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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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【製作国 : 香港 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  さらば、わが愛/覇王別姫
最初のうちは、監督初めての失敗作かと思った。向いてないことをやってんじゃないか、とか。でも中華人民共和国成立以後の部分はピリピリと締まってて、振り返ってみてやはり傑作の部類に入る作品だろうと思った。惨憺たる中国の近代史。その惨憺たるさまを惨憺たるままに描いて、一片の希望だに見せず、ひたすら滅亡の歌を奏でていく 。京劇の滅びに、古代の覇王の滅び、さらに現代における人が人らしく生きる環境の滅びを重ねて、崇高でさえある。主人公の人生は少年時代の訓練から陰惨さを反復する。強制的に男であることを忘れさせられ、錯覚の中に生きていくことを強いられる。競って愛国者を演ずることになる20世紀中国の群衆と、女形を演じ続ける彼との対称。陰惨である。その陰惨は文革の人民裁判にまで持続していく。この監督にそもそも悲劇志向があるのか、それとも中国の伝統なのか。陰惨だけれども極彩色の壮麗な悲劇に仕上がった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-11 09:57:08)
22.  天使の眼、野獣の街 《ネタバレ》 
あんまり伏線がカッチリ組まれていると息苦しくなるものだが、場当たり的なシナリオの映画が続いた後に観ると、その息苦しさのほうが嬉しい。オーソドックスな歩く刑事の捜査もので、これまたオーソドックスに師弟もの。シナリオもオーソドックスに伏線で組み上げられている。追跡中に路上で殴られている男を放置したことが心に引っかかっていた新米は、後段で負傷した警官を介護し追跡を放棄する。冒頭の犬頭のテストが、レオン・カーファイによって反復されていく(一番ドキドキするとこ、「子豚」の普通の女の子っぽい表情が、想像される彼女の内心と擦り合わされて、緊張を生む)。犬頭の小話。頚動脈の因果応報。などなどが作品を支える網の目になっていて、その網の目の細かさがうるさく感じられるギリギリのところ。殴られていた男の再登場は、ちょっと話をゴチャゴチャさせ過ぎている気がするが、偶然と必然が渾沌としているような街だから、まあいいだろう。雨が上がるとこ。傘がたたまれ視界が開け、追跡が再開され、音声では犬頭の小話が続き…、ここらへんのオーソドックスぶりに、一作目はとにかく基本に徹してみよう、という監督の姿勢が感じられ、嬉しい。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-24 12:14:28)
23.  ポリス・ストーリー/香港国際警察
この泥臭い騒々しさには、どうしても馴染みきれないものがあるのだが、格闘シーンには心底ホレボレする。どの国のアクション映画の格闘シーンより、香港では接近して争ってるように見えてしまう。ほとんど組体操、高度なダンスのよう。戦う者の間の空隙を、一生懸命手足で埋めているような感じ。たとえば日本のチャンバラがしばしば主人公一人の日本舞踊であるのに対し、あちらはちゃんと、格闘というものの複数性を生かしている。そのキビキビした直角的動き。ラストのデパートなんて、うっとり見とれてしまった。ただショーケースがあるものだから、どうしてもやたらガラスが割れることになり(そうい売り場を選んでる)、あのハデな粉砕感は音楽で言えばシンバルの一打ちなわけで、あんまりやりすぎると効果が薄れる。見せどころのふきぬけの落下を反復するのも逆効果。見せどころは一回こっきりで、あとは観た者の脳内で「すごかったなあ」と夢のように反復させるものだ(でもこの3回繰り返すサービス過剰ぶりに、きっと香港映画の中国料理的しつこさの濃ゆ~い味わいがあるんだろうな)。車の崖下りやバスでのぶら下がりなども見せ場だけれど、アトラクション気分が強く、かえって電話番しているときのコント的エピソードのほうにアクションの楽しみを感じた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-12-02 10:18:38)(良:1票)
