれる一方で、暑くて、汚くて、混雑して、無秩序で、熱病のように人の心を蝕む。牢獄のような場所から逃れる事の出来ないペペの心は病んでおり、望郷の念に堪えきれなくなっている。そこへ現れたのが金持ちの愛人ギャビー。巴里流行の服をまとい、宝石をきらめかせ、色香ふんぷんで、聞けばペペと同郷、ペペの恋焦がれる総てがあった。彼は恋に落ち、ギャビーも彼にぞっこん。だが運命は二人に辛く当る。刑事の策略、部下の裏切り、情婦のタレこみ云々で、ギャビーを追って乗り込んだ船で、ペペは待ち構えていた刑事達に逮捕される。温情で見送りを許されるが、「ギャビー」と叫ぶ声を汽笛が消す。心憎い演出です。自由、恋、故郷、総てを失ったペペは自死する。「望郷」という和題が卓越。彼は望郷という病に憑りつかれていた。いつ来るかもしれぬ刑事のガサ入れ、警察との撃ち合い、仲間の裏切り、手下の死、包囲網下でカスバを出れない不自由さ、酷い暑さ、嫉妬する情婦など、心が休まるときが無い。これらが寄せては返す波となり、彼を望郷の念に駆りたてる。「若いころの自分を、古い写真を鏡と思って見つめるの」と言って古いレコードをかける元歌手の年増。ペペがカスバを降りる時のりゅうと着こなした服装と靴、背景の心象風景に映る故郷へ続く海など、実に抒情的だ。ペペの心とカスバの町(迷宮の象徴)が常にオーバーラップする。ペペは情婦イネスに飽きて、彼女をないがしろに扱っていた。イネスはペペを愛していたが、結果的に彼女の嫉妬心がペペの命を奪うことになる。ペペにとってのファムファタールはギャビーではなく、イネスだったのかもしれない。運命の女神は気まぐれだ。ペペが故郷に恋焦がれていたのは良い想い出があったからだろう。ペペの過去、がどうして悪の道に足を踏み入れるようになったのかが描かれていれば、より感情移入できただろう。現代の価値観でいえば、ペペは社会の屑にすぎない。それにしても、スリマン刑事はペペに毎日会っているのに逮捕しないのはよくわからないですね。[DVD(字幕)] 7点(2012-07-10 18:08:19)

284.  テルマ&ルイーズ 《ネタバレ》 日頃抑圧されている二人が気分転換の旅に出るが、予期せぬ展開で犯罪に巻き込まれ、逃亡犯となり、とまどいつつも、ふっきれて自由さを感じ、自分らしさを取り戻してゆく。意外な展開と衝撃のラストが見どころ。狙いは明快だが、脚本の甘さが目に立つ。①あんな明るい駐車場でレイプするか?女も声を出して人を呼べばよい。②銃は撃ったことがない二人なのに、あんなにうまい。テレビで覚えた?意味不明。③ルイーズ(L)は過去に強姦されたトラウマを持つ。これが衝動射殺の遠因だが、強姦を思い出したくない為にテキサスを通りたくないは理解しがたい。緊急時なのだから。④(L)の恋人は、(L)に金を送ってくれと頼まれると、強い不審を覚えながらも、金を持参して現地に飛び、直接お金を渡し、さらにプロポーズの指輪も渡す。この行動が奇異。長年付き合っている恋人を旅行中に押し掛けてプロポーズするか?相手の様子がおかしいときに。しかも男はこれ以降出番がない。⑤(L)の強姦のトラウマが直接描かれない。(L)は物事をきっちりすませる性質の独立した働く女。恋人もいるが、結婚に踏み切れないのはトラウマのせいだろう。男性に対する不信感が強い。そこを正面きって描いていないので、彼女が男性を支配したときの開放感が薄い。⑥テルマ(T)はヒッチハイカーと懇ろになり一晩過ごすが、そこに至るまでがまどろっこしい。中ダルミでだ。男が金を盗み、それが(T)の拳銃強盗の契機となるので、男の役割は大きい。だが男はすぐに捕まり、刑事が二人の関係をいとも簡単に見抜く。このあたりは安直。⑦(T)の夫のまぬけっぷりが目立ちすぎる。(T)がこの男に抑圧されているから物語が成立するのである。もっと自己中心的で女を自分の支配下に置くようなキャラであるべき。⑧最後に刑事は叫ぶ。「よく考えてやれ!痛みつけられっぱなしの女なんだぞ」これは神(観客)目線に立った発言である。だが、刑事に二人の女の何が分るというのか?通り一遍の調査しかしてないではないか。◆二人の犯罪行動の動機の背景には男性に対する復讐がある。男性社会の鳥籠の中で暮らしてきたので、それは理解できる。だがその方法は全て銃に頼ったもの。銃一つで男女の力の差が逆転するだけ。犯罪にせよ、逃亡にせよ、女性らしい知恵や勇気、優しさで行動してほしかった。飛び降りは論外。笑いのツボは黒人がトランクの警察官に煙草の煙を吐くところ。[DVD(字幕)] 7点(2012-07-09 21:11:56)

