21. 酔いどれ詩人になるまえに
《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:52:32)(良:1票) |
22. マーサの幸せレシピ
《ネタバレ》 他人に料理を食わせるけれど自分は食べているところを見られたくない、というのは、「食わせる方」が「食わせられる方」より〝優位〟だと感じているからですね。「食べる」という行為を「弱味を見せる」「無防備になる」というふうに考えているのです。 確かにそれはそうかもしれず、太古の昔は「食っている間に油断して食われる」という事情があったでしょうから、「食う」イコール「油断」という本能的な危機感は誰にもあるのかもしれません。 そしてマーサは、他人に食わせている時に自分の優位性を感じてほっとするので料理人になったのかもしれませんし、そうならば彼女は危機感の強すぎる人なのです。 なんかそんなことを考えてしまいましたがそんなにはずれていないでしょう。 強情な姪っ子(私にも1人います)とのぶつかりあいはシビアでしたが、もうひとつ突っ込みが浅くて残念なのは職場における女性リーダーの難しさ、職業的なプロ意識がほとんど描けていなかったことかなあ。 あーゆー状態の女性が職場を率いていくのは到底ムリですし、職業人としてのマーサを未熟に描きすぎている。 ラストがあまりにもハッピーすぎて安易です。しょせん作り物だからそれでいいのだとがっかりさせないでほしかった。人生はそんなに全部うまくはいかない。働く女性の物語だからリアリティを大事にしてほしいですね。電話とビデオでしか出演できなかったお姉さんの扱いひどいかも。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-03-07 19:11:23) |
23. ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実
《ネタバレ》 あまりにもお粗末なドイツ当局の対応に、衝撃を感じた。 だいたい、戦場でもないのに2時間も銃撃戦が続くということが異常である。そして、ドイツ側が複数の同士討ちをしてしまっているという悲惨さ。「夜の闇」を利用しようとしたが完全に裏目に出た結果となった。 もっと驚くのは、ドイツが生き残った3人の犯人を、裏交渉によりハイジャックを装ってシリアに引き渡したということだ。なんという腰抜けぶり。開いた口がふさがらないとはこのことだ。 死んだ犯人の遺体まで返還してやる親切ぶりで、彼らは英雄となった。ドイツはテロに対して無力であることを自ら認識し、今後のテロ攻撃の対象としないことを条件に要求に応じた…らしい。 「超法規的措置」の日本人がこういうことをいうのもおこがましいが、これでは死んでも死にきれまい。 イスラエル選手は無駄死にとなり、怒ったモサドは復讐する。 が、アフリカに隠れているというたった一人の犯人の生き残りが、顔を隠してインタビューに応じた(ことになっている)。 さて、これは本物でしょうか。私はやらせだと思います。他の2人が殺されて、どんなにお金を積まれても今の彼には安全に勝るものはないはずだ。しかも「アフリカにいる」とわざわざ情報提供しているのはなぜなのか。 もしも本物だとすると、彼が出演した目的は「金」か「あの事件の正当性を主張するため」しか有りえない。 しかし、やらせだとすると、「どこかに隠れている本物をおびき出すため」に、偽者を出してわざと違うことを言わせて怒らせようとした、と考えられないだろうか。 モサドですら発見できないこいつの居所をどうやって突き止めたのかという疑問もあるし、タカが映画のために危険を冒してインタビューに応じるなどとはとても思えない。 さて、非戦闘時に非武装の一般人を殺したり監禁したり虐待するのは、普通の人には許せないが、犯人たちにとっては「テロ」ではなく「ゲリラ戦」の一部だったので、ちっとも悪いとは思っていなく、アラブ世界では英雄になったのである。そして、イスラエルはオリンピックで人質事件を起こしたりしないから紳士的なのかというと、きっとそうではないからここまでされた…のである。 すると、「テロ」なのか「ゲリラ戦」なのかとか、一方的にテロリストを憎むことで済むのかということになってくるが…個人的にはやっぱり嫌だ。これは平和ボケというものかしら。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-02-21 15:04:03) |
24. パリ、ジュテーム
