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プロフィール
コメント数 304
性別 男性
自己紹介 つたない文章力で自分なりのレビューを心がけます。映画館で観た作品は自然と評価が高くなりがちです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 あの時あの人と結婚していれば、繋いだ手が反対だったら、8月6日もう少し早く広島に帰っていれば...。 問題の大きさや深さは比べ物にはならない。 でもそれは現代の日本に生きる自分と何も変わらない、尽きる事のない後悔と良かったの連続。そしてそのどちらとも割り切れない感情。 あの時違う学校に入っていれば、告白していれば、あの会社に就職していれば。 それが「自分で選んだ道の結果=径子」であるか、「流されて辿りついた場所=すず」であるかは分からない。 結果がどうであるにしろ、2017年私は今いる場所で今ある現実を生きていく。 人生に対する普遍的なメッセージもさることながら、それを語る語り口も鋭くスマート。 同一アングルのショットを経時的に映すことで、街並みの変化を捉え、食事の内容や食卓を囲む人々の変化を通して、戦況、社会情勢を語る。 そしてその食事を摂るという行為が、そのままどんな状況であっても「生きる」という強烈なメッセージをも提示している。それは、他の日常生活動作を通じても伝えられる。荷物を持ち上げ運ぶ、歩く、走る、話す、洗濯をする。そして自然である草、木、空、水、虫、鳥。 それら全てが細やかに身体性を伴い実在感を持って描かれる為、生の尊さがより際立つ。 そして主人公すずの魅力。すずにとっての絵を書くという辛い現実を和らげる行為、生きていく術。それは周り(周作や晴美や水原)をも動かし癒していく。それを為す右手は失くしても、頭の中で自由に絵を描いていくその姿はあまりにも強くたくましく、優しかった。[映画館(邦画)] 10点(2017-01-15 22:45:13)(良:2票) 《改行有》

2.  ダゲレオタイプの女 《ネタバレ》 写真というものが、身体的外見を人工的に固定し、存在を時間から引き離す事で、存在を生につなぎとめるものであり、被写体を死の運命から解き放つ事で、生者の心をかき乱す存在であるとするならば、それは幽霊とも似ているのではないか。 ドゥニーズは幽霊となりステファンの前に現れ恐怖させ、悩ませる事で、彼の精神を縛り続け支配下に置いていた。 それは生前彼女が、”写真を撮る”という行為を通して行われていたであろう束縛を、最も体現した報復律。 彼女は、そのように死後幽霊として夫を苦しめていた時の方が、マリーは死後幽霊としてジャンと逃避行をしていた時の方が、生前より自由であったのではないか。 肉体的な生と死(人が一般に定義する生死)、どちらがより自由で幸福であるかは、他人の尺度で測れる事ではない事実と同時に、生と死の境界線の曖昧さも描いている。 そして、写真が良くも悪くも、身体と精神を永遠に縛り付けるものであるとするならば、映画という映像芸術は虚構を映像化する事で、そのものを解放する作業(今回であれば、幽霊となったドゥニーズとマリー)となり得る。 正負どちらにも転びうる、生と死の概念、映画と写真という芸術の関係性や特性を見事に表現していた。 他にも、水銀が植物園を枯らしてしまう(ステファンの罪がマリーの尊厳を犯す)という視覚的表現や、階段下にカメラを置く事で原因を不明にし、結果のみを伝えるという落下表現も瑞々しい。 この監督は、あらゆるものの可能性、とりわけ映画という媒体の可能性に挑戦し、生と死の境界線を揺るがし続けている。 だからこそ、その大きな挑戦から目を離すことが出来ない。[DVD(字幕)] 9点(2017-09-24 20:27:59)(良:1票) 《改行有》

