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581. 夜と霧 ナレーションは戦争のこともナチスのことも語らない。レネの短編映画『ヴァン・ゴッホ』や『ゴーギャン』がナレーションではゴッホとゴーギャンの表面的な事象しか語らずに彼らの内面に迫ったように。そしてゴッホの絵画、ゴーギャンの絵画のモンタージュでゴッホ、ゴーギャンその人物を浮かび上がらせたように、ひたすらアウシュビッツの残酷な記録の断片を紡ぐ。そのモンタージュ効果によっておぞましきイメージを浮き上がらせ、さらに現在のアウシュビッツを映すことで風化させてはいけないという明確なメッセージを発している。ただのドキュメンタリーではない。映される映像とそこに被される言葉の巧みなコラボレーションのほうにもぜひ目を向けていただきたい。[DVD(字幕)] 7点(2006-09-25 13:43:44)(良:1票) 582. 現金に手を出すな 《ネタバレ》 ごつい顔のおっさんがなぜにこうもかっこいいのか。それは見ていただければわかるのだが、歳をとることで得られる貫禄?いやいやそれだけじゃない。内面ではいろいろな葛藤がある。若手が台頭してきたギャングの世界での自分の身の振り方、相棒のヘマに対する苛立ちなど。しかし表には出さない。精一杯の大人の振る舞い。これが最後まで貫かれる。相棒を見捨てたって誰も責めはしない。しかし見捨てない。金塊が喪失すればむちゃくちゃくやしい。しかし何もなかったかのように振舞う。相棒の死に悲しむ。しかしそんな素振りは見せない。かっこいい男には哲学がある。この世界に入ってからこの世界を去るまでの貫かなければならない男の哲学。この手の男を主人公にするにはよほど丁寧に人物を描かないとただのかっこつけに終わりかねない。でもちゃんと描かれている。損得なしで貫く男の美学が。これぞフィルム・ノワールだぁ!って感じ。 ↓ん?たしかにラスクうまそうでしたけどフランスではバター(でしたっけ?)塗りたくるんですね。ゲゲッと思ってしまった。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-09-20 13:20:11)(良:2票) 583. 悪魔をやっつけろ(1953) 先月にジョン・ヒューストン生誕100年を記念して上映されたもの観ました。名コンビ(ボギー+ヒューストン)最後の作品である今作は『黄金』の「金」を「ウラニウム」に変えて人の欲を描く。といっても『黄金』のようなシリアスな展開ではなくあくまで喜劇。もちろんシリアスな場面もあるにはあるんですが欲に駆られた登場人物たちの滑稽さが前面に出ており、全体的には喜劇として楽しめます。もうすぐ日本公開される『カポーティ』その人トルーマン・カポーティがシナリオを書いてますが、ロケ地(ヨーロッパのどこだか)で撮影が始まってもシナリオが完成せず、ヒューストンやボガートや大プロデューサーとして名高いセルズニックやらがてんやわんや(といってもきっと酒でも飲みながら)撮影毎にシナリオを作っていったのだそうです(って映画館にあったチラシに書いてあったと思う、そのチラシはどっかいった)。そのせいなのか、どこかチグハグさを感じ、それがかえってヌーヴェル・ヴァーグっぽい既存の映画から開放されたような奔放さを醸していて、その奇妙な感覚こそがこの映画の最大の魅力となっている気がします。[映画館(字幕)] 7点(2006-09-19 18:14:20) 584. 接吻泥棒 実にアホらしい。でも実に楽しい。まずお話がアホらしすぎる。そのアホらしさがスピーディに展開される。セリフも早口だけど、早苗光子の変わり身も早いけど(笑)、やっぱり展開が早い。一人目の女のところにいたかと思えば次のシーンには二人目の女のところ。その間の行程が省かれる。省いて省いて省きまくる。だからやたらドタバタして、アッという間に終わっちゃう。実に愉快。実に爽快。[CS・衛星(邦画)] 7点(2006-09-14 12:51:42) 585. 