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onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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61.  ブルーベルベット
リンチの映画には独特の違和があります。「ブルーベルベット」では、非日常的で妖しい、暴力的な世界を主人公が覗き見ますよね。僕らは主人公の覗き見を通して映画を見るわけで、主人公が覗き見ることによって惹かれてしまう世界に僕らも惹かれる。僕ら自身の心に揺蕩(たゆた)う異様さへの希求と恐怖感の微妙な捩れ。そのことに気づかされるリンチの映画は、はっきり言って、とても「快感」なのであーる。ちょっと自分自身が怖くなるなぁ。リンチ映画の観すぎ注意!
10点(2002-03-10 10:39:44)
62.  マルホランド・ドライブ
「マルホランドドライブ」はリンチの集大成的作品といえるでしょう。リンチの映画は一種の妄想です。まぁ映画そのものが映画作家の妄想であることも確かなんだけど、リンチの場合はそのことを明確に主張しているように僕には思える。この映画のすごいところは、リンチの妄想という土俵の上でさらに妄想的な世界と現実的な世界が入り乱れているにも関わらず、メインストーリーがしっかりと成り立っていることである。前半はマルホランドドライブの境界に入り込んだカミーラが妄想の世界に迷い込んでいるというのが僕の解釈だけど、観てる時には全くそのことに気がつかない。逆にカミーラの存在に違和を感じてしまう。箱を明けたところで妄想的世界が終わり、その後に「以前の」物語が始まるんだけど、それまでの流れと一変して激しい展開になる。これが実は現実的世界で、この物語の軸となるのは、ダイアンのカミーラへの強烈な恋心である。この「恋」への執心と現実の違いに対する嫉妬、憎しみ、絶望がダイアンの中の世界を歪ませてつくらせた物語が前半の妄想世界だと僕は思う。最後にカミーラはダイアンの雇った殺し屋に殺られそうになるんだけど、不意の交通事故で助かって最初のシーンにつながる。とにかくこの作品のストーリー展開と映像にはもう観ている最中から興奮しまくりました。(レズシーンだけじゃない!?)それはリンチの奇妙に捻れた映像感覚が僕らの内面の捻れに共鳴しているからなんだと思う。そして観終わった後に、この物語の核がダイアンの恋心であり、それがとても哀しい「ラブストーリー」なんだって気がついた時には妙に心が揺さぶられるものがあったのです。「マルホランドドライブ」は、リンチのベスト作品だと思う。ついにここまで来たか…っていうのが素直な感想。
10点(2002-03-10 10:35:18)
63.  ストレイト・ストーリー
ストレイトじいさんのストレイトなお話。いいですね。ただひたすら自分を抱えて生きてきたこと。その素直な表明。自分の生きがたさは誰のせいでもなく、ただ自分のうちで耐え続けていくべきものなのだ。その凛然とした態度。それを理解し、理解される娘の姿にも心動かされる。
10点(2002-03-01 22:25:21)
64.  未来は今
ジェニファージェイソンリーを決定的に好きになった作品です。彼女が持っている違和感と作品が妙にマッチしていました。あの登場シーンは良かったですね。あと、まぁとにかく笑えました。コーエン兄弟の作品の中では一番。。。笑えた。
10点(2002-03-01 02:36:13)
65.  ザ・コミットメンツ
この映画のサントラが中古で500円で売られていた時はショックだったなぁ。定価で買った僕としては。物語としてもなかなか面白かったけど、やっぱりライブ映像が良かったな。ボーカルが良い。「トライ・ア・リトル・テンダネス」はとても感動的でした。パブロック的な白人R&Bは結構イケると思うんだけど。
10点(2002-03-01 02:03:02)
66.  ライトスタッフ