3.  葛城事件 《ネタバレ》 度重なる不在と欠落の先に導かれる逃れようのない現実。 歪んだ父権主義による、手本となるべき父親の不在。手料理の不在に象徴される母性の欠落。とりとめのない会話、談笑の欠落。食卓を囲み、家族で食事を取るという行為の不在。家族以外の他者、社会との有機的な関係の欠落。 やっとの事で父親から逃れついたアパート。始めてとりとめのない会話が成立し、家族が食卓を囲み、陽光と音楽がその光景を暖かく照らし出す瞬間。 父親が乱入する事で自然光は欠落し、人工的な照明が無理矢理家族を照らし出す。父は次男の心情吐露を遮断し、偽りの甘言を発し、人間を迎え入れる場としてではなく、縛り付ける場として機能する家へ家族を連れ戻し、希望の萌芽は摘み取られる。 その後、一人また一人と成員が欠落していく事で家族は崩壊する。 家族を失い、家という唯一頑なに守っていた中身のない容れ物を壊し、希望の象徴の木で死を迎えようとするも、それすらも成し遂げられなかった後、何事もなかったかのように「食べる=生きる」という本能にすがりつく父親。 作中度々捉えられるローアングルの同一ショットによって、小津的不在の確認なる孤独な男の姿をカメラは映し、それが唯一残った現実である事を静かに提示していた。 そしてその姿は、誰もがそうなり得る可能性を持った存在でもあった。 少なくとも自分は次男に過去の自分を、長男に今の自分を、父親に可能性としての未来の自分を重ね合わせて観てしまった。[DVD(邦画)] 9点(2017-02-19 20:24:13)(良:2票) 《改行有》

4.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 悪魔に魂を売るかのごとく、私生活を代償にしながら夢を形にしていく二郎。 自分の命を削りつづけながらも、二郎に寄り添い続ける菜穂子。そこには、世間が考える善悪や倫理観などの物差しでは図る事ができない幸せがある。そしてあまりにも刹那的な生き方。 他の人にはわからない。けれど幸せ。それが全て。 そして二人の姿に、ルパンがポルコ・ロッソがアシタカが逃げ続け、ポニョで結実した宮崎監督が描く愛の形のその先を観た気がした。[DVD(吹替)] 9点(2016-02-26 00:13:43)(良:1票) 《改行有》

5.  スター・ウォーズ/フォースの覚醒 《ネタバレ》 まずテーマ曲と共にオープニングクロールが流れた事、そしてディズニーがシンデレラ城のオープニングロゴを出さなかった心意気、それだけでもう十分満足。 前作までのセルフパロディ、歴史や世代を超えた繋がりを感じさせる数々の場面の踏襲はあげればきりがなく、そのどれもでいちいち涙が出そうになった。 そして今作で前作までと大きく変わったと感じたのは、前作まではアナキンやルークという選ばれし者の物語であったものが、今作はストームトルーパーであるフィン、ダースベイダーの正当な後継者ではないカイロ・レンといった選ばれなかった者達の物語に変化したという事。 そのことにより物語に厚みと深さ、多くの人に対して共感、勇気を与えていると思う。選ばれなかったものたちの物語の中で、特に自分が魅力的に感じたのは、カイロ・レンという人物で、アナキンと比べるとどうしても全ての面で劣っており、劣っている事を自ら感じているゆえの苦悩、どうやっても拭えない小物感、若さゆえの痛々しさには清々しさすら感じたし、愛おしくなってしまった。 スターウォーズという世代を超えた繋がりを感じさせる壮大な物語を現代社会の中で生きるあらゆる人に向けて作った素晴らしい作品だと思った。[映画館(字幕)] 9点(2016-01-04 23:49:10)(良:1票) 《改行有》

6.  ゴーン・ガール 《ネタバレ》 普遍的なものである男女関係、もっといえば他者との関係に深く切り込んだ作品。社会、他者からみられている自分(テレビを通してのエイミー像)とあるがままを出した自分(ニックの前での姿)。たいていの人間は虚像に苦しみ苦悩するものであるが、エイミーはそれすら逆手に取りニックに対するそれと同じように世論を支配し手玉にとってしまう。そのすがすがしいまでの本能をむき出しにした姿、人間の業すら支配下においていしまう様には神々しさすら感じてしまう。それと同時に女性に対する畏怖を抱かずにはいられない。 人間の恐ろしさ、異常さと同時に崇高さをも感じさせる傑作だった。[DVD(字幕)] 9点(2015-07-13 18:06:32)(良:2票) 《改行有》

