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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 2524
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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321.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語 《ネタバレ》 
 前編に比べて後編は単なるジャンルについての映画ではなく、この作品独自のテーマ、メッセージが明確に提示される分、まだ面白いと感じました。   ただし、その行き着く先は決して気持ちのいい場所ではありませんし、また、随分とまた極端な到達点だな!とツッコミを入れたくもなります。  っていうか、国民的になったメタ系特撮ロボアニメや某メタ系ヒーロー映画、また某メタ系ホラー映画と同様で、メタ系は「セカイ系オチ」に持ち込む事でしかその世界にケリを付けられんのか?と。  メタ指向によって話が内側に向かえば向かうほど、それを終わらせる手段は限られてくるという事なんでしょうかねぇ。   また、一話ずつ区切られたテレビシリーズでは問題が無かったであろうものが連続した映画では明らかに不自然になってしまう部分があって。  映画の視点がそれまでずっと固定されていたまどかから突如としてほむらに転化した時点で、こちらが作品を追っていた視点はぷっつりと断ち切られます。  そこで種明かしがされる事でそれまで掴みかねていたほむらの心は見えてくるのですが、逆にまどかを見失ってしまって、その後のまどかが「それまで見ていたまどかではない、無数のまどかのうちの1つでしかないまどか」になってしまい、実質的には『まどか☆マギカ』はほむらの種明かし時点で終了してしまうような感覚。  その後の「セカイ系」はむしろ蛇足みたいなもので。   見えてこないもどかしさが前編の特徴ならば、後編は種明かしをし過ぎたゆえの空疎さで後に虚しさばかりが残るような感じでした。   もっとも、ここからまだ続きがあるみたいですが。
[映画館(邦画)] 5点(2013-09-25 20:36:20)(良:1票)
322.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 《ネタバレ》 
【マミる】頭が無くなる事。首が取れた状態。残酷な死に方をする事。『まどか☆マギカ』の登場人物、巴マミの最期に由来。     このテの「メタもの」って私にとって大抵イラつくシロモノになってます。テレビ放映時には5話目まで見て「コレ嫌い」って挫折しました。   決して新しくはないです。つまりは『ウォッチメン』『ダークナイト』『キック・アス』『スーパー!』などの同類。アレの魔法少女バージョン。そしてそれらを私がそんなに~全く楽しめないのと同様、これもまたあまり楽しめるモノではありません。   空疎で生気を失った無機的な世界でドロドロとした感情がうねっている、そんな話。  現実感のない魔法少女ものの設定の中に生々しい感情や暴力や死を持ち込みジャンルを現実的視点から解体・再構築しているわけですが、メタものの多くが批判的視点を持つがゆえか、暗い、陰鬱な色になりがちで、この作品も終始陰鬱です。  でも「リアル」はもっと楽しいものでもあるわけで、このトゲトゲした、あるいはおどおどした少女達の極端な「リアル」はメッセージのための生という息苦しい枠にパッケージングされているような感じで。   そんな中で輝きを放つのが魔女の作り出す結界。作品内で最も魅力的な空間。美術的に独特のセンスを持って大変に面白く、ここだけで見る価値が十分あったりします。が、それもメタ化のための道具だと思うと(むしろ現実よりも悪である側の世界の方が明るく生き生きとしているという皮肉)なんとももったいない話で。  マミさんが早々に退場するのももったいないですが(笑)  このビミョーなデザインの世界で個人的に魅力を感じたのは彼女だけでしたからねぇ。   ダークなアニメに魅力を感じられるほど、おっさん心と時間に余裕がないのかな。
[映画館(邦画)] 4点(2013-09-25 20:22:13)
323.  鷹の爪GO 美しきエリエール消臭プラス 《ネタバレ》 
 キャラネタは相変わらずの面白さなのですが、今回はその凝ってみました的な物語の背景設定が「ぼくがかんがえたSF超大作」みたいな中二臭さ炸裂で、ちょっと置いていかれ気味。   クライマックスの泣かせにしても吉田くんが褒めるような総統の人間性っていうのが、実のところこの作品でも過去作でもそういう風には伝わってきてなくって、なんか一方的に送り手側が酔い痴れてません?って感じがしてしまって。   っていうか、今回泣かせを入れ過ぎ。『鷹の爪』で泣かせなんてのはイレギュラーというか、ネタの1つ程度の存在でいいと思うんですけどねぇ。   大体、前半はオキテマス・スマイルとヨルニーがメインだったのに、クライマックスになると完全に鷹の爪団に話が移って、ヨルニーなんて最終的に何処へ行っちゃったのやら、って状態で。   これまでの作品にあった時代を反映するネタが減り、凝った設定と鷹の爪団(特に総統)への過剰な思い入れがどうも間口の狭い作品にしてしまった感があって、一方でバジェットゲージの存在は映画を引っ張るためのマンネリな手段と化し、ここに来て『鷹の爪』も曲がり角に来たのかな、って感じがします。   やっすいフラッシュアニメだからこそできる事、そこを見失ってゆくと存在の意味がなくなってしまうと思います。こういう物語自体はもっと上手く作れる人が幾らでもいるのですから。
[映画館(邦画)] 5点(2013-09-20 21:53:19)