24.  酔拳2
場所と小道具にいかに工夫を凝らしてヴァリエーションを展開出来るかが、この手の作品の命。たとえば列車、屋根かと思わせといて車両の下に潜ってみる。そうか、列車とか工場とか、活劇の舞台ってのは20世紀的機械の世界を背景にすると映えるんだな。映画と同時に誕生した機械の世界同士。小道具としては例えばハンドバッグ。相手の顔に一度預けて殴ってから戻す、などが楽しい。あるいは酒ビンであり、竹であり。竹がササラになってて、膨らませたとこに相手の手を突っ込ませて戻す、とか。敵の武術家の足がまっすぐ天に伸びるキレのよさ。たぶんこのころだって、ジャッキーはもう40なのにたいしたもんだなあ、と言われていたはずだ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-10 11:54:37)
25.  哀戀花火
ちょっとの火も危険と靴を履き替えさせられる花火工場、なるほど、ここぐらいメロドラマの舞台にふさわしいスリリングなところはあるまい。女主人は視線をそらして絵描きに話しかける。愛の火花が散っては危険だからだ。でも番頭との間には摩擦熱も生まれつつ、あぶないあぶない。恋愛映画はスリリングなのである。恋の発生の危険が現実の発火の危険と重ねられる舞台設定が秀逸。しばしばメロドラマが戦争を舞台にするのも、危険が満ちているからだろう。でも無粋な爆弾工場より花火工場のほうがロマンチックである。ちょっと役者(とりわけ男のほう)が物足りなかったか。黄河の両岸からの花火合戦よりも、そのあとの煙のたゆたいが美しかった。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-30 11:57:25)
26.  レッド・ブロンクス 《ネタバレ》 
ホバークラフトとバスの間に挟まれそうになって、すべってもぐって、乗用車の寸前に落ちる。いつのころからか車がぶつかるのが「アクション映画」になってしまったが、その車と車の間を生ま身の人間がピョンピョンするってのが本当の「アクション映画」だ。キートンにしろロイドにしろ、昔っから画面の中央には人間が動いていなけりゃならなかった。ジャッキー・チェンが正しい。前半は町のチンピラのレベル、後半になってより大きな犯罪組織が相手になっていく、っていうレベルの上昇も正しい。映画の中で缶詰が積んであると、それは必ず崩されなければならないってことも正しい。
[映画館(字幕)] 6点(2010-03-19 11:53:30)(良:1票)
27.  新宿インシデント 《ネタバレ》 
終始憂い顔のジャッキー・チェン。コミックアクションスターからの転身をはかっていて、ここは今までの作品歴をすっかり忘れ、知らない俳優として見てやるのが礼儀だろう。日本でも喜劇役者がある時期から地味な辛抱役に変わることは多く、ましてアクションは加齢にくる。チェンジが必要だったのだな。それにしても回想の初恋シーンをそのままで演じられるのだからすごい(55歳。ブルース・ウィリスより年上!)。映画としては、最初のほうの不法入国者の目から見た東京が、けっこう新鮮だった。街は宝の山に見え、かえって平凡な住宅地の風景が刺々しく見えてくる。ゴミにたかる烏さえ不法入国者の目を通すと、「虚飾の繁栄」とでもいったタイトルが付いて見えてくる。ただ後半、やくざ組織の話になると、そういう面白さはおおむね消えてしまった。気の小さい仲間、阿傑の甘栗屋からの展開が、脇筋として支えている。90年代アタマの新宿が舞台ってことなら、ちょうど大沢在昌の小説「新宿鮫 毒猿」と重なるころ。あの夜の新宿御苑の争闘を香港映画で観てみたいと思うが、ケツの穴の小さい当局は撮影を許可しないかも知れない。大久保駅(それもセット?)が限度か。
