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自己紹介 [2010年8月23日]
か…かわも…

(゚Д゚;)ノ

…映画界は今日終わった…。


[2017年7月16日]
猛暑の夜、amazonで映画ではなく『幼女戦記』を寝ないで通し鑑賞。
大局的な戦略から入って行くという、かつてない架空戦記アニメでありながら、その悪夢性を出し切った感がすごかった。
最終話はテーマ的にポエニ戦争から対テロ戦争まで、膨大な戦争のイメージを深く広く全面爆撃して吹っ切れる展開に。
スピルバーグの『宇宙戦争』はバクテリアに仮託してその地獄自体を救いと説いたわけだけど、このアニメはそんな所まで引いて俯瞰する気がサラサラないってのがスゴイです。

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141.  ケルジェネツの戦い 今まで慎重に避けてきた、とってもとってもおっかないノルシュテイン評。まあ最初は無難な(そうか?)あたりから…。 去年の『ナイトウォッチ』を皮切りに、太陽ソラリス罪罰カラ兄チャイコフスキー…ソ連・ロシア映画をけっこう観ました。で、美術さんの仕事ぶりが他の文化圏と違うのにビックリ。リトアニアの一分アニメも観たんですが、これすら美術がロシアっていた。 本邦みたいにデッサンがカチッと決まって「整理整頓の行き届いた世界」ではなく、様々な色が重層的に折り重なる「玉虫色でグニャグニャした世界」。明らかにロシア圏の美術担当は、同じ美的感覚の下で仕事をしています。 で、最近とても気になっているのがロシア正教。「言葉」を最重視して、全ての拠り所を聖書に求めるローマ旧教&新教と違い、ロシア正教では偶像としての聖画も重要な信仰対象になってるからです。画だけではなくステンドグラスも信仰対象で、名作の写真集見ても「なんじゃこりゃ」状態なんですが、函館出身の方に聞くと色ガラスの組合せにも宗教観があるんだとか。そういうガラスの光に包まれてミサなんかをやってる風景を想像すると、ロシア圏の映画美学が判らなくもないような。 ともあれ部外者にはまったくわからない独自の美学が、教会分裂千年の歴史で醸成されてきたのは想像に難くないですな。悟り重視だというその教義も、西側諸宗派のように世界を縦割りにしてしまう暴力感がなく、西とは全く別の宗教観の下で映画人が育っているのを感じます。ソクーロフやタルコフスキーはともかく、あのベクマンベトフですらその美的枠組の中にいる…と思うだけでもそこに分け入って、世界観を覗いてみたくなります。 で、その世界に住む究極の監督と言っていいノルシュテインの、思いっきり宗教じみた本作。ロシア正教的な美術への入口編と言ってもいいし、言葉を換えれば到達点と言っちゃってもいいんじゃないすかね。冒頭なんか、聖画をアニメートさせてる時の宗教的高揚感みたいなモノまで感じちゃうし。本作自身が、20世紀から始まった「動く聖画」の鋳型になるかも(まあロシア建国の物語ですが)てな、そんな気迫に満ちています。こいつを見続ければ、得るモノがあるかもなあ。 まあ彼は同時に《エイゼンシュテイン主義》の最右翼でもありますから、ロシア正教だけでは上手に斬れないだろうとは思いますが。やっぱり彼の作品は恐ろしいな。[DVD(字幕)] 6点(2007-05-02 22:27:33)《改行有》

