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プロフィール
コメント数 3876
性別 男性
年齢 53歳

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  博奕打ち 総長賭博 若山富三郎演じる松田の単細胞ぶりが、もう素晴らしくって(笑)。 いや彼に限らず、登場人物みなそれぞれが素朴な信念のもとに行動し、見事なまでにスレ違い、ボタンの掛け違いを繰り返して、物語を織りなしていく。破滅という名の悲劇へ、悲劇という名のパラダイスへと、否応なく突き進み、観始めたらもうやめられません。 各自の行動が次々に皮肉を生み出していく流れは、出来過ぎと言えば出来過ぎで、危ういバランスの上に立っているとも言えるのですが、その流れをしっかりと支えているのはやはり、役者それぞれが持ち味として発揮している、芸、ですね。鶴田浩二しかり、若山富三郎しかり、名和宏しかり。しかし何と言っても桜町弘子ですね、ホント。藤純子は少しワリを食っちゃったかもしれません。それぞれが演技を通じて、自分の信念を体現して見せることで、物語は、単なる図式的なものではない、血肉の通ったものとなりました。金子信雄の独特の顔芸は、さておき・・・。[CS・衛星(邦画)] 9点(2018-09-29 16:34:04)《改行有》

22.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 この映画、完成度ということについてはよくわかんなくって、何だか繋がりが悪い感じがあるんですけどね。主人公の弟の独白が(冒頭シーンを無理やり思い出させるように)入るのも奇妙だし、映画後半になると波乱万丈の物語がさらにバラバラな感じになってきて、パルチザンに誘拐されるあたりなどちょっと唐突な印象。 この広いロシアで、妙に易々と「再会」が繰り返されるのも、変と言えば変。 それでもやっぱり、タマラないんだなあ、この作品。 ロシアの広大で厳しい大地の圧倒的な映像と、人間の個性を圧殺する共産主義体制の台頭を前にして、人間の存在がいかにちっぽけなものか。主人公はヒーローでも何でもない、やや寡黙ですらあるフツーの男、妻子を愛しつつ、浮気なんかもして、しまいにゃあっけなく、実にあっけなく頓死してしまう。 ホントに容赦なく「ちっぽけ」なんですけどね、それでもどっこい、生きている。 無表情なアレック・ギネスが示す、微かな笑み。 本作のラスト、これほど静かで、これほど力強いも、なかなかありません。[CS・衛星(字幕)] 9点(2018-04-08 10:34:42)《改行有》

23.  何がジェーンに起ったか? 「二大女優競演!」ともなると、此処までやらにゃいかんのだ、という悪しき前例を作ってしまった映画、とも思えるのですが、もうとにかくこれが、コワくてイヤらしくてエゲツないんです。 ベティ・デイヴィスの特殊メイク顔(??)も十分にコワいんですけど、物事の裏側を浮き彫りにして不穏な空気を演出するローアングルのカメラが、これまたコワくてイヤらしくてエゲツない。 ラスト、どこまで引っ張るのだろうと思っていると、「かつて何がジェーンに起きたのか」「そして今ジェーンに何が起きているのか」というところに繋がって行って、実は意味深なタイトルであったのだなあ、と。 それにしても、残酷描写に頼らなくったってこれだけ怖い映画を作ることはできるのであって、昨今の映画は残酷描写に頼り過ぎなのでは、とも思えてくるのですが、これもまあ、時代の流れというか、いったんソチラに踏み込んでしまうと簡単には戻れない訳で、致し方ない面もあるのかなあ、などと思いつつ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-11-21 08:20:44)(良:1票) 《改行有》

