61. ヘヴン
《ネタバレ》 クッシーの遺作脚本だそうです。 トム・ティクヴァは有望株とされてるらしいが…どうもモノマネに終わった感じだ。 だいたいクッシー作品の重要人物がネイティブの英語をしゃべってはダメでしょう。 今までケムにまいて高尚化してきたことが、英語ということでいっぺんにそこらの作品と同レベルにまで引きおろされてしまう。 究極の愛とは相似形になることなのか…というようなテーマが感じられますが、それなら、それならばー、ケイト・ブランシェットではやっぱりイカんではないか。 だいたい二人の名前まで同じにして強調しているわけだから、ここはフィリッポと同じダークな髪と瞳の女優を当てなければ意味が無いではないか。逆に、フィリッパに金髪の男優を持ってくると、ハリウッドぽくなってしまうのでダメなのです。ああキャストがイカんかったです。 フィリッポのフィリッパに対する感情は、「ドラマチックなシチュエーションにおいて発生したファン心理」なので、「ファン心理」ということで「相似形」になっていくわけです。 「ファン心理」とは「あなたになりたい」なので、普通の男女間では自分に無いものを求めたりしますがここではどんどん同じになっていきます。「とんでもない間違いをおかして自分を捨てたい女」と「あなたになりたい男」がドンピシャではまってしまったのです。そして、どちらかがどちらかになるのではなくて、二人ともボーズ頭の性別年齢不詳の人物になるのです。 フィリッポの父親が訪ねてきたとき、一度は「連れて帰ってください」と言ったフィリッパは、「愛しているのか」と聞かれると「愛している」と答えます。 このときの彼女の心情を想像すると、「私と彼はもう同じ人間なので区別がつかない。離れていたって、自分が死んだらどうせ彼も死ぬだろうから、ここで引き離されることにあんまり意味は無い」というようなものだったのでは。 このような話であるならば、それを演じる男優と女優の外見が全く似ていなかったというのは悔やまれますね。ラストの効果とかも全然違ったと思います。クッシーはどういう配役にしたかったのかなあ。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-27 17:21:21) |
62. ブラック・ダリア
《ネタバレ》 デパルマというのは、ムラのある監督さんだ。 「カリートの道」の完成度を思うと、同じ監督さんの作品とは、にわかに信じ難いものがある。 しかし、「カリート」という金字塔(あくまで私の中での)があるデパルマだが、多くの失敗作も同時に有する。…ファジー(これ死語かな)な人だデパルマって。 で、「ブラックダリア」を見ていると、次のような言葉がずっと頭にこびりついて離れない。「…何か、だまされてる?何か、ごまかしてる?」 なんだかわからないが、「何かを意図的に省略してる」の感じがつきまとった。何だかわからないが。 でまあ、簡単にいうと「みんなウソをついてる」映画で、「特に女のウソは二重三重ですごいよね」であり、しかし、正義漢ぶっているブライカートだって、八百長試合をしているのだから、同じ穴のむじななのであった。 リンスコット家の異常さが印象に残る。一歩踏み込むと、そこは遊園地の「びっくりハウス」状態であり、完全に「常識が通用しない」その空気、相当に息苦しい。それをデパルマは速いテンポでサラッと見せる。うまい。 ヒラリー・スワンクがエロく見えないのは当然だが、不思議なことに、ウッディ・アレンの「マッチポイント」では、あれほどエロかったスカーレット・ヨハンセンが、全くエロく見えなかった。…やっぱり、料理して家で待ってたりすると、エロさが失われるのではないだろうか。ヨハンセンに料理。有り得ない。 ヒラリー・スワンクのマデリンというのが、登場した瞬間から「年増のスキモノ女」としか思われないのであるが、なんだなんだ、お嬢なうえ美女だったのか?言われないとわからないが、そんなでいいのかな。相当無理している感じはあるが、妙な妖気は感じた。 どうにかしてほしいのは、アーロン・エッカートだ。…なんか、本人はデニーロさんが入ってると勘違いしているのじゃないか?確かに遠目に見れば、見えないこともないが…私はこの俳優さんはダメだ。これぽっちも興味を持てない。なんか、「薄い」んだよなあ。 最後に、ジョシュ・ハートネットだ。「尻」だ。いやー、よく披露したよなあ、後姿の思いっきり無防備な尻を。ジョシュ・ハートネットの尻解禁が、最も収穫だったかもしれぬ。 [DVD(字幕)] 6点(2007-06-08 22:42:40)(笑:1票) |
63. ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
《ネタバレ》 〝アイデンティティー〟の見事な出来に期待のマンゴールド監督だが、残念なことに、主役の二人がミスキャストだったと思う。 存在感のある兄貴に死なれた不出来な弟、ということで、実生活でもリバーに死なれたホアキンを配した、というあたりの理由は分からないでもない。 が、ホアキンはすでに顔にも首にもでっぷり感があらわれている堂々の中年男、また、ジョニーというヤサ男にはそぐわない厚みのあるマッチョ系なのであった。 ジョニーというキャラは、子供の頃から〝マジメに労働すること〟に興味のない奴なのですね。こういう性格は一生変わらないみたいです。〝汗水たらして働くこと〟とか〝家賃や公共料金の支払い〟については、「自分とは関係ない役割」と無根拠に思いこんでいる男です。 良くいえば、〝夢を食って生きている〟かもしれないが、実際は単なる〝社会不適応者〟でしかありません。身近に居たら、かなりの迷惑。〝王子〟に生まれついたわけでもないのに、こういう人って、時々いますよね。たいがい、家族や友人に面倒を見てもらって、一生を終えるタイプです。ジョニーにはたまたま音楽の才能があったから、それだけでは終わらなかったというわけだが。 こういう危なげのあるキャラクターを演じるには、ホアキンは〝しっかり者〟に見えすぎる。彼自身の性格は、ジョニーとはあまり似ていないんでしょう。 リース・ウィザースプーンのジューンは、〝明るすぎる〟〝清潔すぎる〟〝屈託が無さすぎる〟。 赤ん坊のころから舞台裏で育ったという彼女、ショービジネスの世界しか知らなくて、2×で、子供をほったらかしてツアーに出ているうえに出演者のジョニーとデキてしまう彼女。 どうです、リースが演じているからこそ、清潔そうに見えますが、彼女のやっていることは、いわゆる「すれっからし」以外の何者でもない。実際のジューンは、もっと〝ヤバそうな女〟であるはずだ。 そもそもジョニーのような男は、女性を守って生きていくタイプではなくて、落合信子さんのような年上のたくましい女性に〝いい子いい子〟してもらいながら、やっと人生が送れるタイプ。ヴィヴィアンのように「あんたは私を幸せにする義務がある!」と主張するような依存心の強いタイプとは合わないのです。 だから、ジューンというのが〝落合夫人〟のような女性だったら、ジョニーが惚れ込む理由にも説得力があるのだがなあ、と思うのでした。 [DVD(字幕)] 6点(2006-11-19 12:55:01) |
64. コーチ・カーター
《ネタバレ》 「プライド 栄光への絆」「僕はラジオ」などのスポ根実話ものを見てきたが、「人間として」評価するならばこのケン・カーター本人こそが最もすばらしい。(映画としてのインパクトは「プライド」が勝るが、そこは監督ピーター・バーグの力量と思う)「プライド」のコーチは「男性性」を教え、「僕はラジオ」のコーチは「社会性(弱者との共存)」を教えたが、カーターはバスケットのコーチなのに、「バスケばっかりやってるんじゃない。勉強しろ」とか言う。「んん?バスケ映画じゃなかったの」そう、これは大変に政治的なテーマを描いた作品なのだった。もっといえば、「階層社会における底辺の若者を啓蒙する」目的があると思われる。もっといえば、「貧乏な黒人の少年よ、這い上がりたければ勉強して大学に行け」なのだった。もっといえば、「お前らのような貧乏人の子供は、犯罪者になりたくなければ、勉強するしか幸福へのキップはないのだぞ」なのだった。ケン・カーターは、おせっかいながら全くもって、まともなことを言っているだけなのだ。それが通用しないリッチモンドの地域社会のほうが当然におかしい。おかしいけど、「正しい」と思って主張しつづけたケン・カーター、その人がすごい。「父性」という意味ではこれ以上のものはないだろう。「バスケが終わったその後の人生全般」を視野に入れているのだ。カーターは、それを教えるために、「マチズモ」でもなく「愛」でもなく「契約(自己責任)」を用いた。「契約」とは「白か黒」。「やる」か「やらないか」。「契約」には「あいまい」などはない。これは「2進法(YES・NO)」であり「一神教」の文化であるから、日本にはもともと無いものだ。高校生のガキに対して強引にそれを用いたところが興味深い。映画としては冗長な部分が多くもっと短くできたと思う。ヒップな音楽は私にはうるさくて不要であった(テーマともあまり関係ないし)。 [DVD(字幕)] 6点(2006-02-25 19:14:35)(良:2票) |