324.  キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK- 《ネタバレ》 
 脚本が駄目です。  ハーロックが『逆襲のシャア』の「地球にアクシズ落としちゃうけど地球は大切にね」ってシャアの二番煎じみたいな訳の判らないキャラ。それに『火の鳥2772』をブレンドしたような、何をゴチャゴチャぬかしてんねん!と言いたくなるような話。  主人公の青年は行動に一貫性が無くコロコロと自分の立場を変えて物語をひたすら引っ掻き回すばかりの存在だし。  登場人物の言動に全く同感できる部分がないままに映画が進んでゆくっていうのはつらいです。  だけど元々の原作マンガやらテレビシリーズ版やら『わが青春のアルカディア』やらからして、マトモに完結してなくて結局ハーロックってなんだったんだ?っていうとよく判らん、っていういい加減な状態なんで、ある意味忠実なのかもしれませんが。  トチローとコンピュータの件なんてこの映画じゃよく判らないわけですが、原作やアニメあたりでも「友よ~!」って言ってるばかりでよく判らなくて、答えは劇場版『銀河鉄道999』にあるあたり、まあ、この原作者の作る物語は元から断片を繋ぎ合わせて理解するしかないわけです。この映画は殆ど別物なのでそれでも理解できませんけど。   で、ビジュアルは思ってたよりはいいです。  モクモクと黒い雲からズドーンと髑髏の艦首を突き出してくるアルカディア号の迫力とか、未来世界の美術やガジェットのデザインとか。  ミーメはそのビジュアルと蒼井優の実力ある声とが相まってステキですわぁ。  全体的にキャラはゲームのムービーみたいな感じでしたが。  国産CGモノによくある白人コンプレックスっぷり、有紀螢まで白人顔っていうのはどうなのよ?日本映画なのにそこまで東洋人顔が嫌いか!とも思いましたが、これも原作者の描く女性がそもそも、ねぇ。   なんかカッコつけてるわりには情けなかったりバカっぽかったり、脚本の人の中にあるハーロック像ってこんなモンで良かったの?とは思う映画ではありました。
[映画館(邦画)] 4点(2013-09-20 21:22:44)
325.  劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 《ネタバレ》 
 また志が低めのアニメ映画を見てしまった感じで。   テレビ版を見ていない、その知識が全く無い人間にとってこれは「極端に構成力の欠如した独りよがりの作品」でしかありません。  とにかく時系列が判りづらいです。あちこちのエピソードを拾っては散りばめているばかりで、二度目以降の鑑賞ならばその並び順を理解できるのでしょうが、初見では「それは一体いつの話よ?」と。子供時代と現在という大雑把な2つでしか分類できないような不親切な構造。  その上、突然回想状態でセリフ無しで口パクパクしてるような映像が登場する事で「ああここはテレビ版の映像を並べてるんだなぁ」って冷めた目で見るような箇所多数。   一方で登場人物がひたすら心の声でホンネを語りまくる、その人称のブレっぷり、心情を理解しようという思いを挟む余地の無さっぷりには呆れるばかり。  この人はこういう気持ちなのでこういう言動をしているのです、という説明を延々と続けるばかりで全くドラマを作ろうとしていません。全員の心の声がこぼれまくりで、だけどその説明過剰っぷりに誰にも心が向いてゆかないという。   「幼い少女が死んでしまった事に対する仲間の悲しみや後悔」、それが感動を生むのは当たり前で、それをずーっと悲しい悲しい言ってるだけの話で、だから映画見て泣きたいなぁ、感動したいなぁ、ってそれだけを求めるのならばいいんじゃないかとは思います。そこもあまりにクドいけど。  で、それ以上のものが少なくともこの映画からは感じられませんでした。投げ槍とも思える未来がチラチラと提示されるばかり。テレビ版にはそれ以上があったのかもしれませんが。   「めんまがかわいくて可哀想で、ってところにこそ価値があるんだ」っていうのならば、まあ、なんの異論もないですけど。
[映画館(邦画)] 4点(2013-09-20 20:45:47)
326.  ガッチャマン 《ネタバレ》 
 ぼくがおたくになったのは『ヤマト』でも『ガンダム』でもなく、『ガッチャマン』のせいです。なのでぼくは『ガッチャマン』にとくべつなおもいいれがあります。『ガッチャマン』はいつもてつじゅうメカとたたかうおはなしでしたが、そのはいけいにはかなしいドラマがたくさんありました。それにすっかりみりょうされました。   そんな『ガッチャマン』がえいがになるというのでたくさんのふあんとちょっぴりのきたいをいだいていました。   今日見たえいがは、なんだかとてもざつでいいかげんなつくりでした。えいぞうやエピソードがとびとびでちっともつながってなくて、いちいちとうとつです。でもしんせつにセリフでぜんぶせつめいしてくれます。だからとてもセリフがいっぱいです。  あと、たいへんなときにラブラブなおはなしをしたり、ピンチのときになぜかてきから目をそらしたり、しんじゃいそうなぎりぎりの時までおはなしすることにむちゅうだったり、やっぱりゆとりせだいというのはちがうんだなぁってかんしんしました。   いろいろなことをつっこみたいえいがでしたが、なんといってもいちばんこまったのは、まったくちっともぜんぜんおもしろくないということでした。つくりてのあいがないというのはかなしいことなんだなあとおもいます。   やっぱりぜったい『ガッチャマン』のほうがおもしろいとおもいます。今日みたえいがはたぶん『ゆとり戦隊アホレンジャー』とかいうえいがだとおもいます。   それで『ガッチャマン』のえいがはどこでやっているのでしょうか?  それともえいがになるってゆめで見たのだったかな?