7.  冷たい熱帯魚 《ネタバレ》 物語冒頭のスーパーでの買い物場面から始まる違和感と収まりどころのない気持ち悪さの連続。 進むにつれて傍観者である社本に、画面越しの傍観者である自分の感情が近づき、社本と同じようにフラストレーションを感じていることに気が付いた。 そして妻を犯したという村田の打ち明けで、一気に開放されるカタルシスにも似た感情。社本を応援している自分がいることに気付いたとき、自分も決して傍観者で居続けられる存在なのではないのだという事を知った。[DVD(邦画)] 9点(2011-10-29 19:03:52)(良:1票) 《改行有》

8.  三度目の殺人 《ネタバレ》 人は自分の今までの経験を通して、あらゆる物や人を、自分の常識や理解の範疇に押し込める事で型にはめて、自分なりの善悪の基準で無意識の内に物や人を裁いている。 それは映画であっても同じで、今観ている映画を、自分の知識や今までの映画体験を通して、ジャンルを分け、筋道を考え、結末を考え、物語の意図を監督の意図を知ろうとする。 そうして理解しようとしなければ、理解が出来なければ、気持ちが悪いから。自分の器に、物や相手をはめなければ怖いから。 ラストの接見室の場面。重盛は観客も予想したであろう、三隅の意図(自分が犯行を否認する事で、咲江への言及を免れ、彼女を苦しめずに済む)を彼に投げかける。重盛は自分の器に三隅をはめようとし、若しくは自分が三隅の器にはまろうとし、同一化しようとする。それは視覚的にも提示され、それまで徐々に境界を薄めていっていた鏡面は完全に姿を消す。そして二人が重なり合う寸前、また二人は離れる。 観客も重盛も三隅の真意(そもそも思いがあったのかすら)も、犯行の真実も犯人も知ることは出来なかった。 確かな事は、司法制度という器に無理矢理はめこまれて、”死刑になった三隅”という人物がいる事実。 三隅は理解も共感も寄せ付けない。 この映画は、観客が安易な物語の枠組みにはめる事も、偏狭な物差しで裁く事も、観客にとって都合のいい真実を捏造する事も、特権的な視点を持つ事も許さない。 これほど挑発的な是枝作品は始めて観た。[映画館(邦画)] 8点(2017-09-16 09:40:57)(良:2票) 《改行有》

9.  散歩する侵略者 《ネタバレ》 CUREは概念の変容、今作は概念の喪失を物語の軸としている。 どちらも人間性からの、そして自分自身を縛る抑圧からの解放を映し出す。 人間は概念に縛られ、抑圧されながら生きていて、それを喪失させ人間性から解放される事が人類の幸福となり、その結果が人類の滅亡に繋がるという強烈な皮肉。心の奥底では皆が望んでいるかもしれない、恐ろしくも理想郷的な世界をこの映画は容赦無く描く。 ラスト近くのホテルの場面。そこまであえてありきたりなラブストーリーの流れを踏襲させミスリードをする。そこから「愛」の概念を奪われても何も変わらなかった事で、夫への愛はなかった(おそらく真治は友愛や博愛などを貰ったのではないか)事を思い知った鳴海が絶望する場面へと繋がる。 自分の人間性の欠如を突きつけられ、正気であるがゆえに、その現実から逃れられない恐怖は、自分にとっては決して人事ではなかった。 そしてそれは「愛」という言葉の多面性、欺瞞性、巷に溢れるラブストーリーへの皮肉をも含まれていた。 終始あくまでもエンターテインメント性を保ちながら、SF、人間ドラマ、コメディ、ラブストーリーの皮を被った中にあるホラーを描く手腕。 黒沢監督の映画特有の、風に揺れるカーテン、扇風機、遮蔽物を隔てた別空間の表現。異空間としての車、車外風景。明暗のコントラストとその変化。旋回する飛行機。廃工場、不吉さの象徴である病院などの映画的記号。 手で窓を壊してから警官を銃殺する場面の意外性や、冒頭のトラック横転、歩道橋の追跡カットなどに代表される、空間と時間の持続と大胆な省略を利用した偽装などの魅力的な映画的な映像表現もあった。[映画館(邦画)] 8点(2017-09-10 00:39:21)(良:1票) 《改行有》