65. 私は「うつ依存症」の女
《ネタバレ》 「17歳のカルテ」感あり。主人公が全然うつ病に見えないんだけどそれは見ている自分がヘンなのか?エッチはするわ、夜遊びするわ、親とケンカするわ、どこがうつ病だ。安定剤で充分じゃないか。むこうでは、この程度でもうつ病と思われるのか。そんで「カウンセリング要」になるわけ。それなら、大した社会だ大変だな。この子は単なる情緒不安定のわがまま娘で「17歳のカルテ」と同じにしかみえない。 [DVD(字幕)] 6点(2005-12-10 23:41:43) |
66. 8mm
《ネタバレ》 何でも手に入るほど金持ちになったら、最後にはそういうものが見たくなるの?ほんとか? それとももともと単なる変態だったからなのか?それほどの金持ちになってもそんなものたとえお金をもらっても見たくないけど。夫がそういう変態だったことを知ったら、情けないあまり自殺するか?それとも夫にかわって謝罪の意味で?あの夫婦の心理がさっぱり分かりませんでした。 [ビデオ(字幕)] 6点(2005-11-30 21:11:23) |
67. インビジブル(2000)
《ネタバレ》 エリザベスシューがいくらなんでも太すぎる。惚れていたジョシュブローリンもおっさん化していて悲しかった。それでなくても出演作少ないのに単なるワキ役だしー。「人間の条件」とは、ですかあ。やっぱ見えてないとダメなのか。ときどき見えなくなってしまいたいけど。 [ビデオ(字幕)] 6点(2005-11-25 22:05:09) |
68. トラフィック(2000)
《ネタバレ》 ヘロインで売春までしてあんなにすぐ立ち直れるのか?ウソだねー。 [ビデオ(字幕)] 6点(2005-11-23 19:17:25) |
69. K-19
《ネタバレ》 もとリドリーの妻という監督さん。何が言いたいのかよくわからない。レインコートで原子力と対決。みんなドロドロ。なんかすごくサディズムを感じるなあ。リドリーとはSS夫婦だったのか? [DVD(字幕)] 6点(2005-11-18 22:37:32) |
70. コンスタンティン
《ネタバレ》 キアヌって、タバコが嫌いなんだなー、と思いながら見ていました。もともとキアヌに演技は期待していないけど、こんなにわかりやすいのもどうかな。プロなのに。 ティルダのセリフまわしのすばらしさ、しびれます。出番が少ないのに、この人だけで充分成立。あと、よかったのはサタン。白いスーツを着ているのがよいですね。雰囲気がよい。イタリアンなのがよい。これははっきり言ってティルダの出てるとこのみを見る作品。 [DVD(字幕)] 6点(2005-11-02 23:59:46) |
71. セマナ -血の7日間-
《ネタバレ》 「運命の女」でオリヴィエを発見したため、ふと手にとったこれも見てしまう。 ふと見てしまったために、スペインの現代史について思い悩むこととなる。 現在のスペイン映画は「内戦」と「フランコ」抜きには成立しないようですね。だって、見てもわからないもん。その後「デビルズバックボーン」も見てしまい、いよいよその感強まる。 しかしまあー、同じ国の国民どうしで、よくここまでひどいことできるなあ。「肉食」と関係あるのかな。この後、スペインが「フランコ」になった理由は、この映画に描かれているそこらへんの事情が関係していそうだと推測している。だって、「フランコ」はこの「ひどいことしてる」やつらを駆逐したらしいから。はっきりいって、気持ちの強くない人は、これは見ないほうがいいですよ。 [DVD(字幕)] 6点(2005-11-02 23:26:30) |
72. ターミネーター4
