101. アレキサンダー
《ネタバレ》 確かに長いです。 それはオリバー・ストーンが「観客にもカレの遠征の長さに辟易してもらいたい」と思ったからかもしれません。「長~い遠征」=「長い尺」というまんまな行き方がストーンの発想らしいです。 オリバー・ストーン流に、英雄アレキサンダーの異常に長い遠征の理由を示して見せた作品。 それは、「ママが怖すぎて故郷に帰りたくない」というのが最も強力な動機で、「戦争中毒」というのが次に来るみたいです。バトルのアディクトであり、アドレナリンがドバッと出るもんだからやめられなくて繰り返す、ランナーズハイみたいなものです。 なるほど~、というのが率直な感想で、「そういう見方もアリ」かもしれません。 インドまで来たときに、彼の兵隊が「もういやだ」と言ったので仕方なく帰ることにした、というのは有名な話で、これをどういうふうにとらえてアレキサンダーと彼の遠征を解釈するかというのは面白い題材です。 そして、ストーンが思ったアレキサンダー像というのは「ママが怖く」て、そのわりにけっこう粗暴な若者で、コマカいことにはあんまりこだわらず立ち直りが早く、あんまりエバらない。というような感じでした。「偉大な王」はストーンにかかると町の人気者的になっちゃいますけどこれでいいのか。 …私は正直「コリン・ファレルなんてさっ」とバカにしながら見てました。コリン・ファレルが「大王」だといわれても「眉毛つながってんのに英雄だってさっ」などと悪口も言いたくなるというものです。 だが、そのうちになぜか「これでいいのかもしれない」と強引に納得させられる気持ちが芽生える。 ドロドロ血まみれで吠えまくりバカまるだしのコリン・ファレル。子犬の目をしたコリン・ファレル。 アレキサンダーにコリン・ファレルを使う意味とは「バカ」とか「無垢」を強調したいからでしょう。 ならばキューブリックに撮っていただいて、「バリー・リンドン」風にブラックな笑いを醸し出すと良かったと思います。それしか面白くする方法はない。オリバー・ストーンに笑いを期待するのはムリというものですよね。 あと、撮影で動物を殺していないかどうかすっごく気になった。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-03-15 14:51:23) |
102. 眺めのいい部屋
《ネタバレ》 眺めのいい部屋=満たされた人生、はあそうですか。良かったですね。 というような気の抜けたコメントしか残らないけどこんなことでいいのか。 もしかすると、もしかすると、もっと深いウラがあってしかるべきなんじゃないのか。 ルーシーは人生最大の失敗をしたのかもしれず、ああ~セシルと結婚しとけば良かったのにねえ、この5年後には可哀相な彼女は…てな噂話の途中で話が終わったようなこととかさ。 それでも一時「満たされれば」よくて、それが人生のヨロコビなのじゃ、ということを言いたいのでしょうか。イギリスの話なのに? かわいそうなシャーロットと、もっとかわいそうなセシルは、所詮誰かの「脇役」として生きればいいじゃん、というような扱いなんですけど、そんなんズルいんじゃないでしょうか。 やっぱここで話が終わるのは脳天気に過ぎるよなあ。 セシルいいじゃないですか。もともとすっごく好きな相手じゃなければ、情熱が冷めたとき相手にうんざりするということが無くてすみます。それに彼のほうは誠実でルーシーのことを好きなわけですし。理想的な結婚相手だと思うけどなあ。だってどんな相手と結婚したって数年後には、夫婦の会話の大半は事務連絡とか事務折衝になるわけですから、なまじ情熱的になった相手となら、うんざりする度合いもUPします。生活はルーティンですが、情熱は違います。 そして、どうも作り手はあんまり主役二人に感情移入しているようには思われません。私の想像では、弟のフレディに自分を模しているのではないでしょうか。フレディばっかりいいとこどりされている気がします。 ところで私の頭の中ではヘレナ・ボナム=カーターといえば猿、というヒドいことになっているので、いくらなんでもイギリス文芸作品に出たのなら(そして猿顔だったとしても)そのあと猿を演じるべきではありませんでした。役は選ばなくては。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-11-19 15:02:16) |
