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年齢 43歳
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101.  緑の光線 終盤出てくる「LA RAYON VERT(緑の光線)」の看板。思わず「おぉ」と声が漏れてしまいました。ラストは是非見ていただきたい。ロメール映画は食わず嫌いでしたが甘かったです。北欧から男目当てでフランスにきたブロンドの女や、主人公を慰める女友達とその家族など、ネタも存分にあふれてるし。この映画に限らず、彼の映画での登場人物たちの会話のやり取りは、リズムも間も天才的。そんな中でも「緑の光線」は特に好き。[映画館(字幕)] 10点(2006-06-02 20:57:55)

102.  永遠<とわ>の語らい 「永遠の語らい」はその上映時間の約9割がヨーロッパ文明の賛美に費やしている。それが母と娘の対話でもあれば、知性ある熟女たち(なんだかいやらしいね)と船長マルコヴィッチとの多言語コミュニケーションの中でも繰り広げられる。最初の10分ぐらいの様子からして奇妙、ストーリー性はまったくゼロ、観客はひたすらに観光ガイドになりすました登場人物たちの説明に耳を傾ける。眠くなるのは当然だろうが、この映画に関しては眠るのがなんだか怖くて、つまり何かが起こることが前提になるような箇所が何気なくあらわれてくるのである。そして大抵は目を丸くするであろうラストは、そのラストが前提なのだとすれば9割を占めた会話は全部壮大な皮肉、ということになる。ってそんなことは見ればすぐわかるのだが、これだけ徹底的に説明風紀行がなされると、文明の衝突の構図が明確に見えてくる。そして、テロはもはや大昔から行われてきた戦争の文法では解くことが出来ない新たな破壊の形として浮き彫りになる。その意味で衝撃度は抜群にあるが、大きい音も静かに聞こえてしまうぐらいの静けさに独特の雰囲気をも感じた。なんにしても不思議な作品である。[映画館(字幕)] 10点(2006-06-02 20:56:35)(良:2票)

103.  キング・オブ・コメディ(1982) BSでたまに放送しているハリウッドスターのインタビュー番組で偶然にスコセッシが出演していて、「太陽は好きですか?」と聞かれて「大嫌いだ」と言い、「じゃあ南の島なんかも?」と続くと「気が狂ってしまうよ!」(ヤヤ誇張アリ)。これ聞いてスコセッシが好きになった。しかもこの時スコセッシはスゲーいい顔してた。非生産的な人間は手加減を知らない。ちょっとでも方向を間違ったらヤバイ。このエネルギーがスコセッシ映画では美学になる。抑えの利かない屈折したエネルギーが「タクシードライバー」のトラヴィスを創り出し、「一夜の王」ことパプキンを創り出した。どっちも根底には同じ人間性を抱えてるが、パプキンの狂気はより複雑に表現されている。それは笑いと狂気と恐怖が「一緒くた」にされている感じに近い。いや、この3つはある条件では同義ともいえる。戦争映画はこの条件に一番あてはまるだろう。例は挙げるまでもない。ホラーは笑いという意味ではちょっと薄いがあてはまるものはたくさんある。で、スコセッシはコメディの中にこの3つをあてはめた。結果的に芸能界というヤクザな世界とスコセッシの負の力は怖いぐらいに調和し、デニーロはやっぱり天才だった。それにしても、オスカーに焦がれたスコセッシが大作ばかり作るのも、この「キング・オブ・コメディ」の延長線上にある事なのかもしれない。[DVD(字幕)] 8点(2006-06-02 20:55:36)