《ネタバレ》 ターミネーター…シリーズにしては安かった。 なぜこんなに「安さ」を感じるのかというとやはり、今回の「主役」であるべき人造人間マーカス役の俳優が「薄」かったからではないかと思ふ。 今回は、カイル・リースが若すぎるために主役としてのボリュームを持ちえず、また、本来なら唯一のビッグネームであり絶対的スターとして物語に君臨するべきクリスチャン・ベールが、「ジョン・コナー」であるにもかかわらずその役割を果たすようになっていない。この理由は単純に出番が少ないからということだけではない。だいたい妻の出し方もあまりにも適当だ。これでは夫婦の関係もよくわからないので、ジョン・コナーという人を描くというふうには作られていないのだ。 この作品の主役は人造人間マーカスであるように作られているのだ。 けれども、肝心のジョン・コナーはクリスチャン・ベールであるわけだから、薄い俳優が演じるマーカスをヒーローとするにはそちらの引力が強すぎるというところもあり、そうかと思えばカイル目線になってみたり、どうも軸があっちこっちしているからマーカスに照準をしぼって感情移入するというところまで行くことができない。また、観客が「見たい」と期待している「コナーとカイルの関係」についても描写が少なすぎる。不完全燃焼型映画。 そして、マーカス役の俳優が予想以上に薄いことがとてもいけなかった。 ほとんど記憶に残らない顔をしている。 それならそれでそういう役柄があるだろうに。 クリスチャン・ベールと張り合って、自分のほうに観客を釘付けにするということには、なっていない。 するとこの話は「誰が」ヒーローなのか、ということがはっきりしないまま突然「心臓移植」に突入して終わるとかいう、お粗末な脚本なのである。 う~んなんというか、少ない出番でもクリスチャン・ベールを引っ張り出すことが出来なかったとしたら、「ターミネーター」という名前がついていようが完全なB級として消えていくタイプの映画。 作品全体としてはB級でいいのだが、ベールが出たことによって辛うじて「Bの上」くらい。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-10-16 00:34:36)(良:1票) |
73. ワルキューレ
《ネタバレ》 さて、トム・クルがどうしてもドイツ人貴族に見えないとかいうことは、この際どうでもいいようなちっさいことなのだ。 なぜなら想像してみてください。硫黄島の栗林中将役を、チョウ・ユンファが演じて、作品が全編中国語だったとしたら? …「ワルキューレ」で行われているのはそういうことです。どっちも白人だから、私らは気がつきにくいだけ。 だいたい私は有名イギリス人俳優満載のキャストにひっくり返りましたさ。 そして思ったとおり、最初の38秒以外は全編これ「英語」。 …だからさあ、たとえば戦時中に天皇か東條の暗殺計画があったと仮定して、それをチョウ・ユンファとかが主役で、中国人俳優満載で、全編中国語で演じたとしたら、そこに、いかなるリアリティが、ありますかって。 この有名なヒトラー暗殺計画は、断じて軽薄なエーゴの響きをもってではなく、あのゴツゴツした冷たいドイツ語で練られていたものなのです。すべての陰謀は、ドイツ語で企画・検討されたのだ。当たり前だ。 「言葉くらいなんだっていいじゃないか意味が伝われば」などと、言ってはならない。 真実はディーテイルに宿るのだ。 それとさあ、映画の内容についていいますと、トム・クル大佐をヒーロー扱いするための演出に必死みたいだけどさ、この暗殺が失敗した理由は誰が見ても明らかじゃん。 「ヒトラーは殺したいけど、自分は死にたくない」と思っていたからだ。 自分が無事に逃げることに重点を置きすぎて、結果、勝手にカバンの位置を変えられてしまい、爆発がヒトラーを直撃できなかった。 そんなに相手を殺したいなら、自分も死ぬ覚悟がないと、無理なんだよ。所詮暗殺なんて。 貴族出身の坊ちゃん大佐には、それができなかったから、失敗したんだよ。 それは歴史上の事実として、広く知られている。 それをいくらトム・クルが演じたからといって、「ヒーローだった」とするのは強引すぎです。 とにかくまあ、イギリス人の恨みが爆発してこんなことになったんでしょうなあ。こんな手の込んだ形で恨みを晴らすとは。やりすぎ。 私たちは、中国人がこういうことをしないことに感謝したほうがいいのかもしれませんよ。 ドイツ人は、幼少時から徹底した教育により「過去の罪」に対する罪悪感を背負わされて育つそうで、気の毒だと思います。ま、それをいいことにイギリス人にいいようにされちゃって。 ドイツ人、気の毒。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-01-20 16:02:07)(笑:1票) (良:4票) |
74. ワン・ミス・コール