24.  座頭市物語 居合いの達人だと言われる座頭市、「見世物じゃねえや」とつぶやきつつノラリクラリとかわして、なかなかその凄腕を披露しない。披露しなければしないほど我々の期待も高まり、この後でしょぼい居合いシーンなんか見せられたら承知しないぞ、という気分になってくる、そんな中で、勝新がついに見せる、息を呑む早業。あらゆる期待をさらに上回っていて、もうこの時点でシリーズ化決定でしょう(笑)。 座頭市の盲目の眼の向こうにある彼の内面を、我々は決して推しはかることができない。ただその謎めいた横顔から滲み出る、かなーり胡散臭いヒロイズムに、我々は惹かれるんですな。病でこの先いくばくも無いであろう剣豪・天知茂も魅力的で、かつ彼の存在が、座頭市の謎の人物像の側面にスポットライトを当ててみせる。 クライマックスは、敵対する二つの組の間の一大抗争に発展。スピーディな展開がここに極まって、大いに盛り上がるのですが、同時にそれは、できれば避けたかったが決して避けられぬ、天知茂との対決の時でもある訳で。ここまでのゴタゴタをすべて超越した、神秘的ですらある、対決なんですね。ああ、シビレるシビレる、シビレまくり。ここに至り、ついに、あの座頭市からも一瞬、その内面があふれ出すのです。 映画中盤、夜の場面ではきっとそこに炎があり、その揺らめきや、光源の移動が、事細かに描写されたりして。大映らしいロケ撮影もあわせて、いい雰囲気を作ってます。[CS・衛星(邦画)] 9点(2017-05-01 11:03:22)《改行有》

25.  サウンド・オブ・ミュージック ミュージカル映画という、伝統的ながら変テコリンなジャンル。その中ではたぶん、かなり取っつきやすい作品と言っていいんでしょう。耳になじみのある曲が続々と登場して、それだけでも親しみやすいし、ラストには脱出劇のサスペンスもある。私もたぶん、最初に触れたミュージカル映画って、コレだったと思います。 で、いきなり何ですが、ジュリー・アンドリュースの髪型、なんか変ですよね(笑)。ギターを抱えた姿など、ひと頃の漫才師みたい(かしまし娘とかちゃっきり娘とか)。しかし実際、彼女の元気いっぱいな様子とも相俟って、とても若く見えます。トラップ家に向かう場面の、ほとんどヤケクソみたいな歌いっぷりと、到着して大邸宅を前に立ち尽くす姿とのギャップが、可愛くも可笑しくって。 その純朴そうな彼女を見ていると、つい、こんなトラップ親父になんかダマされるな~と言いたくなってくる。クリストファー・プラマー、端正な顔立ちに威厳をみなぎらせ、何かとキビシイことばかり言いながら、実際には歌えば上手いしダンスもするし。何だか妙にモテるしなあ。こういうのは絶対、女性の敵だ!と言いたくなる、要するに「男性の敵」なんですけれども。そもそも、ですね、まずこっそり恋人と会う長女が雨にズブ濡れになり、次に、ボートから転落して7人の子供たちとマリアが濡れ鼠になる。と来りゃ、クリストファー・プラマーだって、彼らの仲間に入るには、一度はズブ濡れになって見せる、という「通過儀礼」を経験するべきだと言ってやりたいところ、しかるにこの色男は、「私はすでに“水も滴る”イイ男ですから」と言わんばかりに、水も被らず澄まし顔。まあ、彼までビショビショになったのでは、完全にコメディになっちゃいますけどね。 楽しい歌にダンスを、これでもかと繰り広げつつ、最後に映画に暗雲が漂ってくる、そこがまた良くって。同じ歌が、状況によって、異なる印象で聞こえてくる、ってのが面白いところ、かつ盛り上がるところ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-03-05 08:34:18)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

26.  ドノバン珊瑚礁 何ともバカバカしくって、何とも楽しい映画。南の島に響くジョン・ウェインのダミ声が、いいですね。 まだ見ぬ父に会いに、太平洋の南の島にやってきた女性、しかし医師である父は、現地の女性との間に3人の子供をもうけている。そこで、周りの連中がそれを隠そうと要らぬ気を起こして・・・という他愛のない話で、何かにつけドタバタが巻き起こる。ストーリーと無関係に、画面の中ではひっきりなしに意表をつくような何らかの「事件」が起こっていて、これが楽しいんですね。唐突に海へ飛び込む、あるいは落ちる。唐突にケンカが始まる。ドアを開いたらとてつもない突風が吹きこんでくる。教会の尋常ではない雨漏り、このエピソードは最後に、世にもバカバカしい奇跡で幕を閉じる。女性とジョン・ウェインとの関係も、遠くから靴を投げつけるのに始まって、最後の強引なラブシーンまで、一筋縄ではいかぬ波乱万丈、いつも何かの「事件」に裏打ちされてます。 という、楽しくもバカバカしい世界を包んでいる、南の島の風景。土着の文化に、東洋と西洋が入り混じり、宗教も何でもアリアリ、すべてを包み込む。そのおおらかさが、またいいんですね。[CS・衛星(字幕)] 9点(2016-09-30 12:12:58)《改行有》

