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1861.  カルラの歌 この人は「悪い時代の国」を描くのだけど、その悪い時代の中にひそむ若さや可能性を、老いたグラスゴーの街と対比して見ている。うらやましいなどと思ってはいけないが、と作者自身自戒しつつ、どこかでうらやましがっているような。不自由な国の中で自由を求めて戦っている者にのみ、自由は味わえるのではないか、と。老いた国での自由は、二階建てバスでピクニックをしてしまうこと、ただし失業と引き換えだ。バスがグラスゴーとニカラグアをつないでいる。この人は、どこかで起こっている悲惨に常に関心を持ち続けているが、それはまた常に自国との関係において問われているところがいいんだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-02-06 12:11:42)(良:1票)

1862.  ナージャの村 チェルノブイリの被害を受けた村の、リンゴの収穫から冬を経てまた春までの一年。こういう四季ものってのは、だいたい時間の循環を描くものだが、隔離され滅びるのを待たれている村なので、その循環がかえって直線的に滅亡へ向かう現状の厳しさを際立たせる。生活の営みはあるけれども、着実に人は減り、死者となって帰ってくる。バス停も店も草に覆われ、終末のイメージは隠せない。村に残っているのは老人ばかりでなく、タイトルのナージャという女の子もいれば、ボクサーという名のうさんくさい男もいる。屋根のスレートを剥がしては売りにいき、あとは釣りをしてブラブラしている。そういった豊かなキャラクターがありつつも、着実に村は衰亡に向かっている。ヤギのシロも死ぬ。ナチの侵攻に耐えた村だったが、「今度のやつは…」と村人は言う。それでもおばあちゃんは種を植え「外はいいぞ、早く芽を出せよ」と唱えるの。希望を見いだしづらい映画だが、現実がそうなのだから仕方ない。編集に佐藤真。[映画館(字幕)] 7点(2009-02-05 12:11:29)(良:1票)

1863.  鉄塔 武蔵野線 数字の誘惑。そうなんだ、子どものころって何か異常に数を数えることが好きで、カウントダウンした果てへの興味というか、「はるかさ」への誘いというか、もうこの主人公の気持ちが分かりすぎるほど分かって、懐かしくて仕方なかった。数字の果てが、電線が連続した向こうに確かにあるんだ、という興奮。家電製品からコンセントまで、そのはるかさの入り口として誘いかけてくる。これはもうたどって行くっきゃない。これぞ武蔵野という埼玉の風景。コンクリートと緑が平然と同居している。土留めの脇に雑草が繁り、どぶ川を自転車で越え、いちいちが懐かしい。父親とのからみがやや文学臭を与えてしまったが、ラストで、父‐ラーメン‐草刈りとつなげていくあたりは自然で納得。ミッチャンと呼びかける4年生のアキラ君もなかなかいい。[映画館(邦画)] 9点(2009-02-03 12:11:20)

1864.  四谷怪談[前篇/後篇](1949) 《ネタバレ》 おそらく当時の観客には『愛染かつら』のコンビによる四谷怪談というふうに意識されたんだろう。木下が撮った時代劇は、これと深沢七郎の二作品のみか。冒頭、塀沿いに引いていく雨中の脱獄シーンはなかなかの迫力。木下は作品ごとになんか趣向を凝らすが、今回は俯瞰の多用で押していく。見下ろす者の視点。木下の実験性は、田中絹代の二役による会話シーンにも見られ、けっこう手間をかけている。伊右衛門は気が弱く決断を先送りしているうちに悪に勝手に入り込まれる、というような解釈だ。それに自分が足手まといかもしれない、と思いがちなお岩の不安が添う、やたらメソメソする。あの敗戦直後の失業者の家庭はこんなでもあったのだろう。佐田啓二の小仏小平がお岩を抱えてゆっくり歩む場に、鬼気迫る美しさがあった。ラストの炎の場も大変美しい。全体としてこれは「怪談」というより「事件」の扱いで、伊右衛門の気の弱さゆえの妄想とも言える。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-02 12:10:29)

