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121.  激突!<TVM> 《ネタバレ》 
-Duel- “(1対1の)決闘”。  確か初めて観たスピルバーグ監督作品だったと思う。日常よくある『路上での追い越し』から始まる、身も凍る恐怖。執拗な追跡。あまりにシンプルなストーリーに目が話せなくなった。どんな奴が運転しているんだろう?なんでここまでしつこく追いかけるんだろう?…どうなれば終わるんだろう? 決闘というタイトルだけど、主人公の車はあまりに非力だ。単純に大きさも馬力も違うし、ラジエーターに欠陥を抱えている。助けてくれる警察も呼べない。どう考えても勝ち目のない闘い。 結局、トレーラーの運転手の人相や目的を知ることなく映画は終わるが、幼いながらも不思議な満足感を得られた。この迫力ある映画が、ジョーズやE.T.を創った天才スピルバーグが、僅か25歳で初監督(厳密には違うかもだけど)した、しかもテレビ映画だというから、本当に天才っているモンだな…って感心してしまった。  この映画を観てスゴいって思う気持ちは今も変わらない。この映画の何が怖いって、トレーラーが怖かった。25歳の青年監督は自身の最初のオリジナル作品で、動物でも宇宙人でもロボットでも恐竜でもなく、トレーラーを恐怖の対象にした。'71年に。 最後まで姿を表さない運転手にでなく、人間の道具でしか無い貨物車両の方が怖い。幼い頃の私はどうして運転手の正体が気になったのか?それは『人間なら話せばわかる』とか『トレーラーには勝てないけど人間同士のケンカなら勝てるかも?』と思ったからかもしれない。  スクールバスを押すデイヴィッド。暗いトンネルの出口で静かに待つトレーラー。目があったかのように光るあの無機質な丸いヘッドライト。後のジョーズの目に感じたのと同じ恐怖。錆びついてレトロな車種のチョイスも秀逸だ。踏切でデイヴィッドの車を押す時の、絶望を感じる列車の長さ(助かる!)。上り坂でオーバーヒートしてぐんぐん落ちるスピードメーター(間に合う!)。観せ方が下手だと突っ込まれるところだけど、手に汗握ってソレどころじゃなかった。そして最後、運転手を出すことなくデイヴィッドが“トレーラーに”勝つのも秀逸。 トレーラーは映画開始5分で登場し、崖から落ちてすぐ映画は終わる。最初から最後までトレーラーに追いかけられる怖さで一本の映画にしてしまう才能。 初めてでコレ。 恐怖。
[地上波(吹替)] 10点(2022-03-31 22:54:04)(良:1票)
122.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 
公開当時は観客入れ替え制ではなかったので、同時上映のホームズと併せて、2回連続で観た初めての映画。 当時の私の年齢を考えると、内容を充分に理解していたとは思えないが、難しいながらも原作漫画も読んでいたし、映画についても子供向けのアニメじゃない、何かとっても凄いものを観ている気持ちになっていた。私にとって、アニメが子供が観るだけの娯楽じゃないと思えた、何かターニング・ポイント的な作品だったのが、このナウシカだ。  10代の頃は金曜ロードショーで放送される度に観ていたけど、そのうちビデオかLDを買おうと考えて録画はせず、20代以降になると一度鑑賞したくらいで、今回…久しぶりの鑑賞となった。高画質の必要性も感じなくなっているので、BDでなくDVDを買うことにしたんだけど、定価が結構高いので、ついケチって中古で買ってしまった。残念なことに中に入ってる説明書(?)がクシャクシャで…ジブリやピクサー作品を中古で買う時は、前の持ち主が小さな子供の場合があるから、注意が必要だわ。  久石譲さんの重厚な音楽、刺繍のような歴史絵巻。オープニングからなんかもう、感無量。 巨大な“蟲”と呼ばれる生命体。腐海と呼ばれる森。まだ謎だらけの巨神兵。騎士と銃と戦車があり、飛行機を船と呼ぶ世界。「父はもう飛べません」「ゴルが風が臭うと言うとります」セリフから創られる広い世界観。一気に公開当時の頃に引き戻される感覚。  ナウシカという不思議な少女。16歳と幼いけど、設定だとユパ様があの容姿で45歳なので、現代ならナウシカも成人以上の立場だと思う。