103. ミス・ポター
《ネタバレ》 ブリジット・ジョーンズでイギリス英語を習得したゼルヴィガーが、それを生かしてまたしてもイギリス女性を演じ、製作にも参加して、「女性の自立」を高らかに追及した作品です。「ゲットした技術は持ち腐れにすることなし」という、彼女のしぶとさが感じられる。 私は実はとてもアンビバレントな気持ちになってしまう。 絵の中で動くキャラクターという傑作アイディアで、とてもとても可愛らしい作品に仕上がっているのだが。「きれい事」で終わったような気がしてならない。 これは「尺が足りない」という絶対的な事情により、ポターの「影」を表現する時間がなかった、ということでしょうか。 なので、金持ちの娘が親のツケで画材を買って、家事は使用人がするので暇があるからチンタラと絵を描く余裕があるのでそうしていたら運よく成功し、そうすると経済力ができたから親の言うことを聞く必要がなくなって自立した、という話になってしまっているのです。この身の上話にどのようにひっかかりが作れるというのでしょうか。 婚約者の死ですって?そんなん一時的なものです所詮男なんか消耗品ですし。いったいいつミスポターが危機に陥りましたかね。 絵に描いたような紳士然とした男性から求婚されて舞い上がるなんて面白くもなんともない。 私だったら、ノーマンにユアン・マクレガーなんて使わず、チビで顔色の悪い貧相な俳優を使います。ポターは、彼女にしかわからない魅力を貧相男に発見したのですたぶん。そうでもしなければ面白くなりませんし、実際そうだったのではないでしょうか。ノーマンはいい年こいて仕事もせず、母親の話相手をしていたようなオタク男性なんですから。 「幸い私は誰の許可も必要としない身分ですから」と勝利宣言をするまでのポターには、光に対する影がないといけないのです。深刻なイボ痔に悩んでいたとか、実はレズビアンだったとか、左右の足の長さが違うとか。光には影。宇多田ヒカルにも親の不倫。 ああ私も金持ちの家に生まれて使用人に家事をやらせて親のツケで買い物してアートでもやっていたらば、ポターになれたかもしれないのかなあ。 そういう感想を抱かせないようにするのが必須の作品であったと思うので、やはり失敗だと思います。これでは、ポターは「運よく全てを手に入れた女性」にしかなっていません。すべての他の女性に対してひろく訴えるものに欠けるのです。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-03-01 14:06:17) |
104. ティム・バートンのコープスブライド
《ネタバレ》 バートンの実写映画にうんざりしていたので意外な気がした。 この人は実写はやめたほうがいいのではないでしょうか。 映像は文句なしで完璧だと思います。死者を扱ううえでの様々なアイディアも、なかなか面白いです。 しかしいつものように、私にとっては主題が面白くはないです。 これは結婚を扱った話で、結婚に始まって結婚に終わる結婚のことを言っている話だと思う。 それはいいのだが、つまるところは「結婚はふさわしい相手でないと成立しない」というのが結論なので、そうするとこれは「人魚姫」の変形バージョンでしかなく、ようするに「結婚」は「身分」だと言っているということだ。 身分が違うと結婚できないのです。 人魚姫の別バージョンなんですから、相手は死体でなくて地底人でもマウンテンゴリラのメスでも(清原なつののマンガにそんなのがあるけど)いいので、そこで示されているのは「身分違いだからムリ」ということで、どういう形をとってもつまりは人間社会の身分のことを遠まわしに言っているのです。 