みんなのシネマレビュー
ユーカラさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL //www.jtnews.jp/blog/24461/

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647

741.  エンジェル ウォーズ 《ネタバレ》 妄想なのだから、架空のカメラワークでも、物理法則無視でも、誇張アクションでも良いのだが、その肝心のアクションにいわゆる「ツメ」「タメ」といったアニメーション的ケレンもハッタリのセンスも衝迫力も感じない。 手垢塗れのスロー・クイックモードを濫用して奇を衒おうとするのだが、動作の中で施すべき箇所を取り違えているように見える部分が多々ある。だから、殺陣アクションがメリハリも快感も伴わない。 というより、そもそもシチュエーションに危機感もなければ痛覚の演出もないから、どうでも良くなってくる。 当然ながら、ヒロインがコックの喉元にナイフ一本を突きつける厨房シーンのほうがまだアクションとしてのスリルがある。 意匠とイメージ先行で、デジタルエフェクトの陥穽に嵌っているというべきだろう。 図面を必要とする程の複雑構造の病棟なら、その建築物の空間的ディティールをアクションや芝居場に活かすべきだろうに。 火炎も脱走経路も印象が極めて薄い。 [映画館(吹替)] 4点(2011-05-07 18:06:00)《改行有》

742.  ジャコ万と鉄(1949) 岸壁に砕ける波濤。荒々しい漁船のローリング。網にかかったニシンの大群とヤン衆の格闘。そして雪原を疾走する犬ソリの主観映像。 迫力満点に活写されたドキュメンタリー・タッチの映像は、紛れもなくフラハティ『アラン』の影響だ。 時化(しけ)る海を警戒して松明が群舞する夜間撮影の見事さなど、スタッフの苦労が偲ばれるロケーション撮影の場面はいずれも文句なしに素晴らしい。 伊福部昭による重低音の情景音楽が不要と思えるほど、画面に力が漲っている。 ここでの久我美子はいまいち魅力を欠くが、三船敏郎ははまり役。 とりわけ鰊番屋で披露されるワイルドで独創的なダンスは圧巻だ。 月形龍之介との格闘シーン以上に強烈なインパクトがある。[映画館(邦画)] 7点(2011-05-06 22:29:08)《改行有》

743.  ハナ子さん 巻頭に登場するのは、真上から俯瞰したバレエ団のダンスの輪。 そのマキノ的な円のモチーフは自転車や荷車の輪転、防災演習の連携プレーの輪、ボールとフープを使った舞踊団のレビューへと変奏され、轟夕起子のデングリ返し、 そして回転の舞へと連なっていく。 あるいは、吊り輪運動、時計の振り子、箒掃き、手押しの放水機、ラジオ体操からススキの穂まで、「揺れる」運動も随所で画面にリズムをつける。 アクションは視覚と歌謡に留まらない。演者の交わす対話の響きが非常にリズミカルでいい。 とぼけていながら歯切れが良い。台詞が優れたアクションとして機能している。 轟夕起子の笑顔と面、その回転と疾走が短く繋がれていくラストの情感。 母親の悲哀を直截に見せた木下監督の『陸軍』以上に、その精一杯の笑顔は胸に迫る。 [ビデオ(邦画)] 8点(2011-05-06 12:19:08)《改行有》

744.  白夫人の妖恋 製作舞台裏の事情は、廣澤榮(助監督)の「日本映画の時代」に詳しい。 次第に産業的な翳りを迎え予算を抑えにかかる上層部と現場の軋轢や、スタジオシステムが培った大道具・小道具スタッフの臨機応変な知恵と技術が注ぎ込まれた特撮シーンの苦心談など、映画以上に感動的で興味深い逸話が多々あり、面白い。 中国民話の世界を全編セットによって創りあげた美術の豪勢さ。 西湖の水面に咲く色とりどりの睡蓮や牡丹、華やかな中国伝統衣装などがイーストマン・カラーに映える。 トリック撮影を使った山口淑子と東野英治郎の妖術合戦なども楽しいが、最大の見所は金山寺水攻めシーンに展開される怒涛の水のスペクタクルだ。その水量と迫力が凄まじい。 さらには、衣装を風になびかせながら山口淑子と池部良が昇天するイメージが(舞台裏の苦労談とは裏腹に)壮麗で素晴らしい。 いずれのシーンにも、海外との合作に向けた豊田四郎監督及び、新技術の導入と共にカラー特撮時代へと向かう円谷特技監督以下のスタッフの威信が漲っている。 それから忘れてならないのは、小悪魔的な八千草薫の可愛らしさ。まさにはまり役。 [映画館(邦画)] 7点(2011-05-04 22:55:55)《改行有》

