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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  らいか ろりん すとん -IDOL AUDiTiON-
BiSHのセントチヒロ・チッチが、悔しさと憤りが入り混じった涙を流す。 アイドルオーディションの中に渦巻く過酷。そこには、アイドルを目指す過酷と、アイドルを続ける過酷が混在していた。 チッチの涙は、WACKというプロダクションのトップランナーとして、その世界で走り続ける者のプライドと悔しさ、そして優しさが溢れ出たものだったように思う。  BiSHにハマり、彼女たちが所属する音楽プロダクションWACKを追い始めて3年。同プロダクションが毎年開催している合宿オーディションのWeb中継を見るのも3回目だった。 毎年沢山の女の子たちがアイドルを目指して、せめぎ合い、そしてその大半が去っていく。 その様子をつぶさにカメラで追い続け、生配信をし、映画化するこのプロジェクトは、非常に残酷であり、その反面物凄くエモーショナルだ。  その“残酷”と“エモーショナル”が合わせ鏡のように共存し、アンビバレントな価値観を放つことこそが、“アイドル”という存在の本質的な魅力だと思う。 現在40歳の僕自身は、アイドルファンを公言して間もない。ただ、4年前、36歳の見まごうことなき“おじさん”になってから初めてアイドルにハマった理由は、まさにその相反する二面性が表現するドラマティックに他ならない。  今回の合宿オーディションの参加者は、例年になく良い意味でも悪い意味でも曲者揃いで、ある部分においては明らかに脆く、拙かった。 その様が、プロダクションの稼ぎ頭ではありながらも、まだまだ一般的な認知度は低く、活動の中で悔しい思いの方が圧倒的に多いであろうチッチの感情を昂ぶらせ、乱しただろうと思える。  今回のドキュメンタリー映画は、二人の有力候補生の様子を主軸にして綴られる。 年格好も、技能も、才能も似通った二人は、互いに励まし合い、刺激し合い、過酷なオーディションを生き残っていく。 だが、最終日にして、或る“直接対決”によってその片方が脱落し、片方は合格を勝ち取る。 アイドルオーディションのドキュメンタリーとしてその“ストーリーライン”は、とても王道的だった。  ただ、今作はそこで終わらない。  「合格」のその先、アイドルを続けるということの過酷が、端的に、リアルに伝えられる。 そこには、セントチヒロ・チッチの涙が表していたことの本質、“アイドル”として存在を示し、決して綺麗事ではなく残り続けていくことの難しさが、表れていたと思う。  “コロナ禍”というタイミングも相まって、“彼女”が、アイドルとして歩み出し、存在し続けていくことが極めて困難であったことは容易に想像できる。 ただそれでも、アイドルとして存在し続けられたことのみが「正義」であり、それ以下もそれ以上もない。  運も必要、タイミングも必要、強かさや、狡猾さ、そしてもちろん“ファン”とそれに密接に結びつく“お金”も絶対的に必要。 それら全部ひっくるめて、この生きづらい世界の中で、アイドルたちは存在し続ける。
[インターネット(邦画)] 7点(2021-12-07 22:00:02)
2.  ラストレター(2020) 《ネタバレ》 
遅すぎた邂逅は、それでも何かを癒し、未来を生む。 いびつで、拙く、寓話のように非現実的だけれど、それは僕自身が「Love Letter」から25年来、愛し続けた世界観そのものであり、“優しい嘘”は、あの時と変わらずに心を揺らした。   僕が中学生の頃、「スワロウテイル」を観て、岩井俊二という映画監督の存在を初めて知った。 「映画」というものを自身の趣味として積極的に観始めたばかりの頃で、見識が浅い子供だった僕は、映し出されている映画世界のどこまでが現実で、どこからが非現実なのか、その境界線を判別できなくて、大きな戸惑い共に衝撃を受けた。  無論それは、あの“イェン・タウン”という異世界に対してリアリティを感じたというわけではなく、エキセントリックな「寓話」として映し出された空間に妙な生々しさと、現実世界と地続きの真理めいたものを感じたからだと思う。 以来僕は、二十数年に渡り、この映画監督が生み出す“世界”の虜になり、憧れ続けてきた。  時間は瞬く間に過ぎ去り、中学生の男子は、アラフォーのおじさんになった。  2016年の「リップヴァンウィンクルの花嫁」以来4年ぶりの最新作に対しては、少々気が引けていた部分があった。 「Love Letter」の二番煎じとまでは言わないまでも、何となく懐古的な雰囲気を携えたイントロダクションに懸念を感じていたこともあるが、何よりも僕自身が、“ラブストーリー”というものに対して、とんと縁遠くなってしまっていたことの影響が大きい。  四十路前のおじさんになってしまった自分が、中学生時代から憧れ続けてきた映画監督が新たに生み出したラブストーリーを目の当たりにして、照れずに、素直に受け入れることができるだろうか。そういう「危惧」が無意識下にあったように思う。  でも、そんな危惧や懸念は、序盤の何気ないシークエンスに触れた途端に消え去っていった。 少年少女たちの他愛もない台詞回し、どこか無防備な役者たちの自然体の演技、ただひたすらに美しい映像世界、ファーストカットからの一つ一つに対して、「ああ、岩井俊二の映画だな」とストンと腹に落ちる感覚を覚えた。  松たか子、福山雅治が演じる主人公たちは、奇しくも高校卒業から二十数年を経た“おばさん”、“おじさん”。 この上なくセンチメンタルで、ロマンティックなラブストーリーであることは間違いないけれど、この映画は、まさに「Love Letter」から25年が経った“僕たち”のための作品だった。  二十数年の年月は、劇中の登場人物たちにとっても、現実世界の僕たちにとっても、同じように長く、一口で語れるものではない。 色々なものを失い、色々なものを得るには充分な時間であろう。  過ぎ去った時間のあまりにも眩い「光」を愛するあまりに、逆にその呪縛から抜け出せずにいた売れない小説家の男。 不意に訪れた邂逅により、彼が突き付けられた“現実”はあまりにも厳しく、尽きせぬ悔恨と共に容赦なく「闇」の中に突き落とされる。  けれど、その邂逅は、男を呪縛から解き放ち、「闇」の中から新しい「光」へと導いてもいく。  “幻影”のように美しく光り輝く二人の少女に対峙した彼は、決して取り戻すことができない時間の無情さを痛感したと同時に、悔恨も、贖罪も、悲しみも、感謝も、すべてひっくるめて歩むべき「未来」を見出したのだろう。   “信奉者”としての贔屓目は多分にあろうとは思う。 ただ、岩井俊二の映画作品と共に、僕は僕なりに、二十数年の“紆余曲折”を経てきたわけで。 その上で得られたこの新たな感動を否定することなどできやしない。
[映画館(邦画)] 9点(2020-01-18 23:31:44)(良:1票)
3.  ラブ&ピース
園子温が無名だった25年前に書いた脚本の映画化ということで、その世界観とストーリーテリングは、あまりにチープで荒削りだ。(まあ、ヒットメーカーになった今も根本的にはチープで荒削りであるが) 長谷川博己、麻生久美子、西田敏行という一流どころを揃えた商業映画としては、極めて歪で、正直なところ映画としての完成度は低く、面白くはない。 鑑賞に耐え切れないとまでは言わないが、映画の大半は、なんとも言えない居心地の悪さと、退屈感に苛まれた。  ただ、同時に、園子温という表現者のむき出しの魂そのものが、不器用に、無様に、込められた映画であったとは思う。  「夢」を持つということが辿る現実。きらめきの裏側に確かに存在する滑稽さと愚かさと残酷さ。 かつて「夢」を持ったすべての者たちが辿ったであろう、喜びと、それを遥かに凌駕する苦悩。 この映画の主人公の様は、まさにその体現であり、「夢」を持った者の一人として、良い意味でも悪い意味でも、笑えなかった。  