27.  肉弾(1968) たぶん、軍国主義というもの自体が悪なのではなくって、人間の愚かさが、歴史のある場面では軍国主義と結びついて大きな悲劇を引き起こした、ということなんでしょう。人間の愚かさというものは消えることなく、今この瞬間にだって、大企業病なり、地方自治の腐敗なり、あらゆるところにあらゆる形で結びついて存在し続けている訳で。ただあの大戦では、それがどれだけ大きな喪失と悲劇をもたらしたことか。その大きさが、「平均寿命」という簡単な数字で示せてしまう皮肉。 軍国主義のせいと単純に割り切って、過去に封印してしまい、あえて忘れ去ってしまう、それもまた人間の愚かさ。何も変わっちゃいない。ドラム缶に閉じ込められたまま、人知れず波間を漂い続ける、やり場のない無念と怒り。 一方ではまた、人間の生のひたむきさというものがあり、ほんのちょっとした幸せというものがある。我慢した後の放尿のような、ちょっとした幸せ。 ちょっとシュールで(しかしそのシュールな世界は、人間の愚かさが実際に過去に生み出し、今後もいつ出現してもおかしくない世界でもある)、ひたむきな生を、寺田農がまさに身体の極限をつくして表現しきっており、圧倒されます。[CS・衛星(邦画)] 9点(2016-09-18 08:23:41)(良:1票) 《改行有》

28.  日本侠客伝 チャンバラ映画ではない、任侠映画。健さんを始めとする登場人物たちは、敵をバッサバッサと斬り倒しまくるスーパーマンじゃなくって、命がけで相手に立ち向かっていく、生身の人間なんですね。で、任侠映画であると同時に、いやそれ以上に、この作品は青春映画でもあります。片思いも含めた、幾組かの男女の物語。それぞれに、相手への想いがあり、テレみたいなものがあり、その一方で信念を貫くと言えば聞こえはいいけど要するに破滅の美学みたいなものがあって。こういうのこそ、ロマンチック、というのです。[CS・衛星(邦画)] 9点(2015-10-06 21:38:58)

29.  プロフェッショナル(1966) これは面白すぎる! 誘拐された女性の救出を、その夫から請け負った4人組。それぞれ特技を持ってるってのが、まず楽しさの基本。と言っても、特技をまともに生かしているのは、バート・ランカスターと、『バファロー大隊』のおっちゃんの約2名だけ、という気もしますけどね。4人とも、結構、イイ歳なんですが、頑張ってます。映画中盤には早くもダイナミックな救出作戦が描かれ、後半は追手からの逃亡劇が展開されます。このテンポの良さ。しかし映画はこのままスピード感を持って駆け抜けるのではなく、終盤にはちょっと意外なしっとり感。ジャック・パランス演じる敵役ラザがここで存在感を示します。ここまでの彼は、いわば強さと冷酷さそのものの存在であり、一方でクラウディア・カルディナーレにより人間的な面を間接的にほのめかされてもきたのですが、この終盤において、革命家としての彼の生き様が表され、4人のプロフェッショナルたちの生き様をもあぶりだす存在となります。娯楽色たっぷりで、後味の良い余韻を残す、楽しい作品でした。[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-02-09 13:30:32)

