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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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121.  バットマン リターンズ
“バットマン映画”として観るか、“ティム・バートン映画”として観るか、どちらの心構えで観るかで、この映画から受ける“感触”は大いに左右されると思う。 僕は、前作「バットマン」を当然のごとく“バットマン映画”として観てしまったため、その特異な世界観に正直違和感を覚えてしまった。 しかも、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」シリーズを観てからの、ティム・バートン版「バットマン」の初鑑賞だったため、両者のギャップを殊更に激しく感じてしまったのだと思う。  というわけで、今回は、初めからちゃんと、ティム・バートン映画として観ることが出来たので、前作よりも随分と楽しむことが出来たのだと思う。 そうして観てみると、このヒーロー映画が、想像以上にティム・バートン色の強い極めて「異質」な映画であることに気付かされた。  数多の論評にあるように、このヒーロー映画には、もはや主人公としてのヒーローは存在しない。 マイケル・キートン演じるバットマンは、一人のメインキャラクターに過ぎず、主人公としてはあまりに存在感が薄いと言わざるをえない。  ただしそれは、決して主演俳優が力量不足なのではなく、風変わりな監督が悪役描写に力を入れ過ぎてしまっているからに他ならない。 監督の興味が、大富豪の蝙蝠男からは早々に外れ、気味の悪いペンギン男と、心を病んだ猫女に集中してしまっていることは明らかだった。 それは、まさに奇異なるものの存在性と生き様を愛するティム・バートン作品に相応しい世界観だった。  善と悪の対立という本来ヒーロー映画にあるべき分かりやすい構図を脇に追いやって、今作はひたすらに孤独な者達の邂逅を描く。 悪役たちは勿論、主人公であるバットマン=ブルース・ウェインも、孤独の中に生きる者の一人だ。 ティム・バートンが、この題材を選んだ理由は明確だろう。   個人的な話をすると、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の鑑賞直後に、今作をまさかの初鑑賞。 映画史の文脈を鑑みると、なかなか稀有な映画体験だったと思う。 マイケル・キートンの俳優人生に乾杯!そして、ダニー・デヴィートとミシェル・ファイファーに拍手!
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-05-06 17:04:15)(良:1票)
122.  グランド・ブダペスト・ホテル
ウェス・アンダーソンの映画を観るのは「ライフ・アクアティック」「ファンタスティック Mr.FOX」に次いで三作目となる。ビギナーと言えるだろうが、それでも映画が始まってすぐに「ああ、ウェス・アンダーソンの映画だな」と認知させてしまうのは、この監督の稀有な作家性故だろう。  映画は全編に渡って、この監督らしいウェルメイドなコメディと、拘り抜かれた美意識に彩られていて、映し出される一つ一つの「画」を見ているだけでも楽しい。 タイトルから想像したイメージは、風変わりなホテル内での風変わりな人間模様が“グランドホテル形式”で描かれるのだろうと思っていた。 しかし、物語は想定外に加速し冒険活劇へと展開していく。  激動の時代背景を根底に敷き、或る人間の或る人間に対する思い出がつまびらかになっていく。 そうして辿り着いた結末は、この映画世界が醸し出す雰囲気からは想像もできないくらいに、重く、悲しい。  ただし、この映画に登場する人物たちは、必ずしも悲しみに暮れているわけではないと思えた。 人生は、総じて過酷で辛いもの。 それは悲劇ではなく、受け入れるべき運命であり、それらを礎にして“新しい世界”は構築される。 昨日の世界と明日の世界は常に変わりゆくもので、それの善し悪しをその日を生きている者は判別出来ないのだと思う。  そういう達観めいたものを、過ぎ去った世界のことを語る老いた“ベルボーイ”に感じた。 
[映画館(字幕)] 7点(2014-07-02 16:19:27)(良:1票)
123.  キック・アス ジャスティス・フォーエバー