ナンバーワンはやっぱりサムシェパードだけど、デニスクエイドとフレッドウォードのコンビもいい。あと、エドハリスも精悍だし、スコットグレンもいい味だしていたなぁ。とにかく役者もライトスタッフたちでした。もちろんバーバラハーシーも可愛かったぞ。
10点(2002-03-01 01:45:02)
67.  インディアン・ランナー
正義漢の兄と落ちこぼれの弟のお話。兄弟は、話の展開にしたがって徐々に心が離れていくようにみえる。理解しあえるようでいて、それはどんどん遠くに離れてしまうのである。そのことの理由は語られない。最終的に警察官の兄が犯罪者となった弟を追跡するシーンにまで至り、父親は兄弟の確執とは関係のないところで意味もなく自殺する。図式はありふれているし、話としても結構単純だ。しかしそのモチーフは僕にとって切実に思えた。兄は弟を追いながらそのことの意味を理解できない。弟は兄に追われながらその理由を失っている。自分の心さえ掴めない寂莫感にお互いが自覚的ではあるけれど、最後に兄が弟を見逃すシーンに言葉はなく、ただ「アイ・シャル・ビー・リリースト」(byザ・バンド)が流れるのみ。「いつかきっと僕は解放されるだろう」 あー、なんてリアリティのないフレーズだろうか。そのことの空虚さが心を締め付ける。「インディアンランナー」はたぶん時代遅れな映画だ。すべてに自覚的でありすぎる分、それはもう時代遅れなのだ。僕らはその時代遅れの気分でしか、もう心を震わすことができないかもしれない。それはとても切ないことだけど…。 <ちなみに冒頭で、狼の力を盗んで鹿狩りをするインディアンの逸話が出てくる。弟の中で幻影のように現れるインディアンとは、自分自身に潜む凶々しさとその神々しさが一体となったスピリチュアル・イメージであり、その「らしさ」に理由がない絶対的な存在としての強迫観念でもあるのだ。>
10点(2002-01-17 02:36:29)(良:2票)
68.  ラスト・ワルツ
ザ・バンドのラストライブのドキュメンタリーフィルム。監督はマーチン・スコシージ。僕はダンコのバラードが大好きで、「It makes no difference」の歌い出しのところなんか映像で観るとしびれるんだなぁ。ゲストも最高。ヴァン・モリソンの変なおっさんぶりも、ニール・ヤングのおたく青年っぽい感じも、Dr.ジョンも、ディランも何もかも素晴らしい。ロビー・ロバートソンとクラプトンのギターバトルもいい。(クラプトンと比べると改めてロビーのギターソロの味が分かるのだ)同名CDは永遠不滅のライブアルバムだと思う。
10点(2002-01-17 02:14:59)
69.  ビリー・ザ・キッド/21才の生涯
僕にとってのペキンパーNo.1。この映画は、ペキンパーの思想そのものだ。ペキンパーほど生き様と死に様が醸し出す時代精神の深みを切実に描く作家はいない。見方によってはすごく青臭いと思うかもしれない。クリストファーソンやディランのようなミュージシャンを出演させていることが若者に媚びた印象を与えたかもしれない。ジェームズコバーンが単なる理不尽なおじさんにみえたかもしれない。そう、どれも当たりです。いや、逆です。すべてがペキンパーそのものなのです。クールに生きて、あっけなく死んでいくクリストファーソンと葛藤に苛まれながら己の生き様を貫いたコバーンの対比。生き様が死に様であり、死に様が生き様であることを体現していく多くの脇役たち。<イカサマおじさんや川縁の決闘で死んでいく老ガンマンが特によかったけど、その他ペキンパー映画の常連たちも素晴らしい> これら一つの時代の終わりを丹念に追っていくこと。ひとつひとつにペキンパーの情念が感じられないだろうか? こんなにもカッコよくて、こんなにも哀しい群像に満ちた作品が他にあるだろうか? ペキンパーの撮影中の酒乱が原因で撮影が長引き、編集権を配給会社に奪われたりとかなんとか、そういう先入観でこの映画を観てはいけません。ここにこそペキンパーの集大成があるのですから。それぞれのシーンを揺蕩(たゆた)う深く哀しい情念の灯火。僕はしっかりと受け止めましたよ。とてもぐっとくる映画。
10点(2002-01-12 00:11:12)(良:2票)
70.  ファントム・オブ・パラダイス