だからこそそれを見たり読んだりした人は身に詰まされる。 そしてこの話は定石どおりに終わる。エミリーが魔法の力で蘇ってヴィクターと結婚したりはしない。 最初から、生きているものどうしはヴィクターとヴィクトリアなどという同じような名前になっていて、「同種」「身分」を露骨にあらわしている。 この作品は、何にも増して「お子様の視聴に支障がないこと」をファーストプライオリティーにつくられているし、実際そうなっているのだが、作り手には「徹底的に結婚の価値を貶め嗤うこと」という隠れた目的があったように思えてならない。ここでは、結婚という装置は限りなく意味がなく哀れなものとして扱われていて、それは旧世代の夫婦たちだけでなく、ヴィクターにしろヴィクトリアにしろエミリーにしろ、大した理由もなく結婚に向かっていくのである。 そういう意図は確かに感じられるけれど、そもそもが「お子様」に合わせて作られているところが私は気に入らないし、そのくせスケベ心を出して小細工を仕込むというのは…潔くないと思います。これからは、堂々と「大人むけ」と表明したうえで、ちゃんとしたものを(実写をやめて)つくってもらいたいです。とにかく実写よりはマシでした。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-02-28 15:52:52)(良:2票) |
105. Jの悲劇
《ネタバレ》 これは…イギリスで作ったからこそ「ワケわからないが何か意味ありげに深そうなかんじ」をまとわせることに成功していますが、アメリカでB級作品として作られたならば、いっぺんに化けの皮がはがれ…「ゲイで変態のストーカーにつきまとわれるサスペンス映画だろ?」と、誰も何も迷わなかったことでしょう。 大した話ではないのだ。それを、ダニエル・クレイグだのサマンサ・モートンだのビル・ナイだのといった「無駄に意味ありげ」な俳優たちを使ったために、こんなことになってしまっただけ。 というところで、「大したことのない話をよくここまで仕上げるなあ」という逆の感想もまた、有り得ます。 だいたいが、サマンサ・モートンの彫刻家と教授のダニエル・クレイグの関係にしてからが、「過去の結婚生活に懲りて、プリプリの若い女と同棲するだけの無責任状態に満足している中年インテリ」が「真剣に将来のことを考えて結婚してほしいと思ってる若い女」にプレッシャーかけられているというだけのよくある状態じゃないですかあ。 それをだな、「彫刻」とか「文学」とか意味ありげなものを配して高尚に見せようとしているだけ。 実を言うと、私はかな~り途中まで「これは、ジェイコブオチでは。そうでなければ収集がつかないではないか。」と期待して見ていたのです。使い古されたオチであっても、「気球」と来て、「死体」とくれば、期待してしまうのも無理はない。なので、とても裏切られた気分でした。この作品に関しては、ぜひともジェイコブで落として欲しかったものだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-11-24 20:05:30) |
106. ディープ・ブルー(2003)
《ネタバレ》 上から下から同時撮影してみたり、暑さ寒さに負けず非常に手間のかかった映像なのだと思うが、小学3年の姪は1時間経たないうちに飽きてしまった。ちなみにその凝りまくった回転する小魚タワーとかのあたりで。 確かにすごい、よく撮れた!の貴重映像満載なのであろうが、「すごい!」だけで一時間半もたすのは大人でも難しいなあと思った。 思うに、作品としてのどのような方向性を持っているのかが中途半端なのでは。 「これだけの映像美および技術を解する観客に評価してもらえればそれでよいという硬派」なのか、「観客を選ばずよりたくさんの人に見て欲しい」なのか「子供が喜べばそれでよい」なのか、どれともつかない。また、「温暖化なんたら」で終わるラストは説教くささを露呈し、純粋に映画を楽しみたくて金を払った客をバカにしている。 今「アース」を見せているが、そちらはほぼ無事に見終えることになりそうだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-08-11 12:16:42) |