10.  ハドソン川の奇跡 《ネタバレ》 これほど、乗り物が道具が自然が、そして人間が有機的に機能、連携し、流動的に姿を変える映画を観た事はない。 映画内でサリーと妻は直接会う事はない。「電話」という手段が文字通り二人の意思疎通を助け、絆を繋ぐというこれ以上にない役割を果たす。 飛行機の不時着の場面。テレビのニュースが現状を映す事で、音声だけでは伝わらない画面としての説得力を、安心を、妻は「テレビ」から得る事ができる。 このテレビと電話の無償の補完関係の美しさ。 報道陣からサリーを守り目的地まで運ぶ「車」の頼もしさ。 飛行機が不時着し、役目を終えてもなお4本の腕で乗客を支える「飛行機」の健気さ。今まで見せた事がない新しい側面。 そこにすかさず、四方から駆けつけ人命を救助する「船」。船では助けられない、川で溺れる人を空から救う「ヘリコプター」。 人間同士の連携はもちろんの事、この乗り物同士の無償の奉仕性、有機的な連携は感動以外のなにものでもない。 そして川、水が人命を助ける場として機能する愛しさ、もっと言えば水が凶暴さを潜める新鮮さ、水が水として機能しないさま、それは映画史への挑戦でもあると思う。 人間同士の爽やかで、柔軟性がある関係性は言うまでもない。 100分にも満たない時間、一見すれば単純にも思えるストーリーラインの中で、これほどまで奥深く濃厚で感動的な映画体験を出来る幸せを感じた。[DVD(字幕)] 8点(2017-08-16 16:32:57)(良:1票) 《改行有》

11.  ドント・ブリーズ 《ネタバレ》 ひと気がない整然と並ぶ家々を俯瞰して見下ろす映像から、カメラが下降し老人が女性を引きずる様子を映し物語は始まる。この台詞なしのワンショットのみで異様な空気、不吉な予感を漂わせる。 時折不気味なゴーストタウンのショットを挟みながら物語は進み、三人は老人の家に進入する。 家に入ってからの舐めるようなカメラワークの長回し。緊張感の演出もさることながら、観客にあらゆる物の配置、間取りを覚えさせるという機能も果たしている。ここで恐怖の下地が整う。 そこからは恐怖があらゆる感覚を通じて、連続で続く。 視覚による恐怖。痛覚の恐怖。嗅覚(老人が嗅ぎつけた香水であろう匂い)による恐怖。触覚(怪力で盲目の老人に触れられる事で逃げられない)の恐怖。聴覚(物音を立てる事ができない)の恐怖。 沈黙の間の中押し寄せる恐怖の連続は観ている側にも、息をつき物音を立てる事を許さない。 人物設定も素晴らしい。過去に娘を事故で亡くした盲目の退役軍人と獰猛な番犬という補って余りある補完関係は、主人公達との力関係を絶妙なラインでシーソーのように揺れ動かせる。そして妹と現状を抜け出す為にどうしても金がいるロッキーは、人間の罪や弱さを背負う。そのどちらもがサスペンス要素を伴いそれを増長させる。 そして計算されつくした舞台設定。 一軒家という限定された空間、薄いガラスの天窓、一人しか通れない幅の地下通路、鍵束、ホームセキュリティ、格子付きの窓、通気口など挙げればキリがないセットはどれもが物語に十二分に機能していく。 何から何まで作り込まれた物語、状況設定に、あらゆる感覚を刺激されるという、今までに感じた事のない恐怖体験だった。[映画館(字幕)] 8点(2017-01-17 23:46:42)(良:1票) 《改行有》

12.  はじまりのうた 《ネタバレ》 冒頭のグレタの演奏シーン。二つの視点からそれは映される。 いきなり始まる演奏はお世辞にも上手と言えるものではない。多くの人が聞く事に集中せず、談笑をする中一人立ち上がる男性。 直後その男性の1日が語られ、先程の演奏シーンに結びつく。 彼の頭の中で流れるアレンジ。今まで体たらくだったダンとグレタの才能が結びつく瞬間。 二人だけが分かる世界で、物語が始まる瞬間の感動は言葉では言い表せない。 それこそが音楽が持つ力であり魅力なのだろう。そして視点を変えた反復とズレという映画の持つ力もここで表現される。 鬱屈とした思いの中、スティーヴの部屋で曲が生まれる瞬間も忘れられない。 そしてアルバム制作シーン。日常の雑踏の中で即興を交えながら、生の人が集まり演奏されるその様は音楽の原点であり、一つの到達点なのではないだろうか。 何よりも誰もが音を楽しんでいる。 現代の一から十まで計算され作り込まれた音楽に異論を唱えつつも、それすらも含めて音楽を愛している事が伝わってくる素晴らしい映画だった。[DVD(字幕)] 8点(2017-01-14 18:25:57)(良:1票) 《改行有》

13.  恋人たち(2015) 《ネタバレ》 問題が解決したわけではない。状況が好転したわけでもない。 世間には相変わらず偏見も差別もあり、不条理な出来事が溢れている。 でもふと顔を上げた時に空が青く綺麗だったり、今まで理解し合えなかった厳しかった人の人間らしさ、優しさを垣間見たり。 誰かの何げない一言が何故か心に響いたり。 食べ物が美味しかったり、心に残る良い映画を観たり。 多くの悪い出来事の中に少しだけある悪くない出来事に心を動かされながら、今日も何とか生きていく。[DVD(邦画)] 8点(2017-01-04 19:46:00)(良:2票) 《改行有》

14.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 アニメ的な決めゼリフ、芝居掛かった演技、大事な事を台詞で言わせてしまう脚本。 石原さとみに代表される違和感のある人物造形、舞台のような台詞回しと細かいカット割りの中でのアップの多用、それらは悪い意味で気になった。 ただそれ以上に魅力的な部分が多かった。 災害時の政府の動き、次第に波及する被害とそれに比例して事が大きくなる社会情勢は現実味があった。 攻撃を開始するまでのじれったいまでの溜めは日本という国の法制度、日本人らしさをよく表しているし、なにより緊張感を生み出している。 ゴジラの見せ方、造形も魅力的。人間の視点からゴジラを捉えながら、なめるように移動するカメラ。 見知った現実の街並みの中にいるゴジラは圧倒的な迫力と絶望感をもち、多摩川決戦で感じた高揚感は忘れられない。 そして生物としての生々しさ実在感を伝える皮膚から落ちる体液。闇夜の静寂の中から発せられた光、そして全てを破壊する光線。この一連の流れは、間の取り方も含めて圧倒的に素晴らしく、恐怖と同時に美しさ、ゴジラという一つの生物の崇高さすら感じさせる。 人類が生み出した負の側面の象徴であると同時に希望を生み出すものとしてのゴジラは初代ゴジラを彷彿とさせるし、作り手の熱い思いも感じた。 様々な災害を経験した今の日本における海外への返答であり、挑戦状。そして自らへの鼓舞。 凝固したゴジラは観光スポットになるだろう。それほど日本人、人間は良くも悪くも強かで環境に適応しやすく、たくましいはずだしそうであると信じたい。 そして人類を破壊する災厄と共存するという道を選んだ点も、震災後の現在の日本の姿とどうしても重ね合わせてしまう。[映画館(邦画)] 8点(2016-08-01 10:41:24)(良:1票) 《改行有》

