みんなのシネマレビュー
ユーカラさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL //www.jtnews.jp/blog/24461/

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647

21.  斬人斬馬剣 現存するのは、本来122分だった作品を26分に短縮したダイジェスト版(1秒間18コマ)。一般に傾向映画の先駆といわれるように、前半のコメディパートにも当時の不況の模様が滲んでいたり、農民と代官側が相対する「オデッサの階段」風のモンタージュ等に階級闘争の主題が窺えたりするが、それよりなにより活劇映画として頗る面白い。群衆の中を掻き分けるような移動ショットのダイナミズム。月形龍之介の贅肉のない上半身が繰り出す剣戟の凄味。十字架に磔にされていく農民とのクロスカッティングと共に、寄り引き自在の撮影技巧で魅せる怒涛の馬術アクションは素晴らしいの一語。全速力の馬と並走しながらの、槍による豪快な一騎打ちのショットなどは一体どのように撮影したのか。舗装などされていない畦道でのチェイスアクションをカメラは微振動に押さえつつ、被写体である騎手の表情をも確りと映し出す。その無作為の微振動が生み出す迫力と疾走感の前には、間違いなく影響を受けているはずの黒澤明『隠し砦の三悪人』の騎馬シーンすら霞んで見える。カメラの揺れとはこうあって欲しい。[映画館(邦画)] 10点(2010-07-18 13:37:04)

22.  悪の階段 《ネタバレ》 主舞台となる一軒屋のセットが外観・内部空間ともに実にシュール(美術:中古智)。題名通り階段を頻繁に採り入れた画面構成は斜めのラインや仰角アングルが錯綜し、不安定感が横溢する。光源を抑えて陰影を強調したシャープなローキーの照明設計も素晴らしく、硬質なノワールムード抜群である。巻頭の寝床シーンで男女の表情を斜めから捉えたローアングルのショット、西村晃絶命シーンの白い手の動き、深夜に不動産屋裏手の草むらを歩く団令子を捉える俯瞰ショット、ジュラルミンケースへの表情の映り込みや真上からのキーライト効果など、こと照明に関しては全編が印象的な見せ場の連続といってよい。金庫破りのバーナー音や、工場の稼動音、ウイスキーを注ぐ水音を強調した音響のサスペンスも申し分なし。そして崖から海への車の落下、一軒屋の大炎上と、スペクタクルも極上。砂丘のロケーションを活かした『太陽がいっぱい』(1960)風のラストもしびれる。[映画館(邦画)] 10点(2010-05-09 22:16:42)

23.  君と別れて サイレントだが、割れる酒瓶・波打つ岩場・空き缶蹴りといった音を意識させるショットに溢れている。 蓄音機からの音楽に合わせて乱痴気騒ぎをしている部屋と、別室での静かな乱闘のカットバックも効果的に決まっている。 若い二人の乗る列車の揺れはゆるやかなリズムを感じさせ、波間に被さる字幕の音感は、昂ぶる情緒を一段とかきたてる。 それから、前半に登場する橋や、照菊(水久保澄子)の故郷である港町の坂の情景がそれぞれ素晴らしい。 絶妙の高低感を醸すカメラアングルで捉えられた段々の斜面。 その坂道の途中ですれ違う人々(ヨーヨーに夢中になる大人、ままごと遊びに興じる子供たち、子守りに勤しむ娘、花嫁など等)の点描も風俗描写に留まることなく画面を豊かに彩る。 そして要であるヒロインの健気な魅力。 橋の場面で見せる水久保澄子の振り向きと真っ直ぐな眼差しがひたすら美しい。 いつか『チョコレートガール』を見れることを祈る。[CS・衛星(邦画)] 10点(2010-04-13 20:36:50)《改行有》