30.  縄張はもらった まあ何とガラの悪い映画。一応は日活のスター映画なんでしょうけれど、長谷部安春監督がやりたい放題、女優の皆さんはやられたい邦題で、刺激的なシーンの数々でございます。街を闊歩するチンピラどもを見てると、ここは無法国家かと。主演の小林旭もここではコワモテの役柄。彼が刑務所を出所した時、彼のいた一文字組に昔の面影は無く、ハザマ組に呑まれかかっている。そのハザマ組の密命を受け、小林旭は、街で幅をきかせている別の2つの組の対立をあおって殲滅を図る。この計画のために集められた精鋭(?)たちが、役に立ちそうな立たなそうなユニークなメンバーで、なかなかに魅力的なのですが、危険な作戦の中で、ひとりまたひとりと犠牲になっていきます。非情に徹する小林旭。しかしやがて彼は、ハザマ組にも反旗を翻す。という訳で、抗争に次ぐ抗争。またそこにはライバル同士の友情なんかもあったりして。こだわりのカメラにトンがった演出、エロあり暴力あり、そして男の哀しさ、女の哀しさがある。この映画、カッコ良い。[CS・衛星(邦画)] 9点(2014-03-13 23:30:25)(良:1票)

31.  シャイアン 一見すると、とりとめのない感じもあり、何とも奇妙な作品なんですな。故郷から居留地への旅の間に仲間の多くを失った先住民族のシャイアン族が、居留地でも白人に配給の約束を反故にされ、再び故郷への長い旅路に立つ。かつての西部劇で悪役にされてきた先住民たち、しかし実際には白人たちに迫害されてきた彼らの立場から描いた作品、と言えばそうなのかも知れないのですが、一筋縄にはいかない。あくまで映画は、彼らを中心に描くという程には、我々の感情移入を許しません。何しろ、比較的彼らの立場に同情的な主人公リチャード・ウィドマークすら、完全には彼らにシンパシーを抱いてはいないし、そもそも彼らを庇うにあたっても殆ど消極的で、無力と言ってもいいくらい。およそ主人公らしからぬ主人公なんですね。一方、ここで描かれる先住民は、我々の安直な「同情」の対象として描かれるのではなく、「耐える者」としての誇りと崇高さをもって描かれており、だからこそ、安易に我々を受け入れたりもしない。むしろ、理解しやすいのは白人たちの方なんですね。彼らはあくまで職務に忠実なのだから。実に真っ当。そして、忠実であればそれでよいのか、真っ当であればよいのか、結局は誰かを(先住民たちを)踏み台にした上での忠実さ、真っ当さではないのか、と。最終的には白人が白人を糾弾し、解決を見出そうとするのは、希望と言えば希望。中盤、幕間的に挿入されるエピソードは、白人を中心にした、いわば表の歴史。その裏に隠された歴史に光をあてつつも、単なる同情に流されない、驚くほどにストイックな作品です。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-11-11 23:15:54)

32.  バファロー大隊 主人公は、黒人を中心に構成された騎兵隊の中尉。部下の黒人軍曹が強姦・殺人の容疑をかけられ、中尉自身が彼を逮捕するが、軍法会議では彼の弁護を買って出る。という訳で、西部劇ですが、法廷ミステリーでもあります。いや、この“法廷ミステリー”というのはあくまで形式上のことであって、やはりこれは“西部劇”なんでしょう、強固な意志たちと、その意志に挟まれ苦闘する主人公の姿を描いた作品なのだから。法廷での証言から過去が徐々に明らかにされていく形式、法廷での証拠のやりとり、意外な結末などは、いかにもミステリーらしい構成ではあります。しかし、証言から始まる回想シーンは、真相究明という点から見ればしばしば脱線もするし、証言者の主観に止まらず客観的な描写(証言者が実際には見ていない場面の描写)もあり、言ってみればこれらの証言で描かれているのは、謎ときゲームのための単なる手がかり、というよりもむしろ、登場人物たちの人物像、彼らの意志そのもの、とも言えるでしょう。信じるべき部下の軍曹、しかし主人公を容易には受け付けない強固な意志。軍曹の無実を信じ主人公を批難する、主人公の恋人の意志。時に人種差別をむき出しにする検察側の攻撃。そしてこれらに挟まれつつ、最後まで真相究明にもがき続ける主人公の姿こそが、本作の大きな魅力となっています(要するに、主人公がイマイチ頼りないから、盛り上がるんですな)。頑固者で強敵と思われていた判事が、意外にもグダグダになり、ユーモアをふりまいて物語の下支えをしているのも見逃せません。ラストはいささか唐突ですが、このあたりはミステリーとしてのサービス、ということで。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-11-04 10:02:04)