15.  ディストラクション・ベイビーズ 《ネタバレ》 柳楽優弥が街にでて始めて獲物を探す場面。背中越しに構えられたカメラ、長く持続するカット、途中で止まる音楽。そして、振り向いた柳楽優弥の笑った顔が映され、獲物へと向かう。 息をもつかせぬ緊張感、全てが異様でしかない空気をセリフなしで捉える。 そして、暴力を通してしか他者とコミュニケーションをとれない男を、皮膚感覚も含めて提示する。 それからは、ひたすら暴力が続く。暴力の描写も鋭い。ロングショットの長いワンカットで捉えられるその様子は、鈍重さ、暴力の美しくない姿をしっかりと映す。 柳楽は相手を選ぶ事なく、ただ楽しさを求めて、喧嘩を繰り返す。そして戦い毎、成長する姿は悟空に近いものすら感じる。 彼にとって生きる事は、喧嘩をする事なのだろう。暴力を通して痛みを感じる事でしか、生を実感できないのだろう。ミュージシャンにリベンジを果たした後の、生に満ち溢れた眩しい太陽がそれを物語っている。 暴力の連鎖の果てで長身の男を倒し、一つの絶頂を迎える。 絶頂の後、菅田将暉と行動を共にするようになった物語中盤から一気に暴力の質が変わっていく。 秩序から無秩序へ、純から不純へ。 そしてその変化と反比例するように、柳楽の存在は小さくなり、菅田や小松菜奈の物語における存在が大きくなっていく。 菅田は自分より強い相手に喧嘩を挑まないだろう。自分より有利な状況の相手とは戦わないだろう。 小松は自己防衛の為なら何でもするだろう。そしてその二人が限りなく一般人に近い存在なのだろう。 エスカレートする暴力の中で人が死に、事故が起きる。警察に嘘をつく小松。弟に対するいじめ。柳楽よりは自分に近いであろう、普通の人々が映るたびに、柳楽の存在が恋しくなっている自分がいる事に気付く。 長い不在の後、満を持して故郷に凱旋する柳楽。 闇夜に照らされたその姿は、崇高ですらある。 負の側面だけには収まりきらない、暴力の魅惑を強烈に突きつける怪物がそこにはいた。[映画館(邦画)] 8点(2016-07-01 19:59:03)(良:1票) 《改行有》

16.  ヒメアノ~ル 《ネタバレ》 今の日本に起こりうる、フィルムノワール。 ファム・ファタール的な存在である、ユカも今の日本ではありふれているリアルな女性像。恋愛経験が乏しく、人生に傷ついた男性が、幻想を抱きそうな女性。 しかしその実は強かで、ごく普通な女の子であり、勝手な妄想を抱く男達(安藤、森田)の世界への微かな望みを打ち砕く存在でもある。 その現実との地続き感が故に、この物語が生々しく、辛い。 安藤が踏み留まった線を越えてしまった森田。その対比も痛々しい。 いじめという過去が原因と決めつけるには、あまりにも短絡的に思えてしまうほどの、逃れられない負の連鎖、日本社会の閉塞感を感じる。 物語中盤におこる思わぬ視点移行は、そのまま話しに推進力を与え、ジャンルの横断にも繋がる。そして世界が持つ多面性、無常感を痛烈に提示する。 計算されたカメラアングル、カット割りによる生理的に不快な殺人描写も洗練されている。 登場人物への容赦ない追い込みは、そのまま強制的に自分の人生をも振り返らされる辛さも備えていた。[映画館(邦画)] 8点(2016-06-15 00:28:30)(良:2票) 《改行有》

17.  野火(2014) 日常で目にする空よりより青く、雲はより白く、樹々はより青々と生い茂る。 血はより赤く、暗闇は全てを飲み込むかのように暗い。暗闇に照らされた光は、無機的な明るさを放つ。そうした色が混ざり合い、全てが主張する事が、世界の混沌を作り出す。 音は増長され、視覚(カメラ)は混乱を起こし、時間は感覚を失う。敵が、さらには自分すらどこにいるのか、どこから弾が飛んでくるのかもわからない。 色彩も状況も感覚も、全てが方向性を失い麻痺したとき、飢えが極限をむかえ、人間が道徳や倫理観を超える。 そこでは、観客が画面の向こうで、安心して出来事を見る事を決して許すことはない。[DVD(邦画)] 8点(2016-06-09 03:18:05)《改行有》