24.  海の沈黙 居間の暖炉で小さく揺れる炎、ルームランプの落ち着いた灯りが人物の表情を厳粛に浮かび上がらせ、画面に重厚感を与える。光と影のコントラストが極めて印象深い端正な屋内撮影と、パリ市内や農村地区の風光を瑞々しく捉えた屋外撮影の対比が素晴らしい(撮影アンリ・ドカエ)。視覚のみならず、モノローグや時計音やピアノを効果的に活かし静寂と緊張感を最後まで持続させる至芸といい、三者を演じるキャストの存在感といい、感嘆すべきメルヴィルの長編第一作。三人が集う最後の夜。姪はようやく編みあがったスカーフを肩から掛けている。そこに刺繍された図柄(お互いに差し伸べあう二つの手)が彼女の内なる思いを雄弁に語っている。独仏融和の絶望を語るドイツ軍将校に対し、始めて視線を送る姪。その彼女を真正面から捉える、最も機能的で純粋なクロースアップの美しさ。慈愛と悲しみの交じり合うような深い眼差しが胸を打つ。ラストショットのシルエットの静謐さも味わい深い。[映画館(字幕)] 10点(2010-03-24 21:25:17)

25.  暗い日曜日 『シンドラーのリスト』(1993)のネガともとれる痛烈な批評性。場面省略を駆使した、特にクライマックスにかけてのドラマの緩急制御と幕引きの鮮やかさ。同一構図・同一移動の反復が生み出すズレによって豊かに意味を広げる撮影技法の見事さ。(観客が気付かぬくらい慎ましく微妙な移動撮影によってドラマ効果をあげる手腕など実に巧妙である。) また、ネックレス・自転車・小瓶・ブルーの髪飾りなど、ドラマの伏線としての豊かな小道具類は人物描写とも的確に連携しており、全体として非常に完成度が高い。充実した細部とともに、画面は見どころに溢れている。とりわけ中盤に訪れる、自転車を扱ぐヒロインの場面から岸辺の場面にかけての高揚感が素晴らしい。回想の序盤から娼婦的なニュアンスで何度も強調されていたヒロイン(エリカ・マロジャーン)の豊かな胸と表情の意味が、ここではっきりと切り替わり聖性を帯びる。岸辺に寝そべり、子供のように縮こまる男たちを両腕に抱く姿はまさに聖母としての彼女を強く印象づけ、浅薄な男女のドラマを越えていく。 ラストのレストランで、オフ空間から彼女の澄んだ歌声を響かせる演出もまた心憎い。[DVD(字幕)] 10点(2010-01-27 22:56:14)《改行有》

26.  10話 デビュー作『パンと裏通り』から一貫して登場する曲がりくねった路地の情景。フロントガラス部に固定されたカメラが捉える運転席・助手席の人物の何気ない所作や表情が素晴らしいのだが、その人物の背景を目まぐるしく、あるいは緩やかに流れていく車窓外の変化に富んだ光景もまた、本作を「映画」たらしめる重要な要素といえるだろう。固定カメラゆえに、観る者は二重フレーム(カメラと車窓)外の空間的広がりと奥行きを常に意識せざるを得ない。また、時間や進路の変化によって様々に推移していく陽光・夜の繁華街のネオン光など、予期不能な美しい光が座席の人物に投げかけられ、奇跡的とも呼べる一瞬間ごとの表情の素晴らしさが画面上に掬い取られている。一見、極めてシンプルな構成でありながら、画面上の豊かで複雑な移動感覚と、スリリングな対話の活劇性とサスペンス性によって終始画面から目が離せない。[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-11-08 19:36:27)

27.  市民ケーン 当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。 ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。 語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。 舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-10 21:23:38)《改行有》