自転車泥棒 イタリア・ネオリアリズモの名作ということですが、たしかに戦後の貧困にあえぐイタリアの風景が痛々しく目に飛び込んできますが、ロッセリーニほどの生々しさが無い。だってラストはともかくとしてかなりご都合主義的に話は進んでいきます。犯人との二度の偶然の遭遇がまさにそうで、リアルに徹するなら犯人との遭遇すらなかったでしょう。でもだからと言ってこの作品がダメなわけじゃなく、これはこれで素晴らしいと思う。ドラマチックだからこそラストシーンには現実に引き戻されたような衝撃がある。父の立場からすればこれほど救いようの無いエンディングもないだろう。しかしまったく救いが無いわけでもない。物語としてはほんとに最悪なエンディング。でも父子の関係をしっかりと描いていたから、父が子を、子が父をどんなに愛しているかをちょっとしたやり取りで見せる表情で存分に見せていたから、最悪のエンディングに光を見ることができる。愛される父親はけして不幸ではなく、愛される子供もけして不幸ではないのです。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-09-11 12:53:31) 586. 青春残酷物語 ゴダールをして「本当のヌーヴェルバーグは自分やトリュフォーよりも先に作られた大島の『青春残酷物語』だ」と言わしめた傑作。見事に時代を映し出し、姉と妹両者の青春の傷を浮かび上がらせる。これまで「きれいごと」しか描かれなかった青春像をひっくり返し、あり余る力のはけ口を求め暴力とセックスを繰り返し、強さと弱さをさらけ出した若者像。あやふやで危なっかしい本能が溢れんばかりに画面を覆う。映画自体がものすごいパワーで何かに反発しているかのような作品。もちろんその根底には大島自身の体制への反発があり、それをストレートに映画にしたことだけでも松竹ヌーヴェルバーグの名に相応するかもしれないが、それ以上にその体制への反発と自業自得の男女の成り行きとの絡ませ具合がまた繊細にして絶妙なのである。[映画館(邦画)] 7点(2006-09-04 16:18:10)(良:2票) 587. 風花(2000) 《ネタバレ》 物語がとんでもない方向へ飛んでゆくことを期待しながら見ていても、いつまでたっても淡々と進んでゆく。それでも変な二人の、かたくなに寄り添わない二人のロードムービーに次第に引き込まれてゆく。「風花」とは山肌の雪が風にさらわれ花びらのようにひらひらと舞う雪のことなんだそうです。小泉演じる風俗嬢も浅野演じるエリート官僚も昔は持っていただろう「目的」を失いまるで風花のようにフラフラと人生を消化してゆく。その行き着く先に「死」を見つめる。しかし風花が溶けるということは「死」を意味すると同時に春を招く、つまり「再生」を意味する。まさに二人のロードムービーは「再生」への旅。顔を上げる時期は必ず訪れるのだ。春を告げるカエルがぴょんと跳ねるエンディングが清清しい気分にさせてくれます。[DVD(邦画)] 7点(2006-08-25 18:24:02)(良:1票) 588. 台風クラブ 《ネタバレ》 夜のシーンでもはっきりと顔を照らす光は月明りや街灯や教室から漏れる明かりであるように演出され全く不自然さを感じさせずに見せている。生涯、照明に拘った相米監督作品の中でも出色の出来。お話は相変わらずの子供の成長過程における葛藤。1人の無邪気な少女が一足早く大人の女へと移り行こうとする自分に戸惑い、わけもわからず家を飛び出し何もなかったかのようにそのことを受け入れるまでを台風によって表現する。すべての事柄を理論付けようとする大人びた少年はこの説明不可能で不可解な現象を無理やり理論付けようとした結果、窓から飛び降りる。もう1人の少年の異常行動を見ても、体がその変調をゆるぎない現実として見せてくれる女のほうがスッと受け入れてしまうのかもしれないと思った。自分の中だけで通り過ぎてゆき知らぬまに忘れてしまう通過儀礼・・自分にもあったんだろうなぁ・・と思う反面、あの男女半裸で踊る輪には入れなかっただろうなぁとませた少年時代を懐かしむ。もし輪に入ったとしても間違いなく前かがみで踊れない。[ビデオ(邦画)] 7点(2006-08-23 12:56:11)(良:1票) 589. ションベン・ライダー 「長回し」といえば計算に計算を重ねたものというイメージがある。ウェルズの『黒い罠』の完璧なオープニングの長回し然り、溝口の『元禄忠臣蔵』等に見られる画面に入りきらない被写体を次から次へと映し出してゆく長回し然り、あるいは全く動かない画をひたすら映し続けることで緊張感なり余韻というものを作り出すヨーロッパの巨匠たちの長回し然り。しかし相米慎二の長回しはただダラダラと撮っているだけかのような、いったいどこを見ればいいのか困惑するような長回し。もちろん計算はされているだろう。橋の上を走る人物が画面の右下に位置される奇怪な構図に突然左上のビルの隙間から車が登場!なんて計算無しでは撮りえないシーンもある。しかしその後の水辺の追いかけっこは何を意図した動きなのかが全くわからない行動を皆が皆しており、その画は滑稽極まりない。しかし少年少女たちの懸命すぎる動きはせつなさにも似た感慨を呼び起こし極めて愛おしいシーンともなっている。少年少女たちがなぜここまで必死なのかが話が進むにつれてその必然性がなくなってくる。だのに彼らの必死さはどんどんヒートアップしてゆく。子供から大人への成長に対する抵抗というか最後のあがきというかどうにも抵抗しえないヤケクソというか、あと諦めとか悲しみとか希望とかがごちゃまぜの必死さ。その明確に何とは言えないなにかを長いワンシーンに感じることが出来ればこの映画はとてつもなく愛おしい映画になるのである。[ビデオ(邦画)] 7点(2006-08-21 15:09:06)(良:1票) 590. イージー・ライダー フランス、ヌーベル・ヴァーグから遅れること10年、ヨーロッパ映画が大好きなデニス・ホッパーがアメリカ映画の枠を飛び越えて主人公さながらに自由奔放に作っってみたらアメリカン・ニュー・シネマの出来上がり!って感じの意図せずして名作になってしまった感という印象があるが、新しい映画を作ろうという意気込みなしでは絶対にできえなかった映画であることも確か。実際この意気込みなしではラズロ・コヴァックスというヨーロッパ出身のカメラマンの獲得はなかっただろう。ストーリーは行き当たりばったり的ではあっても実はかなり洗練されており「自由」を哲学的に解体し、「自由」という名の不自由さにもがくアメリカが奇跡的なショットで綴られる。奇跡的なショットというのは作り手の意図を超えたものだが、この奇跡を呼び込んだのは「映画への情熱」であり「映画への挑戦」なのだと思う。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-08-17 10:28:35) 591. 野菊の如き君なりき(1955) 日本のある一時期を切り取った映画。物語の持つ、封建的な社会の犠牲となる若い男女の顚末にある時代性もさることながら、映画は人物よりも風景をメインに撮ることでその時代の素朴さとか愛しさというものまで映しているかのような錯覚をおぼえる。回想形式で見せる物語は日本独自の情緒が常に画面を被い、素人俳優の主演二人の棒読み演技も実に純朴な男女を表現しており、この情緒感を盛り上げている。いかにもセリフですという感じの有名な「民さんは野菊のようだ云々」が実に自然に発せられた言葉としてモノクロの野山の風景とともに脳裏に焼きつく。[映画館(邦画)] 7点(2006-08-11 13:38:48) 592. 僕のスウィング 主人公の少年は都会では味わえない本来の人生の素晴らしさを短い夏休みに体感します。音楽を聴き、音楽を奏で、そして歌い、踊る。草花に触れ、昆虫に触れ、森を歩き、川を泳ぎ、仲間と語らい、異性を想う。老人の話に耳を傾け、大切な人の死に涙する。少年はその貴重な体験を体に染み込ませたから文字で記された日記を手放した。少女が日記を持ち帰らなかったのは文字が読めないからじゃない。今を生きることが大切だから過去の記録はいらない。死ねば持ち物すべてを焼くという風習もそういうことなんじゃないだろうか。