1865.  素浪人罷通る 刀を振り回すことを禁じられていた敗戦直後期の時代劇。天一坊のもとに、ひとつ当ててやろうという有象無象が集まってくるところなんか、このころの世相を映していたのではないか。阪妻の豪放な大芝居が楽しい。大岡越前との翳りゆく部屋での談判。暗くなると障子の向こうの廊下を手燭の灯が入ってくるあたりの味わい。天一坊の出立の声を耳にしつつ寺子屋の教授をしている場のリズム感も、大ぶりで良い。全体が大ぶりで骨太の味わいなの。ラストの瓦屋根の大きな構図に青空、御用提灯の場でも爽快である。時代劇の灯を絶やさせまいという決意、というほど大袈裟なものではないかもしれないが、とにかく時代劇のおおらかな気分が溢れていて、立ち回りができないという禁止がかえって作品を練り上げた。封建制を批判してるんだよ、という文章が頭と終わりに付くのは、進駐軍への確認のアピールか。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-01 12:14:55)

1866.  鬼火(1997) 老いの秋ではなく、青々とした夏が背景となっているので、なかなか街に溶け込めないムショ帰りの主人公の気分が生きてくる。墓参りして改心した原田芳雄が街に戻るが、しかし力仕事はもう無理、けっきょくヤクザのとこの運転手となりズルズルかかわっていってしまうあたりのリアリティ。世の中と合わないこの感じを突き詰めていけば、新しい映画ジャンルを拓くか、とも思ったが、けっきょくタメて爆発するという仁侠映画の大枠に収まっていった。スカッとはするけど、ああまたそこに戻っちゃったか、という気もある。古本屋での会話「ハイ、百八十万円」「釣りはとっといてよ、家でも建てて」なんてあたり、いいよね。[映画館(邦画)] 7点(2009-01-31 12:17:02)

1867.  小原庄助さん 《ネタバレ》 このもと封建地主、保守的なのではない。ミシン教室も開き野球もする。農村文化の振興おおいにけっこう、ただその旗振りは勘弁してくれ、というところ。ダンス教室もいいが自分は踊らない、柔道していたころを回顧する。和尚の娘を連れ戻すことを頼まれても、まあこういう生き方(ヤミ)もあろうと帰ってくる。村長になる気はない。時代に対するこのスタンスに、とても共感できた。家が重しになって働けなかった、でもこれで自由になれた、というラスト、「終」ではなく「始」と出る。古い拘束に対するヤンワリとした批判、これは新東宝の映画で、おそらく当時の東宝だったらもっと戦闘的に封建的なものを槍玉に挙げていただろう。でも裏を表に返しただけの民主主義演説映画よりこっちのほうが実感がこもってるし、名画として残ったのもこっちだった。家を横切る長い移動撮影が印象的だが、借金取りを見かけてロバだけを家に帰すあたりの、のどかな詩情も捨て難い。[映画館(邦画)] 8点(2009-01-30 12:20:52)

1868.  赤い風船 《ネタバレ》 音も入ってるけどほとんどサイレント映画のノリ、実写映画だけど次第に風船に人格が感じられるあたりアニメーション映画のノリ(かくれんぼしたり青い風船に浮気したり)、だからこの作品、映像詩なんて曖昧な言葉でくくるより、映画そのものと言ったほうがいい。あの風船は何なんだろう。持ってると電車に乗れず教会からは追い出されと、社会生活に不便をきたすもの。大人の後ろからついてくると、みなに笑われる。ワルガキは奪おうとし、それがかなわなければ割ろうとする。あのラスト、考えてみればひどく厭世的な結末にも見えるが、見ているときの気分は最高にいい。カトリックの神なのか、童心の象徴なのか、いろいろ考えて、でも結論づけたくないモヤモヤしたものとしての赤い風船でいいのだろう。[DVD(字幕)] 8点(2009-01-29 12:14:24)

1869.  ムーラン(1998) ディズニーアニメって、なにか壮大な変奏曲を聞かされ続けているようなところがあり、同じ定型の勇気のストーリーを趣向を変えて反復し続けている。歌も同じようなトーンに聞こえるし、小さい助っ人がだいたい登場する。そういった中では、本作は珍しい東洋味で、個性は強く出た。雪山のスペクタクル、白と黒の渋さがいい。都での襲撃、実は一番嬉しかったのは、屋根の上に悪漢が立つところで、ある種の懐かしさを感じた。なんだろう、この懐かしさは。子ども向けの活劇もので、よくこういうの見てたのかなあ。屋根の上に立つ怪人てのは実にまがまがしいものがある。なにかが取り憑いたって感じだろうか。ここが都の中心の宮殿で、下に人々が集まって見上げているという状況もいいんだろう。エンディングタイトルの中に、勇敢・決心・孝道・自重などと徳目があらわれるのが愉快。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-28 12:14:32)