はまる映画ですね。この映画に感動してうるうるしてしまった自分にはっとさせられたものです。普通じゃないかも。。。僕の中ではいまだにデ・パルマの最高作です。
10点(2002-01-12 00:01:15)
71.  イングリッシュ・ペイシェント
恋愛映画を1本だけ挙げろと言われたら、「黒い瞳」にするか「ベティブルー」にするか、それとも「東京夜曲」にするか、一晩悩んだ末に僕は「イングリッシュペイシェント」を挙げているだろう。恋愛映画にとって、登場人物を取り巻く状況は重要なファクターとなるが、それは恋愛に対する障害の大きさがその激しさに比例すると考えられているからであろう。しかし、恋愛映画にとって一番重要なのは状況そのものよりも、恋愛の本質理解である。恋愛とは自己意識と世界の関係性そのものである。そのため、意識としての恋愛は常に利己的かつ自虐的ものとならざるを得ない。それは自己の周囲にメタフォリックな非現実空間を作り出し、他者との現実的な劇に引き合う中で苦悩や挫折を導くことになるのである。「彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それなのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶する状態にある。つまり、彼の恋愛関係はすでにまったく終わっているのである。」これはキルケゴールの言葉だがまさに恋愛の利己性を衝いており、恋愛が本質的にメランコリックであることを見事に言い当てている。本質を捉えていない作品は空虚で薄っぺらく、この本質を間違うと途端に見るに耐えないものに陥ってしまうだろう。また作品の状況が状況だけに間違ってしまう場合があるが、ここで「戦争の愚かしさや虚しさを痛烈に告発する力強いメッセージ」などは不要である。主人公の口からそのような台詞が吐かれた途端、僕らは一変に興ざめしてしまうに違いない。ここまでくれば、「イングリッシュペイシェント」が恋愛の本質を十分に表現している優れた恋愛映画であることがお分かりいただけたかと思う。<え?分からない?そうですか、それは残念です。> 最後に補足;人はシンプルな恋愛映画を指して「昼メロ」と呼ぶことがある。典型的なパターンとして不倫愛を挙げるだろう。その場合、それを「昼メロ」と呼んでしまった途端にその発語者は恋愛という劇から最も離れた存在である自分を自覚することになる。だからなるべくそういった類型的な視線を排して、作品を鑑賞しなければならない。
10点(2001-12-19 00:38:21)
72.  八月の鯨 《ネタバレ》 
「人生の半分はトラブルで、あと半分はそれを乗り越えるためにある」。この台詞がこの映画の名言としてよく取り上げられる。しかし、この台詞を吐くのは主人公の二人ではなく、二人の幼馴染みである老婦人ティシャ。彼女が会話の中でサラッと言うので、名言と知られているわりに、正直、あまり印象に残らない。ティシャと共に饒舌なのは、老紳士ミスター・マラノフ。彼も人生訓のような台詞を沢山吐くが、こちらも同様にその饒舌さ故にあまり印象に残らない。  リリアン・ギッシュ。当時、御年93歳。彼女は、姉役のベティ・デイヴィス(当時、御年79歳)から常にBusy、Busyと揶揄される。生真面目で、働き者で、常に忙しく動き回っていて、教訓めいた言葉、人生を悟ったような言葉を一切吐かない。盲目で気難しい姉に寄り添い、彼女の世話をする。死んだ伴侶との46回目の結婚記念日を静かに一人祝う。隣人たちに気を遣い、彼らの話をよく聞いてあげる。姉は妹の気丈な思いを感じて言葉に出来ない感謝を抱く。サマーハウスに新しい大きな窓を付ける決断をする。そして、八月の鯨を只管に待つ。  この映画の名言は、実は語られることのない彼女達の心の有り様。その奥深さ、とても言葉にできない静謐な生の佇まいの中にこそある。カメラはそんな彼女達が連れ立ってゆっくりと歩く、その握り合う手、歩調を合わせる足元を映す。エンディングの音楽も、彼女達が岬に佇むラストシーンの美しさ、その老齢な生の勁さを感じるが故に心に残った。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-06-19 00:36:07)《新規》