107. サルバドールの朝
《ネタバレ》 これはとてもバランスの悪い作品ですね。 冒頭のクレジットに「圧制と闘った青年の実話」という決意表明がされているし、ラストのクレジットでも同様に「サルバはフランコ独裁政権下の犠牲者」という扱いになっています。作り手はサルバドールをヒーロー扱いしているはずなのです。 ところが、本編に入ると、サルバのやっていることは武装した銀行強盗ですね。銃で人を脅かしてお金を奪い取るという普通の犯罪だ。これは普通の青年である彼らには銃が無ければ絶対に不可能な行動ですが、銃を手に入れたことによって、いきなり不可能が可能になってしまう。そのことによって、彼らに無意味な全能感が生じていく様子がシビアに描かれている。 フランコがひどいので闘って倒そう→闘うには武器と軍資金が必要→フランコを倒すためなら強盗してもかまわない→俺たちの銀行強盗は犯罪ではなくレジスタンス、という、当時日本にもよくあったような論理でサルバ青年たちは行動していました。 サルバは死亡した警官について、最後まで何のコメントもしません。5~6発当たった中に、自分の撃った2発が入っていたかどうか、それが致命傷になったかどうか、全く気にしない。「ただ逃げたかったから撃っただけさ」というサラっとした言葉しか、彼の中には存在しない。その警官に家族が居たのかどうか、聞きもしない。 サルバは無実の罪で死刑になると思っている。…そうなんでしょうか。 無実というのは冤罪のことをいうのではないのか?それともサルバの銃弾が当たっていない場合のことを無実というのか?なんだか私にはこの映画の作り手のポリシーも、サルバや家族たちのポリシーも、はっきりいって理解できない。 サルバに罪の意識はゼロ、自分の家族の心配ばかりして、死亡した警官のことは無視、刑務所での態度は一貫して生意気。いつも人を見下した態度でいる。自分に同情してくれた刑務官にさえ、同等以上の態度を取り続ける。…私には単なる生意気なお坊ちゃんにしか見えないのだが。レジスタンスのヒーローとは思えないのだが。 フランコ独裁下のスペインを経験した人なら、サルバがヒーローに見えるのだろうか。私にはわからないが、前後のクレジットを見る限りでは、作り手はそのつもりで公開したんだろうなあ。極東日本で見るぶんにはドジった銀行強盗にしか見えないが。 [DVD(字幕)] 5点(2008-07-23 11:34:11)(良:2票) |
108. マイ・ハート、マイ・ラブ(1999)
《ネタバレ》 群像劇もやたらと乱発されるようになって、その質が問われる時期になってきたと思う。 群像劇といえばヒューマンドラマ。ヒューマンドラマといえば「心温まる」が枕詞。 しかし、「心温まれば」それでいいのかというと、やはり群像劇にもピンキリある。作り手の方々は、心温まって適当にお茶をにごして終われば合格点とは思わないでいただきたいものだ。 さてキャストだけを見れば超豪華版の本作はいかがなものかというと、「不発」とか「良すぎる素材を使って適当に調理」とかいう言葉がぴったりくると私は思う。 ジーナ・ローランズとOO7の夫婦ゲンカが見られるのはなかなか嬉しいものだし、全然似ていない3人の有名女優が姉妹という強引さも悪くはない。 大型犬を飼うのが家風だとか、「おこりんぼさん」という共通の口癖だとか、3人が姉妹だということをなんとなくわからせるあたりも、洒落た演出といえなくもない。 3人と007夫婦が親子なのかなあというあたりも、なんとなくわかってきて、ラストで全員集合させて終わりというのもありがちだ。父親の葬式でなかっただけマシというところ。 そう、これといって目新しいものが見つからない映画なのだなあ。 3人の中では、スカリー捜査官の無理が目立ったと思う。ジリアン・アンダーソン本人は、明るくサバサバした性格だそうだから、あのような役は想像を超えていただろうに。モルダー捜査官同様、何に出てもスカリーとモルダーでしかないのだから、もう映画で一発当てることなどあきらめたほうがいい。 それから、エイズについてイージーに扱いすぎていないか? 片や、末期で死んでいくゲイ青年、片や、感染者と知りながら愛が芽生えてハッピーにベッドインて、どうなのか。その感染者くんも、死期のせまった感染者の彼女からエイズを貰いたくてわざわざ貰ったと。それってどうなのよ。 ジョジョは、この先彼氏の発病の兆候にびくびくしながら暮らすわけですね。それと自分への感染の危険に細心の注意を払いながら。 それって、「愛してるから」ですべて片付く問題なのか? …やっぱりエイズについてはイージーに扱ってはならないと私は思う。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-06-08 19:43:24) |
109. トゥモロー・ワールド
《ネタバレ》 夢を壊すようで悪いけどコレについては、「男であることの限界」と言い切ってしまうぞ。 「個を捨てよ。種に生きよ。」なのだ。映画が進むにつれ、この言葉が画面いっぱいに書いてあるような気すらしてくる。 たった一人の赤ん坊のために、関わり合った人々が進んで命を投げ出す。 「新しい命」のために、「比較的新しくない命」が捨て石になるのが当然、というのがヒューマニズムなのか。そう言い切っていいのか。それとも「死んだら天国」の宗教的背景か。 これが「個を捨てよ。種に生きよ。」でないなら、いったいなんだというのか。 そして、キーは「誰だか覚えていない」ような相手の子供を喜んで産むことになっている、というこの無理。 産んだ瞬間から母性愛に目覚め、母親然としているという、この無理。 はっきり言うがこういうところが男であることの限界なんだわさ。 女に生まれた人にとって、産む性であるということは、そーんなおとぎ話のようなものではないのさ。 じゃなんなのかというと、それは、ローティーンからはじまり50歳代までえんえん続くうっとうしい月経であり、妊娠の恐怖であり、子宮筋腫をはじめとする婦人病の恐怖との闘い、出産のプレッシャーとの闘い…の連続である。 今回のクライブ・オーウェンには別に文句はないし、臨場感あふれる戦場シーンや、狭いところをぐるぐる撮ってる映像テクなどもきっと素晴らしいのであろう。 しかし「難民排除」の問題を持ってくるとか、キーが黒人でありその子供も当然黒人、という設定に「しょせん僕らは同じ〝種〟ではないか」「肌の色とか関係ないよね」(題名もまさにそんなことだし)という作り手の声があまりにもはっきりと聞こえてきて、かえってあざとく感じる。 それに、赤ん坊を抱えた母親の前では、どんな兵士も銃を背ける、なんて、あまりにもイージーなヒューマニズムじゃないか?旧日本軍が大陸でそんなことをしたか?ナチスはどうだったか?もっともっと人類の歴史をさかのぼればどうなのか?人間って、そんなものだったか? もうひとつ、「せっかく機能があるなら、使えよ」という声も聞こえてきて、うんざり。負け犬などは、「捨て石」程度にしか利用価値が無いということだな。 もしかすると、この映画はすごく危険な思想を孕んでいるかもしれないと思う。「産む機械」とか言っているどっかの大臣と、あまり変わらない考え方じゃあないのか。 [DVD(字幕)] 5点(2007-05-27 00:41:42)(笑:1票) (良:4票) |
110. プルートで朝食を
《ネタバレ》 ジョーダンいわく「哲学的思考への恐るべき無関心により、悩むことなく幾多の困難をかいくぐる」のがパトリックという性同一性障害者だ。「おお、なるほどう」とうなずく。そうそう、パトリックというのは、「この人生は〝冗談〟としか思えないので、〝真剣〟になど生きられない」が信条なのである。 その理由は、「破戒神父と小間使いがデキて生まれたのが自分」で、「母はバスケットに入れて自分を捨てた」であり、「なんで女の子の体に生まれなかったの」であり、よって「神様は〝冗談〟で自分をつくった」になるからである。「真剣になんて、生きられない」だ。よって題名も有り得ない場所で朝食なのだ。 が…個人的には、キリアン・マーフィー演じるパトリック(意地でもキトゥンなどと呼ぶものか)というのが、どうにも「正視しがたい」不快きわまりないキャラだったのだなあ。 「エグい」というのが、一番当たっていると思う。 「常にクネクネする」「常に上目遣い」「常に囁くように話す」「常に媚び全開」ってそらー、フツーの女は、そんなもんかい?ええっ? 濃すぎるのだ。過剰なのだ。何がって「女」があ。 そんでまた、キリアン・マーフィーの女装というのが…ビジュアル的に、キッツい。オカマ、NO。 私は「クライングゲーム」には感心したのだ。ジェイ・デビッドソンは女に見えなくとも美しい。見ているだけで、ありがたい気がする。 パトリック、それは、汚いオカマ(ああ、言っちゃった許して)。 それに私は、基本的に悩まないやつが好きじゃあない。冗談でしか生きられないやつは、脇ならまだいいが主役にしてほしくない。 あと…リーアムの破戒神父は、小間使いを孕ませて、そ知らぬ顔で20何年神父を続けているのはなんだ?神父だろ? よって視聴後に果てしなくむなしい疲労感が…。「意地でもキトゥンなどと呼ぶものか(あんたの冗談にはつきあえない)」 [DVD(字幕)] 5点(2007-05-12 21:01:25) |
111. アンビリーバブル
《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。 [DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) |
112. ナイロビの蜂
《ネタバレ》 志の高い、作り手の側の意気込みが伝わってくる作品である。決して駄作なのではない。 しかしなあ。個人的にはいただけない。 原作モノだそうだが、この作品は、映画として楽しむことが困難なほど「政治的メッセージ」を強烈に発しており、引き裂かれた夫婦の物語としての完成度よりも、そちらを優先しすぎている。アフリカに対するあまりにも強い思い入れにより、旗色を鮮明にしすぎている。 この作品は、映画として完成させるならやはり「夫婦愛」の物語でなければならない。 ところがこの作品の人物設定はとっても強引。そもそもテッサという人物設定に無理があるのだ。 レイチェル・ワイズ。この人はまじめすぎる。 役者の仕事とは、「脚本に書いてあるとおりに演じること」と信じているようだ。 その結果、できあがったキャラクターはどこにも存在しないようなけったいな女性となってしまう。本作のテッサもしかり。脚本どおりの役者などというのは、アニメのキャラクターと一緒ではないか。それなら実写で撮る意味などない。 人間には2種類あって、〝自分の幸せを追求する人〟と〝人類愛に燃える人〟に分かれる。 もちろん後者はわずかな数しか存在していないため、通常は生きている間は「変人」と言われる。彼らは〝人類愛〟以外のことはすべてゴミにしか見えないようにふるまうからだ。テッサはこれであるといいたいのだろう。 イラクで拉致された遠山さん、彼女もその1人である。ところが、解放後の彼女はどうだったか。「またイラクに戻ってくる」と泣きながら口にした彼女。もちろん誰の目から見ても「強がり」である。現実には〝人類愛〟の人にも当然恐怖はあり、超人ではなかったことを知らしめた。 一方レイチェル・ワイズのテッサは、「ニューオーリンズ・トライアル」の時と同じく「目的のためには手段を選ばない恐いもの知らずのスーパーウーマン」になってしまった。だいたいがジャスティンをたらしこんで強引に結婚したのも自分の目的のための計算ずくということでしょ。後追い自殺するほど「夫婦の絆」とか思いつめているのはまぬけなジャスティンだけ。だってこの女は「手段を選ばない」タイプの「人類愛」の人だということになっているんですよ。遠山さんを知る私たちにはリアリティなど全く無い。「そんなすごい女の人ほんとうにいるのかなあ~」という呑気な感想しか浮かばない。いただけない。 [DVD(字幕)] 5点(2006-11-11 14:11:49)(良:1票) |
113. プライドと偏見
《ネタバレ》 「ユーガットメール」のキャスリーンが大ファンだと言っていた「高慢と偏見」だ。もちろんあの映画も「高慢と偏見」をなぞったものであったらしく。大金持ちで高慢?なジョーに、小さな本屋の女主人のキャスリーンという設定もしかり。キャスリーンがジョー(と知らずNY152さんに)「ぜひ読んで。気に入るわよ」と本を薦めたりする場面まで用意されていた。 ということで原作読んでいないが「きっとユーガットメールのような小粋なやりとりがあるのであろう」という期待をしていたのだが。 18世紀のイギリスの田舎、中流以下の農場主であろうベネット宅、衣装もそれなり、家具も分相応。そこにキーラ・ナイトレイ。なぜキーラ・ナイトレイ。 いきなり21世紀へトリップ。妹たちの顔とギャップがありすぎる。この子の顔を見ている限り、「今私は映画を見ている」と思わざるを得ない。18世紀へどっぷり浸かることなんてとてもとても。 この顔が18世紀のイギリスの田舎を歩いていたなんてこと、日本人でさえ信じられないね。 そんでまた、キーラ・ナイトレイのエリザベスってのは、その場しのぎの言い訳ばっかしてる単に口の減らない安い女に見えちゃう。ニヤニヤしていればいいってもんじゃない。 ミスターダーシーはあの人でもいいと思うんですよ。それなりにダサくてまじめそうだし。 目玉である2人の対決場面も、1箇所しかなかったし。雨の庭園ね。それだって、キャスリーンとジョーのカフェラローでのイカした対決には遠く及ばない。そしてダーシーはこの対決ですーぐ心を入れ替えて手紙書いたりエリザベスのために陰で骨を折ったりする素直ぶりだ。素直すぎる。 当時の女性は結婚のことばっか考えざるを得なかったからキャスリーンと立場が違うとは言え、これだけ長く愛されているという原作の魅力がこれっぽっちも感じられない。もしかしてこれを見るなら「ユーガットメール」を見たほうが原作に近いのではないだろうか。妙に若い監督さんだよなあ。笑いのセンスはゼロに違いない。 とにかくキーラ・ナイトレイを時代物に出そうと思うこと自体が間違い。ほかに古典的な容貌の女優さんはいくらでもいたろうに。ジュディ・デンチも出したけどダメなものはダメ。 結果的に「エニグマ」にも出ていたあの背の低い男優さんのインタビューしか面白くなかった。(それすら10秒くらいしかない) [DVD(字幕)] 5点(2006-09-15 22:17:09)(良:1票) |
114. キリング・ミー・ソフトリー
《ネタバレ》 ジョセフ・ファインズにヘザー・グラハム。個人的には全くセクシーと思わないこの2人のラブシーンをさんざん見せられたが。ジョセフ・ファインズて上半身は立派だが足が短くみえるんだよなあ。表情ないし。ヘザー・グラハムはお人形さんみたいだし。 あまりのエッチのよさに同棲中の恋人や友人や仕事がどうでもよくなってしまい、娼婦にしか見えないようなマイクロミニを雪の降る中ノーパンで履いてしまうバカ女。えっそこまで頭がパーだったの。この時点でもうリアリティなさすぎ。 そして全くセクシーに見えない(あくまで私にとって)ジョセフ・ファインズとやりまくる。勝手にしてください。 カイコー監督にしてみれば、中国で禁じられているあんなシーンやこんなシーンを撮ってみたい気持ちでついついやりすぎてしまったというところでしょうか。インテリアは良かったです。(というくらいしか褒められない) [DVD(字幕)] 5点(2006-09-13 23:12:44)(笑:1票) |
115. 未来惑星ザルドス
ショーン・コネリーがふんどしいっちょで走り回る、それだけでもう笑ってしまう。娘のジェニファーは、父の赤ふん姿を見て何を思ったであろう。それにしてもなんて濃ゆい顔なんだ。なんか舞台ぽい演出には辟易した。グラディエーターの仮面はこれと似ているなと思った。あとストーリーは途中からどうでもよくなった。もともと好きじゃないランプリングは無視して(胸が貧弱すぎる)、やっぱ「獣」扱いされてロクにしゃべらず赤ふん姿で動き回るショーン・コネリー、これが見どころだった。(セリフ回しがやけに朗々としているとこが変だけど) [DVD(字幕)] 5点(2006-03-08 18:25:40) |
116. dot the i ドット・ジ・アイ
《ネタバレ》 バーナビーがキットの部屋に生きて現れた時に、観客がどぎもを抜かれなければ、ほかにこれといったみどころはないので、「失敗作」ということになる。ところが作り手が思っているほどびっくりしなかったんだよなあ。なぜだろ。そのうえ、現れたバーナビーはダラダラダラダラしゃべりまくって、ここの場面も説明が多すぎる。その後の復讐劇は、見せ方が長すぎた。あんなに説明チックに見せれば見せるほどシラッとしてくるばかり。もっと後半の説明を削れば、謎めいた佳作になったかもしれんのに。大ブレイクのガエル君は、なんにしても身長が足りなすぎる。トムクルーズ以下ではないだろうか。シークレットシューズをはいて、上半身の筋肉増強を勧めたい。主役の女優さんは、驚異の化粧映え女でおどろいた。ちょっとケイトウィンスレット似。それにしても、「エターナルサンシャイン」といい、こういう壊れた女を珍重する傾向って、いったいなんなのか、女の私には理解できぬ。こういう女たちに対してはなんの共感もない。若い子でマネしちゃう女の子、いるだろうなあ。やめなさい。 [DVD(字幕)] 5点(2006-02-24 22:11:06)(良:1票) |
117. スターリングラード(2001)
《ネタバレ》 アノーってHなのが得意な監督さんでしょ。なんでなの。畑違い。ジュードローなのもいけなかったと思う。やっぱ誰が見てもジュードローは銃器を持って勇ましくって男じゃないもん。トムクルーズがレスタトになるより無理があるさ。あなたはひたすら女に迫ってなさい。 [DVD(字幕)] 5点(2005-12-25 00:25:56) |
118. ダメージ
《ネタバレ》 「ルイマルもエッチが枯れてきたか」と言った映画評論家がいた。ルイマルのことはよく知らないが、少なくとも「ミュージックフロムアナザールーム」のような「ケミカル」は全く感じなかった。だから「黒い髪」の「ショートヘア」は、「魔性の女」だと勝手に思ってるんだって。欧米人は。ラスト空港で見たら「普通の女だった」ってのが皮肉でいいですけど。そうそう。ビノシュみたいな安産型ならしたたかなはず。ちなみに「なぜかもてる女」(誰もが納得する美人を除く)って女の友達は果てしなくゼロに近い。 [ビデオ(字幕)] 5点(2005-12-18 00:01:54) |
119. ハート
《ネタバレ》 欧米では「黒っぽいショートヘアの女」は「魔性の女」と思われているようだ。「ショートの黒髪」+「彫りの深い顔」=「魔性の女」だが、「ショートの黒髪」+「扁平顔」=「ママさんバレー」にしかならないのじゃ。「どうだ、魔性の女だろう」という妄執を見せられただけのような映画。 [ビデオ(字幕)] 5点(2005-11-23 17:52:57) |
120. ハイ・フィデリティ
《ネタバレ》 とにかくジョンキューザックには疑惑をもっているので、素直に楽しめない。「かっこいいのか?」「なぜ主役ばかり張るのか?」それでもって、何も世の中の役に立つことをやってるわけでもない男の役、もんもんと悩まれても、「まともに働けば」としかいいようがない。ジョンキューザックはストライクゾーンじゃないの。 [DVD(字幕)] 5点(2005-11-20 20:58:17) |