1870.  そよかぜ 戦争終わって、さてなんか映画撮ろうというとき、軽音楽バンドの話にしよう、ってなった気分は分かる。あの戦争時の固い気分の正反対といったら軽音楽であろう。禁止されるちょっと前までは盛んだったわけだから、勝ったアメリカに迎合するというより、元に戻れたって感じ。上原謙がトランペット、佐野周二がトロンボーン、斎藤達雄がサックスという楽団。上原が「花も嵐も…」を吹く場面もある。照明係からスターになっていくという戦前パターンの踏襲も、とにかく元に戻れたって感じだ。けっきょく戦争の数年間が異常な時間で、昭和ヒトケタと戦後は気分としてつながっている。戦争を思い起こさせるものは壊れた橋が出るくらいで、中盤は戦災のなかった田舎に話が移る。都会の観客には、傷ついていない田舎の風景が希望に見えたのではないか、ちょっとの妬みも含んで。舞台で並木路子が「リンゴの唄」を歌うところ、「り~ん~ごの気持ちは~」ってとこで、テンポを落としてゆっくりになるのが、正調らしい。軽音楽の響きに、時代のホッとした気分が満ちている。まだアメリカの検閲や指導は本腰を入れてないころで、かなり正直な反映と思っていいだろう。人々はついに吹かなかった神風のかわりに、そよかぜを求めたわけだ(新聞の検閲が始まるのが10月9日、映画の検閲もそのころに始まったらしい。翌年になると佐々木監督が『はたちの青春』でキスシーンを入れるように情報局に強要されるまでにうるさくなる)。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-27 12:17:21)

1871.  シークレット/嵐の夜に 《ネタバレ》 古典文学の偉大さは応用が利くということで、「リア王」の脇にスポットを当てればまた違うドラマが生まれ、しかし王の大きさはそのまま裏返されて残っているのが面白い。アメリカの農場を舞台にどう当てはめていくか、という、単純に見立ての面白さもある。ただ近親相姦話を持ち込んだために善悪がクッキリし過ぎてしまい、どちらが善でどちらが悪と割り切れない心理的な“合わなさ”を詰めたほうが面白かったようにも思う。また個人的な好みからすると、村の隣人たちとの交渉をもっとネチネチ見たかった。村人たちがふりかざす“正義”や“良識”の残酷さ、そういったものが“非人間的”なものを擁護してしまうシステムをあぶり出せたのではないか。追放とは、裏を返せば解放でもあるのだ。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-26 12:14:50)

1872.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 後半の種明かしのとこ、同じ構図で反復されるのが映画ならではの楽しみ。原作は読んでないけど、映画向きでないようでいて、かえってこれ映画向きの話だった。大きな仕掛けをくらませるために、小さな仕掛けをバレやすいように据えてあるのが憎く、少なくとも私は引っかかった。仕掛けとは、ただアッと驚かせるだけでは駄目で、ネタが分かった瞬間に「あ、なるほどね」と、いちいちの伏線が思い出され納得できるように仕掛けておいてもらいたいもの、これはそうなってた(ああ教科書ね、ああ広辞林ね、うんうんオニギリ買うとこね…)。また別方向の伏線として、鳥葬の話が終盤でイキるとこも見てて嬉しい。本屋襲撃のとき歌い続ける「風に吹かれて」にグッときた。復讐の歌というより追悼の歌であって、そしてもちろん相棒を導いてくれた神の歌でもある、照れくさくならないように時間計測の歌という名目が付いてるのもいい。大塚寧々の役割りがちょっと中途半端だったような。[DVD(邦画)] 7点(2009-01-25 12:10:58)(良:1票)

1873.  ダイヤルM 《ネタバレ》 クールビューティ系が苦手で、苦手って言っても嫌いってわけじゃなく、スクリーンから見つめられると、ついオロオロドギマギしてしまうの。グウィネス・パルトロウも分類すればクール系の顔立ちで、オロオロしてもいいんだけど、でもこの人はなんか口元あたりに、不似合いな幼さというか、いたずらっ子のようなあどけなさが残ってて、そこらへんクールになりきれないチャーミングさという独自の魅力になり、けっこう大丈夫なんだ。『セブン』のときはあんまり印象に残らなかったが、ジェーン・オースティンの『エマ』やったのが良かった。で、この映画だが、考えてみればこのパルトロウ、けっこうアホな役で、亭主にも愛人にもだまされてて、しかもミステリーではよくあるんだけど、密室で証拠突きつけて殺されそうになる。身の危険ということをよく考えて行動してもらいたい。でもそれも、あの口元の幼さがあるんで、仕方ないなあ、って感じで納得できなくもなく、グレース・ケリーとはまた別の味が出てたんじゃないか。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-24 12:18:08)