142.  バベルの本 《ネタバレ》 観ました観ました話題の『バベル』! いやあ日本パートでは役所広司と菊地凛子の息がピッタリ合って、彼らに襲いかかるブラピのクワッと開いた口がまたデカいこと…って、やめよう。時節柄やっておかねばらなぬお約束、虚しいボケだ。 えー、まずバスのオッサンの顔はホルヘ・ルイス・ボルヘスでおます。でもって彼の忘れた本を開くと、ページからバベルの塔がニョキ! …記号的な意味合いは明白というかまんまボルヘスが編纂した『バベルの図書館』、そして彼が古今の物語から怪獣の断片をかき集めた『幻獣辞典』ですな。内容的にも《京》だったか《翁》だったか、巨魚の項にこんな話があってね、個人的にはオドラデクとかミルメコレオとか、絵にしづらい奴をやって欲しかったんだけどまあいいか。このアニメは幻獣を描いた作品ではなく、『幻獣辞典』を「体験」してしまった者の脳内映像というのが正しいでしょう。 それ以上のモンでもないですが。とってもピュアな、とってもストレートなインスパイアです。 切り出した断片を紹介する事で、オリジナルよりも鮮やかな印象を読者へ投げ与えるのはボルヘスの得意技。この手法を使った最も有名な本『幻獣辞典』は、解説本としては極めて罪作りな内容でして、何しろコレ読んで期待して原典に当たったら全然面白くなかったヨーという経験多数(カフカの楽しみを教えてくれたのは感謝するけどさ)。本当にただ抜き出しただけなのに、原典より面白くなる魔法がかかってるとしか思えない(名付けて「幻獣ウルトラファイト」!…イマイチだ…)。そんなんだから憎まれてショーン・コネリーにやっつけられちゃうんだぞー…は、別の映画ですが…。 このあたりの「断片感」、そして「断片の方が全体よりも面白い」という感覚は、このアニメでも存分に描かれている。推察するに、山村浩二もオイラと同じに原典探しをしてガッカリした経験を持っているに相違ない。 余談だが、本作に登場する幻獣の登頂部は、後の『頭山』への布石になったと見た。まあボルヘスも落語『頭山』を知っていたら(奥さんは日系人だから可能性はある)『幻獣辞典』に入れていたかもしれないが…。[DVD(邦画)] 5点(2007-05-01 04:47:42)《改行有》

143.  どっちにする? 邦題『どっちにする?』。 英語タイトル『What your chice?』。 「象は鼻が長い」を挙げるまでもなく、日本語は主語を省略するのではなく元々が無人称の論理を許す言語である。時として漢詩にも無人称構造があるのだが、日本語の方が先鋭的。全く似て非なる英語俳句がもてはやされるのも、日本語が持つこのあたりの、ヨーロッパ言語の息苦しさを自然体で否定した「軽さ」の魅力によるものじゃないかと思っている。イタロ・カルヴィーノがヨダレを流して喜びそうな言語環境に、我々は住んでいる(世界中から「このバカが」と冷笑されてるような、パラノイア的妄想が生まれないでもないが…)。 さて、その意味からすると邦題と英題は人称のあり/なしによって意味する所が違うのだが、日米の子供たちの絵から産まれた本作は両方が正しい。この微妙な矛盾をはらんだコンセプトが、ちょっとした魅力のアニメだ。 様々な選択を迫られるキャラクターたち。果物を選ばずに電球をうまそうに食べる虫もいれば、床屋も歯医者もキライという子供もいる。選択肢はあるのだが、選択肢自身から自由である人々の、何だかおかしな暮らしぶりは楽しく、人生はポジティブに軽い。 「I/You」の存在する世界では、どっちにするかは非常に重い。ひとつひとつの選択が積み重なって、やがては自己を形成して行く。選択には責任が伴っているのだ。日本語はそれを無視する。「誰が」選択をしているのか、そこにはっきりした主体はない。この軽い無責任感が、日本語の信条なのかもな。 この短編は、各言語文化圏の、映画における人称の特質に触れてしまっているかもしれない。意識しない領域で。 本作に続く山村監督の代表作『頭山』は、純日本ネタであると共に意識して描かれた無人称作品であり、無人称の罪深さ・幼児性を告発した作品だ。本作の製作時点で、そういう表現方法へ目が向いていたのかもしれない。[DVD(邦画)] 4点(2007-04-30 19:41:28)《改行有》