18.  IAM A HERO アイアムアヒーロー 《ネタバレ》 始めての、ZQN(恋人)との遭遇場面。郵便受けを使う事で、視野が限られ、扉の向こうと遮断され安全が確保されているという空間を作り出している。それは観客と映画の関係そのものであり、その場面で、観客の視点は、英雄の視点と同一化する。 だからこそ、扉を開けZQNと英雄が対決する瞬間がより、身に迫り恐怖を感じる。 恋人を殺した後、町に出る英雄。始めは通りの向こうにいたZQNが、長回しの中で、次第に数を増やし、近づいてくる。そして、後ろで爆発が起こり走り出す英雄。この一連の流れの素晴らしさ。持続するカットの中で、ZQNの特性、多様性、現段階で社会に及ぼしている影響を、視覚的に、充実した空間密度で見事に見せていく。 そして、武器により、表現される男性性。 ゾンビ映画で語られてきた社会風刺も、日本という国に合わせた形で、表現されている。それは死後もなお、仕事に縛られる姿であったり、抑圧された欲望の表出であったり。 英雄やゾンビの個別性に代表されるが、最後は社会全体ではなく、個の視点に物語を収束させている所に、この映画の素晴らしさ、ゾンビ映画における革新性を感じた。[映画館(邦画)] 8点(2016-06-02 00:50:22)(良:1票) 《改行有》

19.  レヴェナント 蘇えりし者 《ネタバレ》 全ての行動が「生きる」ということへの執着に溢れていた。それは食べる事、水を飲む事、移動すること、寝る事、生きる残るために人を殺す事、息をする事。 これほど生々しく、そして痛々しく、生を描いた作品は今まで観たことはない。 そして、ショットを多彩に駆使しながら、自然と人間との相関関係を客観的に捉え続ける視点。 瀕死状態のグラスを徹底的にローアングルのクローズアップ(観にくく、窮屈な印象)で映し続け、自然と折り合いをつけながら、生きていくようになるにつれ、カメラアングルは引いていき、観やすく開放的な印象に変わっていく。 そして時折、全てを俯瞰して捉えた視点が挟まれる。 カメラ自体が、生きているようだった。カメラの視点が人間に対する、自然の距離感を表し、それは超越的な神の視点のようにも感じる。 台詞が少ない中で、映像、音楽、効果音で物語を魅せる凄さ。 寒さや飢え、痛み、孤独を画面の中から感じる事で、本当の意味での体感型映画を体験することができた。[映画館(字幕)] 8点(2016-04-29 02:53:53)(良:1票) 《改行有》

20.  もらとりあむタマ子 《ネタバレ》 変化と呼ぶにはあまりにも些細な経時的な変化を楽しめる事ができるかで、大きく評価が分かれると思った。 度々差し込まれる食事シーン。 食事の仕方では、始め一人で食べていたものが、父と食べる(それぞれの皿、違うものをたべていたが、最後は同じ皿の食べ物を共有することになる)ようになり、最後には第三者(中学生の少年)と家の外で食べるようになる。その変化をとるだけでも、タマ子の他者との心の距離感が伺える。 そして食事に対する姿勢の変化。始めは全て用意されたものをただ受動的、作業的に食べるが、自分で食事を用意し、能動的に食事をする=生きようとするようになる。 食事という行為一つとってもこれだけの変化があり、それ以外にも、洗濯、家業に対する関わり方、父との会話、服装、歩き方などそれぞれが全て少しずつ変わっていっている。 それらの変化は普段自分達が日常生活を送る上での何気ない変化(自分でも気付かず他人に言われて始めて気付く、意識しない程の些細な変化)とも近いものがある。 行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば性格が変わり、性格が変われば人格が変わり、人格が変われば人生が変わる。という言葉を聞いた事がある。 台詞に頼ることなく、現代の日本人の若者に合わせた形で具体的に表現してくれた、素晴らしい作品だと思った。[DVD(邦画)] 8点(2016-04-11 17:57:38)《改行有》

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