28.  東への道 ドラマティックな展開をさらに盛り上げる幾重ものクロス・カッティングによって、あっという間の134分間。個人的には、同じリリアン・ギッシュとリチャード・バーセルメスのコンビ作『散り行く花』よりも人種や年齢的な違和感がない分、主演二人への感情移入がよりスムースであるというのもあるが、何よりもショットの一つ一つが見せ場といって良いほど魅力的であり、その画面の充実ぶりが観る者を引き込んでいく。一見、何気ない家屋や農場の情景ショットの、そのフレームの中で戯れる犬や猫、鶏、雛たち、あるいは風に揺れる枝葉、雪、ドア、揺り椅子など数々の要素が常に画面を息づかせ、活気づけている。とりわけ美しいのは、第二部で河辺に佇む二人を包む夏の夕暮れの光。そこに、終盤のクライマックスへのさりげない予告ともなる滝のワンショットが静けさ(音)の演出として挿入され、一際叙情を満たす。そして、文字通り命懸けのショットが織り成す解氷のスペクタクルと救出劇の高揚感。観る側がエモーションを共有する奇跡的なアクション。これぞ、映画。[DVD(字幕)] 10点(2009-09-07 21:14:20)

29.  殺人捜査線 あらゆるカットにパースペクティブが活かされており、その構図取りの卓越した感覚が素晴らしい。冒頭から数多くのエキストラや車両を画面手前と奥に行き交わせ、深い被写界深度によて臨場感と世界の重層化を演出する。また、サウナ室の蒸気や、水族館の光の揺れ、スケート場や展望室のモブ(群衆)など、遠景には動きを取り入れる工夫が様々に凝らされており、活力ある空間が連続する。カットにはまるで無駄が無く、初っ端のスピーディなカーアクションから、クライマックスのスクリーン・プロセスと実景を見事に組み合わせ奥行きを活かした逃走アクションまでタイトに纏まり全くテンションが途切れない。特に最後の追跡劇は、ハイウェイの奇抜なロケーション、水平と垂直のパースペクティブ感覚、スピード感の演出が総合し傑出した活劇となっている。[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-08-02 16:55:25)

30.  草の上の昼食(1959) まずは、人工授精に関するニュースを伝えるテレビ番組のモノクロ画面。続いてそれが置かれた研究室も白を基調とした寒色系の画面である。これら巻頭に提示された無機質な人工物の色彩が、映画の中で語られる科学と自然の視覚的対比として南仏カーニュの緑豊かな情景の美しさを一層際立たせる。絵画『コレット荘』そのままの陽光あふれるのどかな風情、ヒロイン(カトリーヌ・ルーヴェル)の水浴場面の瑞々しさ、縦移動で捉えられた疾走するバイクの爽快感・ライブ感、性愛表現としての水草のうねりの官能性等〃。いずれもロケーションを活かした光と風の感覚が素晴らしい。今回のDVD版では従来のビデオ版よりも明度がさらにあがり、特にヒロインの衣装の赤がより鮮烈なイメージとなって彼女の陽性の魅力が一段と引き立っている。華やかな色彩の乱舞する最後のモブシーンも圧巻だ。[DVD(字幕)] 10点(2009-06-01 22:30:28)

31.  いとはん物語 身分・性差に囚われない私的な舞台として登場する、二階屋根に外接した見晴らしの良いもの干し用広縁が良い。鉢植えの美しい菊が並ぶその空間は、お嘉津(京マチ子)と友七(鶴田浩二)の接点となり、花々や刻々と変化する夕焼け空の色、二番星・三番星の明かりがアグファカラーの郷愁を帯びた色調で豊かに彩られる。そして何といっても映画の白眉といえるのは、箱根の写真を契機に広がるお嘉津の夢の場面である。奇跡的というべき金色の夕焼け雲の下、裾野を並び歩く京マチ子と鶴田浩二の小さなシルエット。その叙情的なロングショットと伊福部メロディの絶妙な融合具合は両者の数あるコンビ作の中でも随一と思われる。[映画館(邦画)] 10点(2009-04-07 22:42:58)