[DVD(字幕)] 6点(2010-03-11 11:59:40)(良:1票)
28.  南京の基督
日本人役を中国人が、中国人役を日本人が演じることで、何らかのつりあいを取ったのだろうか。つまりそうやってつりあいを取らなければならない微妙な要素が、この話の要にあったのだろう。やっぱり男の側の物語だったということか。「歯車」なども加え、また「蜜柑」のイメージもあり、しかしその分、一本の映画としてはへんにフヤけてしまった。キリストのモチーフが弱まったのだな。基本構造は鴎外の「舞姫」的であって、芥川の原作、こういう話だったかしらん。日本の文士が海外を捉える一つのパターンだけど、ヨーロッパと中国とでは裏返しになり、文化の先進地ドイツへ医学を教わりに行ったものと、中国から日本の病院へ連れてこようとしたものとの違いが出る。この上への目線と下への目線の狭間に自国を認めたことが、日本の近代史を暗くしていってしまったのだけど。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-21 11:57:17)
29.  トウキョウソナタ 《ネタバレ》 
こんどは普通のホームドラマだ、って聞いてたから、最初のうちは「粗雑なシナリオだなあ、そんなリアクションはないでしょ普通」などとブツブツ言いながら見ていたが、失業友だちのエピソードあたりからか、「これいわゆるリアリズムじゃないのだな」と分かってきて、途中からちょっと守備位置を変えて鑑賞した。だから役所が出てきても、そう驚かないですんだ。広い意味でのファルスというか。このタイトルは小津の『東京の合唱』を意識してるんだろう。あれも苦いコメディだった。戦前の大不況期の失業家族のドラマを、今回の平成の不況に読み換えていく(子どもの病院行きが共通し、トイレの札束もボーナスシーンを思い出させた)。あっちはラストで“合唱”に至ったが、こっちは家族がばらばらに“ソナタ”という独奏曲を奏でた果てに、三者三様の朝を迎え、とりあえず肩を寄せ合って終わる。でも流れる曲はまだ朝には至らない「月の光」だ。あの時代も現代も、家族ってものは隠し事をする対象であり、また踏ん張る力を与えてくれるよりどころでもあると、変わっていない。ショッピングモールから発進する役所・小泉の車を追って併走するカットや、住宅街のたたずまいのノッペリとした気味悪さなどに、この監督の味。香川照之の赤いネクタイは、作業服の予告でもあるが、同時に朝日の希求でもあった、と思ってやりたい。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-08 12:04:44)
30.  エグザイル/絆 《ネタバレ》 
冒頭、男たちが黙って適度に配置されていくあたりが、もうこの監督の味。ドンパチよりも、そこに至る静けさの緊張が楽しい。レストランの場もそうだが、ここでは冒頭と違って広さが別の趣向となる。ヤミ医者のとこでのドンパチは滑稽味を加え、その後の悲痛と対照させている。金塊強奪の場に遭遇してのドンパチでは、ただ直立して撃つスタイル、ここも狭いヤミ医者の場の次ということで広さが対比される。繰り返されるドンパチでもいろいろ変化を持たせているわけだ。ここで絶対にドンパチが起こるぞ、と最初に映った段階で見ている者に確信させる吹き抜けのあるホテルで、ちゃんとラストでドンパチになる。ここも実際のドンパチより、その開始を告げる空缶のキックパスがいいわけで、『ザ・ミッション/非情の掟』の紙屑を思い出さずにはいられない。男たちの連帯。これをやるのならその前のちょっとクサい酒びんを渡しあうシーンは必要なかった。香港の密度と比べてマカオはいくぶん空気が拡散的で、話も中盤まとまりがほどけかけたような気がする。そのかわりポルトガルを経由してか中南米的なトーンが入ったのは、新味。ストーリーもややヒロイック度が過ぎてしまったようで、微妙に湿度が高めだ。
[DVD(字幕)] 7点(2009-09-05 11:55:46)(良:1票)
31.  シクロ
最初はリンタクに靴みがきでデ・シーカの世界に近いのかと思っていたら、何かギラギラしたものが出てきて、どちらかと言うと初期の大島渚か。俯瞰。この世間を離れた裏稼業のやくざの目で、あくせく働く表の庶民を俯瞰している。近代的なビルが建ち並ぶ下を、健全なシクロ一家が抜けていくラスト。おそらくそれに嫉妬する無垢な少年時代の「詩人」が見下ろしているという感じ。構造自体はグレかけたけどグレなかったのと、グレたのを恥じつつ死んでいくのと、というオーソドックスなものだけど、その彼らのまわりで「現代」がぐんぐん広がっていく圧迫感が描かれていた。タイヤの空気入れの仕事してるじいさんのとこに、まちがって体重計が届き、ならこれで商売してみようか、なんてエピソードがいい。あと、ベトナムにだって変態はいるんだ、ってこと。ああいうのはとかく高度資本主義社会のひずみとかで片づけられるけど、人の社会があるところ変態はちゃんといるんです。女親方の顔もよかった。それと色に意味づけがあったみたいで、黄色、赤、青などが象徴的に画面を彩る。熱気がこもってて表面はひんやりしている怖さ、みたいのがある。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-01 11:57:32)
32.  インビジブル・ターゲット 《ネタバレ》 
アクションシーンが多ければアクション映画は充実するのか、っていうとそうでもなく、なにか空回り感が生まれてしまう。緩急のリズムが大事。といってもこれが見る人それぞれで、難しいのだろう。私には詰めすぎに思えた。そのアクションもやたら爆発で、あれ派手で景気づけにはなるけど、そのわりには索漠感もあるのよね。かえって町中での高低差のある追っかけに香港映画ならではの力が入っていた。あるいは酒場でのチンピラとのケンカ。アクション自体はチンピラが青竜刀振り回したりして、やっぱりちょっと索漠系なんだけど、3人のチームが出来上がる段取りという意味が裏打ちになっていて、あとの2人が加わっていくあたりがワクワクさせてくれる。なにも映画でハッとさせるにはアクションばかりが必要なのではなく、たとえば「バスが爆発しない」というとこも、反アクションとしてハッとさせることが出来た、ここも悪漢の心が見えてくるという裏打ちがあってのこと。そこらに比べるトラストは長いわりに大味、火の粉が振りまかれるとこはきれいだった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-07-06 11:59:44)
33.  ファイナル・プロジェクト 《ネタバレ》 
クールで泰然自若としたアクションスターの系譜もあるが、ジャッキー・チェンは、オロオロしながらコトを為していくキートンやロイドの喜劇の系譜の人で、水中カンフーなどどうしたってキレがなくなるのを、逆手にとってギャグにしてしまうのが偉い。サメはじっとしていると襲わない、というネタで、闘っていた二人がサメが近寄ってくるとそのままジッと停止するおかしさ。あるいは血の匂いを出さないために、傷を受けた指を口にくわえる、その合い間には酸素ボンベの口を取り合ったりと無駄がない。ほかにも、タケウマをしたままのケリを何度かやって、はずした後も長いつもりでケリを空振りする、とか。このころは年齢的にアクションは厳しくなってきているのに、それをカバーしようという工夫が随所に見られて、けっこう感動的だった。白装束白マントの悪漢どもがスキーで追いかけてくるあたり、ああ悪漢とはやはりこうでなくちゃならない、と懐かしい興奮が胸に満ちたものだった。
[映画館(字幕)] 7点(2009-06-10 12:07:38)(良:2票)
34.  太陽の少年