《ネタバレ》 う~んやっぱりむこうのヒトは「悪魔」という方向に理解するんですね。 悪魔はカミサマとセットなので、結局「幽霊」や「怨念」はどっかに行ってなくなっちゃう。 悪魔は神様の反対物としてすでに〝ある〟ので、存在する理由が必要ないわけですが、幽霊は「怨念」があって初めて存在する。 いったい何をそんなに恨んでいるのか、どんなにひどい目にあったのか、日本人が幽霊を怖がる理由はそこにある。 逆に、「とにかく存在する」という悪魔に対しては、積極的に怖がることが、できません。だって、唯一の創造神を信じているわけじゃないからさ。 和製ホラーを輸出してリメイクした場合に、もっとも違和感が出るのはこういうところじゃないかと思う。みなさん、悪魔、そんなに怖いですか?怖くないよね。 大笑いするのはデーブ・スペクターが3秒くらい写っていることで、セリフは二言。デーブが英語をしゃべるとすごい違和感がある。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-20 17:27:29) |
75. パリ、恋人たちの2日間
《ネタバレ》 デルピーは作り手には向いていないと思いました。 だいたい、自分で主演してしまったことが、大失敗だと思う。 そらまともな女優を雇うより安く上がるには違いないが、デルピーの場合はウッディ・アレンのように、自分が出ながら自分を光らせてしかも作品を面白くするということはできていない。経験の差ではなく、ウッディ・アレンはすでに「アニー・ホール」からこの点では完璧だったわけです。 思うに…自分で監督して自分が主演するという例では、同じフランス人のテデスキさんの例があり、テデスキさんの場合は自覚的に露悪的なところがあったので単に男と女の差とまで言い切れないけども、デルピーの場合は「自分が好きすぎる」のだ。 フランス人の女優だから「お直し」をしないから相応に老けが入っているのに、まだ「イケている」と思っているからこういう感じになっちゃうのでは。 マリオンて、フツーに困ったちゃんなだけですよね。こういう好き放題なことをやっても許されると思っているのは、「イケているフランス人の女」という担保があってのことです。でも、その担保はもうそろそろ無効。目の下にクマ。口のまわりにホウレイ線。首にシワ。 困ったちゃんの女に、ラストになって独白で本当の気持ちを言わせてハッピーエンドてそら、終わり方としてあまりにも横着で、しかも自分で主役を張ってしまっているのに、恥ずかしくないですか?これが、雇った女優に言わせたのであれば、少しは考えが変わるというものだがダメなことには変わりない。 いくらなんでも、ハンバーガー屋の店員が客に対して英語を「話してくれない」なんてことは大げさすぎるでしょうし、過激すぎるタクシーの運転手とかも「これぞフランス」と言いたいがための水増し的演出でしょう。あーたの誇るフランスとは「みんなが自由に自分の幸福の追求だけに熱心」の「自由」というとこですよね。でも私なんかは「だけ」のとこが気になるんです。 もともと好きじゃないということもあるが、見比べてみると、同じフランス人女優でもテデスキさんに大きく軍配が上がるのだった。これはもう実力でも貫禄でも負けている(テデスキさんは「女優」という作品を撮っています)。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-03-26 19:13:43) |
76. アレキサンダー
《ネタバレ》 確かに長いです。 それはオリバー・ストーンが「観客にもカレの遠征の長さに辟易してもらいたい」と思ったからかもしれません。「長~い遠征」=「長い尺」というまんまな行き方がストーンの発想らしいです。 オリバー・ストーン流に、英雄アレキサンダーの異常に長い遠征の理由を示して見せた作品。 それは、「ママが怖すぎて故郷に帰りたくない」というのが最も強力な動機で、「戦争中毒」というのが次に来るみたいです。バトルのアディクトであり、アドレナリンがドバッと出るもんだからやめられなくて繰り返す、ランナーズハイみたいなものです。 なるほど~、というのが率直な感想で、「そういう見方もアリ」かもしれません。 インドまで来たときに、彼の兵隊が「もういやだ」と言ったので仕方なく帰ることにした、というのは有名な話で、これをどういうふうにとらえてアレキサンダーと彼の遠征を解釈するかというのは面白い題材です。 そして、ストーンが思ったアレキサンダー像というのは「ママが怖く」て、そのわりにけっこう粗暴な若者で、コマカいことにはあんまりこだわらず立ち直りが早く、あんまりエバらない。というような感じでした。