745.  あしたのジョー(2010) 俳優が役柄に似せて熱演する、増減量と鍛錬で体格をつくる、体技を披露するといった役作りレベルなら格別な感動はない。 伊勢谷友介が「役を演じる」フィクション性と「役を生きる」ドキュメンタリー性が綯い交ぜとなった、その意思的なフォルムが他を圧倒している。 役柄上のライバル関係を演じる主演二人の対抗と信頼の関係性もまた競演の中で重なり合ってくるところがこの映画の面白さだ。 しかるに、肝心のボクシングシーンは映画的なアクションとして画面を運動させているとは云い難い。 同じスローモーションでも、イーストウッド『インビクタス』のそれが伝える運動感・重量感・獣性とは天地の差だ。 しっかりと汚しが施された衣類や小道具、ジムの内外装やバラック集落などの美術単体では味があって見事ながら、一方でそれらを薄暗い照明の酷さが台無しにしているのにも通じる。 あるいは女優への演出の不在。香里奈には役柄以上のものが何も示されないのもどうなのか。 [映画館(邦画)] 5点(2011-05-04 17:58:50)《改行有》

746.  くちづけ(1955) 第一話『くちづけ』… いかにも石坂洋次郎原作らしいユニークなボキャブラリーと気取った台詞回しが楽しい。会話の中に『IT(あれ)』なんて単語が出てくるのも映画ファンにとっては一興。青山京子と太刀川洋一が教授(笠智衆)の前でホールドアップする身振りのコミカルさなどは『石中先生行状記』の杉葉子の一場面を連想させる。 第二話『霧の中の少女』…あぜ道、橋の上、温泉街、そして駅のホームを、次女(中原ひとみ)が風のように走りまわる。その軽やかな走り・躍動感がこの挿話最大の魅力といって良い。彼女を始めとする一家の屈託無い笑顔も素晴らしい。小泉博を迎えた夕飯の席、あるいは山の温泉で祖母(飯田蝶子)と姉妹たちが横並びになって「小原庄助さん」を歌うショットの和やかな幸福感。 まるでホークス映画のジャムセッションのような充実感。 第三話『女同士』…キャスティングはいわずもがな。短編ながら、自転車・チンドン屋といったお馴染みの意匠の数々が成瀬映画の刻印として登場する。表玄関を入ると一本廊下、診療室と並んで中村メイ子の下宿部屋といった特徴的な家屋構造もまた然り。 冒頭ではパッとしない彼女だが、自室でくちずさむ鼻歌を上原謙らに何気なく隣室で聞き流され、勝手口での八百屋の青年(小林桂樹)との会話を高峰秀子に廊下で立ち聞きされ、あるいは高峰秀子に日記を読まれるという、空間共有の劇を経ていくことで最後には不思議なほど魅力的なキャラクターへと変貌していく。 嫁入りのために表戸を駆け出していく彼女の姿が非常に感動的だ。 さらに最後。見事に「振り返」って作品を締める八千草薫も実に可愛らしい。 [映画館(邦画)] 9点(2011-05-03 18:04:59)《改行有》

747.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。 語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。 落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 [映画館(吹替)] 8点(2011-05-03 17:48:35)《改行有》

748.  戦場にかける橋 映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。 強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。 [DVD(字幕)] 5点(2011-05-01 12:14:29)《改行有》

749.  RED/レッド(2010) 質素な居住空間の中、6時起床、7時朝食、12時昼食の定時行動を示すショットを反復した上で、翌日早朝の異変を旋回のショットと時計のショットとで仄めかす。 ここで示されるブルース・ウィリスの鋭敏な時間感覚の設定は、カール・アーバンとの電話の逆探知シーンやCIA本部の脱出シーンでの伏線ともなる。 フライパンで炒られ暴発寸前の銃弾や、蜂の巣となる家屋から悠然と歩み出てくる主人公の図が、波乱の幕開けの演出として効果的だ。 ハイテク対ローテク、理論対経験則、理性対直感といった頭脳戦の要素は薄く、CIA本部の包囲網脱出のアイデアなどを始め、『レオン』や『ミッション・インポッシブル』の二番煎じで意外性がなく物足りないが、強引な力技も悪くはない。 特に3人のREDがそれぞれ見得を切る射撃シーンの貫禄がいい。 旋回する車を降り立ち、躊躇無くカール・アーバンの車に弾丸を撃ち込んでいくブルース・ウィリス。 炎上する貨物を背景に仁王立ちで暗殺者と対峙するジョン・マルコビッチ。 そして、白いドレスを纏い瞬きひとつせずにマシンガンを撃ち込むヘレン・ミレン。 銃撃の反動にも姿勢を崩すことない、その立ち姿が凛々しい。 廃車にカモフラージュした隠れ家といったアイデアなども奇抜で楽しい。 [映画館(字幕)] 6点(2011-04-30 16:43:47)《改行有》