1874.  舞姫(1951) 多くの登場人物に奥行きが感じられず、とくに肝心のヒロインが戦前松竹メロドラマの延長線上の演技で、まあ失敗作の部類に入るだろうが、ただひとりウジウジした山村聡の旦那のみ印象的である。この人はテレビではホームドラマのしっかり父さんという印象が強かったけど、映画ではけっこう暗いの専門。『宗方姉妹』はこの前年か。監督した映画も暗い。被害者意識が強くて鬱陶しさを周囲に振りまいてしまうという人、戦中は神がかったことを言ってて、今はぼんやり腑抜けという設定。家父長が身の置きどころを失ってしまった時代のお父さんを代表した俳優なのだろう。木村功がタイツ姿になるが、踊ってはくれない。岡田茉莉子は棒読み状態。チラチラと銀座が映るけど、時代を味わえるというほどではなかった。[映画館(邦画)] 5点(2009-01-23 12:11:47)

1875.  トゥヤーの結婚 《ネタバレ》 なじみのない風土の物語のとき、どこまでがリアリズムでどこからが寓話なのか迷わされる。これ、別れた旦那を連れて再婚しようとするヒロインの話で、裁判所の人も驚いていたから異常な話は異常なんだろうけど、家族が労働力として第一に考えられるところでは、ある程度そういう異常の話も起こり得るという下地があるのか、それともまったく民話として考えればいいのか、迷わされた。登場する男がすべてヒロインを愛するあたり寓話性が強いようだけども、旦那が怪我で性的不能者になってることが話に複雑さを与えていて、一筋縄の民話では片づけられなくしてある。生活するとはこういうことか、というしみじみした納得が見ている間に訪れた。どこで立ち小便していいのか困るような広々としたところに道が長~く続いている色のない世界に、カラフルな衣裳と夜具で精一杯存在を主張している一家、ああここには確かに生活がある、と思う。なぜかやたらに人が負傷する映画であった。[DVD(字幕)] 6点(2009-01-22 12:12:27)

1876.  お國と五平 『めし』と『おかあさん』という代表作の間に、こういう全然毛色の違ったものもチャチャッと撮っているのだ、この監督は。大谷友右衛門てのは、いま歌舞伎の女形の大御所の中村雀右衛門。こういう古典劇出と対照的に新劇出の山村聡が出ると、だいたい暗いインテリの役ということになる。内攻し懐疑的といった役どころ。お国と五平は宿に泊まると二階に部屋をとる。道中の人の中から仇を見つけん、という意味があるが、映画としては、ここから下々の掟のない人々の暮らしが覗けるという仕掛け。より自由である芸人がしばしば登場し、現代劇におけるチンドン屋好みを思い出す。あれは庶民の暮らしのゴタゴタから離れた自由人の象徴だったのかな。盆踊りや嫁入り道中もあり、まあロードムービーの趣。この人の映画では、なにやら思いつめて道を歩く人のイメージがしばしば繰り返されるが、このロードムービーは、それを拡大したものだったのかもしれない。封建社会の非人間性といった社会的テーマより、この二人のハッキリしない間の気分の揺れの方に、監督としては興味があったみたいだ。追いかけているようでいて、実は目的に追われている旅、別れるために一緒に旅を続けていた『浮雲』と比較できるようなできないような。街道の木洩れ日が実に美しい。[映画館(邦画)] 7点(2009-01-21 12:18:05)