《ネタバレ》 疲れたー。 私が思いますに、やっぱり「5分」というのは短かすぎるのではないかと。 短すぎるもんだから、どの作り手も「はあはあ」言いながら詰め込んでいる感じがキツいです。 そして、これだけの数のエピソードを見せるのに、約束事が「パリ」というだけではキツかったと思う。具体的に、「人が死ぬシーンは無し」とか「キスシーンは無し」とか「暴力も無し」とか、もっとシバりをするべきだったと思うのです。でないと、「5分」ということで案の定、どうやって印象を残そうかと思ったら「暴力をふるわれて」「死んだり」させる作り手が出てきてしまうではないですか。または、「ドバッと血を流す」とか。 「理不尽な暴力をふるわれて死んだり」「ドバッと血が出た」場合に、そういうことをしない作り手と同じ土俵で5分を張り合うのはヘンじゃないだろうか。ヘンだと思うけど。 「どうやって目立つか」だけを考えているうちはこういう作品に参加する資格はないのだたぶん。 そして、「約束事」をもっと入れるべきだったし、「禁じ手」だけでなくて、「必ず○○を一箇所入れるべし」というような遊びを入れてしかるべきだったと思います。そういうことがないので、なんだか見る側はごちゃごちゃした気分になっただけ。 唯一認めたいのはニック・ノルティが親父役をやった一篇。大変巧みな脚本です(あの娘と友達はレズビアンということですよたぶん。息子は体外受精ということ)。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-11 15:00:22) |
25. ブラッドレイン
《ネタバレ》 B級といってしまっては本来のB級の方々に申し訳ないというような気もします。 私はこれのゲーム版がどうなっているのか全く知らないが、知らないにもかかわらず、おっ、ここで新たな防具をゲットするのね、とかここで強力な武器をゲット、とかこれが小ボスとのバトルで急所はどこなんだ、とかここで訓練してレベル上げなのね、とかおっ水の中でのバトルね、とかこれがショップで商品は…とかいちーち感じてしまうのでした。ものすごーくゲームっぽいというか映画離れした作品だと思った。 というか、これなら素直にゲームのほうをやったほうが楽しいのではないだろうか。でも、私はアクションがダメなのでたぶんこれはバイオハザードみたいなアクションだろうからムリ。 ローケンの肉付きの良さに驚き、ターミネーターの際にはよっぽど減量したんだろうと思いました。あと、マドセンはあんまり安い映画に出て欲しくないかなあ。 まあそのくらいです。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2009-01-07 14:55:10) |
26. ヘヴン
《ネタバレ》 クッシーの遺作脚本だそうです。 トム・ティクヴァは有望株とされてるらしいが…どうもモノマネに終わった感じだ。 だいたいクッシー作品の重要人物がネイティブの英語をしゃべってはダメでしょう。 今までケムにまいて高尚化してきたことが、英語ということでいっぺんにそこらの作品と同レベルにまで引きおろされてしまう。 究極の愛とは相似形になることなのか…というようなテーマが感じられますが、それなら、それならばー、ケイト・ブランシェットではやっぱりイカんではないか。 だいたい二人の名前まで同じにして強調しているわけだから、ここはフィリッポと同じダークな髪と瞳の女優を当てなければ意味が無いではないか。逆に、フィリッパに金髪の男優を持ってくると、ハリウッドぽくなってしまうのでダメなのです。ああキャストがイカんかったです。 フィリッポのフィリッパに対する感情は、「ドラマチックなシチュエーションにおいて発生したファン心理」なので、「ファン心理」ということで「相似形」になっていくわけです。 「ファン心理」とは「あなたになりたい」なので、普通の男女間では自分に無いものを求めたりしますがここではどんどん同じになっていきます。「とんでもない間違いをおかして自分を捨てたい女」と「あなたになりたい男」がドンピシャではまってしまったのです。そして、どちらかがどちらかになるのではなくて、二人ともボーズ頭の性別年齢不詳の人物になるのです。 フィリッポの父親が訪ねてきたとき、一度は「連れて帰ってください」と言ったフィリッパは、「愛しているのか」と聞かれると「愛している」と答えます。 このときの彼女の心情を想像すると、「私と彼はもう同じ人間なので区別がつかない。離れていたって、自分が死んだらどうせ彼も死ぬだろうから、ここで引き離されることにあんまり意味は無い」というようなものだったのでは。 このような話であるならば、それを演じる男優と女優の外見が全く似ていなかったというのは悔やまれますね。ラストの効果とかも全然違ったと思います。クッシーはどういう配役にしたかったのかなあ。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-27 17:23:59) |
27. 88ミニッツ