750.  人間失格 原作や荒戸監督の前作『赤目四十八瀧心中未遂』の印象から勝手にイメージする陰鬱なムードとは裏腹に、冒頭の岩木山を望む津軽の場面を始めとする明るい屋外シーンの多さや、主人公を取り巻く錚々たる女優陣の豊かなバラエティもあって、どこか陽性の印象が強い。 『ファザーファッカー』ほど派手ではないにしても、CGによるイメージシーンの多さもさらに映画に華やかさを添えている。 販売戦略としてのアイドル映画という側面もあるのだろうが、良い意味で無色な新人・生田斗真のキャスティングによって映画版のほうは達者な脇役陣の中でより一層主人公の空疎な存在が体現されることともなった。 太宰の時代として昭和初期を再現するロケーション・美術も『ヴィヨンの妻』以上に充実し見事な出来だ。 葉蔵(生田)と良子(石原さとみ)が暮らす木造二階建ての部屋から、夕景の推移を丁寧に見せる画面の風情などは非常に印象に残る。 灯の揺れや細やかな音使いも前作同様にデリケートで端正だ。 五輪中継などの時代描写は少々説明過剰か。[映画館(邦画)] 6点(2011-04-30 16:27:50)《改行有》

751.  バーレスク カウンター席に並ぶC・アギレラとシェール。そこへ一旦はクラブを辞めたクリスティン・ベルが戻ってくる。すかさず、スタンドチェアを回転させて彼女に背を向けて場を外すアギレラ。そのあくまでドライで毅然とした所作がいい。 続く控え室の鏡台の場面。両者は鏡を介して互いを意識しあうが、その二人に対しカメラは交互にピントを送り、二人同時に焦点を合わせることをしない。従って二人は画面上では視線を交えることもなく、対話を交わすこともない。互いに尊重しつつも、馴れ合いを潔しとしないライバル同士の高貴なプライド。それらをシンプルな描写の中に垣間見せる、その視線のドラマがいい。 シェールからアギレラへ、睫と唇への触れ合いを通して擬似母娘の関係を築く化粧シーンもまた、簡潔にして情感豊かだ。柔和な画面が美しく、これも鏡台を巧く使っている。 歌曲では、唯一同時録音的な効果のある「Tough Lover」が白眉。 アギレラの声量が遺憾なく発揮されると共に、客席のざわめき、嬌声、雑音の満ち干きが採り入れられて、舞台・客席相互感応のライブ感がよく出ている。 その分、逆に他の曲の別録が気になってしまうのが皮肉なところ。重低音の音楽は気持ちよいが、リズム重視のカッティングの連続で少々飽きる。 せめてシェールの「You Haven't Seen The Last Of Me」くらいは同録でお願いしたい。[映画館(字幕)] 7点(2011-04-26 22:34:04)《改行有》

752.  ゴダール・ソシアリスム 地中海を巡るオリヴェイラ『永遠の語らい』(2003)のすべるような波と静けさに対して、白と紺碧のうねるような波と風雨の轟音が後々まで耳目に残る。 オリヴェイラがギリシャ・エジプトを巡ってインドへ向かおうとしたのに対し、ゴダールが寄港するのはパレスチナ・オデッサ・バルセロナと、内戦の地への拘りを鮮明にする。 特にオデッサのシーンに対する力の入り具合は、『映画史』や『アワーミュージック』など、度々引用されてきた『戦艦ポチョムキン』への思い入れの強さをはっきり窺わせる。オリジナルの虐殺シーンの引用と、現在の緑に囲まれたオデッサ階段を右斜め下に移動していくカットが交互にモンタージュされるなど、引用が創出する新たなイメージは感慨深い。 第一章の客船内の享楽的な原色と爆音の洪水は、第三章のモノクロ・カラーが混交する引用映像と戦乱の爆音と呼応している。 第2章のリャマとロバ、ランプシェードも印象的だ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-04-26 20:54:57)《改行有》

