354.《ネタバレ》 ストーリーは存在しない。そこにあるのは、モガディシュの戦いをリドリー・スコットが画面に再現しようとした事実だけだ。この様な種類の映画もある、と言うことを認めない人間もいる。
米軍は虐殺されて当然
この映画の感想でこう言うテロリストのような意見をたまに見かけるが、一体誰にそう言った思想を習った上での意見なのだろうか。民兵という言葉に古代の義勇兵の様な正義の市民をイメージしているとしか思えない。
「巨大資本をバックグラウンドに、テロリストのスポンサーが貧民を集めて軍事訓練を施した『職業テロリスト達』」である。本当に哀れみの対象だろうか?
事実は決して届かない。自動小銃の取り扱いはおろか、躊躇無く人間に発砲する事すら訓練を受けていない人間には不可能なことだ。
市民に銃を向けた米兵が憎い。軍事キャンプで訓練を受けた民兵を射殺した、米軍が憎い。そう言う彼らにはこれがテロリストの末席の発言と等価である自覚は無い。
存在もしない石油の陰謀と尾ひれがついたフリーメイソンによる世界征服にはらわたを煮えくりかえらせ、アメリカ人を殺したいと普段から願ってやまない人間たちには、2013年4月にソマリアがIMFにより国家として承認された事実さえもきっと許せないのだろう。
テロのフロンティアがまた一つ消えたと、米兵が死んだ土地を惜しんで酒の肴にでもするつもりだろうか。
彼らにとってはテロリズムによるアメリカの崩壊が正義で、正規兵や正規戦による紛争解決はその暴力の対象でしか無い。心の中の暴力性を代弁してくれるテロ国家やテロ組織が一つ消滅する度に彼らの目は信仰のはけ口を探して所々にさまよう。
ソマリア紛争の外資産業による復興という概念を経済テロに置き換える人間の頭の中にはどんな憎悪が隠されているのだろうか。それが誰に埋め込まれた物なのだろうか。
彼らの中では数千人の武装勢力は永遠に英雄で有り、アメリカ敗北のシンボルで有り続けるのだろう。
しかし、事実は作戦成功であり合衆国軍の勝利だった。テロを正当化したソマリアが国際社会から見捨てられるきっかけになる戦闘があっただけだ。
ただ、本作終盤、マラソン以外の何物でもないということには非常に当惑した。