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プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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61.  ザ・フライ 《ネタバレ》 
尋常ではなくグロイです。残酷描写には比較的慣れている方なのですが、それでもこれはキツかった。オスカーを受賞した特殊メイクの威力はもちろんのこと、クローネンバーグのグロを見せる才能が本当に凄い。本作と同様の技術を使用した「Ⅱ」と比較すると、監督の手腕がいかに卓越したものであるかがわかります。実験失敗で皮膚がひっくり返ったヒヒや、腕相撲で腕をへし折られるおっさん、出産シーンの巨大ウジ虫等々、そのタイミングの絶妙なこと。来るぞ、来るぞ、と引きつけておいて、ドカンとえらいものを見せる抜群の間。クローネンバーグの手を離れた「Ⅱ」には、残念ながらこれほどのインパクトはありません。また、本作はクリーチャーの描き方も卓越していて、作りもの丸出しなのにキャラクターとしての生命を宿している辺りも演出の妙です。これまた「Ⅱ」のクリーチャーはやたらショボいです。やはり映画は技術ではなく演出なんだなぁと思い知らされました。 本作の脚本はかなり斬新で、オリジナルの『蝿男の恐怖』がただのモンスター映画だったのに対し、本作はモンスターへの変貌の過程を中心に持ってくるという、他に類を見ない構成となっています。しかもメインのテーマは男女の愛情。蝿男の映画を作れと言われて、こんな話を考えてしまうのは世界中でクローネンバーグぐらいでしょう。また50年代のB級ホラーを原作としながらも、科学的にそれらしく感じさせる工夫が多くなされていることにも感心します。無機物の転送はできるが、有機物についてはその構造をうまく理解できず、混乱したコンピューターが蝿と人間の遺伝子を混ぜてしまったという設定は、なかなか上手く考えたものです。サイエンスとフィクションがうまく組み合わされた、見事なSF的発想ではないでしょうか。ハエの生態に近づいていくセスの描写も科学考証を踏まえたものですが、爪が剥がれ、歯が抜け落ち、消化液を吐き出して物を食べるようになるという設定など、本当に細かく考えられています。こうして細かい描写を積み重ねつつも、クライマックスではセスの顔が一気に剥がれ落ち、ブランドル蝿の完全体が現れるという怒涛の展開。この辺りのテンポの作り方も絶妙で、映画的興奮が宿っています。本当にこの人は映画作りがうまいものです。  【2018/6/24追記】 あらためて見返しましたが、やっぱりグロくて感動的。これほど感情表現豊かなホラー映画はその後20年以上経っても類がなく、驚異的な傑作だと思います。 また、今回の鑑賞では2時間に及ぶメイキングも含めてがっつり鑑賞したのですが、クローネンバーグのみならず大勢の関係者が正しい選択をしながら生み出した傑作であることがよくわかりました。未公開シーンを見れば顕著なのですが、実は未使用フッテージが結構ある作品なのです。例えば、生存の方法を探るブランドルがヒヒと猫を使った実験をし、両者が醜く融合したクリーチャーを生み出す場面などは演技的にも視覚効果的にもかなり手が込んでいるのですが、観客がブランドルへの反感を抱きかねないとして完成版からはバッサリ落とされています。同様に、生存したベロニカのお腹にいる胎児はモンスターではないことを暗示する場面も手の込んだ視覚効果を用いて撮影されていたのですが、こちらも同様に削除されています。本筋とは無関係な描写や、キャラクターの個性を誤解させる可能性のある場面はカットし、シンプルに徹した作風が勝因となっているのです。 また、ベロニカ役のジーナ・デイビスに相当な負荷のかかっていた現場でもあったようです。誤作動も多いパペットを用いた撮影にはとにかく時間がかかり、クライマックスの撮影には2週間を要したのですが、泣き叫ぶ演技をしなければならないジーナ・デイビスはその2週間、ずっと泣いていなければならないというかなり過酷な状況を強いられていました。パペットが思い通りに動いた瞬間に「はいジーナ、今泣いて」と言われるような無茶な指示が出ていたこともメイキングには収められており、この完成度の裏側にはキャストとスタッフの並々ならぬ苦労があったことがよくわかりました。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2010-02-13 20:23:54)(良:3票)
62.  バーティカル・リミット
前半はそれなりに楽しめました。雪山を舐めた金持ちが、案の定遭難するところまでは。しかし、本筋に入ると話は急激に失速をします。生存者の命は36時間しかもたないというタイムリミットを設定したにも関わらず、救助隊の出発までが妙にまったりしていること。いざとなればあうんの呼吸でチームが編成され、さっさと出発してしまう。そんな、きびきびとしたプロの仕事で緊迫感を煽るべきだったのに、「大変だぁ」とセリフで言うだけで行動が伴っていないのでは緊迫感が伝わりません。ようやく雪山に入ってからは、発生する危機は人災ばかり。うっかり荷物を落としてしまったとか、そのレベルの危機の連続が繰り広げられるのです。さらに、見せ場の大半がクリフハンガーから拝借されています。クリフハンガーは「派手さ」と「やりすぎ」の間でギリギリのバランスを保っており、生身の人間が戦っているという緊張感が伴っていました。しかし本作のアクションは完全にやりすぎ。そして、みなさんご指摘のニトロです。映画会社が派手な爆破シーンを作りたくて、かなりムリな形で物語に挿入されたのが丸出しですが、そんな商売目的であっても、脚本家はもう少し知恵を使ってニトロを物語に絡めるべきでした。なぜダイナマイトではなくニトロでなければならなかったのか?その説明すらありません。挙句には、太陽光に当てるとニトロが爆発するという重要なことに、登山をはじめてから気付くというお粗末ぶり。また、本作の倫理観にも問題があります。「雪山に民主主義はなく、リーダーの決断に従わねばならない」。これを守らなかったために金持ちは遭難したのですが、クライマックス近くでは、主人公は救助隊のリーダーを無視した行動をとります。物語の倫理観には首尾一貫性が必要ですが、本作にはそれがないのです。「極限状態ではより多くの人間が生き残るために、少数の命を切り捨てる決断をせねばならない」という命題についても同様。物語中悪役と位置付けられている金持ちは、助かる見込みのない負傷者には貴重な物資を与えず、これを生存の可能性のある者のみで使おうと主張しますが、この行動がどう見ても理にかなっていて、本作の倫理観に照らしても妥当なのです。通常のストーリーテリングであれば悪役は物語の倫理観に反する行動をとるべきなのですが、それが守られていないため本作は一体何を言いたいのかがよく分からなくなっています。
