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タイトル名 |
ライディング・ザ・ブレット |
レビュワー |
パブロン中毒さん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2006-03-02 21:16:33 |
変更日時 |
2006-03-02 21:16:33 |
レビュー内容 |
冒頭ほんの数分だけどマックス・ヘッドルームのマットが出ている。老けたなあ。それはともかく。キング原作のこの作品は、男の子たちが「死のスリル」と戯れたがることについて描いているようだ。アラン・パーカーというどっかで聞いたような名前の主人公の男の子。彼はお行儀が悪いだけで、普通にヘタレな男の子である。ほとんどすべての男の子はヘタレと決まっているからである。そして男の子は「死のスリル」と戯れがちだ。なぜかというと、橋本治風にいうなら、男の子には生理が来ないからである。下世話な話をしないと説明できないので申し訳ないけれど、これが本当の事だ。生理というのは、本人の意思に関係なく無理やりに訪れる。自分の意思でコントロールすることはできない。男の子の射精と根本的に違うのはここのところだ。生理とは「おまえは生きているぞ。忘れるな。」という「確認を求められる」現象なのだ。「そうか。不本意ながらやっぱり生きているのか。」女の子はほぼ毎月それを繰り返しているのだ。男の子と比べてヘタレなはずがなかろう。女の子が「死のスリル」と戯れる必要がない理由はこれである。男の子はこれがないので、しばしば「自分が本当に生きているのか」について確認する必要があるらしい。この作品はそのことについて言っていると思う。亡霊のジョージが、「彼女をBULLETに誘ったが生理なので断られた」と言うが、これが端的に現している。BULLETに乗ることは「死のスリルを味わう」行為でありすなわち「生の確認」なのであるが、「彼女」は「生理」があるので、そんなもの必要ないのだ。ラストにキングらしい説教くささがあるが、これはどこまでも男の子の話であり、とりあえず「女の子」には必要のない教訓である。 |
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