園子温という“若者”の荒ぶる屈折した思いを具現化したような映画であり、極めて独善的で、決して褒められた映画ではないことは間違いない。 しかし、彼が持つ表現者としての魂の形そのものが、25年前から変わっていないということは伝わってくる。 この魂を核心に秘め続け、表現者としての成熟とともに、「愛のむきだし」や「地獄でなぜ悪い」が生み出されたのだろうことは、素直に理解できる。  この映画が、脚本が書かれた25年前に、長谷川博己や麻生久美子という「無名俳優」を起用して撮られていた作品であったならば、園子温という映画監督のフィルモグラフィーの中でも重要な一作となっていたことだろう。
[DVD(邦画)] 4点(2016-07-09 10:17:27)
4.  羅生門(1950)
三船敏郎の豪快かつ虚無的な“馬鹿笑い”が脳裏に焼き付くようだった。 彼をはじめとする、往年の日本人俳優の圧倒的な“エネルギー”を改めて感じる作品だった。  黒澤明監督の「羅生門」という作品の存在は、当然ながら随分前から知っていた。 海外でも殊更に評価の高く、名作名高い映画であることも知っていたが、個人的には敬遠していた節があった。 それは、「羅生門」という芥川龍之介の原作からイメージされる文芸色の強さに対して、あまり魅力を感じることが出来なかったからだ。 高校時代の国語の教科書に芥川龍之介の「羅生門」が掲載されていたが、“ニキビを気にする下人と薄汚い老婆が屍の上で押問答を繰り広げる短編”という印象が強く、その世界観が映画としてどのように展開しているのかが甚だ懐疑的だった。  ただ実際は、同じく芥川龍之介の短編「薮の中」を映画化し、人間のエゴイズムを如実に表した“裁判劇”だった。  うだるような暑さの山間で巻き起こった強姦と殺人。一つの事件が、当事者らの証言によって紡がれる。 自己の保身と美化によって、自分たちの都合の良いように繰り広げられる証言。三者三様の言い分が食い違っていく様が、人間の愚かさを印象的に映し出していく。  照りつける太陽の下で繰り広げられる「事件」の描写と、天をひっくり返したような豪雨の羅生門で繰り広げられる事件に対する「考察」の描写が、人間そのものの浅ましさと無様さをあざけ笑うかのように表現され、黒澤明という絶対的名匠の存在性を改めて感じた。  個人的にはラストにもうひと捻りが欲しかったところだけれど、そこには、人間の愚かしさを延々と描いた作品だけに、最後の最後には“一筋の光”を入れずにはいられなかった巨匠の「希望」が垣間見えた。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2011-12-13 11:20:18)
5.  ラッシュライフ
 この1、2年映画化が立て続いている伊坂幸太郎の原作作品。 僕自身、伊坂作品は最近になって続けて読んでいるが、中でもこの「ラッシュライフ」は、彼らしい語り口とストーリーテリングで、ぐいぐいと引き込む傑作だと思う。  原作小説の表紙カバーに描き表している通り、この物語は、4つの人生(厳密にはもっと沢山の)が、まったく別の方向性から交わり、また別の方向へ向かっていくという“絶妙”な連鎖を描いたものだった。  先に言ってしまうと、この映画の致命的なミスは、その「連鎖」を描けなかったことだ。  東京芸大の制作によることが影響したのかどうかは知らないが、 4人の監督が、物語に登場する4人のキャラクターを主人公にした4つの物語としてオムニバス化してしまったことが、最大の敗因だと思う。  この物語は、決してオムニバスではない。 主人公は4人ではなく、それぞれの人生が少しずつ絡んだ”繋がり”こそが、主人公である。 短絡的に4つの短編を並び立ててしまったことで、原作の魅力は大いに損失されてしまった。  ただし、それぞれのキャラクターを演じた役者達は流石に実力者ぞろいで、原作のキャラクター性を損なうことなく演じ切ってみせている。 そのおかげもあり、決して完成度の低い映画という印象は与えない映画に仕上がってはいると思う。  だからこそ、尚更勿体ないという印象も拭えないが。