144.  秒速5センチメートル いい。 絵のセンスは素晴らしい(あの空の描き方は、世界のアニメ監督の誰も、一人たりと気付いていないんじゃないか?)。モンタージュの乱舞するエンディングには拳を握った。そこまでは心をうごかされたという事だ。 何はともあれ、一度きりの、空の表情の映画。日本は広い。『エル・スール』じゃないが、人は自分の住む土地の風景によって、空と雲によって、「思考させられている」と感じる瞬間がある。本作では南島独特の多層で多彩な雲、北関東特有のノッペリした無辺の青、東京ならではの息苦しい明るさが、人物なんかそっちのけで力を込めて描出されている。故に、これは「空の話」だったと断言したい。 だから極端に言えば人物が描かれなくてもいいんだが、そこはそれ、監督はまだ若い。話を進めるためにも人間は必要だ。 監督。10年後にもうひとつ、20年後にまたもうひとつエピソードを作りたくなるだろうよ。心にそのスペースを用意して、しっかり待ってるぞ(挑戦状)。 他方、ストーリーテラーとしては新人にありがちな背伸びが目立つのが致命的な欠点。点描によって大きなモノをスケッチするのは、緻密に描かれる部分があってこそ対比の力で受け手に迫るもの。1話目の電車・2話目のサーフィンを、あの程度の描写で終らせたのは罪が深い。というかインパクトが成立する以前に、映像が網膜から逃げて行った。せいいっぱいの限界点でやってる青い部分がたまらない芳香を漂わせているのも確かだが、一箇所でもいい、描きたい絵をとことんまでゴリゴリ描く事から逃げている現状は、決してアートとして成立しているわけじゃない。 ここは冷淡に突き放し4点にする。「悪い」「駄作」という意味ではない。物語世界に大化けする可能性を見出せないが故の低得点だ。このアニメはおそらく、もともとが5点満点の作品世界なのだ。バラバラの点描ゆえ、そこも突き抜けはしなかったが、素晴らしいモノがいっぱい詰まっている。それは間違いない。 DVDが出たら誰にも言わずにコッソリ買ってきて、毎夜コソッと一話づつ観ては泣き濡れる…オイラ案外そんな事をしそうな感じで、今から不安だすよ(笑)。 ●追記: いやしっかし、2話目のあそこで『ヴェルクマイスター・ハーモニー』の「アレ」登場シーンをパクるとは思わなかったけどな(客席で声を上げて密かにのけぞった (^^;)。その記号的な意味や、使い方まで「アレ」だし。[DVD(字幕)] 4点(2007-04-23 10:14:33)(良:2票) 《改行有》

145.  ブラックブック さーて正式レビュー行きまっかー! この映画、ホントに不思議な造りだよねえ。 (冒頭と最後に置かれた戦後シーンを除くと)いきなり途中から始まって、中間をすっとばし、「その後」をカットして進んでいる。主人公が平和に過ごしていた時期は、観客が違和感を持とうがどうだろうが「5ヵ月後」などのテロップひとつでジャンプしやがる。「平和」が全て削除されているじゃんよ(ついでに言えばバーホーベン映画だってのにベッドシーンもない!)。人物・伏線的には緻密な物語構成だけど、この「間隙」は相当クセモノだと思う。 本作はラヘル・シュタインという一人のユダヤ人の回想形式を取る。回想形式なのに「幸せ」がカットされているのはどういう事か。そこで何となく、一人称映画独特の「主観が物語までもねじ曲げる」という大トリックが仕掛けられている…てなコトに気付くのだ。 確かにラヘル・シュタインは、ナチス統治下で地獄のような目に遭った。だが多少とも幸福な時期はあったし、安全な時期もあった。彼女はそれを思い出せないのに相違ない。転じて、それが現代のイスラエルの駆動原理であり、もっと言えば旧約聖書で展開される出エジプト記の原理にもなっている(そこで聖書のエピソードがまた大量の間隙で構成されている事に留意すべきかもな)。 劇場で2回観たんだけど、この、怪しい奴だらけの人情迷路で、端役のクセに超重要である人間が2人ほどいた。全体構成を理解して、各キャラの腹の中を想像しつつ観ないと、その人物は浮かび上がって来ないので、最低2回は観る必要がある(断言)。 その人物たちが本作では端役になっちゃってるのは、主人公の心がそれを認めたくないから、だろう。彼女は戦争の被害者であって、あの戦争で、彼女と同じ虐げられた側にいながら彼女より幸福に生きた奴らがいるなんて、認めたくないわけだ。 物語の始まりが削除されているように、本作では物語の終りも削除されている(処理し残した伏線から考え、オイラはそう見ている)。 この嫌らしいトリックを、バーホーベン監督はわざとやっているはずだ。 なぜなら、現実のイスラエルの物語はまだ終っていないんだから。[映画館(字幕)] 9点(2007-04-20 23:29:10)(良:4票) 《改行有》