村人に慕われる優しさを持ちながら、コマンド兵を殺す荒さを併せ持つ。今回観ていて気がついたのは、父が殺されて腐海の植物の研究を止めたこと。村人のため研究していたと言いつつ、内面では父親に対してかなりコンプレックスを持っていたようだ。幼少期に父に王蟲の幼生を殺されたことを、彼女の中でどう処理していたのか。原作や当時のガイドブックをもう一回見てみるかな。 一番好きなシーンは、腐海に落ちるバージを救うため、マスクを外して気持ち良さそうに風を受けるナウシカ。混乱する城おじを一発で従わせる行動力。あんな笑顔を見せられたら、誰だって従ってしまうよ。さすが村の長、ナウシカ凄い。  一方で酷い長がペジテの市長。映画観ていて『本当にコイツがラステルやアスベルのお父さんなのか?2人の父は他にいて(ペジテ王とか)、この人はただの行政の長なんじゃないか?』って思ったくらい。娘を人質(手枷が後のラステルの扱いを想像させて痛々しい)にされ、ペジテを放棄して少人数乗りの飛行艇で逃げて、恐らくまだ市民も残るペジテ市を蟲に襲わせるなんて。しかも最後、生存者を巻き添えに船ごと自爆まで考える始末。エンディングで風の谷がトルメキアとの戦争を回避(クシャナが本国に掛け合ったんだろう。)したのに比べ、なんと独善的で利己主義な人物だろうか。 ナウシカが最後に着たラステルの服(だと思う)。胸のマークは海亀だろうか?ペジテと海亀?…飛行ガメ…関係ないな。最後、生き残ったペジテ市民が風の谷で暮らしてるのに、今回初めて気がついた。そういえば、人間以外で今の世界と共通の生物が出てこないなって思ったら、川にカエルが泳いでた。  王蟲の暴走で明らかに跳ね飛ばされたナウシカが、どうして生きていたのかとか疑問は残るけど、映画は映画で特に不満なく観られるし、血みどろの漫画原作とはまた違った、スッキリした魅力があると思う。 安田成美のイメージソングも全然平気で、当時の予告編を観ていると、むしろこの歌と歌声が好きな私がいるのも、驚きの発見だった。
[映画館(邦画)] 9点(2021-12-12 19:25:41)(良:1票)
123.  アラン・ドロンのゾロ 《ネタバレ》 
むか~し、テレビの洋画劇場で観て、凄い楽しかった記憶がある。週末の映画をクラスの多くが観てた時代、月曜日は学校で木の枝持って『 ̄/_』ってZの文字を刻んで遊んでたわ。 今回数十年ぶりの鑑賞。勧善懲悪の古いヒーローもので、ディエゴは黒いキツネの化身・ゾロに変身(変装)するけど、超能力とか無しに剣技で戦う。変身前のナヨナヨっとしたダメ総督とのギャップも活きていて、最後にウェルタ大佐に正体を明かすところとかスカッとする。 悪を倒して、その後どうなったとかの説明は無くアッサリ終了。そう言えば子供の頃流行ってたジャッキーチェンのカンフー映画なんかも、終わりはアッサリしてたな。最近の影のある悩めるヒーローを多く見ると、ゾロのような単純明快なヒーロー像がとても清々しく思える。 オルテンシアが凄く魅力的だった印象があったけど、いま見返すとそれほど活躍もしていなくて、何で当時はそんなに魅力的に映ったのか不思議。もしかしたらナヨナヨな総督と共に、オルテンシアも吹替の力で魅力が増してたのかもしれない。改めて吹替版で観てみたいな。
[地上波(吹替)] 6点(2021-01-21 01:24:06)(良:1票)
124.  伊豆の踊子(1974) 《ネタバレ》 
吉永小百合版を見た直後なので気になって再視聴。同じ監督の同じタイトルの作品。そして百恵ちゃんと三浦友和のデビュー作。wikiを読むと、この作品が山口百恵というアイドルを売り出すための戦略的な映画だというのが解る。  '63年版との比較になるけど、まず川島の爽やかさアップ!真面目そうな高橋英樹に代わり、三浦友和の“現代っ子”っぽさ。 百恵ちゃん(当時14歳とか?)は、映画デビュー作だけに演技と言える演技も出来ないのもあってか、肝心の演じるシーンのカメラが遠い印象。前作の吉永小百合(17歳くらい?)は踊りの時の視線とか、しっかりしてたなぁって思った。 旅芸人の扱いの酷さややアップ!きみちゃんの死は一緒だけど、全体的に陰湿な感じダウン!