147.《ネタバレ》 「ヒズ・ガール・フライデー」「イヴの総て」に並ぶセリフ劇の傑作。
フランクリン・J・シャフナーが演出を手掛けたドラマが原作だが、映画版となったシドニー・ルメットのこの作品もモチロン面白いし、リメイクとなるウィリアム・フリードキン版やニキータ・ミハルコフ版もまた面白いんだよなコレが。
同時に、ハリウッドのアカデミー賞ってシステムがクソッたれだという事もよーく解る作品だ。
あの雨上がりのシーンを撮影した名カメラマンのボリス・カウフマン!
ソ連出身、「これがロシアだ!(カメラを持った男)」を手掛けたジガ・ヴェルトフの弟、
「アタラント号」「波止場」「ベビイ・ドール」を撮ったカウフマンに撮影賞を与えないなんてアホなのか?
そりゃあ、受賞した「波止場」に比べたらシーン数は少ないだろうよ。
だが、ラストシーンにおけるカウフマンの撮影が無かったら作品の評価そのものが割れるほどだと俺は断言したい。
何と言ってもヘンリー・フォンダが闘いを終えて外に出るシーン。
今まで降っていた雨が止み、法を巡る論戦からの、密室からの解放感。濡れたアスファルトから漂う蒸気の涼しげな様子。その場所でフォンダと御老公が互いの健闘を讃えてそれぞれの名前を聞くシーン。
このシーンの何ともいえない空気感というか、一仕事終えた後のあの達成感。
それがラストシーンに刻まれているのよ。
密室において繰り拡げられる12人の男たちの言葉をぶつけ、言葉による殴り合い。たった1人の少年の命のために。
無罪なら(人生を)延長、有罪なら即座に・・・無駄と解ったらブッ殺して(死刑)楽にしてやればいいのだから。
異を唱える1人の男がイカれているのか、
それとも何の疑問も抱かず問答無用で少年に死刑を下せる11人の男たちがイカれているのか。
セリフだけかと思いきや、証言を思い返す内に出てくるナイフ、現場再現、子供の写真、そして眼鏡。
フォンダの言葉だけが11人の男たちを動かすワケじゃない。
過ぎる時間、暑さ、降りしきる雨、雨、雨。心も身体も消耗、誰が最後まで粘り、誰が最後に折れるのか。
12人の、そして傍観者・伝達者として部屋に出入りする13人目の男。
欲を言えば例の女性や例の御老人の姿も一瞬でいいから見せて欲しかった。
ま、そこは小説のように想像に任せるとしましょう。