73.  オッペンハイマー 《ネタバレ》 
『オッペンハイマー』は知性についての物語でもある。  オッペンハイマーは高い学識を持った科学者である。量子力学を学び、早くからブラックホールの存在を思考し、その生成条件を理論化、中性子星の質量限界についての計算式を発見する。その功績から、マンハッタン計画の責任者に抜擢され、グループを率いて原子爆弾の製作を実現する。計画の中で多くの人々と社会的関係を築き、複数の女性を愛し、家族を得る。ユダヤ人として、科学者として、彼は彼の正義に基づきロス・アラモスに帝国を築く。しかし、彼は優しく、弱い人間でもあった。詩人にして、文学的、芸術的思考の持ち主でもあった。そういう視線で捉えれば、帝国の内実も見えてくる。戦後、原子爆弾が広島、長崎に投下されたことについて、彼は何を見ていたか、さらに赤狩りの嵐にどう立ち向かったか?  オッペンハイマーの視点、そしてサリエリ(『アマデウス』)的なスクローズの視点。科学者(知性)と元靴売りの政治家(反知性)の対比。知性は「物自体」を正しく把握し、大衆を正しい道に導く。それが西洋的な形而上学の考え方。オッペンハイマー、アインシュタインもスピノザ的な神の信奉者であり、科学こそが知性であり、その手段であると信じていた。彼らにとっての知性こそ、社会性の基盤であった。  しかし、現代は、知性受難の時代。西洋的な形而上学は、相対主義の中でその価値と歴史を見失う。ゲーデルの不完全性定理は数学の、ハイゼンベルクの不確定性原理は科学のインテグリティを根本のところで否定する。現代において、科学は純粋に科学として取り扱われず、反知性、政治家や大衆は、科学者を奈落へと突き落とす。知性は彼を救わない。  私は、映画を観ている間、オッペンハイマーと共に、その時制の揺れと共に、ずっと揺れ、揺さぶられた。映画とは、新たな視点による歴史の追体験でもある。知性を揺さぶる文学的視線である。それにより、私自身を直視させられ、そして私は揺れるのである。社会は揺れるのである。  『オッペンハイマー』は素晴らしい文芸映画である。それは「私」に落下するが故に、私的な解釈を許す。そう、文芸作品とはそういう視線のものであると私は思っています。
[映画館(字幕)] 9点(2024-04-29 11:44:57)
74.  ニール・ヤング/ハート・オブ・ゴールド ~孤独の旅路~
ニール・ヤングのライブ・ドキュメンタリー映画である。  場所がカントリーの聖地、ナッシュビルのライマン・オーディトリアムということで、ニール・ヤングのカントリー作品を中心にした曲構成となっている。音響が素晴らしく、温かみのある演奏がよく響く。彼にとってはナッシュビルに所縁のある"Harvest"、"Comes a Time"、"Harvest Moon"の3枚の傑作アルバムからの選曲が中心となっているのもいい。(ステージ後半)  本作の監督はジョナサン・デミである。ジョナサン・デミと言えば、彼の出世作、Talking Headsのライブ・ドキュメンタリー映画"Stop Making Sense"が有名である。これは、舞台演出をライブに取り入れた楽しい作品で、演劇的要素あり、アコースティックあり、ダンスあり、ポップアートあり、映像としてもライブ盤としてもエンターテイメント溢れる傑作だった。そもそも"Stop Making Sense"にはライブで盛り上がっているはずの観客が殆ど映らない。ライブ映像というよりも映像作品そのもの、音楽エンターテイメント映像作品である。  本作"Heart of Gold"も観客を一切映すことなく、ステージ上で演奏するニールや共演者たちの所作をひとつひとつ丁寧に映す。その絵がとても綺麗。ニールが歌う表情のアップ。ギターを爪弾く指の動き。ハーモニカを吹く時の口元。共演者たちとの距離感。彼の奥さんでもあるペギー・ヤングを含め、ギタープレイヤーたちが総勢で一列に並ぶ"Comes a Time"と"Four Strong Winds"。