33.  集団奉行所破り 東映の一連の“集団抗争時代劇”が、時代劇の歴史における異色作であるならば、本作はさらにその集団抗争モノの中の異色作とでも言えるでしょうか。虚無感や悲愴感より、ユーモアがまずは表に出ています。ここでの“集団”とは、ほとんどゴロツキのような連中、その彼らの大阪弁での軽妙な会話というか、逆にディープ過ぎる会話というべきか、がテンコ盛りで、要するにユーモラスであると同時になんともコッテリした、関西人以外のヒトが観れば胸焼けしそうな世界です。開高健の「日本三文オペラ」みたいなエネルギーあふれまくりの世界。小難しい顔した大友柳太朗演じる浪人も、軽妙な彼らの中に混じるとむしろ、これまたユーモラスな存在ともなるんですけれども、映画はただただ明るい色調なだけではなく、登場人物たちそれぞれの「訳あり」なところが、時に映画に暗い影を落としたりもします。彼らが目指すは、よりにもよって、奉行所への押し込み強盗。究極のアナーキズム。そしてクライマックスの死闘へなだれ込むと、やはり悲愴感・虚無感が表れてくるのですが、それをひたすらあおり立てるのではなく、BGMなどに感傷的な要素を入れているのも、見逃せない本作の特徴。登場人物誰もが、活き活きとして素晴らしい。一見冷酷ながら二面性を備えた役どころの佐藤慶が素晴らしい。そして誰よりも、シナシナとシナを作りつついかにも訳アリ感に満ち満ちた、桜町弘子が素晴らしいです。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-31 10:54:04)

34.  宮本武蔵 二刀流開眼 宮本武蔵5部作の中で、ドハデな決闘を描く第2作と、破天荒過ぎる戦争映画のような決闘を描く第4作に挟まれ、繋ぎのような、はたまたちょいと地味な緩徐楽章のような、この第3作。サブタイトルの“二刀流開眼”がじっくり描かれる訳でもなし。しかし、前2作からの因縁をここに纏め上げ、続く2作へと期待を盛り上げる意味で、この第3作が一番、シビレる作品と言えるかも知れません。いや、実際、本作を観ていると、最終作では小次郎とではなくオババとこそ因縁の対決をして欲しくなっちゃう(笑)。いや、健さん小次郎の高笑いも勿論悪くないですよ。非人間的ですらある剣豪・小次郎と、剣豪になるには人間的すぎる武蔵。そして剣豪として担ぎあげられてしまった悲劇を背負う吉岡清十郎。はたまた、彼らに翻弄されてしまった女たち。実にシビれる、5部作の中でも特に欠くことのできない作品だと思います。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-08-15 20:59:38)(良:1票)

35.  馬上の二人 『捜索者』と同じく、先住民族に誘拐された人々を巡るオハナシで、類似した辛辣さを含んでいる部分もありますが、映画全体の趣きはいくぶん異なってます。そしてこちらも傑作だと思うのです。何かといい加減で調子のよいところのある保安官をジェームズ・スチュアート、彼の友人で、武骨でやや堅物な軍人をリチャード・ウィドマーク。この二人の絶妙なコンビぶりが、まずもって作品にユーモラスな色合いを添えています。二人だけのやりとりの場面では長廻しのカットが適用され、川べりで葉巻をくゆらすシーンが4分弱、リングル氏との会話の後のシーンが2分弱。二人の独特の関係が象徴づけられますが、二人の関係の描写に止まらず、この映画全体のテーマが、「人と人との絆」というところにあるように思われます。登場する数々の脇役たちがみな特徴的に活き活きと描かれ、主人公二人とこれらの人々のやりとり一つ一つがまた、「絆」でもあるのですが、その一方で、これらの人々は、かつて先住民に誘拐された身内を取り戻すこと、「失われた絆」の回復を望んでおり、その任務を主人公二人が請け負うことになります。しかし歳月によって失われてしまった「絆」は、もはやそう簡単に取り戻せるものではない、という厳しい現実。いやそれ以上に、この作品では、過去の「失われた絆」に対比して、「誘拐されていた女性に対する人々の冷たい視線」という、現在進行形の「絆の不在」をこそ、糾弾しているように思えます。そしてとどめを刺すように描かれる、「失われた絆」の象徴としてのオルゴール。そのオルゴールは今、目の前にあり、実は「絆」は失われていないかも知れないのに、人々の不寛容がその目前の「絆」を拒絶する、という現実。ラストではまたユーモアを取り戻した締めくくりとなっており、ホッとさせてくれるのが、本作の本作らしいところ、ではあるのですが、なかなかに手厳しい作品でもあります。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-07-06 09:45:17)