146.  満月のくちづけ 自分でも信じ難いが、昔は三宅祐司が好きだった(笑)。 その流れで観に行ったのだが、深津に完全にヤラレた。 今でも自分の中では、彼女は最強清純派アイドルだ(笑)。 CDは即座に買った。ビデオも買ったが、封は切ってない。 オイラが保存目的でコレクションした唯一の映画(笑)。 …いかん、こんなくっだらねえ事ばかり思い出す自嘲気味な夜には映画なんか観れねーぜ。 部屋でひとり紫煙にまみれながら、ラヴェルにでも浸っちまおうか…。[映画館(邦画)] 8点(2007-04-20 23:11:08)《改行有》

147.  花折り 初見。今回DVD化されるまで、喜八郎は恥ずかしながら中学時代に『道成寺』を観たのみだったのだ。そのたった一度の出会いですら他のアニメが霞むほどに強烈で、何年か後に自分を「舞台上で人形を操る」立場に導いてくれたのだから、喜八郎恐るべしなのだが。 閑話休題。 川本喜八郎は、デビュー時にして既に川本喜八郎であった。この、年季や上手下手を超越した作家性は凄いと思う。逆に、3D部の増加した後年の『死者の書』の方が、観ていて悲しくなるくらいだ。 若き日の本作は、当然ながら代表作『道成寺』に及ぶものではないけれど、既に観客の目が、あの独特の《喜八郎界》で遊べてしまう、という点では驚愕すべき人形アニメの一里塚。[DVD(邦画)] 6点(2007-04-18 21:03:03)《改行有》

148.  蟹工船(1953) 《ネタバレ》 原作未読。 これですねー、札幌の蠍座のプログラムで『父親たちの星条旗』の直前に観たんですよー。 もうね、『星条旗』の方では米兵視点で完全に「行け行け! 日本海兵殺ってまえ~!」状態ですわ。完全に洗脳されていた(笑…えるか?)。 それくらい、明治以降の日本式資本主義が明快に《画》になっている作品。銃を構えた海兵に労働者を包囲させ、「扇動者は誰だ! 出て来い卑怯者!」ってそれ、アンタが卑怯やん。 評価点は、《船》という閉じた生態系がまずしっかり描かれている事。 その存在目的とエコシステムが、物語の進行に連れて次第に明らかになる事。 やがて準前線的なヤバイ場所まで連れてかれる事を、労働者だけじゃなく観客までも知らずにいる事。 さらには(北海道人なら承知ですが)海で死んだ奴らがカニの餌になり、一段高いレベルのエコシステムまでが象徴的に暗示されている事。 音楽について。 冒頭、スタッフロールの背後で乗船する人々。ここで流れる音楽の厚さに圧倒されます。 誰かと思ったら音楽監修・伊福部明! これ怪獣映画じゃん!(笑) おそらく、船内世界を実社会へ投射させるという物語のメカニズムを生んだ草分け、『白鯨』を意識して、資本主義を巨大な怪獣に見立てるというプリプロダクション時の思考があったんじゃないかと思います。そう。これは、怪獣映画として壮絶に成功しています。 巨獣と群集の明快で絶対的(時として逆転もしますが)な関係が赤裸々に語られる本作は、凡百の怪獣映画より遥かに凄い。 スタジオでのお芝居もありますが、汚れきったきたねー衣装を揃え、字幕が欲しくなるほどちゃんとした函館弁を喋らせ、本物の蟹工船にキャスト全員を乗せて、本当に蟹を引き上げさせて、本当に大シケの中で(って下手すりゃカメラマン死ぬよアレ)、本当にスタントを荒波に放り込んで…このリアリズム。ヘルツォークがお坊ちゃまに見えてくるほど、体を張って撮った野蛮さ、無茶苦茶さで、脳天を撃ち抜くような迫力でした。[映画館(邦画)] 9点(2007-04-18 20:49:27)《改行有》

149.  父親たちの星条旗 『ハンバーガーヒル』+『ランボー』の品格高い版。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』以上だと噂に聞いていた時間ジャンピングは、ジョイス文学やヴォネガット文学みたいなモンだと思って観てれば違和感はない。というか論理がよくわかる。個人的には『ラグタイム』の原作のような視点ジャンピングを使った方が効果的だったんじゃないかと思う(まあ読まないとわかんないでしょうが…『Xメン』のプロフェッサーⅩが書いた歴史小説みたいな感じで凄いんですよ)。 指摘しておきたい点として、砲撃のさなかの空撮シーンは、記録フィルムよりは圧倒的に宮崎駿アニメの方に近いね。画面に出るたび『未来少年コナン』を思い浮かべちゃって困りましたよ。おそらく硫黄島の地形が、ギガントを思い起こさせる形状になってるからなんだろうな。 観終わって、まず「マンハッタン計画がもう少し早く始まって、ここに原爆が落ちてりゃなあ…」と嘆息しました。エンリコ・フェルミが日本の都市で爆発実験したがってたのは事実だけど。平時には何の価値もないこの島に落ちてたら、戦後がどれだけ変わっていたことか…。 プログラム的に『蟹工船』と続けて観てしまうという結果となったので、残念ながらインパクトの弱さが致命的になっちゃいました(船から人が落ちるシーン、向こうはカメラマンが命張って撮ってるからなァ)。が、後日DVDで見直す事があればもっと正当な評価を下します。あー来月は『硫黄島からの手紙』対『麦の穂を揺らす風』なんだよなあ…これもクリント・イーストウッドが割りを食いそうなカードだぜ…。[映画館(字幕)] 3点(2007-04-18 20:14:07)《改行有》

150.  酔っぱらった馬の時間 《ネタバレ》 古来から南米の山岳民族は、土地の生産性が低い割にピラミッドなんか作ったりしちゃって重労働を課せられて来た民族だ。重い荷物を背負って山を越えるシェルパは、出発の前にコカの葉を一枚、口に含むんだそうだ。麻痺した肉体は、耐えられないような辛い仕事にも耐えてくれる。そうして麻薬大国コロンビアは誕生した…以上は枕でした。 本作では、イラクに向けて出発する密輸キャラバンが、厳寒の山越えに耐えられるようロバに酒を飲ませる。キャラバンが進み始めると、そこで映画開始後30分にして始めての劇伴が入る。このルールは全編に渡って適用され、馬が酔っ払っている時間にしか音楽はかからない。まさに南米を舞台にした『アギーレ/神の怒り』の冒頭と同じ音楽原理。 長い人類の歴史で、とても耐えられないような辛い仕事を耐えられるようにしてきたのが音楽の力だから。音楽は人間の営みのエッセンスだから。無限の繰り返しによる「麻痺」という快楽が、音楽の原理であり、オシゴトの原理でもあり、そもそも人生の原理でもあるだろう。BGMではないけれど、序盤に子供たちが唱う歌が、それを率直に表している。 人生は辛い。人生は酷い。人生に希望はない…それを言い続けて、言い続けて、みんな麻痺して行く。感じなくなって行く。 そんな中で、決して良心を捨てようとしない主人公たち兄弟。弱者を見捨てようとせず、その態度に疑問すら持っていない、偉い事とか良い事とかも感じていない、とてもストレートな主人公たち。劇中、彼らだけは麻痺を拒絶して醒めて続けている。彼らだけが現実を直視している。ポスターを買ってくる兄の姿に、麻痺の兆候が見えてはいるが。まだ彼らは大事な何かを失わずにいる。 …もしこれがテーマだとすると、エンディングのカットタイミング、そこへエンドロールと共に流れてくる音楽は絶妙で、恐ろしい。音楽は、人の中の何かを奮い立たせ、同時に何かを失わせる。本作の劇伴ルールの厳密さから考えて、エンディングに流れる音楽は悲劇の暗示だと推測した。 地雷にやられたのかもしれない。兄を見捨てたのかもしれない。ロバが売れなかったのかもしれない。手術が失敗したのかもしれない…その全ての可能性と、結果として訪れる心の境地を、あの音楽が癒してくれている。 この映画自体も、観客の心へ失った何かを取り戻させてくれて、また奪い去って行く。映画もある種の麻薬だと思う。[DVD(字幕)] 9点(2007-04-14 09:20:09)(良:1票) 《改行有》

151.  不射之射 原作超えてるわコレ。いや表現媒体が違うから、比べる事自体が無意味なんだけどさ。あの人形の眼光を見たら、どれだけ言葉を重ねても表現できないモノがあるって事を思い知らされる。人形アニメという技法のポテンシャルが、最大限に近い所まで出切っている。 やっぱり、喜八郎はとてつもない。[DVD(邦画)] 9点(2007-04-10 14:19:28)《改行有》

152.  京鹿子娘二人道成寺(2006) ここの登録ルールに反するとは知りながら、敢えて登録申請させてもらいました。 実はこの作品は、本当にただ歌舞伎の舞台をビデオ撮影しただけなのです。そして、それこそが本作を端倪すべからざる理由でもあるのですな。ハイビジョン撮影のメリットを生かし、一切の照明なしで、固定したマルチカメラ数台で客席から舞台を撮影。カメラはレフ版やらスポットやらで甘やかされる事なく観客と同じ環境下で映像を記録し、舞台と同じサイズの巨大スクリーンへ投影できる画質を確保できる時代になったのを実感します。 特に、本作はいわゆる『娘道成寺』ですから、女形が着替えに着替え、着物の色・傘の色が乱舞する。この色が滲まず美しく出ていたのは、驚嘆。なんかスポーツ中継でファインプレーを目撃した瞬間みたいな、手に汗握るモノがあります。これはHDビデオの最先端技術のお披露目映画でもあるワケです。 冒頭、本作のそういう役割を自認したシーンがありまして、安珍の鐘を横に4人の僧侶が横並びでかけ合う場面を、アングルは固定、4人の爪先から頭頂までを余さずカメラに収めながら、かけ合う様をじっくりと見せる。歌舞伎座の観客の目の前にオペラグラスを置いたような、そんなアングルです。これで表情の微細な変化、僧侶のカツラの継目までがハッキリ見えてしまうんだから凄いですよ。 実は上映中2度ほど、あまりの臨場感で、本当に歌舞伎座に来たと錯覚して拍手しかけました。 それだけのパワーを持ったカメラで、画面いっぱい精細に詳細に微細に映し出される玉三郎・菊之介の顔のクローズアップ…猛烈に萌えねえ(泣)。 松竹の旦那、歌舞伎の客が見る以上のモノを映しちゃーいけやせんぜ![映画館(邦画)] 7点(2007-04-06 10:11:27)《改行有》

153.  うつせみ 面白い映画でしたが、困った。 最初から最後までオイラ、ほとんど人間を見てませんでした。ミヒャエル・ハネケの『セブンス コンチネント』と、そしてヤン・シュワンクマイエルの『ワイズマンとの休暇』と同系にある、家具と日用品の群像劇でした。オイラがタイトルつけるとすると『第七大陸から来た男』ですな(笑)。 …という風に解釈しながら観ていたので、後半から結末にかけては「前半でオイラの脳が観ていた絵」をご丁寧に繰り返してくれてるだけで、すっかり飽きてしまったという…嬉しいようで全然嬉しくない体験でした。しっかりした土台を作って、その上にまた丁寧な土台を築いたような感じ。入居しようと思ってたビルがない。 キム・ギドク監督、この程度で観客を煙に巻いたと思ったんなら甘い甘い。その先をお願いします。[映画館(字幕)] 5点(2007-04-04 12:56:16)《改行有》

154.  ユア・マイ・サンシャイン 《ネタバレ》 なんすかこれは〜! ジャンルは分類不能、物語も解析不能。ただただグレードアップして行くファム・ファタール対、妙にウゴ・チャベス似の顔した主人公の直情さ全開。後半、なんか常識レベルを越えて怪獣映画なみの障害物にまで成長し、ハンニバル・レクターばりの状況に追い込まれるヒロイン。それに対してただただ等身大の愛を捧げ続ける主人公。こんな無茶苦茶ができるんだ、映画で! 身を削り、村八分になり、家族も親戚も捨て、それでも「愛してる」と言い続ける。こんな中身のない、それなのに凄い映画は観た事がないっす。 同じ状況設定から始まっても、日本の映画なら『恋するトマト』であるワケですが、あれと違って落ち着きの悪さがパワーに転化していました。日本はお行儀が良すぎるのか…? 誉めるとかけなすとか、そういう次元をすっかり越えた奇作。打ちのめされた感じっす。[映画館(字幕)] 8点(2007-04-03 23:13:29)《改行有》