まるでスタジオ映像のように、演者たちのひとりひとりをじっくりと映し出す。観ている僕らはライブの観客の一員ではなく、まるでバンドの一員になったような錯覚に陥る。  アットホームなステージ。その中心に孤高として高音の声を響かせるニール・ヤングの立ち姿、その表情。彼は歌う。目をつぶり、そして、遠くを見つめる。彼が見ているもの。ロックの魂。60年代後半から70年代にかけて、人々を虜にし、消えていったロックの魂たち。すっかりold manとなりながらも威光に満ちたニールの表情を通して、「それ」を映し、捉えたことによって、本作は、スコセッシの"The Last Waltz"と並び、音楽ドキュメンタリー/ライブ映画の傑作になったと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-23 08:13:20)(良:1票)
75.  きみに読む物語 《ネタバレ》 
胸がじーんとなった。 ジーナ・ローランズとジェームズ・ガーナーの2人が良かった。そして、もちろん若い2人、レイチェルとライアンも最高にハマっていたね。 ストーリーは最初からミエミエ(あっちの2人がこっちの2人に重なれば、そりゃそうなるよね)なのだけど、それでも感動した。僕って、こういうベタなラブストーリーにめちゃめちゃ弱いのです。  レイチェル・マクアダムスがとにかく可愛かった。特別に美人!って感じではないんだけど、表情が豊かで、素直に感情が迸るところなど、すごく愛嬌があって、思わず抱きしめたくなる感じ。 ライアン・ゴズリングも生真面目で一途な感じがよく出ていた。少し憂いがある目元もいい。彼の言葉、"I want all of you, forever, you and me, every day!"... しびれました。 ジーナ・ローランズ。『グロリア』の彼女もすっかりおばあちゃんになってしまったけど、最後に見せた笑顔がとても可愛くて、救いがあったよ。 そして、ジェームズ・ガーナー。『大脱走』カッコよかったなぁ。あの精悍なアメリカの調達屋がすっかり好々爺になっていて。。。でも、ラストシーンにはとてもグッときた。昔の写真の2人もキマっていたよ。(敢えてこっちの2人の写真にしたところが僕はよかったと思う)
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-02 22:36:46)
76.  マイレージ、マイライフ 《ネタバレ》 
これは面白かった。主人公に共感できるところが多くあり、身につまされるというか。。。映画の評価って、そういうところが大きいよね。  主人公の生き方。孤独を愛し、同時に人を愛する。矛盾しているように感じるかもしれないけど、生活という拘束、結婚という制度を否定すれば、それは達成可能である。マイレージ(1000万マイル!)を生き甲斐とする考えは、ある意味で意地のようなもの。確かにアメリカの航空会社のマイレージって有効期限もなく、格付けによる利便性が高いので、それを自らのステータス、生活スタイルの象徴としてしまう心情も分からなくはない。但し、彼自身もそのこと、それが意地にすぎないことは分かっていて、だからこそ、最後にそれをあっさり否定してみせる。  アフリカを舞台にした30年前のレッドフォードとメリル・ストリープの映画を思い出した。人は恋愛によって変わる。恋愛はこれまで貫いてきた彼の「自由」な生活、孤独という名の自己愛と自然愛を脅かし、献身は自己の不安を呼び起こすが、それでも彼、彼女は否応なく惹かれ合う。彼らは、「恋愛」を知っている。故に、それに纏わる喜びや哀しみを繰り返し受け入れられる余地を持っている。いつでも、いつまでも。。。それなのに、何故、結婚しようとする? 人の重荷まで一緒に受け入れる必要がある?   結婚を否定する考えは反社会的、反倫理的で間違っている、という意見は正しい。なぜなら、人は老いる。結婚こそは人を老いの恐怖から救う制度、短い生涯を有効に生きる、人類社会の英知でもあるから。レッドフォードは若くして都合よく人生を終えてしまうけど、本作の主人公の人生は、これからもずっと続く。  現代的な現実としても考えさせられるけど、それ以上に胸にぐっとくるものがあった。それがいいのか、悪いのか、境遇が近いと、感想も書きづらいなぁ。人生万歳。。。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-02 22:34:45)