どうでもいいけど百合子(栄吉たちが雇っている踊り子)の出番、微妙にアップ!最後の別れで手を振るかおるに川島が驚くのって、その前に港で会って話してたことを考えると、そこに居るのは知ってたんだし、どうだろう?好みの問題かもしれないけど。  本作は百恵ちゃんの歌が2回ほど掛かり、それが結構印象深いというか、耳に残る創り。そして必要以上に盛り上げようとしているのか、音楽もテレビドラマのように感じた。悪く言えば、安っぽい。 美空ひばり版('54年)から、10年おきくらいに創られた伊豆の踊り子。同じ内容で俳優だけ変えて、手軽に撮る映画。短期間(全撮影20日間、うち百恵ちゃんの撮影1週間だって)で撮りあげて、簡単に稼げてしまったこの映画の、いわゆる興行的な成功により、アイドルと主題歌のレコードを売るための映画が増えてしまったことは、結果として日本の映画業界にはマイナスだったのかもしれない。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2022-10-13 18:47:47)(良:1票)
125.  この子の七つのお祝いに 《ネタバレ》 
たまたま最近、産まれたばかりの子供を誘拐して育てる映画が続いたけど、こちらのお母さんは娘に復讐を植え付けるという、最悪の幼少期を過ごさしている。 -この子の七つのお祝いに- は、童謡の“とおりゃんせ”の歌詞の一部からだろう。子供の死亡率が高かった昔のこと、七歳までの子供は神と人の中間みたいな存在と考えていたらしく、無事に七歳を過ぎれば、その子は大人になるまで成長できる。との言い伝えがあって、七五三のお祝いなんかがその名残らしい。  作中の本当の麻矢も四ヶ月で亡くなっている。“鼠に噛まれて”という今の時代では考えにくい悲劇が、戦後の貧しい時代をまざまざと感じさせる。真弓は精神を病んでいたにもかかわらず、誘拐したきえを七歳まで(=人としてきちんと生きていける年齢まで)育て上げること、復讐を植え付けることをを生きる糧としていたんだろう。たぶん真弓は、自分の幸せを奪った高橋の元妻のみやこが死んだことも知らずに死んだんだろう。  手相占いの才があるゆき子が、手形をモトに父を探す設定も、親子の手相(遺伝)で謎解きするのも面白い。けど手相や手形が重要なキーワードなら尚の事、幼少期の自分の手相が他人(本当の麻矢)のものだって、気が付かないものだろうか?手相って子供と大人で特徴が消えるくらい変わるんだろうか?って思う反面、自分が真弓の子じゃないなんて、母を疑う気持ちもなかったんだと思うと、“操り人形”ゆき子の生涯がとても悲しく思える。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-01-13 21:34:18)(良:1票)
126.  マルサの女 《ネタバレ》 
映画は大好きだったけど、この当時邦画って殆ど観てなかったんです。何でしょう、青臭い子供向けのアイドル映画か、カビ臭い年配の人が楽しむものって感じで、アニメ以外に私に合う邦画作品って無いと思ってました。 そんな中登場したのがこのマルサの女。子供向けでも年配向けでもない、とてもスタイリッシュな作風。そのまま当時のバブル期日本を舞台としたリアリティ。脱税という扱っているテーマの重厚さと、それを面白可笑しく、決して悪ノリしない絶妙なコメディタッチな味付け。こんな邦画もあるんだ!!って、本当に目からウロコでした。以降、邦画は殆ど観ないのはそのまんまだったけど、伊丹映画だけは別格として観てましたね。  税務署(&マルサ)と脱税の戦いって、とっても地味なテーマだと思うけど、ヤクザは出てくるけど銃撃戦とか度を越したアクションを入れること無く、しっかりと地味なまま、あくまでリアル路線で押し通した手腕が見事。序盤しっかり港町税務署の日常業務を入れて、身近な脱税のあるあるネタをたっぷり入れて、いわゆるハウツーものとして、観る人の興味を惹きつけるのに半分の時間を割いている。だって亮子がマルサ入るの、映画始まって1時間後だよ?タイトル『マルサの女』なのに。この思い切ったバランスの取り方がもう、伊丹監督すごい。  そして板倉亮子のキャラクター。おかっぱ頭にそばかす。レイバンのサングラスから除く眼光の鋭さ。