本来の「生」の素晴らしさをジプシーの生き方の中に見出そうとした美しい映画。今は夏休み。映画を観ている場合ではない。子供を海へ山へ連れ出そう![DVD(字幕)] 7点(2006-08-08 14:25:23)(良:1票) 593. レベッカ(1940) ヒッチコックのハリウッド第一弾はセルズニックとの戦いに敗れ原作重視の脚本に変更。この映画の成功はセルズニックによるところが大きかったかもしれないが、それでもヒッチの演出効果無しには一度も登場しないレベッカをあれほど印象付けることは出来なかっただろう。妻を亡くした富豪との「謎」を残しながらの恋が描かれ、美しいジョーン・フォンテインがいじめぬかれ壊れてゆく「サイコサスペンス」とレベッカの影が常に意識される演出による「ホラー」の間をゆらゆらしながらメロドラマにもってゆく。死の真相は唐突に暴かれるがそのシーンではすでにメロドラマの様相をしているので素直に受け入れられる。ヒッチの撮りたかった「レベッカ」も観てみたいがこれはこれで素晴らしい。[DVD(字幕)] 7点(2006-08-04 19:21:58) 594. 見知らぬ乗客 アップで撮られた二人の靴がコツコツと歩を進め、そして出会う。偶然の出会い、そして運命の出会いが表現された印象的なオープニングから延々と頭にこびりつくようなシーンのオンパレード。唯一の証拠となるライターをめぐって犯行現場に行く二人の男、1人の女、追う刑事たちが、そしてだんだんと暮れてゆく景色がクロスカッティングの妙技のもと最高の興奮を生み出す。眼鏡越しの殺人、テニスコートやパーティー会場での異常行動のさりげない見せ方による恐怖演出、ただ怖いだけではなく歪んだ愛を常に内包させた犯人像の奥深さなど実にうますぎ、出来すぎの傑作サスペンス。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-08-03 14:27:11) 595. 間違えられた男 主人公が新聞の見出しを「見る」。そしてその見出しごとに表情を変える。「見る」という行為がことさらに強調されたこのシーンがその後、保険会社の受付嬢に怪しく「見られ」、取調べの面通しで「見られ」、という恐怖体験を暗示する。主人公の目に映る警察官、留置場へ続く廊下が主人公の不安感を高め、妻の異変もまた主人公と弁護士の、妻の行動を見る目によって露呈される。視覚に訴える映画という媒体の中で視覚の有効利用をしているわけだ。また、状況説明を「見たあとの顔」だけで表現しているのでリアルな恐怖感が出ている。ヒッチコックの他の作品とカラーが異なるが、この作品もまた巧みな映画術が満載だ。[DVD(字幕)] 7点(2006-08-02 16:13:23)(良:1票) 596. 知りすぎていた男 イギリス時代の『暗殺者の家』を自らリメイク。リメイク映画のお手本でオリジナル作品に縛られない自由な演出が成功しているが「縛られない」というだけでも並みの監督ではないことの証明になっていると思う。サスペンスとは似つかわないゆったりとした「ケ・セラ・セラ」が作品に緩急を与え、その歌声が物語を盛り上げ、その歌詩が母の想いとリンクする。この効果的な歌の使われ方は天才的です。歌手ドリス・デイの起用と合わせて極めて完成度の高い作品。今までのヒッチコック作品のレビューでヒッチコックらしいとからしくないとか書いていたかもしれないが、どっちにしろこの人は天才だというところに落ち着きそうです。それはヒッチコック作品を見れば見るほど確信を帯びてきます。[DVD(字幕)] 7点(2006-08-01 10:35:57) 597. ロープ 最初に殺しのシーンを見せてしまっているので犯人たちがその後のパーティーをどうしのぐか、あるいはしのげるかどうかだけがこの映画の楽しみということになるが、言い換えればよほどの自信が無ければ最初に殺しを見せてしまうなんてことは出来ない。そしてこの映画は見事に犯人だけが持ちうる不安と焦りを観客に共有させ、サスペンスを堪能させることに成功している。