[DVD(吹替)] 2点(2010-06-30 20:02:13)(良:3票)
63.  フォレスト・ガンプ/一期一会 《ネタバレ》 
本作は、インフレ率を考慮すると後の『スパイダーマン』や『ダークナイト』をも超える興行収入を叩き出しているのですが、アニメでもスペクタクルでもないヒューマンドラマがここまでの数字を出した例は後にも先にもこれ一本のみ。今回、十数年ぶりに鑑賞してみたのですが、確かにこれはアメリカ人から熱狂的に支持されて当然の映画だと感じました。。。 本作の舞台となる60年代から70年代にかけて、アメリカはまっぷたつに分裂していました。大統領を含む政治的リーダーはしょっちゅう命を狙われ、公安組織は市民のデモ隊に対して容赦なく暴力を振るうという世相であり、それはもはや内戦状態とも言える有様でした。そんな時代を反映するかの如く、このドラマには二人の人物が登場します。国家に対して従順なフォレスト・ガンプと、反権力に生きるジェニー・カランです。通常の映画であれば反権力に身を置く者が主人公とされるところなのですが、本作では権力に寄り添うフォレスト・ガンプが主人公となっています。そして、ガンプが堅実に生きた結果としてアメリカン・ドリームを手にする様は、あの時代のアメリカ社会の肯定を意味します。これまで真っ暗闇として描かれてきた60年代から70年代のアメリカは、本作によってようやく復権したというわけです。一方、反権力のジェニーはと言えば、ガンプやババが戦場で命を張っている間、仕事も勉強もせずに仲間と遊び呆けて暮らしています。彼女は権利ばかりを主張して義務を果たすつもりはないという身勝手な生き方をするのですが、それは反権力とかプロ市民に対して一般人が持つ反感を見事に具現化したものです。自堕落な人生のツケを払わされるかの如く、彼女がエイズで命を落とす様は、もはや勧善懲悪の世界でした。。。 以上の通り、本作は強烈な政治性を帯びているのですが、コメディを得意とするロバート・ゼメキスの演出によって程よくマイルドに落ち着いており、アメリカ人以外でも楽しめる仕上がりとなっています。あき竹城みたいな東洋人を連れて久しぶりに姿を現したダン中尉が、爽やかな笑顔で「俺にもフィアンセが出来たんだ」と言う場面なんて、涙が出る程笑ってしまいました。また、ノンフィクションものを得意とするエリック・ロスによる脚色も見事であり、歴史的事実とファンタジーとの間で絶妙なバランスをとっています。
[DVD(吹替)] 7点(2012-10-17 01:55:08)(良:3票)
64.  スター・ウォーズ
至って単純明快、場合によっては「幼稚だ」と切って捨てられるタイプの作品でもあります。しかしあらためて鑑賞すると、この映画の作りはダテではないことに気付かされます。 本作のキャラクターには過不足がなく、どのキャラクターも活き活きしています。冒険に目覚める純朴な青年、青年を導く人格者の老人、お調子者のお供二人、愛すべきならず者とその相棒、勝気なお姫様、、、冒険物語においては定番中の定番の布陣なのですが、奇をてらっていない分、キャラクター造形には高いレベルが求められます。特にC-3POにあたるキャラクターは時に冒険の足を引っ張り、観客から嫌われかねない難しいポジションなのですが(ジャージャー・ビンクスは完全に嫌われましたね)、ルーカスはこれをほぼ完璧に作り上げています。ダテ男(死語?)のハン・ソロも一歩間違えればダサダサ人間になる可能性があったものの、ルーカスの脚本とハリソン・フォードという俳優によって狙い通りのキャラクターに。各キャラクターがこれほどまでにポジション通りの機能を果たしている作品は滅多にありません。また、物語も王道ど真ん中ですが、王道だからこそシェフの腕がモロに試される難しい素材。これを期待通りに仕上げてみせた腕前は評価に値します。そして何より凄いのが世界観の構築で、見る度に新たな発見があり、続編やスピンオフ小説を山ほど作れるほどの基礎をこれ一本で作り上げています。当初より想定されていた裏設定から後付けの話までいろいろあるのでしょうが、ともかく続編を5本も作って綺麗につながる物語となっていることには驚かされます。ルークの口からオビワンの名前を聞いた瞬間、オーウェンおじさんとベルおばさんが怪訝な表情をするところ、R2-D2を見た瞬間、オビワンが遠い目をするところなどは、30年も後に製作されたEPⅢと綺麗につながるのですから大したものです。  【2018/6/29 追記】 新作『ハン・ソロ』公開にあたり、設定年代の近い本作と『ローグワン』を再度鑑賞してみました。 優秀なクリエイター達により量産される新作で目が肥えてしまったためか、あらためて見返すと展開は鈍重で、見せ場にも目を奪われませんでした。40年も前の映画なので仕方のないこととは言え、シリーズへの新規ファンの参入を妨げているのは本作の存在ではないかという気もしてきました。 また、後のシリーズで明かされるスカイウォーカーの家系図については、本作の時点ではまったく構想がなく、後付けの設定でしかなかったんだろうという点も気になりました。特にレイアの妹設定は本作のドラマの流れとはまったく整合しておらず、それどころか妹設定を念頭に置いて見るとなかなか気持ち悪いことになっており、この後付け設定は失敗だったと思います。同じく、ベイダー=ルークの父=オビワンの親友という設定を念頭に置くと整合しない会話もいくつかあって、ルーカスはもうちょっとうまく後付け設定を付け加えればよかったのにと思いました。 他方で、今回の鑑賞で気づいた良さもありました。明るく楽しいSF大作のようでいて、人の死をちゃんと描かれています。帝国軍に襲われたオーウェンおじさんとベルおばさんの死体がバーンと出てきて、それでルークは危険な冒険に出る決意をしたり、ヤヴィンの戦いでも撃墜される瞬間にパイロットの断末魔の様を見せて、ただでさえ少ない味方がさらに減ったということを観客に見せて危機感を煽ったりと、人の死という重大なイベントとドラマの進行をうまくリンクさせているのです。現在に至ってもこういう丁寧な映画はなかなかないなと感心させられました。
[DVD(吹替)] 7点(2004-09-23 22:41:24)(良:3票)
65.  アンドリューNDR114 《ネタバレ》 