衝撃の問題作でありながら、その類い稀なエンターテイメント性を世界中が“スルー不可避”だった前作「キック・アス」。 その待ちに待った続編に対しては、当然誰しもが、4年前の衝撃の再熱を期待しただろう。  前作で一躍若手女優のトップスターとなったクロエ嬢をはじめ、主要キャストをきちんと再結集させ、ジム・キャリー、ジョン・レグイザモら魅力的な新キャストを揃え、体制は万全だったと言える。 おそらく、前作の“二番煎じ”をすれば、大多数の観客は分かりやすく再び熱狂しただろう。  が、前作監督のマシュー・ボーンの後を引き継いだジェフ・ワドロウなる無名監督は、果敢にもその「既定路線」をハズしにかかった。 もしかすると、この続編に対して、前作ファンの多くは「愚かな」と否定するのかもしれない。自分自身、呆気にとられた感は否めない。  けれど、結果として大多数に受け入れられるか否かは別にして、この無名監督の挑戦(暴挙)は正しかったと思う。 別の言い方をすると、この「キック・アス」という映画素材において、「既定路線」と辿ることこそが愚かなことであり、どんな形であれ観客の思惑をハズしてなんぼということなのだと思えてならない。  前作の奇跡的な娯楽性に対してこの続編が遠く及ばないことは否定しない。 ただし、前作があってこそ描き出された今作であり、この映画世界が抱える本質的な魂みたいなものは決してハズレていない。ならば「続編」としてこれほど相応しい作品もないのではないかと思える。  詰めれば詰めるほど粗だらけの映画であることは間違いないし、そもそもこの映画の製作陣は“真っ当”に作ろうとなんて端からしていない。完全に独りよがりだったとしても、ただただ自分たちが作りたい(見たい)モノの構築に没頭している。  ならば観客は、前作の余韻を引きずりながら、前作にも増して歪な映画世界の中で再度クロエ・グレース・モレッツの「支配力」にただひたすらにうつつを抜かす。 それがこの映画の正しい鑑賞のしかただ。   ただし!ジム・キャリーの使い方はあまりに勿体なかった……。
[映画館(字幕)] 7点(2014-03-10 00:00:16)
124.  ウルヴァリン:X-MEN ZERO
マーベルをはじめとしたアメコミ映画は大好きで、大概満足するのだけれど、「X-MEN」シリーズだけは今ひとつ乗り切れず、好きになれなかった。 その最大の要因は明らかで、主人公であるウルヴァリンにどうしてもヒーローとしての魅力を感じることが出来なかったからだ。 一方で、彼が主人公ではない2011年の「ファースト・ジェネレーション」には相当満足したので、やはりウルヴァリンというキャラクター性が性に合わないということだろうと、自身で結論づけていた。  しかし、その結論は必ずしも正しくはなかったようだ。 “戦犯”のレッテルを貼付けていたウルヴァリンの「過去」を描いた今作は、想定を大きく外れて、きっぱり面白かった。 そもそも、アメコミ映画は大好きだけれど、その原作であるアメコミ自体には全く造詣が深くないので、「X-MEN」という作品自体の性質と、その一キャラクターとしてのウルヴァリンの存在性を理解出来ていなかったのかもしれない。  「X-MEN」というアメコミ作品の主役は、あくまでミュータント集団である「X-MEN」という群像そのものであり、ヒュー・ジャックマンが主人公然として演じるウルヴァリンというキャラクターをメインに見据えるべきではなかったのだろう。  ウルヴァリンの個人的な前日譚である今作を観て初めて腑に落ちたのだが、過去の記憶をいっさいがっさい失くして、盲目的に己の「異端性」を呪うしか術の無いキャラクターが、その辺のアメコミの主人公と同様にヒーロー然と振る舞えるわけがなく、どこか屈折し“陰”に傾いてしまうことは必然だ。  このキャラクターにこういった“経緯”があるということを全く知らなかったので、おおよそアメコミ映画の主人公らしくない彼に拒否感を感じてしまっていたのだと思う。  前日譚ではあるが、当然演じるヒュー・ジャックマンにとっては、3作品経た上での(当時の)最新作であるので、そのフィット感は彼自身のスター俳優としての進化も相まって、当然最高潮であり、ウルヴァリンという苦悩に溢れたキャラクターの出自から記憶を失ってしまうまでの様を描いた今作は、物語としても魅力的で、ちょっと感動的ですらあった。  順番は後先になったが、「ファースト・ジェネレーション」の高揚感に続いて、今作の意外な満足感。一気にこのシリーズそのものが好きになりそうだ。 ガン無視だった最新作「SAMURAI」も俄然観たくなってきた。
[地上波(吹替)] 7点(2013-10-03 23:06:45)(良:2票)
125.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマンの秘めた感情が読めない瞳が、眼鏡の奥で硝子玉のように鈍く光る。 彼が演じるスマイリーという男が、この物語の中で貫き通したものは一体なんだったのだろう。 それは正義だったのか、野心だったのか、それとも暗恨か、嫉妬か。 ラストカットで主人公が携えた微笑には、彼が抑え込んできた様々な感情が一瞬垣間見えたように思えた。  インフォメーションから伝わっていたようなストーリー的な難解さは実はない。 人と思惑が入り交じり、いかにも入り組んでいるように見えるが、最終的に解きほぐされた顛末は、呆気ない程に単純で驚きはなかった。このキャスティングで、“彼”が裏切り者では工夫がなさ過ぎると思った。 正直なところ、その呆気なさに対して満足度が高まり切らなかったことも事実。人物関係の説明描写が明らかに不足したまま固有名詞を並び立てる語り口は、ストーリーをただ無意味に難解じみさせているようで、サスペンスとしてアンフェアに感じた。 そのことが映画として必要な娯楽性の不足に直結していることは否めない。  ただし、“研ぎすまされた”という表現がまさに相応しい俳優の演技と、映像構築も含めた演出は、文句なしに際立っている。 さめざめしくも美しい陰影の濃い映像世界はこの物語に相応しく、そこに息づく俳優たちはそれぞれ最高のパフォーマンスを見せていたと思う。 特筆すべきは、やはり主演したゲイリー・オールドマンの素晴らしい存在感だろう。 一貫して感情を高ぶらせることのないこの映画の主人公は、彼のフィルモグラフィーの中でも最も「静的」なキャラクターだったのではないかと思う。 終始、淡々とした佇まいの中でも、決して平坦ではない、深い人物像を構築してみせたと思う。  ゲイリー・オールドマンは、今作でアカデミー主演男優賞も有力候補だったので是非穫ってほしかった。 そして、ナタリー・ポートマンもとい“マチルダ”から“スタンフィールド”へのオスカー授与シーンが見たかった!
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-24 10:36:58)(良:1票)
126.  007/私を愛したスパイ 《ネタバレ》 
ロジャー・ムーア版の「007」を初めて観た。 自分の両親の世代では、「誰のジェームズ・ボンドが一番か?」という質問に対して、ショーン・コネリーとロジャー・ムーアで二分するようだ。 もはや死語として風化しつつあるこの時代ならではの“ダンディズム”こそが、“ジェームズ・ボンド”というキャラクターに与えられた性質であり、確かに両者ともタイプは違うが演技から溢れ出んばかりのダンディズムが印象的な俳優だと思う。個人的には、ショーン・コネリー版に一票入れたい。  アクションシーンについては、現代の最新作と比べるとやはり愚鈍に見えてしまうことは否めない。しかし、「面白いアクションを見せよう!」という気概は充分に伝わってきて、その気概こそがこの映画シリーズの娯楽性そのものだと思えた。  ジェームズ・ボンドが雪山からダイビングしユニオンジャックのパラシュートが爽快に開くアバンタイトルにアガり、 “ボンド・カー”のロータス・エスプリが水中を突き進んでいく様にアガり、 “ボンド・ガール”として終始主人公と同伴するソ連の女スパイの格好がいちいちエロいことにアガる。  また悪役キャラクターの存在感も際立っており、アクションシリーズならではのエンターテイメント性を高めていると思う。 今回のボンド・ガールにとってジェームズ・ボンドは恋人の仇のはずなのに、結局最後はなし崩し的に“よろしく”やっちゃう顛末も、「なんでやねん!」と突っ込みを入れつつも、問答無用に親指を立てたくなった。  過去作の良いとこ取りな感じで、様々な要素や描写が盛り込まれているタイプの映画なので、その分尺がいささか長めだけれど、もし自分がこの映画を1977年当時に映画館に観に行ったとしたならば、やっぱりこれくらいのボリュームは欲しいと思うところだろう。
[DVD(吹替)] 7点(2012-11-23 02:18:05)
127.  007/ゴールドフィンガー
今のダニエル・クレイグ版の「007」シリーズは大好きで、公開を控える最新作も今年最注目のアクション映画の一つだ。 一方で、往年のシリーズ作品も何作かは観たけれど、それほど面白さを感じてこれなかった。古いアクション映画ならではの愚鈍さが目についてしまい、“世界トップクラスのスパイ”という主人公のキャラクター設定において説得力を感じなかったことが大きな要因だと思う。  しかし、シリーズ第3作目となる今作においては、任務そっちのけで状況やところ構わず方々の美女に“色目”を使うショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドの“らしい”キャラクター性が際立っていて良かった。 “うつつ”を抜かす対象となるボンドガールたちも、それぞれ美しく魅力的だった。囚われの身の中で、飛行機内の東洋系のメイドにまで好色の目を見せるショーン・コネリーのニヤケ面が可笑しかった。  ただし、今作の場合、悪のボスのキャラクターについては、ただの“成金デブオヤジ”でしかなく、悪役として特筆すべき卑劣さや恐怖感を微塵も感じなかったことは残念だ。 また、その後に予定されている展開ありきのボンドカーの秘密機能など、諸々のご都合主義な部分は多く、突っ込みどころは枚挙に暇が無い。  まあしかし、ただの古めかしいアクション映画の範疇には留まらないこのシリーズの魅力と、それに伴う娯楽性は充分に堪能出来ると思う。 シリーズ第3作目にして、あらゆる「定番」が確立した作品でもあるらしいので、様々な"お決まりごと”を楽しむことを前提として観ることができれば、何の問題もない。  惜しむらくは、ラストはこの作品のタイトルに相応しく、黄金漬けになり死に絶えた悪役の指のアップかなんかで終わってほしかった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-15 00:12:03)
128.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!
馬鹿馬鹿しいことを、しっかりとお金と労力をかけて覚悟をもって貫き通すこと。それが良いコメディ映画を生み出すための条件だと思う。 この作品の製作スタッフは、そういうことを誰よりも理解しているからこそ、世界中に受け入れられるコメディが作れるのだと思う。  エドガー・ライト監督&サイモン・ペッグ+ニック・フロストの主演コンビの「ショーン・オブ・ザ・デッド」、そして監督は異なるが同主演コンビの「宇宙人ポール」を既に観ていて、それぞれ映画ファンなら殊更に爆笑必至の素晴らしいコメディ映画の世界観を堪能していた。  前述の二作品がそれぞれ「ゾンビ映画」と「宇宙人映画」のパロディを存分に詰め込んだ作品だったのと同様に、今作の“対象”は、もちろん「刑事映画」。 「刑事映画」、その中でも特に“バディ映画”におけるベタと王道が、可笑しみと愛着をもって見事に散りばめられている。 中でも、「ハートブルー」をパロディの中心に据えていることが、非常に局地的なツボを突いていて良い。  この手の映画としては、120分という上映時間は正直「長い」と感じる。中盤において若干の中だるみ感を感じてしまったことは否めない。 しかし、ラストの怒濤のクライマックスは、そういうマイナス要素を吹き飛ばしてくれる。一見滅茶苦茶で何でもアリな展開に見えるけれど、それまでの人物描写が何気なくも人物それぞれの異質さを表しており、用意周到な伏線となっている。 だから、滅茶苦茶に見える展開にも妙に説得力があり、「娯楽」として見事に高まっている。  ついに最後にはモンスターパニック映画から東宝映画オマージュまで加わり、映画ファンのカタルシスを一気に高めてくれた。  充分満足できる映画であることは間違いない。が、"彼女”がケイト・ブランシェットだということに気がつけなかったことは、この大女優のファンとして情けない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-17 22:35:09)
129.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005)
「天地創造」の真理に何の変哲も無い“一般ピープル”が触れるという物語の設定は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿とさせる。 惑星の崩壊と再生という大スペクタクルが、SF的観点と哲学的思想を巡り巡って、一人の男の言動に集約されるという顛末は、個人的に非常に興味をそそられる題材で、知らず知らずに異様な映画世界に引き込まれていた。  レンタルショップをぶらりと巡って、タイトルを聞いたことも無かった今作を、製作年も誰が出演しているかも確かめぬまま、“衝動借り”した。 「ロスト・イン・スペース」的なスペース・コメディものだという認識で観始めて、概ねその想定は外れてはいなかったが、想像以上にシュールな展開には少々面食らった。 馴染み難い異質なコメディが怒濤の如く羅列されるため、序盤から中盤に至るまで、映画の世界観に入りきれなかった部分があることは否めない。 ノリ自体は嫌いではないが、この映画が伝える“真理”が掴みきれず、戸惑ってしまったというのが正直なところだろう。  しかし、壮大な宇宙哲学的な要素を踏まえて、ストーリーが想定に反して次第にディープに深まってくいくのを目の当たりにして、この映画の存在性そのものに対して興味が深まってきた。 何がどう導き出されるのかということにようやく焦点が定まり、「結論」に至るまで映画世界を堪能することが出来た。  大いなる宇宙意思の中であまりに小さい生命体が無数に存在していて、すべての生命体の行く末はその宇宙意思に委ねられているように見える。けれど、突き詰めてみれば、結局は或る一つの生命体の意思によって宇宙意思そのものの行方が変わっていくという無限のロジック。 