「偉大な王」はストーンにかかると町の人気者的になっちゃいますけどこれでいいのか。 …私は正直「コリン・ファレルなんてさっ」とバカにしながら見てました。コリン・ファレルが「大王」だといわれても「眉毛つながってんのに英雄だってさっ」などと悪口も言いたくなるというものです。 だが、そのうちになぜか「これでいいのかもしれない」と強引に納得させられる気持ちが芽生える。 ドロドロ血まみれで吠えまくりバカまるだしのコリン・ファレル。子犬の目をしたコリン・ファレル。 アレキサンダーにコリン・ファレルを使う意味とは「バカ」とか「無垢」を強調したいからでしょう。 ならばキューブリックに撮っていただいて、「バリー・リンドン」風にブラックな笑いを醸し出すと良かったと思います。それしか面白くする方法はない。オリバー・ストーンに笑いを期待するのはムリというものですよね。 あと、撮影で動物を殺していないかどうかすっごく気になった。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-03-15 14:51:23) |
77. 88ミニッツ
《ネタバレ》 ネタばれますので注意。 「8月のメモワール」とか「アップライジング」などのヒューマンドラマを撮ってきたアブネット監督が、なぜこのようなショボいTVドラマもどきのシリアルキラーものを?? 私は「8月」とかすごく価値のある映画と思っているしー、アブネットがそこらの十羽一絡げの安い監督と同じとは思っていなかった。でなければパチーノが出ていてもこんなの見ない(パチーノは「リクルート」とか安い前例がある)。 今回の内容は、FOX製のTVドラマでも最近は質の良いものがあるのではっきりいって見なければ良かったというようなお粗末さだ…。 私はもう正直パチーノが老いても枯れないスキモノ老人を演じているところを見たくないなあ。勘弁してもらいたい。もっとこう、マジメで堅実な年金生活者とかいっぺんやってみたらどうよ。今までは映画に出れば物をこわし周囲を散らかすばっかだったんだから、清掃活動に励む善意の老人とかさ。 最近のパチーノといえば孤高で喰えない老人系がすっかり定型化してしまってとてもつまらない。 まあそんな感じで、この作品もパチーノの枯れない老人力を当てにして作られているようで、だからそれはもういいってば、という感じなのだが、パチーノ頼みのあまり20代の女が「先生と寝るのが夢」とかどう考えてもムリムリな構成に、犯人当ての意味もないような不自然きわまりない真犯人であって、ええー、ちょっと観客バカにすんのもいいかげんにしてと思う。 するってえとなんだ、あの女は自分と同じくらいの体重の他人を襲って縛って釣りおろすとかひとりでできるわけだからすごい筋力なわけよね。そうは見えないけども。あんだけの金髪ロン毛をバイクのメットの中に見えないように入れるのも大変だと思うけど、メットの着脱の際にはその都度気を使って毛を入れていたということよね。そもそも死刑囚のフォースターは、面会時間だけで他人を洗脳して操る才能があるほどの男ならなんで簡単に捕まってしまったのかヘンだなあ。考えれば考えるほどリアリティが無くなっていき、いまどきこんな怪人二十面相のようなことでいいのだろうか…。パチーノは作品を選んでほしいです(私の希望としてはセントオブウーマンぽいほのぼの系でお願いします)。 [DVD(字幕)] 5点(2008-12-06 19:31:51) |
78. ボーン・アルティメイタム
《ネタバレ》 前作でめまいや頭痛を引き起こしてくれた「手ブレたグリーングラス」が3部作のしめくくりまで担当してしまったことは誠に残念(個人的に)。 しかし私は「アイデンティティー」のジェイソン・ボーンのファンなので、その最終作を見届けるべく手ブレに耐えて見てみる。 やー、「1」の独特の情感、ゾクゾクするようなボーンの狩りシーン、そういったものがすべて、すーべて帳消しにされている(れっきとしたシリーズものなのにさあ)。私が「1」で良いと思ったところがすべて切り捨てられているところ、ある意味「すごい」です。 そしてまた、悪い奴はいかにも「悪者です」というように、正義の味方はいかにもそのようなキャラに、「はっきりと」描き分けているところ、あまりにもすごいです。これでいいんだろうか。 要するに、全体のトーンは「勧善懲悪」になってしまっている…「1」のボーンはそのように描かれていたかしら?そもそもボーンというのは「人殺し」を職業としていたわけで。それが「記憶を取り戻したから」といって「急に善玉になる」というのはどうなのさ。あまりにも稚拙な脚本で、マトモにどうこう言う気が失せますね~。 つまり、「手ブレたグリーングラス」は、ジェイソン・ボーンというヒットシリーズを利用して豊富な資金を投入した思いどおりのアクションシーンが撮りたかっただけではないのでしょうか。 実際、カーアクション以外の場面は「24」からの借り物ぽかったり、トルコでの追っかけシーンはコマ切れすぎて何がなんだか分からずはっきりいってつまらないし、ドラマパートになるといきなり「昼メロ」調になってしまい、アレンとかスタイルズとか演技のできる役者がせっかくいるのになんの情感もないお粗末さが全開。私に言わせれば、グリーングラスは「カーアク職人」で終わる程度の人だと思う。それをあんまり持ち上げてはいけないと思います。 私は手ブレたカーアクなんてちっともいいとは思えなかったけど、中には「スゲー」と思う人もいたっていいし、「ギリ」で撮ってる感じはなんとなく伝わるが、カーアクしか取り得の無い人が監督をしてはいけない。しかも、私のジェイソン・ボーンを使ってまで…。 「1」のことを思うとこんなお粗末なことで終わってしまって本当に残念。手ブレ撲滅。合掌。 [DVD(字幕)] 5点(2008-11-28 14:39:36) |
79. ディープ・ブルー(2003)
《ネタバレ》 上から下から同時撮影してみたり、暑さ寒さに負けず非常に手間のかかった映像なのだと思うが、小学3年の姪は1時間経たないうちに飽きてしまった。ちなみにその凝りまくった回転する小魚タワーとかのあたりで。 確かにすごい、よく撮れた!の貴重映像満載なのであろうが、「すごい!」だけで一時間半もたすのは大人でも難しいなあと思った。 思うに、作品としてのどのような方向性を持っているのかが中途半端なのでは。 「これだけの映像美および技術を解する観客に評価してもらえればそれでよいという硬派」なのか、「観客を選ばずよりたくさんの人に見て欲しい」なのか「子供が喜べばそれでよい」なのか、どれともつかない。また、「温暖化なんたら」で終わるラストは説教くささを露呈し、純粋に映画を楽しみたくて金を払った客をバカにしている。 今「アース」を見せているが、そちらはほぼ無事に見終えることになりそうだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-08-11 12:16:42) |
80. バッドサンタ
《ネタバレ》 ソーントンでバッドサンタだ。コーエン兄弟でブラックコメディだって? こりゃうまそうだ、と期待を大きくいそいそとTVの前に座ったのがいけなかったのだろうか。 部分的にウケたギャグもあったのだが…「アスピリン?」が良かった。 全編通して汚らしい雰囲気満載なのだが、その汚さの程度も中途半端な気がした。どうも個人的にはいただけない。 「不潔さ」で笑いをとる場合は、そのものずばりを見せるだけでは面白くならないのではないか?小便をもらしたとか、ゲロを吐いたとか、酔ってベロベロとかいうものを、ずばっと見せられるだけでは、笑えない。これに上手くシチュエーションを絡めるとか、「低身長の人」とか少年がリアクションしてフォローするとかしないと、単に気持ち悪いだけでブラックな笑いにもならないと思うんだけどなあ。 というか、ソーントンの「汚さ」がリアルすぎたというのもある。もともとが奇人変人系のソーントンだから、無精ヒゲでの不潔演技が妙にリアルで笑えないのかもしれない。とにかく生理的にダメだ私には! それから、サンタの「悪い人ぶり」も甘すぎる。相手かまわずファックするから悪人なのか?飲んだくれて仕事に差し支えるから悪人なのか?泥棒するから悪人なのか?そのへんのキャラ造形がいかにもあいまいで、「はい、これが不良のサンタです、どうぞ」と提供されているような気がしてくる。やはりもうひとつサンタがバッドである決め手が必要だったと思う。 …が、不良のサンタがいじめられ少年と心を通わせて更正する、というストーリーは悪くない。 そうだ、キャストがダメなのだ!と今気付いた。 ソーントンが不良だったら、あんまりにも当たり前じゃないかあ。ここはやっぱり、日頃清潔感を漂わせているような意外なキャストで行くべきであったのだ。 トム・ハンクスとかさ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2007-12-03 19:53:24) |