77.  幸せへのキセキ 《ネタバレ》 
テーマを超えて、全編に溢れるロックテイストが心地よい映画だった。 音楽も60年代後半から80年代の名曲たち。ボブ・ディラン、トム・ペティ、ランディ・ニューマンにニール・ヤング。"Cinnamon Girl"が流れた時はなんかすごく嬉しくなった。  キャメロン・クロウと言えば、僕の中ではやっぱり『初体験/リッジモント・ハイ』(” Fast Times at Ridgemont High”:キャメロン原作・脚本作)である。言わずと知れた80年代ロック全開のハチャメチャ青春映画。(決してエロ映画ではない。ポロリはあるけど) ジャクソン・ブラウン、ドン・ヘンリー、Go-Go’sなど、80年代のロック&ポップに彩られた楽曲たち。そして、初監督作『セイ・エニシング』。カセットデッキから流れるのは、ナンシー・ウィルソンの”All For Love”。  ナンシー・ウィルソンは80年代に流行ったロックバンド、ハートの中心人物、ウィルソン姉妹の妹の方。綺麗でスタイルがよくて、ムチムチした衣装でギターを掻き鳴らす姿がすごくセクシーだった。彼女がキャメロン・クロウと結婚したのが86年頃だから、ちょうどハートの絶頂期。ナンシーが82年のリッジモン卜・ハイに「車を運転する美女」で出演したのはどういう経緯だったのだろう? 当時、新進気鋭の若手ライターだったキャメロンとロック界のミューズ、ナンシー。  キャメロンとナンシーは2010年に離婚しているんだけど、僕にはどうしても、この映画の最後のシーン、カフェでの「20秒の勇気」のところは、キャメロンとナンシーの現実の出会いを思い起こさせる。年上の美女に勇気の告白。”Why not?” ナンシーならきっとそう言っただろうな。あんなに仲の良い二人だったのに。別れがあって出会いがある。スカーレットみたいな女の子との出会いだったら、それもまた良しか。人生万歳!
[映画館(字幕)] 9点(2012-06-17 22:55:49)
78.  シャーロック・ホームズ(2009) 《ネタバレ》 
小さい頃、シャーロック・ホームズと言えば、両つば帽子にフロックコート、又はシルクハットにタキシードを身に着け、スマートでパリッとした外見に、常にパイプを咥えている壮年の紳士というようなイメージを持っていた。おそらく、それは小学校の頃によく読んだ『シャーロック・ホームズの冒険』の抄訳版の挿絵や英国のドラマからの影響だと思う。 その後、ホームズの長編モノ『緋色の研究』や『四つの署名』、『バスカヴィル家の犬』を読んでみると、そのイメージが全然違うということに気が付く。まず、先に挙げた小説のホームズは若い。未だ世間に名の知れない自称探偵の若造でしかない。紳士というよりも外見的には少しだらしない研究者然とした感じで、それでいてボクシングの元ランカーなので体格がよく、背が高い。性格的には極端に意地っ張りで、子供っぽく、かなり偏狂的。重度のジャンキーでもある。 実は小説に描写されているホームズとワトソンのイメージでみれば、映画『シャーロック・ホームズ』の主役2人はわりと原作に近いのではないかと思える。難を言えば、ロバート・ダウニー・Jr、ちょっと背が低いことか。。 ホームズの長編モノって実は推理小説というよりも冒険小説、アクション小説と言っていいものだと僕は思う。小説の最大の見せ場は、探偵による推理の披露よりも、手に汗握る犯人追跡劇だったりして、だから、この映画のあり方は何ら間違っていない。  映画で描かれる19世紀末のロンドンの雰囲気がよかった。古き良き時代末期のロンドン。これから20年も経つと車の登場でロンドンはガラッと変わる。その古き良きロンドンを舞台にしたアクションヒーローたるシャーロック・ホームズのスタイリッシュな冒険譚。そういう映画として僕はとても楽しめた。