753.  ザ・ファイター マーク・ウォルバーグがみせる、ブランク時とリングシーンの体格調整アプローチは『レイジング・ブル』のデ・ニーロを意識したか。 クリスチャン・ベールの演技も、擬斗シーンの打撃の効果音も過剰気味で今ひとつ面白くないが、母親(メリッサ・レオ)が父親(ジャック・マクギー)に投げつけるフライパンや、左拳を折る警棒のほうは痛々しくていい。 役者に対して主舞台となるホームタウンの印象も薄いが、それぞれ二階建ての家の造りなどは独特で面白い。この映画では玄関先がドラマの場だ。 マーク・ウォルバーグが再起を決意し歩き出す朝の玄関先、クリスチャン・ベールがエイミー・アダムスらを背に歩み去る玄関先の道。その無言のシーンが、饒舌な映画の中では活きている。 ミット打ちのリズミカルなコンビネーション、パンチングバッグの連打音、そして玄関先での呼び鈴の応酬なども、挿入曲と併せて音楽的でいいけれど。[映画館(字幕)] 6点(2011-04-25 12:10:35)《改行有》

754.  ブンミおじさんの森 大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。 熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。 小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。 冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。 赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:05:42)《改行有》

755.  ジャン・ルノワールの小劇場<TVM> フル・セットの河岸の美術と照明が素晴らしい第一話「最後のクリスマス・イヴ」。 富者と貧者の残酷な対置があり、第四話の開放的なロケーションと対照する。 第二話「電気床磨き機」は悲劇と喜劇の融合の究極をいく。きれいに磨かれた床に滑って唐突に死んでしまう夫。生者と死者の語らいが対となり、寒色系を配された人工的な都会の姿もまた、第四話とコントラストになる。 ドレスを着たジャンヌ・モローがシャンソンを歌う第三話「愛が死に絶えるとき」。 ジャンヌ・モローの全身ショットから、顔へのクロース・アップへと移行し、またフル・ショットへと引いていく。 彼女の歌唱を一挙に捉える最もシンプルで最良のワンシーン=ワンカット。 そして、第一・第二話の「死」と対比される第四話「イヴトーの王様」には明るい自然光が溢れ、エロスというルノワール的な主題も浮かび上がらせながら「生」が賛歌される。 ルノワールの父オーギュストも愛した南仏ののどかな田園風景は『ピクニック』(1936)、『草の上の昼食』(1959)以来かわらぬ光と風と色彩でフェルナン・サルドゥーの絶望のみならず視聴者をも癒してくれる。 そして映画は、登場人物すべてが笑い出し、キャメラに向かって整列してお辞儀する、最も幸福で至高の大団円を迎える。 ルノワールが最後の作品で説いたのは、『トレランス』(寛容)だった。 [DVD(字幕)] 10点(2011-04-16 22:51:45)《改行有》

756.  ヒア アフター 兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。 何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。 他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。 物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。 それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。 マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 [映画館(字幕)] 9点(2011-04-11 20:21:38)《改行有》

757.  原子力戦争 Lost Love 《ネタバレ》 舞台は、当時から放射能漏れの疑惑を持たれていた福島第一、第二原発。 田原総一朗の原作とATGならではの強みによって、ジャーナリズム問題も絡めながら、電力会社の隠蔽主義を告発する。 ドキュメンタリー出身の故・黒木和雄は初期に『海壁』という東京電力のPR映画を撮ったのち、その贖罪のように本作を撮っている。 電力会社の監視と立ち入り拒否を受けながら撮られたという画面は、映画内容とシンクロしつつ、その画面的制約と不自由ぶりが静かな緊張感を漲らせている。 日中に望遠で撮られた発電所の表層的なまぶしい白と、闇討ちが繰り返される夜間シーンの不気味な黒い画調の対比が特徴的だ。 松林の中を逃げる原田芳雄をカメラが追う中、林の中から幽鬼のように群集が湧き出てくる。そのカメラワークはまるでベルトリッチの『暗殺の森』のようだ。 青く美しい浜辺に打ち上げられ、波を受けながら沈黙する原田芳雄の屍。 その図は三十三年後にして痛烈な象徴性を帯びる。[ビデオ(邦画)] 7点(2011-04-10 19:43:09)《改行有》