36.  忍者狩り(1964) 浪人と忍者との戦い、どちらかというと私闘に近い物語ではあるけれどもこのオドロオドロしい雰囲気、まさしく東映の集団抗争モノの一本ということができます。とにかく暗いのです。そして壮絶。近衛十四郎父ちゃんが、城を失い帰属を失った浪人、他藩のためにいわば傭兵として宿敵に挑む浪人の凄まじいばかりの執念を見事に演じてます、顔のクドさにも負けぬくらい濃い役どころで、ハマリ役と言えるのではないでしょうか。他の雇われ浪人とともに、お墨付き書を狙う甲賀忍者の殲滅に挑む、という物語、タイトルは『忍者狩り』だけれども、狩られるのはどちらなのか。忍者の首領は、闇のクランドとかいう、滅法強いメチャクチャ強い謎の人物。“魔人”と言ってよいでしょう。主人公は外様の浪人の立場、味方の理解も協力も乏しい状態で敵と戦わねばならないのだけど、相手はこの恐るべき“魔人”、しかも主人公にとっては個人的な恨みを持つ宿敵でもあるもんだから、主人公の姿勢にも鬼気迫るものがみなぎってくる。そしてついに二人が相まみえるクライマックスの死闘!! 虚無感あふれるラストまで目が離せない、とにかく凄まじい作品です。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-04-12 00:17:25)

37.  悪名一番 感動的な作品ですよ、これは。今回、朝吉親分と清次のコンビが向うのは、大都会・東京。八尾ではそれなりに知られた存在の朝吉親分も、ここでは完全に田舎者扱い。いや、田舎者以前に、見た目といい、言動といい、時代錯誤も甚だしく、チャラチャラした清次の方がよほど進歩的。都度、朝吉親分にたしなめられる清次、しかし靖国神社でついに二人は決裂。とってつけたように靖国神社の英霊の前で号泣する朝吉親分には、清次ならずともア然とするところ、しかし朝吉はそれが気に食わず、大ゲンカになってしまう。まあ要するに、朝吉親分、都会からも、時代からも、ちょっと“浮いた”存在な訳ですね。それでも自らに忠実に、愚直に突き進む朝吉親分、その一方で清次は清次なりに活動を開始する。清次の活躍が見どころです。で、クライマックス。敵の事務所に監禁された清次の救出のため、殴り込みをかける朝吉とニセ朝吉ニセ清次。すさまじいばかりの格闘シーンが続きます。そして、リンチでズタボロになった顔の清次が、朝吉と言葉を交わす時。どうしてこんなにダサいシーンなのに、感動しちゃうんですかねえ。スバラシイです。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-03-05 20:48:02)

38.  十七人の忍者 「十七人」とはちと多く無いですか? 100分の映画なら一人あたり6分しか持ち分が無いですやんか。いえいえ、この数字は、捨て駒として露と消えてゆく忍びの者のはかない命を表しているのです。これがおサムライさんだったら、一人ひとりの存在感も高く、『三匹の侍』あるいは悲壮感が増してくると『七人の侍』『十一人の侍』『十三人の刺客』と人数も増えてくる。忍者はそれ以上に“消耗品”扱いなんですな。「カシラが死ねと言えばいつでも死ぬ、それが掟」。なお、さらに人数が増えると「101匹わんちゃん」とか「2000人の狂人」とかになる訳で、“忍者”の置かれているポジションが数字によく表れていますね。さて本作、いやこれは面白いですよ。密命により、城にある連判状を盗み出す決死の作戦に挑む伊賀忍者隊。片やこれを待ち受ける城の防衛を指揮するのは、根来忍者・才賀。彼の鋭い読み、鉄壁の守りに対し、伊賀忍者たちは仲間の命を犠牲にしながら隙を窺うが……はたして、連判状奪取作戦の行方は、いかに。十七人もいた仲間が次々と命を投げ出していく大胆な消耗戦、ある意味大味な展開の一方で、城への侵入の模様などの“忍術”をディテール豊かに描いて見せる、その対比が面白くてワクワクします。伊賀忍法と根来忍法、勝つのはどちらか。敵の忍者・才賀がえらくキャラ立ちしていて、忍術使いというより妖術使いに見えちゃうのですが、“忍術”とは言っても最後にモノを言うのは、腹の探り合いであり、自分の命すらかえりみないヤセガマンであり。またそれこそ最後に勝敗を左右するのは、人望とか仲間内の結束力とかであったりする訳で、ビジネス指南映画としても最適でしょう…?。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-01-20 08:24:04)(良:1票)

39.  ウエスタン 映画の最初の方、コイツらが作中の主要登場人物かと思って観ていると、全員死亡。次に出てきたこの人たちこそが主要登場人物だろうと思って観ていると、またまた全員死亡。というトンデモないオープニング。やがてホントの主要登場人物たちが揃い、彼らの権謀術数の物語かと思って観ていると、どうもこのヒトたち、権謀術数どころか、何も考えてなさそう(笑)。そしてその物語の行きついた先に待っているクライマックス、そこで明らかになるのは、物語の背景を貫いていた真の力学。それは復讐であるとか友情であるとか、ベタっちゃあベタなんだけど、それをこれほど強烈鮮烈圧倒的に提示した例がありますかねえ。スゴイです。圧倒されます。ブロンソンのタレ目のドアップに、まさかこんなに感動するとは。[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-10-17 20:49:29)(良:1票)

40.  切腹 日本人にとって、切腹というコトを口にするのは、ちょっと微妙な感情、一種の居心地の悪さが伴う訳で、それは、いわば日本を代表する風習のひとつでありながら、自分自身はそれを決行する自信が全くないこと。何かと耳にはする「切腹」という言葉と、その意味する実態が想像を絶することとのギャップ、しかし世が世なら自分もそれをせざるを得なかったかも知れないという恐怖(武士だけの行為ではない。近代でも自らそれを行った例が多々あるとのこと)。あと、世のSMマニアの中には切腹マニアというのもいて、そのテの本や写真集もあるそうで(三島の『憂国』だってその一例だ)、それも居心地の悪さの原因かも知れないけれど(笑)。さて本作。ひとつには物語の構成の妙が我々を釘づけにするんだけど、“切腹”を正面から捉え、しかもそれを痛々しく理不尽に描いているのが、強烈この上無い。切腹ってのは、腹膜まで切ろうとすると非常に苦しいものとなり(腹筋を切り裂くのがまず大変)、浅く切ってすぐ介錯してもらうのが楽で良いらしい(とモットモらしく言ってるのがこれまた居心地悪いんだが)。それを何と、竹光での遂行を迫られる理不尽さ、その苦痛はいかばかりか、画面からヒシヒシと伝わってくる。なのに本作の音楽担当が「たけみつ・とおる」とはこれまた何と理不尽な。それはどうでもよいが。後半、物語は一変、いや、視点が変われば物語も変わるということ。強い立場、迫る立場、追いつめる立場であったはずの人間が、実は追いつめられていってる、というその過程が、別の意味でコワイ。何ものかにとらえられている存在であることには、皆、変わらない。この凄惨なクライマックスは、一種のエンターテインメントでもあるのかも知れないけれど、そこには同時に、秩序が内側から自壊していく恐怖もある。いやむしろ、秩序の虚飾が内側からが崩壊してなお、秩序の外枠だけがガランドウのように残り続けていくことの恐怖なのかも知れない。[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-09-29 03:47:41)(良:1票)

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