《ネタバレ》 ネタばれますので注意。 「8月のメモワール」とか「アップライジング」などのヒューマンドラマを撮ってきたアブネット監督が、なぜこのようなショボいTVドラマもどきのシリアルキラーものを?? 私は「8月」とかすごく価値のある映画と思っているしー、アブネットがそこらの十羽一絡げの安い監督と同じとは思っていなかった。でなければパチーノが出ていてもこんなの見ない(パチーノは「リクルート」とか安い前例がある)。 今回の内容は、FOX製のTVドラマでも最近は質の良いものがあるのではっきりいって見なければ良かったというようなお粗末さだ…。 私はもう正直パチーノが老いても枯れないスキモノ老人を演じているところを見たくないなあ。勘弁してもらいたい。もっとこう、マジメで堅実な年金生活者とかいっぺんやってみたらどうよ。今までは映画に出れば物をこわし周囲を散らかすばっかだったんだから、清掃活動に励む善意の老人とかさ。 最近のパチーノといえば孤高で喰えない老人系がすっかり定型化してしまってとてもつまらない。 まあそんな感じで、この作品もパチーノの枯れない老人力を当てにして作られているようで、だからそれはもういいってば、という感じなのだが、パチーノ頼みのあまり20代の女が「先生と寝るのが夢」とかどう考えてもムリムリな構成に、犯人当ての意味もないような不自然きわまりない真犯人であって、ええー、ちょっと観客バカにすんのもいいかげんにしてと思う。 するってえとなんだ、あの女は自分と同じくらいの体重の他人を襲って縛って釣りおろすとかひとりでできるわけだからすごい筋力なわけよね。そうは見えないけども。あんだけの金髪ロン毛をバイクのメットの中に見えないように入れるのも大変だと思うけど、メットの着脱の際にはその都度気を使って毛を入れていたということよね。そもそも死刑囚のフォースターは、面会時間だけで他人を洗脳して操る才能があるほどの男ならなんで簡単に捕まってしまったのかヘンだなあ。考えれば考えるほどリアリティが無くなっていき、いまどきこんな怪人二十面相のようなことでいいのだろうか…。パチーノは作品を選んでほしいです(私の希望としてはセントオブウーマンぽいほのぼの系でお願いします)。 [DVD(字幕)] 5点(2008-12-06 19:36:47) |
28. ボーン・アルティメイタム
《ネタバレ》 前作でめまいや頭痛を引き起こしてくれた「手ブレたグリーングラス」が3部作のしめくくりまで担当してしまったことは誠に残念(個人的に)。 しかし私は「アイデンティティー」のジェイソン・ボーンのファンなので、その最終作を見届けるべく手ブレに耐えて見てみる。 やー、「1」の独特の情感、ゾクゾクするようなボーンの狩りシーン、そういったものがすべて、すーべて帳消しにされている(れっきとしたシリーズものなのにさあ)。私が「1」で良いと思ったところがすべて切り捨てられているところ、ある意味「すごい」です。 そしてまた、悪い奴はいかにも「悪者です」というように、正義の味方はいかにもそのようなキャラに、「はっきりと」描き分けているところ、あまりにもすごいです。これでいいんだろうか。 要するに、全体のトーンは「勧善懲悪」になってしまっている…「1」のボーンはそのように描かれていたかしら?そもそもボーンというのは「人殺し」を職業としていたわけで。それが「記憶を取り戻したから」といって「急に善玉になる」というのはどうなのさ。あまりにも稚拙な脚本で、マトモにどうこう言う気が失せますね~。 つまり、「手ブレたグリーングラス」は、ジェイソン・ボーンというヒットシリーズを利用して豊富な資金を投入した思いどおりのアクションシーンが撮りたかっただけではないのでしょうか。 実際、カーアクション以外の場面は「24」からの借り物ぽかったり、トルコでの追っかけシーンはコマ切れすぎて何がなんだか分からずはっきりいってつまらないし、ドラマパートになるといきなり「昼メロ」調になってしまい、アレンとかスタイルズとか演技のできる役者がせっかくいるのになんの情感もないお粗末さが全開。私に言わせれば、グリーングラスは「カーアク職人」で終わる程度の人だと思う。それをあんまり持ち上げてはいけないと思います。 私は手ブレたカーアクなんてちっともいいとは思えなかったけど、中には「スゲー」と思う人もいたっていいし、「ギリ」で撮ってる感じはなんとなく伝わるが、カーアクしか取り得の無い人が監督をしてはいけない。しかも、私のジェイソン・ボーンを使ってまで…。 「1」のことを思うとこんなお粗末なことで終わってしまって本当に残念。手ブレ撲滅。合掌。 [DVD(字幕)] 5点(2008-11-29 16:40:31) |
29. 白バラの祈り/ゾフィー・ショル、最期の日々