頭の回転が速い切れ者税務署員。一方寝癖で出勤するシングルマザーで、残業しながら5歳の大ちゃんに電子レンジの使い方を教える、完璧じゃない一面も覗かせる。普通の税務署のベテランおばさんを、総じてとても魅力的な女性に魅せる手腕が素晴らしい。 彼女だけでない、権藤の足が悪い理由は描かれないけど、杖突いて歩く印象的な姿。憎めない悪党のお手本のような人物像が素敵。「俺たち、会う度におめでとう言い合ってるな」バーで亮子とサシ飲みするところの人間味と強敵感、ほんのり生まれる男女の感情。この時のハンカチの、結末での使い方がもう、カッコいいこと。あの印象的なテーマソングと昭和末期の風景と夕焼けの美しさが、何年経っても忘れられない。  花村もマルサの管理課長も、マルサのジャック・ニコルソンも、働いてる大人の男って感じがとっても素敵。それとちょい役でもクセ強めな登場人物が揃ってる。私は特に宝くじの男の高い声のギャップと、ブルブルって首を振る銀行の課長が好き。 私は邦画の、いわゆる“濡れ場”が嫌いだったんだけど、この映画のはどれも笑える。看護婦の乳首を必死に吸うジジイ。「女はここに隠すんだー!」オバサンのM字開脚。スリップ姿で屋根を這うオバサン。「ダメよぉ~、ダぁ~んメ!!」。極め付きはケツに挟まったティッシュ。 『邦画の濡れ場なんて、笑えば良いんだよ』って、伊丹作品が教えてくれた。ありがとう伊丹監督!
[地上波(邦画)] 10点(2024-01-13 14:28:28)(良:1票)
127.  若草物語(1964) 《ネタバレ》 
昭和の大人気女優たちと、東京オリンピック当時の東京観光を楽しめる映画。 観光名所の空撮に街なかのロケ、喫茶店からデパートの作りまで、1964年当時の本物の東京の風景が、何ともお洒落で綺麗で魅入ってしまう。 当時アメリカに行くには幾ら必要だったかとか、新卒女子の月給が幾らくらいだったかとか、とても勉強になった。労働組合の活動も活発だったのかな。セルフサービスって言葉、当時から使ってたんだ。由紀としずかが勤める銀座松屋は、この年に大改装しているそうな。 物語は大阪の4姉妹の青春&恋愛物語で、4姉妹ってこと以外、本家の若草物語とは関係がないようだ。お父さんのすっとぼけた性格が面白かった。 1964年の作品だけど、イメージカラーってものは当時からあったんだろうか? 次女由紀は、自分に正直で真っ直ぐに突き進む赤。三女しずかは一歩引いてクールだけど内に情熱を秘めた青。末っ子チエコは自由奔放で天真爛漫な黄。 OPで空港を歩く3人の衣装。家族5人が揃ったときの衣装。後のゴレンジャーなどに通じるイメージカラーとキャラ設定だ。 由紀としずかの雨の別れ。傘の色もそれぞれ赤と青。チエコの別れは雨でもなく黄色い傘でもなく、黄色いメロンなのは、健吉とチエコの関係がまだ恋愛未満だからか? チエコが模型の組み立ての内職をしてるのが、さすが模型屋の娘。きめ細かい設定だ。 ちなみに長女早苗は結婚しているから冷静沈着な黒。あの色は緑というよりは黒かな。司令官的な立場だろうか?親の言う通り結婚した早苗、当時はまだ女は女らしくの時代だったから、結婚前は昭和男の理想の女、桃だったに違いない。 4姉妹それぞれ魅力的だけど、今の目で見ると芦川いづみって美しすぎるね。出番が少ないのが残念だけど。 夫が気になって映画を観ないで帰ってしまうところで、昭和生まれの私の心は、最後全部彼女に持っていかれた。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-01-16 02:15:54)(良:1票)
128.  サスペリア(1977) 《ネタバレ》 
-Suspiria- 造語らしい。ラテン語の-SOSPIRI-“溜息・嘆き”から来てるとか。発音から日本語カタカナ表記はススピリアに近いと思うけど、サスペンスっぽいつづりのサスペリアに落ち着いたんじゃないだろうか?偶然の産物かも。 「決してひとりでは見ないでください」覚えてる覚えてる、もうCMが怖くって。タイトルといいCMといい、日本の配給会社が頭を捻って良い具合に相乗効果が生まれてたんだろう。  バックグラウンドミュージックのワクに収まらない音量のゴブリンのロック調の不気味な音楽は、一度聞いたら忘れられないインパクト。 そして映像の美しさ。赤、青、そして緑のスポットライト。光の三原色をあり得ないポイントで当ててくるセンス。 不気味というか趣味の悪い洋館。赤い壁と赤い内装。美しいかも?だけど住みたくないわ落ち着かないわ。 ジェシカ・ハーパー顔小っさ。目大っきい。バレエ教室の名門校というのも閉鎖空間っぽくて良い雰囲気。バレエ教室だけに若い女ばかりが襲われる…と言っても犠牲者は3人とダニエルか。 古いもの(洋館、オカルト、バレエ)に、新しもの(ロック、ライト、ホラー、若い女)をミキシング。特に音と色の思い切りの良さ、振り切れ具合が、この映画を当時のホラー映画の中でも飛び抜けた存在に押し上げていると思う。イタリアンホラーの代表作と思っていたけど、何故か舞台は西ドイツ・ベルリン。  ネットで当時のパンフレットを見たけど、映画から切り取った場面写真の美しいこと。漂う名画臭…でも内容は意味不明でチープだよ。 魔女が自分の正体に近づいた者たちを殺していくって内容っぽい。でも追い出したダニエルを殺す必要性はあったんだろうか?スージーに眠くなるワイン(睡眠薬?)飲ませる意味も不明。 発端は単なる好奇心。別に何もされてないけど怪しいからついつい詮索してしまう。謎の正体にたどり着いたら返り討ちにあってしまう。そもそもパットが殺されるまで特に殺人も起きてないなら、パットとサラが余計な詮索をしたために大人しく潜伏していた魔女組織を殺人に駆り立ててしまった訳で… 舞台が西ドイツということもあって、現代の魔女狩りとも言えたナチの残党狩りを連想させる。ってそんな難しいことを考えても意味がないから、映像の美しさとゴブリン音楽の調和を楽しむのが、この映画の正しい楽しみ方。 最後のスージーの微笑みも謎だけど、安堵?苦笑い?魔女に取り憑かれた?
[地上波(邦画)] 5点(2022-05-04 11:11:07)(良:1票)
129.  映画 聲の形 《ネタバレ》 
原作未読。将也の同級生=主な登場人物がみんな美男美女だ。 これには違和感を感じたが、唯一、永束くんだけはコミカルなカタチをしている。  イジメは複雑な問題で、解決の糸口を見つけるのは大変だから、ついつい『イジメは良くない!!』って簡単なワードに飛びついて、漠然と流してしまう。 実際のイジメ問題で面倒くさいのはグループの存在だ。植野と川井みたいのがもう何人かでグループを組んで、西宮をイジメたり佐原をハブったりが現実に起きていると思う。グループ行動だから、多少の良心の呵責が生まれても流されてしまう、負のスパイラル、悪意の連鎖が起きる。 そしてこの映画の高校編のような、当時のみんなで集まってイジメ問題を振り返る機会なんて、現実には無いだろう。 クラス会があっても、そもそもの西宮が来なかったり、佐原が帰ってから植野の愚痴を川井が聞かされるとか、そんなじゃないかな?  大事なのはイジメを各自が考えること。 この作品では、複雑なイジメをシンプルに考えられるよう、西宮(女子)のイジメに絞り、タイプ別に登場人物をスリム化したんだと思った。 ①イジメを受けていた子。②生理的に嫌いなことを隠さない子。③八方美人でピンチの時は自己保身に走る子。④イジメから助け続ける勇気がなかった子。 この4カテゴリでイジメ問題は成立しそうだ。 容姿による優劣や贔屓目を無くすために、みんな美少女に描かれたんだと思う。極端な言い方をすれば4つの記号。  高校編から将也への具体的なイジメ描写は無い。将也をイジメる側だった島田と広瀬は高校編ではフェードアウトし、真柴くんは(映画では)単なる一般男子代表だろうか?男子のイジメがテーマなら、きっと永束くんも美男子に描かれていただろう。 イジメという大きな問題を、シンプルに解りやすく、コンパクトにスリム化(=タイトルのshapeに結びつけて良いものか?)したのが本作じゃないだろうか? 自分の周りでイジメが起きたとき、この映画を参考に、自分は4人のどのタイプかを考えると、その時どうすれば良いか?が見えてくると思う。  硝子が将也に送ったメールがあまりに普通の子の書くメールだった。耳の不自由な硝子と健常者の将也が同じ条件になるメールって、ある意味魔法のアイテムだなって思った。 たまたま先日『Love Letter(1995)』を観て「メールやスマホって無かったほうが良かったんじゃないか?」なんて思ったばかりなのに。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-04-25 16:58:43)(良:1票)
130.  素晴らしき哉、人生!(1946) 《ネタバレ》 
-It's a Wonderful Life- “それこそが素晴らしい人生”とかだけど、良い邦題です。なんか名画感が溢れてる邦題。 クリスマスイブに天使が現れて、自分の存在しない世界を観せてくれる。バック・トゥ・ザ・フューチャー2で観た“もしも”の世界が、こんな戦後間もない映画で語られていたのは驚き。  自暴自棄になり、家族に八つ当たりし、死んで責任を取ろうとしたジョージ。自分がこの町に与えてきた影響。自分の存在意義。よほど自意識過剰でもないと、自分では気が付かないものなんだろう。 いま、この時代に生を受けて、時代とともに生きることの喜び、素晴らしさ。左耳は聞こえなくても、世界中を飛び回る仕事は出来なくても、8,000ドルが出てこなくても、今自分が存在する“この世界”こそが、掛け替えのない最も素晴らしい世界なんだ。 何度もイライラした階段の装飾がカポっと取れることさえ愛おしい。 死を選ぶほどの絶望的な状況も、本人の受け止め方次第で、死ななくても何とかなるさ。と前向きに捉えられるかもしれない。  今までの過去の自分が、たった一つしか選べない選択肢の中から“そうするのがベスト”と考えて、選んできた結果が、今の自分。 それはきっと、自分が選ばなかった沢山の選択肢より、きっと素晴らしいものに違いない。 自ら死を選ばない限り、自分で選んだベストな人生は続いていく。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-06-12 22:25:03)(良:1票)
131.  街の灯(1931) 《ネタバレ》 
Lightsを灯(ひ)って言うのが良いね。 1931年の街の夜はきっと、今より暗がりが多かったと思う。その代わり一つ一つの灯りが意味や役割を持っていた。 ぽつりと立つガス灯は安心感を与え、窓から漏れる部屋の灯りからは生活の温かみが感じられたことだろう。 盲目の娘にとって、手で触れることがものを見る方法。街の灯りは見えないが、ただ純粋に生きてきたんだろう。 目が治って、娘は“人の視線”というものも知ったはずだ。人が自分をどう見るか、自分が人をどう見るか。 客観的に見ると、娘は魅力的な容姿をしていて、男たちから…まぁ、好意的な視線を向けられていたことを知る。 人から好かれる事は、大きな自信に繫がり、娘は街角の花売から、花屋を持つまでに成功した。 浮浪者も自分に視線を向ける。純粋な娘は浮浪者の視線を嫌がるでもなく、新しい花と硬貨を与える。 浮浪者はずっと、娘の目を見ている。今、見えるようになった娘の目。 普段の男たちの、自分の容姿に向けられる好意的な視線と、自分の目を見ている浮浪者の視線の違いが解らない娘。 手の感触で浮浪者があの時の男だと知るとき、よく見てほしい娘の目はどこも見ていない。手が、娘の目になっているから。 ~“You can see now?”~(目が)見えるんですね? ~“Yes, I can see now”~はい、(手で触れた今、あなたが)見えます。 灯は人の気持ち、温かい心。それを見る方法は、なにも目だけじゃない。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2021-05-15 12:15:36)(良:1票)
132.  わが谷は緑なりき 《ネタバレ》 
~How Green Was My Valley~私の谷はなんと青々としていたことだろう。おんなじ意味です。良い邦題だと思う。 炭鉱、長屋、坂、山。平べったいスタジオ撮影でなく、空気まで伝わりそうなロケが美しい。モノクロなのも郷愁を誘う。 ロケーション、シチュエーション。他の映画で観たような場面がチラホラあることから、かなり影響を与えた映画なんじゃないかな。 古き良き大家族。夕食はみんなで一つのテーブルを囲み、お祈りをして、お父さんから食べる。父は家族の頭で、母は家族の心臓。家の中で家長として偉そうにしてる父親と、実際に偉いお母さん。満たされる家族の時間。 世間の追い打ち。賃金低下からスト。子は父を思うけど、父は習慣を重んじるために生まれる対立。災難は母と末っ子のヒューに。 仕事が減り自らアメリカに発つ兄たち。姉が炭鉱主の息子と結婚したのにクビになる兄たち…少しは優遇されてもと思うけど。 ボクシングを習っていじめっ子と闘い、ムチで打たれるヒューに、ハンカチを「強く噛め」と言ういじめっ子にほっこり。 長男が事故死して、未亡人になった初恋の兄嫁ブロンと同棲するヒュー…役者が変わらないから、時間経過が掴みにくいけど、学校を卒業して炭鉱で働くとかしてるから数年が経ってるんだろう。成長したヒューとの、ふわふわした話にもなりそうだけど、ここもうちょっと観たかったかな。 心を病んで離婚して実家に出戻るアンハードと、牧師との関係に陰口を言う谷の人たち。自分の教えが無駄だったことに心を痛めて谷を去る牧師。序盤の父親のいない子を生んだ女性に対する厳しい扱いといい、田舎の陰湿さが出てる。この谷のどこがどう“緑なりき”なのか。牧師の最後の説教がグサッと刺さる。 世界地図を見てバラバラになった兄弟を指し示す。ヒュー「母さんはみんなを照らす星だよ」母『地図なんか見なくても、子どもたちは家の中よ』教養がなくても母は母だなぁ。 谷=生まれ育った場所。故郷。家。母と家族の絆がある限り、産まれた家は永遠に“緑なりき”なんだろう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-08-17 13:13:03)(良:1票)
133.  疑惑(1982) 《ネタバレ》 
よくもまぁこんな、ふてぶてしくも憎ったらしい女を創り出せたものだ。 もう死刑一直線、この女が殺したことは間違いない。最後はスカッと有罪判決を出してくれるのを期待して観てしまう。 犯人が意外な人物のドラマ、計画的な殺人トリックに見慣れたせいか、この自然体で直情的で、何がしたいのか解らない球磨子が新鮮に見える。裁判の席でも自分の感情を隠さない球磨子。憎たらしいけど、確かに、自分の無罪を主張するなら間違ったアピール方法。  観ていて球磨子が本当に犯人かどうか、解らなくなる。逮捕後の生存ルートに、どうにも計画性がなく、無罪が期待できない状況に自分を追い込むなんて、犯人だとしたら頭が悪すぎる。 絞首刑の夢で取り乱すシーン。豊崎が言うように「はずみで人を殺すかもしれないけど、計画的に殺すとなると…」こんなのを見ていると、球磨子が犯人じゃ無い可能性が、自分の中でも芽生えるから不思議。  映画の視聴者ではなく、裁判の傍聴人として、とても残念な判決。球磨子が保険金を手に入れられなかったのは、律子のせめてものファインプレーに見えたけど…そうだろうか? この裁判の重要アイテム、靴とスパナ。靴が脱げていたことを怪しむ律子の法廷発言を「そんなのどうでも良いのよ頭悪いわね」と遮る球磨子。 豊崎の証言に取り乱して退廷させられた時、律子に「名演技だ」と言われ、顔の見えない方で口角ニヤリ。 この事件が自殺だったら、豊崎はどこから『ケネディ事件』なんて情報を仕入れて持ち出したのか。(※今回はじめて知った。当時誰でも知ってるような、有名な事件だったのかは知らないけど。) やっぱり球磨子が「一人では生きていけない」とか何とか、福太郎に無理心中をしようと誘い、自殺の方法から手順なんかを指示したんじゃないかな。 目撃者の証言、福太郎の足の傷から、やっぱり球磨子が運転。怖くなってブレーキを踏まないようにと説明して、ブレーキの下に靴とスパナを入れた。目的は福太郎が急に怖気づいて助手席側からブレーキを踏まないように。 福太郎には2人の無理心中と思わせて、実際は自殺教唆。その実、世間からは事故に見えるように細工。だとしたら球磨子は相当したたかだ。  宗治君の証言で、球磨子の目論んだ『事故』でなく『自殺』にはなった。でも有罪まで持っていけなかったのは、律子の完敗に思える。 最後の打ち上げ。律子の腕にワインを浴びせるシーンは息を呑む迫力だった。 桃井かおりが悪女役をする作品が、他に何作品あるのか知らないけど、私の知っている桃井かおりの憎たらしさをストレートに出したのが、まさしくこの映画の鬼塚球磨子だと思う。それだけ自然で、私がイメージする桃井かおりそのまま。