[DVD(邦画)] 6点(2009-12-17 22:21:49)
6.  乱歩地獄
“乱歩地獄”と銘打ったこの映画が、もはや“まとも”な映画であるわけもなく、予想以上の錯乱ぶりが凄まじい。改めて、「乱歩」以外「乱歩」を評する言葉を持つものはいないと思う。 オムニバスの4作品すべてでパフォーマンスを見せた浅野忠信の存在感は、似合いすぎるほど乱歩ワールドにマッチして圧巻。 恐らく、江戸川乱歩映画が好きな人も、嫌いな人も、見たことがない人も、それぞれがある種の「地獄」を見るだろう作品だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2006-02-20 16:46:44)
7.  ラブドガン
久しぶりに永瀬正敏の映画を観たが、相変わらず彼は映画がよく似合う。それほどに演技が巧いとは思わないけど、いかにも映画っぽい格好良い台詞をさらりとそして意味深長に発することができるのは、彼ならではの映画俳優としての才能だと思う。その格好良さに宮崎あおいが加わりビジュアルのクオリティは殊更に高まっている。しかし、それだけではよくある“なんだかカッコイイ映画”で終わってしまうところだ。そこで、小奇麗な雰囲気を絶妙な具合に破綻させる岸部一徳の存在が光っている。 ところどころで奇妙な映像センスを見せる映画世界に、驚きと共になんだか見覚えを感じたが、なるほど、監督は鈴木清順と師弟関係だそうで、妙に納得。今後の作品にも期待したい。
[映画館(邦画)] 7点(2004-11-15 23:10:33)
8.  ラスト サムライ
この映画のもつ価値は、あらゆる意味において計り知れない。クライマックスの合戦シーン、おもわず身震いと同時に「見事…」とつぶやいてしまった。勝元の眼差し、氏尾の剣技、たかの静粛さ、SILENT SAMURAIの寡黙、そして日本の情景の美、この映画で燦然と描かれたすべては、現代の日本人が「忘れている」ではなく、もはや「知らない」と言わざるを得ない日本という国の美学、サムライという生き様の崇高さに他ならない。ひとつひとつのシーン、何気ない言動までもにこれほど感動と興奮を覚えた映画は本当に久しぶりだ。紛れもない傑作である。渡辺謙、真田広之ら日本人俳優たちは本当に素晴らしかったが、私はあえて、この映画をハリウッド大作として、尊敬すべき侍魂をもって体現してみせたトム・クルーズに深い賞賛を送りたい。
10点(2003-12-14 03:53:04)(良:1票)
9.  落下する夕方
基本的には淡々と3人の主人公たちによる恋愛物語が展開され、退屈になりそうになるのだが、所々の心を引きつける空気感が印象的な映画だった。一風変わった女を演じた菅野美穂の存在感が鮮烈。
6点(2003-11-29 02:18:23)
10.  らせん
ホラー映画が苦手な者にとっては、「リング」に対して哲学的な考察で展開していく今作は非常に興味深く面白かった。あまり評価は高くないようだけど、ストーリー的にはとてもよく出来た映画に仕上がっていると思う。
7点(2003-11-18 15:10:29)
11.  Love Letter(1995)
数年ぶりに「Love Letter」を観て、映画の中の登場人物たちと同様に、記憶が揺り動かされながら、幾度目かの感動に包み込まれた。  中山美穂が一人二役を演じるこの映画は、彼女が演じる二人の女性、渡辺博子と藤井樹が主人公である。 数年ぶりの鑑賞で、この二人の主人公の存在感と、ストーリーにおけるバランスが奇跡的なまでに絶妙であることを改めて感じ入った。  「拝啓、藤井樹様。お元気ですか? 私は元気です。」  という主人公(渡辺博子)が亡き婚約者に送った手紙の一節は、そのままクライマックス(トヨエツが言うところの“いっちゃんええとこ”)におけるエモーショナルな感情表現として使用される。 