32.  ヒート カフェで対峙する主役二人の対話が二人の後方からそれぞれごくシンプルな切り返しによって捉えられる。その構図は二人がまるでお互いに自分自身の鏡像と対話しているかのような印象も同時に与える。立場としては対極にある相手に自分との同質性を認め合う場面とも解釈できようか。かつてのノワール映画では、低位置のキーライトで人物の相似形の影を作り出し、オルター・エゴ(もう一人の自我)を仄めかすスタイルがあるが、これに近い印象でもある。終盤の最終対決にみる光と闇のモチーフも同様、背後の誘導灯の点灯によって逆光の中に浮かび上がるロバート・デニーロの黒いシルエットは、対照的に照らし出されたアル・パチーノ自身の投影でもあろうか。対極でありながら一体でもある光と闇の領域の対立、実景主体の写実的市街犯罪と、俯瞰撮影も交えながら印象的な夜景を捉えた都会的ルックはまさに大戦直後(1945~1949)のノワール第二期作品群を髣髴とさせつつ、シネスコ画面の水平ラインをより意識した新たなノワール様式を創出している。[映画館(字幕)] 10点(2009-03-28 17:31:42)

33.  姉妹(1955) 《ネタバレ》 中原ひとみの初々しく、溌剌たる輝き。表情変化の豊かさ、発声の良さ、コメディエンヌとして抜群の運動神経を感じさせる。 同年のオムニバス映画『くちづけ』の一篇でも活発な次女役で見事な快足ぶりをみせるが、この映画でもその見事な走りはもちろん、友人宅の廊下や、凧揚げ場面、寮の階段での見事な転び方や、コミカルな演技の数々で楽しませてくれる。過疎山村の失業問題など、独立プロ的なテーマを盛り込みながらも映画が硬直しないのは彼女の起用に追う部分も非常に大きい。 姉妹愛の主題についてもこの映画は、その観念を実直に具象化してみせる。二人は言葉においてはあくまで個別性・自主性をお互いに尊重し仲違いもするが、彼女たちが画面に登場するときは常に身体的に触れ合わせるよう演出されている。お互いに肩を寄せ合い、手を置き合うという直截な映画表現がこの作品の視覚的な美質だ。 クライマックスとなる姉の嫁入りの日、妹は姉(野添ひとみ)にやさしく手を差し伸べ、自室へと誘う。その触れ合いの身振りが素晴らしい。 また、家己監督の心情表現は様々な小道具の活用においても発揮されている。社会の矛盾に憤る真っ直ぐな次女が、ポンプで乱暴に井戸水を汲む。ここで手桶に納まりきれず溢れ出る水のショットは彼女の思いを見事に視覚化する。不本意な見合い結婚を決めた姉を難詰する妹と、それに答えず一心にミシンを踏む姉。そのミシンが真っ直ぐに縫い進むショットは姉の決意の象徴だろうか。[映画館(邦画)] 10点(2009-03-08 22:27:46)《改行有》

34.   現地ロケによる地道な長期取材に基づき、自然と人間を描出していくセミ・ドキュメンタリーの手法は、明らかに35年日本公開の『アラン』(ロバート・フラハティ)からくるものだ。 またニュース映画全盛時代の、いわゆる写実的表現を尊重する時流の反映でもあるに違いない。 ただしフラハティの撮った過酷な辺境とは違い、日本の風土ならではの四季折々の豊かな風物が、軟調のローキー画面とフェード・イン、アウト、オーヴァーラップといった緩やかな画面転換を主とする日本的な時間表現の中で抒情詩的な味わいも醸している。 特に感動的な子馬の出産場面は優しいローキー画面の賜物といえる。 その柔らかな黒は迫真性の追及であり、夜間の静けさと緊張感、喜び、厳粛さの表現であり、主役たる馬への誠実な配慮でもある。 また、スタッフの写実性追及の姿勢は劇伴音楽の抑制という面にも現れている。 父親が病に倒れる秋は木枯らしの風音、馬が病臥する冬は吹雪の轟音、子馬の生まれる春はわらべうたの歌声、子馬と別れる夏はひぐらしの鳴声や夏祭りのお囃子、そして全編にわたり印象的な方言の響きといった具合に、あくまで環境音の採り入れ方の妙味によって「自然」と「ドラマ」両者を相乗的に引き立てており、秀逸だ。[映画館(邦画)] 10点(2009-02-17 23:12:27)《改行有》