《ネタバレ》 丁寧な作り方には好感がもてる。陰影を生かした映像や、折々に空を見上げて自由を確信するゾフィーを表現するなど、とーてもマジメな映画。そうドイツの映画って、いつも真面目さを感じてしまう。 若くて恵まれた境遇なのに、正義のために命を惜しまなかった若者たち、とくに女なのに勇気あるゾフィーはすごい…というふうには済ませたくない視聴後感だった。 なんというか、「死ねばいいんでしょ死ねば」という気がしませんか。 信念や正義のためには、潔く死んでいくことが美しい…というふうに、感化されてしまうことがこわい気がするのです。とくに若い観客のみなさんが。 「○○のために潔く死ぬ」というのは、日本の特攻隊と同じモーティブですね。私はどんな場合でも、「死ねばいいんでしょ死ねば」という見せ方をされたら肯定したくない。 「死んでたかもしれない」という経験をすると(事故でも病気でも)、日頃はなはだあやふやにして放っておいた「死」というものを認めざるを得ない。すると、「とにかく死なないようにしなければいけない」というふうに思いますフツーは。それで人によっては健康オタクになったり、サプリに凝ったり、外出しなくなったりする。 そういう目で見ると、抵抗運動というにはあまりに計画性に乏しく杜撰に見えるハンスらの行動や、「自分が犠牲になれば仲間が助かる」という甘い目算や、「あと99日以内には連合軍によって解放される見込み」をアテにしたゾフィーの強気の態度などは、「死の恐怖」というのものを度外視しているように私には見える。 彼らの「アテ」は見事に全部はずれて、どんな敵を相手にしているかという覚悟の不足をぬぐえない。 そして誰もがゾフィーのように泰然として断頭台に身を横たえるかといったらそんなわけはなく、「常人離れした特別に勇気のある女の子」の物語…というふうに見るしかない。 死んだら終わりなんですよ。ゾフィーはモーアと取引するべきだった。したたかな相手にはしたたかに対応しなければ。南アフリカのビコのように、自分が死んで英雄視され抵抗運動が盛り上がることを目算にあえて死を避けなかった場合もあるけれど、私はこの映画を見る限りは「恵まれた坊ちゃん嬢ちゃんのクラブ活動が度をはずした」というふうに見えてしまう。 とにかく、若い観客には「どんなことがあっても死なないようにしろ」と強調したいがわかってもらえるかしら。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-08-24 13:15:29)(良:1票) |
30. ディープ・ブルー(2003)
《ネタバレ》 上から下から同時撮影してみたり、暑さ寒さに負けず非常に手間のかかった映像なのだと思うが、小学3年の姪は1時間経たないうちに飽きてしまった。ちなみにその凝りまくった回転する小魚タワーとかのあたりで。 確かにすごい、よく撮れた!の貴重映像満載なのであろうが、「すごい!」だけで一時間半もたすのは大人でも難しいなあと思った。 思うに、作品としてのどのような方向性を持っているのかが中途半端なのでは。 「これだけの映像美および技術を解する観客に評価してもらえればそれでよいという硬派」なのか、「観客を選ばずよりたくさんの人に見て欲しい」なのか「子供が喜べばそれでよい」なのか、どれともつかない。また、「温暖化なんたら」で終わるラストは説教くささを露呈し、純粋に映画を楽しみたくて金を払った客をバカにしている。 今「アース」を見せているが、そちらはほぼ無事に見終えることになりそうだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-08-11 12:17:20) |
31. ブラックブック
《ネタバレ》 ネタばれますのでご注意を。 ややこしいので一貫してエリスでいこうかと思いますが、物語がはじまってから彼女が知り合う人間の中で、「信用してしまいそうだけど絶対に信用してはいけない人間」はいったい何人いたでしょうか。 私の計算では、ファン・ハイン、ハンスの2人だけです。意外に感じられると思いますが、フランケンとかナチの将軍のように「悪い奴」と顔に書いてある人間は、信用してしまう可能性はまずないので安全なのです。彼らは脅威ではない。 本当の脅威は「信用してしまいそう」な人間のほうです。エリスはその2人を信用してしまいます。 けれどもわりとのん気に育ったらしきエリスは、そんなこと見抜けるわけがなく次々と騙されるわけです。 しかし、本当は、エリスが信用した相手のほとんどが、つまりその2人以外が「信用してもいい人間」だった、ということのほうが驚かなくてはいけないのかもしれない。 居心地の悪かった最初の隠れ家の住人も、次のヨットの彼氏も、川の虐殺から逃れたエリスを救ってくれた農家の人々も、ハンス以外のレジスタンスのメンバーも、愛するムンツェも、愛人仲間のロニーも、「信用してもいい人間」だったのです。 