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コメント数 106
性別 男性
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1.  晩春
小津の作品は当然にしてコメディだと形容できるのだが、あの切り返しだけはあまりに凄まじく、ホラーと呼んでしまいたいくらいである。それは『散りゆく花』のなかでグリフィスがリリアン・ギッシュに向けた視線に近い感覚の何かであり、それは様式美であり、愛である。さて、小津の一作品を論じる意味があるのだろうか。小津とは反復であり、心地よい音楽であり、様式美である。娘を重宝しすぎた父親と、沢庵の切れない(嫉妬深い)婚礼期を過ぎた生娘の物語はあまりに中庸に始まり、凡庸な結末を迎える。だがそれを心地よく反復される台詞と仰角の、または特権を与えられる切り返しの、ほんの少しの恐怖が「映画」を形成してしまう。小津はマニエラであり、マニエリスムである。ミケランジェロであり、カラヴァッジオでもある。普遍的であり畸形であるのだから畏怖する以外仕方がないではないか。
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:01:23)(良:1票)
2.  blue 《ネタバレ》 
魚喃の描く線は細い。いや実際は筆圧の強い画風なのだがその潔さゆえに細くさえ感じられるその線と、限りなく排除された背景はそのある種の詩的世界を構築しているし、その細い線で描かれた人物の顔は豊かであり個性を持ちながらも、ある種の匿名性を帯びている。「遠藤」や「桐島」は単なる記号に過ぎない。記号に過ぎないからこそ、その名前が発された時そこには虚しさの空白が流れ込み、また自らを混同せずにいられないのだと私は思う。 さて映画はどうだろう。ここでの問題はもちろん市川実日子なわけだが、私はこの顔を見せられた瞬間「桐島」が記号ではなく名前になるのを感じた。美的感覚ではなく詩的感覚の問題である。 だがまぁ魚喃の言うようにこの作品は双子ではなく“いとこ”か“はとこ”なのだから仕方ない。独立した個としての評価に移るとしよう。市川実日子を採用した理由は間違いなくドラマティック性の拡大にある。つまり桐島と遠藤との関係性に見た目にも明らかな優劣を施すことによってその関係性の変化(厳密に言えば入れ替わり→変化)を強調するためである。そしてそれによって桐島が絵画に打ち込むという新しい情動を生み出し、岡崎京子から引用したと思われる庭での水撒き、浄化という素晴らしい映像言語的展開にも立ち会えたわけであるから、個として捉えた場合あながち外れた選択でなかったことは確かである。加えて、対比を求める強い嗜好がこの監督にはあるのだろう。極力自然光で撮影された画面は黒を強調させ光を共存させる手法であるし、固定を軸にし長回しされるカメラと間の豊かな会話の静けさを明らかに強調するサウンドトラック(雑音)、といった具合である。その数々の対比は機能し合い、映画として完成されていたわけだが、最後に至ってその執拗なまでに貫いてきた対比の法則を捨て去るところがこの監督の度量というか、素晴らしいところである。あのホームビデオのブルーはそれほど巧妙に観客の脳に焼き付き、原作blueの冒頭の一節をまるで海が映像言語を持って語らしめてしまっているかのようである。   “濃い海の上に広がる空や 制服や 幼い私達の一生懸命な不器用さや      あのころのそれ等が もし色を持っていたとしたら それはとても深い青色だったと思う。” 
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-12-29 02:38:04)
3.  空中庭園 《ネタバレ》 
あまりに似つかわしくないランプシェードを円の動きで捉え続けるオープニング。カメラ自身も回転しながら団地を映し、バスの上から見る街並みを、丸い観覧車を、そして人物を取り囲むように映す。円は恐怖であり、穏やかさであり、輪廻であり、螺旋である。遠くから近づくバスを待つ固定ショットのコーナーにはタンポポがあったりだとか、光の配し方だとかカメラワークだとか、まるで学び始めたばかりのような厳密さがあり、洒脱さに欠け、退屈ではあるのだが、しないよりはマシというのも事実なのだから仕方がない。また小泉の二面性を表すフォークのシーンや、変化を表す「死ねよ」という言葉も私にはその裏切りの展開や方法論が何とも凡庸に感じられるのだが、何とも嬉しいことにこの作品には何とも素晴らしい「映画的帰結」が詰め込まれていた。秘密のない家族、秘密のある事実。母親の愛情不足の所為で人生が狂ったという思い込みの認識と注がれていたという事実。いま中で出して卵子に精子が届けばすぐに家族になれちゃう事実、思ったよりも簡単に気付かないところで愛は生まれているという事実。母親からの「誕生日おめでとう」の電話で思い込みから解放される小泉。ベランダに出て、血の雨を受け、浄化される小泉。泣きながら血まみれで産まれてくる赤ん坊のように、血まみれで泣き叫び、生まれる。何とも映画的ではないか。これでいいんだ。この豪腕さが、映画なのだ。 
[DVD(邦画)] 7点(2006-12-29 02:21:51)(良:1票)
4.  カミュなんて知らない
食い入るように観る。それは物語の高揚によるものではなく、映画の高揚によるものであることを知る。映画が映画であり、映画の魅力とは映画の魅力であったことを思い出す。ゴダール・ウェルズ・アルトマン・溝口健二・サイコ・メルヴィル・ラング・ベニスに死す・・・言葉で捧げるオマージュは容易であり、軽薄である。だが柳町光男は意思継ぐものとして作品を捧げてくれたのである。単体として捉えた時、長回しはたかが技術と努力であるし、クレーンショットや陰影の美しさ、エロスの質感や瞳の水気は単なる細部の豊かさに過ぎない。だが細部の豊かさを徹底することが映画にエモーションの連続性を与え、映画的サスペンス体験の緊密性を保つのである。そしてそういった才覚と人柄に恵まれた作家こそがシネフィルの眼に耳に脳に焼き付く決定的なショット、シーン、シークエンスを生み落とすのである。正常と異常の話が面白いのではない、それを映画の魅力に変換しているから面白いのだ。まずは陰鬱さから距離のあるはずの大学の集団に正常と異常を多岐の関係性に渡って溶け込ませ、果ては、異常と正常の関係性であるはずの映画と営みの境界線を取り除く。感嘆すべきはその関係性の構造であり、語り口の構築である。それこそが映画を魅力的にし、たかが話を面白くしているのだから。 
[DVD(邦画)] 9点(2006-12-29 02:19:07)
5.  さらば箱舟 《ネタバレ》 
田舎者にしか出せない感覚。 この映画には整合性が無い。欠落しているのではなく、欠落させている。整合性を持たない均整。狂った地点での均整。演出への自信。下品を恥じない演出。時計の魔術、時間の喪失、貞操体、健忘症、死者の穴、血筋、抜け出せない田舎、100年遅れた田舎、モノクロ、緑、音色。全てが土着的で田舎臭くて洗練されている。田舎と都会を兼ね備える者にのみ奏でられる協奏曲。消え去る田舎、連れ去る都会、消え去る時代、消えざる写真。笑えない驚きとの感動的出会い。
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-09-24 12:17:21)(良:1票)
6.  田園に死す 《ネタバレ》 
田舎を、田を、畑を母を、切り離そうと考えるばかりに、土着的な人格、習慣や因習を卑しいものと捉えすぎる、また作品内に取り込みすぎている嫌いがあるが、それもまた寺山の回帰への抵抗と考えれば可愛らしいものである。 過去を捨てるということ、過去があり現在の自分があるということ、記憶(映画)の中で母を殺し、故郷を捨て現在の自分と異なる自分を求めたこと。思い通りに動いてくれない20年前(記憶の中)の自分、映画(記憶)の中ですら田園を捨てることのできない寺山、少年の童貞を奪うことで父なし子を捨てさせられた復讐となし村を捨てようとする女、息子を捨てない母、世を捨てる男女。 雛壇は川を流れ、空の色は明暗を彷徨う。暗闇で映えるタバコの煙。支配する赤。支配する舞台装置。新宿区新宿字恐山。魔術はまだ完成を見ぬが、それでも尚頭一つ抜けた演出の才。寺山修司とは、事件である。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-09-24 12:15:39)(良:1票)
7.  ビジターQ 《ネタバレ》 
いじめ、家庭内暴力、薬物、援交といった現代の最小問題として想起され易い社会問題を単なる契機として、死姦、膣痙攣、母乳飛ばし……俗的な、あまりに俗的な欲望を悉く観る者の視聴覚に提示する。カメラを向ける前からそこにあったかのようなこの世界観の構築はホークス的でもあり(笑)、『ピンクフラミンゴ』や『ソドムの市』よりも断然肉欲に忠実である。三池如きを厚遇するのは大いに気が退けるのだが仕方があるまい。これは究極に俗的なSM作品である。
[ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-24 02:31:00)
8.  裸のランチ 《ネタバレ》 
グロテスク趣味のセンスの悪さとユーモアは高く評価する。だが映画から伝わってくるものは、作家の精神異常性、苦悩、なにか得体の知れない外的な力に人間は支配されているという感覚、ぐらいである。これらの現象って全て一つの言葉で説明がついてしまうやん、“ドラッグ”って言葉で。神格化しすぎじゃない?―――そもそも自分はウィリアム・バロウズの大きな特徴であるカットアップという技法が大嫌いだ。筋肉自慢してくる先輩と同じくらい嫌いだ。文をランダムに羅列することで神秘性が増し、新しい意味を示唆しているかのように感じさせる、っておれにはやっつけとしか思えない。本人も分かってないくせに。無意識に訴えかけるという効果は認めるけど・・・まぁ洗脳術の一種やね。バロウズをもっと知っていれば楽しめるエピソード満載なのかもしれないけど、縁のない映画。
[DVD(字幕)] 3点(2006-04-22 05:49:57)
9.  人情紙風船 《ネタバレ》 
無頓着で気楽な平民の日常と極限に厭世的なテーマとが織り成す無常観。 髪結いのプライドと浪人のプライドが一つの夜にそれぞれの終局を迎える。それぞれの短刀が光る。プライドなんて持ってはいけない身分の二人が必死こいてかっこつけた結果は・・・コロ・・・コロコロ・・・コロ・・・ス―――――――。語り継がれるわけでもなく、理解されるわけでもなく、長屋ではただ日常が続く。。  本作を語る上でどうしても避けて通れない特徴が画面の奥行きへの徹底。どんな路地でも人物を奥から手前へ、手前から奥へ歩かせ、画面の奥には何の関係もない人物を映り込ませる。長屋での新三の部屋が角部屋という設定も奥行きを出すための配慮だろう。その思惑は見事に的中し、長屋の逆側から映すカメラが人の行き交う長屋の様子を冷静に映し出し、その空気が画面を越えて運ばれてくる。 些細な出来事を通して主要な人物から長屋の人間一人一人にまで命を吹き込んでゆく人物描写力も言うまでもなく見事。傑作の名に恥じない出来映え。
[ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-20 05:32:59)(良:1票)
10.  大人の見る絵本 生れてはみたけれど 《ネタバレ》 
小津のトーキー作品はリズム感のある台詞が一つの魅力だが、台詞がないどころか音楽もない本作であってもカットやカメラワークや笑いがリズムを感じさせてくれる。子どもにとって父親は誰よりも偉いはずの存在。そんな父親が友達の父親に頭を下げている姿を見て偶像破壊によるショックを受ける子ども。自分の拙い人生を子どもに指摘され、さらには非難される父親。――父「お父さんだってこんな風になりたかったわけじゃないんだ・・・なりたかった訳じゃない。・・・しかしだな、しかししょうがないんだよ。人に頭下げながらでも働かなくちゃならんのだよ」―兄「やだぁい、やだぁい。そんなの分かんないやぁい。そんなのやめてしまえやぁい」―弟「やめちゃえやめちゃえ」―父「お前達の為でもあるん・・・」―弟「やめちゃえやめちゃえ」――そんな会話が脳内で繰り広げられる。最後には大人の世界を少しだけ理解する兄弟。些細な幸せを守り続ける父親。人生における最大の問いに向き合う親子をミニマムに映し出した、紛れもない傑作。
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-18 06:00:52)
11.  兵隊やくざ
戦争を皮肉った作品は数多あるが、兵隊やくざほど痛快な作品を私は知らない。義理深く力強い大宮はいささか漫画的ではあるが、設定がここまで脚本に活かされていればそんな些細なことは気にならない。上官は神、制裁は当たり前のこの場所で大宮二等兵と有田上等兵のコンビはどうにか痛快をやってのける。大宮一人ではどうにもできない。有田上等兵一人でもどうにもできない。大宮が暴れ、メガネが右往左往するからこそ砲兵とも炊事班とも喧嘩できた。余裕ではない、楽勝ではない絶妙なバランスに興奮させられる。下らない戦争に、下らない軍隊に、無意味な死に、天皇に、国に無条件降伏しなかった二人。こうありたい。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-04-17 22:06:53)
12.  誰も知らない(2004) 《ネタバレ》 
嘘くせ。何このファンタジー。いや別にいいんで、再現VTR作ってほしいわけやないし、作る気もなかったんやろうし。けどさ、それやったらわざわざ“実際に起こった事件をモチーフにしています”とか言うなや。いや、別にいいんで、実際の事件をモチーフにしながら加工しても。けどさ、それやったらリアルに作ってくれな、本気で考えてくれな。男コロコロ変えて、ポロポロ自宅出産して姿くらます母親があんな優しいわけねぇやん。ほとんど怒りもせんで、子供大好きで、面白くてしかも可愛い理想的な母ちゃんなわけねぇやん。子供にも辛く当たるやろ。子供からも慕われたりせんやろ。子供が従順に家から出ないってのはよっぽど恐かったけんやろ。で、何?小6の長男の力強く優しいリーダーシップのもと4人兄妹健気に母ちゃんを待ちながら苦しいながらも一生懸命生きていました?4人ずっと一緒にいられるように誰にも頼らず頑張りました?頭の中お花畑でいっぱいか。それはそれで都合よかったからに決まっとんやん。特に長男。学校には行かんでいいし、家の中では支配的地位におれるし、料理も作らせればいいし、殴ったりして気持ちよくなれるし、やりたい放題やん。社会的制約もない、常識もない子供がどんなことするかくらい想像できるやろ。いや、たしかに監督はそもそもリアリティなんかどうでもよくてファンタジーが撮りたかったんかもしれん。じゃあ何を考えてほしかったんやろ?“ほんと犯罪者って不可解やな~”“いろんな愛の形があるんやな~”“子供って健気やし、結構しぶといな~”。。。こんなこと考えさせて何になるんやろ。是枝印のリアル会話と、「アントニオ猪木は学校行ってないでしょ~」に1点ずつ。確かに映画監督にはリアリストという選択肢があるが、こうも卑賤に映画に心理を、似非現実をいかにも現実のように提示することには腹が立つ。飽くまで映画は虚構であるのに現実の社会問題によって、つまり外部によって映画を得ようとしたりするからこういった駄作が生まれ、また無視すればいいものを、こうやってあまりにも退屈な社会派風な感想を書くことになってしまい、赤面することになる。
[DVD(邦画)] 2点(2006-04-16 05:30:21)(良:3票)
13.  切腹
泰平の世が訪れ、武士の多くは浪人へと成り下がり、衣食を憂う。事象の成り行きは全て均衡へと向かい、一定を保つ。疎から密へ、密から疎へ。上がるものあれば下がるものもある。だが、人はそのことに気付かぬフリをする。均衡を崩す者現れれば、世迷い事と切って捨て、かろうじて一定を保つ。津雲半四郎に武士の誇り、武士の魂が宿っていたわけではけしてない。彼は建前を捨て、鎧を纏わず、ただ本質を追求し、真実を見せ付けたに過ぎない。誤読された賛美を受けていることに対して監督はどう感じているのだろうか。“竹光での切腹”、“お預かりしていたものをお返ししましょう”作られすぎた世界で真実を暴く。もしかすると驚異的な作品なのかもしれない。
[DVD(邦画)] 9点(2006-04-16 05:02:13)
14.  近松物語 《ネタバレ》 
モノクロ映像の到達点。あまりに全ての画が美しすぎて、あまりに全ての画が完璧な構図すぎて、メリハリに欠けるような気もしないではないが、とにもかくにも素晴らしい。溝口・宮川・永田の3人が揃うと誰も届かない領域まで達してしまう。近松門左衛門原作のストーリーも素晴らしいが、これは当然現代劇に置き換えては味を失う代物。時代考証が色濃く反映されてこそ見応えのある代物。彼らの技術・こだわりなくしては到底実現され得なかった奇跡的な作品。庶民はあたりまえのように奉公をし、その上には役人が控えている時代。家族のため、先祖のため、大恩のため、忠義を何よりの美とする時代。主人の傲慢さを見限った二人が美しく、醜く、繊細な恋に落ちる。香川京子が土まみれで「茂兵衛~!茂兵衛~!!ヴぉへぇ゛ぇ゛~!!!」と泣き叫ぶ。素晴らしい。
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-15 20:02:15)(良:1票)
15.  修羅雪姫(1973) 《ネタバレ》 