104.  カナリア 過剰な言葉。ハンディカメラを多用して疾走する子どもを追う。現実には口に出さないような弁論的な言葉を発し続ける人物たちが現実とは違うもう一つの世界へと連れて行く。それはどこなのか、と聞かれたら「別の世界」と言うしかない。もう少し具体的に言うなら、「もっともらしい場所で、もっともらしいことを喋り、もっともらしい行動を取る世界」つまり非現実の世界だろう。映画が虚構であるという事実は、ここまでしないともはや伝えることができないのかもしれない。塩田監督が創り出した世界はラストの向井秀徳の自問自答に至るまで素晴らしかった。それは新興宗教に顕著にみられる組織と教条とを、国家の相似形として表現した世界だ。宗教集団の白のイメージやとめどない緑色の流出といった色彩感覚がその世界をさらに極端にする。徹底してフィクションを作ることに努めた彼の方向性こそ大正解だと思いたい。過剰な言葉の森を抜けるのに必要なものは言葉にはならない「何か」だろう。この「何か」は、「繋がれた手」と「疾走」が全てを表している。主人公の光一がバットで車を壊す。由希が男に手錠をかけて車から出る。二人は殴りあう。後ろからクラクションが聞こえたと同時に二人は手をつなぎ走って画面から消える。このシーンこそ「カナリア」をよく象徴している。手が繋がれた瞬間だけ、異様でグロテスクな教義に包まれた世界は消失する。それでもまた離れて・・・・でも最後は繋がる。あらゆる悲しみを受け入れて劇的な変化をした少年を前に、もはや言葉も言葉をなくす。全ては「生きてく」に辿りつく為。[映画館(字幕)] 8点(2006-06-02 20:52:03)(良:1票)

105.  オールド・ボーイ(2003) 映画は理解するのではなく感じる事が大事だ、と言ったときの映画には抽象的な難解映画しか指定されていないようだが、どんな映画にでもこれは言える。もしウジンの復讐のモチベーションが誰にでも納得できるものだったなら、この映画は失敗していたはず。観る側はそれによって安心して楽しむ事ができ、それはつまり何の毒も持たないつまらない映画に違いないからだ。わからないからこそ面白い。75日も経てば消えるはずの噂がもたらした悲劇と15年という死刑にも等しい悲劇を比較することに果たして意味はあるだろうか。ミドも映画を観る側と同じように、セリフの中で「それだけで15年も?」と言っているが、こういう一般論が崩されるのを目の当たりにする事こそ映画の醍醐味では、と思う。そのミドが一番残酷な運命を背負わされ、しかも本人がそれを知らないという重すぎるラストは全てを一周してリアルでさえある。結局オ・デスとウジンという「ありえない存在」がこの映画の根幹にあるということだ。この映画のモチベーションは「ありえなさ」に全て注がれている。監督や役者の想像力はそれだからこそ凄いとしか言いようがない。復讐という意味ではこの監督の前作「復讐者に憐れみを」の方が強烈だろう。だが、この映画では想像力が圧倒的なのだ。そして想像の先にあるリアリティ。これぞ映画。最近発売されたDVDで鑑賞するのもいいが、この映画の音は映画館でしか味わえないだろうから、是非映画館へ。[映画館(字幕)] 8点(2006-06-02 20:51:12)

106.  麦秋(むぎのあき) 《ネタバレ》 超傑作。貧しい人々が集い、共同体となって農場を経営するという社会主義的な側面をもつこの映画は、大手スタジオが金を出し渋ったため結局自宅を抵当に入れて独力で作っただけでなく、発表後もその危険(?)な思想により批判を受けたらしい。この映画のどこが危険なのか、さっぱり分からないが、この映画が煙たがられるような時代は確かにあったんだろう。アメリカという国家が自由だと思ったことはないが、この偉大なアメリカ映画は限りなく自由である。ラストで、荒れた大地にぶっつかるように流れる怒涛の水があなた、ほんとに凄いんですから。まさに人間賛歌、大地讚頌。ぜひいつかスクリーンで観てみたい。[ビデオ(字幕)] 10点(2006-05-30 20:51:00)

107.  ミュンヘン 実に暗くて冷たくて重たい映画だった。9.11が世界と映画のあいだにもたらしている歪みと、スピルバーグの内なる悪意(というか、なんか黒いもの)の肥大化が、20年以上前に起こったショッキングな事件をさらに不気味なものへとチューニングしてしまったような、そんな感じ。でもだからといって映画がグニャリとしているわけではなくて、映画自体は非常に洗練されているので見ごたえは十分。罪悪感ではない、エネルギーの消費としての殺人の重量みたいなものを感じられる映画だと思う。その最たる場面が、誰の印象にも残るであろうオランダ女の登場する部分。彼女の存在感はそのまま死を喚起させる。確か、彼女がらみで直接ではなくても仲間の3人が死んだはず。それが事実に基づくか基づかないかは置いても、イメージの喚起力が現実を凌駕してしまうような凄みがここにはあった。それにしても「映画のような」という形容詞すらついたあの同時多発テロだが、映画はこのミュンヘンのラストのように再びタワーを甦らせる事だって出来るということを忘れてはいけないと思う。[映画館(字幕)] 9点(2006-05-17 12:56:39)