ということは、この混乱の時代にあって、世の中のほとんどの人間は信用してもよくて、その中にとても邪悪な人間が2人いました、というようなバランスになる。広いお花畑の中に、2箇所だけ地雷が埋まってる感じ。 エリスは信用してはいけない人間を信用してひどい目にあいますが、めげずに最終的には信用してもいい人間と共に復讐を遂げます。そうですたぶん、人は、地雷が埋まっているからといって、お花畑を歩かないわけにはいかないのです。 貴金属や現金で話が始まってキブツのシーンで終わるということは、この映画が、ユダヤ人が長年の習慣を捨て財産を動産から不動産に持ち替えたプロセスを描いたものといえるでしょう。 評価をいただいたあとですが一部訂正しました。エスねこさんご指摘ありがとうございました。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-08-03 13:39:49)(良:4票) |
32. 善き人のためのソナタ
《ネタバレ》 ヴィースラー大尉はおそるべき無私生活者で、家族もなく、その住み家も生活感のないホテルのような部屋だった。唯一の趣味は仕事、規律に従うことを何より重んじ、曲がったことが許せない。そんな彼の生きがいは他人の嘘を暴くこと。嘘を暴き、秘密を告白させることすなわち他人に勝利する瞬間である。そうしてヴィースラーは他人に勝ち続けているので、私生活が無くても精神の均衡を保てた。 けれどドライマンの盗聴という、他人との直接対決無しでの秘密の収集作業は、ヴィースラーの精神状態をおびやかした。盗聴によって秘密を知りえても、彼には勝利の味も達成感も他人を組み敷いた優越感も感じられなかった。彼は尋問によって喜びを得る人間として成立していたため、盗聴向きの人間ではなかった。 子供とボール遊びをし、美人女優を恋人にし、誕生日にはパーティーに人が集まり、友人たちの心配をし、気が向けばピアノを弾く。そんなドライマンの生活と、暗い屋根裏で盗聴機器に囲まれ何時間も過ごしたうえ、誰も居ない無機質な部屋に帰りデブな売春婦(しかもショートタイム)しか相手にしてくれないヴィースラーの対比が見事である。二人は陰と陽。光と影。 私の解釈では、ヴィースラーは政治的に共感したというよりはドライマンたちを家族のように感じ、彼らの一部として関わってみたくなったのである。 その序章として、バーに入ってきたクリスタに話しかけてしまう。ドライマンの代わりに忠告してしまう。あげくは彼らの代わりにタイプライターを隠すところまでエスカレートする。 私はヴィースラーのとった行動を、レジスタンスを助けたというようないわゆる「いい話」レベルには考えたくない。これはもっと、純粋に個人的な問題なのだ。 ドライマンがヴィースラーを問い質したとて、彼は決して真実を語らなかったと思う。だからあのようなやり方で謝意を示したことは、リアリティにこだわる意味でも映画のしめくくりとしても最良であった。 ひとつ残念なのは女性の扱いで、女性はクリスタしか出てこないというのに彼女は薬物依存で他の男とも寝るうえ、最後は秘密を暴露して恋人を窮地に陥れるという、甚だ情けない人物としてしかも死んでしまうというところ。それならばー、せめてもう一人、頼りになるマトモな女性を出して比較させるべき。「だから女は信用できない」死んで償え、で終わるのは納得いかない気がするぞ。 [DVD(字幕)] 8点(2008-07-28 19:23:38)(良:2票) |
33. ナンバー23
《ネタバレ》 シューマカーはこういうの向いてないんじゃ…。ジム・キャリーを使ったのもよくなかった。 途中まで悪魔系の話かと思っていたら、フツーに記憶喪失って。 あまりにも夫をかばいすぎる妻の行動についても、「あなたは立派な夫で父親よ」と言われるほどのシーンを何も見せられていないため「えっそうなの」。 13年前に結婚した相手は実は妄想性の精神病患者で自殺未遂歴があり殺人も犯していた…と知ったらフツーはどうするだろう。 とりあえず子供を連れて逃げる、ではないのか? [DVD(字幕)] 4点(2008-07-22 16:49:49) |
34. キングダム/見えざる敵