285.  2010年 《ネタバレ》 冒頭フロイド博士とソ連関係者が、大型レーダーの並ぶ場所で内談するのが心象に残る。ここで米ソ冷戦を暗示し、伏線となり、最後の紛争和解場面につながる。うまい手法と思うが、原作に無い冷戦紛争を持ってきて成功しているか疑問。主題はあくまで、人知を超えた”何者か”による新生命の誕生と操作の筈。冷戦が終わって、めでたしという結末はいささか筋違い。実際の歴史で冷戦が終結し、SFとしての風化が早まる結果となった。◆女性飛行士がフロイド博士にしがみついたり、一人が過呼吸に陥ったり、あるいは腐った匂いでパニックになったりと、実に写実的だが、この映画には不要と思う。壮大な主題にふさわしい神秘的演出が望ましい。ひたすら理知的、科学的に葉緑素の発見やモノリスという謎に迫るハードSFがベター。知的好奇心こそが人類の進歩の源なのだから。◆モノリス探査船が放電現象で吹き飛ばされ遭難するのは原作には無い。モノリスが拒絶したか、モノリスと一体化したボーマンのエネルギー体が地球に向かったのに遭遇したという解釈が可能だ。いずれにせよ、ボーマンがこの事故について釈明しないのはおかしい。彼はクルーの命を尊重し、土星から離れろと何度も警告しているのだから。◆最大の緊迫場面は、チャンドラー博士のHAL9への説得。前作を観た人なら、はらはらすること請け合いだ。説得にぎりぎりまで時間を要し、辛くも脱出に成功するが、博士がHALを一人の人格として扱い、真実を語った結果だ。コンピュータと人間間の友情であり、HALの犠牲的精神ともとれる。「コンピュータの反乱」という副主題に対する答えだ。博士は、SAL9000に「私は夢を見るか」と尋ねられ「見るとも、知的生物はみな見る」と答えている。しかし同じ質問をHALに問われ「わからない」と答える。実はこれが最大の謎だった。夢を見るに決まっているではないか。推察するにHALの質問は死を意識したもの。だから博士はとまどってしまったのだろう。死に行く人に安易な言葉はかけられない。◆未来のエウロパ。植物が生い茂り、生物が繁栄する。聳え立つモノリスが映る。知的生命としての進化を待つ。やがてここから新たな宇宙の旅が始まるだろう。宇宙の旅は、生命を継ぐ旅だ。◆蛇足だが、新太陽出現の熱量で地球温暖化が進まないか心配。そのあたりはきちんと調整してくれているんですよね、ミスター、モノリス。ところで、モノリスの見る夢ってどんな夢?[DVD(字幕)] 7点(2012-07-09 03:37:20)

286.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 生と死の狭間に揺れる少女の無垢な魂の成長を極力言葉を排した映像詩で綴る。 母は内戦前の過去に生きる人物。友に安否を尋ねる手紙を出すが、返事は芳しいものではなかったようだ。 父は社会や家族には無関心で、養蜂にしか興味がない。その蜜蜂に嫌悪感を持っている。 アンの魂は幼く、蜜蜂のそれのように未分化で、人間と精霊の中間にある。精霊は人間(生者)と死者の中間に位置する。 映画のフランケンシュタインの怪物は、水辺で一緒に遊んだ少女を誤って殺してしまい、最後は村人に殺される。アンは死に対して強い興味を抱く。質問された姉は、怪物は実は精霊で村はずれの廃墟に住んでいると出まかせを言う。また精霊は友達になるといつでも呼び出せるとも。廃墟を訪ねると大きな足跡があるだけだったが、ある日そこで脱走兵を見つける。脱走兵が懐中時計を消す手品を見せて、アンは精霊と確信する。次に行くと脱走兵は消え、血痕がある。父が殺したと誤認したアンは父から逃げ出す。夜の森の水辺で精霊と遇う。友達になれたのでアンは危うく死を免れる。 ◆暗喩が多いのが特徴。窓の六角形の格子=家は政府の監視下にある硝子の蜜蜂の巣。死=怪物の映画、解剖人形、鉄道での遊び、絵画の髑髏、毒キノコ、猫の首を絞める、死んだふり。火を飛び越える=大人への通過儀礼で、アンは見ているだけ。圧政=汽車の青年兵、村人、父の無表情と無言。水辺=精霊と会う場所。蜜蜂=政府に飼いならされた民衆。 ◆少女と怪物の対比が印象的。無垢な魂の前では、どんな怪物も本来の無垢な姿に立ち戻る。人間の本質を見ることを大人達は忘れがちだ。解剖人形も最後に目が入って完成した。蜜蜂の社会は管理社会で、個々の蜜蜂に自由や独立はなく、魂も未分化状態。圧政下の重苦しい状況にあえぐ民衆になぞらえているのは明白。「怪物=政府」と「少女=無垢の魂=民衆」が友達になれたときに明るい未来が約束されるだろう。だからアンは最後まで対話を求め、精霊を呼ぶ「私はアンよ」と。フランケンシュタイの映画を自家薬籠中の物として見事に取り込んだ手法に驚嘆。他に類を見ないのではないか。脱走兵は母の元恋人であったかもしれない、脱走兵を殺したのは村人等、深読みが可能で楽しい。映像詩の美しさの多くは子役の演技に負うところが大きい。人間は子供時代があるから素晴らしい。怪物にも子供時代があったから共鳴するのだ。[DVD(字幕)] 9点(2012-07-07 20:03:58)《改行有》