758.  そして人生はつづく 3部作の第2部にあたる。大地震に見舞われた村(前作の舞台)をキアロスタミ監督が再訪する設定の中でフィクションとノン・フィクションが絶妙にせめぎ会うロードムービーの傑作。 大渋滞する幹線道路を父子の自動車が行く。車窓を流れていくのは半壊した家々、落石に押しつぶされた車、家財を背負い側道を歩く避難民。救急車両のサイレンやヘリのローター音の喧騒が生々しい。 同時にその被災の光景は引いたキャメラで捉えられるとき、混乱と悲惨だけでない大らかさと悠久の詩情をもまとう。同じく喧騒の音は、活気ある復興の槌音でもある。 村へ向かう車中、捕まえたバッタを逃がすよう父に叱られる息子が浮かべる何ともいえない表情や、優しい木漏れ日が揺れるオリーブ林の中であやされる赤子の無垢な顔、避難キャンプの水場で洗い物をする少女たちの可憐な佇まい、サッカーワールドカップ中継を受像するためのアンテナを懸命に立てている青年の笑顔、便器を持ち運ぶ老人の饒舌。 いずれもただ素晴らしく、失意と悲嘆を越えた生気と強かさに自ずと惹きつけられてしまう。 そしてラストの超ロングショットは象徴性が勝ちすぎながらも、やはり目を瞠る。 丘の上を目指し、遅々としながらも急坂を懸命に登っていく小型自動車の動きはキャメラからの距離に比例して人物との同化の度を増し、エモーションをかきたてずに置かない。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-04-08 07:37:00)《改行有》

759.  台北の朝、僕は恋をする 《ネタバレ》 夜の車道を縦移動で捉えるドライヴ感や、鮮やかな色彩感覚、椅子に拉致された男女のシチュエーションなどは、師の『カップルズ』へのオマージュといったところか。 ネオンを反射する濡れた街路の艶。夜市の賑わいや、地下鉄駅構内での追っかけのゲリラ撮影的な臨場感覚がいい。 カイ(ジャック・ヤオ)のトラブルに巻き込まれながら、次第に彼をリードしていくスージー(アンバー・クォ)。互いに淡い恋情を意識し始めながら、それを決して表出させないナイーヴな男女像を演じる二者が共に瑞々しい。 追われる側から、スクーターを駆って追う側へと転じるショット繋ぎの鮮やかさ。男を後部座席に乗せて運転する彼女がみせる凛々しい表情は本作の忘れ難いショットの一つだ。 彼を見送った後、一人朝方の部屋に戻り、逆光の窓辺でコップの水を飲む彼女の寂しげなシルエット。その引き気味の1ショットの情感もどことなくエドワード・ヤンの趣を淡く漂わす。 そしてエピローグの横移動がいい。自分を呼ぶ声に、流れる書架の合間から覗くアンバー・クォの固い横顔に次第に微笑が差していく。爽やかな再会のエンディングも『カップルズ』的だ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-04-03 19:04:16)《改行有》

760.  サーカス五人組 PCLに移籍してのトーキー第三作。成瀬作品には風物詩的に度々登場するチンドン屋(ジンタ)五人組が主役となる。 序盤中盤の楽隊行列やクライマックスのサーカス興業と、演奏も盛り沢山。 加えてアブラゼミ・ヒグラシ・鈴虫の音色など、夏の風情を醸す音も豊かに取り入れられていて、ロケーションの魅力と共に味わい深い。 そして素晴らしいのは、堤真佐子と梅園龍子が語り合う岸辺のシークエンス、同じく堤真佐子と大川平八郎が語りあう海辺のシーン。 それぞれ僅か数分にすぎない一対一の対話シーンなのだが、振り向く・腰を下ろす・横に並ぶ・顔を逸らすといった繊細なアクションが多彩な角度と位置から組み立てられ、的確かつ入念なカッティングで連繋されている。 梅園龍子が水辺に静かに腰を下ろす所作の美しさ。寄り添う姉妹の画面手前で静かに揺れている青草の情感。いずれも絶品のショットだ。 ラストの海岸沿いの一本道。見送り、見送られる二人の切ない切返しも陽光の明るさが二人を救っている。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2011-04-03 19:02:47)《改行有》

010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS