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パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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61.  ザ・リング 《ネタバレ》 
映像きれいにつくってある。ナオミワッツも、ニコールキッドマンのエンポリオ感はあるが、きれい。この作品については、欧米人が果たしてどのくらい幽霊を怖いと思っているのか興味をもちながら見た。幽霊って、もとは人間なんだよね。キリスト教圏では、そんなに怖くないんじゃないかと思われる。もっと「怖い」と思っているものがあるから。はたして2では、「母性」で幕引きせざるを得なかった。文化の違いによる限界を感じた。
[DVD(字幕)] 6点(2005-11-06 21:01:19)
62.  ハンサム★スーツ 《ネタバレ》 
…谷原章介でも見て目の保養をしますか~。 やっぱりいいわ谷原。どの角度から見てもハンサム。…まあ塚地と比べるからよりいっそうそう見えるわけだけれども…。 脚本は鈴木おさむでそこそこできていると思うのですが、演出が残念な感じでした。「間」やテンポに問題があるかなあと。別の監督さんで見てみたかったですね。 あと…間宮兄弟なんかもそうでしたけれども、日本映画界はちょっと塚地に期待をしすぎです。 塚地はやっぱり俳優ではありませんので、何に出ようが演技というほどのことをしていないわけですけれども、塚地であるだけで意味があると、塚地を出すだけで数字が取れると、そういう出し方はどうかと思いますね。周囲の俳優さんたちと塚地の演技に差がありすぎます。 私の想像と逆のオチでしたけれども、ちょっと納得がいかないかなあと。 塚地×大島ではグッドエンディングにはならないと、そういうことですよね。 男がブサイクでもいいけれども女がブスだと「終われない」と。 それはないんじゃないでしょうか~。 全体的な質の低さに目をつぶれば、懐メロいっぱいで谷原章介の美しさを楽しめる作品です。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-01-03 21:13:40)
63.  ワン・ミス・コール 《ネタバレ》 
う~んやっぱりむこうのヒトは「悪魔」という方向に理解するんですね。 悪魔はカミサマとセットなので、結局「幽霊」や「怨念」はどっかに行ってなくなっちゃう。 悪魔は神様の反対物としてすでに〝ある〟ので、存在する理由が必要ないわけですが、幽霊は「怨念」があって初めて存在する。 いったい何をそんなに恨んでいるのか、どんなにひどい目にあったのか、日本人が幽霊を怖がる理由はそこにある。 逆に、「とにかく存在する」という悪魔に対しては、積極的に怖がることが、できません。だって、唯一の創造神を信じているわけじゃないからさ。 和製ホラーを輸出してリメイクした場合に、もっとも違和感が出るのはこういうところじゃないかと思う。みなさん、悪魔、そんなに怖いですか?怖くないよね。 大笑いするのはデーブ・スペクターが3秒くらい写っていることで、セリフは二言。デーブが英語をしゃべるとすごい違和感がある。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-20 17:27:29)
64.  洗濯機は俺にまかせろ 《ネタバレ》 
80年代を背景とした作品だという。そのころ確か、世の中はバブリーな景気にあふれていた、ように記憶している。「新しければ新しいほど良し」「高価なものほど良し」という価値観が、乱立する各種新店舗や、ビルや、都内にあふれる外車にもあらわれていた。と思う。 この映画には、ツルピカした新しいものや、ゴージャスなものが、全く出てこないし、人間もそうだ。そういう確かな美意識に裏打ちされ、新しいものを慎重に排除して、作られている。 で、出てくる人は誰も彼もなんとなく貧乏な雰囲気で、「バブルはどうなっていたのか?」とも思うのだが、そういうリアリティを求めた映画ではないんだろうたぶん。 富田靖子も「きれいな人だから」では全然なかったし、ラブシーンとて不発。各登場人物も、裏ビデオで拘留とか借金まみれとか不景気な話が続く。 では「ツルピカしたものやゴージャスなものが無い状態を楽しむ」以外に何かいいところがあるのかというと…なんていうか筒井道隆の木崎を見ていると、「過去に自分の知っていたいろんな男性(恋愛感情の有無問わず)」のことを、筒井が何かするたんびに思い出してしまった。「そうそう、こういうこと言う(男って)」「そうそう、こういう態度とるよね(男って)」。 木崎っていうのは、「次にこうする(言う)だろう」という予想をことごとく裏切らないやつなんです。木崎ってのは、いわば「男の最大公約数」なヤツ。「ザ・普通の男」。 ほのぼのしてていいんだけれど、私はこれはわざわざ映画にしなくても、という気もする。TVドラマで充分な内容ではないだろうか。なぜ映画化したんだろう…?というくらいドキドキも発見もない映画。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2007-11-10 20:14:09)
65.  Jam Films 《ネタバレ》 
15分程度で観客の心に何かを残すにはどうする。競作なので、各作り手はいろいろ趣向をこらしています。 「けん玉」、両手包丁で肉を叩いてミンチを作る。一心不乱な篠原涼子の表情もなんとなくこわい。見ているほうの頭には〝危〟の字が浮かぶ。これと、山崎まさよしという役者でないボケキャラを絡ませたことで、大した話じゃないのになんともいえぬ味わいが出た。インテリアも個性的でかわいい。ちゃんとオチをつけていながら、プロットで凝りすぎず自然に仕上げたところが勝利。 「JUSTICE」、これって、行定監督が、西洋的な論理的思考様式(文字や言葉を信頼する文化というもの)に対してケツをまくって見せたもしくはおもいっきり舌を出したと思っていいのだろうか。たぶん、それでいいんだろう。なんたって、キンパツで蝶ネクタイのセンセが、「ポツダム宣言」を「読んでやっている」んだぜ。ポツダム宣言だよポツダム宣言!負けの込んだ日本人の知らないところでパイの取り合いをし、「今後はこうするべき」「ああするべき」そして「もしこれをしなかった場合は」「もしも最悪の事態になった場合は」ほとんど、自分の知らないうちに勝手に結ばれた結婚契約書?…ポツダム宣言に対して〝ブルマー〟で返すというのは、なんていうか、やっぱり「文字や言葉を信頼する文化」に対するアンチ、揶揄、「キミたちとはステージが違うのよ」って感じだな。ボクシングに対して寝技で立ち向かう、というような。…たぶん外人(とくに西洋人)に見せたら、作り手の意図はすぐバレるフィルムなんだろうが、ブルマーばかりが注目されて、そこんところが無視されてしまっているのでは、とちょっと気がかりだ。私自身は、「ポツダム宣言的な文化」に対して舌を出したいかというと…保留。 エンディングのワケわからん激しい曲も、ケムにまいた感を出してうまくマッチしている。あっほかの作品のことはどうでもいいや。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2007-10-17 20:46:12)
66.  ひまわり(2000) 《ネタバレ》 
個人的にはラストのシーンを深読みする必要はないのじゃないかと思っていますが。行定作品というのは…どうにも見た後に気分が暗くなりますね。 行定作品(除く春の雪)を見るにつけ、この果てしないローテンション、「渡る世間は鬼ばかり」的なものに対するアンチ、というふうに私には感じられてきた。勝手にそう思ってしまうけれど、渡鬼的なものを憎んでいるからといって、ここまでのローテンションというのは…やっぱり私はヤだ。なんだか、うつ病の人しか住んでいない世界、のように感じられる。 で、監督お気に女優の麻生久美子、私には広末涼子との見分けがつかない。どっちにしても、女に好かれないキャラである。私も好かない。そして、「ひまわり」でもほとんどの女性に総スカンを食らうに足る嫌われ女ぶりを発散しまくる。 どういうところがそうなのかというのは女の人には言わなくてもわかると思うけど、ルックスもファッションも朋美の行動もそのすべてが、男性にしかウケないものであって、同時に女性に嫌がられる要素充分なんである。「ひまわり」は、男にウケて女に嫌われる朋美なる女性について、本人不在のところでストーキングしている作品…といった味わいだ。 ところで袴田演じる輝明なる青年であるが、なんと私は見始めて1時間以上経過しないと〝輝明〟が〝モテ夫〟を演じていることに気がつかなかった。…。モテ夫だったのか。しかし袴田って。袴田=モテ夫という役どころに、何%くらいの観客が気がついてくれるのだろうか。私の場合は、輝明=オダギリジョーかキムタクでもなければ、この脚本では気がつけない。 身長があるからといって、袴田が輝明であることはもともと無理だと思うのであるが、実は小学校時代の輝明を演じた少年というのが優れもので、どっからどうみても〝クラスで一番モテそうな子〟であった。いいなあ、この子。 音声が非常に良くない。意図的とは思えないほどの悪さだ。ヘッドフォン装着でも大変苦労した。なんだかとても長く感じてしまった一品だった。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2007-10-12 20:49:55)
67.  ドッペルゲンガー 《ネタバレ》 
興行的にはどうだったんだろうか。レンタル屋で発見できなかったということは、お寒いことになっていたのだろうか。 が、それも頷けるような出来ではないか。私は黒沢清では今のところ「回路」が最も傑作だったのではないかと思っている。 「LOFT」を先に見てしまっていたのだが…なんだ、「研究に没頭する孤独な中年男(しかもカッコいい)」とか「妙齢のうえ孤独な美女」とか「何を言っているかセリフが聞き取れない怪しすぎる同僚」とか「主人公より年下で要領のいい割り切れた若い男」とか、なんか、人物がほとんど同じなんじゃないかなあ。 これって、普通に考えたら、黒沢さんの個人的な状況から編み出されたもの、という風にしか想像できぬ。より「純文学」の世界に近いということか。 黒沢はよくよく「落下」にこだわっているんだな、とか、ドッペルゲンガーの初登場シーンと、永作の電話中に弟が登場、とかいうシーンには「日常の中の…」という例の黒沢らしさを感じた。 私は、早崎のドッペルゲンガーが人殺しをする場面をカットしなかったとこから、破綻していると思うけどなあ。途中からリアリティを完全に無視し、スラップスティックコメディになり絆創膏に血だらけの役所が「好きなことをやって」終わる。非常にむなしい。せっかくの黒沢作品なのに、「この先どうなるんだ」というワクワク感を持てたのは、やっぱりドッペルゲンガーが永作弟を殺す前まで。 ああ欲求不満だあ。どうしてくれる黒沢。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2007-09-15 13:16:10)
68.  輪廻(2005) 《ネタバレ》 
これがあの「呪怨」と同じ監督さんの作品? 個人的には期待はずれと言っていい出来だった。私は「呪怨」には感心していたんだ…。 何が決定的に違うかといったら、強いていえば「語りすぎ」であろうか。 「サービス過剰」が顔を出して来た。 この映画の中で、観客の想像力で「その先」「その裏」を読ませる場面がどれだけあっただろうか。 「見せすぎ」である。 パン兄弟といい、ホラーでメジャーになった後の作品というのは、「見せすぎ」に流れがちなのか。 ともかく、「呪怨」の監督さんの作品としては、がっかりする作品であった。 キャストでは、意外にも出番もセリフも少ない椎名が存在感あり。この人はセリフが少ないほうが目立つようだ。あんまりしゃべらせないで、置いておくだけで「目力」を発揮するという、おもしろい俳優さんだ。 さて、問題の優香であるが、清水監督が本作に優香を使ったというその意味を考えてみたい。 事務所力とか業界政治とかいうものがもし無かったとしたなら、優香を主役に据える意味はひとつしかない。「鈍重」である。「鈍重」の効果は、「主人公の感情が観客に容易に伝わらない」である。私はずばり監督はこれを狙って優香を配したと思う。 演技巧者でない、という特色はもちろんであるが、優香という人の「鈍重」さは、なにより皮膚の厚みにある。 どんなに撮影用の特殊なメークをしていても、主役を張るような女優さんの肌というのは、普通はもっと薄く、興奮すれば容易に顔が赤くなるのが普通だ。優香はそうではない。 優香の皮膚は、厚い。興奮しても、決して顔や首に血管が浮き出たり透けて見えたりしないくらいに厚い。よって普通は主役を張る女優さんではない。 が、本作で優香を使ったことにより、清水監督は、一個しかないオチへ観客をミスリードするためのある程度の効果は上げた。あくまでも「ある程度」。次作に期待。
[DVD(邦画)] 5点(2007-06-22 12:42:18)(良:2票)
69.  LOFT ロフト(2005) 《ネタバレ》 
黒いワンピースを着て、ダラリと腕をたらした髪の長い女。怖い…と思う前に、「あっ安達祐実じゃん」。 台無し。 や、台無しの理由はそれだけでもないのだが、やっぱりこれに尽きるなあ。 なぜここに安達を使うかなあ。ダメじゃん。まあ、あんまり怖がらせよう、と思ってないってことだな。 全編通じて、セリフが聞き取りづらく、トヨエツなどは何を言っているかわからない。ヘッドフォンを装着して、聞きなおしてみる。重要なセリフを、小さな声でつぶやいていた。こんなことでいいのか。 邦画の苦手なところは、字幕がないので聴覚に集中しなければならないところ。舞台じゃないんだから、全部の日本語が聞き取れるとは限らん。字幕つけてくれないかなあ(私は聴覚より視覚が優性なので)。 中谷美紀。ほとんど浅野温子のコピーと化してきた。花柄のノースリーブを着て、髪の毛ワンレン(死語か)でさあ。しかし、私は浅野に比べたら彼女が結構好き。 中谷は、なんていうか、男に媚びないことを全身で表現している。まあそれが、突如発生させられたトヨエツとの純愛にそぐわないわけでもあるが。 いつもながら西島のセリフまわしの異様さには驚く。「大奥」でもヘンだったが、最初っから「怪しいものです」と主張しているかのようだ。西島一人が、何を言っているかはっきりききとれるという、ヘンさだ。しかも、セリフが全部キザである。脚本も書いたのだから、黒沢というのは、自分でもこういう会話をするのだろうか。だとしたら、かなりブキミな男性だ。会話はしたくないなあ。 この映画はさ、話がどうとかもうくだらないので、「都会の喧騒を離れてひなびた洋館で孤独を楽しむ妙齢のインテリ美女と、その周辺のヘンな男たち」を鑑賞するつもりになったほうが、楽しめる。あなたが女性なら、「長い休み」をとって、田舎にこもったつもりにでもなってみる。 実際、洋館のインテリアとか今風のユーズド感がとても味あるし、中谷はキレイだし、自然は美しいし、余計な人間があんまり出てこないし。たぶん、田舎に住んでる人が見たら、あんまり面白くないだろう。人はいつも、無いものを求める。 あと、トヨエツの足の長さを再確認できる。 それにしても、鈴木砂羽はいつでもどこでも「お友達キャラ」が定着。役には困らなくても、この先どうするのか。これでいいのか。
[DVD(邦画)] 5点(2007-06-12 12:46:03)(良:1票)
70.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 
夢を壊すようで悪いけどコレについては、「男であることの限界」と言い切ってしまうぞ。 「個を捨てよ。種に生きよ。」なのだ。映画が進むにつれ、この言葉が画面いっぱいに書いてあるような気すらしてくる。 たった一人の赤ん坊のために、関わり合った人々が進んで命を投げ出す。 「新しい命」のために、「比較的新しくない命」が捨て石になるのが当然、というのがヒューマニズムなのか。そう言い切っていいのか。それとも「死んだら天国」の宗教的背景か。 これが「個を捨てよ。種に生きよ。」でないなら、いったいなんだというのか。 そして、キーは「誰だか覚えていない」ような相手の子供を喜んで産むことになっている、というこの無理。 産んだ瞬間から母性愛に目覚め、母親然としているという、この無理。 はっきり言うがこういうところが男であることの限界なんだわさ。 女に生まれた人にとって、産む性であるということは、そーんなおとぎ話のようなものではないのさ。 じゃなんなのかというと、それは、ローティーンからはじまり50歳代までえんえん続くうっとうしい月経であり、妊娠の恐怖であり、子宮筋腫をはじめとする婦人病の恐怖との闘い、出産のプレッシャーとの闘い…の連続である。 今回のクライブ・オーウェンには別に文句はないし、臨場感あふれる戦場シーンや、狭いところをぐるぐる撮ってる映像テクなどもきっと素晴らしいのであろう。 しかし「難民排除」の問題を持ってくるとか、キーが黒人でありその子供も当然黒人、という設定に「しょせん僕らは同じ〝種〟ではないか」「肌の色とか関係ないよね」(題名もまさにそんなことだし)という作り手の声があまりにもはっきりと聞こえてきて、かえってあざとく感じる。 それに、赤ん坊を抱えた母親の前では、どんな兵士も銃を背ける、なんて、あまりにもイージーなヒューマニズムじゃないか?旧日本軍が大陸でそんなことをしたか?ナチスはどうだったか?もっともっと人類の歴史をさかのぼればどうなのか?人間って、そんなものだったか? もうひとつ、「せっかく機能があるなら、使えよ」という声も聞こえてきて、うんざり。負け犬などは、「捨て石」程度にしか利用価値が無いということだな。 もしかすると、この映画はすごく危険な思想を孕んでいるかもしれないと思う。「産む機械」とか言っているどっかの大臣と、あまり変わらない考え方じゃあないのか。
[DVD(字幕)] 5点(2007-05-27 00:41:42)(笑:1票) (良:4票)
71.  アンビリーバブル 《ネタバレ》 
ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。
[DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票)
72.  IZO 《ネタバレ》 
三池って人のことはよく知らないが、団塊の世代っぽいな。違うかしら。それでは私が斬りましょう。三池さんてきっと、小さい頃はいじめられっ子でさ、体も細くて病弱だったわけ。そんで、大人になってからも、いろいろいじめられたと本人は思っていてさ、いじめたやつを見返したくて怨念で死にきれないのよ。そんでこんなものつくっちゃったの。特に体が大きい奴とか、チンピラとかに怖い目に合わされてさ、「天誅」下さないといられないわけ。こんなふうにしか解釈できないけど。「体制」とか言ってるけど、「自分をいじめたやつへの仕返し」でしょうよ。「システムを破壊する」がテーマなら、運営している人間を殺すところを見せるだけではナンセンスなだけだ。「位相」って意味不明だし。あえていうなら「僕より強い奴と弱虫な僕」の力関係のことですか?とにかく変なおっさんの歌がうるさい。それと中山一也がマッチョすぎて二流プロレスラーにしか見えない。あの股間プロテクターはなんなの?? 貞操帯に見えてしまう。→「パッチギ」鑑賞後。やっぱり「痛くない」のは三池さん自身がケンカ慣れしてないからでは。
[DVD(吹替)] 5点(2006-01-13 22:51:33)
73.  嗤う伊右衛門 《ネタバレ》 
原作読んでいないんですが。お岩と父は両方ともすごーく屈折した愛情の表現をする親子ってことになるんですなあ。私は「身を引く女」って、忍んでるだけじゃないと思うけど。なんかそこにクラい「歓び」があるはずだ。だってMなんでしょ。「○○さんのためなら私はどうなっても」みたいのは信じられないね。そうすることが「個人的に快」のはずなんだわ。そういうお岩さんの「クラい快感」を感じさせてくれないことには、説得力がなくてただのTV時代劇と変わらなくなっちゃう。椎名の無意味なS描写といい、おっぱいピュー(書いてるだけでヤだけど)といい、後半のもっと無意味なグチャグチャ状態といい、「あなたはほんとーうにこういうのが好きなんですか」と、指を差しながら蜷川さんに問い質したくなる。単に悪趣味。あと小雪はあんな高身長でイカリ肩でパーツがはっきりした顔なのになんで時代ものばっか出るの。だから唐沢レベルの身長がないと変だし。この作品は大金使ってつくるほどのものじゃないぞ。どっかのちっちゃい劇場で蜷川先生が演出すればよかっただけじゃないの。
[DVD(吹替)] 5点(2006-01-12 22:52:23)(良:1票)
74.  バトル・ロワイアル 《ネタバレ》 
なんでおもしろくなかっただろ、としみじみ考える。大好きな深作なのに。たけしだってよかったのにさ。そして分かった。有名子役(?)を何人も使ったから。藤原とか柴咲とか。だってTVで日常的に見てる子たちとかが、あーゆーことになっても、「私は今映画を見ている」としか思えないじゃん。全部無名の子にしなきゃダメ。有名な子をキャスティングしないと製作にこぎつけられないのだろうなあ。でもこの作品に限っては致命的。「蝿の王」なんて、もち外人の子役だから一人も知ってる子なんていないじゃん。だから入りこめたのよね。藤原は素晴らしく声が良いが、役者を続けるなら歯並びを治さないとダメ。
[DVD(吹替)] 5点(2005-12-25 12:59:41)
75.  Avalon アヴァロン
生活感のない女の人が生活感のないPCつけっぱなしの部屋でなぜ急にシチューを作るのか? 急にシチューを作るにはだなー、野菜や肉などの材料がたまたま冷蔵庫にあったということでないと無理。そういうものが常に冷蔵庫にあるのなら元気に自炊しているはず。(料理は生きる元気を生む)元気に自炊している女ならあんなんか?急にシチューを作りたくなる気持ちはわかるけど、それには材料。
[ビデオ(字幕)] 5点(2005-11-30 21:03:13)(笑:1票)
76.  ブロークン・イングリッシュ 《ネタバレ》 
カサヴェテス夫妻の娘ゾエの初監督作だそうです。 この作品はつまんなくてダメだった。 パーカー・ポージー、好きなんですよ。「ユー・ガット・メール」の高慢エリート女役のときから。「アニバーサリーの夜に」とか出てましたね。 だが、これまで彼女の主役作品は見たことがない。そして、はっきりわかったことだがポージーは〝脇で光る女優〟だったのだやっぱり。これまでの起用法は正しかったわけよ。 私の好きなパーカー・ポージーが主役を張っているのにちっとも魅力的に見えない。このヒトは、露出している時間が短いほうが生きるタイプなのよ。 ええと、親の七光りで豪華な役者を集めていますが、主役選びを間違ったことですでにパアです。 そして、ストーリーも全然面白いところがなし。 もてないくせに選んでる30女が「フランス男(つまりヨーロッパ)」のご威光にクラッとしてしまうとか、占い師のババアや見知らぬ初老男性に「結婚は契約で愛とは違う(いつまでも王子様を待って夢見ている場合かよ)」「自分自身が愛と幸せに満ちていないと(もの欲しげにしてるとオトコは寄ってこないぞ)」なんて説教されるとか、そんな話なんだけども、どこにオリジナリティとか新味がありますかね。 あとさあ、最悪なのはパリ編で「必ず最後にジュリアンと巡りあうだろう」と観客に確信を持たせてしまっているという展開のユルさね。「そのために電話番号を無くしたエピソードとかわざと入れているんだよね」とまで思わせてしまうというユル~い脚本(フツー自分の携帯に登録しとくんじゃ?)。ああ~。 これならもう、ジュリアンに会えないままNYに帰るというラストでもなければ、マトモな作品とはいえない。「元売れない30女」であるならば、電話番号が不明な人物にパリで偶然会うという有り得ないラストなんて期待していないんだってば。そーいうのを見たいんじゃないんだ。 NYを世界の中心だと思ってて英語が地球公用語だと思ってる傲岸不遜なヤッピーたるノラの矛盾なんかを、もっと辛辣に描くべきだったですね。もしくは全然ソレに触れないでロマンスだけを追求するか。そのへんすごく中途半端。やたら白っぽく紗をかけたような映像も私は好きじゃない。ついでにいうならタイトルのつけ方もおかしい。 ゾエって子は七光りがすごすぎて七光ってることに対して不感症になっちゃってるような気がしますね。
[地上波(字幕)] 4点(2010-08-17 17:39:46)(良:1票)
77.  ブラインドネス 《ネタバレ》 