フィルムの限界までまわし続けるノーカット撮影は結果として登場人物の背中などを利用してつなげる部分などかなり不自然で普通にカットしてくれたほうがより洗練されたものになったに違いないが、こういう試みこそがヒッチコックならではでその精神こそが作品を魅力的なものにしている。また、過酷な緊張を強いられたであろう役者陣によって作品自体も緊張感が張り詰めている。[DVD(字幕)] 7点(2006-07-31 15:41:22) 598. 拾った女 スリとすられる女、そしてそれを見ている男、と主要な人物が交互に写されいきなりサスペンスを盛り上げるオープニングシーンは電車の揺れの再現、窓からの光、新聞紙などの小道具の使い方も含めて何気ないけど完璧に観客をひきつける。この映画はストーリーもじゅうぶん楽しめるがストーリーを堪能しなくても楽しめる。まずなんといってもテンポがいい。テンポがいいから唐突なラブシーンにも酔える。印象深いシーンは多々あるがコミカルな部分を背負っていたタレコミ屋の老女がゆっくりと大げさにクローズアップされてゆくシーンがとりわけ印象に残る。彼女のコミカルな会話が走馬灯のように蘇り彼女の人生、はたまた下層級の生活の厳しさまでもが浮き彫りにされてゆくというとんでもなく素晴らしいシーンです。娯楽映画としてのツボをおさえた作品であると同時に細部へのこだわりに満ちた作品です。[映画館(字幕)] 7点(2006-07-07 11:50:13) 599. 北北西に進路を取れ ヒッチコックの作品の中で最もスペクタクルに富んでいる。それゆえにヒッチコックらしくないと言われることもあるらしいが、全編、巧みでユーモア溢れる演出が満載されており、スペクタクルも<=大味>ではなく見事にサスペンスを盛り上げている。その一番の代表がセスナに追っかけられるシーン。一面畑の広々とした、それでいて寂しい空間にぽつりと立つ主人公。ヒッチらしからぬ長ーい間が緊張の色を徐々に濃くしてゆき、一気に「静」から「動」へと加速する。スペクタクルといってもいわゆるスペクタクル映画と言われるものと比べたら迫力には欠けるかもしれないが、そのことを逆手にとってラストではクライマックスのピークでいきなり端折って列車の中に切り替えてしまうなんて演出はもう参りましたとしか言いようがない。ヒッチコック作品には個人的というか生理的に苦手な演出ってのがあって、それは悲鳴を上げたときの忘れられない恐怖の顔のアップだったり、とにかく精神が普通じゃないときの人物の見せ方にインパクトがありすぎるってことだと自分では思ってるんですが、この作品はそういうのが無いので、素直に楽しめたという意味ではヒッチコック作品で一番かもしれない。[ビデオ(字幕)] 7点(2006-07-06 18:20:49) 600. 奇跡の丘 【DADA】さんが触れておられる導入部について付け加えさせてください。マリアの緊張した面持ちが映され、ヨセフの微笑んだ顔が映され、それを見たマリアの顔が安堵の表情で満たされる。処女懐胎の困惑からすべてを受け入れる二人の愛をいとも簡単に映像だけで見せています。聖書にあるイエスの生涯の物語を描いていてもワンシーンワンシーンに見られる素人役者たちの豊かな表情と詩的な映像はけして物語に支配されずに物語を形成してゆく。映画の世界に入って間もないパゾリーニの非凡さが伺えます。そして無神論者パゾリーニゆえでしょうか、説教をするイエスのまるでキング牧師のような芯の強さとカリスマ性を持った人物像が従来のイエスのイメージを大きく変えています。多くの人をひきつける者として説得力があるし、画的にもインパクトがあって良かった。後のパゾリーニの作品を見れば、この作品もまた彼の思想がどこかに反映されているのだろうと想像できるが、そういう見方をせずとも映画的魅力をじゅうぶん楽しめる作品だと思う。 あ、そうそう、サロメの美しさと残酷さの同居が、より美しさと残酷さを相乗効果で増幅させていて他のどの作品のサロメ像よりもすばらしい!と思いました。[CS・衛星(字幕)] 7点(2006-06-22 15:41:34)
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