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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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81.  AKIRA(1988) 《ネタバレ》 
2020年オリンピック関連で話題になっていたので改めて見た。最初に見たのは90年代のTVと思うが、その時点で印象的だったのはいわゆる「金田のバイク」と、臓器のようなのが膨れる場面だった。いま見てさすがに斬新だとまでは思わないが、1988年の時点で先進的だったろうということは否定しない。音響面でも面白いところがある(救急車のサイレンかと思ったら背景音楽だったなど)。 前提として、近未来は当時の現実の延長上にある、という考えなのは堅実な印象だが、実際に2019年を経験した立場からすれば、「貯金は××銀行へ」という看板とか紙がやたらに多いのは未来描写として外している。不良少年の仲間意識で泣かせようとするのも前世紀っぽいが、そのほか特にヘルメットに覆面の連中が火炎瓶を投げるなど、1988年ならまだ記憶に新しかっただろうが2019年では失笑モノである。一方で軍事衛星からの光線兵器であれば、実際どこかが作っていそうなので怖い。 ちなみにネオ東京というのは1980年のTVアニメ「未来警察ウラシマン」でも出て来ていたが(ネオトキオ、2050年想定)、東京湾に新都市という発想自体は昔からあったらしい(ネオ・トウキョウ・プラン、1959年)。  ストーリーとしては幼馴染の2人の自立と新たな出発という感じのようで、最終的にはこの世界と別の宇宙で新しい未来を自ら作る、という壮大なセカイ系の物語になっていたらしい。当時の若者はともかく今の自分として特に共感できるものでもないが、劇中事物に即していえば、あんな連中に宇宙創造を任せていいのかとは思った。 ほか今回見て思い出したのは、登場人物の中でわりと普通に見えるいたいけな少女の最期が衝撃的だったということだが、今の感覚で見れば、こんな男にどこまでも執着するのが悪いと切り捨てて終わりだった(結局男と一緒にあっちの世界へ行ったのか?)。好きになれる人物が誰もいない殺伐とした世界だったが(主人公の男は単純バカ)、あっちに行ってしまった連中はまあいいとして、残った連中はこれからこっちの世界をまたそれなりに作っていくのだろうとは思った。悪役っぽい強面の大佐はけっこう実直な人物だったらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2021-05-15 09:14:11)
82.  人狼ゲーム デスゲームの運営人 《ネタバレ》 
今回は運営組織が代わったらしい。撮影場所も、以前は小山町フィルムコミッションの関連施設(静岡県小山町)だったが今回は自動車労組のセミナーハウス(静岡県御殿場市)を借りている。 背景設定としては、運営側の主人公がやっていた個人事業が買収されて本式の殺人ゲームをするようになったとのことで、出資者も顧客も外国の富裕層ではないのかと思った。運営の粗雑さが低コスト化や社会の劣化を思わせるものもあり、荒唐無稽なはずの殺人ゲームが妙に現実感を増してきているようなのは気分が悪い。  今作では運営側を前面に出して、ゲーム自体というより全体的なサスペンス展開で見せている。それほど悲惨な場面はなく、緊迫感に欠けるところもあるが意外な結末ではあった。しかしいくら観客側が配役を知っているからとはいえ、人狼があまりに饒舌なのは怪しすぎる。こんなのの言辞に惑わされず直感的に投票していれば、可哀想な予言者が死ぬこともなかったはずだ。 初めのうちは殺人ゲームの運営/参加を平然とやる連中ばかりのようで暗澹とさせられるが、それだけではないところも見せている。人間にとって、実は他人の人命などそれほど重大事でもないのが本音であり、“いのちは何より大切!”的な主張などは偽善に思えることもあるだろうが、しかし何としても守りたい特定個人がいるというのも人間である。誰しも本当に大事に思う人間がいて、そこに共感する他者もいて、そのような関係が広がれば人命尊重という共通認識の基盤もできていくはずと解されなくもない話だった。 なお今回はかなり特例的なエピソードのため、このままシリーズがまた続いていくような気は全くしない。次はどうするつもりなのか。  登場人物に関しては、「可愛い子」が多い理由を運営側が一応説明していたが、実際に今回はそういう印象が強い。参加者側の主人公役は「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で栞子さんの妹役だった桃果という人で、今回は賢明で芯の強いちゃんとした人物らしい顔を見せている(守りたくなる)。今後の活躍を期待したい。 また人狼役の朝倉ふゆなという人は「くちびるに歌を」(2014)にも出ていたようで、今回はイヤ~な人物像を芸達者な感じで演じている。ほか個人的には運営側チーフのお気に入り(演・山之内すず)もわからなくはないが、何より可哀想な予言者(演・森山晃帆)が早々に退場してしまったのが残念だった。
[DVD(邦画)] 5点(2021-05-15 09:13:04)(良:1票)
83.  人狼 JIN-ROH 《ネタバレ》 
最初に延々と解説が入るのは面倒くさい。登場人物の台詞も説明口調で聞きづらいところがある。 映像的には昭和30年代頃の雰囲気を出していたようで、見た目としてはとにかく茶色っぽい印象のアニメだった。今の感覚ではイケメンともいえない男が主人公なのも昔くさい。ほかの登場人物もみな基本的に昭和日本人風だが、赤ずきんちゃんだけはなぜかスカートが短めなのが昔らしくない。過激派は紳士的ではないだろうから、扇情的に見えると簡単に暴行されてしまうのではないか。  内容的には、とにかく共感できない人物ばかりで困る。まず過激派連中は何のために戦っているのか全くわからない。これは人間が無意味に戦いたがるという普遍的真理の表われか、あるいは劇中の戦いが無意味なこと自体を表現しているのか。また主人公が狼扱いされるのも意味不明だと思ったが、これは逆に本来何もない男であって、自分が狼とも思っていないのを周囲に言われていただけかも知れない。 最後の決断も、明らかに迷っていながら結局腰砕けに終わってしまうので落胆させられる。その辺の連中を皆殺しにして逃げようとするなら自分が「猟師」になれたわけで、それで結果的に殺されたとしても人として死ねたはずだ。しかし、そもそも主体的に生きようとする意志のない奴だったため、ここで死んでいいのかどうかも自分で決められなかったのではないか。結局は狼のように、群れの掟に従うしかない悲しい生き物だったということらしい。君には失望した。 どうも無理やり人か狼か選ばせるシチュエーションを作ったようで素直に納得しかねるところもあるが、要は題名の「人狼」とは、ファシズムとかコミュニズムその他の全体主義なり集団主義に適合した人間のことなのかという気はした。流されたり乗せられたり取り込まれたりせず、まずはしっかり個を確立しろというメッセージだとすれば、現代にも通じるところのある映画かも知れない…何か大昔の映画でも見せられたような気分でいたが、必ずしもそうでもなかったか。  ちなみにこの映画を見て、狼というのは孤高の英雄には向かない生物だと改めて認識させられた。それよりは、獅子にせよ虎にせよネコ科動物の方が雄々しいキャラクターに向いている(何気にネコ派アピール)。
[DVD(邦画)] 5点(2021-05-15 09:13:01)
84.  パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻 《ネタバレ》 
時間が短いので前作に続けて見た。新作なので新キャラを出さなくては済まないらしく、今回はサーカスを呼んで他の動物の出番も作ってある。ママ友同士でなめ合うのは悪くなかったが、自宅のネコとはやらない方が無難である。 ある程度の知能を持った(言葉を話す)生物をサーカスで使役するのでは、奴隷労働のような印象が出てしまうのでまずいことになる(というか家内労働のイメージか)。トラの子が人の言葉を解するのに母親が話さなかったのは、やはりケモノであるから檻に閉じ込めるのも自然と見せる都合があったからか。あるいは「魔女の宅急便」(1989)での魔女さんと黒ネコの関係のようなものかとも思ったが、それにしても前作の状況とは矛盾することになる。 そのように基本設定がいい加減な上に、いつまで経っても祖母が帰って来ないというのも限界があり、さすがにこの延長上でシリーズ化するのも厳しかったかも知れない。また今回はクライマックス部分が単純に笑っていられない状況で(大惨事の予感)、ラストにもそれほど意外性がなく、最後になんでみんなが盛り上がっているのかも納得できなかった。  なお今回目についたのは、家の周辺一帯を海のようにしてしまう非日常の演出であり、これは後の「千と千尋の神隠し」(2001)などの先駆けかとも思った。水の透明度が高く、水中から家と空を見上げる場面は当時としては斬新だったのではないか。手に持った食物に小魚がすかさず群がるなども後の映画で見たかも知れない。 また少し笑ったのは、子トラから来た手紙を「読んで読んで」とせがまれたがとても読めそうなものではなかったのを、パパが難なく読んでしまったことだった。確かに「助けて助けてトラ」くらいならわかるかも知れない。表意文字だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-01 08:50:39)
85.  パンダ・コパンダ 《ネタバレ》 
時代背景からいえば、第二次大戦後の国共内戦で大陸を追われた国民党勢力が、台湾島と附属島嶼だけの状態で国連安全保障理事会の常任理事国として「五大国」の扱いを受けていたが、1971年に諸国の思惑がらみで代表権を失って国連を去り、1972年には日本も国交を断絶した(来年で50年)。代わりに国交が生じた大陸側から記念としてパンダ2頭が送られて来て、1972年11月から上野動物園で公開が始まり大人気になったが、そのような情勢のもとでこのアニメが作られたことを今回再認識した。 明らかに国家戦略のために使われているにもかかわらず、パンダ自体は現在も絶対善のように思われているようだが、それはこの時代に形成された国民意識の影響かも知れない。国民一億総panda huggerということだ(言いすぎか)。  当時は自分も見たのかどうかわからないが、3つ下の従妹が見て大喜びして、歌の冒頭部分をやかましいほど繰り返し歌っていたことは憶えている。何が面白かったのか不明だが、部外者なりに考えると、主人公の少女が父親に甘える立場と、小さい子に甘えられる立場の両方を兼ねるのが豪華な設定だったかも知れない。 序盤の幸せな時間も長くは続かず(全体で30分しかない)、やがて大人社会からの脅威が及んで来て、最後は別れの寂しさを残す終幕だろうと予想していたら、意外にも奇想天外な結末だったのには驚かされた。完全に現実を度外視してでも、見ている子どもらの期待を裏切るまいとする制作姿勢だったらしい(感動的だ)。 そのようなことで、今回見てもそれほど悪くない映画だとは思った。なお主人公の少女が、昔のアニメにしては表情豊かで躍動感もあるのはさすがということか。得意の逆立ちをする時に、ちょっと溜めてから伸びる場面があったのは芸が細かい。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-05-01 08:50:36)(良:1票)
86.  私がモテてどうすんだ 《ネタバレ》 
富田望生さんは「ソロモンの偽証」で役作りのためにわざと太ったという話だったので、この映画でも本人が太ったりやせたりするのかと思ったら違っていた。騙すつもりはなかったかも知れないが騙された気分だ。 同じ人物が太ったやせたで周囲の扱いが全く違うなど、いまの厳しい情勢下で問題にされたりしないのかと思うが(公開時点ではまだそれほどでもなかったかも知れないが)、一応は劇中演劇のテーマでもあった通り、人の真価は見た目の良さだけで決まらないというのが本意と思われる。しかし見た目の効用も否定していなかったようなのは価値基準の多元性も表現している…そもそもイケメンに価値がないなどといってしまうとこの話自体が成り立たなくなる。 それにしてもせっかく富田さんがやっているのだから、現体型のままで思い切り美少女に見せることもできたのではと思うがそれほどでもない(場面による)。自分としては、もしかしてこの人が青春ラブストーリーの主人公にふさわしい演技をする場面もありうるかと期待していたわけだが、結局ないまま終わったのは残念だ。 「激ヤセ後」の演者は知らなかったがE-girlsの人だったようで、要所でキレのいいダンスを見せている。また真正美女(雷鳴の美女)役は優希美青さんが務めていたが、親友役の上原実矩さんもクセの強い可笑しいキャラになっていた。  序盤では荒唐無稽な展開に呆れながらも、これはこういう設定なのだからと耐えて黙って見ているのが非常につらい(アヒージョというものは食ったことがないが東京では人気なのか)。かろうじてミュージカルっぽい場面が楽しめるのと、中盤の演劇以降は別の面白味が出て来る。男連中のボーイズラブに登場人物が転げ回って喜ぶのにつられて大笑いしたり、また劇中演劇の代役が誰かというオチにも失笑させられた。 物語の面では意外にも、ラブストーリーとしての決着をつける気はなかったらしい。いずれ変わっていく予感はあるにせよ、外圧で無理に変化を迫るのでなく、とりあえず今この時は自分が本当に望むことをして、自分なりの青春を謳歌していいのだという青春賛歌のようでもある(言い過ぎか)。4人のうち1人だけ、最初から彼女をちゃんと見ていた男がいたのはこういう役割だったのかと納得した。 ラストはよくある全員参加のステージで、富田さんも含めたダンスで盛り上がる。事前の期待感は全くなかったが、最終的には結構悪くない映画だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-10 11:24:37)
87.  今日も嫌がらせ弁当 《ネタバレ》 
高校生のために弁当を作り続ける映画は「パパのお弁当は世界一」(2017)も見たので、個人的にはまたこれかという印象だった。しかしこの映画も原作者に当たる人物の体験をもとにしており、映画としては二番煎じでも全く別の話ということになる。劇中に出ていた弁当を本当に一生懸命作っていた人がいたというだけで和まされるものがあり、嫌がらせというよりも、ふざけたことを大真面目にやってみせるのが好きな人物が娘にじゃれついていたようでもある。ちなみにこの後に「461個のおべんとう」(2020)というのもあったようで、なぜか弁当映画が乱立している。 八丈島は実際に原作者の居住地とのことで、彩度が高めの明るい色調で島の風景を見せている。特に説明はなかったが、結構しつこく八丈小島(今は無人島)を映しており、また「八丈島のキョン」(特定外来生物)らしきものも出ていた。船は主に東海汽船の「橘丸」が見えていたが、ほか何気に青ヶ島行きの「あおがしま丸」も映っていた。  ストーリー的なことは実はよくわからなかった。キャラ弁なるものに関して否定と肯定が繰り返される展開に見えたが、弁当だけでは本当に嫌がらせになってしまいそうなところ、それとは別に心を通わせる機会を持ったことで真意が伝わったと思えばいいか。 またシングルファーザーの存在も半端な気がした。途中段階では一人親が孤独に頑張ることの限界を語っていたようだったが、その上でのご対面は、この先母親が助言者からパートナーの立場に発展していく予感の表現か、または人生まだまだ何が起こるかわからないという程度の緩い期待感か(なぜか娘の就職先の近所にいた)、あるいは単なるサービスカットのようなものか。少々困惑するラストだった。 特に絶賛する気にはならなかったが、実物をもとにしたという独創的な弁当を見て笑っているだけでも一定の面白さがある映画ではあった。なおネット上に原作者の顔写真も出ていたが、なるほどこういう感じの人がやっていたのかと納得した。  出演者に関して、芳根京子という人は今どき高校生役かとは思ったが、もともと可憐なタイプなので高校生に見えなくもない。また友人筆頭役の山谷花純さんは、「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(2018)で頭を丸刈りにしてから、少し髪が伸びてベリーショートの状態だったのがなかなかキュートで面白かった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-03 10:54:11)
88.  耳を腐らせるほどの愛 《ネタバレ》 
吉本興業のコメディ+サスペンス映画である。ジャンルに「ロマンス」が入っているが無視して構わない。 無人島の宿泊施設で起きた殺人事件の謎を解いていくミステリー調の展開で、ありがちな結末かと思わせておいて実は…という意外性はなくもないがそれほど感心もしない。なお東京湾で唯一の無人島とは、横須賀にある猿島(戦艦三笠から見える)がモデルのようで、空撮場面もこの島の映像がもとになっている。撮影場所はほとんど屋内で、個人的に馴染みのある「人狼ゲーム」シリーズのようだった。  コメディといっても終始笑いっぱなしでもなく、予告編に出ていたように、鈴木鈴吉という名前を「鈴木の二乗」と表現するあたりでレベルが察せられる。そもそも自分としては芸人の笑いというのをあまり面白く感じないので(ノリの悪い観客)、かろうじて「ゲストなしの回」のところで笑わされたのと、「何となくです」「180のサイズ」がかすかに可笑しいくらいのものだった。高速度撮影でないスローモーションの場面などは笑えるかどうか。 独自性があったのは「たとえ話サークル」という設定で、言っていること自体は大して面白くもなく早口で何だかわからなかったが、現実にこういう活動を真面目にやっていれば発想の自由度が高まって頭の回転も速くなるかとは思った。芸人らしい趣向かも知れない。 個人的にはクサい演出ばかりが鼻についてあまり満足感はなかったが、初めから「見終わった後に何も残らない映画」を作ろうとしたとのことだったので、それを信じて気楽に見るなら楽しめるかも知れない。題名の意味は何だったかなど考えなくても問題ない。  登場人物としては、脚本段階で意図したという通りそれぞれに見どころが作ってある。森川葵さんが可愛い女の子(あざとい系)だったのは大変結構なことで、この人のこういう役は好きだ。また山谷花純さんは序盤で芸人風のかけ合いをしていたのが特徴的だった。長井短という人は知らなかったが、本当にこういう感じの人物らしい。
[DVD(邦画)] 5点(2021-03-27 11:34:10)
89.  死命 ~刑事のタイムリミット<TVM> 《ネタバレ》 
先に原作を読んだがあまりいいとは思わなかった。このドラマもかなり原作準拠のようで、不自然だとかちょっと無理がある感じの設定は大体が原作由来である。ただしTVドラマ化に当たって、見てわかりやすいよう予告を入れたり言葉を足したりの工夫をしており、またラストに少し救われる場面も加えている。有名なクラシックの曲が使われていたのは別にいいとも思わなかったが、これは亡き妻のためのテーマということだったか。  登場人物には共感しにくいところがあるが、主人公に関しては仕事自体が妻への献身だったという事情、及び最終的に死への恐れを解消できた理由はわからなくはない。犯人の方は人格的に理解不能だが、主人公が死を恐れなくなった理由がそのまま犯人に死を恐れさせたということではあるらしい。過去を切り捨てようとしても結局いわば最後の審判があるということで、自分のこととして考えてもこれは実際に不安要因かも知れないと思った。一瞬ホラーのようで怖い場面もある。 犯人もそれなりの事情があったわけなので、嘘まで言って恐れさせる必要はあったのかとは思うが、しかし社会に一定数いると思われる「死ぬことさえ恐れていない人間」を強いて恐れさせることが本当の罰だという主張かも知れない。地獄が実在するとはいえないが、パノラマ視現象というのは実際あると言われているので、このドラマがオカルトに依存しているわけではない。  登場人物に関してはそれほど違和感がない。若い刑事はコミカル寄りでこの役者らしいいい味を出している。また主人公の娘については、ダンサー志望の印象が少し弱まっているのが残念なのと、目が大きいので両親には似ていなかったが、父親に対しては反発するだけでなく、ちゃんと親子であろうとしていることが表現されていた。原作のディズニーランドはみなとみらいの観覧車になっていたが、この場面での娘の様子には和まされる。終盤でもこの娘との関係で少し泣かされるところがあり、視聴者の目からはこの人が一番いい役に見えた。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-03-27 11:34:08)
90.  フェイクプラスティックプラネット 《ネタバレ》 
ネットカフェ住まいの風俗嬢の物語だが、殺伐とした世相の一部を切り取って社会への怒りや憎悪を煽りたいわけでもなく、人間の心を縛るもの(いわば縄)を解いて前へ行かせようとする、意外に良心的な映画だったようである。 ただし素直に受け取れない箇所が多いので絶賛はできない。不思議な偶然が起きるというのは予告されているので意図的なわけだが、あまりに話が出来すぎていてさすがに偶然の範疇から外れてしまい、「シンクロニシティ」が単なる言い訳のようでもある。また消火器で殴るとか露天の場所に電気器具が置かれているとか拳銃が出現するなど、表現の自由度が高すぎるのは突っ込まずにいられない。これは舞台演劇風ということか。 ほか「占い客」(役名)の再登場の場面では、感謝するなら3万円くらい置いていけ、と言いたくなった。  終盤の占い師の場面も言葉でまとめ過ぎのように感じられる。目で見えるものは信用できないなどとは独り善がりな偏屈者の言いそうなことで、主人公も困惑気味の顔をしていたが、ただし物事には表に出た部分だけでなく必ず裏があるというか、背景事情を含めて全体像を掴めといえば一般的な教訓ではある(実際よく思う)。主人公もそのうち同じように思う機会があるかも知れない。 また「今を大事にする」というだけでは抽象的だが、未来を決めるのは現在だというのは当然といえる。ラストの雨は、未来が過去から現在の延長上にあるとも限らず、これから何が起こるか本当にわからないという意味なら悪くない。 そのほか宗教的なものに関しては、日本では頭ごなしに全否定する人々も多いと思うが、この映画はわりと柔軟な態度だったらしい。神の存在など当てにすべきものでもないが、悪いことを悪霊のせいにするよりなら、よかったことを神様のおかげと思うのは健全とはいえる。またキリスト教の聖書をまるごと受け入れろともいえないが、その時々で役に立つ/心に染みる言葉を抜き出してかみしめるのはいいかも知れない。  出演者については「劇団青年座」の役者が中心らしい。主演の山谷花純さん(エイベックス)は一人の人間のさまざまな様相を幅広くカバーしており、結構いろいろな顔が見られたが、特に黒縁メガネは新鮮だったかも知れない。 ちなみにどうでもいいことだが、劇中で印象的だったスカイツリーの見える場所は足立区ではなく、台東区浅草の言問橋の近くのようである。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-20 14:53:41)
91.  N.Y.マックスマン 《ネタバレ》 
イケメンで固めた特撮変身ヒーロー物のようで(一応大人向け)、アメコミのヒーローが実体化したようなものらしい。同じシリーズの3作目だが、続編はなかったようなので三部作の最後ということになる。 初代と二代目のヒーローは東京で同じTV局に勤める兄弟という設定だが、今回の三代目はなぜかニューヨーク在住ということになっている。つまり題名の「N.Y.」とはアメリカのニューヨークのことで、冒頭では本物の空撮映像なども出ていたが、舞台挨拶によると撮影は全て東京の100m以内で収めたようなものらしい。実際見てもほとんどTV局の屋内で撮っている感じだった(テレビ朝日の中?)。  内容としてはヒーロー物ながらコメディ調で笑えるところもなくはない。またレギュラーで出ている悪者のせいで起きた事件の謎を、主人公の探偵が解明していくミステリー調の展開のようだったが、結局最後はありがちな結末で終わってしまう。敵が普通の人間なので、変身ヒーローとしての活躍があまりないのも不足感がある。 ただし終盤で、今回の主人公だけが持つ特殊能力が初めて明らかになり(ほとんど反則)、そこまでの間で不可解に見えた場面の真相を明らかにしていくのは少し意外で面白かった。どうせ安手のしょうもない映画だろうと思っていたが、いかにも低予算でTVドラマ風ながら、最終的な印象は意外に悪くなかった。  なお若手の顔ぶれを見ると、仮面ライダー/スーパー戦隊の出演経験者に出番を用意するための映画のようでもある。自分がこれを見たのは「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~2016)の「かすみ姉」(百地霞/モモニンジャー)が出ていたからで、この映画では印象の全く違う役どころだが、演者の山谷花純さんはもともとこういう感じの役が多い気がする。今回は「許さない」と「キモ」の表情が見どころか。 ちなみに二代目ヒーローの相手役の内田理央という人は今回も主要人物で出ているが、初代ヒーローの婚約者役である山本美月という人はほとんど見えなかった。またどうでもいいことだが、千葉雄大という役者はいつ見ても年齢不詳だ(この時点で28歳と本人が言っていた)。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:33)
92.  劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 《ネタバレ》 
スーパー戦隊恒例の“VS”シリーズとのことで、その時点での現役戦隊(動物戦隊ジュウオウジャー)が前任戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)と共演し、そこに放送開始前の次の戦隊(宇宙戦隊キュウレンジャー)が予告的に姿を見せる形になっている。 また今回はスーパー戦隊シリーズ通算40作記念が謳われており(ジュウオウジャーが40番目)、ドラマ的にもここで戦隊の歴史が途切れそうになる状況をわざわざ作っておいてから、メンバー同士のつながりと、歴代戦隊の応援のおかげで未来につなぐことができたという形にしている。結果としては「スーパー戦隊恐るべし」ということで大変結構なことだった。 ニンニンジャーは今回ゲストの扱いだろうが、アカニンジャーとその息子と父親の3世代が揃って親子のつながりを見せつけるので、現役戦隊よりかえって強い印象を残していた。主役のはずのジュウオウジャーが荒唐無稽な忍術で振り回され気味に見えるところもあり、現役戦隊もまだいろいろ学ぶべきものがあるのだろうと思わせる。 なお序盤の段階で、次の日に死ぬ運命だった男に息子がいるのはなぜか、という疑問を持たされたままラストに至る映画だったが、最後に真相が明らかにされた場面では、本当にこんな話でいいのかと唖然とさせられた(あまりにいい加減)。しかしニンニンジャーの最後を飾った前回のFINAL WARS(2016)のあと、メンバーがそれぞれの道を歩み始めてからの後日談のようなものとすれば、その間に意外な事情の変化があっても不思議でないといえなくはない。それにしてもこのオチにはかなり呆れた。  主役のジュウオウジャーは前回のVS映画で姿を見たことがあるが、今回はトラの人が色っぽいのが目についた。サメの人は性格がきつそうな感じかと思ったら、女子だけ(スーツアクター)の場面では女の子っぽい動きを見せていたのが微笑ましい。 またニンニンジャーは人格的な軽さが目立つようだったが、この緩い感じがやはり結構心地よく、本放送開始から6年も経って今どきこのニンニンジャーが好きになって来た。個人的にはかすみ姉のファンだが、この人の出番としては「ずっとあなたのことを疑っていたんです」の微妙な表情が面白かったのと、「ナーイスです!」がかわいい。 ほか未来のアカニンジャーの子役はけっこう凛々しい顔を見せていた。父親よりよほどまともな人物に見える。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:30)
93.  ビブリア古書堂の事件手帖 《ネタバレ》 
原作は読んだことがあるが、作中に出る本を読みたくさせる小説として有名らしい。ちなみに自分としては「たんぽぽ娘」は読んだ(いかにも自分好み)。 場所設定としては原作・映画とも北鎌倉が中心で、加えてこの映画では鎌倉らしさの表現として切通しを見せている。ただエンドロールの撮影協力に常陸太田市と伊豆ばかりが見えたのは、地元の皆さんには申し訳ないが落胆要因だった。  物語としては原作1巻の1話から4話に直接つながる形で構成しており、原作が軽めに流していく感じなのをじっくり掘り下げたようではあるが、個人的には微妙な印象だった。昭和のメロドラマと平成の恋物語を並行させる形になっているが、本と引き合わせてくれた人との出会いという点が共通するだけで、話の性質は違っているので連関があるようにも感じない。太宰治を気取る「駄目な男」にも、太宰の言葉にかこつけて開き直る異常者にも当然ながら全く共感できない。 ただ意味的な面では、350万円で売れる本よりも、本を大事にする人を大事に思う人の心を大事にしたい、という結末だったらしいのは悪くない。平成の主人公男女が関係を深化させる過程も原作とは変えており、ラストで一気に「あなたが必要です」というのは唐突だったが、要はトラウマを解消させてくれた人物だったから、という理屈をつけたようではあった。 ほかメロドラマの男が長身なのは見た通りとして、主人公の母親役(神野三鈴)も意外に168cmとのことで、何気に遺伝的なつながりを表現していたらしい。また映画独自の点として、主人公の男が店を手伝う条件にしたのが読み聞かせだったのと、店でも絵本ばかり読んでいたらしいのは、子ども時代からやり直そうとしたという意味かも知れない。  登場人物に関して、原作の栞子さんは小柄でカワイイ系で巨乳気味の美女というアニメ向きキャラだが、この映画の黒木華という人は、演技でカバーしている(口元をかわいく見せている)とはいえ外見的に合っているかは何ともいえない。しかし原作ではライトノベル風のイラストに騙されていただけで、実物がいるとすれば本当はこんな人だったりするかも知れないとは思った。快活でなれなれしい妹(演・桃果)もいい感じだった。 また特に今回は(今回も)夏帆が見せる素朴な可愛さには見入ってしまったので、いろいろあるだろうが今後とも末永く活躍してもらいたい。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:17)
94.  グーグーだって猫である 《ネタバレ》 
原作も少し読んだ。題名の由来は、最近見た映画「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で夏目漱石が出て来たところで初めて気づいた(遅い)。 映画は原作とかなり雰囲気が違っており、序盤ではネコと主人公が中心の世界に見えたが、特に小豆島の男が出て来てからはネコが脇に追いやられたようになる。芸人を入れてのギャグやドタバタが煩わしく、またスポンサーの宣伝や変な外国人など、何かと気の散る要素が多い映画になっている。 なお主人公は架空の名前だが、劇中の著作名を見れば原作者がモデルなのは明らかである。大病で手術したのは事実とはいえ、実在の人物をこのように扱った映画をみて原作者がどう思ったかは気になった。本人が納得していれば別にいいわけだが。  内容的には、まず序盤で前任のネコが口を半開きにして死んでいたのが悲しい。このネコは15歳まで生きたとのことで、終盤で出た人間体も15歳の演者(大後寿々花さん、1993年生まれ)にしたのは安易な発想かと思った。しかしネコと人は同じ時間を生きているわけではなく、ネコが先に年上になるというのは面白い表現で、そう言われてみると15歳の演者も年齢不詳のように見えて来た。 物語に関しては、避妊手術の罪悪感が根底にあるように見える。あからさまに書きにくいが、主人公は年齢的に最後というあたりで新しい出会いがあったと思って期待していたところ、突然の手術で望みが断たれてしまい、自分がネコにした仕打ちを改めて思わされたのではないか。しかし前任ネコが夢に出て、恨み言をいうでもなく、以前のように心を癒してくれたので安心できたと思われる。主人公がもう終わりだと思ったその先へ、背中を押してくれる形になったらしい。 結果的には題名のネコより前任ネコの存在感が大きかったが、ほかに原作者の「8月に生まれる子供」という著作も重要だったらしい。自分にはよくわからないが、題名の原作を超えて作家の作品世界を表現する意図があったようではある。  そのほか吉祥寺の街の紹介が変にしつこいので、それ自体が製作目的の一部だったと思うしかない。「ネコの街」といわれた台東区谷中とは別に、吉祥寺では「人と猫が共生する街」として、2011年から毎年「吉祥寺ねこ祭り」というイベントをやっているらしい。別にこの映画が発端というわけでもないようだが、2015年の「吉祥寺にゃんこ映画祭」では当然のようにこの映画も上映されたようだった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-30 14:28:13)
95.  ハイサイゾンビ 《ネタバレ》 
沖縄の映像関係者が地元で撮ったホラーである。場所はかつてコザ市と呼ばれた沖縄市だが、今も中心街はコザというらしく、「コザ花園(かえん)」の看板とか「ゴヤ中央市場」の表示が見えたのがご当地感を出している。ちなみに「ゴヤ」とは、米軍のキャンプ・コザが置かれる前からあった「胡屋」という地名を残しているものらしい。 市や観光協会も協力している地元PR映画だが、最初の公園だけが明るい雰囲気で、市街地に入ると人もいなくてゾンビばかりの寂しい街ということが印象づけられてしまう。しかし商店街がゾンビであふれかえる場面がかつての賑わいを想像させ(そういう意図か?)、また横丁のような所でエロいゾンビが登場して(「踊るゾンビ」演・水井真希)男ゾンビの股間に何気に触っていたりしたのは、こういう風俗面でも栄えた過去を偲ばせるものがあった(そういう意図か?)。  内容的には「カメラを止めるな」(2017)と比較されているが(制作年はこっちが早い)、別にワンカットで撮っているわけではなく、映画撮影中に本物のゾンビが現れたという設定が共通している。一応は本物のホラーだがコメディ色が強く、人がゾンビにやられて血が飛んで、登場人物の衣服が(レフ板も)どんどん真っ赤になっていくのは笑ってしまう。とにかく血が飛ぶ映画という印象だった。 物語としては、崩壊の兆しが見えた自主映画制作グループが、千載一遇の機会を得て再び映画への情熱を燃やす話になっている。人でなくなってもなお映画を撮ろうとする(生きようとする?)執念を描いており、最後はいわばゾンビの、ゾンビによる、ゾンビのための映画になってしまったかと思ったが、一応は人間ドラマとして、いわゆる映画愛のようなものも感じられた。いかに低予算に見えても嫌いになれない/好きにさせられるという点でもカメ止めに近いかも知れない。 キャストはみな沖縄在住の人々のようで、当然ながら地元市民もエキストラとして大挙出演している。劇中劇のヒロイン役の人(演・川満彩杏)がなかなか可愛いと思ったが、途中でいったん退場してしまったのは残念だ。この人がゾンビに噛まれて意識が薄れていく表情は好きだ(少し惚れた)。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-01-23 08:59:12)
96.  パラノイアック 《ネタバレ》 
「青鬼」「デスフォレスト」に続くフリーホラーゲーム第3弾とのことで、廃墟に侵入した若い連中が逃げ回って殺されていく展開になる。基本的には心霊系だろうが、「怪物」も出るのはもとのゲームに由来するものか。見る人が見れば怖いのかも知れないが、個人的にはやかましいだけのホラーだった。 特徴としては基本的にPOVであり、冒頭の自宅の場面からして劇中カメラで撮られている。また主人公グループ3人だけでなく、別のグループ3人(緑)が同様に逃げ回るのと並行する形で作ってある。ほかクラシックの著名な曲が使われており、映画の章立ても第一~第三楽章にしていたが、どういう効果を狙ったのかわからない。ホラー向けに作った曲ではないはずだ。 なお序盤で窓ガラス越しに怪しい人影が一瞬見えた場面があったが、その手の趣向はそこしか気づかなかった。  【以下個人的解釈】 題名のparanoiaとはどういうものか知らないが、少なくともこの映画では、要は強い妄想があるという意味らしい。廃墟で主人公が体験したことのほとんどが妄想だったと思えなくもないが、しかしビデオ撮りしているからには客観映像のはずだと解釈すれば、筋の通らないことは全て妄想のせいともいえない。死人が生き返ったりするのはゲームというものの性質上かも知れないが、まともな理由など考えても仕方ないという気もする(「ソラリスの陽のもとに」と関係あるかは不明、読んでない)。 それより主人公の主な妄想は、姉らしき人物(肩書付きのテロップが出ない)を「お母さん」だと思い込んでいたことのようで、これは叔母がクマを息子と思っていたのと同じということになる。その姉は、叔母がされていたのと同様の「経過観察」をしながら妹を世話してきたが、実は叔母と同じように破滅してしまえと願ったりしているのではないか。 本来この姉は問題ない人なのだろうが、上の階のピアノに怒るとかコップの縁をいちいち拭くのは神経質なようでもあり、また終盤で恨み言を劇団員風に述べるとか、凄惨な死体の傍らにあったカメラを冷静に拾うなどはもう変になっていたようでもある。最後の赤い空の場面でもなお妹を経過観察していたようだが、その光景をまた誰かが経過観察していたのかも知れない。  細かく考えようとすると面倒臭いホラーであり、結果として面白いともいえないが、それなりの企みはあったようなのであまり低い点にはしない。なお主演の小西キスという人(けっこう熱演)は、漢字であれば小西鱚と書けないこともないと今回思った。もう一つのグループの女子(奥田安沙)役は朝見心という人である(京都府出身とのこと)。
[DVD(邦画)] 5点(2021-01-09 13:56:44)
97.  奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語 《ネタバレ》 
全8話のオムニバスホラーである。以下個別に書く。 ①年取ってこうなったら怖いかとは思った。物悲しい。 ②オチ付きの小噺。ヒトコワ系だけかと思っていたら違った。 ③東京の安い一軒家は事故物件だろうという安易な予想が覆される。集合住宅に住めない理由はそれだったかと納得させるオチ。怪しい声がいい。 ④ラストは面白くないがそれほど悪くない。確かに、ユーズド商品として売っている古本など、こういう経過で市場に出たものではないかと思うことはあった。 ⑤第5話に至って初めて女性の俳優が出る。私事になるが、実は女性専用とされる掲示板サイトを時々見ることがあり(書いてはいない)、そこで「生霊を飛ばす」という表現が時々使われるので、そういう話かと思ったがそうでもない。その女性専用サイトには明らかに男が入り込んでいて嫌われているが(おれは書かない)、わざわざ女子だけの中へ紛れ込もうとする男の心情に通じるもののあるオチかとは思った。ただし面白くはない。 ⑥コーヒーを含めた総称として「お茶」ということは自分もあるので、その点だけは彼氏に共感した。それより彼女が発言しようとする顔に結構注目してしまう。表情に影が差していたのが輝きに転じるのもいい。これは結構好きだ。 ⑦川ゾンビと川テトラポッドと川河童(普通に河童)が語られる。何を探しているかわからない男が出たので、むかし読んだ夢に関わる非常に嫌な感じの怪談を思い出したがそれとは違っていた。二段階のひっくり返しは悪くなく、「めっちゃ恥ずかしい」の隣で時が止まったような男の顔も悪くない。これもいい方。 ⑧普通に怪談。  見ていると変な方向に発想が飛ぶが、結果的には違っていたという感じの意外性はある。また音の使い方が特徴的と思うところもある。いかにも低予算だが面白いところもあり、時々ある低劣オムニバスホラーよりはよかった。 なお各話冒頭の「こんな悪夢を見た」は、どちらかというと夏目漱石「夢十夜」の「こんな夢を見た」から直接取ったものではないかと思った(8話しかないが)。最初から夢オチ宣言かと思ったが、副題で「醒めない」とすることで現実との連続性を確保する微妙な戦術らしい。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-01-09 13:54:13)
98.  この世界の(さらにいくつもの)片隅に 《ネタバレ》 
原作との関係ではいわば完全版ということになる。主に、前作でほとんど捨象されていたリンさんのエピソードを全面的に加え、夫婦それぞれの過去を見せることで対称性のある物語を再現している。今回はリンドウの青が色彩的に目について、すずさんのタンポポのイメージ(黄色)と対照的に感じられた。またすずさんも今回はより大人の女性としての姿を見せている(こんなにエロいとは思わなかった)。ちなみに、これだけ長尺でもまだ省略されているエピソードがある(ミヨセンセーノハゲアタマなど) 前作を含む映画版の特徴として、原作で読者の読み込みに任せていたところをわかりやすく示すということをしているが、ただこの新作版で伯父夫婦の語った周作の過去などは、適当に想像しておけば済むことなのでやりすぎだ。また原作に出た事物を別のところで出している例もあるが、「愛はいずこにも宿る」(「どこにでも宿る愛」)という言葉に関しては、個人的感覚では結果的に得られた感慨として扱うべきものであり、途中で安手の格言のように語らせたのは残念だ。 その他前作になかった点として、広島に救援活動に行った人々(伯父や知多さん)のその後の健康状態に触れた場面もあった。また「狸御殿」の様子(顔)をいかにもそれらしく描いていたのは笑った。  なお前作と共通だが、原作で終盤にあった「記憶の器」という言葉を、映画では「笑顔の容れ物」に変えていたのに今回気づいた。真意は多分同じと思うが、原作段階では亡くなった人々の記憶を背負って生きる義務を自ら課すという悲壮感のようなものも感じたのに対し、これを変えることで、亡き人々を暗い記憶の中に封じ込めるのでなく、あえてこの世に祝福されていた存在として記憶にとどめようとする意志が明瞭になっていた気がする。残った人々もこれからできる限りの笑顔で生きていこうとするのだろうし、エンディングで水玉模様の服を作る絵からもそのように信じることができた。 現実問題として、みんなが笑って暮らせるわけではないのは当然のことである。しかし時代や場所や境遇の差はあるにせよ、人というのは誰しも常に笑いを求めているのではないかという気もする。日常的な暮らしの中の笑いというのは、いわゆる普通の幸せの実体をなすものではないかという気もして、自分としてもそういうところをないがしろにしてはいないか、と反省されられた(態度を少し改めることにした)。今回は戦争と無関係に個人レベルのことだけ考えてしまったが、そこがこの物語の持つ力ということだ。 完全版とはいえ全面肯定でもないので満点にはしないが、ちなみにコミックレビューの方は10点にしてあるので、それが本来の点数である。
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2021-01-02 10:26:08)(良:1票)
99.  夕凪の街 桜の国2018<TVM> 《ネタバレ》 
NHK広島が制作して2018/8/6に放送された特集ドラマで、現在はNHKオンデマンドで見られる。ちなみにタイトルバックの空撮では、手前に「この世界の片隅に」に出る江波山も映っている。 原作と比較すると、現代パートを2004年から2018年にずらしているのが最大の違いである。つまり「桜の国(二)」の出来事が2004年には起こらず、形を変えて2018年に起きたことになっている。主人公の石川七海は40過ぎ(独身)、また広島への同行者は弟の娘の石川風子という人物(高校生)になっており、昭和30年の皆実から姪の七海へ、そこからまた姪の風子へとつながる形を作ったらしい。風子という名前は、皮肉をいえば昔の記憶が風化してきたという意味かも知れないが、真面目にいえば凪のあとにまた新しい風が吹き始めたという感じを出している。なおその母親である東子さんは顔が出ないが、原作の出来事がなくても結婚できたようで、いまは看護師長だそうである。  全体構造としては「桜の国(二)」に相当する現代パートを軸にして、途中に「夕凪の街」をほとんど全部入れており、終わりの方で端折り気味ながら「桜の国(一)」も扱っている。2007年公開の実写映画で現代パートが不要とまで酷評された難点は改善され、一応それほど違和感なく全体を72分に収めた形になっている。 原作にない部分としては「桜の国(一)」の途中に、いわゆる「原爆スラム」に関するエピソードを加えている。これはストーリーの説得力を増す意味はあるようだが、ほかに何か世間的な配慮の必要でもあったのかと思った。一方で登場人物が東京へ帰らないまま終わり、原作で非常に印象的だった「決めたのだ」の場面はなく、そもそも桜は申し訳程度にしか出ない。 ただ全体的に、原作にある個別の場面や台詞はかなり生かしており、また西武鉄道とか西東京の病院とか、「…のだ」「それよか…」といった言葉づかいからも、原作読者に気を使っている様子は見える。ワンピースを作る場面では、原作の可愛らしい絵柄を再現できていたようで嬉しくなった。  物語の面では、やはり「夕凪の街」の印象が強くなっており、「桜の国」の方は主人公の心のわだかまりが曖昧なためそれほど感動的でもない。ただ高校生の姪が、墓地で故人の没年月日を見て「本当にあったことなんだね」と言ったのは、年長者には“今の若い者は…”と嘆かれるかも知れないが、自分が現地で実際に見てもそう思うかも知れないとは思った。世代も変わって記憶が途切れそうだったところを、若い人を含めてしっかり思いを受け継いだ話になっており、広島のNHKが8/6向けに現代の感覚で作る、という条件下では悪くないドラマだったかも知れない。 なお登場人物としては、皆実役の女優は2007年の映画より個人的に好きだ(アイドルっぽくはない)。また小芝風花さんの熱演場面は新作エピソードに置かれていたが、その後の「誰も来てんなかったね」の台詞もちゃんとあった。
[インターネット(邦画)] 7点(2021-01-02 10:26:05)
100.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 
NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。  物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。  登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)
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