35.  極北の怪異 ロバート・フラハティによる記録映画の魅力は、狭量な「民俗記録」でも「資料的価値」でもなく、ジャンルや手法や国境に囚われぬ自由な精神に基づく映画感覚といえる。一般的には記録映画としてもの珍しさを第一に要求するであろう映画会社に対し、フラハティはそれ以上に「人間と自然」の魅力の活写に大きな力点を置いていることが画面から明らかに伝わる。ローポジションが緊張感を煽るあざらし漁の撮影。酷寒の猛吹雪の迫力と寂寥を伝えるモンタージュ。一方でナヌーク一家がカメラに向ける大らかで人なつっこい表情やユーモラスな仕草が断然素晴らしい。カメラが全く警戒の対象とはなっていない。これは日本でいえば小川紳介(山形)、佐藤真(阿賀)等の傑作ドキュメンタリーに受け継がれていく、腰を据えた共同生活というアプローチあってこその魅力的な表情といえる。勿論それは単なる長期取材・長期撮影という手法のみで成し得るものではなく、一定期間はカメラを回さず肌で喜怒哀楽を共にすることによって獲得される対象との親和性や、映画的各瞬間を的確に捉える手腕と資質があってのものだ。[DVD(字幕)] 10点(2009-01-10 18:38:59)

36.  不知火海 シリーズ第一作『水俣-患者さんとその世界』(1971)より4年を経て、カラー映画となった『不知火海』はその海の青がひたすら美しい。胎児性水俣病患者の少女が始めて医師に質問をする有名な海辺の場面。引いた位置で海と彼女らを静かに見つめていたカメラが居たたまれないかのように左手にゆっくりとパンし、穏やかに光る美しい海を捉える。また、水俣病であることを否定する老人の弱々しい背中をキャメラは後ろからただつき従うように追うしかない。共にその対象との物理的間合いがスリリングであり、あまりに痛切である。「外部者」と「当事者」間の断絶的な境界で躊躇し自制しながらも、なお患者に寄り添わんとするドキュメンタリー作家の無言の情が画面に表出している。最後を飾るのはやはり、猟師達そして漁船群を包み込むような光に溢れる不知火海の光景だ。単なる美観ではない、その倫理に裏打ちされた美しさが感動的である。[映画館(邦画)] 10点(2008-12-20 21:32:31)

37.  忠次旅日記 新国劇『国定忠治』を題材に用いたマキノ雅弘監督の『殺陣師段平』(1950)、 あるいはそのリメイク『人生とんぼ返り』(1955)のどちらでも同じ箇所で 子供たちの歌う童謡が印象的に歌われていたが、 その由縁がこの映画で納得できる。 忠治が身を偽っている酒屋裏手の、大きな酒樽の並ぶ空き地で子供たちが 輪になって童謡を歌いながら遊ぶ場面が二度ほど登場する。 サイレントゆえ、歌詞は字幕で重なるのみだが、 メロディが自然と浮かび上がってくるような哀感と叙情に溢れる場面だ。 「自分ではそのつもりがないのに、知らないうちに皆と反対方向へと回ってしまうから 輪に入れてもらえない」と仲間はずれにされている子を慰める忠治。 忠治自身の孤独・寂寥・人恋しさがこの場面に反映される。 マキノ監督は明らかに特別なこだわりを持って子供達の歌声を自作に取り入れた はずである。 殺陣師・市川段平が最期に娘を通して沢田正十郎へ伝授する「真実の殺陣」の原点も、 この『御用篇』の大河内傳次郎の殺陣にあることがはっきりと確認出来るのも 非常に感慨深い。 その傍らで拳銃を構えるお品(伏見直江)の色香。正体を隠して番頭となった酒屋で 忠治を恋慕う娘・お粂(沢蘭子)の息を呑むようなクロースアップの艶やかさ。 止む無く別れ別れとなった倅・勘太郎を前に名乗り出ることが出来ずに 笠で顔を隠す忠治と、彼に無邪気に杖をねだる勘太郎の手が杖を通して触れ合う 一瞬のショットの情感。 包囲を狭める捕方を上目で睨む大河内傳次郎の眼力。 いずれも素晴らしい。[映画館(邦画)] 10点(2008-12-16 21:46:35)《改行有》