108.  ニュー・ワールド 《ネタバレ》 この映画の凄い所は、新世界側の人間が旧世界を新世界として認識するドラマを前半のコリン・ファレルが新世界に触れる部分と等しく描いたことにあると思う。片方を描いた映画は沢山あるが、両方の視点をくっつけた映画はそう無いはず。ただでさえ自然光を生かした贅沢な映像や幾層にも積み重なるような編集が縦横無尽に駆け回るのに、加えて後半はポカホンタスがいっぱしのメロドラマばりに真実の愛を追究する展開が待っているのでクラクラしてしまう。この映画は前半よりも後半の方が、面白くそして新しいと思う。全てを理解したポカホンタスが最後に見せるパフォーマンスは必見必見。[映画館(字幕)] 8点(2006-05-07 00:18:12)

109.  罠(1949) なるほど、この映画は上映時間と映画内の時間がシンクロしていたのか!全然気がつかなかった・・・ミュージカルの人という印象が強いロバート・ワイズだが、こんな美しいフィルムノワールを作っていたとは。盛りを過ぎた、あと一歩がいつも足りないベテランボクサーとその妻を主軸としたストーリーはもちろん素晴らしいが、リングに集まる脇役達こそがこの映画最大の魅力になっていると思う。気の弱い新聞売りのオッサン、盲目の男、ボクサーに罵声を浴びせるおばあちゃん、八百長を企んだ奴ら、そして主人公のボクサー仲間たち。リング内での彼らの熱気を上手くコントロールするように、妻が歩く夜の街のシーンは何度か出てくるが、やはり屋台で二人分の食事を買うシーンはグッと来る。「ミリオンダラーベイビー」にノックアウトされた後でも、この「罠」を見れば立ち直れる、かも知れない。[ビデオ(字幕)] 9点(2006-05-02 23:07:20)

110.  キャット・ピープル(1942) ジャンル映画だけど、この映画は自由、とにかく自由。檻に入れられた黒ヒョウは一見人間の支配下に見えるが、実は彼らこそこの映画の支配者であったように、この映画はジャンルという檻のなかに入っていながら外にいるように自由。プールでの恐ろしいシーンも印象的だし、さらに夫から離婚を告げられたとき無意識にソファを引っ掻いて出来る裂け目が凄い。メスが皮膚をサァァーッと切るときのような、薄い紙で指をスゥゥーッと切ってしまうような、ゾクッとくるあの感じ。超必見。[ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-24 17:24:16)

111.  エリ・エリ・レマ・サバクタニ 《ネタバレ》 冒頭から「ジェリー」のような横移動。この雰囲気で一気に引き込まれる(でも本当は「風の谷のナウシカ」の冒頭っぽいと思った。ガスマスクもしてるし)。レミング病という死の病、それを薄っぺらく語るラジオの声、何気ない風景に突然出てくる死体など、終末観の語り方が魅力的である。「レミング病という人類に絶滅をもたらす病気が蔓延していて、この病気を防止する為にはある音楽を聴かなければならない。そして、レミング病に感染してしまったある少女がその音楽を演奏するミュージシャンのもとへと向かう」という、この図式も興味深い。主人公が世界を救うという、物語が世界の中心にあるような感覚がこの映画にはある。いや、もちろん正確には違っていて、浅野忠信と中原昌也の音楽は病気を防止するだけで治す事も出来ないし、彼らは救世主というよりは隠遁者で、音を奏でる事だけしか興味がない。でもそういう所が逆に救世主的だったりする。使い古され枯渇したはずのこの構図を再び作り直すようにして、さらにこの映画では爆音という飛び道具を用いる。あの爆音の強度があるから、この映画で規定した中心は揺るがないのだと思った。そしてこの強度と対をなすような中原昌也の微笑や探偵役の戸田昌弘の陰、これがとてもいい。冒頭の砂嵐と対照的な雪のラストシーンも良かった。[映画館(字幕)] 9点(2006-04-20 12:52:25)

112.  暗黒街(1927) フェザーズの身に付ける羽毛がユラユラと・・・これでもう思考は止まってしまう。サイレント映画はいつも、映画を「理解する」という地点から「感応する」ことへと引き戻してくれる。ラストの10分は、まさに人生そのものが濃縮されていると思った。ジョージ・バンクロフトの不敵な笑み、猫と戯れる姿、そして最後警察に連行される時の清々しい表情。そういえば「近松物語」のラストにおける香川京子の表情も、こんな風に清々しかったのだった。[ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-16 15:34:41)

113.  立喰師列伝 激動の戦後昭和(偽)史の中で異彩を放った伝説のゴト師たちの系譜を、その方法論から考察を進めながら同時に昭和史を批評的に語るという離れ業をドキュメント番組のような構成で、しかもパタパタ絵(スーパーライヴメーションというらしい)に実写を取り入れるという極めて特殊な方法で実践している。この、「昭和(偽)史」と「ドキュメンタリー構成」と「パタパタ絵」そして「押井守」というキーワードが、全部キャラとして立っていることがまず凄いのだが、そのことによる居心地の悪さも相当のものだ。まあ、はっきり言うと面白くない。それでも、これだけ野心的な作品を世に出したプロダクションIGの創作意欲には、本当に驚かされるし触発される。この作品はアニメでも出来ない実写映画でも出来ない、その間でしか出来ないことをやっているんだと思う。特に、イノセンスでもそうだったが押井監督の身体に対する感覚は、ここでも快速で突っ走ってる感がある。そうでなくてもこの映画は開始からしてすでに暴走モードで、吉本隆明の詩からディズニーランドまで、映像と言葉を駆使して何でも出す。その頂点がファーストフード業界と集団テロリスト化した立喰師たちとの仁義なき戦いだろう。ここはかなり面白かったのだけど、この映画の持つ「全部想定内」的な空間から抜け出せてたわけでもない。バカになるんだったら もっと徹底しなければ。いや、バカであることを演出した時点でもうダメなのかも。んー。[映画館(吹替)] 7点(2006-04-14 18:28:25)

114.  殺人に関する短いフィルム キェシロフスキの作品で一番強烈な印象を残すのがこの「殺人に関する短いフィルム」。ちょっと前にテレビでやってたので久々に見た。内容はタイトルが全て物語っている。殺人に至るプロセスと、その後の行き着く先(ここでも「殺人」が執行されるのだが)を綴るという、簡潔ながらその簡潔さの余り鑑賞後はフィルム上で起きたことが理解できない、それぐらいにショッキングな映画であるとも言える。まるで映画の理由付けのように次々と連関していく運命の図式には少々うんざりするものの、ポーランドという北欧の質感に殺人を犯す青年の心象が溶け合ったような不安で悲しい風景と、対照的な2つの殺人が残す何ともいえない異物感はこの映画独特のものだろう。[映画館(字幕)] 8点(2006-04-12 12:45:59)

115.  荒野のストレンジャー 西部劇異聞みたいな感じの不思議ラストである。西部劇という舞台が持つ場所感覚は魂の彷徨みたいなベクトルをすっぽりと受け入れるようだ。どこまでも広がる荒野は確かに地獄であり(COWBOY FROM HELLって歌もあるし)、この映画では小さな水辺の集落がその地獄の舞台となる。イーストウッドがならず者を撃ち殺しすぐさま女をレイプする野獣のごとき姿を見せるという冒頭からシャレにならない展開。そして村を赤く塗りたくって「地獄」と変えてしまうイメージ感覚もビックリだが、この映画が本当にシャレにならないのは切り返し構図の強烈さである。特に終盤の炎に囲まれた復讐シーンでイーストウッドが鞭を放つ画と叩かれる男の画はこれだけでご飯がすすむ、みたいなよくわからないがそれぐらいの鮮烈な画面であった。近年のイーストウッド作品がもたらす、開き直りともいえるぐらいの恐ろしい歪みがここにあるのかどうかはわからないが、イーストウッドイズムがとってもよく溢れた必見の作品だと思う。[DVD(字幕)] 9点(2006-04-10 20:03:09)

116.  ウォーク・ザ・ライン/君につづく道 非常に良い映画だった。ていうかジョニー・キャッシュという人もジューン・カーターという人も全く知らず、さらにボブ・ディランにもエルヴィスにもあまり縁がないのだが、全然問題なかった。だって映画自体が素晴らしい。ウェルメイドという枠では収まらない音響の臨場感だったりライブの光景だったり両主演の存在感だったりが心に響く。監獄コンサートのシーンは音だけで泣けてしまうし、ホアキン・フェニックスが会場入りする前のリーズ・ウィザースプーンとの距離感もすごく良い。釣りのシーンも印象深く、この映画のキーポイントとしてうまく機能している。ていうか、単にあの静かな時間の流れがとても好き。そしてなんといってもこの映画はアメリカの物語で、非常に映画映えするのである。[映画館(字幕)] 8点(2006-04-07 19:24:34)(良:1票)