年上の女性への憧れを軸にした、少年の成長ものの定番みたいな映画だが、エピソードの一つ一つがみずみずしい。望遠鏡で覗き、また反対側からも覗いてみたりして、世界が近づいたり遠のいたりする。世界との距離感の不安定な思春期。屋根の上をさすらうシーンも印象的だった。これの興味の一つは中国の文化大革命時代の悪童ものというところで、大人にとって悪い時代ほど子どもにとっては自由だったりする。世の中を批評する暇も惜しむほど、悪ガキどもはいそがしかったのだ。リービ英雄の小説「北京越境記」に文革の“黄金時代”を懐かしむ若夫婦が出てきて、子どもにとっては上の世代を罵倒できたりして“ハレ”の気分で過ごせる祭りの日々だったんだなあ、と思ったものだが、でもこの映画のガキどもは、エリート軍人の子どもということで、日本の“太陽族”にも通じる「いい気なもの」って感じもちょっとある。つまりあの時代の中国の子どもと言っても、みんながみんな毛沢東語録持って興奮して紅衛兵やってたわけではなく、その興奮の隙間で純粋にグレていられた恵まれた子どもたちもいたということだ。 
[映画館(字幕)] 7点(2009-05-07 12:05:56)
35.  ミラクル7号
NHK教育テレビの低学年向き番組に、棒で操作する人形としてでも出てきそうなチープなキャラクターで、それを丁寧なCGで見せるところが本作の趣向。私が子どものころは、合成画面と言えば、まだ人物の輪郭がブヨブヨ揺れていて、それでも無邪気にオーッと思っていたものだった。それがどんどん進歩し、『ターミネーター2』とか『ジュラシック・パーク』あたりかなあ、一応完成と言える段階になった。その後も更なる洗練は続き、現在ではゴキブリや飛び散る便まで描いてしまう。もう特殊撮影があっても驚かなくなっていたことに、この映画を見終わって驚いた。これの見どころは、いかにもチャチな、棒で操作するにふさわしいおもちゃのようなモノが、細かな表情をしたり滑らかな動きをするところで、考えてみればずいぶん屈折してきたわけだ。これまで人形を人形らしく見えないように努力を重ねてきたのが、今ではわざと操り人形らしく見える人形を滑らかに動かすところに至ったわけ。SFXの行き止まりなのか、更なる洗練の道が続くのか、越し方行く末に思いを馳せてしまった。話のほうは、大げさなドタバタと、涙涙の人情ドラマとがくっつく香港テイストたっぷりのもので、嫌いじゃないけど魂が震えるとまではいかなかったなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-13 12:17:13)
36.  ラヴソング
大メロドラマの醍醐味。まず、このころの香港情勢があって、大陸から香港へ、香港からアメリカへ、という中国人の流れがあった。戦争などと比べれば穏やかなものだが、やはり一種の激動期、メロドラマの背景にふさわしい。そこにもう一つ、テレサ・テンの文化圏としての香港と、ウィリアム・ホールデンの『慕情』の文化圏としての香港との拮抗が重なる。そういう混淆の物語は、ラストでテレサ・テンの歌がニューヨークに流れて決まりをつけるわけだ。この二人はどちらも大陸から来て香港に根を下ろそうとしていて、いわば戦友のような感情で結びついている、それがいいなずけには乗り越えられないものだった。友だちよ、友だちなのよ、と釘を刺しつつ愛が深まっていくあたりがいいの。だんだんと沈黙が濃くなり、寒いからと重ね着させてボタンをかけ…、なんてあたり。すれ違いもちゃんとあり、これはかなり堪能できたメロドラマだった。
[映画館(字幕)] 8点(2009-03-11 12:13:10)(良:2票)
37.  ナイス・ガイ
このころのジャッキー・チェン映画は、あきらかに体力的に峠を越している彼がどこまでやれるか、という興味でつい見てしまうものだったが、けっこう期待に応えてくれていた。前半が特に立派、ただし後半はさすがに息切れ気味で、最後の見せ場が大型トラック頼りってのがちと辛い。一つのアクションシーンを撮るだけでも、準備段階から相当な気力・労力を消費すると思われ、ナマ身で一本の映画全編を通すってのはやはり大変なんだろう。どんな場所で・どんな道具で、ってところがアクションシーンの工夫のしどころ、そこが見てるほうも楽しみなわけ。デパートとか、馬車とか、工事現場とか。コンクリート壁と青いドアの効果、ああいうのが大事だ。料理人という設定は、特別アクションに生かされていなかった。ギャングの名前は悪魔団と言う。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-05 12:07:45)