[映画館(邦画)] 1点(2013-08-24 22:50:50)(笑:6票) (良:3票)
327.  SHORT PEACE
 見終わって「で?」って感じで。   どれもこれも「これが日本のアニメの技術力ですよ」みたいなシロモノで、デザインや作画力を誇示しているような感じばかりがして、でもあまり魅かれるものがない状態。その絵から一発で心掴むモノが感じられません。そこそこワクワクできたのはオープニングくらいでしょうか(それすらも予告を見て期待したほどでは、という状態でしたが。あの超高速着替えの中に既成アニメのデザイン入っちゃってますよね? 褪めますわ)。   その技術力にしてもデジタルが主流になった今となっては何の優位性もなくなってしまっていて、たとえばカトキハジメデザインの『武器よさらば』のメカニックなど、これ見よがしに線いっぱいのデザインだったりする訳ですが、CGIで動かしてるのならばどうとでもなるんじゃ?としか思えなかったりするんですよね。  『九十九』の反物だって、そういうテクスチャー貼ってバーッて、って。   もうデジタルの匂いがプンプンしてきちゃうの。フルデジタルな世界からデジタル臭を消す努力をしている海外のアニメーションとは違って、むしろ露悪的にデジタル匂わせてない?って感じがして。和とデジタルのミスマッチ感覚こそが今の日本のアニメです、みたいな主張でもしてるのでしょうかねぇ?   もっとも最大の問題はコレが今の日本のアニメのメインストリームからはちょっと外れてるって事ですかねぇ。確かに『AKIRA』とかって海外ではウケがいいけれど、これこそがアニメだ!っていうと、ちと違う気がして。   オリエンタリズムを強調して海外向けにパッケージングされた、なんか『ミカド』とか『ゲイシャ』とか商品名付けたシロモノみたいな映画って印象でした。
[映画館(邦画)] 5点(2013-08-01 14:51:21)
328.  爆心 長崎の空 《ネタバレ》 
 久しぶりにシュールにコワレてる映画を見たという感じで。   明らかに原爆の事と判るタイトルと、母を亡くした娘と娘を亡くした母の邂逅という設定から思い浮かぶ映画の姿、それを中途半端に(徹底的にではなく)破壊してみせるという。  過去の悲劇とそこからの再生、そして未来への生、そこら辺がキーワードになってゆくのだろうな、と思うとその通りではあるのですが、そこに至る道が尋常じゃありません。   宗教映画的に十字架やキリスト像、隠れキリシタンなどのキーワードを散りばめ、題材的には浮きまくってるとしか思えない唐突な濡れ場(とコトを連想させる描写)が配置され、更に電波を受信したかのようにノアの方舟を作り始める幼なじみ(いや、単に壁に釘打ってるだけですが)等々、じゃあこれは原罪についての映画なのか?って感じもしますが、あくまで半端です。   『夕凪の街 桜の国』(原作の方)と同様、原爆で死んでいった者に対する、生き残った者の心にいつまでも残る「自分は生きていて良かったのだろうか?」という自責の念が語られはしますが、それも機能不全を起こしているかのように映画の流れに有効に作用しておらず。   みんな過去を背負って色々精神的に病んだりもして大変だけどとりあえず命があるんだからなんとなく生きてりゃいいんじゃね?みたいな話を、なんか無理に長崎=隠れキリシタン=原爆って三題話みたいに結び付けて、しかもとっても凡庸な、つまんない演出っぷりで描くものだから、更なるカオスを呼んでいる状態で、ヘンなもの見たなぁ!って点では刺激的ではありました。   ラストなんて、火を点けて燃えちゃったコンテナハウスから生還してドリフのコントみたいに黒くなってる二人が目の前で「やっぱり産むわうふふあはは」ってハッピーエンド状態になってる家族を呆然と見守るという大変にシュールな世界で、これマジメにやってるとしたら相当ヤバくね?って感じがしないでもなく、しかも文化庁コレにお金出しちゃったんだ・・・みたいな。   原爆を題材にしたものが「ネタとしては楽しめる映画」状態っていうのはどうかと思うのですが。
[映画館(邦画)] 4点(2013-07-28 14:29:35)
329.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 
 このところ、仕事中にぼーっと考えていた(仕事自体はルーチンワークなもので)事を幾つかの作品に分けて文章化しようかと。なのでこの作品については全面改稿します。   『風立ちぬ』にはジブリ作品としては初?、暗喩でなく明確にセックスを描いた初夜のシーンがありますが、思わず苦笑してしまったアレは絵として『風の谷のナウシカ』でテトを守るためにナウシカが胸を開いて中に導くシーンと全く同じなわけで。   つまりあそこはエロティシズムとは無縁の子を守る母の視点、「ここに来てお母ちゃんのおっぱいを吸いなさい」って事で。   宮崎アニメの女性像は明確に2つに分類されます。少女と母。男が守るのは常に少女の方で、その男を内包するのが母の役割。  そして、母ポジションのキャラはいつもおっぱいが大きく描かれてます(モンスリーとかクラリスとかナウシカとかドーラとかオソノさんとかエボシ御前とか。ちなみに悠子とかリサとかの母親失格な母親キャラのおっぱいは小さく描かれてるんです)。もちろん、少女から母へと役割を転じてゆく『ハウルの動く城』のソフィーのように両者の間に存在するキャラもおりますが。  毎度ロリコンとマザコンを明確に打ち出す宮崎アニメの潔さ(笑)   男は外では常に夢を追い、だけど家に帰ったらママの大きな胸に抱かれて眠りたい、今回の映画はそういう願望の集大成ってところでしょうかねぇ。なので、ゼロ戦がどうの、戦争がどうのではなくて、もっとそれ以前の話。普遍的なようでミニマムかな。  それが宮崎アニメの魅力なのかもしれないですし、そしてそれを頂点とする今の日本のアニメの限界。   よくアニメファンは海外アニメを見て「外国人は萌えが判ってない」とか言いますけど、盲目的にソコに停滞しちゃってる童貞臭漂わせた状態が正しいとでもいうのでしょうかねぇ?
[映画館(邦画)] 6点(2013-07-22 15:00:31)
330.  箱入り息子の恋 《ネタバレ》 
 家という名の檻。家族という名の鎖。そこら辺は判ります。  愛とはみっともなくたってカッコ悪くたって、自分の心に正直にあること。それも判ります。  どうにもこうにも判らないのは、でもこの映画は結果的に主役の二人を「映画」の枠の中に閉じ込めただけなのでは?という事。   前半は快調です。恋愛に至るまでの二人の描写はヘタなサスペンス映画よりもよっぽどハラハラドキドキを味わえます。  しかし、後半の交通事故から家族の強い反対への流れの明らかにワザとな凡庸っぷり、そしてそこから生まれると予測されるドラマをはぐらかしてゆく感じ、更にその凡庸~はぐらかしのパターンを繰り返す事でテーマを語ろうとするやり方、結局、彼ら自身の殻でも家族の鎖でもない、「映画」こそが最後まで二人を束縛していたのではないでしょうか。  主人公がフレームからいちいちワザと外れる事で「映画」に対する主人公の闘争が垣間見えたりもするのですが、そこまで判っているのならば、なぜそこまで意地悪なのかと。  象徴的に何度も登場するカエル、でも、この映画の目はカエルの目でなくカエルを観察する方の目に思えます。   二人の近付いてゆく、遠ざかってゆく、繋がってゆく感じは丁寧に描かれて面白かったけれど、映画をコントロールしようとする意思が表出する事によって最終的に妙に窮屈な映画に思えてしまいました。
[映画館(邦画)] 6点(2013-07-15 14:39:48)
331.  真夏の方程式 《ネタバレ》 
 それまで反復されてきたセリフが最後に映画を支配するメッセージとして結実した瞬間に「ああ、なるほど!」と納得しました。  開発の問題も、それぞれが抱え込んだ問題も、そしてこの物語が受け手に向って投げかけたものも、全てはそこに集約されてゆくのだと。  であるならば、当然、そこに明快な判りやすいオチなどが存在する訳もなく。   犯罪とそれにまつわる人々のあり様は基本的に前作『容疑者Xの献身』と似たような話に思えます。ですが、今作では海洋資源開発の是非が早々に語られる事で、パーソナルではない、もう少し広い何かを語ろうとしているのが垣間見えます。そして、それは湯川の言うように決して0か100かではない、選択の問題。  数値化できない人の心に対する湯川なりの解答。   美しく捉えられた海の映像に対比されるように描かれる閉ざされたそれぞれの心。  杏の日焼けした健康美と内に秘めた秘密。  幾つにも渡って描かれる対比構造が、この映画のキーとなり、そのメッセージを織り成してゆきます。  登場した人々に対して道を示した湯川は伝道者のような存在であったのかもしれません。   『ガリレオ』自体には興味が無い状態ゆえ、前作では『ガリレオ』的部分が余計に思えたのですが、今回はそれを全く感じさせず、一本の独立した映画として冒頭から終わりまで一切ダレる事なく楽しませて貰えました。  杏と比較してしまうと可哀想なくらいに魅力を消されまくっているつまんない吉高由里子はどうかと思いはしましたが。
[映画館(邦画)] 9点(2013-07-01 23:50:50)
332.  奇跡のリンゴ 《ネタバレ》 
 近所のベンガル一家が「何か」を発見して呆然とする訳ですよ。そこで「リンゴの花が咲いたんだな」と判るのですね。そこにやってきた池内がさらに「何か」(花だろ)を見て呆然として夫婦の元へ駆けつけます。池内は「何か」(花ですね)について一切語らずに夫婦を急き立て、夫婦はバイクに乗って延々と山道を「何か」(花ね)に向かって移動してゆきます。やっと辿り着いたかと思うと二人は「何か」(花だって)を見るのが怖くて小屋の陰に隠れます。先に「何か」(花だ)をやっと見た菅野が驚いてみせて、そして阿部の番になってネットリと阿部の驚いた顔を見せた後にやっとやっと「花」が画面に登場。  馬鹿? 失笑と言うより腹立たしいくらいで。そこまで引っ張ってタメて「ほーら」ってやってみせなければダメなの?  まあ全編こんな調子。勿体付けてタメてゆくカットとベターっと表情を捉えた映像、久石譲のベタベタと甘いメロディに乗せて、家族の貧乏で大変な苦労話が展開する、カビの生えた邦画の見本みたい。   冒頭でバイクが爆走したりアンプ爆発ですっ飛んだりってバカ映画タッチが登場するものの、本編は全くタッチが異なり、かなりの部分が陰鬱な苦労話。その繋がりの悪さが全体の印象をおかしなものにしているような気がして。  阿部の人間性を面白おかしく描いた事が、結果的に特異な、異常な人間として映り、多くを犠牲にしてまで無農薬リンゴの栽培に執着してゆく姿に感動すると言うよりも「こいつおかしいだろ」と感じてしまい。  家庭を犠牲にし、自分だけではなく義父の身をも削り、様々な事が破綻し、その上で自殺という自己完結の道を辿ろうとする、それを「イイ話」として受け止めるのは、私には無理。だけど映画はあくまで「これは感動的なイイ話なんですよ」ってスタンスを崩そうとはしません。   村八分だとか出稼ぎに出て都会の若者に金を取られたりとかいう類型的な「イヤな事」も含めて、苦労から感動に至る道筋をギュウギュウと押し付けてくるような作り方は普遍的ではなくて単に古臭いだけだと思います。   離婚話を持ち出された菅野美穂が泣きながらご飯を食べるシーンなどいい味が出ているのですから、そういう素の人間臭さで占められていれば良かったのですが、常識外れのヘンな人間を韓流映画みたいなベタベタな感動タッチで彩った、実話を元にしながら作り物めいた一編という印象でした。
[映画館(邦画)] 4点(2013-06-20 16:16:06)(笑:1票) (良:1票)
333.  はじまりのみち 《ネタバレ》 
 雨が降ってリアカーの上の母の顔に泥がはねるのですが、あれがいつの間にか綺麗になっちゃってたりしたら嫌だなぁ、と思っていたら、そここそが重要なポイントで。木下恵介の、母に向けた愛がそのまま映画に向ける愛へと繋がる、とても大切なシーンとなって。病に伏し、泥で汚れた母の姿を丁寧に整え、母はそれに応えるように凛とした表情をする。それは映画監督としての姿にも繋がって。あのエピソードにはとても感心しました。   映画は奇を衒う事なく、真面目に映像を重ねています。それゆえ、もう少し冒険をしてもいいのでは?と思ったりもするのですが(わりと判りやすく単調な切り返しが頻出します)、客層や木下恵介生誕100年を記念しての松竹作品という事を考えればそれでいいのかもしれません。   ただ、問題は木下恵介作品の映像をあまりに多く、長く引用し過ぎている点。  たとえば便利屋が『陸軍』を見て感動した事を説明するシーン。せっかくその前に濱田岳がカレーライスやシラスのかきあげとビールであれだけの名演を見せているのですから、『陸軍』の感動も彼にきっちりと語らせるべきだったのではないでしょうか。  映像を切り替えて『陸軍』のラストシーンを延々と最後まで流して説明するという状態は、肝心なところで木下恵介の力を借り、この映画独自の力を放棄してしまっているようなもので。自分の演出力も役者の力も信じてないの?と。  濱田岳に語らせておいて、実際の映像はエンディングに流した方がよほど効果的だったんじゃないでしょうか。   最後の部分での木下作品の引用も長過ぎです。あれでは本編の空気を薄めるばかり。あそこまで長々と本編から離れてしまうと、その後、最後の最後が取って付けたようになってしまって。そこで『クレヨンしんちゃん アッパレ!戦国大合戦』での有名なセリフを言って欲しいの?くらいに浮いている感じがして。  厳選した数カットでバシッ!とキメるくらいにした方が良かったんじゃないかなぁ。   映画は原恵一監督の真面目さが出て魅せる作品だったのですが、木下恵介作品に対する深すぎる思い入れ、愛情が逆に映画そのものの味を損ねさせてしまった感があって、もう少し監督が前に出た方が良かったんじゃないかな、と思いました。
[映画館(邦画)] 7点(2013-06-12 15:38:42)
334.  その夜の侍 《ネタバレ》 
 この映画の影の主役。   中から包丁が突き出す事によって異常な事態を示すもの、中身が飛び出しひき逃げ犯の車に轢かれるもの、アパートに居座る男に毎日怯えながら届けられる弁当が入ったもの、繰り広げられる殺人未遂行為を前にもう用が無くなったのにトモロヲの手の中にすがるようにずっとあるもの、妹を失った男がその命を奪った男の仲間に投げつけるもの、家にプリンを運んでくるもの。   スーパーやコンビニのビニールの手提げ袋。   日常がビニールの手提げ袋に象徴され、その扱いが登場人物達の壊れやすい日常とそれに必死にすがらなければならない悲しい姿を表しているように思いました。   だけど、それゆえにちょっと上から目線で人間を俯瞰しているような映画に思え、冷たい映画だな、って印象を持ったのも事実で。   交通整理のバイトをしていた谷村美月が山田孝之の判りやすい脅しに乗ってゆく、それを制止しようとするトモロヲをコミカルに描く、あの一連の流れなどから感じるのは人のどうしようもない愚かしさ。   どうしようもないクズとして描かれる山田と執拗に復讐への道を歩む堺、必死に事を収めようと奮闘する義弟、クズから離れられない人々。   それぞれがビニールの手提げ袋みたいに脆弱でペラペラな日常にすがる弱い人々のように思え、なんでこの映画はこんなに偉そうなんだろうねぇ、とちょっと反感を抱いて映画を見終わったのでした。  それはそれで正しい反応なのかもしれませんが、決して好きにはなれませんね。
[映画館(邦画)] 6点(2013-06-09 08:28:14)
335.  言の葉の庭 《ネタバレ》 
 訳あって靴に詳しい身としてはツッコミどころ何点か。  まず雨の日にあのモカシンは無いですわ。一発で中までグッショリ、靴自体は雨吸いまくってゴワゴワ。自分で作った靴? ならば尚更。素直に合皮&合成底のプレーントゥやU、ウィング、ストレートチップ履きましょうよ。  おねえさんもとても雨の日用とは思えないセレクトばかりで。とりあえずマンホール上で思いきり滑る靴が多いですわね。  あと母親に9センチヒールのプレゼントはハードル高過ぎですわぁ。あの9センチから色々と想像をめぐらせてみても(若作りな母だから、そういうプレゼントに慣れてないから、女物に疎いから、男として女の靴に求める願望の表れ)、ちと無理があり過ぎ。7センチが限度かな。  そういう、繊細なフリして雑なトコはかなり雑って、そんな映画。   セリフとモノローグでとりあえず全部説明しちゃうんですよね。モノローグなんて本来禁じ手の多重方式で双方の気持ちやら背景やら全解説。そうして人称ブレブレにしてまでして語りたかったものって、なんかペラペラな感じなんですけど。  そのペラペラと流れてゆくモノに、映像でキレイキレイな装飾を施しました、って印象。  別に、全部を語る必要はないと思うんですけどねぇ。全部語っちゃったら、あともう何も残らないし。   あの街の風景、私の家のベッド前の窓から見える風景なんですけど、それがこの映画でドラマチックに彩られて独特の世界が広がって感激!なんて気持ちも特に湧きませんで。  自分がずっと見てる東京、それを当たり前に見せられているような感じがして、せいぜい高層建築からの俯瞰とか線路上を通過してゆく列車とかいうトリッキーな構図が珍しいくらいで、んー、手描きのアニメだからこそ珍しい、みたいな?   『言の葉の庭』ってくらいなのだから、言葉をこう、選びに選びまくって絞り出された一節一句から広がる世界ってのを描いたら良かったんじゃないかな。あまりに饒舌過ぎてなんかおしゃべりな映画でした。
[映画館(邦画)] 5点(2013-06-05 19:39:02)(良:1票)
336.  リアル 完全なる首長竜の日 《ネタバレ》 
 壁に落とした影や鏡の中の像が、何か不自然な、妙な感じがして、こちら側と表裏一体となったそちら側と、じゃあどちらが?みたいな描かれ方が続くので、映画のトリックそのものは初期から予想がつきます。  でも、これはそこを楽しむ映画で。黒沢清作品としては『回路』を強く思い出させる世界。現実感の喪失、モノトーンに沈んだ世界、人を失い生を失った廃墟のイメージ、深い深い孤独感。切れ切れに閉塞され人と対話が成立せず孤立した世界で懸命に人との繋がりを求めて足掻く、その悪夢の如き映像はまごう事無き黒沢ワールド。   で、となると映画は実のところ、1時間30分ほどのところで実質的には完結しちゃってる感じなんですよね。残り30分の蛇足感ときたら。『ジュラシック・パーク』然としたイドの怪物との対決の違和感。これで一応娯楽映画としての体裁は保ちましたよ、とばかりに取って付けたようなクライマックスとラストシーンを見せられて、ああ、これはこれでヘンな事になっちゃってて楽しいなぁ、みたいな。   その、素材と作家性とのせめぎあいというか、戦い、そこに魅力があったりすると思うのは、ちょっと意地悪な見方でしょうか?
[映画館(邦画)] 7点(2013-06-02 20:31:50)(良:1票)
337.  県庁おもてなし課 《ネタバレ》 
 冒頭、「これだから公務員は・・・」みたいな描かれ方をされていて、だけどそこからみんな頑張って、というのがこの映画のポイントだと思うんですよね。でも、なんかピントがズレちゃってます。  頑張ったところでその言動が「まあ、公務員とバイトじゃ仕方ないよね・・・」って状態なんですよ。みんな仕事に私情ばかり持ち込んでます。  仕事中に痴話喧嘩を繰り返したり、感情的になってやる気を無くしたり、仕事から外れたり。  「仕事には心が必要なんですよ」という事を描こうとして「心」と「感情」とを勘違いしちゃってる状態なんじゃない?  話は主に外部の人の作用によって進み、その上ちゃんとした一応の結果までも到達しないので、最後まで見て「で、結局おもてなし課って何したの?」みたいな、映画の存在意義そのものが危ぶまれてしまうようなシロモノでして。   ただ、高知県のPR映画としては一応の効果を上げてたのではないかと。  だって「高知って、えーと、うど・・・ミカ・・・あ、竜馬」って神戸からアッチは沖縄まで飛んじゃう状態の私に、映画の流れを止めてでも沢山盛り込まれた映像で「高知ってこういうところ」っていうのをアピールできた、「ああ、自然たっぷりでいいところなんだね」って思わせた、それだけで無価値って訳ではない映画でした。  まあ、メジャーな映画のわりに予算が無いのが丸出し、航空ショットになると途端にどっかの素材映像らしきSD画質になっちゃうのが萎えさせましたけど。   あと、予告編では全く目立たなかった関めぐみが意外にも久々に大きい役でファンとしては嬉しかったです。『ドラゴンボール』とか『必死剣 鳥刺し』とかちょっとしか出てこない映画が多かったですからねぇ。一応準主役だった『ぼくが処刑される未来』という超低予算な映画もありましたが、アレは、えーと・・・。  結局あれだけ画面に登場しながら最終的に「何しに出てきたの?」みたいな存在だった可哀想な堀北真希よりもよっぽどヒロイン的ないいポジションでした。   『綱引いちゃった』みたいに大分の魅力を全く伝えられなかった映画に比べたら、これ、一応ご当地映画としての存在感だけは示せてるんじゃないかと思います。  この国の風景を捉えておくって、大切だと思うんですよね。
[映画館(邦画)] 5点(2013-06-02 20:04:47)
338.  くちづけ(2013) 《ネタバレ》 
 『芸能人格付けチェック』で監督が「一流映画監督」として扱われた際、twitterが「堤幸彦が一流?」ってツッコミで埋まる状況に大ウケ。本当、この人の映画にお金と時間を使う事にはかなり抵抗が。  で、不安たっぷりな状態で臨んだら、いきなり題材的に共通する『フォレスト・ガンプ』のあからさまなパクリで「大丈夫か?この映画」って。  先に結論を言えば、よく泣ける映画で、だけど泣ける映画=いい映画なのか?っていうとそうではなく。   泣かせるのは役者です。特に貫地谷しほりの演技はもはや力技。  彼女以外にも、障害者を演じた面々や、橋本愛、田畑智子、みんな泣かせにかかってきます。竹中直人は相変わらずクサいですが。  こちらはまんまと泣かされ、でも演出と脚本は疑問だらけ。  堤演出はやっぱり雑です。移動し過ぎなカメラは、それが動く事によって生まれる意味を消失させていますし(あのシーンをデ・パルマの如くグルグル回す事は悪趣味にすら思えます)、毎度のハイテンション演技は障害者と健常者の描き分けを曖昧にします。それが意図的であったとしても、あまりに不自然としか思えません。  脚本はブツ切れ気味で、唐突に泣き出す、激高する、笑い出す、と繋がり無く感情がボタボタと単発でこぼれ出しているような感じで、それも意図的であったとしても・・・   でも、最大の問題は最終的に納得も共感もできなかった事。  原作の通りであるなら、それは映画独自の問題ではないですが。  最後にいっぽんの取った選択、あれは親の愛よりも最悪のエゴ、無責任な自己完結が勝っているんじゃないかと。  現実にあった事件を元にしたというあの選択を通して、社会のシステム、風潮に対し問題提起をしているのでしょう。でも最近話題になった乙武さんの件のように、不備や悪意といった負の要素のみを抽出したところで未来は開かれません。  一人で障害者の親の介護をしてきた私の経験から言うと、映画に出てくる南ちゃんのようにあからさまな悪意を示す人間はリアルには滅多に存在しません(ネット上には溢れかえっていても)。色々な問題があるとは言え、絶望しかない訳ではありません。人を信じる事によって支えられる生がある、そこを信じなかったいっぽんの身勝手さゆえ、泣けるけれども腹立たしい映画だった、というのが感想。   こういう映画にはもっと未来を指し示して欲しいです。