287.  雪の女王(1957) 《ネタバレ》 原作をほぼ忠実に再現。製作者は原作の意図をよく理解し、そつなく仕上げている。主人公ゲルダが女性で、関わる人物も女性が中心。魔法使いの女、城の王女、盗賊の女、盗賊の女の娘、北方の女、更に北方の女、雪の女王。「女性のもつ内なる力」が主題である。原作では更に北方の女が、カイは雪の女王の囚人になっていることを教える。トナカイが、この娘に力を与えてくれ頼むと「この娘に生まれついて持っている力よりも大きな力を授けることはできない。力を得ようとしても無理。それはあの娘の心の中にある。ごらん、どんなにして、色々と人間や動物が、あの娘のためにしてやっているか、どんなにして、裸足のくせに、あの娘がよくもこんな遠くまでやって来られたか」と諭す。無欲の愛こそが何物にも勝るということだが、それはゲルダ一人に依るものではなく、彼女を助ける女性も分担している。雪の女王の心を溶かしたのは、女性陣の愛のリレーの結晶だといえる。敵役も女であるが故に愛にはもろいのだ。女性賛美のメッセージが込められているといってさし支えない。重要アイテムは靴。靴は「子供、保護」の象徴。ゲルダがおろしたての赤い靴を川に捧げたことで、船が動きだし、冒険の旅が始まった。ゲルダがカイを真摯に心配し、甘えた子供心を捨て去ったことが奇跡を呼んだのだ。途中、城の王女から長靴をもらうが、最終旅では裸足になる。厳しい環境に身をおいてこそ、真の心の成長があるのだ。ゲルダが靴を脱がなければ、カイの目と心の中に入った氷を溶かすことはできなかったし、雪の女王と対決もできなかった。雪の女王はあっけなく溶け去ってしまうが、それは二人の無欲の愛に打たれたから。だが、少しあっさりしすぎていないか?原作では、「氷の板で永遠の文字を作る」という最終試練があるのにそれを省いている。その代わりに原作ではさらりと流している、盗賊の女の娘が悔悛しゲルダを助ける場面をこまやかに描く。ここが最も涙を誘う。この娘は、「子供版雪の女王」だ。このように全体としてバランスがよい。原作では、二人が町に帰還したとき、心は子供のままだが大人の姿になっていた。子供心を捨て去った代償である。後に「風の谷ナウシカ」「千と千尋の神隠し」を制作した宮崎駿氏がこの映画に感銘を受けたと伝えられているが十分にうなずける事だ。案内役を夢の神のおじいさんがするが、これは不要だろう。[DVD(字幕)] 8点(2012-07-06 17:31:27)(良:1票)

288.  暗黒街のふたり 《ネタバレ》 前科のある男が出所し社会復帰をめざすが、刑事のストーカー紛いの干渉と不運が重なって殺人を犯し、死刑になるという不条理な話。だがその不条理よりも、一貫性のないストーリー構成に不条理を感じてしまう。思うに死刑という結末ありきで、悲運と不条理を訴えたい場合、次のような設定にすれば理解されやすい。①男が過去の罪を悔やみ、社会復帰しようと奮励している。②刑事が男を疑っており、監視し、生活に容喙する。③強盗仲間から執拗に誘われる。④職を得るのが難しいなど、社会復帰に困難が伴う。⑤妻とは深く愛しあっている。⑥保護観察司など一部の人からは信頼されている。⑥不幸な偶然が重なり殺人を犯してしまう。この中で②だけは成功している。誰もあの刑事には怒りを禁じ得ないだろう。しかし他の設定はゆるがせである。冒頭、刑務所の作業中に煙草を盗み吸う場面があるが、全く余計だ。更生している人とは思えないからだ。強盗仲間の勧誘は中途半端。新参者が男につっかかる場面があるが、その後登場せず、伏線が回収されない憾みがある。そして社会復帰があまりに簡単に行き過ぎる。経営者からは共同経営を持ちかけられるほど信頼され、刑事より多額の給料では恵まれ過ぎている。妻が事故死してしまうが、これもいただけない。男の不運を強調するのが企図だろうが、すぐに恋人が出来てしまうのでは効果が薄い。観客の同情も、妻と恋人の二人に分散してしまう。一貫して深い夫婦愛を描いた方が、より感情移入しやすかっただろう。脚本の意図としては、恋人を銀行員にして、刑事に銀行強盗を匂わせたかったのだろうが、失敗している。保護司との関係だが、二人にどういう因縁があるのかはっきりしない。のみならず、刑事との因縁もよくわからない。刑事が男をあれほどまでに警戒する理由を示してほしい。さらに言えば、男の家族が一切登場しないので、男の人物像はよくわからないままだ。殺人だが、あっさりしすぎている。短気を起こして刑事を殺すのでは同情が得られない。もっと殺すに十分な理由が必要だし、あるいは偶発的な事が重なって冤罪に近い形で殺してしまうというような展開が望ましいかった。最後にこれは最大の欠点と思うが、それは不用意なナレーションにより、結末が判ってしまうこと。法廷場面で、男が死刑になるのは明らかなので緊張感がない。男が淡々と運命を受け入れ、陳述もしないのは奇異に感じる。[DVD(字幕)] 6点(2012-07-04 01:06:53)

289.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 犯罪ロード・ムービーの形を借りているが、本質的には、妻が不貞で夫婦中に亀裂の入った夫婦が、再び絆を取り戻してゆく話。妻が不貞を働いたのは、裏取引で夫を刑務所から出すための方便。頭では理解できるが、心では消化できずに妻を愛しているが許せない夫の感情の揺れが主題。カットバックを多用した刑務所での息苦しいまでの抑圧された場面、刑務所を出て、あまりの自由さにとまどい、自分を取り戻すまでの場面が丁寧に描かれるのもそのため。逃走の緊張と夫婦間の緊張の相乗効果が、映画を魅力的にしている。ゴミ収集車に閉じ込められるというアイデアは秀逸。二人は自分たちをゴミのようにしか感じられないところまで転落したが、落ちるところまで落ちたことで今度は上昇に転じる。汚れたことで心の虚飾が払われ、歩み寄ることができたのだ。妻の傷を気遣う夫の姿はけなげだ。「傷は浅い、跡は残らない」は夫婦の絆の傷のことでもある。映画の常道をわざとはずした意表を突く展開には目を見張る。監督は「人生はささいないこと、小さな偶然によって大きく影響される」という人生観の持ち主に違いない。コイン・ロッカー詐欺師が札束を一つ胸ポケットに入れたことから、巡り巡ってドクの人相が警察に知れる。カー・ラジオが故障したことから、ラジオ店の主人に素性を見破られ、警察がやってくる。また観客を驚かすことが多い。最たるものが悪者に脅されて同道を余儀なくされた獣医の妻が夫を裏切り、悪者に寝返るところ。大した意味はないのに、ドク夫婦のパロディのようにつきまとい並列展開する意外さ。獣医は耐えきれず自死するが、おばか妻はそれを歯牙にもかけない。悪者もドクに撃たれた時、とどめまで刺されているので誰もが死んだと思ったが、生きていた。防弾チョッキを着ないと思わせた伏線が効いているのだ。この男がボスに連絡すると思いきや単独でドクを追う。ドクもドクで、どこにでも逃げればよいのに、律義に計画通りにエルパソという国境の町に向かう。案の定そこには敵の手下が待っている。最後のシーンも面白い。「一万ドルで車を売れ」「二万にしてくれ」「三万でどう」この掛け合いで夫婦の仲が完全に修復されたことがわかる。男はひょんなことで三万ドルを手に入れた。こんな事があるから人生は面白いし、いつでもやり直せる。監督のそんな声が聞こえてきそうだ。[DVD(字幕)] 8点(2012-07-01 07:49:12)(良:3票)