38.  ラスト、コーション 《ネタバレ》 
さすがに上海の賑わいの再現は金がかかっており、『スパイ・ゾルゲ』とは雲泥の差、こういうところでケチると、映画の空気全体がその時代になりきれない、悔しいけど負けている。ヒロインの上目づかいが印象的。はにかんでいるようで、警戒しているようで、親日政権に取り入り麻雀に閉じ籠もっている上流階級をじっと観察している目でもある。けっきょく映画のサスペンスは、彼女の内心がどうなっているのかに絞られていく。この映画はレジスタンス映画なのか、メロドラマなのか、それはただただ彼女の内心にかかっている。それを観客に読み取らせまいとしている目つきのようでもある。「みな私を恐れている、あなただけが恐れない」と男に思わせる目つき、先の見込みのなくなりつつある状況で男が溺れていく隠れ家のようなヒロイン、その両者のドン詰まり感・切迫感が、首を締め上げたかと思うと一つの肉塊になったりする、すさまじいベッドシーンに凝縮する。ヒロインは、自分を徹底的に道具とし、レジスタンスに忠誠を誓ったつもりでいて、最後の土壇場で道具ではない声を発してしまった。だから情に脆い女は闘士になれぬ、ということになるのだろうか、道具に徹し切れなかったことは弱さなのだろうか。男はとりあえず救われたが、殺されるより深いダメージに傷ついただろう、しかも政権の崩壊はすぐそこに迫っている。レジスタンス映画とメロドラマが一つの肉塊のように絡み合って、完全に一体となっている。
[DVD(字幕)] 7点(2008-12-29 12:21:06)(良:2票)
39.  花様年華
メロドラマとしての格調の高さは大したものだ。狭さを意識した画面、その息をひそめている感じがいい。新聞社の無表情な大時計、赤いカーテンの揺れる廊下、と舞台もふさわしい。下の屋台へポットを持っての往復で、ちらちらと意識しあう男女。そのかすかな空気の揺れのようなものがメロドラマの味わい。ここぞというときに入ってくる憂鬱なワルツ、あるいはキサス・キサス・キサス。連れ合いが不倫をしている二人は、意地でも関係を結ばない。それが全編に緊張をはらませている。時代や社会やあるいは女の生き方についての思索など、余計なものを排除して純粋な織物を織りあげたって感じ。だからこそラストのカンボジアが引っかかる。あの時代の新聞社を舞台にしながらベトナム戦争に触れずに綴ってきて、ラストで竹の文化圏から石の文化圏のカンボジアに跳ぶあの画面の質感の急変、分からないからこそ、すごく引っかかる。
[映画館(字幕)] 8点(2008-08-12 10:52:15)(良:1票)
40.  長江哀歌 《ネタバレ》 
せっせと作られていく廃墟の街のその荒廃ぶりが、フィルムに記録されていく。外からの暴力にあって廃墟となったわけではない。強制立ち退きという、いわば内なる病魔によって、秩序正しく蝕まれていったその荒廃は、より痛ましい。消毒液を撒く人たちの姿も凶々しく、破壊するための労働に従事している男たちの肉体のみ、テカテカと光っている。近代化とはどこの国でも結局こういうことになっちゃうんだなあ、という深い諦めのようなもの。街をなくしてダムにたたえられることになるだろう膨大な量の水に圧倒されながら、その街をさすらう女の飲むペットボトルの水がより貴重に見えてくる。いくつかはさまれる驚きのカット、京劇役者が部屋に座っているのは、消えていく伝統ってことかな、と考えられないこともなかったが、飛んでっちゃった建物は、私にはまったく理解不能だった。それが何を意味するのかも、そのカットが入ることでこの映画にどういう効果をもたらそうとしたのかも。
[DVD(字幕)] 6点(2008-07-11 12:12:48)
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