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プロフィール
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性別 男性
年齢 53歳

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101.  日本女侠伝 侠客芸者 《ネタバレ》 藤純子演じる芸者さん、威勢よく啖呵を切って見せたりもするけれど、さすがに「侠客」ってなことはなくって、それはどちらかというと健さんの役どころ。侠客&芸者、です。 無論、芸者さんなので、男性客をもてなしてナンボ、のところはあるのですが、一方で理不尽にははっきりノーと言い、それも常人離れした格闘能力がある訳でもなく、皆で力を合わせて相手の横暴に立ち向かう。かつてのウーマンリブ運動を見るようでもあります。 その一方、健さんはというと、こちらは弱小企業が悪徳大企業に押しつぶされようとするのに必死で立ち向かう、その先頭に立っていて。 いやがらせの数々を何とか耐え忍ぶも、ついに一線を越えて犠牲者が出たことから、健さんの怒りが爆発。このテの映画の定番、殴り込みとなる訳ですが、ここでもやっぱり、死地に赴くのは男であって、女の姿はそこには無い。男は気前よく死んでみせ、女はただ、芸者の身のままで悲しみに耐えるしかない、という、今見りゃ、ちょっと古風過ぎるオハナシで、フェミニストの皆さんからはブーブー言われそうな内容なんですけれども、でもラストで、悲しみに耐えつつも強く生きていこうとする、いや強く生きていかねばならないからこそ悲しい、そんな表情を湛えた藤純子が、イイんですねえ。鮮烈な印象を残します。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-11-25 21:46:53)《改行有》

102.  テキサス このテの役を演じさせるんなら、アラン・ドロンじゃなくってやっぱりジュリアーノ・ジェンマだろう、と思っちゃうのですが、きっと、ジェンマはマカロニで忙しかったんでしょう。アラン・ドロンがヒマだった訳でもないとは思うけど。 でも、暇つぶしに出演したんじゃないか、と言いたくなるくらい(あるいは、これこそジェンマにうってつけの作品だと言いたくなるくらい)、テキトーな映画です。 だから、見始めてしばらくは、こらアカンのちゃうか、とか思ってたんですけどね。 それがもう、見てるうちに、すっかりハマってしまって。いや、面白いんだこれが(笑)。 なにせ、展開が早いというか展開がデタラメというか、5分後にはオハナシがどうなっているかわからない、5分前にはオハナシがどうだったか思い出せない、という状況。 エロいとまでは言わないけれど、多少はお色気も散りばめていて、先住民の娘の着ている先住民服が、もう完全に、太腿の横にスリットが入りまくったチャイナドレス状態。こんなの、アリかよ。もちろん、アリです!? ディーン・マーチンとの噛み合わないコンビぶり、本当にどうでもいい四角関係、我々も負けてはならぬとウケ狙いに走るコマンチ族。ここまでデタラメでホントにいいのか?と思ってたら、まさかまさかのズバリと決まるラストのオチに、意表を突かれて。 いや、参りました。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-11-02 20:25:56)《改行有》

103.  片目のジャック かつてマーロン・ブランドとカール・マルデンが銀行強盗を働き、マーロン・ブランドのみが取っ捕まって、カール・マルデンは彼を見捨てて逃亡した。数年後、マーロン・ブランドは脱獄するが、向かった先で出会ったカール・マルデンは、保安官となっており、妻と義理の娘との3人で幸せに暮らしていました、というオハナシ。 だったらそれでいいやんか、何で結局モメてしまうのか、いまいちよくワカランような気もするけれど、よくワカランから面白い、ような気もします。 で、さらにマルデンの義理の娘とマーロン・ブランドが恋仲になってしまう、というドラマ展開。なんだかこうなってくると、西部劇というより、古代ローマとかを舞台にした史劇でも見ているような気分になってくる(ついでに「ムチ打ちの刑」なんてのが出てくるから、さらにその気分に輪をかける)。 この物語の題材が、西部劇に向いているのか、どうなのか。[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-10-03 17:00:47)《改行有》

104.  座頭市海を渡る 《ネタバレ》 座頭市、ついに海を渡る。って言っても、お四国に行くだけですけどね。国内旅行です。 おっ、邦衛さんが出てるぞ! とか、あばれはっちゃくの親父さんが出てるぞ! とか、色々と驚きがあるのですが、しかし何と言っても、脚本が新藤兼人。だから、と言ってよいのかどうか、とにかく何だか、変です。これこそが新藤兼人ワールド、なのでしょうか。 これまで大勢を斬ってきたけど、斬りたくて斬ったんじゃありません、どうかもうこのような事が繰り返されないように、と願掛けする座頭市。だけどそれをお願いする先が「金毘羅さん」。何となく、この神様の守備範囲を超えているような気も。 さらにこの後、八十八ヶ所を回る、とか言ってる座頭市ですが、本当に回っているような気配は感じられず、結局、金毘羅さん以外には四国を舞台にした理由も特に見当たらないのですが、それはともかく。 やはり自分の殺生を金毘羅さんに相談したのが筋違いだったのかどうか、座頭市が旅すれば、やはりそこには死人が出てしまう。残されたのは彼の馬と、座頭市。登場人物はなかなか増えず、物語が動き出す気配もまだない。一向にエンジンがかからない本作。いつもとはだいぶ雰囲気が違うなあ。 馬について旅する座頭市がたどり着いたのが、彼を襲った男の家。そこには妹がいて、紆余曲折の後、何となく二人はイイ感じに。うれし恥ずかし水浴シーンとか(別にエロい描写は何もないけど)、座頭市がめっきり「青春」してしまってるではないですか。こんなヒトだったのか、座頭市。 ついでに、シリーズ恒例の(今の観点では問題の多い)盲目ネタも、本作では、まるで初めて思いついたかのごとく、しつこく繰り返されて。新藤兼人は、これがシリーズものだということをわかってるんだろうか。わかってるからこその独自色、なのかも知れませんけれども。 悪役の親分格が、山形勲。ガサツで粗暴だということはわかるけど、そんなに極悪なんだかどうなんだかが、よくわからない。単なるガキ大将、ってのが正直な印象。 クライマックスでは当然のごとく、山形一味と座頭市が対決するのですが(オープンセットなのかロケなのか? 雰囲気よく出てます)、ここでまた妙なヒネリが加えられていて、「村人はみんな隠れてしまい、座頭市がひとりで戦うことになる」という展開。真昼の決闘の見過ぎ、ではないでしょうか。どうせ座頭市だから、ひとりで充分、敵が何人いようと勝つに決まってる。と我々は思うけれど、新藤兼人は思わなかったのか。 ま、脚本がそうなっている以上、座頭市も今回は若干、危機に陥ったようにも見えるのですが、ヒロイン、そこで大暴走。座頭市を見捨てるのかと村人を焚き付けまわった挙句、何を勘違いしたか、はっちゃく親父こと東野英心(クレジットは東野孝彦)が飛び出してしまい、案の定、一撃で殺されてしまう(オイオイ!)。 見てはいけないモノを見ちゃったような、後味の悪さ。座頭市は「よくやった」的なコト言ってるけど、いやいやいや。そういう問題では。 という、実に実にツイストの効きまくった、ちょっと困っちゃう作品でした。[CS・衛星(邦画)] 5点(2020-09-13 14:04:05)《改行有》

105.  ネバダ・スミス 冒頭いきなり、3人組に両親を惨殺され、そこから主人公の、やたらと回りくどい復讐の旅が始まる。というオハナシ。 主人公はどうやらまだ若者らしいのだけど、それを、30代半ばのスティーブ・マックイーンが演じてます(設定の倍以上ですかね)。ははは・・・。 だもんで、最初のうちは、どういうイメージで捉えてよいのやら、見てて戸惑う部分もあるのですが、しかしやっぱりこのヒトの、一本気というか、どこか思いつめたような印象は、役柄に意外にマッチしています。 復讐の旅に出かけて早々、いきなり無関係の3人に襲い掛かってしまうという、先の思いやられる展開。そこから主人公は、さまざまな人とめぐり合って。 一人、また一人と、復讐を果たしていくのが、物語の節目になってはおりますが、あくまで、主人公の「出逢い」の方に主眼が置かれていて、彼と出会う人それぞれが、物語の中で印象を残します。仇との再会すら、印象的。 そして、敵と対峙し、放たれる銃声。その重さが、胸に残ります。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-09-13 02:53:45)(良:1票) 《改行有》

106.  座頭市関所破り 冒頭、行きずりの男から手紙を託されたり、はたまた宿で女性と相部屋になってしまう座頭市。こういったエピソードがうまく絡み合っていき、剣豪風のライバルも1~2名ほど登場したりして、なんだかよく出来たオハナシのような気はするものの、その割にはピンと来なくって。 大映の「準主役級俳優の層の薄さ」みたいなものが、こういう映画ではどうも悪い方に出てしまいますね。座頭市以外がなかなか目立たない。あまり大映のイメージが無い平幹二朗がライバル格だけど、端正で行儀よく、そしてイマイチ目立たない。 そんな中で、上田吉二郎のダミ声が唯一、存在感を示していますが、このヒトも、大映映画だったらやはり、ガメラ対ギャオスの方が光ってましたかねえ。 ついでに、何のために出てきたのかワカランけれどとりあえずそれなりに目立ってしまっているのが、「青火がパーッ、ボヤがポーッ」でお馴染み、ダイラケ師匠。ただしストーリーにはあまり絡まない、単なる賑やかし。 という訳で、せっかくのよくできたオナハシの割には、どうもチグハグな印象。ラストの殺陣も、もう一息盛り上がるかと思ったらいきなり終わっちゃうので、なーんか、不完全燃焼。[CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-31 21:02:45)《改行有》

107.  水戸黄門 助さん格さん大暴れ 本作はちょっと意表をついて、若き日の助さん格さんが黄門様と知り合って弟子入り(?)するオハナシ。ラストを見てると、ここからまたシリーズが始まっていきそうな感じもあるのですが、後が続かなかったようで、結果的には、月形黄門様シリーズの番外編みたいな位置づけ、でしょうかね。 助さん、格さんはそれぞれ松方弘樹、北大路欣也が演じていて、若さ爆発、元気溌剌、息の合ったコンビぶり。見方によってはちょっと、昨今流行りのBLモノか?とも思えてくるのですが、もちろん、そんなススんだ映画ではありません。 藩の登用試験におけるカンニング騒動など、単細胞のふたりがタイトル通り大暴れする映画ですが、それを支えるべく、あちこちのシーンでエキストラを大量に動員したりして、東映時代劇らしいスペクタクル感も感じさせます。 さらにはミュージカル仕立てのシーンまであったりして、娯楽要素には事欠きません。 それにしても、月形龍之介演じる黄門様、普段は優しく、時に厳しく、まさにバツグンの包容力で、これぞまさに理想の上司像ナンバーワン。かどうかは知りませんが、若き助さん格さんとのやりとりには、なかなか味わい深いものがあります。[CS・衛星(邦画)] 6点(2020-08-29 10:01:22)《改行有》

108.  さいはての用心棒 映像が安っぽいとか何とかいう以前に、カットが切り替わるたびに映像の色温度が激変したりして、見てて途轍もなくイヤな予感がしてくるのですが、まあ、その割には、面白い。いや、それでもなお、面白いんです。 南北戦争を背景に、陰謀劇みたいなのが描かれていて、例によってジュリアーノ・ジェンマ演じる主人公が大活躍するワケですが、彼のアクションスターとしての身のこなしはやはり、さすが、と言えるものがあります。持ち前の運動神経で、中盤の乱闘シーンでは宙返りなんぞも披露して、ここまでくると完全に浮世離れしておりますが、ジェンマだからこそ許されるのです。 マカロニウェスタン恒例(?)の見せ場のひとつに、主人公が敵につかまってリンチにされる、ってのがありますが、本作ではなんと、炎天下に放置されてメダマを目玉焼きにされてしまう、という奇抜な拷問が登場。顔に変な網をかけられての放置プレイ、ジェンマの端正な顔立ちが、顔にかけられた網のせいで「オマエ一体誰なんだ?」と言いたくなるブサイク顔になっていて、これは必見と言えましょう。 クライマックス、彼は果たして北軍と南軍の激突を阻止できるのか、そして陰謀の行方は。ジェンマの協力者となるジイサンの存在も忘れ難く、なかなかの盛り上がりを見せます。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-29 09:31:29)《改行有》

109.  新・夕陽のガンマン/復讐の旅 もちろんセルジオ・レオーネ作品とは何の関係もない、「なんちゃって邦題」なんですけれども、とは言え本作もしっかり、ユナイテッド・アーティスツ提供。それより何より、リー・ヴァン・クリーフが出演。これ、重要。この人相の悪さは、ホント貴重です。 かつて、目の前で家族を虐殺された少年が、大人になって銃の達人となり、復讐を果たそうとするのだけど、彼の前に、彼と同じターゲットを狙う謎の男が登場する。という、一種のダブル主演状態の映画なのですが、マカロニといえばやっぱり主人公が敵にとっ捕まってリンチされてナンボ。という訳で、この二人それぞれに「とっ捕まってリンチ」シーンがある、というのが何とも律儀。のみならず、そのとっ捕まり方というのが、不意に床が割れて落とし穴に落とされる、という、スペクターの基地みたいなシステムだったりするから、うれしくなっちゃいます。あるいはとっ捕まった後、首だけ出して地中に埋められる、という実に情けない姿。これもうれしくなる。 で、この主役二人が微妙な距離感を保ちながら共闘し、クライマックスでは敵の一味と、プチ戦争映画みたいなちょいとダイナミックな銃撃戦を展開。さらには「さすがにちょっとやりすぎ?」な、猛烈な砂嵐の中の死闘から、やがて砂嵐が収まった時、ついに運命の対決へと。 バカバカしさも含めて、見どころ満点。こんないい加減な邦題の作品にも時々「当たり」がある、という良い例。いや悪い例。[CS・衛星(吹替)] 8点(2020-07-06 21:28:19)《改行有》

110.  待つなジャンゴ引き金を引け 叔父と妹が暮らす故郷の家に、久しぶりに姿を現した男、ジャンゴ。・・・って、だからジャンゴって一体誰なのよ。とにかく例によって例のごとく本作の主人公も、ジャンゴなのです。逆にこのタイトルで、もしジャンゴでなかったら、ビックリしますけども。 ジャンゴが帰ってきたのは、悪党どもに命を奪われた父の、復讐のため。銃を持ち出したジャンゴは仇の姿を追いもとめ、悪党どもを次々に抹殺。で、映画開始30分もせずに無事、復讐を果たすのでした。 もちろん映画がこれで終わる訳もなく、ジャンゴの動きがいささか派手なもんで、次の波乱を呼びおこすことになる訳ですが。 本作でまず驚いたのが、ジャンゴの家には屋根がない? 家の外見を見ると、屋根はちゃんと存在してるみたい、かつ、屋根付近には明かり取りの隙間らしきものがあるみたい、なのですが、特に映画中盤、家の中のシーンでは、屋内全面に燦燦と日光が降り注ぎ、もはやコレ、「明かり取り」などというレベルではありません。確かに屋根無しのセットで撮影すれば、照明の手間が省けて、なかなかのアイデア(笑)だと思うのですが、まず見た瞬間に、「げげっ、こりゃ雨が降ったら大変だ」と直感的に感じてしまうのは、どうにもトホホ。 あと、ジャンゴの早撃ちを始めとするガンファイトが見どころ、ではあるのですが、ヤラレ役の連中の「撃たれる演技」がどうにもヘタクソで、撃たれた瞬間、大仰に両手を挙げてみせ、どっちかっていうと、撃たれたというよりは、一斉に感電か何かをしたような。まあ、「ヤラレました」という事は充分に伝わる演技ではありますが。 復讐するジャンゴに対し、協力者がいて、敵役がいて、続出する死体にボヤく棺桶屋がいて、と、何となく一通りは網羅できている感じもありますが、あくまでそこまでの作品、といったところ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2020-05-30 09:28:22)《改行有》

111.  座頭市鉄火旅 《ネタバレ》 仕込み杖の刀に寿命がきて、もうあと一人切ったら、折れてしまう、という設定が、劇中で無闇に殺陣を演じることへ制約を与える一方で、シリーズに新たな色合いをもたらしています。刀の秘密を知るのは、座頭市と東野英治郎演じる刀匠、ただ二人。周囲は「これがあの座頭市か」と一目置いておべっかを使いまくり、しかし実際にはあの刀にはもはや頼れない、という、何とも言えない居心地の悪さ。 一方で、悪玉の親分がしゃべろうとするのを、マッサージ中の座頭市が首を振り回してマトモにしゃべれなくしてしまう、なんていう悪乗り気味のギャグをかましたりもして。 東野英治郎との関係も作品に微妙な変化を与えていて、座頭市は彼のことを信頼しているようだけど、ホントに信じていいのかどうなのか。「これは師匠の作だ」とか言って仕込み杖を借りたはいいけど、もしかしてそのままパクろうとしてるんじゃないの、とか。でもこれがしっかりと、重要な伏線になっている。 クライマックスでは、新たな剣を手に、ここまでのうっぷんを晴らすかのようにダイナミックな殺陣が繰り広げられます。本作の音楽は、伊福部昭ではありませんが、怪獣映画のような音楽をバックに、ノシノシと路地裏に踏み込んでいく座頭市の姿は、迫力ありまくりです。[CS・衛星(邦画)] 8点(2020-05-06 17:41:55)《改行有》

112.  豹/ジャガー コルブッチ監督には『続・荒野の用心棒』ってな邦題の作品がありましたが、そのセンでいくと、本作は『続・夕陽のガンマン』とでも名付けるべきですね、闘牛場での決闘シーンでは、円形の舞台に3人が睨み合う形となって、臆面もなく夕陽のガンマンのシーンをそのまんまパクってます。でも残念ながら、続・夕陽のガンマンという映画はすでに存在しているので、『続・続・夕陽のガンマン』とでも名付けるべきですね。なにせ、続・夕陽のガンマンみたいに、円形の舞台で3人が睨み合うもんね。ははは。 実際、本作の背景には革命が描かれていて、そういう激動の時代の中での決闘、という点でも、続・夕陽のガンマンを思わせるものがあります。ただし、チンピラみたいな軽いノリの革命家と、フランコ・ネロ演じる凄腕ガンマンとの奇妙な友情が物語の中心で、敵方の用心棒ジャック・パランスと戦う、という、比較的ストレートなオハナシには、なってます。だけど、この三者がそれぞれに一癖もふた癖もあって、物語に起伏をもたらします。 ジャック・パランスの髪型(いかにも似合わないパーマ)は、どうなのよ、と思いつつ、さらには何でこんな映画のこんなシーンで素っ裸にされてるんだよ、と思いつつ、それでも敵役としてはなかなかの貫録。 彼に刺客として任命された男の後ろで、別の男が農作業用のフォークを作ってて、刺客の男からカメラがそれると、男の悲鳴が聞こえ、フォークを腹に突き刺されて絶命した男の姿がカメラに捉えられる、などという、若干アホらしい見せ場も楽しいし、上述の「円形の決闘」がクライマックスかと思わせて、物語はそこで終わらずにさらに見せ場を作るのもまた楽しいところ。 出色のマカロニ・ウェスタン。パクリ的な部分も含めて。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-05-06 16:53:07)《改行有》

113.  あゝひめゆりの塔 映画開始早々の運動会シーンで、登場人物たちの顔立ちも話し言葉も、その他何もかもが「こりゃ沖縄じゃないよなあ」という感じなのですが、製作は1968年、まだ沖縄が返還される前ですから、仕方ないっちゃあ、仕方ない。というよりも、女子学生の運動会に何とか忍び込みたい男子学生たち、それをたしなめる吉永小百合、なんていう日活青春テイストが、映画を観る人々と登場人物たちとの距離感を縮めるのには確かに必要なのかも知れませぬ。だから、冒頭の渡哲也にわざわざ釘を刺されるまでも無いだろう、とは思うのですが。 という、まず馴染み深い日常があって、戦火が近づきつつあることをナレーションが解説しつつもその実感はなかなか湧かないのですが、次第に不穏な空気が流れるようになり、やがて日常は、過酷な戦場へと変化していくことに。米軍による攻撃の描写が、いろいろ違和感を感じさせる部分も多いのですが、少なくとも、「日活青春路線の映画がここまでやるか」と思わせるだけのものはある、激しい描写になっています。一方で、吉永小百合は清純派でなければならず、清純派は演技がクサくなくてはならぬ、みたいなこの感じは、ちょっとどうなんでしょうね。むしろ「表に出さずに堪える」ことが感情表現につながる場合もあると思うのですが。 最初の方で、男子学生の列と女子学生の列が、それぞれ別の歌を歌いながらすれ違う場面、異なる歌が重なりつつ、さらにそこにセリフまで重なって、映画的なポリフォニーになっているのですが、その後も、卒業式の場面で「仰げば尊し」の歌声と砲声が重なったりとか、切断された手足が砲撃で飛び散った中に花が咲いているとかいった対比が織り込まれており、「平和vs戦争」という対立軸を強調しています。そういう意味では、戦争映画と青春映画とが本作の中で必ずしもうまく混ざっていないこと自体が、作品の欠点もありながら、一方では本作の独自性にもなっているように思われます。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-03-08 12:42:23)《改行有》

114.  夕陽の用心棒 ジュリアーノ・ジェンマが何本のマカロニに出演しているのかも知らずに途轍もなく無責任なコト言うのですけれども、これはもしかして彼のマカロニ最高傑作ではなかろうか、と。所詮、ジェンマ的な最高傑作、という枠組みですけれども。 邦題のテキトーさも、作品によく似合っています。レオーネ作品の邦題の繋ぎ合わせ。 銀行強盗の一味が人質をとって立てこもり、そこで動員されるのが、牢屋に放り込まれていた凄腕ガンマン、ジェンマ。強盗一味がまるでお遊びのようにいちいちムダに無辜の人々を殺しまくる残虐な連中なら、ジェンマもまた、絡んできたチンピラ連中をまるでお遊びのように殺しまくって牢に放り込まれている。どっちもどっち、人の命を屁とも思っていないようなところがあって、後ろめたさを伴う小気味よさ、みたいなものを感じてしまうのですが。で、悪党どものあまりに悪辣な暴虐ぶりに、少年が目をそらし涙すると、軽薄極まりないジェンマがこの時ばかりはマジメな顔になって、泣いている場合じゃないだろう、みたいなコトをささやいて見せる。この主人公、ケーハクの極みみたいに見えても実は何か暗い過去を持ち心に傷を負ってるのか。それとも本当にケーハクなだけなのか。だってジェンマだもんね。 という、無責任型潜入捜査官みたいな主人公の活躍を描いていて、さらには人質となった銀行の頭取(?)と犯人一味の女性とがラブラブになる無責任な展開もあったりして、実にスバラシイ無責任さが展開されつつ、でもやっぱりこの主人公には何かが「ある」のではないかと、ホンの少しだけ感じさせるのが、ジェンマ作品のジェンマ作品たる所以、と言えましょう。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-02-29 02:40:44)《改行有》

115.  祇園の暗殺者 近衛十四郎というヒトは、いつも暑苦しい程に自信マンマンの表情を浮かべている印象があるのですけど(表情というより、もはや「自信」が顔の一部になっているかのような…)、別にいつもいつもそういう訳ではない、というのがこの映画。 時は幕末、京の街では彼を始めとする浪士たちが、血も涙もない人斬りを繰り返している。で、今日も首尾よく(?)、ターゲットの家に乗り込み、見事仕留めたはいいけれど、押し入れの中に不穏な空気、戸を開けてみるとそこには、恐怖と驚きに顔を引きつらせた子供の姿が。で、この映画、何がポイントかといいますと、このシーンの子供の顔が、完全に「呪怨顔」なんですね。バッチリ時代を先取りしてます。この呪怨顔を見てしまったら、さすがの十四郎フェイスも曇ろうというもの。以降、主人公は罪の意識に捉われたか、ときに殺人の幻影に悩まされ、何かと調子が出なくなっていく。そして彼に訪れる暗い運命。 終盤の、狭く入り組んだ京の路地を舞台に繰り広げられる追跡劇が見どころで、ついには鴨川べりと思しき水辺に追い詰められるのだけど、それは作品の中盤でも描かれた暗殺パターン。因果はめぐる、といいますか。 人斬りがテーマながら必ずしもチャンバラに重きを置かず、代わりに呪怨テイストを絡めてきたのが、ちょっと異色な時代劇でした。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-02-22 03:41:41)《改行有》

116.  ミネソタ無頼 どういう作品かというと、(1)主人公は勿論、凄腕ガンマンである(らしい)。(2)主人公は刑務所に入っているが勿論、無実である。(3)勿論、脱獄する。(4)主人公が向かった先には勿論、悪党どもに苦しめられている町がある。さらに嬉しいコトには、悪党どもに立ち向かう保安官もまた、悪徳保安官なんだってさ。(5)これは「勿論」とは言い難いのだけど、主人公は目を病んでいて、失明しちゃうかも。(6)さらに「勿論」とは程遠いのが、この主人公、実に実にパッとしないフツーのオッサンなんです。いや、馬に乗ってる姿は結構、サマになってるんですけどね。でもとにかく、風貌があまりにも凡人然としていて、とてもマカロニの主役とは思えません。 別に男前でなくっていいんですよ、リー・ヴァン・クリーフみたいな顔のヒトもいますから。でも、凡人顔ってのは、イケマセン。 ま、それはともかく、悪党と保安官の対立はついに佳境を迎え、その勝者がクライマックスで主人公と対決する、という寸法。ヒーローがトーナメントのシードなんですね。実に横着です。しかし主人公は目を病んでいる訳ですから、勿論、肝心なところで目が見えなくなってしまいます。目が見えなければ暗がりで戦え、ってのがセオリー。『暗くなるまで待って』の先駆けみたいですな。さらには、この対決の場では「音」が重要な役割を果たしていて、なかなか心憎い。 いや、本来なら「なかなか心憎いシーン」のハズなんですけど、やっぱりここで主人公のダサさが足を引っ張ってしまい、せっかくのシーン自体もダサくなってしまってるのが、つくづく残念です。いや、演出の方の問題のような気もするけど。[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-02-03 20:23:32)《改行有》

117.  森の石松鬼より恐い 「森の石松」の舞台演出に悩む演出家が、ある日タイムスリップして石松本人になっちゃう、というSF超大(?)作。 という訳で、演出家役の錦之助がカツラ無しで登場し、なかなかレアです。しかし錦之助、時代劇カツラをかぶっていないと、結構、フツーのおっさんで、こんなにもオーラが無いのかと。いや失礼。 それが、目が覚めると自分が森の石松本人になっていて、その事実を飲み込むまでがドタバタの連続。そのネタでここまで引っ張るかと思うくらい引っ張るのですが、この石松ワールドの配役が、冒頭の現代のシーンと被っているせいで主人公も混乱する、ってのがどうにも可笑しく、ああ、あのヒトがこの役で再登場するのか、と大いに楽しませてくれます。そんじゃあ寿司屋の大将・鶴田浩二もきっとどこかに再登場するよね、と期待していると、まあ再登場はするものの、これはちょっと肩透かしですが。 とにかくこの前半の引っ張りで、主人公が簡単にこの世界に入り込めない、ってのがあるからこそ、あれやこれやの事件に巻き込まれ、彼自身も「石松」としての自分にめり込んでいく後半が、冴えわたるんですね。ただのドタバタに終わらず、クライマックスではしっかり、森の石松譚を堪能させてくれます。 例によってというべきか、屋外ロケシーンとスタジオセットシーンで、あまりに声の響きに差があり、これ何とかならないもんですかね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-01-25 03:06:08)《改行有》

118.  殺しが静かにやって来る 《ネタバレ》 マカロニとかスパゲッティとかいう西部劇のタイプとはだいぶ印象が異なって、雪に囲まれた町と山岳地帯が舞台。音楽もノリのよいマカロニ調ではなくって静かなものが多く(酒場ではショパンが流れてます・・・?)、抒情的です。むしろ、もはやオカルト映画のテイストに近いかも。ときに、大胆な、というか、乱暴な、というか、単に「雑な」というか、そういうカメラワークが、どこかオドロオドロしい雰囲気にも繋がってますし、やってることも結構エゲツない。実際、保安官が馬車の窓から外を見たらそこに逆さ吊りの死体の顔、なんていうシーンは、犬神家もビックリです。 オハナシの方は、途中までは正直、よくワカラン。っていうか、一体誰が主人公なんだよ、と。誰がと言えばそりゃ、トランティニャンなのでしょうけれど、そもそもの印象が強くない上に、役どころはサイレントサムライならぬ、サイレントガンマン。セリフが無く、出番も多くなく、さらに印象が薄くなっちゃう。敵役の方がむしろ、クラキンみたいな強烈な人相で(←本人です)存在感を示しまくってます。しかし、どんなに女優の顔が怖くっても物語の中心にいればそれはヒロインなのであり、ヒロインとラブシーンを繰り広げてそこにとってつけたように情熱的なBGMが被されば、残念ながらこのトランティニャンが主人公なんだろうと認めざるを得ないわけです。 とか何とか、ボロクソ書いてますけれど、物語の進行とともにちゃんと焦点が結ばれていくのは、さすが(カメラの方は、ときどき焦点がボケてますが・・・)。人質をとった敵が待ち受ける死地へ、ひとり赴く主人公。この場面、ヒロインが敵の伝言を主人公にまるまる伝えた上で「これは罠よ、行かないで」などというくらいなら、そもそも伝言を伝えるなよ、と言いたくなるのですが、まあこれは、こんなヒロインと結ばれてしまった主人公が不幸だった、ということで。 まさかまさかのラストです。いや、まさか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-01-12 09:49:07)《改行有》

119.  荒野のみな殺し マカロニウェスタンもピンキリありますけれども、本作は、おそらくは底辺に近いところに位置するであろう、愛すべきポンコツ作品です。とにかく全体的に素人臭い演出で、緊張感もヘッタクレもなく、銃を構える姿などもまるでサマになってません。何でしょうね、この映画全体に横溢する手持ち無沙汰感は。唐突に泣き叫ぶ女性が登場した瞬間など、見ててつい笑ってしまいました。 映画冒頭において、主人公の父親が殺害され、要するに復讐譚のハズなんですが、そこにはあまり重きが置かれておらず、仇の手がかりを探すうちに、悪党どもに苦しめられている町のために戦うことに相成るという、七人の侍の手っ取り早い版、みたいな展開になります。一応、物語は仇討ちへと(これも手っ取り早く)軌道修正されるし、それなりに紆余曲折もあるのですが、なにせこの、すべてにおける、サマになってなさ加減。微苦笑抜きには、見られません。 ちょっと変わったところでは、威勢のいいシーンで威勢よく流れる音楽が、なぜかドボルザーク「新世界より」のスケルツォのテーマ(っぽい。引用?パクリ?)なんですけど、なんででしょうね。[CS・衛星(字幕)] 4点(2019-12-15 11:11:40)《改行有》

120.  ロミオとジュリエット(1968) 戯曲を読むと正直、たいして面白くもない「ロミオとジュリエット」ですが(単に、新潮文庫のシェイクスピアで唯一、あの独特の福田恆存節を楽しめないから?)、こうやって映画にすると何だか引きつけられてしまうのは、 「ええい、この、若いモンがいつまでもイチャイチャしやがって」 というイライラ感で、退屈する暇もない。ってヤツですね。まったくもう。 ウェストサイド物語の原点、あるいは「タイタニック」の原点と言ってもいいのかな? 本作の、あの二人が相手の存在を初めて知るダンスのシーンなんかを見てると。 それにしても、ジュリエット役のオリビア・ハッセーが、もう呆れる程に美しくって、彼女が登場した瞬間、息を呑んでしまう。そういう意味では本作、彼女の「出オチ」みたいな側面がありますけれども。それにしても彼女はどうして、あんなロミオに一目ぼれしちゃうんだろうか。特に布施明に似てる訳でもないと思うんですけどねー。 趣きのある古い町並みでのロケ撮影が、よく雰囲気を出していて、イタリアが舞台の物語ですがシェイクスピアということでセリフは英語、でも作品自体はイタリア映画クサさがプンプン匂ってきます。 そしてあの有名なテーマ曲。ジュリエットのテーマといえばプロコフィエフで決まりかな、と思いきや、それを超えるお涙頂戴メロディをニーノ・ロータが提供し、映画の印象を深めています。 それにしてもラストの方で、オリビア・ハッセーの死に顔というのか仮死顔というのかがやっぱり美しくって、ああ、スペースバンパイアも彼女が演じてくれていたらなあ、などと思うにつけ、トビー・フーパーの人徳の無さみたいなものが悔やまれてしまうのですが(なんのこっちゃ)。[CS・衛星(字幕)] 8点(2019-11-16 10:00:17)《改行有》

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