290.  キング・コング(1933) 《ネタバレ》 無駄のない構成に感服。まずスカル島に到着するまでの序章がテンポよい。ジャングル映画監督の特異な性格が示され、運よく不遇の美女タレントがスカウトされ、恋を知らなかった荒くれ船員が美女と恋に落ちる。次に原住民との遭遇⇒美女が原住民にさらわれる⇒コングが美女を連れ去る⇒美女奪回のため島の奥地へ⇒恐竜との遭遇⇒コングと恐竜達との壮絶バトル展開⇒美女奪還⇒コング捕獲と休む暇がない。ここで終わっても冒険物語は成立する。当時流行していたジャングルもの、南洋ものと呼ばれる小説や映画の多くがそうだった。本作は、このあとコングをニューヨークに連れていくことで名作となりえた。「コングを見世物にして金儲けする」という人間の欲望、これを描くのにニューヨークはぴったりの街である。自然との調和を忘れ、欲望に溺れ、堕落した人間達に、神の使いであるコングが天罰を加える。経済発展を謳歌していた米国で世界恐慌が発生した直後の制作で、コングは当時の人が無意識に持っていた罪意識の象徴として映ったのに違いない。これが現在にも通じることで、今でも色褪せない理由の一つがここにあると思う。美女を取り戻したコングは高層ビルの天辺に避難する。だがそこに安住の地はない。文明の利器である飛行機と機関銃が襲い掛かる。スカル島では怖いものなしだったコングもこれには勝てず、墜落死する。人間を襲った罪として、今度はコングが罰せられたのだ。欲望とそれを律する心のせめぎあいを見事に表現している。もう一つの主題は恋愛という不思議さ。いくらコングが美女を愛しても、その愛が報われることはない。コングは美女の守護者であると同時に永遠の失恋者。美女に恋しても相手は振り向いてもくれない経験を持つ男性は多い筈で、身につまされる。野獣のコング相手に感情移入できる所以だ。失恋男の哀れさが憐みを誘う。美女に惚れなければこのような悲劇は起きなかった。「飛行機ではない、美女が野獣を仕留めたのだ」の詞は的を得ている。副題の「the eighth wonder of the world」はコングであり、恋愛である。鑑賞後冒頭の諺がしみじみと想起された。「預言者曰く。見よ、野獣は美女の顔を見て、殺そうとして伸ばした腕を止めた。その日以来野獣は死んだも同然となった」野獣でさえもこうだ。どんな人間でも美を愛でる優しさ、人間らしさを持つ。コングよ安らかに眠れ![DVD(字幕)] 10点(2012-07-01 01:34:54)(良:3票)

291.  ULTRAMAN 《ネタバレ》 ウルトラマンの人気の秘密は、ウルトラマンが悪者怪獣をやっつける爽快さと怪獣のかっこよさの2点に尽きると思う。 この作品は、不要なリアリズムを持ち込んで魅力を大いに減じている。ウルトラマンの人間体は独身の青年でよいのに、病気の子供との時間を取りたいがために戦闘パイロットを辞める心優しい父親になっている。ウルトラマンの家庭を出しては、神秘性・カリスマ性が失われるのは当然の帰結。怪獣造形に醜怪さ、グロさを求めているが、これが不正解。子供たちは心のどこかで怪獣を応援している。町や港を奔放に破壊する巨大怪獣の自由さと力強さにあこがれを抱くのだ。大人に対してあこがれるように。だから造形が美しく、親しみがもてる怪獣ほど人気がある。おどろおどろした悪魔的な怪獣など怖がられ、すぐに忘れ去さられるだろう。名前も「ザ・ワン」で無機質だ。変態途中の人間の顔も醜怪の一言。子供達は顔をそむけるだろう。「ウルトラマン・シリーズの魅了=怪獣の魅力」を理解していないのだ。怪獣を強大かつ極悪にすればそれを倒したときのカタルシスが増すだろうという考えは間違いだと思う。さらに本作品はそれまでのシリーズでは無縁だった人間のダークさを出している。怪獣に乗っ取られた人間の恐怖の顔が皮膚から浮き出てきたり、怪獣を倒す特務員がその人間の恋人だったりする。子供たちに心の闇を見せてどうしようというのか?痛快で楽しい筈の怪獣映画で。並列放映されていたドラマ「ウルトラマン・ネクサス」はそのダークさが災いして、視聴率1%台と低迷、打ち切りとなった。本作品も興行収入1億4千万円と散々な結果。理由は明白。一言でいえば、ヒーローをヒーロらしく描いてないこと。ダークさ、シリアス路線で挑むならば、ウルトラマン以外のシリーズを立ち上げるか、完全に大人向けに作るかするしかない。内容をシリアス、ダークに転じて、対象は子供のままというのが矛盾している。◆気になった点。主人公の子供が難病であるという設定が生かされていない。自衛隊員が青い球体に飲み込まれる場面が描かれていないのでわかりづらい。赤い球体がどこからやってきたのか、赤い球体と青い球体の関係など説明がない。極悪怪獣が言葉を発するという違和感。ウルトラマンのごてごてした造詣も戦いぶりもかっこよくない。[DVD(邦画)] 3点(2012-06-30 15:51:01)《改行有》