155.  岸辺のふたり 《ネタバレ》 意味不明記念レビュー。 「三つ子の魂百まで」という作品。でも、やはり悲しいかなヒトは三つ子の魂を忘れて行く。強烈な想い出があっても、そこへ足を向けるのが間遠になっていく。それが人生。次第に周囲のコントラストは弱くなり、目の前に広がる風景はイリュージョンをなくしていく。 だが、その全てが寓意だったとしたらどうだろう? コントラストが弱くなった代わりに世界のいろいろなモノが見えるようになり、印象的な、不思議な光景が見られなくなっても、やっぱりそこは三つ子の魂で構成されているんじゃないのか。 自分の一生のうち、この主人公のように自らの原風景に立ち帰れる瞬間はいったい何度あるだろう。すぐそこにあるはずなんだが。見ようと思えば見えるはずなんだが。 幼少期の光景が、漆黒のボタ山や、煤けた裏路地や、身を切るような雪や、どこに行っても坂道の街路や、遥か遠方の深い色の海や、そんな色々な光景が画面とは関係なく心に浮かんでは消えて行った作品。 残念ながら鉄の街・室蘭で過ごした光景の中には、晴れた空の記憶がひとつもない。原風景というのは人格にも影響を与えているのかもしれないが、やはり運に支配されているんじゃないかな。叶うならばこんな、クルクル表情を変える空と、キラキラ光る河が見える街に生まれて、というか連れて行ってもらって、それを一生持ち歩いて行けるよう心の中に刻みたかったものです。[インターネット(字幕)] 9点(2007-04-03 00:38:12)《改行有》

156.  パフューム/ある人殺しの物語 こりゃオイラにゃ書きようがないよ(泣)! まいりました。 一応、原作持ってます。出版された時は大評判でしたからねー。途中でやめちゃった(まだ、なめし皮職人にもなってない時点でやめた)のが悔やまれます。家に帰ったら探して読もうっと![映画館(字幕)] 10点(2007-03-27 22:09:55)《改行有》

157.  ハッピー フィート 《ネタバレ》 これこそはネタバレできん作品。 魂を抜かれました。本当です。 でもま、完全に意味不明なネタバレは書いとくか。 社会生物学というジャンルがありまして、この中ではオイラはウィルソンは信奉するけど、リチャード・ドーキンスは嫌いです。そして科学的におかしい部分があったとしても、コンラート・ローレンツの生き方は凄いと思ってる。顕微鏡を生涯の恋人に決めたような、スティーブン・グールドもステキだ。 ああ、なんていう詩的なディスプレイ。詩的な歌。利己的な遺伝子が生き方を決めるんじゃないよ。誰かが発見した新しい生き方が社会に受け入れられる時、社会全体が変わるんだ。有機化学的にも、行動・文化の上でもね。 その意味では、新しい行動生物学の枠組みの中にありながら、既に葬り去られた今西説的な側面も持つ映画でした。これは生命の本質を描いた恐ろしく詩的なSF作品です。 大半の人は、そうは観ないだろうけど…。[映画館(吹替)] 10点(2007-03-26 20:10:17)《改行有》

158.  ショーガール 『ブラックブック』鑑賞の前哨戦として鑑賞。なにしろ主人公があの性格ですから、最後まで観終れずに挫折する事20回以上。オイラ映画鑑賞史の中で最多チャレンジ数を誇る雄峰の難路でした。いや〜今回ついに登頂できましたよ。感動ですよもう! 結果として、9点か10点かで非常に迷いましたがとりあえず9点にしておきます(満点にしたら、今まで見通せなかった自分が悲しすぎらァ)。 全体構成が巧みなのはバーホーベン監督の得意技ですが、この作品は本当に構成上の欠点が見当たらない。あえて挙げれば、ドレッドヘアのレゲエあんちゃんが前半出番が多くてバランス悪いかな、ってトコくらい。あと不必要感の高いチンパンジーは、ステージで滑べっちゃうネタの伏線の名残りと見ました(結局踊ってるシーンなかったし)。 ノエミという一個の無垢な、しかもいつ折れてもおかしくないくらいテンパってる精神が、ショービズ界の中で汚れるか汚れないか。物語はそれだけと言っても過言じゃないので、彼女の前に現れては去って行く人物たちの、整理のされ方が本当に心地いい。かつてのストリップ小屋の支配人が尋ねて来るシーンの挿入場所なんか完璧すぎです。過去の自分をふっ切る、後半戦突入の直前。あそこは泣けます。 まさにラジーを取るために生まれてきたような、ピュアでハレンチな大傑作。 なんか「わざとウンコの中にダイヤを隠しました」みたいな趣もないではないですが(笑)。[DVD(吹替)] 9点(2007-03-25 21:19:11)《改行有》