[映画館(邦画)] 5点(2013-05-27 20:06:43)(良:2票)
339.  ロボジー 《ネタバレ》 
 笑いとしては程度の低いナンセンスギャグばかりで大して面白くないのですが(嘔吐、放尿、放屁なんて小学生レベルのネタだわね)、それより何より『ハッピーフライト』に続いてなんかイライラさせる映画で。それって一体なんのせい?と思ったのですが、コレとは全く別の映画についてのフォロワーさんの感想を読んで、ああ、そうそう、それのせいだ、って。   「いいからお前ら、ちゃんと働けよ」   いや、お笑い映画なのだからちゃんと働かない人々だからこそ笑える、って事なんでしょうけども。   この映画、いかに仕事をせずに人を騙すか、っていうのが物語の基本。  矢口監督の映画はいつもまず最初に思いっきりダメなところから始めるんです。引き算しまくった人間を描いて、そこに幾らか足していく事で結果的に良かったね、っていう。  『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』みたいに高校生ならば引き算しまくったおバカでもいいんです。でも、社会人はそうはいかないでしょう。『ハッピーフライト』もこれも、社会的な責任を背負った大人がなんてバカなんだろ?って、もうその時点でひっかかっちゃう。  そんなダメなキャラでも愛する事ができればそれはそれでいいのですが、吉高嬢も含めて、この映画のキャラには魅力がありません。ギャグのためのキャラクター造形という作為が丸見えになってしまっているからなんですね。   大体、思いきり低いところから始めてちょっと上げてみせる事で(今作で言えばそれまでインチキばかりしていた3人がマジメにロボット工学を学んでゆくところね)なんとなくいい感じに見せるっていうのは作劇法としてわりとラクな手な訳で、この監督の作品はそれをちょっと繰り返し過ぎかなぁ。   植木等のスチャラカ社員はあのモーレツな高度成長時代なればこそアンチテーゼとして機能していた訳で、じゃあ今の時代にあるべき勤め人の姿とはどういうモノ?って考えた時に、ちょっと矢口キャラって違うんでないの?と思うのでした。
[映画館(邦画)] 4点(2013-05-23 22:58:08)
340.  クロユリ団地 《ネタバレ》 
 見終わって思い浮かんだのは『巨人の星』。   前半は、というか後半に霊媒師が出てくるまでは意外に魅せてくれる映画で。  どこか不自然な家族、不自然な日常。それがある事件をきっかけに徐々に真実が見えてくる。失われた人、止まった時間、崩れてゆく日常、耐え難い孤独、そして、そこからなんとか時間を動かしてゆこうとする気持ち。  サイコホラー、サイコサスペンスの様相を呈しつつ、近作の『ももへの手紙』『ファミリー・ツリー』『虹色ほたる』『幸せへのキセキ』に連なるテーマを抱えた、そんな映画。  壊れそうな、繊細に揺らぐ役を前田敦子が好演しております。   で、そんなテーマやメッセージやドラマや切なさや哀しさが置かれたちゃぶ台を「てーい!」とばかりにひっくり返して台無しにする「Jホラー」と言う名の星一徹。  クライマックスで「全部もう無しだ。何故ならこれはJホラーだからな。恐怖がドーン!とやってきて終了するのがセオリーだからな。」って激しく暴力的で無神経な終わり方で何もかもすっ飛んでしまって。   結果的にホラー映画だけどホラーが激しくジャマっていう困った映画でした。これじゃ明子、いや敦子姉ちゃんが可哀想だ。
[映画館(邦画)] 5点(2013-05-22 22:56:55)
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