おもしろくありません。 悲惨な描写があるという理由だけではなくて、根本的に作り方がヘンなのだと思います。 すべてが作り物っぽいのです。 一所懸命リアルに見せようとしていながら、こんなにわざとらしくなってしまうのもめずらしい。 なにかなあ、〝理念先行〟型の作品だと思います。 それは、「ここで善き人と悪しき人を接触させよう」とか「見えない人々が街頭を彷徨っている情景を撮ろう」とか「収容所内で、悲惨さを最も効果的に見せられる情景を撮ろう」とか、そういうことです。もう、理屈が先にあって、それに合った場面をいちいち撮ってつなげていくという乾燥した製作風景が浮かぶわけです。 作り手の頭の中には、一番先に終末思想があって、「来るべきものが来た」という感覚を観客に味わわせたいわけで、〝終末〟の風景を効果的に見せることしか考えていないので、それぞれの登場人物は「日本人」とか「中流の白人」とか「プア・ホワイトで犯罪者」とか「無力な黒人」とか「狡猾なラテン系」とかいう記号でしかないです。 記号でしかない登場人物を右や左に動かしてみても、観客は誰にも感情移入できません。感情移入できないということは、ほかによほどの要素がなければ退屈であるということです。 圧倒的に「意味づけ」が足りません。たとえドキュメンタリーでももっとマシなものになるでしょう。 収容所内の悲惨なシーンについても、「さあ、ここはラストの感動に備えて〝悲惨さ〟をたっぷり味わってもらうところですよ」的なものしか感じられません。 この監督はあまりスケールの大きな話やSF・ファンタジーの類に向いていないのではないでしょうか。 日本語のセリフはネイティブの日本人が書いていると思われるので、その点については評価しますが、なんだか伊勢谷も木村も日本語のセリフが上ずっていておかしかったです。伊勢谷はとても下手ですが、平気でカレを使ったということは日本人の演技の下手さはわかりにくいもののようです。私は押尾学がこの役をとてもやりたかったのではと思いますね。今となってはどうでもいいことだが。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2010-05-07 14:10:40)(良:1票)
78.  ユビサキから世界を 《ネタバレ》 
「明日のない日本の〝現代社会〟なんて」「〝アメリカ(教師のあだ名!)〟のせいじゃない」などなど、ジャムフィルム以来の例の行定節が冒頭から展開され…突如として、特攻隊の生き残りを登場させる。かなりあざといというか、ベタすぎると思いますが。 「こんな世の中」は生きる価値がない、と言う子供たち。「こんな」って、「どんな」よ。 「こんな」が「世の中」の枕詞として当たり前に機能するというのは、「ガキの社会」です。「こんな世の中」というのは、未だ社会の構成員となっていないために己の所属する社会に対して何らの責任を負わぬ「ガキのセリフ」に他なりません。それは例えれば、不潔でボロボロのホテルに有無を言わさず案内され、「ここで寝ろ」と言われた時に、ツアーの客が抱く感想に似ているかもしれない。「えっここで寝るんですかあ?」。 よって、「こんな世の中、生きる価値がない」と子供が言う場合は、「ええー、こんな不潔なホテルで寝るのはイヤだなあ…」というような意味である。 ティーンエイジャーたちにとって、とりあえず今の世の中は「ボロボロのホテル」に見えているらしい。ということに〝行定ワールド〟では「なっている」。 けれど、今回「ユビサキ」を見て思ったのは、「こんな」と言われた時に、それが子供の発言であったなら、同調するのは大人のすることではないということだ。 「ボロボロのホテル」が本当はどんなものなのか、それを知っているどころか加担しているのが社会の構成員たる大人なのだから、大人が「こんな世の中」と一緒になって思ってはいけないのだ。 私は行定監督とはほぼ同年代だけれど、この年まで「こんな世の中」に参加してきたからには、「こんな世の中に対して、己の責任が全く無い」などとは思えないし、かといって子供から「こんな」と言われて「ごめんね」と謝る気もないけど監督はどうなんだろう。「オレとは全く関係のないところで、世の中はまわってきたんだもんね。そんで〝こんな〟になっちゃったわけよ。〝こんな〟舞台を用意された子供たちって、運が悪いっつうか、可哀想だよね。」…私は「ユビサキ」を見て、そんな感じがしちゃったんだなあ。 ダメだと思うよ、それは。それに、「こんな」と言っている子供と、「明日をも知れぬ特攻兵」を比べる…ダメだその感じ。 母子家庭で母水商売の子が飯田香織に似ていると思ったがこの子はなかなかよかったかな。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2007-11-10 19:25:28)
79.  日本以外全部沈没 《ネタバレ》 