159.  シン・シティ うーむ。 デヴォン青木は、この時点で既に《デヴォン青木》というキャラなのか。 ●追記:いや、やっぱちゃんと書く(笑)。 あれれ…? いろいろレビュー読んでみたけど、そんなストレートな話じゃないっしょ? 「愛」も「バイオレンス」もテーマじゃなくて、そういうモノで駆動する「男らしさ」が生む危険な狂気を描こうとしているんだけど、作り手側も既にその狂気に呑まれているんで公平にジャッジできる場所へ脱出できない、その身近な狂気とのナレアイ振りを正直に告白した「自分美学」なんじゃないの? そうであればこそ3人の主人公が全員、自分の正気を疑うシーンが出て来るわけでしょ(薬の切れたマーヴ、死体と会話するドワイト、メフィストフェレスもどきのイエロー・バスタードに出会うハーディガン)。これが3度繰り返されると、さすがに表面的には解釈できなくなります。もう、『深夜プラス1』のラストみたいな「若者に教訓を垂れる」という逃げ場もないので、泣きたくなるほどの惨めさですよ。 そして、最終話の(一番現実的な)決着のつけ方によって、「男らしさ」の美学が完成すると同時に、その「狂気」はどう扱われるべきかも描かれているんじゃないすかね。そういう、世間に対してへりくだる態度までが、現実には男らしい狂気の一部なんで救いようないと言えばないんですが。 きっと、中年になったらわかるよ。その頃にはある意味で、もう遅いんだけどね。『男』という社会的鋳型の内にある狂気は、『男』が完成してからでないとわからないモンですわ。 余談ながら、このテーマを「内側から」スタイリッシュに拡張したのがキューブリックの諸作(特に『博士の異常な愛情』)、「外側から」ジャッジできる地点まで引いて撮ったのがヤン・シュワンクマイエルの『男のゲーム』(まあ他の諸作もそうだ)。本作と観比べてごらんあれい。[インターネット(字幕)] 5点(2007-03-23 23:21:27)(良:1票) 《改行有》

160.  かもめ食堂 鮭の切り身に塩をふって、焼き網の上に乗せる。熱源はガスのようだ。当然、油がポタポタ落ちてキッチンはベトベト、換気扇のないらしいキッチンは食堂内と仕切られてないので、店内は場末のホルモン屋のように煤と油が染みついて、そこにはマジックで書かれた「ホッピー」という張り紙が黄ばんで…ないんだな、コレが。 映画のマジックなワケだけど、何となくそこんとこのリアリティのなさだけが気になり、そして悲しかった。言ってみればこの店内、サチエの内面みたいなもんだ。スッキリと美しく、塵ひとつない空間。そこで魚を焼く事は、絶対できない場所。 じゃあキッチンは別の部屋になってた方がよかったのか…? もちろん画面的にはそんな事はないワケで、キッチン・食堂・表通りが素通しで見渡せる店の構造は、(ガラスへの映り込みも含めて)映画中でいろいろな画面の遊びに使用されていて、観飽きる事がない。オイラ的な結論としては、この店はコーヒーとオニギリ以外は出しちゃいけないんじゃないかって気がした。 あと、だれ一人困らずにワリバシを使いこなしてるフィンランド人たちってどうよ。 ま、ゴチャゴチャ突っ込む割に、きっとまた観に行くだろうけど…。[映画館(邦画)] 6点(2007-03-21 19:07:37)(良:1票) 《改行有》

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