12.《ネタバレ》 「007/死ぬのは奴らだ」は、ジエームズ・ボンド役としては、初代のショーン・コネリー、二代目のジョージ・レーゼンビーに次ぐ三代目ロジャー・ムーアの記念すべき1作目の作品。
ジェームズ・ボンドのイメージは、硬派のショーン・コネリーで確立されていたので、軟派のロジャー・ムーアではどうかと思っていましたが、私はムーアはムーアなりの個性、キャラクターで見せていて、かなり面白く観ました。ただ、映画としての欠点、突っ込みどころは山ほどありましたが。
この007シリーズは、大人向けの漫画というか、西洋忍者もので、もともと荒唐無稽なので、スリルとサスペンスがあればいいわけです。
この映画はシリーズとしては8本目ですが、この作品が発表されたのはかなり前で、確か「カジノ・ロワイヤル」の次だと思いますが、このイアン・フレミングの原作の小説には、ボンド映画の原型的なものがいっぱい詰まっていて、007の原点だと言えると思います。
映画のほうは必ずしも、原作の執筆順に作られたわけではないので、さてこの映画を作ろうと思ったら、新兵器も、意表をついたアイディアも、それまでの7本の映画でかなり紹介されてしまっていた。そこで、原作をいろいろといじらざるを得なかったのではないかと思います。
ミスター・ビッグが島で麻薬を栽培していましたが、原作では海底に沈んだスペインの海賊船の財宝を島に隠しておいて、やがて、これをアメリカに持ち込んで、経済を破壊しようと計画しているのを、ボンドが海底から襲撃。タコに襲われたり、鮫に食いちぎられたり、とくにあのラストシーン。本当はもっと迫力があるのです。
映画自体は、確かに子どもだましのところが多く、あんな強力なシンジケートの大ボスが、ガス圧縮弾なんか口にくわえさせられて、バーンと破裂するのだから、これではボス役のヤフェット・コットーがかわいそうでなりません。
そして、ボスに捕まったボンドとソリティアが裸にされて、船の横に張った網の上をいくわけですから傷ついて血がでます。
当然、臭いを嗅ぎつけて鮫がやってくる。そのままなら、全身食い荒らされて大怪我をするのだが、この船にボンドは爆薬を仕掛けている。
駆逐艦の機雷掃海艇、あれと同じに機雷に触れると、船が爆発する仕掛けです。
爆発が先か、鮫が先か、ボンドはそのタイミングを計るわけです。
原作通りにやれば、もっとラストの危機感も盛り上げられたと思うと残念でなりません。
全体として言えることは、主役がロジャー・ムーアに替わったことで、映画も今までみたいなスリルとアクションだけのボンド映画から、更に笑いの要素が入ったニュー・ボンド映画の誕生にはなっていると思います。
ただ、嘘でもいいから、もっと緊迫感が欲しかったと思います。オープニングの滑り出しは快調で、特にお葬式のシーンなど抜群に良かったのですが、どうも先細りになってしまって-----。
ともかく、新しい兵器がまるでなくて、結局は人間凧くらい。敵に見つからないように空から降りたというだけの話。
あとは磁石時計。だが、このアイディアは、確か前にも使っていたようだし-----。
いささかアイディアも枯れて、スケールも小ぶりになった感じで、我々観る側からすれば、どうしても今までのショーン・コネリーの、あの逞しい、男くさいイメージが固定しているから、甘いソフト型のロジャー・ムーアのほうがどうしても分が悪くなるのは致し方ないのかもしれません。
だから、余計、アイディアでもプロットでも、お色気でも、そのへんをカバーする強力な何かが欲しかったと思います。
ワニ圏での脱出も、面白いと言えば面白いのですが、イナバの白兎みたいな発想でどうかと思うし、ボートでの追っかけも、ああ延々と見せられては冗長すぎると思います。どうも演出にメリハリがないのです。
そして、悪が黒人という発想は、迫力はありましたが、その割には強大な感じがしないし、それから、あのタロット、カード占い。ソリティアは物凄い超能力を持った女性なのですが、もう少し面白く描けたのではないかと思えてなりません。
ポール・マッカートニーが作曲したテーマ曲が素晴らしかったので、そこを考慮して6点としておきます。