292.  茶々 天涯の貴妃 《ネタバレ》 天下人の子供を産む一方で、三度の落城を経験、最後は自害という数奇な運命。波乱の戦国時代を駆け抜け、力強く、真っ直ぐに生きる悲運の女性の姿、その愛を描いてない作品。運命は波乱万丈なのに、茶々という人間像が見えてこない。心の変化や成長がみえないのだ。例えば秀吉から小督を離婚させ秀忠へ嫁すと言われたとき「自分の妹の人生を地獄に突き落とすようなことはできませぬ」と愁訴していたのに、次の場面では小督に向かって秀忠へ嫁すことを諄々と説いている。子供を亡くした場面でも、硬く大袈裟な演技で、その悲しみは伝わらない。台詞まわしが女性らしくなく、表情がつねに威圧的、いうことが可愛くない、最後は53歳の筈なのずっと同じメイクで通す不思議さ。10億円の製作費でその半分も回収できなかった理由はこのあたりにありそうだ。 ◆極悪すぎる信長、腹黒すぎる家康、狂人すぎる秀吉、爆発でぶっとぶ後藤又兵衛、流血噴射多発など、滑稽なほど演出過多である。本人達が真剣にやっていればいるほど、傍からみるとおかしいのだ。気になるところは他にもある。蛇と死体、人形の赤ん坊、自死の場面の導火線の数、天主閣が爆発して金粉が降ってくる、少なすぎるエキストラ、「秀頼行くな」と夫を呼び捨て、70歳の家康が若い、三女が老けてる。いっそのこと史実無視で、戦国女剣士ファンタジーにすれば怪作になったかもと思う。◆脚本にも問題あり。女の一生と戦闘の両方を描くのは尺的に無理である。ダイジェストになってしまった。女の一生に焦点を絞り、全て時系列で描くのでなく、一部回想シーンで処理という手法もあった。【時代考証】①当時の大砲は外国製のカルバリン砲かカノン砲で、弾は炸薬を内蔵する榴弾ではなく、鉄球弾。従って弾は当たっても爆発はしない。②小督の夫は佐治一成としているが、当時小督は一成と離婚し、羽柴秀勝へ再嫁していた。③戦の最中、淀殿が家康に会いにいくことはない。甲冑も不自然。④将軍の御台所である小督が、落城寸前の大阪城に乗り込むことはない。⑤秀頼の敵への単騎突撃はない。⑥大蔵卿局が仕置きと称して千姫を殺そうとすることはない。⑦秀頼の子供、国松と奈阿姫が出てこない。国松は斬首。奈阿姫は千姫の養女になっていたので、助命され尼となった。◆最後に家康が「負けた」というけど、私はこの作品の駄目さ加減に負けた。[映画館(邦画)] 2点(2012-06-30 00:34:33)《改行有》

293.  ザ・コア 地球の核の回転が停止した為に磁場が消失し、太陽風に曝されて人類は滅亡するというアイデアは目新しい。残念なのはその原因が人工地震装置だということ。原因不明でよかったのに。国家陰謀の要素を加えたことで焦点がぼけてしまった。◆人類滅亡の危機にしては、いろんな場面でシリアスさが足りない。特殊船の性能が漫画的だし、大統領も出てこないし、乗務員の家族との別れの場面もないし、船内でも些細なことで争っている。冒頭、男が突然死する場面があるが、演出がふざけている。そのままカメラがパンして、交差点の交通事故を映すが、肝心の事故場面は映らない。◆最大の矛盾は高エネルギー武器専門学者や政府首脳部が地震装置を使ったのが原因なのに、核の停止による地場異常を博士に指摘されるまで知らないということ。◆ハッカーをメンバーに入れるのは甚だ疑問。国家レベルのアクセス権限があるのだがら、専門家がやればよい。ハッカーがインタネットを管理するなんて噴飯もの。しかも64回も逮捕歴がある最低レベルハッカー。◆人類を救うための自己犠牲によるミニ・ヒューマンドラマが展開しますが、これがチープ。例えば「家族三人を守るため」の人の家族が描かれてない。子供の描いた父の絵と犠牲死だけ提示しても感動は生まれない。伏線が必要。そもそも死と隣り合わせの任務だというのに誰の家族も描かれていない。これで感動しろというのは無理がある。 ・地球内部の映像化が売りだが、肩透かしの感がある。晶洞と落下するマグマがよかっただけで、あとは手抜きにしか見えない。スペースシャトルや崩壊するパリの街並等のCGは合格点。◆危機に次々と直面する展開は評価できる。が、どれも通り一遍の危機、解決でしかない。予定調和的すぎるのだ。驚かすものがほしい。原爆を連続爆破させる方法は良かった。あらかじめ船の機能、性能を説明していないのも減点材料。危機になってから、実はこうなのだといわれても、とってつけたようにしか感じない。◆乗務員の関係だが、不仲やしっくりしない上司と部下だったりするが、人類救済の任務の前にあっては不要だろう。あの任務中、中傷や仲たがいするのはそぐわない。シリアスさに欠けるところ。◆感心したのは船の超音波に鯨が寄ってくるという伏線。海底を進む場面で、さりげなくみせておいて、最後の救出の重要なキーとなる。見事。[DVD(字幕)] 6点(2012-06-29 02:15:38)《改行有》

294.  深く静かに潜航せよ 《ネタバレ》 潜水艦の復讐もの。リチャードソン中佐は駆逐艦「秋風」に沈められた経験があり、復讐に情熱を燃やす。そして豊後水道に近づくなという命令を無視して「秋風」との対決をめざす。彼の戦術はこうだ。先ず駆逐艦の前を行く船団を魚雷攻撃し、駆逐艦がこちらへ向かってくるのを待つ。そこへ正面から直進し、距離が1500になったところで潜航、即座に船首を狙って魚雷発進するというもの。魚雷が当らなければ餌食となる、いわば捨て身の作戦。一度目の対決では魚雷が出ずに失敗。撃沈偽装工作でなんとか難を逃れた。二度目の対決では勝利するが、すぐに敵潜水艦に攻撃される。「秋風」と敵潜水艦はコンビで行動していたのだ。平底船の陰に隠れようとする敵潜水艦を狙って魚雷発進、平底船をスルーして見事に撃沈。巧みな戦術を駆使したバトルは見る者を飽きさせない。 ◆艦長と副艦長の相克も注目。つねに反目しあっていた二人だったが、最後に副艦長は状況を把握、艦長と同じ目的に達する。このあたりの人間ドラマが秀逸だ。傷ついたリチャードソン中佐は死亡。勝利はしたものの戦争の悲惨さを描くのを忘れてはいない。 ◆忘れているのは日本に対するリスペクトだろう。日本人の描写はわずかなもので、演技や日本語もお粗末そのもの。敵をリスペクトすることで、一層味方に感情移入して盛り上がるのを知らないのだろうか。 ◆リチャードソン中佐はスマートすぎて海の男に見えないきらいがある。をもっと常識をはずれた人物、例えば「白鯨」の船長とか、ジョーズの船長のような荒くれ者に描けばもっと良くなっただろう。そうすれば副艦長との対決も高揚するし、死の場面でも余韻を残すことになったと思う。 [DVD(字幕)] 7点(2012-03-03 21:02:59)《改行有》

295.  潜水艦イ-57降伏せず 《ネタバレ》 1945年6月太平洋最前線にて従軍していた潜水艦「イ-57」は突然マレー半島のペナンに寄港を命ぜられる。そこで拝命した任務は和平工作のために某国の外交官を中立国であるスペイン領カナリー諸島まで輸送することだった。ある港で予定通り外交官を乗せたが、予想外に外交官の美人の娘も付き添ってきたのでひと騒動起きる。娘は父の健康を気遣ってついてきたのだ。潜水艦が喜望峰まで達したとき、連合国はポツダム宣言を発表。もはや和平工作は無意味となった。しかし折悪しく無線機が故障。司令部と連絡がつかぬまま目的地に達する。そこに来るはずの迎えの船は無く、連合国艦隊に囲い込まれる。潜水艦は浮上し、外交官父娘を渡す。ただしその後は降伏せず、体当たり攻撃する。 ◆何が言いたいのかよくわからない映画だ。基本的には悲劇的戦争映画のはずだが、ヌードや喜劇的要素が盛り込まれ、艦長を演じるのは軍人らしからぬ二枚目俳優。最後の「降伏せず」のところを描きたかったようだが、一本筋が通らない。負けるとわかっていても降伏はしないところに美学を感じており、艦長と艦員達との絆が強調される。和平工作のために従軍しているのに、無謀な体当たり攻撃による自爆死で終わる。近距離からの艦砲が潜水艦になかなか当らなかったり、外交官を乗せた船が邪魔になって魚雷攻撃できないなど無理な設定がありリアリティに欠ける。最後だけ妙に生々しい演出になっているのも違和感を感じる。 ◆成長したのは外交官の娘。最初は戦争を止めない日本人が嫌いだったが、軍医や艦長の誠意にほだされて和解。最後は「生きてください」といって別れる。ただこれもとってつけたような通り一遍の演出で、感動するものではない。 ◆戦闘場面は迫力が無い。これといった戦術もない。機雷で攻撃されて深く潜行、逃げ切れなくなったら魚雷が打てる位置まで浮上し魚雷攻撃。それだけ。監督は戦術には興味がないらしい。[DVD(邦画)] 6点(2012-03-03 17:20:36)《改行有》

296.  眼下の敵 《ネタバレ》 二人のキャプテンの魅力が十分に引き出されている。一筋縄ではいかないキャラ設定が実に見事。駆逐艦のマレル艦長は、最初はみんなから素人船長と馬鹿にされるがそれが百八十度してゆく様子は見ていて心地よい。潜水艦のフォン艦長は醒めた目で戦争を見つめる老軍人。ヒットラーやヒットラーを尊敬する若者を苦々しく思っている。戦争を憎んでいるのだ。 ◆駆逐艦のマレル船長は新婚の妻の乗った船を潜水艦に沈められた。それも目の前で。「悲惨さと破壊には限りが無い。まるで頭を切っても生えてくる蛇のようだ」潜水艦のフォン艦長は二人の息子を軍人に育て、戦争で失くしている。「前の戦争とは違い、今回の戦争では機械の戦いで、人間味がなくなった。この戦争に栄誉はない、勝っても醜悪だ。死者は神に見捨てられて死ぬ。無益な戦争だ」それぞれ心の傷を負い、共に戦争に対しては批判的な二人の知将が手に汗握る頭脳戦を展開する。派手さは無いが、厭きさせない。戦っている間に奇妙な友情のようなものが生まれ、最後はマレル船長がフォン艦長を救助する。それはマレル船長がフォン艦長が負傷した部下を必死で救助しようとする姿に感動したからだ。 ◆最後に進行役的役回りの軍医が言う。「希望を見つけましたよ。奇妙な場所で、海で戦いのさなかに」敵同士でも友情が生まれる、つまり理解しあえば戦争は避けられるという希望が描かれている。それは成功している。だが戦争の悲惨さは十分には描かれていない。どこかスポーツのような感覚で扱っているように感じる。指を失った元時計技師の水兵の挿話などは活きているが、どこか薄っぺら。潜水艦で恐怖のあまり頭がおかしくなり暴れる男も、どうも深みがない。短時間に納まりすぎるのだ。重厚な戦争人間ドラマを描くには尺が足りない。佳作だが名作とはいえない。例えば船長の妻の死ぬ場面、艦長の二人の息子が死ぬ場面を織り交ぜれば、ぐっと深みを増したことだろう。不幸な身内の死と長時間に渡る海での死闘を乗り越えての友情は半端ではないからだ。 ◆実際の駆逐艦を用いての爆雷投下場面は迫力ある。独米共に平等に描く監督のフェア精神は心地よい。ただドイツ人捕虜をあれだけ自由にしていたら乗っ取られるんじゃないかと心配してしまう。[DVD(字幕)] 8点(2012-03-03 04:03:45)《改行有》

297.  真夏のオリオン 《ネタバレ》 【違和感】①駆逐艦が眼前の敵潜水艦を攻撃せず、魚雷攻撃されたタンカーの救助を優先する。沈められちゃいますよ。②潜水艦がその救助の様子を浮上してわざわざ見学する理由を教えてくれ。③ラストで最後の魚雷を放った潜水艦が、逃げずにわざわざ敵艦前に浮上する。撃たれちゃいますよ。④特殊潜航艇回天をめぐっての命の尊さの分かり易過ぎる演出。回天は一隻で空母も撃沈できるほど強力な兵器なのですが。⑤タイミング良すぎる終戦の報。敵はもっと早く知っていた筈ですが。⑥艦長が若すぎる。⑦艦長が丁寧語でしゃべってる。軍人じゃない。⑧潜水艦と回天ではスクリュー音が違うので、偽装作戦は無理。⑨駆逐艦が命令を無視して潜水艦を追尾する。⑩回天の添乗員が艦長に拳銃を当てて、潜水艦を駆逐艦に突入させよと無茶な命令をする。そんなことしても距離が近すぎて相手の損傷は軽微。その前に砲艦攻撃される。⑪⑫ 【感想】戦争の無意味さと命の大切さをテーマにしているのですが、小学生でも分る、その分り易すぎる演出が欠点。心に響き、涙腺の緩くなる場面がなかった。主要メンバーのほとんどが生き残るので悲劇性も薄い。全員が戦争反対、命大切のヒューマニスト、絵空事、きれいごとすぎるわけです。人間の良い面も醜悪な面も浮彫りになるのが戦争。戦争を描くというのは極限の人間を描く事。結局、こざっぱりした戦争映画で終わっている感がある。軍事作戦などは見どころがあったので残念です。◆潜水艦での過酷な環境と生活、艦長に対する反抗、戦争による犠牲などをもっと見せた方が効果があったと思う。名作「Uボート」の衝撃的なラストと比較してしまうと不満が残る。カビだらけのパンとおいしそうなカレーの違いも注目。◆小道具に楽譜を使ったのは成功している。相手が鬼畜ではなく、音楽のわかる「人間」だと気づき、それが終戦を受け容れる契機となる。一方で楽譜は愛する人への大事なお守りであり、その縁で二人は結ばれる。楽譜に二重の意味を持たせています。しかし残念なことに肝心なメロディが凡庸で、感動できないきらいがあります。◆気になるのは、日本軍は捕虜になるはずですが、そのあたりの消息が一切ないこと。◆であの女、何で楽譜の題名をイタリア語にしたの?オペラじゃあるまいし。説明できるものあらば申し出よ。[DVD(邦画)] 6点(2012-03-03 00:26:33)《改行有》

298.  不毛地帯 《ネタバレ》 ・元陸軍参謀の壱岐が主人公。終戦時の満州、負傷した川又を自分の代わりに飛行機に乗せて救ったが、その代償として11年間もシベリアに抑留。川又はその間壱岐の家族の面倒を見た。壱岐は軍に係りを持たないという条件で商社に入社するが、自衛隊に川又がいて、次期戦闘機決定に関わっていること、また機種選定が政治家の利権のみで決定されている事に義憤を感じ、自ら権謀術数の世界に飛び込んでいく。 ・陸軍時代の人脈と賄賂を駆使した政治家の取り込み、ライバル商社の賄賂を外為法違反の疑いで大蔵省に検査させる、賄賂で防衛庁からライバル商社の見積りを入手、戦闘機墜落事故の記事を新聞社に餌(土地)をチラつかせ封じる、大統領極秘親書をもった飛行機会社社長の総理大臣訪問等、汚いことのオンパレード。この辺りの終始緊張感のある応酬が、最大の見せどころ。 ・結局希望通りに機種は選定されるが、防衛庁への工作がバレ、関係者が逮捕される。警察の取調に対して壱岐は白を切るが、会社は政治家と密約して証拠を提出、逮捕社員と川又を切り捨てる。シロだが責任を押しつけられた形の川又は諸事情を考慮し、鉄道自殺。壱岐には虚しさだけが残った。 ・戦争責任者としての天皇をかばう場面と会社をかばう場面とがオーバーラップ。前半の冗長とも思える回想場面が活きて、構成としてうまいと思った。 ・壱岐の娘に、「戦争なんていや。戦闘機なんて誰も欲しがっていない。新安保条約反対運動に対して行った政府の弾圧は許せない。お父さんは軍に関係することはしないと言っていたのに、もっと汚いことをしている」といわせ、壱岐の良心をゆさぶる。壱岐には義憤と友情から出た行動であっても、娘には理解できない。 ・疑問がある。川又が自殺(表向きは事故死)したことで、警察の追及が防衛庁に及ばず済んだという設定だが、そう簡単にはいかないだろう。まず自宅と反対方向の轢死で、自殺と推量される可能性が高い。秘密漏えいがあったことは事実で、本人も自白、証拠書類も挙がっている。マスコミや国民が黙っている筈がない。誰もが納得できない中途半端な終り方だ。壱岐も商社も落ちるところまで落ちなければカタルシスは得られない。もっともこれは原作の途中までの作品なので仕方がないという事情は承知しているが。作品としては弱い。 [DVD(邦画)] 7点(2012-03-02 16:15:55)《改行有》