SFオンチの監督の手に渡ったのがお気の毒としか言いようのない作品。エスねこさんが詳しくレビューされていますが、本来これはほんまもんのSF作品。作り物が人間よりも人間らしくなった時、ホンモノとニセモノの境界はどこへ行くのか?というSF定番の問いかけを軸に、その境界の真っ只中に立たされるアンドリューの苦悩が感動的かつ哲学的に描かれる…はずの作品だったのですが、SFとしてはあまりに雑な仕上がりのためおいしいところはほとんどスルー、ロボットと人間が結婚して良いおじいちゃんとおばあちゃんになりましたという志の低い作品に終わっています。アンドリューと人間社会のつながりが本作最大のテーマと言えますが、肝心の社会風俗の描写があまりに杜撰なのです。彼らの世界ではロボットはどの程度普及しているのか(マーティン家は金持ちだったが、金持ちしか持てないものなのか?)、何の目的で家庭で使用されているのか(あのドン臭いデザインでは邪魔なだけにしか見えない)という極々基本の部分すらよくわからない状態。中盤より彼は自分で収入を得るようになりますが、どこが評価されて彼の商品が売れたのか、そしてあの世界でロボットが収入を得ることがどれほど例外的なことなのかがわかりません。勝手に進化をはじめたアンドリューに対する人々のリアクションも不自然で、彼が人間とタメ口を聞くようになろうが、マイホームを持ち服を着るようになろうが、金属からロビン・ウィリアムズの顔に変わろうが「あぁそうなんだ」程度で普通に受け入れられてしまうのは、作品のテーマとそぐわないのでは?人間になろうとするアンドリューと、その進化についていけない人間社会との軋轢こそが本作の主題だったはずなのに、200年があまりに順調すぎたと思います。ロボットとの愛情を育むこととなるポーシャにまるで葛藤がないのも不自然。ロボットと愛し合い、おまけにセックスまでするという人類史上誰も経験のないことをやってしまう女性なのに、普通の結婚とさして変わりのない様子。社会もふたりの結婚を素直に認めちゃってるし。どうしてここまでSF要素を切り取ってしまったのかと、不思議で仕方ありません。
[DVD(吹替)] 4点(2008-10-06 01:17:45)(良:3票)
66.  スパイダーマン(2002)
当初はキャメロン監督&ディカプリオ主演とアナウンスされ、映画版スパイダーマンは凄まじい超大作になると期待されていました。しかし90年代当時のマーヴルコミック社は借金まみれでスパイダーマン映画化権の所在が不明確となっており、法的な処理が進まない中でキャメロン組は断念。その後名前の挙がったサム・ライミ&トビー・マグワイア組には、世界中で落胆の声があがりました。サム・ライミ…低予算ホラーの監督に大作が務まるの?トビー・マグワイア…誰?。。。しかしフタを開けると、この二人が良かった。X-MENシリーズ、旧バットマン、新バットマン、成功するアメコミ映画は、監督のカラーがはっきり出ているものです。その点、本作はサム・ライミのカラーが発揮されており、しかもその個性がスパイダーマンという作品にしっくりきています。この人は低予算ホラー出身であるためか、いくら予算を積んでもなぜか大作感が出ないという特徴があります。本作は200億円を超える史上最大規模で製作された作品なのですが、そんなに金のかかった映画に見えません。アメコミ大作に慣れた現在の目で見るから安っぽく感じるというわけではなく、公開当時にも「映像がプレステ並み」という批判があがっていたほどで、映画全体に妙なチープ感が漂っているのです。これは通常の大作であれば致命的な欠点なのですが、スパイダーマンにはこの空気感がマッチしています。本作は大いなる力をたまたま手に入れた平凡な青年の物語であり、大袈裟な超大作であってはならない作品。たまにドジもする人間臭いヒーローには、この空気感でなければならないのです。またスプラッタホラーでコメディをやってみせたライミだけあって、スリルと笑いのバランスの取り方は慣れたものです。この味は、例えばブライアン・シンガーやクリストファー・ノーランには絶対に出せないもので、キャメロンでもここまでうまくは出来なかったと思います。マグワイアのハマり具合も抜群です。ディカプリオがやっていればピーター・パーカーが特別な人間になってしまったところですが、マグワイアが演じたことでイケてない普通の高校生となりました。キルスティン・ダンストは確かにブサイクでしたが、下町感溢れる本作にはあの程度が調度良かったんじゃないですかね。あそこでナタリー・ポートマンみたいのが出てきたら、ひとりだけ浮いてたでしょう。顔の分はおっぱいで取り戻してたし。
[映画館(字幕)] 7点(2010-01-02 19:56:14)(良:3票)
67.  ブラック・ダリア
この話にデ・パルマというのは最高の組み合わせではないでしょうか。性と殺人が密接に絡み合うというテーマはこれまでのデ・パルマが執拗に描いてきたものだし、残酷でドロドロしてるんだけどなぜか上品という風格もデ・パルマでこそ出せる独特の味わい。この話をもっともうまく見せられる監督はデ・パルマであり、またデ・パルマの才能をもっとも発揮できるのはこの話であり、両者にとって理想的な出会いであったと思います。正直、この映画の脚本自体はそれほどクォリティが高くありません。まず話が入り組みすぎてわかりにくすぎ。かなり映画を見慣れており、映画文法やデ・パルマの手法を正確に把握できる者ですら、最初から最後まで集中していなければ理解できないほどわかりづらいというのは映画の脚本としては致命的。一般の観客では到底理解不能な話になっているのはさすがに問題だと思います。また、それほどわかりづらい話でありながら、謎解きの興奮が薄いのも映画の脚本としては失格。見ている人間の頭をさんざん悩ませながら、結局謎のほとんどはセリフで語られてしまいます。もっと動きのある謎解きにしてくれないと、映画でやっている意味が半減します。そんな完璧とは言えない脚本なのですが、かなり良いメンバーが集まったおかげで謎解き以外にも見るべき要素が加わった結果、映画としては救われたと思います。時に過剰に感じられるデ・パルマのテクニックがこの映画の雰囲気には良く馴染んでいて、饒舌なテクニックにより業の深い話を効果的に見せると同時に、テクニックにはある意味機械的な感触があるおかげで、必要以上に陰惨さを感じさせず話の風格を妨げさせないという、相反するふたつの効果を挙げているのは驚きです。また、ジョシュ・ハートネットとスカーレット・ヨハンソンのふたりが期待以上に良く、このふたりが出ているだけで画面が引き締まっていました。ヒラリー・スワンクに絶世の美人の資産家令嬢をやらせたのはミスキャストでしたが、確かに彼女の演技力にも見るものはあり、そこに期待してのキャスティングだったのだろうなと思います。そんなわけで決して完成された映画ではなく、見る者がどの要素に重きを置くかで評価の大きく変わる映画ではありますが、私としては大いに評価したいと思います。
[映画館(字幕)] 8点(2006-10-28 15:22:31)(良:3票)
68.  アフロ田中 《ネタバレ》 
原作は未読です。タイトルからもわかる通り正真正銘のバカ映画なのですが、鑑賞前には114分という思いの外長い上映時間が気がかりでした。というのも、『裸の銃を持つ男』も『オースティン・パワーズ』も上映時間は90分程度、この手の映画は短めにさくっと終わらせないとひどく間延びして感じるのです。そんな不安を抱きつつの鑑賞でしたが、幸いなことにこれがまったくの要らん心配でした。頭から尻尾まで濃厚100%、2時間近く笑いっぱなしでした。素晴らしい場面が100個はあって、ひとつひとつ挙げられない程です。さらには、下ネタやブラックジョーク、考えオチや内輪ネタは極力避けて王道の笑いのみで勝負している姿勢や、安易に感動に走らず終始バカに徹した潔さも男らしく、本作の純粋娯楽ぶりはコメディ界の『レイダース』とでも言える領域に達しています。。。 そんな本作ですが、その構成は極めて周到です。バカはバカではあるが2時間弱を不毛なコントで終えているわけではなく、骨格となるドラマは丁寧に組み立てられているのです。主人公・田中と、お隣に越してきた絶世の美女・加藤の関係がそれなのですが、接近したり離れたりのもどかしい距離感が大変なスリルと興奮を生み出しています。その間に披露される童貞あるあるも核心を突いたものであり、特に男性は「それわかる!」の連続だったはずです。また、オチの付け方も良いと感じました。アメリカ人にこの手の映画を作らせると必ずオタク青年が美女をゲットして終了するのですが(『アメリカン・パイ』『スーパー・バッド/童貞ウォーズ』etc…)、それではオチになっていません。情けないフラれ方をしてこそコメディだと言えるわけで、その点で本作は100点でした。さらには、訳のわからん理由で交際を断られるという展開もさもありなんで、男性ならば人生において一度や二度はこんな経験をしているはずです。。。 本作の脚本を担当したのは、36歳にしてテレビドラマ界のヒットメーカーと呼ばれている西田征史。そして監督を担当したのは、かつて史上最年少の若さでNHKの連続テレビドラマの脚本を執筆し、本作において若干26歳で監督デビューした松居大悟です。つまりこの映画、才能ある若手クリエイターが生み出した作品であって、決していい加減には作られていません。バカをやるには知性が必要という良い例だと思います。
[DVD(邦画)] 9点(2012-10-23 00:25:50)(良:3票)
69.  マン・オブ・スティール 《ネタバレ》 
IMAX3Dにて鑑賞。 「スーパーマンは難しい」。その圧倒的な強さ故に強敵を作ることが困難だし、設定が非現実的過ぎて実写でやるとお笑いになってしまう。前作『リターンズ』の製作に10年以上かかってしまったことからも、これは魅力的でありながらも実現困難なコンテンツであることが充分に伺えます。そこに来て、バットマンを理詰めで実写化したクリストファー・ノーランがスーパーマンをどう料理するのかに関心があったのですが、ノーランはこの歴史あるコンテンツを驚くほど自分色に染めていて、その大胆さには心底恐れ入りました。。。 ヒーロー映画としての面白さを徹底的に追求した『リターンズ』と比較すると、本作には驚くほどカタルシスがありません。ノーランはアクション映画を多く手がけながらも、基本的に暴力は忌むべきものと考えているようであり、本作においてもスーパーマンの力を否定的に描いているのです。クリプトン人としての能力は特権ではなく呪縛として機能しており、それは幼少期よりクラークを苦しめます。また、暴力の帰結としての人の死からも逃げておらず、ゾッド将軍を殺した後のスーパーマンは苦悶の叫びをあげます。さらに、スーパーマンが戦った街では大勢の一般市民が巻き添えとなって死んでいることが容易に想像できる描写が続き、全体を通してかなり後味が悪いのです。はっきり言うと、スーパーマンの企画でやってはいけないことを並べ立てた内容としています。そのポストモダンな作風ゆえに原作ファンは納得しないだろうと思うのですが、ドラマ性が高まったことで映画としては抜群に面白くなっています。自分にとって邪魔でしかない個性とどう向き合うのかという、非常に普遍的なドラマとなったのですから。また、ケビン・コスナーから意外な熱演を引き出したという点でも、本作の脚本は評価できます。。。 以上、ひたすら暗く地味な脚本なのですが、ビジュアルの鬼・ザック・スナイダーが監督に就任したことで見せ場のテコ入れが図られ、ドラマの暗さをアクションの面白さで打ち消すという絶妙なバランスが実現しています。見せ場の迫力や面白さは群を抜いており、本作と比較すると『アベンジャーズ』すら二流のヒーロー映画に見えてしまいます。スーパーマンの強さや速さの描写は非常に的確だし、スピーディながらも見辛くなる一歩手前のところで踏みとどまっている監督のサジ加減にも驚かされます。
[映画館(字幕)] 9点(2013-09-02 01:43:40)(良:3票)
70.  ウォッチメン
原作既読です。コミックの枠を超え、アメリカ文学史上の傑作とすら言われる作品なのですが、これが実に338ページに及び、コマの中で一瞬うつる雑誌や貼り紙にも意味があり、さらに各章の最後には世界観を補足するためのこってりとした資料まで付属という凄まじい情報量。こんなものを2時間40分で処理できるのかと思ったのですが(原作者も、最初に映画化を試みたテリー・ギリアムも、一本の映画にまとめることは不可能と語っていた)、驚いたことに原作にあった要素はほとんど捨てておらず、かと言って駆け足感もなくて原作と同じようなテンポを再現しています(退屈だという意見もありますが、当の原作がこのテンポであり、そこまで忠実に作られているのです)。また、登場するキャラクターの印象も原作を読んだ時のまんま、ロールシャッハは相変わらずかっこよく、ナイトオウルは相変わらずのヘタレで、Dr.マンハッタンは相変わらずフルチンです。ミニッツメンとウォッチメンという新旧2つのヒーロー組織が登場し、それぞれのヒーローは本名とヒーロー名の両方で呼ばれるため非常に複雑、原作は何度も前のページに戻りながら読んだのですが、映画版はこの辺りの交通整理をうまくこなしており、はじめて見る人でも混乱しないように作られています。こうした秀逸な脚色の上に、監督のビジュアルセンスが炸裂。「ゾンビ」のリメイクでガンコな旧作ファンを返り討ちにしたツワモノだけあって、本作でも驚異的な仕事をしています。原作のカットを忠実に再現しつつ、実写ならではのアップグレードも加味。格闘時のロールシャッハの素早い身のこなしは原作を超えるかっこよさだし、火星に現れる楼閣の美しさは芸術的ですらあります。役者もよく選んできています。全員原作のイメージ通りであり、特にロールシャッハは、正義に執着することで生きている精神異常者で、背の低いブ男なのにマスクをかぶると猛烈にかっこいいという難役であったにも関わらず、これにハマる俳優を選んできているのが凄いです。以上、「ウォッチメン」の映画化としては完璧な仕上がりだと言えます。ただ、ここまで忠実だとどうしても原作ありきになってしまうので、さまざまな工夫がなされているとは言え未読の方にとっては苦しい出来なのも確か。一本の映画としてどう評価すべきかは難しいところです。とりあえず私は気に入ったので、高得点を付けておきます。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2009-09-17 19:00:41)(良:3票)
71.  インデペンデンス・デイ: リサージェンス 《ネタバレ》 
IMAX3Dにて鑑賞。 一足先に公開されたアメリカでは評価、売上ともに振るわなかったため、さほど期待せずに見たのですが、それでも落胆させられるほど酷い出来でした。ウィル・スミスは「5,000万ドルくれれば出るよ」なんて言って、まぁFOXが飲みようのない条件を出して本作への出演を辞退したわけですが、これは断られて当然の内容だったと思います。 舞台は前作から20年後。すなわち、映画の世界でも現実世界と同じ時間が経過しており、「もし1996年に宇宙人に襲われていたら、2016年はどのような世界になっていたか」というパラレルワールド的な楽しみのある設定なのですが、エメリッヒはそうした遊びを追求していません。前作で倒した宇宙人のテクノロジーを拝借して大気圏を飛び出す技術が進んだことと、武器が火薬からビームに変わったこと以外には特段の変化がないのです。あれだけショッキングな事件を経験したにも関わらず人々の意識はさほど変化していないし、がれきの山からの復興に人類は大変な苦労をしたはずなのに、そうした歴史をまるで感じさせられません。これではSF映画として失格でしょう。だいたい、大都市を狙い撃ちされて多くの人命を失ったにも関わらず、依然として大都市密集型の文明を継続しているとか、もうバカかと。 二度目の侵略が始まるかもしれないという前兆が見られ始めても人類のリアクションは少なく、パニック映画としても失格です。月に球体UFOが現れてもさほど驚くことなく、「撃ち落としたからよかったよかった。それよりも式典が大事」という素っ頓狂な反応を見せます。1996年に滅ぼされかけた経験は全人類にとってのトラウマになっているはずであり、20年ぶりのUFO再来は、人類は依然として宇宙戦争という宿命から逃れられていないことを想起させる重大事件だったはず。にも関わらず、それがアッサリと流されたことには大変な違和感を覚えました。 襲来してくるUFOは前作以上に巨大化しており、今回は大陸サイズのマザーシップが北半球をスッポリと覆ってしまいます。大きいことは良いことだというエメリッヒイズムもここに極まれりという感じですが、さすがにこれはやりすぎデカすぎ。そもそも資源の採取がこのエイリアン達の目的だったのに、これだけデカイUFOを作れるなら資源に全然困ってないだろと、根本的な部分でツッコミを入れたくなってしまいます。 第一波の攻撃を受けた後、敵の戦力をまともに分析せずすぐに大規模な反撃を仕掛けて貴重な残存兵力の大半を失うという、1996年と同じ失敗を今回も繰り返すアメリカ政府の大バカぶりには参ってしまいました。ま、エイリアン側も良い勝負のバカさ加減で、戦略的にまったく無価値なスクールバスを全力で追いかけるクィーンエイリアンの間抜けっぷりには呆れてしまいました。マザーシップを潰されるとシステム全体が停止するというバカ丸出しなエイリアンのシステムは今回も健在であり、だったらクィーンは絶対安全な場所に温存しておき、前線に行かせるのは兵隊アリだけにしておけよとか、アタッカーにコクピットがついている以上はパイロットが操縦しているはずなのに、クィーンを倒された瞬間にノーマットを焚かれた蚊の如くボトボトと墜落するのはおかしいだろとか、ツッコミどころ満載で見せ場にまるで集中できませんでした。 登場人物は増えているのですが、新規に追加されたキャラクターはことごとく魅力を欠いており、存在意義が不明なキャラクターまでいる始末。特に問題に感じたのは、クレジット上はトップに来るリアム・ヘムズワース演じるジェイクで、無鉄砲なエースパイロットという立ち位置は前作のヒラー大尉のポジションを引き継ぐものですが、本作にはもう一人の主人公としてヒラーの息子・ディランが登場する以上、ディランこそがその役割を担うべきでした。にも関わらずエースパイロットとしてジェイクが登場したことから、ディランとジェイクがお互いのポジションを食い合うという事態が生じているのです。立場の重複は他にも見られ、ホイットモア元大統領とオークン博士がエイリアンとの交信者役を同時にやっていたり、レヴィンソン博士とマルソー博士が共にエイリアンの計画を解き明かすブレーンのポジションにいたりと、無駄なキャラクターがやたらと目につきます。 本作を見ると、過不足なく揃えられたキャラクター達を通して地球侵略という大きな題材を破綻なくまとめてみせた前作が、いかによく出来た映画であったかがよく解ります。本作はさらなる続編を匂わせて終わりますが、さすがにもういいです。また、不自然な形で中国人キャストをねじ込んできたり、何の前触れもなく突然舞台が中国に移ったりといった、最近のハリウッド大作で頻繁に見られる中国ヨイショもいい加減にして欲しいと感じました。
[映画館(字幕)] 2点(2016-07-09 01:07:40)(良:3票)
72.  ダンケルク(2017) 《ネタバレ》 
IMAXにて鑑賞。IMAX撮影されたノーラン作品は、IMAXで鑑賞するのが正しい見方ですね。 戦争映画は群像劇と結びつきやすい素材である上に、監督は幾重にも重なる物語を描き続けてきたクリストファー・ノーランだけに、現場や司令部を横断的に描く重厚な作品になるのかと思いきや、なんと話らしい話がないという意表を突いた作風となっています。本作はノーラン版『マッドマックス/怒りのデスロード』とでも言うべき内容なのですが、「ある地点からある地点へ移動する」という単純なストーリーに見せ場をてんこ盛りにした『怒りのデスロード』と同様に、本作も「救助を待つ兵士」「救助に向かう船」「敵を排除する戦闘機」という極めて単純な図式にまで各構成要素を落とし込んだ上で、冒頭からエンドクレジットまで絶え間なく見せ場が続くという男っとこ前な作風となっています。 しかしそこはノーラン、ただ単純な物語を描くのではなく、陸での1週間・海での1日・空での1時間を交互に見せ、ラストですべてのタイムラインを合流させるという恐ろしく難しいことをやっており、相変わらずその構成力には驚かされます。さらには、タランティーノ辺りみたいに「どうどう、凄いでしょ?」というこれ見よがしな見せ方ではなく、こういう難しい芸当をサラっとやってのけてみせるんですね。この余裕に巨匠の貫禄を見ました。 また、戦場での友情とか、個々の兵士の物語や、生きて帰らねばならない背景といった、戦争映画にありがちなドラマ要素がほぼ排除されているという点も、本作の特色となっているのですが、かといって感動的な要素がないというわけでもなく、目の前の描写の積み重ねのみできちっと感情的な山場を作れています。チャーチルの演説が引用されるラストはさすがに甘々すぎやしないかと思いましたが、それでも「良い映画を見たなぁ」という余韻を残してくれます。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-09 15:00:45)(良:3票)
73.  デビルマン 《ネタバレ》 
酷い酷いとは聞いていましたが、今回体感した酷さは前評判を軽く上回っていました。シベ超がかわいく思えるほどの駄作ぶり。本作は日本映画の黒歴史として永久に語り継がれるはずです。まず、出演者の演技が素人以下。イメージが固定されたプロの役者は敢えて避け、観客に先入観なく受け入れられる若手を抜擢するというキャスティング方法もあるにはあるのですが、本作はロクな指導もなく素人を素人のままカメラ前に立たせているため、物凄いことになっています。誕生日プレゼントをもらう時も、サタンになってしまった時も、恋人の生首を発見した時もすべて同じ表情、同じ語気。おまけに一言一言セリフを思い出しながら喋っているため、句読点がくる度に一呼吸入れるというおかしな話し方になっています。そうして役者がまったく演技をしていないことに加えて、脚本までが支離滅裂なので話がサッパリ理解不能。例えば、序盤において了は明に対して自分がサタンであることを明かすのですが、中盤においてデーモン狩りを行う人類に了が復讐しようとすると、明は了に向かって「お前、サタンだったのか?」と頓珍漢なことを言い出します。さらにラスト、ついにサタンの姿になった了に向かって、明は「お前はサタンだったのか…騙したな!」と怒り出します。この映画は「メメント」でしょうか?演出もいい加減で、昼間かと思えば次のカットは夜になったり、雨かと思えば次のカットは晴れていたりと、10億もの金をかけてエド・ウッド並の仕事を披露。人間ならざる者同士の死闘を描くにはかなりの映像テクニックが必要となるはずなのですが、この監督は役者のアクションをただカメラで追うだけなので、物凄く恥ずかしい見せ場の連続となっています。俳優達はガンカタっぽい動き、スパイダーマンっぽい動きの後に決め顔をするのですが、カメラワークやカット割り、音楽等によるフォローがないため気の毒になるほどダサイです。気の毒といえば、半デーモン状態の明の特殊メイクもえらいことになっています。予算の都合かフルCGデビルマンの登場時間は少なく、代わって役者に簡単なメイクを施しただけの半デーモン状態が多く登場するのですが、このメイクが出来損ないの世紀魔Ⅱ状態。おまけに腕を前に構えるおかしな戦闘ポーズにも脱力で、センスのない監督にマンガ映画を任せると大変なことになることがよくわかりました。
[DVD(邦画)] 0点(2012-02-12 19:12:16)(良:3票)
74.  ダークシティ 《ネタバレ》 
オールタイム・ベスト格の映画なので、これは譲れません。って、評価低いですね。奇抜な世界観、怒涛の展開、超能力バトル、そして世界の創造と、これが100分足らずで起こったことかと思えるSF映画史上の奇跡。これって「マトリックス」が3部作かけてやった内容ですからね。 そして愛は記憶を超えうるのかという裏テーマもナイス。ジェニファー・コネリーは究極の奥さん女優であることは「ビューティフル・マインド」で世界が認めましたけど、この映画で私はずっと前から知ってましたよ。ルーファス・シーウェルが超能力でガラスを割り、ジェニファー・コネリーとキスするシーンは映画史上もっとも美しいシーンです。そしてキーファー・サザーランド演じるドクター・シュレイバーにも男泣き。この映画でもっとも感情移入してしまうのがドクター・シュレイバーです。人間でありながらストレンジャーに加担する彼は、冒頭での登場以来どう見ても狂気の科学者なのですが、実はストレンジャーから自分の記憶を消すことを強要された悲劇の男だったんです。支配の側で身の安全を図る現状と、一方で同胞を裏切っているというジレンマに悩む彼は、ラストで突然変異のマードックを救世主に変えます。そのほか、何もしないのにかっこいいウィリアム・ハートもナイス!考えてみれば、この映画ってのはマードック以外の誰が主役でも話が成立するし、そうすればそれぞれに印象の違う作品になりそうです。それほど構成がしっかりしているということ。ミステリーから幕をあけしだいにテンポをあげていき、世界の果てが露になるにつけ怒涛の展開に。そしてラスト、マードックはダークシティに光をもたらし、住民の記憶にだけ存在した海を作り上げます。そして神にさえなれた彼は、ただのひとりの男として再び妻との出会いから始めます。愛は記憶を超えたんです。そういえば、冒頭のナレーションは謎の半分をしゃべってるんで不要だとよく言われるけど(DVDの解説では、監督自身もあのシーンは無駄だと言っていました)、いま見返せば映画の雰囲気をよく伝えており、あながち悪いとも言えません。ちなみにDVDの吹き替えは出来がすごくいいので、ドラマがさらに盛り上がります。
10点(2004-06-12 10:33:58)(良:3票)
75.  太陽の帝国(1987) 《ネタバレ》 
スピルバーグ作品中でも注目度や知名度の低い作品ですが、今になって見るとスピルバーグ本人の中ではけっこう重要な作品なのではないかと思います。スピルバーグの感傷的な演出がこの映画ではほぼなくなっているのがまずひとつ。死人から靴を奪う、他人の食器を盗んで2人分の食料にありつくなど倫理的にいかがなことを平気で出来るようになることが主人公の成長として描かれてる上に人間関係もきわめてドライで、収容所内ではみんなで助け合って生きているように見えても、少し目を離しただけで自分の物を盗まれるなど結局は自分のことしか考えていない様子。保護者役をやっていたベイリーも慕ってくるジムに愛情をかけているとは言いがたいものがあります。キジ獲りの罠を仕掛けるエピソードでは、地雷が埋まっている可能性のある鉄条網の外へジムを行かせ、彼が生きて帰るかどうかを賭けるなんてことをやっているし、結局はジムに黙って収容所を脱走して姿を消してしまいます。損得関係なく唯一心を通わせていた日本人の男の子もベイリーに殺され、4年の間で作ってきた人間関係は完全に消滅。ひとりになったジムはようやく両親に再会しますが彼は両親の顔を忘れており、再会の感動もないまま死人のような無表情で話が終わるという絶望的なラスト。最近のスピルバーグならともかく、20年も前にここまでの映画を撮っていたというのは驚きです。また、死への執着というもうひとつの特徴がこの映画では見えはじめています。スピルバーグを語る上で死は不可欠な要素であるもののその性質が判明したのはシンドラーのリスト以降なのですが、この映画にはその後の彼を思わせる描写が見受けられます。冒頭からして揚子江に浮かぶ棺からはじまり、主人公は少年でありながら多くの死に直面します。しかも死に行く者がのたうち回ったり何か言い残して死ぬという映画にありがちな劇的な描写ではなく、何の言葉も発することなく気がつけば死んでいたという突き放したような死。死は刹那的に訪れるというのがスピルバーグの認識のようですが、それを映画の中ではっきりとやったのはこれがはじめてではないでしょうか。後にシンドラーのリストやプライベート・ライアンでやる演出のプロトタイプみたいなシーンもあるし、作品自体は少々間延びして退屈ではあるものの、スピルバーグのその後を思わせる描写がいくつもあるので見る価値のある映画だとは思います。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-10 00:52:42)(良:3票)
76.  実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
本作は3つのパートから構成されているのですが(連合赤軍結成までを描く序盤・のちに山岳ベース事件として知られる総括リンチを描く中盤、あさま山荘事件へと雪崩れ込む終盤)、タイトルが示す通り、あさま山荘事件そのものではなくそこに至る過程を重視することで、あの事件が非常に分かりやすくなっています。また、本作のように歴史的経過を追う作品は事実の要約に終始してつまらないものになりがちなのですが、本作は山岳ベース事件という美味しい部分を山場に持ってきたことで、映画としての面白さがグっと増しています。連合赤軍との付き合いもあった監督にとって本作は思い入れの強い企画だったようなのですが、ただ個人的な思いをぶつけるだけの映画に終わらせず、観客にうける形を追求したことで客観的な完成度も維持できています。俳優の演技も良く、森恒夫と永田洋子の恐ろしさは尋常ではありません。どこかで聞きかじってきたそれらしい理屈を大声で主張し、そんな自分の言葉に酔って周りが見えなくなる森、こういう男って確かにいます。他の女性に対する個人的な僻みや嫉妬心をいつまでも覚えていて、まっとうな理由付けができるタイミングでウサを晴らす永田、こういう女性もいます。彼らをレクター博士やジョン・ドゥのようなモンスターとして描くのではなく、ありふれた人格の延長としてその凶暴性を描いたことで、より恐ろしさが増しています。両者とも指導者には向かないタイプの人間なのですが、組織を結成した大物達が逮捕されるか逃亡したかという状況では、彼らが組織を仕切らざるをえなくなっていました。さらに、学生運動に何万人もが参加していた時代は過ぎ去り、運動では社会を変えられないことが明らかになった時代。少しでも我に返れば「俺達は一体何をやってるんだ」と自覚してしまうことが怖くて、彼らは内面世界へと固執するようになっていました。気に入らないことがあれば「革命のためだ!」と叫んで暴力をふるう、それによって自身の指導力不足と一向に成果をあげられない焦燥感を同時に紛らわせることが出来たというわけです。なんとも恐ろしい世界。しかし、組織のメンバー達も革命ごっこを止めたくないからリーダー達の蛮行に黙って従っていたというのですから、こちらもまた恐ろしい限りです。
[DVD(邦画)] 8点(2011-09-23 20:05:26)(良:3票)
77.  フルメタル・ジャケット
戦友がバタバタと死に、その度に物語が生まれる戦争というおいしい題材を手にした時、映画監督はドラマや哲学を語ろうとします。プラトーン然り、ディアハンター然り、地獄の黙示録然り。しかしキューブリックは本作においていかなる主張もせず、戦争とは何か、ベトナム戦争とは一体何だったのかという断片を切り取ることのみを行っています。かつて「突撃」でベタベタの人間ドラマをやった以上、同じ題材で同じことはやらんという巨匠ならではのこだわりなのか、それとも天才たる先見性の為せる技なのか、ともかく前述の作品達よりも二歩も三歩も先を行った作品となっています。公開当時、あまりのショックから「これは軍隊の非人間性を描いたものだ」と勘違いされた前半の訓練についても、あれは海兵隊の訓練を忠実に再現しただけのものであって、あらためて見ると非常に客観的です。ハートマン軍曹は新兵達の前に立ち塞がる脅威ではあるものの、ヒールを演じているだけということを匂わせる描写がいくつも存在しています。人種差別はせず、クズとして全員平等に扱うと発言したり、「神を信じない」と言ってハートマンに楯ついたジョーカーを「根性がある」と言って認めたりと、決して個人的な感情から新兵達を罵倒しているのではなく、無茶苦茶に見えて実は訓練に必要な言動をとっていることがわかります。海兵隊に集まるのは徴兵された者ではなく、志願して軍隊に入ってきた者達です。そんな英雄気取りの若者を、わずか8週間の訓練で生きて祖国に帰還できるフルメタルジャケットに育て上げねばならない。いったん彼らの人格やプライドを粉々に壊し、真っ白になったところで生きて帰るための行動パターンや思考様式を流し込んでいるのです。ちなみに私が一番驚いたのはトイレの様子で、個室や仕切りはなく、便器がズラっと並んでいるのみというシンプルにも程がある作り。海兵隊はう○こも人と顔を合わせながらするのかと、そこまで徹底したプライドの破壊には心底恐れ入りました。後半は前半と比較すると平凡になりますが、それでも視覚的な見せ場は充実しています。カメラワークが秀逸で、戦場を走る兵士の背中をローアングルから捉える、戦争映画でお馴染みのショットなどは、本作が初めてではないでしょうか?かねてから素晴らしかった音楽の使い方にはさらに磨きがかかっており、こちらはタランティーノに多大な影響を与えたことが伺えます。