作品の質を正しく自覚すること。ほとんど見たこともない親の敵討ちをするため、ひたすら修羅の道を行く。このアホらしさをアホらしいと認識すること。そしてアホらしい大袈裟な演出で突き進む。なんか知らんけど協力してくれる和尚は鬼みたいにシゴいてくるし、血ドバーッやし、修羅雪姫めっちゃ小ギレイな身なりやし、ってか10回ぐらいコスプレしよんし。恨みの連鎖を美しく面白く映し出した、娯楽センスが溢れ出ているような作品。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-04-15 19:39:16)
16.  六月の蛇 《ネタバレ》 
塚本晋也の良さがこの作品のなかに凝縮されている。相変わらずの白黒、だが少し青色を入れたのは梅雨の水のイメージだろうか。簡単に言えば3匹のカタツムリが殻を破り(自らを解放し)蛇になるというもの。やりがいのある仕事に就きながらも充足は得られず、自慰行為を繰り返す女。カタツムリであり続けようとする彼女では低く安定してしまった潔癖症の夫との愛を打破することはできない。ガン末期患者でありながら悪戯好きなカメラ小僧の塚本によって女は徐々に自分の底にあったものを解放する・・・。作中エロスの連続だが実際のエロス(?)は最後のみ。もちろんエロいが、女が激しく服を脱ぎ被写体となるあのシーンはただただ美しく切ない。不必要と思えるカットがないとは言えないが、とりあえずキャスティングと美意識と自意識は天才的。
[DVD(邦画)] 9点(2006-04-15 15:24:09)
17.  竜二 《ネタバレ》 
ヤクザのくせに少し優しい竜二。「なんか最近不安になる。そんなに金もいらねぇしなー」と言い、フラッとヤクザを辞め、離れていた娘と女と幸せに暮らし始める。でもヤクザもんはどこまでいってもヤクザもん。女房が肉屋の安売りに並ぶ姿を見て涙。ようやくスター街道を歩き始めた金子正次。公開から三ヶ月で逝去した金子正次。すげーかっこいいやん
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-15 15:11:11)
18.  MIND GAME マインド・ゲーム(2004) 《ネタバレ》 
人間の想像力・表現力ってほんと限界がない。ベッドシーンでさえ、あの楽しさ・開放感・美しさ。。吉本芸人の安ーい声に序盤は萎えかけたものの、現実味を与えるという意味においては適役。3人の理想と現実の夢想、姉が殻を破るシークエンス、一瞬映るグッさんのヅラ、牛乳エピソード、タイムボーイの時間が戻るところ。チラ見させるギャグは冴え渡り、音楽は作品と一体となり、脇役に至るまでキャラ設定が秀逸。ダサいくらいにポジティブで、格好悪いくらいに単純に突っ走る。面白く生きるってきっとそういうこと。人生の儚さ・虚しさを吹き飛ばそう吹き飛ばそう、前進しよう前進しようと抗うこのファンタジーを完璧に映像化したスタッフにただただ感謝。
[DVD(邦画)] 10点(2006-04-15 14:33:53)
19.  細雪(1983) 《ネタバレ》 
いやーよかった。大阪弁でおっとりした吉永小百合も石坂浩二も。皆さりげない演技で心地がいい。そして失われてしまった日本らしさがこの映画の中にはある。人も家も服も道具も変わったいまの日本の良さって何があるんやろ。ふと自分の部屋を見渡して情緒の欠片も見つからないことに驚いてしまう。とまぁ危うく懐古主義に陥ってしまうぐらいの作品。全編通じてユーモアのセンスも良く、色使いもなかなか。作品としては140分で一段落ついたものの、昭和13年というとこれから戦争が激化するわけで、観終わった後になんともいえない哀しさが残る。唯一、最後の雪はもっと綺麗に撮ってほしかったけど
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-15 13:17:49)
20.  飢餓海峡 《ネタバレ》 
設定自体はとりわけ複雑ではないが、貧困、不信、疑念、執念、感謝、後悔、と多くのエッセンスが詰まっていて3時間と言う長尺も充分納得できる内容。特筆すべきは、保身への葛藤から八重を殺してしまうシーン。巻き込まれたのではなく実際犯してしまった罪への後悔、愛情が画面に溢れている。やたら陽気な八重ちゃんに笑ってしまったり、貧乏な刑事に違和感を覚えたりしてしまったが、この映画が火サス系サスペンスの頂点にあることは自分の中で変わらない。そんなジャンルねぇよ、と怒られたとしても、自分の中で、変わらない。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-04-15 12:51:22)
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