1877.  蟻の兵隊 《ネタバレ》 ドキュメンタリーでいいのは、予定調和をカメラが裏切っていくところ。元日本兵の奥村さんが中国を訪問し、初年兵教育の最終試験として初めて人を殺した場所を訪れた後で、生き残った中国人の家族と対面するシーンがある。おそらくカメラは、謝罪と赦しのようなところを撮れればいいと思っていたのだろう。ところが奥村さんは、そのとき国民党軍と八路軍との間で妥協があったのではないか、ということを厳しく問い詰めだす。奥村さんの中に急に皇軍がよみがえったような感じ。もちろん司令官に裏切られ一部隊ごと中国側に傭兵として渡されたことへの恨み・悔しさ・死んだ戦友への義務などのもろもろが芯にあるのだが、彼の主張の根に感じられるのは、我々は皇軍として戦ったということを確認したい、という念願なのだ。あそこで奥村さんという個人が、兵士の経歴ごと・60年という歳月ごとまざまざと立ち上がり、彼の悔しさがひしひしと迫った。枯れるとか諦観とかの対極で深く怒っている老人像が、こちらのステレオタイプを砕いていく。ドキュメンタリー映画を見て良かったと思う瞬間だ。そしてこの司令官の卑劣さ・上部ほど無責任になり生き残る体質が、軍隊の本質なんだなあと思う。終わりの方、靖国で小野田さんとやりあう場は、いささかこしらえ過ぎかとも思ったが、どちらも残留者でありながら、小野田さんは中野学校出のエリート中のエリート、奥村さんは赤紙で引っ張られた一兵士、という違いが出た。皇軍教育を叩き込まれた小野田さんがあの戦争を自信を持って肯定するのに対し、奥村さんは「私は戦争を知らないかもしれない」という境地に至る。この境地が大事だ。元自衛隊の田母神某と小野田さんてそっくりに見えるんだけど、軍のエリートって同じ単線的な思考をして同じ顔になるものなのか、彼らには「私は知らないかもしれない」という謙虚な・しかし思考の始まりには必須な境地は訪れっこないだろう。[DVD(邦画)] 8点(2009-01-20 12:23:38)(良:1票)

1878.  銭形平次(1951) 《ネタバレ》 活劇調ではなく、平次はひたすら推理する。最後は罠で引っかけるというのは、ちときたない。微罪の手下どもが毒薬で皆殺しにされてしまうのも気の毒であった。女房お静の長谷川裕見子のしょんぼりした場のみ、時代劇らしいしっとりとした味わいがあった。仕事に口出しするなと旦那に叱られて、酒買いに出ていくシーン。障子の影の使い方、外の路地の陰影などに、大映京都の手堅い仕事ぶり。女中役高森和子にも、こんなにかわいらしいときがあったのだ。「スタッフに松村禎三という名があったが、音楽ではなく美術であった」と見た日のメモに書き込まれている。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-19 09:09:41)

1879.  トゥルーマン・ショー 《ネタバレ》 現実のリアリティの喪失という社会的な気分から、世界は実在するかってな大きな哲学的なテーマまでカバーできる設定で、こういう豊かな寓話を生み出せるのはハリウッドの強みだ。そしてハリウッドの伝統である自由への脱出ものにもなっている。実際現代社会のあれこれって何かセットみたいに薄っぺらになってるし。途中に入るCMがおかしい。待機しているエキストラたち。急に作られ解消される渋滞。群衆シーンのおかしさ。かなり笑えた。エレベーターのセットぐらいちゃんと作っておいてもらいたい。月が大きかったのはイメージじゃなかったのね。妻のローラ・リニーに変に不気味な味が出ていた、追い詰められつつココアのCMをしたり。この設定が怖いのは、有名になりたい、という我々の潜在願望も突つかれてるところがあるからで、あるいは、自分が主役であることを知り晴れがましさを感じて島にとどまり続ける、というさらにグロテスクなエンディングも有り得たな。[映画館(字幕)] 8点(2009-01-18 12:13:28)

1880.  ヒトラーの贋札 「今日の銃殺より明日のガス」ってセリフは記憶に残るな。たとえそれが利敵行為と分かっていても、とりあえず今日の銃殺を避けようとするもんなあ。まして職人気質をくすぐられれば、歴史に残る贋札を作りたいと思っちゃう、そこらへんの「分かっちゃいるけどやめられない」の心理がナマナマしかった。『戦場にかける橋』で、つい捕虜たちが立派な橋を作りたくなった心理と同じだ。長期的な視点を持てないのではない、分かっちゃいるけど、現在の切迫がそちらの目を塞ぐのだ。歴史はこうしてクネクネと、理想へ直線的には動かないようにできてるのだな。ナチが悪役笑いするのには閉口。ナチの怖さは人格の卑しさから来るのではない。いたって有能な人物たちが、合理的思考に基づいてガス室の発明にまで至ったところにその怖さがある。この映画でだって、ユダヤ人の職工を使えば後始末が簡単、と合理的に考えるところが一番怖かった。よくナチと日本軍は同一視されるけど、どっちかって言うと対極にある。ナチは合理主義のバケモノ、日本は精神主義のバケモノだった。あっちは無駄を病的なまでに排斥する狂気、こっちは無駄が出れば出るほど気合いが入ると思い込んでいる狂気。[DVD(字幕)] 6点(2009-01-17 12:09:46)(良:2票)

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