《ネタバレ》 私は監督ピーター・バーグのファンなので、監督欄に彼の名を見つけたら迷わず見る。 ついに、こんな大作を任されたとは出世したものだバーグよ。けっこう金かかってるじゃん。 と期待に胸をふくらませ、いそいそと画面に向かうがバーグも最近のはやりに抗しきれず、一貫して揺れるカメラ大作戦になってしまっていた。目が、目が痛い。 明らかに「ブラックホークダウン」を意識した作品だが、一回りも二回りも小ぶりな仕上がりを見るとやはりリドリー・スコットは偉大な変態、変態だから偉大、彼に比べればピーター・バーグは良識の人、と言わざるを得ないかなあ…。資金面での差というだけでなく。 ただその精神は「ブラックホークダウン」を踏襲していると感じる。ピーター・バーグはバカではないので間違ってもアメリカ万歳では終わらなかった。 この架空のテロ事件については最初に国務省次官が言った「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」というのが正解で、「これ以上捜査員を送り込まないで静観し、サウジ当局に任せる。」というのが大正解なのである。 それをFBIは上から下まで「仲間の報復」で一致団結し、裏の手段を使ってまでサウジに乗り込んでテロの首謀者を捕まえようと大暴れする。その過程で「ブラックホークダウン(拉致された仲間の救出のために更なる危険を冒すこと)」が発生し、無茶苦茶な市街戦の最中でもアメリカ人には一発の銃弾も当たらず、ついにFBI仲間ではなくてなんとサウジ人の警察官が死んでしまうのである。…アメリカ人はなんて自分勝手で要領が良いんでしょうか。 仲間の一人を助けるために、彼らはいったい何人の現地人を殺したでしょうか。ここから導かれる明解な論理は「アメリカ人一人の命はサウジ人一人の何倍もの価値がある」です。 というようなシビアな目線をピーター・バーグは失っておらず、テロの首謀者を殺した上FBI全員が生還したという作戦の成功を、大喜びするシーンは一切ない。 その代わりに、テロリストの孫のセリフで「テロは終わっていない」ということを示す。 …で、話は「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」に戻るのであり、冒頭のラッシュにあったように「石油を分けて欲しいばっかりによその国にずかずか乗り込んで現地の有力者と癒着してきたアメリカという国のあり方」に戻るわけだ。すごく徒労感が残る映画だった。 [DVD(字幕)] 7点(2008-07-18 16:25:54)(良:5票) |
35. バイオハザードIII
《ネタバレ》 ふと気付けば、これはすごい貧乏映画ではないのか? ヘリコプターが1機しか出てこないうえ、壊さないで返すことになっているのか銃弾の一発すら当てず、血で汚したりもせず窓ガラスにヒビさえ入れず…。 アリ・ラーターがいくら売り出し中といったってまだまだB級だし、ミラ以外に目玉俳優を一切使わず、アンダーソン本人が監督もせず。ヒジョーにお粗末な作品じゃあないか。 Ⅰはそれなりに良かったとはいえ金がないならなぜ無理をしてⅢなど作る、アンダーソンよ。 見どころのアクションシーンはすべてスロモ仕様でその点ではⅠ以上にお粗末だし、ミラのワイヤーアクションがフワフワしてしまったり、とてもまともに見られぬ出来。 カルロスが仲間のために犠牲になる部分とて、最大の盛り上げ場だというのにあんまりにもあっさりしている。感染した仲間の件とて、ゾンビ映画のお約束のエピソードなのに全然盛り上がらない。 ゾンビを出すならばー、喰われた仲間の葛藤とか、やむを得ず仲間を見捨てる苦しみとか、土壇場で必然性のある自己犠牲とか、そういうのが見たいんだ。登場人物と一緒になって、悩みたいんだよ。 この作品には、お約束のファクターは盛り込まれているけど「死の恐怖」「生への執着」という決定的なマターがゼロに近いほど無視されているためホレ、これだけつまらない。金が無いならドラマに力を入れるしかないのに本当にお座なり。ああーアンダーソンよキミはどこへ行く。 [DVD(字幕)] 3点(2008-07-18 15:24:34)(良:1票) |
36. クジラの島の少女
《ネタバレ》 おそらく作り手が己のルーツに敬意を捧げた作品であるとともに、フェミニズムの映画なのですね。 「フェ」と言っただけでそっぽを向かれそうですが、どう見てもそういうメッセージが込められた作品なんだから仕方ない。 マオリの族長の家系というシチュエーションを借りたうえでの、「男の子じゃなかった」という理由でいろいろな不便や面倒を感じながら成長してきたすべての女の子へのメッセージ、癒し、でもあるのだと思う。 マオリの人々の祖先は、約1千年前にニュージーランドに移住して住み着いた。何百年か経つと、そこへヨーロッパ人がどんどん入ってきて、数においてマオリのほうがマイナーになってしまった。 けれど、パイケアの祖父コロのように、「高貴な血」をもつ長たちは、文化と伝統の灯を絶やすまいとそのことのためだけに生きている。個人は100年もすればどうせ死ぬ。個人が死んだ後に引き継ぐことができるものは文化だけだ。文化が引き継がれなければ、人はただ生まれて死ぬだけの存在になる…族長コロを見ていると、その信念が痛いほど伝わってくる。 パイの父は優しいが弱い男であったため、妻の死に耐えられず育児も教育も後継者としての義務もなにもかも放棄してヨーロッパへ逃げた。