299.  フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン) 《ネタバレ》 【ストーリー】フランケンシュタインの不死の心臓、Uボート、死なない兵士の研究、広島原爆投下、放射能研究と被曝少女、急速に巨大化するフランケン、謎の地底怪獣、動き回る手、生命の謎に挑む博士等々、コンテンツがてんこ盛りで興味深い。しかし各々がぶつぎりで存在し、有機的につながっていない。被曝少女の悲劇は小さな扱いだし、放射能とフランケンとの関係も不明のまま、どうも中心となるテーマがないのだ。いっそのことフランケン研究をしていていたドイツのマッド・サイエンティストを日本に連れてくればよかった。そうすれば一本の流れができた。フランケンが心優しき怪人で自己犠牲により地底怪獣と共に地底に沈む。それにより生命の謎も永遠に分らなくなる、こういう大筋にすれば良くなったのではないだろうか。フランケンが沈む時に感情移入できるように作るのが肝要だ。 【演出】被曝少女が博士にプレゼントする刺繍、 水野久美の心尽くしの料理、博士が手に取るこけし、フランケンが手に取る水野のネックレスの宝石、博士の作るバーベキューなど、観客が見たり部分、当然アップで映すべきところを映していない。演出上のきめ細かさがない。監督失格。 【特撮】事故を起こす警察車両、怪獣に襲われる馬、疾走する猪など、本物を使えばよい場面までミニチュア撮影している。特技監督の趣味が出てしまった場面で、子供が見ても本物には見えない。 【フランケン】フランケンかどうか手足を切断しなければ真偽は不明という論議が馬鹿らしい。細胞を調べれば普通の人間と違うのは明白だ。フランケンが猪罠を掘るが、あれだけ大きくて素早いのだから猪は手で楽に捕獲できると思う。もっと知性をもたせるべき。 【怪獣対決】フランケンは心優しき正義の怪人、地底怪獣は人類の敵という図式にしたかったようだ。だがフランケンは顔が気持ちが悪い上に筋肉が貧相で弱そうだ。一方地底怪獣は顔がキュートすぎると思う。家畜や人間を襲うのだが、残虐シーンはカットしてあるので凶暴には見えない。結局美術が失敗している。最大の見せ場である決闘シーンだが、臨場感、巨大感、重量感が不足し、コミカルなプロセスごっこに終始した感がある。せっかくの「火を吐く大怪獣」が台無しである。森林火災だけは存在感があった。蛇足だが、広島原爆爆発シーンは哀れにも美しく、印象的だ。[DVD(邦画)] 6点(2012-02-24 14:58:41)《改行有》

300.  インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 《ネタバレ》 ”ジェット・コースター・ムービー”の代名詞的作品。連続して飛び出すびっくり箱のように観客を驚かすよう徹底して演出された映画で、その姿勢は潔い。走馬燈のように謎、危機、アクション、スペクタクル、笑いの連続で、観客に考える暇を与えない。内容はトンデモ魔術のB級だが、演技、撮影技術、美術、音楽が優れているので贅沢なA級娯楽作品に仕上がっている。◆冒頭まず銅鑼のアップ。意表をつくミュージカルで始まる。女が虎の口に引っ込むと奥で別の舞台が演じられ(客には見えない)、又虎の口から出てくるという人を食ったような演出。本作品の象徴だ。インディが登場し、マフィアと取引。コイン、ダイヤ、拳銃、毒薬、ヌルハチの骨のやり取りの結果死体2つ。銃弾飛び交う中、ダイヤと解毒剤を追いかけるインディと女。マフィアが機関銃をぶっ放すと二人は回転する銅鑼に隠れつつ窓からジャンプ。待ち受けた自動車に無事落下するが、運転主はなんと子供。カーアクションを経て、飛行機で脱出。一安心と思いきや、それはマフィアの飛行機。運転手がパラシュートで逃亡し、三人はありえないゴム・ボートで空から脱出。雪の急坂、崖、急流を乗り切り、やっと一息つく。着いた先がインドで、ここから本来の冒険開始。ここまで20分。クールなインディ、ダイヤに目がなく、よくわめく都会育ちの歌手、こまっしゃくれたインディの相棒の子供。何の説明もないが、アクション場面だけで、主人公3人のキャラを過不足なく紹介。インディと女は不仲で、これは恋愛の伏線。実に秀逸な導入部だ。 ◆女と子供が決して足手まといではなくフルに活躍するのが爽快。子供のやんちゃぶりと、二人の奇妙な恋愛進行を絡めながら冒険活劇が続くので飽きない。トロッコや吊り橋の場面は誰でも息をのむ。◆連続して意表を突き、驚かすのが特徴。例えば止らないトロッコを靴で踏んばってやっと止めたら、靴が燃えて「水、水」となったら洪水が押し寄せる。何とか岸壁の出口に逃れるが、今度は岩が穿たれる。アイデア目白押しだ。◆謎はサンカラ石。村を守る力があり、無くなると水が干上がる。5つ揃うと超常的な力を得ることが出来、悪者は邪教の布教に利用したいらしい。そのために埋められた2つを発掘するが、何故か子供に掘らせる不思議。結局2つは未発見、2つは川に落ち、一つを村に持ち帰り冒険終了。考古学者なのに調べようとしないインディに違和感。[DVD(字幕)] 9点(2011-12-07 06:31:15)(良:1票) 《改行有》

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