[DVD(字幕)] 8点(2010-01-28 22:12:56)(良:3票)
78.  テルマエ・ロマエ
テンポよくネタを繰り出す前半部分では、テレビ局製作ならではの強みが出ていました。良い意味で軽いのです。ひとつの場面をこねくり回すようなことはせず、ネタが終わればさっさと場面転換してしまうという引き際の鮮やかさが気持ち良いし、下ネタや考えオチは排除して誰にでも分かる簡単な笑いのみに特化した姿勢も潔いと感じました。竹内力の使い方なんて最高で、あの濃い顔はどう見てもローマ側の人間なのにあえて日本側に配置して、しかもその違和感に誰もツッコミを入れないという扱いは笑いのツボをよく心得ています。彼の顔を見る度に笑ってしまいました。この辺りの肩の力の抜き方・笑いのセンスの良さは、長年に渡って大衆娯楽に徹してきたテレビ局ならではの長所だと思います。一方で、わざわざチネチッタで撮影したというローマ帝国のオープンセットは重量級の完成度。これを捉える撮影ともども、期待以上に素晴らしい出来でした。テレビ局製作映画は何かと低く見られがちですが、最近では劇場用映画に必要な重厚さというものを身に着けつつあるようです。。。 しかし、後半部分で映画は失速してしまいます。シリアスな目標の下に登場人物達が一致団結するのですが、このパートには笑いもなければ感動も知的興奮もなく、まったく見どころがないのです。前半の程よいダメ女ぶりが楽しかった上戸彩も普通の小奇麗なヒロインに成り下がってしまうし、歴史改変ものとしての面白さを掘り下げようともしません。西洋と東洋の文明比較もありがちなレベルで深みがないし、おまけに合戦場面のチープさは見ていられない程でした。監督は前半部分で燃え尽きてしまったようで、後半はただ撮っているだけという有様。これでは高い評価はできません。
[DVD(邦画)] 5点(2012-11-10 19:52:01)(良:3票)
79.  フィクサー(2007)
本作は人生の岐路に立たされた男の物語であり、訴訟絡みは彼の人生を変えるイベントにすぎません。宣伝文句を期待して観た人はガッカリしたと思います。しかしドラマとしては超一流。人生の半分ですべてに行き詰った男の姿がリアルに描かれます。弁護士とはいえ名門大学出身ではないため、華々しい法廷ではなく裏のフィクサーとして生きるクレイトン。汚れ仕事しか知らない自分には明るいキャリアなどない、おまけに事業に失敗し借金を抱え、家族もいない、自分には何も残っていない。でもこんなはずじゃなかった。人より努力して弁護士になったのは、金銭面でもステータス面でも満たされ、人が羨む人生を送るため。でも今の自分はブルーカラーの弟にすら嫌味を言われ、別れた妻は気の弱そうな普通の男と再婚。こいつらより偉くなるはずじゃなかったのか?-そんな彼の折れそうな心を表現する印象的なシーンがふたつあります。ひとつは、借金を返すアテがなく、やむなく上司にお願いに行くシーン。彼は会社のためにフィクサーとなり、そのせいで自分のキャリアは潰れたと主張しますが、これは序盤、同じく汚れ仕事担当であるアーサーに対して彼自身がいった言葉の裏返し。「俺たちは自分で選んでフィクサーになったんだろ」。クレイトンはわかっているのです。でも、環境が悪かったから、会社が悪かったからと自分に言い訳しないとやってられない、この人生に納得いかない。それに対する上司の一言が突き刺さります。「お前が思うほど昔のお前は優秀じゃなかったかも」。もうひとつは、彼の経営するレストランの雇われ店長が、店を潰したことを謝りに来るシーン。彼を無視したクレイトンは、この様子を見てしまった幼い息子に「お前はあいつのような人間とは違う。お前は自分が思ってる以上に強い男なんだ。だからあいつみたいには絶対にならない」と自分自身に言い聞かせるように話しますが、この時の彼の弱さには胸が苦しくなりました。人生の中でもがき苦しむクレイトンは鏡ごしの私たちであり、矢のように鋭いセリフは私たちを貫きます。30代後半で脚本家に転向するもボーン・アイデンティティまでの10年は代表作のなかったギルロイ、15年に渡る下積みを経験したクルーニー、デビュー作が賞賛されるもその後は不遇の10年を送ったソダーバーグ、彼らの人生訓が込められたかのような、本当に重く素晴らしい作品でした。
[DVD(吹替)] 9点(2009-01-14 00:05:44)(良:3票)
80.  遊星からの物体X
モンスター映画の最高峰にしてサスペンスの最高峰です。公開当時は大コケし、おまけに批評家からあらん限りの罵声を浴びせられたものの、わかってる映画ファンたちによってほどなく傑作の評価を勝ち取った本作。この作品からはあらゆるサービスが排除されており、密室サスペンスやモンスター映画の本質でのみ勝負した、武骨で荒削りな作品となっています。盛り上がらない音楽、グロテスクなだけで美しさのない絵、男だけのむさい登場人物・・・、まさに見る人を選ぶ映画なのですが、そのハードで大人な仕上がりはSFホラーとして間違いのないものだと思います。「俺は人間だ。全員が顔を揃えたこの場で俺を襲わずになりを潜めてるということは、まだ人間が何人も残ってるということだな。徐々に同化して俺たちに勝つつもりだろうが、嵐が来るまでの6時間で俺は決着をつけてやるぞ」と、メンバーの中にいるであろう物体に向かってマクレディが対決宣言をするこの場面こそ、この映画の象徴的なシーンです。もしかしたら隣に座ってる仲間が物体かもしれないというサスペンス。物体がひとたびその正体を現せば地獄そのものという恐怖。そして、南極のど真ん中で逃げる場所のない、しかも誰が同化されているかわからない状況では救助隊を呼ぶこともできないという極限のシチュエーション。この3つが素晴らしい相乗効果をもたらし、他に類を見ないほどの異様な緊迫感を放っているのです。この映画に比べれば、「エイリアン」などディズニー映画程度にしか感じられません。それほどこの映画は怖い。ここまで緊迫感に溢れ、かつおぞましい映画は見たことがありません。原作「影が行く」が準備した、サスペンスとしてこれ以上ないシチュエーション。その本質を100%活かしてみせた、JCの生涯最高の演出。そして物体の恐怖を見事に具現化して見せた、ロブ・ボッティンの恐るべき想像力。この3つの才能によって、この映画の3つの要素は支えられ、奇跡的な傑作になりえたのでしょう。登場から四半世紀が経ついまだに、これに匹敵するホラー、これに匹敵するサスペンスは作られていません。
[DVD(字幕)] 10点(2006-04-03 02:15:18)(良:3票)

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