そして何年かしたら、考え方もふるまいもヨーロッパ人になっていて、金髪碧眼の女と勝手にくっついていた。彼は族長の重責を担うには優しすぎたのだ。 後継者探しにやっきとなった祖父のもとで「男の子じゃない」というだけで、隠れて棒術の練習をしなければならないパイ。自分より劣る男子たちが祖父から教わっている内容を、物陰からじっと観察するパイ。…このへんではもう完全にウルウルしてしまっていけない。 世界中の女の子たちは、みな多かれ少なかれパイケアと同じ経験をしてきている。 心の中で、何度「パイケアのような優秀な子が男子だったら」と思ったかしれない祖父が、「女子でも後継者」と認めるまでには、クジラの座礁という不思議な現象とパイ本人の命をかけることが必要だった。「優秀」というだけではダメなので、本当に女子の行く先には難題山積である。 ラストで不肖の父が戻ってきているあたりは、やりすぎハッピーエンドの感があるし突っ込みたくなるところだが、とりあえずは祖父とパイケア両人の健気さにやられました。泣きます。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-16 20:10:59)(良:2票) |
37. バッドサンタ
《ネタバレ》 ソーントンでバッドサンタだ。コーエン兄弟でブラックコメディだって? こりゃうまそうだ、と期待を大きくいそいそとTVの前に座ったのがいけなかったのだろうか。 部分的にウケたギャグもあったのだが…「アスピリン?」が良かった。 全編通して汚らしい雰囲気満載なのだが、その汚さの程度も中途半端な気がした。どうも個人的にはいただけない。 「不潔さ」で笑いをとる場合は、そのものずばりを見せるだけでは面白くならないのではないか?小便をもらしたとか、ゲロを吐いたとか、酔ってベロベロとかいうものを、ずばっと見せられるだけでは、笑えない。これに上手くシチュエーションを絡めるとか、「低身長の人」とか少年がリアクションしてフォローするとかしないと、単に気持ち悪いだけでブラックな笑いにもならないと思うんだけどなあ。 というか、ソーントンの「汚さ」がリアルすぎたというのもある。もともとが奇人変人系のソーントンだから、無精ヒゲでの不潔演技が妙にリアルで笑えないのかもしれない。とにかく生理的にダメだ私には! それから、サンタの「悪い人ぶり」も甘すぎる。相手かまわずファックするから悪人なのか?飲んだくれて仕事に差し支えるから悪人なのか?泥棒するから悪人なのか?そのへんのキャラ造形がいかにもあいまいで、「はい、これが不良のサンタです、どうぞ」と提供されているような気がしてくる。やはりもうひとつサンタがバッドである決め手が必要だったと思う。 …が、不良のサンタがいじめられ少年と心を通わせて更正する、というストーリーは悪くない。 そうだ、キャストがダメなのだ!と今気付いた。 ソーントンが不良だったら、あんまりにも当たり前じゃないかあ。ここはやっぱり、日頃清潔感を漂わせているような意外なキャストで行くべきであったのだ。 トム・ハンクスとかさ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2007-12-03 19:59:59) |
38. スコルピオンの恋まじない
《ネタバレ》 …なんともいえない独特の視聴後感であった。 60過ぎているウッディ・アレン、声に力もなく、動作にイキオイもなく、小さな鶏ガラのようなその肉体。もはや〝介護〟という言葉が浮かぶ。それなのに、ああそれなのに、こんなになっちゃってても、まだ人を楽しませることができるなんて。 得意の自虐ネタが笑えないほどヨボヨボして見える彼なのに、ラストまで見てしまうと、いつもウッディを見た後と同じように「貧弱でおしゃべりで醜い小男ってカワイイわ~」と思ってしまうのだ! 弁解させてもらうと、私はデビッド・クロムホルツとか大嫌いだし、ウッディ以外の貧弱な小男にときめいたことなどない。なのに、ああ、なのに。 「まるでネズミの巣みたい。(に汚い部屋ね)」「巣をイメージしたインテリアなんだ。」とか、美女に〝ゴキブリ〟と言われて動じないどころか絶妙に受け返すそのユーモアのセンス…「筋金入りのブオトコ」を見せられた気がする。 催眠にかかっている時の音楽が可愛かった。ヘレン・ハントは…申し訳ないけど、ウッディと並ぶと巨体に見えてしまった。特にハムのような腕に感動。 「アニー・ホール」の頃とかと比べると、ものすごく〝アブラ気〟が抜けたウッディ。このまま「即身仏」にでもなれそうな枯れ木ぶり。…前より〝可愛さ〟が増したと思ってしまうのは、私がヘンタイだからなんだろうか。(偶然同じ日にスカパーの〝即身仏の化学〟を見てしまったのだった。) とにかくこの映画は、ウッディ〝即身仏一歩手前、でもまだ笑わす〟アレンを堪能する目的でご覧ください。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2007-09-14 13:21:24) |