彼女は、届くはずのなかった手紙のやりとりを通じ、それをきっかけとして、ようやく塞ぎ込まれていた自らの感情を吐露し、解放することができたのだ。  そのクライマックスまでの大筋だけを表面的に捉えると、この映画の主人公は渡辺博子に見えるだろう。 だが、そこに藤井樹というもうひとりの女性の人生と記憶が重なってくることで、この映画はまさに奇跡的な物語を紡ぎ出す。  わけの分からぬ手紙を受け取ったことから、主人公(藤井樹)は、遠い記憶の中の或る男子の眼差しと、自らの人生における「死」にまつわる思い出に再会する。 徐々に蘇っていく記憶は、光となり、熱となり、痛みとなり、彼女を覆い尽くす。  失った大切な人物の記憶を辿る物語から、失ったことすら気付いていなかった記憶を取り戻す物語が、連なり、並走する妙。 普遍的な「死」と、奇跡的な「邂逅」が織りなすその物語は、25年という年月を越えて変わらず僕を包み込んだ。  今の時代に、このストーリーを紡ぎ直そうとも、成立しない要素は多い。 卒業アルバムの住所録も、図書室の貸出カードも、インスタントカメラも、あるいは「手紙」すらも、過ぎ去りし時代に取り残されたエッセンスだろう。 ただ、だからこそ、この映画が描き出しているものはもはや永遠なのだろうと思う。  時の流れの中で埋もれていた記憶は、ふいに顔を出し、感情を揺さぶり、光り輝く。 僕にとってこの映画は、そういう「記憶」そのものだ。
[ビデオ(邦画)] 10点(2003-11-18 14:23:45)(良:5票)
12.  ラブ&ポップ
一見、アダルトビデオのようなチープな映像が巧みに当時の女子高生の日常を描き出している。彼女たちの日常における、危険、苦悩、気だるさを等身大のテンションで表現した原作者村上龍と監督庵野秀明のコラボレーションは絶妙であった。4人の女子高生に群がってくる男たちを演じた個性的な俳優陣の演技もそれぞれ秀逸。ラストの決して爽快ではない解放感も印象的である。あらゆる意味で見事な映画であると思う。
[ビデオ(邦画)] 10点(2003-11-18 14:09:04)
13.  ラヂオの時間
三谷幸喜の「監督作」としては、この映画が殆ど唯一の“傑作”と言える作品だと思う。 劇場公開時も楽しく鑑賞したことを覚えているが、随分と久しぶりに観直してみても、色褪せず“楽しい”と思えることが、この映画が本当に優れた「喜劇」だからだろう。  この映画は、ものづくりの現場に総じて共通するであろうジレンマと愚かさ、そして何にも代え難い素晴らしさを可笑しみの中で表現しきった傑作だ。   “喜劇作家”である三谷幸喜が、迷走を続けて久しい。 その理由は明らかで、世間的な成功に伴って与えられた潤沢な資金と多大な重圧によって、この気の弱い脚本家は、無闇矢鱈にオールスターキャストを揃え、大風呂敷を広げれば広げていく程に、明確な「失敗」を続けている。  “オールスターキャスト”という言葉は、そのキャストのそれぞれがベストパフォーマンスを見せて初めて価値があるものだと思う。 そういう意味で、この映画は本当の意味で“オールスターキャスト”だと言える。  唐沢寿明、鈴木京香、西村雅彦らメインキャストは勿論良いが、この映画の場合それよりも脇役のハマりぶりが最高だ。 今回特に印象に残ったのは、井上順と布施明。それぞれいかにも業界人らしい憎らしいほどに飄々として軽薄なキャラクターを演じているのだが、両者とも一寸垣間見せる“暗さ”が実にリアルだった。(布施明によるあのエンディング曲は反則だ)   この映画や、「12人の優しい日本人」で顕著なように、この作家の真骨頂は舞台の領域が狭ければ狭いほど発揮される。今一度、原点に立ち返ってくれないかと切に願う
[映画館(邦画)] 9点(2003-10-28 11:09:20)
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