135.TVのレポーターが平野ノラに見えて仕方ない。カチっとしたスーツ、太い眉、やせぎみの頬骨のはった顔つき。
学校の教室で子供ゾンビに集団で襲われるときに「おったまげー!」とか言い出しそうだ。
レポーターだけでなく、ノリの軽い黒人運転手、カウボーイな狙撃手、停職中の女性警官(ジル)とその相棒、元アンブレラの隊員・・・と、一挙にいろいろなキャラクターがワラワラと登場し、さらに敵陣もゾンビに加えて、リッカーやら、元マットのネメシスやらが登場し、ゾンビVSアンブレラ隊員というシンプルな構成だった「1」の続編は、イッキに”バイオハザード祭り”の様相を呈してきた。
良くも悪くも、にぎやか。
それゆえ、面白くもあり、まとまりがなくなりつつもある。
バイオハザードのゲームをしたことのない私としては、こうしたさまざまなキャラの登場と、学校や墓場や実験室といったいかにもゲームゲームした場面がやつぎばやに訪れてはそこでドンパチが繰り広げられる作品は、純粋に”ゾンビ映画”を楽しむにはちょっと適してはいない気がした。
つまり、ゲームを見ているような感覚にさせられるのは、映画作品としてはどうなのかと。
面白い場面のツギハギであるがゆえに、見終わったあとで、おなかがいっぱいにはなるが、ストーリーとしてどうだったかと言われるとそこまで絶賛というほどでもない。
そうなってくると、気になりだしてしまうのが、つっこみどころだ。
教会のステンドグラスをバイクで突き破って登場するアリスは超カッコイイが、そこにリッカーや助けを求めて緊急事態な人達がいるとどうして分かっていたのかなとか。
死体がうまっている墓場にわざわざ入ってくんなよとか。
Tウィルス開発者の博士をみせしめで撃つとか、あんた小ボスのくせに上の承諾とらんでいいんかいとか。
とはいえ、「これはゲームの映画化だ」と割り切って自己暗示をかけて見れば、純粋に楽しめることは楽しめるわけで、今作はそのように”割り切り”が大切なものだと思う。