すごく残念な感じがする。 部分的にいいところもあるのに、冗長な演出と編集がブチ壊しにしている。監督にセンスが無いのだろう。 これを失敗作にしている決定的な原因は、日本人青年3人のキャストミス。 こいつらは日本男児の最大公約数的なキャラクターでなければならないわけだ。 小橋とか柏原とか、どっからどうみても疲れた日本のサラリーマンではないだろうが。 小橋のジャニーズ顔に細っこい首だとか、柏原の通り過ぎた鼻筋に日本人離れした彫りの深さが、「こいつら」を遠いものに感じさせる。ダメだ。何を考えているんだキャスティングでー。 たぶん、尺に比べて脚本が薄いといった事情で、演出編集はひたすら冗長、だから最初のうちは笑ってしまうが、次第に「次行けよ、次」という気持ちになる。 誉めたい箇所。冒頭のプレスリー衣装の白人男性の腰の振りと歌の滅茶苦茶加減が爆笑、村野武範は意外にも食いしん坊なだけでなくコメディセンスもあった(この人は間の取り方がよい)、藤岡弘が村野との電話で条件提示をたたみかけるテンポが絶妙で爆笑、デーブ・スペクターはいつものように笑えた(私はけっこう好き)、キッチュの「外人予報」が面白かった(でも、ちょっと長すぎる)など。 柏原が嫁の妊娠に「また日本人が一人増えるんだな」と言うが、その瞬間私は村上龍「五分後の世界」を連想してしまった。…あそこでは純血日本人が最も珍重されることになっている。 失敗作なのだが…不法滞在している外国人を強制送還する前に、嫌がらせに見せる、ぐらいの利用はしてもいいのではないだろうか。…二度と来るまい。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2007-08-29 15:13:04)
80.  ギミー・ヘブン 《ネタバレ》 
「探偵物語」とか、「傷だらけの天使」とか、好きだったんだろうなあ。 「都会」であることといい、カタギじゃない稼業をやっているところといい、あのマンションの内部といい、安藤を水谷豊になぞらえたところといい、パクり心全開です。作り手の世代を考えると、無理もない。この世代の男の子って、どうしてもああいう感じにあこがれているわけね。 しかし、ここまで露骨にマネをされたうえ商業映画として公開されると、「おいおい」という感じになりますね。「あーたたちがそういうのが大好きだったのはよーくわかったけど、それだけで商品にしてしまうのはどうなの」 たとえば、しろうとがコピーバンドをつくって喜んでいるのはいいが、それを武道館で発表してしまっていいものか、とかそういう感じですね。 心配なのは、もしかすると、作り手はパクったつもりがないかもしれない、というところですね。そうだとすると、日本の映画界にとっては大変悲惨なことだ。こういうものに制作費がつくということが不思議だけども。 江口洋介は、「アナザヘブン」でも似たような役柄を主演し、今や邦画では正統派のヒーローとして主役を張って〝もつ〟という数少ない俳優となった。 「アナザヘブン」を見ながらその地味な容貌、これといってアクのない演技、「なぜ江口?映画界は江口を偏重しすぎていないか?」と考え続けていた私だったが、あの作品を見終わってなんとなく納得がいったのだった。 江口は〝良心のスタンダード〟みたいなものを体現することができる役者さんなのだ。彼はどんな突飛なストーリーであっても、観客の〝良心〟をはずすことなく、ラストまで連れてくる役割を果たす。あのちっこい目が真剣に見開かれるとき、観客は完全に江口と同化してしまう。 織田裕二ではこうはいかない。〝やんちゃ〟に過ぎるからだ。「踊る」の青島だって、観客は織田についていっているのではなくて、〝キャラクター〟の1人として鑑賞しているにすぎない。…というようにたまには江口について考えてみたりするわけです。 しかし安藤はどうしたものか。マネをするならするで、「傷だらけ」の水谷豊を見て勉強ぐらいしなかったのか。江口が妙に上手く思えてしまうほどの大根役者、舞台と間違えているとしか思えない大仰なセリフまわし。脇役とはいえ、こんなんで映画に出してもいいのだろうか。
[DVD(邦画)] 4点(2006-11-15 14:30:28)
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