39. ターミネーター3
《ネタバレ》 今回TV放送でしみじみ見直してみたら、なんだ…とんでもなくよくできているじゃないか! やはりモストウ、あなどれない。 なにしろ、これは50%コメディだったのだ…しかも、「ドハハ」笑いを一切用いない(というか、1と2からの流れで使えなかったのだろう)中での、この笑いのセンス…すごい。 ローケンが瓦礫をはねのけてすっくと立ち上がるその無表情、これだけで、もう笑いがとれているじゃあないか。生まれたてのようなベビーフェイスに鋼鉄の肉体。ひとたび何かにぶつかれば、その効果音は「ゴン!」…みごとなコントである。とにかくローケン部分はほとんど笑えるのだ。 そして、シュワちゃん部分は、明らかに笑いをとる事を狙ったシーンではなく、ジョンやケイトとの会話部分に、見事なコントが盛り込まれている。その際のジョンのリアクションが難しかったことだろうと思う。だって、「ターミネーター」3部作であるからには、あからさまに「コント」だと分かってはいけないんだもの。 そして、「サルだサルだ」とバカにしていたジョン役のニック・スタールも、よく見ればそんなに悪くないではないか。 そりゃあ、オーランド・ブルームのようなホモくさい美形ではないにせよ、ジョン・コナーというキャラの程よくスレた感じがその目元あたりにちゃんと出ている。「放浪」してきた感じを出しつつ、なおかつコントと分からないようにコントをこなすということで、なかなかがんばっていると思う。 そしてシュワちゃん。やっぱりあの鋼鉄ボディはCGくさいよなあ、とか、スタント多用したんだろうなあ、とかいうことも、もう、どうでもいいんだどうでも。 だって、ターミネーターはシュワちゃんでなくてはならないのだもの。 もはや「3」においては、シュワちゃんはその老体にムチ打って、画面に映っているというだけで、許されるのだ。今回も、語り草となるようなキメのシーンもモストウはちゃんと用意してあったのだけど…銃弾を口からプッと吹いて「二度とするな」ってとこね。やっぱりモノマネはされないのかなあ。ちょっと残念。 3回くらい見ると、あまりの面白さにやめられなくなります。メチャメチャ笑えます! [DVD(字幕)] 9点(2007-06-30 22:47:46)(良:1票) |
40. ブラック・ダリア
《ネタバレ》 デパルマというのは、ムラのある監督さんだ。 「カリートの道」の完成度を思うと、同じ監督さんの作品とは、にわかに信じ難いものがある。 しかし、「カリート」という金字塔(あくまで私の中での)があるデパルマだが、多くの失敗作も同時に有する。…ファジー(これ死語かな)な人だデパルマって。 で、「ブラックダリア」を見ていると、次のような言葉がずっと頭にこびりついて離れない。「…何か、だまされてる?何か、ごまかしてる?」 なんだかわからないが、「何かを意図的に省略してる」の感じがつきまとった。何だかわからないが。 でまあ、簡単にいうと「みんなウソをついてる」映画で、「特に女のウソは二重三重ですごいよね」であり、しかし、正義漢ぶっているブライカートだって、八百長試合をしているのだから、同じ穴のむじななのであった。 リンスコット家の異常さが印象に残る。一歩踏み込むと、そこは遊園地の「びっくりハウス」状態であり、完全に「常識が通用しない」その空気、相当に息苦しい。それをデパルマは速いテンポでサラッと見せる。うまい。 ヒラリー・スワンクがエロく見えないのは当然だが、不思議なことに、ウッディ・アレンの「マッチポイント」では、あれほどエロかったスカーレット・ヨハンセンが、全くエロく見えなかった。…やっぱり、料理して家で待ってたりすると、エロさが失われるのではないだろうか。ヨハンセンに料理。有り得ない。 ヒラリー・スワンクのマデリンというのが、登場した瞬間から「年増のスキモノ女」としか思われないのであるが、なんだなんだ、お嬢なうえ美女だったのか?言われないとわからないが、そんなでいいのかな。相当無理している感じはあるが、妙な妖気は感じた。 どうにかしてほしいのは、アーロン・エッカートだ。…なんか、本人はデニーロさんが入ってると勘違いしているのじゃないか?確かに遠目に見れば、見えないこともないが…私はこの俳優さんはダメだ。これぽっちも興味を持てない。なんか、「薄い」んだよなあ。 最後に、ジョシュ・ハートネットだ。「尻」だ。いやー、よく披露したよなあ、後姿の思いっきり無防備な尻を。ジョシュ・ハートネットの尻解禁が、最も収穫だったかもしれぬ。 [DVD(字幕)] 6点(2007-06-15 13:18:08)(笑:1票) |