38.  弥太郎笠(1952) 両思いでありつつ、主役の二人は真正面から直に向き合う事がない。奥ゆかしく振り向きあい、寄り添いあい、面を介して肩越しに覗き込み合う。両編通じて、優雅な円の動きによって二人のエモーションが描出される。二人の逢瀬、祭りの輪、多人数掛けの殺陣と、それぞれに活かされる円のアクションはひたすら優美である。多人数が入り乱れる驚異的な長まわしの殺陣においても画面が安定感を失わないのは、鶴田浩二の重心を落とし摺り足を基本とした能あるいは合気道に近い円運動とキャメラの滑らかな水平移動の組み合わせの絶妙さによる。そして緩から急へのうねりの見事さ。鈴木静一の音楽と相俟って盛り上がる殺陣終盤のショット繋ぎの力強さと流動感は圧倒的だ。能に絡んで、霧の漂う木立や墓地の美術セット等、何れもまさに幽玄を感じさせる素晴らしさである。[映画館(邦画)] 10点(2008-11-26 22:57:21)

39.  アデュー・フィリピーヌ 《ネタバレ》 冒頭のテレビショー収録現場の活気に満ちた描写から始まり、全編がひたすら新鮮味あふれるショットの連続。開放的なロケーションの中で横へ横へ、奥へ奥へとカメラが自由奔放に進み行く快感。二人の女性が披露する、演技の枠を超えたナチュラルな表情や身振りの圧倒的な素晴らしさ。ダンス場面での謎めくようなカメラ目線、微妙な嫉妬心を覗かせる硬い表情、港へと走る車の後部座席でみせる純真そのものの破顔一笑などなど、他愛ない仕草の中に浮かび上がる人間味が劇の進行と共に魅力を増す。埠頭での別離の場面は、最高潮の情感に満ちた素晴らしいロングショットの連らなりに揺さぶられずにいられない。船上と対岸に別れた三者を、船上の位置から交互に収めていくカメラの距離の見事さ。前半ではアフレコが効果的に使われているが、ここでは逆に現場録音と思われる雑踏の喧騒と汽笛によって彼らの別れの台詞は聞こえない。それだけに表情と視線が雄弁さを増す。防波堤を駆け登り、手を振りながら走る二人の姿が最高に美しい。[映画館(字幕)] 10点(2008-10-13 19:45:46)

40.  ゴジラ(1954) この映画(1954年)のドラマパートは撮影:玉井正夫、照明:石井長四郎、美術:中古智、録音:下永尚、といった具合に成瀬組の主要スタッフが担当している。『山の音』、『晩菊』、『浮雲』と続く成瀬巳喜男監督の絶頂期と同時期の仕事である。円谷特撮を前面に出した空想SF映画に迫真性を与えた重要な要素の一つが、成瀬組による優れたスタッフワークであるといえるだろう。成瀬作品の特長の一つが緻密な美術セットとロケーションとの自然な融合にあるように、本作ではさらに加えて特撮場面との違和感の無い融合に各部門が大きな貢献をしている。ローキーで統一した照明設計。その中で映える、終盤の救護所に差し込む外光の美しさ。あるいは芹沢博士の洋館の中で不気味に発光する水槽の禍々しさ。美術でいうなら、成瀬作品でもお馴染みの二間続きの日本間、路地、オフィスなどの精緻な生活空間や、大戸島での残骸家屋の見事な造形。録音でいうなら、オフ空間を活かした足音の効果音の見事さ等〃。ドラマ部分の日常空間づくりに貢献した撮影所技術スタッフの優れた仕事があってこそ生まれた迫真の怪獣映画であるといえる。[映画館(邦画)] 10点(2008-10-11 19:10:44)

010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS