4.ヒロインの一途さはもちろんだが、タイトルにもある「道」にひたすら感動。四季おりおりで姿を変えながらも、何年たっても道はひたすら同じ道であり続ける。町と田舎をつなぐ道は、過去と現在を結ぶ道でもあり、道の彼方には、こちら側には見えない世界があり、とどまるところを知らず想像の膨らんでいく世界でもある。だからこそ一度としてあちら側(町)を写さないのだろうし、先生を直接、深く描こうとしないのではないか。先生の偉大さを示すのは、大勢の弔問客が彼を偲ぶシーンだけで充分だと思う。そのときでさえ、道はとても重要な役目を果たす。棺を担いで過去と現在を意味する「道」を歩くことは、先生の崇高な精神、無形遺産を人々が未来へと橋渡ししていくことを暗示している気がしてならない。また、このラブストーリーが特異で優れているのは、たった一つの恋を村中が応援し、さらに死してもなお尊敬、哀憫の情をそそぐところにあると思う。 【tony】さん 9点(2004-07-26 13:49:11)
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3.ご飯の支度をする土間に差し込む光、餃子の蒸し器からあふれる湯気、そんな家屋内のショットからも伝わるツィイーの初恋のときめき、純情、一途さ・・・。ツィイーのクローズアップを多々挿し込みながらも、色彩と光あふれる鮮やかな風景に溶け込む登場人物を、見事な構図のロングショットでとらえ続けるカメラセンスにはうっとりしてしまいました。正直、ストーリィが後からついてくるような感覚でした。それでいて、ラストの遺体を担ぐシーンの美しさ。漠々とした大地、静かに流れる吹雪、黙々と歩く人間を撮りあげたモノクロの映像。光あふれる大地の緑から受ける美しさとは、また違った美しさ。死という人間の運命を粛々と描きながら、一人の人間が生きた証、その一人を愛し続けた一人の人間の想いを切々と浮かび上がらせ、じわーりと胸に迫ってきます。うん、初恋のきた道を私も探しにいってみるか、この年で迷子になるのも恥ずかしいけれど・・・。 【彦馬】さん 9点(2004-07-10 00:15:29)
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2.チャン・ツィイーの魅力を余すところ無く引き出したチャン・イーモウの手腕は傑出している。一部であの女の子がチャン・ツィイーではなかったら…というコメントが見られるが、それは映画の評価としての的から外れているのではないだろうか。もともと映画は脚本ができてから、それに相応しい最高のキャスティングをするのは当然であり、監督もその俳優達の魅力を最大限に引き出そうと努力するものである。映画における「~たら、れば」は作品の出来が悪い場合にのみ使用されるべき言葉であり、ことこの映画に関しては全く意味を持たない言葉である。世の中の女性が自分の恋愛に対する純粋さを確かめることができる恐怖の純粋度診断作品。
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1.決して劇的ではないあるひとつのエピソードを、掘り下げて行く。 こういう映画、とても好きです。 人が人に恋をするということを、装飾を落とし、本質を際立たせ表現した作品です。 【ともとも】さん [DVD(字幕)] 9点(2009-02-06 22:42:22)
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