即ち、その「問い」に「答え」などは存在せず、「問い」と「答え」のどちらが先かも定かにはならない。 ただ、だからこそどんなに小さな生命体であっても生存していく“意味”があって、その事実こそが最も素晴らしいことだという…………。  多分に独りよがりな要素や、“テキトー”で“チープ”な部分も多い映画だった。 でも、そういう永遠に答えが出ないことをつらつらと頭の片隅で考えつつ、生きていく事自体がほんの少し楽しくなるという、へんてこりんな映画であることは間違いないと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-05-15 00:11:18)(良:2票)
130.  スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団
想像以上に“可愛らしい映画”だった。  もっと単純に「オタク魂」に突っ走っただけの映画だと思っていたが、主人公のへなちょこ野郎の恋模様と、彼を取り巻く友人たちの人間模様が、とてもファニーに映し出されていて、それだけで充分に愛着を持てた。  “憧れの君”は、決して美人ではないけれど、主人公が問答無用に惹かれる魅力は醸し出されていたし、三角関係となる中国系女子高生の彼女もキュートだった。 また、主人公のルームメイトのゲイを演じたキーラン・カルキンが素晴らしく良かった。風貌から溢れる絶妙な“澱み”が抜群だった。実兄の近況も気になるところだが、今後役に恵まれれば良い性格俳優になっていくような気がする。  この映画には真っ当な美男美女は登場しないけれど、そういった一人一人のキャラクターの印象度の高さが、最大の魅力だったのかもしれない。  “売り”であるテレビゲーム感を存分に踏襲したバトルシーンは、やはり楽しい。 特に、"邪悪な元カレ”第一号のインド人の登場シーンのインパクトが良かった。 歌って踊るインド映画の世界観をしっかりと組み込み、この映画に相応しいテンションを与えていると思う。  残念なのは、そのバトルシーンが徐々に尻つぼみ気味になってしまうこと。 7人の元カレキャラはそれぞれ良い存在感を醸し出してはいるのだが、一人目のインド人キャラの“濃さ”を越えられなかった印象が残った。 ストーリー展開についても、同様のバトルシーンが羅列するだけと言えばそれだけの話なので、110分超えの尺は長過ぎたと思う。90分以内におさえて、もう少しテンポを上げれば、主軸に描かれる音楽の勢いも際立ったと思う。  難点は少なくないが、こういう本気でふざけた映画は嫌いじゃない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-07 23:35:24)
131.  ヒューゴの不思議な発明
映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。 この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。 「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。  その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。 この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。  今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。 “子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。 時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。  ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。   この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。 冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。  つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。 この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。  映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。 ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。 そういう不思議な映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-17 16:44:51)(良:1票)
132.  ゴーストライター
ロマン・ポランスキー監督の“巨匠ぶり”に改めて感じ入ることができる映画であることは間違いない。が、敢えて今回は主演のユアン・マクレガーに言及したい。  意味の捉え方次第で善し悪しは変わってくるが、ユアン・マクレガーはスター俳優としては珍しいくらいに存在感が“軽い”。 あれほど特徴のある顔立ちをしていながら、どんな役柄においても必要以上の存在感を示さない。だから、どれほどの大バジェット映画の人気キャラクターを演じようとも、そのイメージが俳優としての彼自身に固執されず、どんな映画のどんな役柄で登場しても観客は一旦フラットな状態で彼の立ち振る舞いを追うことが出来るのだと思う。 だからこそ、映画の規模と演じるキャラクターの性質に関わらず、とりあえずフィットしてみせることが出来るのだと思う。  そんな特異な性質を持ったスター俳優にとって、今作の役所は特にハマリ役と言っていい。 “ゴーストライター”を生業とする主人公が、英国元首相の自叙伝の執筆に携わることから始まる“巻き込まれ型ミステリー”。 まず印象的なのは、主人公には役名が無いということだ。明確に実在する平凡なキャラクターとして登場するにも関わらず、名前がことごとく紹介されない。ある部分では明確に省かれ、ある部分では主人公自身がはぐらかし、ある部分では名前を覚えてもらっていないという設定で済まされる。  目の前の謎を盲目的に追い求めていく主人公の行動を中心に物語は進んでいくが、しばらくすると、名前が明示されないことも含め、彼のキャラクターがとても軽薄なものとして意識的に描かれていることが分かる。 巨匠が描き出す上質なミステリー調子の中で、徐々にストーリー以上に主人公の男の“存在性”そのものが静かに際立ってくる。  そうして導き出されるあまりに印象的で巧いラスト。 物語自体の衝撃や驚きだけに頼らず、卓越した映画術の巧さと、キャスティングの妙で紡ぎ出した洗練されたサスペンス映画の世界を堪能出来た。
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-21 16:32:29)(良:1票)
133.  素晴らしき戦争
世に存在する「戦争映画」の全ては例外なく「反戦」を描いているだろう。 もちろんこの戦争映画もその例に漏れないが、これほどまでに高らかに「戦争」そのものを歌い上げ、それが巻き起こっている世界そのものを“テーマパーク”として表現しエンターテイメント化することで強烈に批判した映画は他になかろうと思う。  あたかもボードゲームに興じるように私利私欲を満たすために戦争を展開する上層部の人間たちの愚かさや、その駒のように盲目的に戦乱に巻き込まれ命果てていく民衆の虚しい様が、ミュージカルの中に盛り込まれその本質が露になってくる。 流行曲や賛美歌の替え歌の中で表現される「本音」の部分が、戦争におけるすべての愚かさをつまびらかにしていくようで印象的だった。  ある狙いを持ってのことだが、今作では第一次世界大戦の情勢が時に隠喩的に表現されるので、当時の世界情勢に詳しくない者にとっては正直分かり辛い部分も多く、退屈感に繋がってしまう要素も大いにある。 誰しもが映画として全編を通して楽しめる作品とは言えないが、明確で力強い「意思」をもって描き出された映画であることは間違いない。  監督のリチャード・アッテンボローは、今作が長編映画処女作らしいが、とてもじゃないが普通処女作で手にかけられる映画世界ではないだろうと、圧倒的な世界観に唖然とした。  ラストシーンでは、美しい緑の高原を文字通りに“埋め尽くす”無数の白い十字架の墓標が映し出される。 神々しいほどに静かで美しいシーンだけれど、そこにはこの映画でももっとも明確な“怒り”が表れていると思った。
[DVD(字幕)] 7点(2012-01-12 14:02:37)
134.  リトル・ランボーズ
“なにか”に触れ、自分のその先の人生をかけるくらいに熱狂する。それは、すべての“男の子”に与えられた「権利」だ。 その熱狂が、たとえ盲目的で何かしらの弊害を生んだとしても、熱狂したその瞬間こそが彼らにとっての「宝物」であり、生きていく中でその価値はきっと揺るがない。  生活環境が全く異なった11歳の少年二人が、「ランボー」で共鳴する。 主人公二人の共通項が詩人のアルチュール・ランボーのことであればひどく退屈な映画に思えるが、シルベスター・スタローンの「ランボー」であることが映画の面白さを引き立てる。  厳格な信仰の元で育ちあらゆる娯楽を禁じられた少年が、悪たれだが映画が好きな少年に引き込まれ、嗜好を爆発させていく様が愉快で解放感に溢れている。 個人的に、かつて映画製作を志していた時期があるので、少年たちが喜びを爆発させるように映画づくりに没頭する様を観ているだけで、この映画を否定することなどできなくなる。  少々意味不明な交換留学生のフランス人の存在感や、主人公たちそれぞれの境遇の中途半端さに対して、この映画が求める抑揚に乗り切れない部分もあった。 ただそういう難点を補ってあまりある“輝き”がある映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-23 10:12:08)
135.  ファンタスティック Mr.FOX
こういうストップモーションアニメやクレイアニメを決して安直に子供に媚びるわけではなく、真っ当な大人も観られるコメディ映画に仕上げられることが、アメリカという国の多様性を最も分かりやすく表していると思う。 ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープが声優としてメインを張るわけだから、その価値観が確立されていることは明らかで、“エンターテイメント”という要素でこの国にはやっぱり敵わないと思わずにはいられない。  映画は思ったよりも“真っすぐ”な親子の物語だった。 周囲への迷惑を顧みず功名心を貫き通してしまう父親と、彼に憧れ彼に認められていないことに傷つく息子の絆の物語。“人間”を完全な悪者に据えて、共闘する中で親子の絆を見出し深めていく。  ストーリーに特別な捻りがあるわけではないけれど、時に奇妙な動きを見せるストップモーションのキャラクターたちが総じて愛らしく、彼らの言動を観ているだけで充分な娯楽性は備わっていると言える。  楽しく、安心して観られて、子供の頃に観たなら、何度でも観たくなるだろうアニメ映画だったと思う。 そして、無性に“りんご酒”というものを飲んでみたくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-19 15:10:51)
136.  ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
シリーズ第5作目にしてようやく「ハリー・ポッター」というエンターテイメントの面白味を味わえるようになった気がする。 この物語は、表面を何重にも“お子様向け”のファンタジーでコーティングした飴玉のようなもので、飽きるような甘ったるさを何層も溶かしていくと、やっと深い旨味に到達する。 そしてその旨味に達すると、前の甘さが懐かしく、大切なものだったということに気づかされる。  そんなわけで、物語全体が核心に向けて突き進んでいく5作目で初めて、全編通して鑑賞に堪える面白味を備えた映画作品として仕上がっていると思った。  主人公が両親の敵であり最大の敵であるラスボスに立ち向かっていこうとする様は描いた今作では、そのための礎となる自分自身の確固たる”居場所”と共に闘う“仲間”を見出していく。 そのくだりは極めてベタでストーリー展開として目新しさはないが、シリーズ4作目までの時に回りくどいほどの長い長い物語が伏線となり、ベタさを”王道的”とも言い換えられる説得力を備えていると思う。  世界的人気シリーズの面白味にようやく気づいた反面、やはりこのシリーズは”お子様向け”だと改めて思う。 それは、自分自身がきっちりと“お子様”の頃に、第1作目「賢者の石」を観て、自身の成長と共に各作品を観ていけていたなら、どの作品に対してもその時々に応じた面白味を感じることが出来たであろうと思うからだ。 
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-01-05 13:49:09)(良:1票)
137.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 復讐の女神<TVM> 《ネタバレ》 
ミステリーにおける“探偵”は、物語の真相を解き明かす先導者であり、同時に犯人を奈落の底に突き落とす”死神”でもあると思う。 謎の解明は即ち、殺人者に対する処刑宣告であり、その様は時に無慈悲で恐ろしい。  そういったミステリーの主人公の“正義漢”と表裏一体の“恐ろしさ”を、今作のミス・マープルからは如実に感じられた。まさに「復讐の女神」という主題にふさわしい。  古き友人の遺言に導かれるようにミステリーツアーに参加するミス・マープル。そこに集まるわけありの人物たち。 アガサ・クリスティー作品の大定番と言える舞台設定の中で、殺人が起こり、過ぎ去った殺人事件の真相が導き出される。 展開は極めて王道的だが、冒頭から感じられる禍々しさがストーリーの全編に溢れ、緊張感を増幅させる。  多くのミステリー作品で見られる顛末と同じく、真相を暴かれた殺人者は自ら命を絶つ。 その定番の展開を見る度に、みすみす死なすなよと思ってきたけれど、もはやそれはミステリーそのものの定石であり、避けられるものではないのだと感じてきた。  ミステリーにおいて、真相を解明する者は、同時に死刑宣告者であり、すべての主人公はその宿命を負っているのだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-20 14:38:27)
138.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 動く指<TVM>
アガサ・クリスティー原作の人気シリーズ「ミス・マープル」。そのテレビ映画シリーズを今回初めて続けて鑑賞し、今作が3作品目。 ようやくこのシリーズの特徴として、“ミス・マープル”は決して主人公ではないということに気づいた。  様々な人間模様の中から渦巻く謎と殺人事件。その「真相」を導き出すのは、“第三者”である謎解き好きの老婦人ではなく、その人間模様の中にどっぷりと息づく当事者であることが多いようだ。  一般的な名探偵ものとは一線を画し、名探偵役のミス・マープルは、節々で観察眼の鋭さを見せるものの、その立ち位置は、我々「鑑賞者」の目線に近い。 そのかわりに、物語の中で描かれる人間関係に密接な人物が事件を解いていくことで、よりドラマ性が深化し、ただのミステリーに留まらない情感を生み出していると思った。  イングランドの田舎町で出回る怪文書を軸に、閉鎖的環境ならではの人間関係の“ひずみ”とそれに伴う“殺人”を巧みに描き出した今作も、その例に漏れず、繊細な人間ドラマと上質なミステリーを同時に味わわせてくれる。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-15 11:00:16)
139.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 スリーピング・マーダー<TVM>
アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズの映像作品を初めて観た。 謎を解き明かす主人公が地味な老婦人ということで、それほど興味はそそられず恐る恐る観始めたが、冒頭から繰り広げられる上質なミステリアスに途端に引き込まれた。  婚約を機にインドからイングランドへ移ってきたヒロインが、何かに導かれるように訪れた売り家にて、養生時に見た「殺人」の記憶が突然蘇ったことから、それまで眠っていた事件が目覚める。 ヒロインと事件にまつわる人々が入れ替わり立ち替わりし、複雑な人間模様があらわれてくるくだりは、アガサ・クリスティらしいストーリーテリングで、事件の真相と並行して導き出される隠された人間ドラマが秀逸だった。  ソフィア・マイルズが演じたヒロインが、蘇る記憶に苦悩しながらもアグレッシブに過去の人間関係を辿っていくので、ミス・マープルの存在性が薄く感じてしまったことは如何なものかと思う。 が、一つのミステリー作品としての完成度は極めて高く、オールドイングランドを舞台に洗練された文体の世界観を堪能できた。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-05 13:00:01)
140.  名探偵ポワロ 死との約束<TVM>
遺跡発掘現場にて会した“訳ありの一族”。周囲から忌み嫌われる夫人が殺される。 アガサ・クリスティの原作のみならず、もはやミステリーそのものの大定番の舞台設定の中で、物語は展開していく。  はっきり言うと、用意された「真相」も、“定番”であることは否定できない。 並のミステリーであれば、“オチ”の正体を薄々感じさせるストーリーなど、退屈過ぎ馬鹿らしくて追っていられない。 ただこれがアガサ・クリスティの「名探偵ポワロ」である以上、“退屈”なんてものは存在しない。  何となく真相は見えつつも、デヴィッド・スーシェ扮するポワロの推理劇に身を任せることを厭わない。予定調和の中に身を置くことに、むしろ心地良ささえ感じる。  砂漠の灼熱の中で突如発生した謎が、陽炎のように大きく膨らみ、名探偵により束の間の実体を見せ、去っていく。 アガサ・クリスティらしい叙情的なミステリーに、安心して没頭させられる。   P.S.「ハムナムトラ」シリーズのジョン・ハナーが出演しており、明らかに「砂漠の遺跡発掘現場」という舞台設定を意識したキャスティングにほくそ笑んだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-09-21 13:28:21)
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