[映画館(字幕)] 9点(2011-01-17 22:14:27)(良:2票)
79.  スプラッシュ 《ネタバレ》 
久々に観てみれば、なかなか面白い。 トム・ハンクスは若くて精悍だし、ダリル・ハンナはキュートでピュアでセクシーで、人魚役にぴったり。ジョン・キャンディは、途中までハンクスの兄とは気が付かなかったけど、とにかく笑わせてくれるし、最後はいい味を出していた。海洋学者役のユージン・レヴィもいい人で良かった。 この4人の配役だけで、この映画にはストーリー以上のサムシング・エルスがあったと思う。ストーリーにも密やかな奥行(なぜ6日間なのかとか、なぜ一緒になったらもう地上の生活に戻れないのかとか)があって、僕は想像力を掻き立てられてけっこう楽しめた。  そうそう、最後にトム・ハンクスが海に飛び込むシーン。愛のために、ダリル・ハンナのために、全てをなげうって、人魚に手を引かれて竜宮城へ。なんとも80年代らしい無茶苦茶で無責任な展開だけど、実はそれがこの映画に一番惹かれるところなのかもしれない。
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-17 22:11:13)(良:1票)
80.  愛を読むひと 《ネタバレ》 
ケイト・ウィンスレットの演技に脱帽。原作のハンナのイメージそのままに、物語る身体を忠実に再現してみせる。出来れば、原語であるドイツ語の台詞だったらどんなにか良かっただろう。(あと、タイトルは何故『朗読者』でなかったのだろう?) この物語は、そして彼女の演技は、語られないハンナの生き様を否応なく想像させる。少年と同じように、僕らは強く惹きつけられる。 ハンナの立ち姿とその因果を見るにつけ、悪とは?善とは何だろう?ということを深く思う。『1Q84』ではないけれど、この世の中に絶対的な悪がないように、絶対的な善もない。善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。 ハンナは親衛隊であり、ユダヤ人収容所の看守だったことが大罪であった。戦後20年が過ぎ、彼女はナチ狩りの裁判によって断罪される。戦後20年の視点により、同じドイツ国民の名において、戦時の彼女が断罪されるのである。しかし、彼女が罪を認めたのは、「文盲」であり、そのことを自らに恥じていたからだった。彼女には物事の「ほんとう」を知るすべがなかった。そういう意味でこそ、彼女は真の悪人だったのだろう。  善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。 – 『歎異抄』第3章  悪人  衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。  阿弥陀仏の大悲に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らが何ものにも救われようがない「悪人」であると気付かされる。その時に初めて気付かされる「悪人」である。   善人  「善人」を、自らを「善人」であると思う者と定義する。「善人」は、善行を完遂できない身である事に気付くことのできていない「悪人」であるとする。  また善行を積もうとする行為(自力作善)は、「すべての衆生を無条件に救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。  出典: Wikipedia  僕らも本来的に救われようがない悪人なのだろう。それは共同性を超えて、私というものの避けがたい在り方を直視させる。しかし、下記のような言葉もある。実は、ここにこそ僕らにとっての生きる「救い」があるのではないだろうか。  「君は悪から善をつくるべきだ。それ以外に方法はないのだから」(ロバート・P・ウォーレン 『ストーカー』題辞)
[映画館(字幕)] 9点(2009-08-09 21:26:37)
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