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881.  10話 デビュー作『パンと裏通り』から一貫して登場する曲がりくねった路地の情景。フロントガラス部に固定されたカメラが捉える運転席・助手席の人物の何気ない所作や表情が素晴らしいのだが、その人物の背景を目まぐるしく、あるいは緩やかに流れていく車窓外の変化に富んだ光景もまた、本作を「映画」たらしめる重要な要素といえるだろう。固定カメラゆえに、観る者は二重フレーム(カメラと車窓)外の空間的広がりと奥行きを常に意識せざるを得ない。また、時間や進路の変化によって様々に推移していく陽光・夜の繁華街のネオン光など、予期不能な美しい光が座席の人物に投げかけられ、奇跡的とも呼べる一瞬間ごとの表情の素晴らしさが画面上に掬い取られている。一見、極めてシンプルな構成でありながら、画面上の豊かで複雑な移動感覚と、スリリングな対話の活劇性とサスペンス性によって終始画面から目が離せない。[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-11-08 19:37:49)

882.  パンドラの匣 不整呼吸の固パン(ふかわりょう)を安静させる夜の場面、停電した道場の場面全般、看護婦長・竹さん(川上未映子)が床磨きをする薄明の場面など、薄暗い場面が単に薄暗く不明瞭なだけでことごとく見栄えしない。特に固パンを安静させた竹さんが小さく欠伸する横顔のショットなどは、主人公ひばり(染谷将太)が彼女に惚れ直す場面であり、何度も回想されるショットだけに尚のこと照明術を駆使して彼女の魅力を引き立てるべきだと思う。日中の窓外を青白く飛ばす趣向も、無意味に人物を逆光で潰す結果にしかなっていない。マア坊(仲里依紗)との布団部屋の場面に見られる特異なアフレコ効果や、独特の言い回しを用いたリズミカルな会話劇など、音声面での技巧への拘りは窺える一方、画面の、特に照明効果に関する無頓着が惜しまれる。エンディング・ロールの集団スローモーションはとても素晴らしい。[映画館(邦画)] 5点(2009-11-04 12:20:27)

883.  最前線物語 約2時間の劇場公開版も十分素晴らしいのだが、S・フラー監督の本来意図したと思われる約3時間のバージョン(スタジオによる再構築版)はカットされたショット・エピソードの大幅な復活と再編集によってさらに充実し、作品の深みを増している。元々が大戦中の断片的な挿話を積み重ねていくスタイルのドラマ構成にさらに複数のエピソードが追加された形だが、散漫になるどころか、逆に旧版では解りづらかった部分もより明瞭になり、「生き残る」という主題がより強烈に印象付けられるものとなっている。木陰で休憩する四銃士たちの会話。ドイツ側スパイとの攻防。『フルメタル・ジャケット』(1987)の先駆けともいえる古城での戦闘。リー・マーヴィンに花で飾ったヘルメットを少女が手渡す美しい場面の後に綴られていた残酷な顛末、、。埋もれていた印象深い断片の数々が加わることによって、戦闘/休息、大人/子供、悲惨/ユーモア、正常/異常、敵/味方、生/死といった諸相はさらに渾然とし、クライマックスである収容所の場面の静かな感動は間違いなく「短縮版」以上だ。 [DVD(字幕)] 9点(2009-11-03 18:34:16)《改行有》

884.  ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~ 戦中戦後の時代を背景として夫婦間の機微を描いたドラマは必然的に成瀬作品との親近性も感じさせ、それらは美術セットの再現力や、役者の存在感のみならず、並び歩き、振り返り、借金額、風・雨といったさりげない成瀬的なモチーフにも微かにうかがえる。面会室で遠くに響く汽笛の音、高架下の列車通過音、弁護士事務所の時計音、浅野忠信と広末涼子が心中を図る山中の水音など、静寂を意識させる微妙な環境音の演出が、単調になりがちな固定ショットにリズムを与え、松たか子の働く居酒屋や、列車車両の場面などに差し挟まれるガラス窓越しのショットが愛憎ドラマに客観的なバランスを取らせている。狭い台所・居間・客席の構造が面白い呑み屋(椿屋)のセットや、侘しさ満点の夜間照明、節度あるCGの利用法なども良い。 [映画館(邦画)] 7点(2009-11-03 18:33:10)《改行有》

885.  関の彌太ッぺ(1963) 《ネタバレ》 画面一杯の雄大な空とその下に小さく人間を配置した、開巻と終幕のローアングルが強烈に印象に残る。旅し、変貌し、裏切り、ひたすら移ろう人間と、その一方で移ろわぬ永続的で広大な自然の対比か。全編にわたって視覚化される「風」と「花」が主題として浮かび上がってくる。娘が恩人に気付く契機となるのも、旅人の語る台詞と同等以上に、10年経ても移ろわず旅人の面影と共に視覚化された白いむくげの花のイメージであろう。それだけに、ロケーションにも全く劣らないセット美術による草木の風物描写は傑出した仕事となっている。むくげの白との対比か、ラストの「一本道」の道端に咲く彼岸花の赤が切ない。[映画館(邦画)] 10点(2009-11-01 21:00:44)

886.  フライトプラン ヒッチコック自身が「映画術」の中でも「穴だらけのシナリオ」と語っているにも拘らず『バルカン超特急』が映画として傑出している要因は、列車という舞台の活かし方であり、キャメラワークであり、サスペンスの醸成であり、という映画的手法の豊かさにある。この「映画術」は示唆に富んで非常に面白い。ストーリーを語る事を重視しつつも、ストーリーには<らしさ>や<首尾一貫性>など無くてもよいということ。辻褄合わせよりも人物の動作や画面連鎖のリズム感を大切にすること。ミステリー(謎解き)ではなくサスペンスこそ肝要であること。説明台詞への依存によって、視覚的表現を疎かにすべきでないこと。『フライトプラン』はプロットのみでなく、こういったヒッチコックの映画術自体を範としているのであり、必然的にこのフィクション映画の主眼は瑣末な犯人探しやトリックではなく、母親のドラマとしてエモーションをどう喚起するかにあることがわかる。例えば、暖色系に色調を変え半逆光の美しさを活かした最後の場面では安易に台詞を持ち込むことなく、無言の情感を演出する。仮にここで社会規範に縛られた余計な「謝罪」の台詞などが入ればそれは単なる一義的な和解でしかなくなり、両者の間にある賞賛や自尊や畏怖、その他諸々の複雑微妙な交感のニュアンスが打ち消され、何の余韻もない貧弱な場面になるはずだが、この映画はそのような愚を犯さない。絶品のラストである。そしてWASPの抱く妄想という、いわゆる9.11報道の虚構性・欺瞞性に対する鋭い批評性はもっと評価されても良い。それはジョディ・フォスター起用の意義の一つでもあるはずだ。[映画館(字幕)] 9点(2009-10-27 20:40:21)

887.  第七天国(1927) 甘美なロマンスムード一辺倒ではなく、後半では第一次世界大戦での塹壕戦の描写なども手抜きがない。中盤の出征のくだりからは街路や戦場での大掛かりなモブ(群集)シーンが俯瞰気味で捉えられ、またかなり凝った特撮も組み合わされており大作の風格すら感じさせる。厳然たる戦場(地獄)に正面から向き合ってこそ対位的に強調される「天国」。その対比に関連するなら、恋人たち二人の身長差を始め、高層アパートや階段、地下水路といった舞台設定や台詞の中など随所に高低差が意識されており、見上げる・見下ろす・昇るといったモチーフに活かされている。下降―上昇―下降―再上昇という物語構造は現代なら宮崎駿監督なども意識して用いる普遍的な作劇であり、具体としての垂直方向の身体アクションが説話と融合することで、ドラマへの強い感情移入と感覚的高揚を可能にするのではないか。観念的な意味ではない、具体的な「上を見上げる」という行為の美質に溢れた作品である。[DVD(字幕)] 9点(2009-10-27 20:39:12)

888.  刑事マディガン 夜のニューヨーク市街を仰角で捉えた導入部から、夜明けの街路に立つリチャード・ウィドマーク達へと連なるアバンタイトルのムード感と、パースペクティブの活きた構図が生むリアル感。本編中のブルックリン、ブロードウェイ、コニーアイランド、イーストリバーといったロケーションの空間もまた奥行きが強調され臨場感に満ちている。雑然としながらも見事に活写された屋外ロケと、主人公宅の(不似合いな)カラフルな屋内セットとの対比も家庭不和を仄めかしており面白い。同一設定の黒澤明『野良犬』と同様、都市の情景や捜査過程の何気ないエピソードの積み重ねが素晴らしく、情報屋、ポン引き、酒場の主人らとのやり取り自体が主人公の優れた人物描写となっている。とりわけ、旧知の元ボクサーの通報による酒場の場面などは、結果的に人違いに終わり本筋には直接的に絡まないにも関わらず、ウィドマークの人間味を感じさせ非常に印象深いシークエンスだ。アクション場面自体は少ないものの、犯人役スティーヴ・イーナットがウィドマークの隙を衝き一瞬で形勢逆転するアクションや、警官に職務質問されたとたんに紙袋の陰から発砲するアクション、クライマックスの至近距離での銃撃戦など、スピード感と瞬発性がやはり見事である。[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 20:58:06)

889.  ハウルの動く城 街中を歩く主人公たちの後景では、様々な人々が往来している。実写でいうところのパン・フォーカスであり、そこでは物語とは直接的に関わることのない市井の一人一人が驚くべき細かさで描き分けられている。予算上・技術上・手間の問題から最も省略されがちなこうした「その他大勢の生物たち」のアクションにこの映画はひたすら拘りぬく。そうした手間をかけた動画だからこそ、映画最初期の「リュミエール工場の出口」の1ショットが捉えたような、世界を構成する豊かな要素(煙、風、雲、光、影、仕草)に気付かせてくれる。テレビアニメの功罪によって本来最も肝要であるべき動画の豊かさが軽視されてきた流れの中でこれほど徹底して人間の基本動作を高度にアニメートした作品は稀だ。劇中で「歩く」ことの大切さが語られるが、この映画は終始、様々な人々の様々な歩行・登行のアニメーションにもこだわりを見せる。それも一般的に枚数節約のために用いるリピート動画ではなく、その一歩一歩をこの映画は手抜き無く描く。終盤で、生きている大切な火を移動させるためにバランスを取りながら階段を慎重に下りるヒロインの動き、重い材木を懸命に運ぶ動きなどは絶品の職人技だ。「活き活きと人が歩く」それだけで映画が感動的足り得ることを最初期の映画やヌーヴェルバーグの映画群と共に宮崎映画は証明する。宮崎駿は「ストーリー・テーマ最重視、動画最軽視」が主流の業界の中でのあくまで「アンチ」として位置する。前作「千と千尋~」にも連なる明快なメッセージは、不可解なもの・異質なものに対して「わからない」と拒絶し他人に責任を押し付けることなく、その世界を受け入れ、順応し、積極性を発揮していくヒロイン像に打ち出されているはずである。[映画館(邦画)] 9点(2009-10-24 20:53:19)

890.  ストロベリーショートケイクス ルームメイトの二人が夜の屋上で会話している。二人のコミュニケーションのずれが遠景を横移動する上下線の電車灯の動きで明快に示されている。位置関係からタイミングまで絶妙だ。池脇千鶴がベランダのブランコから消灯する東京タワーに向かって語りかける場面の的確なタイミングも然り。ハムスターを埋葬している岩瀬塔子の背景の鉄道高架を走る電車に反射する夕陽の光線などなど、奥の情景にある機械的な光の運動に手前のドラマをあくまで自然に組み合わせていく緻密さ、芸の細かさは見事といってよい。発車寸前の電車デッキ内でのやりとりも臨場感に満ちて素晴らしい。各々個性的な携帯電話着信音や、各人各様の置き時計の機械音など、音の感覚も鋭敏かつ繊細である。[映画館(邦画)] 8点(2009-10-24 20:52:36)

891.  拳銃魔(1949) 走るキャデラックの後部座席に据え置かれたカメラがフロントガラス越しに進行方向の市街路と前席の主役二人の対話を捉える。路肩に駐車すると、運転席の男は右手の建物に素知らぬ風に入っていく。奥の角から警官が現れ、助手席の女は慌てて車を降り世間話で彼の気を引く。突然、男がドアから飛び出し、女は素早く警官を一撃する。警報が鳴る中、車を急発進させ逃走する二人、、。屋外の一ショットで銀行強盗の一部始終を捉えきった長廻しショットが実に圧巻である。人工照明のない即興風の画面感覚と、同時録音の臨場感によって描写はひたすら生々しい。長廻しによる静的な空間が警報によって一変し、主役二者の機敏な連携アクションが突発的に起動する。カメラは定位置のまま二人の主観に同調するようにフロントの光景が荒々しく流れすぎていく、その緩急の感覚と迫真性が素晴らしい。この後に展開する逃避行の場面はいずれもそのラフな疾走感がただならない迫力を生んでいる。広角クロースアップでひずんだ不安定な構図が合間合間に短く差し挟まれ、二人の顔面を狭いフレームの中に押し込める形の画面処理がまさに追い詰められていく二人の息詰まる閉塞状況を的確に印象づけていく。冒頭の過剰な雨と、それに対応するラストの過剰な朝靄の視覚的インパクト、一旦は別方向に別れた二人が車をターンさせ一台に乗り込むシーンの自然光線の鮮烈さと二人の表情なども忘れがたい。[DVD(字幕)] 9点(2009-10-24 20:25:22)

892.  戦艦ポチョムキン 随所で強烈な印象を残す、波間に揺れる光。亡くなった水兵を葬送するランチの場面に始まり、夕刻から翌朝にかけて推移していくオデッサ湾内の霞に煙る水面への光の反射と小船の影を映し出した画面はまさに印象派画家クロード・モネの『印象・日の出』そのままの美しさであり、「散り行く花」冒頭の霞がかった港湾のショットにも通じる美観である。また注目すべきは、戦艦を歓迎する市民のヨットの群れが水面をすべる爽快感。岸へと集まっていく群衆のロングショットの壮観。戦艦の砲撃による爆煙の迫力等〃。数え上げればきりのない画面の充実ぶりであり、「教養」以前に純粋な活劇として何度観ても面白い。滑落する乳母車の図に緊張してしまうのは、技法以前に単純に画面に漲る気迫とサスペンス感からだ。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」これは映画の政治宣伝的主題のみならず、個々のショットと作品全体の関係をも表した台詞といっていいだろう。それだけの強度を湛えた画面が全編に満ちている。[映画館(字幕)] 9点(2009-10-13 19:08:36)

893.  ブレードランナー/ディレクターズカット<最終版> 《ネタバレ》 全編を貫くのは「見る」という主題。人造人間識別機の画面に映る瞳、潰される目、眼球製造者、フクロウの目。画面の到る場所に様々な「瞳」が提示される。人間は識別機を通してしかレプリカントを判別できない(直接視覚の無力)。ハリソン・フォードがエレベーター内のショーン・ヤングに視覚では気付かない場面なども象徴的だ。これを画面上で補強するのが、闇の領域と蒸気・雨を大きく取り入れて視界を遮るノワール風照明設計である(ブラインド等の使い方も秀逸)。この映画はその盲目的人間が、目を閉じ頭を垂れたルトガー・ハウアーとの視線の切り返しを経て「開眼」(夜の闇から晴天への転換)するドラマともとれるだろう。ラストで対峙するルトガー・ハウアーの見開いた瞳は映画冒頭の「青い瞳」へと回帰し、その台詞「オリオン座の片隅で燃える宇宙船」「タンホイザー・ゲートの側で輝く星」が、映画のファーストショット(夜景と炎の俯瞰)と重なり直結していく巧妙な構成が非常に見事である。[DVD(字幕)] 8点(2009-10-12 21:09:17)

894.  土と兵隊 冒頭で西へ進む輸送船が立てる白波とオーヴァー・ラップして、上陸後の兵士たちの突撃をカメラは側面から捉える。その行軍の模様は全編一貫して画面右手から左方向へとなるよう厳格に構図が設定されており、その反復と一貫性は行軍の、ひいては戦争というものの単調さと過酷さをあえて執拗に強調しているかのようである。戦闘場面でもやはり、側面位置からあるいは部隊後方から画面奥方向への望遠のいずれかによって組織行動を客観的に映し出し、特定個人のドラマが大きくクロースアップされることはほとんど無い。注目すべきは小火器による地道な砲撃で家屋の外壁を徐々に突き崩していく様を克明に捉えたモンタージュであり、日中戦争自体を象徴化したものととれる。一方では人間たちが行軍する足元の草花や、休憩中に空を流れる雲、廃墟をうろつく動物たちの写実的な点描が戦争行為を相対化させ、映画は無常観すら漂わす。あくまで刻苦や精励に主眼を置き、安易なヒロイズムや愛国主義とは無縁の行軍描写は『五人の斥候兵』に対するルース・ベネディクトの指摘のように「反戦」的とすらいえる。検閲制度のさなか、時局への迎合に対しぎりぎり踏みとどまる田坂監督の矜持と誠実さを示す作品である。[ビデオ(邦画)] 8点(2009-10-11 20:10:54)

895.  ゴジラ(1954) この映画(1954年)のドラマパートは撮影:玉井正夫、照明:石井長四郎、美術:中古智、録音:下永尚、といった具合に成瀬組の主要スタッフが担当している。『山の音』、『晩菊』、『浮雲』と続く成瀬巳喜男監督の絶頂期と同時期の仕事である。円谷特撮を前面に出した空想SF映画に迫真性を与えた重要な要素の一つが、成瀬組による優れたスタッフワークであるといえるだろう。成瀬作品の特長の一つが緻密な美術セットとロケーションとの自然な融合にあるように、本作ではさらに加えて特撮場面との違和感の無い融合に各部門が大きな貢献をしている。ローキーで統一した照明設計。その中で映える、終盤の救護所に差し込む外光の美しさ。あるいは芹沢博士の洋館の中で不気味に発光する水槽の禍々しさ。美術でいうなら、成瀬作品でもお馴染みの二間続きの日本間、路地、オフィスなどの精緻な生活空間や、大戸島での残骸家屋の見事な造形。録音でいうなら、オフ空間を活かした足音の効果音の見事さ等〃。ドラマ部分の日常空間づくりに貢献した撮影所技術スタッフの優れた仕事があってこそ生まれた迫真の怪獣映画であるといえる。[映画館(邦画)] 10点(2009-10-11 20:06:10)

896.  市民ケーン 当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。 ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。 語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。 舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-11 14:27:54)《改行有》

897.  感染列島 キャスト数の無意味な膨大さは逆に誰一人として満足に人間を描写出来ず、舞台の散漫な広げ方は映画全体を弛緩させるのみ。冒頭の農村での無駄な説明台詞からして、早々と語るに落ちた冗長さ。余計な音楽の入れ方からして盛り上げたいらしい魂胆は十分伝わるものの、まるで情感の湧き上がらない恋愛ドラマとしての演出。深度が極端に浅く工夫も面白味もまるで無い、『雷魚』の監督らしからぬ構図、照明、カッティング。「映画内テレビ」が象徴するように、文字情報と必然性なきCG映像に頼りきった無味乾燥な画面。俳優の悪趣味な記号的絶叫演技。主題としても、画面としてもほとんど活かされることのない「りんごの木」や「東南アジア養殖問題」に明らかな、いわゆる社会派作品として見ても致命的に弱い問題提起力、etc、、、悪い面を挙げればきりがない。[映画館(邦画)] 2点(2009-10-10 21:52:36)

898.  野菊の墓(1981) 木下監督版との大きな違いでもあるクライマックスの花嫁行列の場面では、静と動・紅と白の対比を活かしたクロスカット効果と相俟って主題歌が一段と昂揚感を煽る。この当り、マキノ作品的な歌舞性が垣間見れる。特にロケーションに関しては時代環境的な要因からして絶対的に不利なリメイク作品だと思うが、綿摘みに遠出する場面をはじめとしてそうした制約を感じさせない開放的なロケーションと撮影が素晴らしく、尚且つカラー作品として色彩の美しさによって旧作にも負けない景観の魅力を引き出している。画面上のアクセントとして行灯や引き戸などを効果的に配置した屋内撮影や、場面転換の随所に挟まれる情景ショットも絶品だ。特に夕景の数々が素晴らしい。[DVD(邦画)] 8点(2009-10-10 21:48:41)

899.  サブウェイ123 激突 《ネタバレ》 『エネミー・オブ・アメリカ』においても、通過する列車の向こう側に渡る事でジーン・ハックマンとウィル・スミスが追手を撒く一場面がある。列車の車線を越えたとたん、二人は暢気に口論を始める。列車の流線が遮断する事で全くの別空間が現出する感覚。この映画でも、列車の車線を越える事が大きな意味を持つ。一旦、犯人グループと直接対峙したデンゼル・ワシントンは車線を越える事で彼らから逃れ、マンハッタン橋で再び車線の向こう側へ越える事でジョン・トラボルタと再び相見える。(中盤で一旦は出会う二人だが、同一列車内の二人は構図上、二つの窓枠(フレーム)で分離されている。また、終盤で車線を越えない警官たちは全く空間を異にし、彼ら二人に近づく事が出来ない。)その境界となる地下鉄列車は、トニー・スコット作品に特徴的なフレーム内メディア(各種パネルディスプレイや暗視スコープ、監視映像など)と通底しており、地下内の暗闇に浮かび上がる列車の明るい車窓はまさに重層的なスクリーン内スクリーン(映画)である。このメタファーは、エンディングロール後まで含め、列車の疾走がフィルム映写を模した形で頻繁に映し出されることで容易に仮定できるだろう。スクリーンという断面を越えることで始めて、実体と相見えるという『デジャブ』的主題がここでも反復されている。[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 21:51:23)

900.  PLANET OF THE APES/猿の惑星 《ネタバレ》 原作に忠実なプロットがもたらす、「マーズアタック!」同様の自国に対する痛烈なアイロニー。「奴隷解放の人格者」的側面だけが喧伝されるエイブラハム・リンカーンのもう一つの側面、(米国最大の内戦であり、米国型戦争の原型でもある)「南北戦争」の強面指揮官・戦略家としての姿とその功罪を考えたとき、劇中で強調されていた戦闘的なチンパンジーの凶暴さ・残忍さとシンクロするラストが戦慄すべきものとなる。最後に画面上に登場する猿人が、警察・マスコミ関係者であるという意味深さ。「イラク侵略」の元凶たる、公開当時の悪名高き大統領が歴代の中で最もリンカーンへの信奉を広言していたという皮肉。ティム・バートン監督らしい現代風刺だ。[映画館(字幕)] 7点(2009-10-07 21:38:51)

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