117.  アワーミュージック 2回見たが、むしろわからないこと(色んな事をやっているのはわかったが、なんでそれをやっているのかという事)が増えただけという感じ。パンフレットで絶賛されていた音響について集中して鑑賞してみたが、改めてびっくり。地獄編でのピアノの音と映像の関係は、あれは何だろう。映像が音に追従してる様だし、その反対ともいえる。あるいは印象的だった川のせせらぎの音もよく聞いてみると色んな音が加わっているように感じた。音を気にしすぎた結果、他の部分は川の流れと共にどこかへ行ってしまったが、こんなに心地良かった映画体験もなかなか無い。上映時間の短さも良い。ところで「ヒズ・ガール・フライデー」の切り返しショットをゴダールが説明する部分があったが、この二つの写真で組み合わされる切り返しは映画の中で一度も無いという情報を知り、実際に見てみたが「ヒズ・ガール・フライデー」が面白すぎて確認できなかった。[映画館(字幕)] 10点(2005-12-07 11:20:23)

118.  ヒズ・ガール・フライデー 面白すぎた。男みたいな女ロザリンド・ラッセルとケーリー・グラントの喋りは、もはやこの映画のBGMになっている。ロザリンド・ラッセルが良いです。帽子が素敵。スカートをたくし上げて疾走、しまいには逃げる男にスピアーをかます。この躍動感。躍動感といえば、殺人囚の恋人役が男への自分の愛情を示すために窓から落っこちる、あの落ち方は凄い!「あっ、落ちた!」感が出すぎ!そうかと思えば電話の使い方のように、大量のセリフの裏側でしっかりと綿密な演出が組まれていたりして、面白いだけでは済まされない完成度を持っている。でも、面白すぎて味わう暇がないっ![ビデオ(字幕)] 10点(2005-12-07 01:02:13)(良:1票)

119.  西鶴一代女 カメラが「もっと田中絹代を!」と求めているみたい。それは欲情に近いかもしれない。仏像を眺める田中絹代の頭にかかる布がスウッと落ちるところや、竹やぶの中での壮絶な自殺未遂のシーンのような圧倒的な映像を見せる部分はもとより、堕ちるところまで堕ちて遂には化け猫扱いまでされてしまうところでも、あるいはラスト、屋敷の中で成長した息子に一目会いたいがために男たちの間を軽快なフットワークですり抜ける、そんなシーンでもカメラは田中絹代を決して離さない。田中絹代が役柄を超えて内面の魂を表に出す瞬間、そしてその瞬間をずっと持続させるかのような溝口の長回し。凄い。雨月や山椒大夫には無かったユーモラスな雰囲気の前半がまた良い。嫁選びの長回しシーンなんて、自分の撮影スタイルをもネタにしているみたいで二重に笑える。戦後の低迷期から上昇するきっかけとなったといわれるこの作品を是非。[映画館(字幕)] 10点(2005-12-02 09:33:44)

120.  君と別れて 成瀬巳喜男松竹時代の作品。この時代にアイドル映画という概念があったかどうかわからないが、この映画は水久保澄子のための作品といっていいかもしれない。悲劇の女優、水久保澄子。その大きい目は「ミツバチのささやき」のアナのように曇りがなく、力強い。小津安二郎「非常線の女」にも魅力的な役どころで登場するが、この映画での水久保澄子の魅力はそれをはるかに凌駕している。佇まい、視線、感情の起伏。60分足らずの上映時間、ずっと釘付けだった。成瀬の演出が見事なのはもちろんで、特に素晴らしいのは電車の中で明治チョコレートを食べるシーン。ここは本当に素晴らしい。いわゆる悲恋物語であるものの、後期の成瀬のような大人の雰囲気とは一風違う爽やかさに溢れていて、これがまたいい。水久保澄子のその後を暗示させるような(考えすぎ)ラストに胸を打たれつつ、またいつかスクリーンで照菊に出会えることを祈る。[映画館(字幕)] 10点(2005-11-25 00:57:27)(良:3票)

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