[インターネット(邦画)] 8点(2022-02-13 16:27:18)(良:1票)
134.  ゴッドファーザー 《ネタバレ》 
高校に入りレンタルビデオで借りたが、テープが古くワカメになっていて見られなかった。古い映画でそれ一本しか在庫がなく、返金は受けたけど、見るのは諦めた。そんな過去があり、今回が初見。 ~The Godfather~名付け親とか後見人って意味もあるようだ。 偉大なるゴッドファーザー、ドン・コルレオーネがずっと主人公かと思いきや、割と早くにマイケルの物語になる。カタギの生活をしていたチャラくて大人しそうなマイケルが、自分の意思でファミリーの為、ビジネスの為に手を汚していく様が壮絶。 病院の入口でパン屋と見張りのフリをする。ガクブルのパン屋だけでなく、マイケルも怖かっただろう。そんな、一般人感覚のマイケルが、知恵と勇気でマフィア界で生きていく物語かと思いきや、それもちょっと違う。 シチリア島から帰ってからのマイケルの目が凄い。ヴィトーの、厳しくも慈愛が感じられる表情と違い、冗談や言い訳なんて通じっこない冷たい表情、心の裏側まで見られてるような、感情を感じさせない渇いた目。コニーの結婚式で軍服を着ていた時と全然別人のようだ。 殺しの相手は取引先、ミスをした身内、裏切った身内…見知った人を殺す決断をするというのは、どういう気分なんだろうか。突然殺される身内の驚いた表情。これから殺されるのが解ったテシオの「昔のよしみだ、見逃してくれないか?」何とも切ない。そんな世界。 コニーにカルロの事を問い詰められ、ケイからは本当はどうなのか尋ねられるマイケル。ドン・コルレオーネは表情を崩すことなく「ノー」と言う。嘘だってわかるけど、ホッとするケイ。あの空気から開放されてこっちまでホッとした。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-01-29 14:47:10)(良:1票)
135.  エレファント・マン 《ネタバレ》 
“The Elephant Man”『象男』。本作が日本でヒットした要因の一つとして、今と比べて、人権意識がまだまだ未熟だった当時の時代背景があると思います。 私が子供の頃、夏祭りのお化け屋敷の隣に見世物小屋がありました。小屋の入口の隣に、上半身裸のお姉さんが背中を向けて座っていて、マイクを持った興行主が、彼女が生きたニワトリを食べるとか何とかって、啖呵を流してました。小屋の中には牛と人のアイノコ『牛女』や、蛇を食べる『蛇女』なんかもいるそうです。興味はあったけど、正直怖いのと親と一緒なのとで、見せてはもらえませんでしたが… まだそんな時代に公開された本作。当時はホラー(恐怖)映画にジャンル分けされていたと思います。珍しいモノクロ映画。ポスターの不気味な布を被った人物。テレビでは倒されて悲鳴を上げる少女と迫りくるエレファントマンの映像(CM?)が流れ、頭巾の下にはどんな恐ろしい素顔が隠れているのか?って方向で宣伝されていたと思います。 また後年『マイケル・ジャクソンがエレファント・マンの骨を買おうとして断られた』なんてゴシップも独り歩きして、子供にも関心の高い映画でした。  初見はテレビのロードショー。思っていたのと違う内容に、下衆な好奇心は消え去り、彼の容姿の不気味さより、今まで置かれていた環境の悲惨さ、彼の豊かな感性と世間の残酷さから、「ジョン・メリック可哀そう」に変わっていきます。 彼の心の美しさと、トリーヴス先生や婦長さん、ケンドールさんの献身的な行いに暖かさを感じ、バイツや夜警の男に怒りを感じました。 当時、本作をホラーに分類するのは、メディアの悪ノリにも思えますが、ホラーだと思って観たからこそ、内容から受けるショックと感動が大きかったように思います。それは見世物小屋でトリーヴス先生が初めて彼を見て、一筋の涙を流すのに似た感覚を、私も味わえたのです。今振り返るとメディアのファインプレーじゃないでしょうか?  彼を取り返そうとするバイツにトリーヴスが言う「他の人間の不幸を利用して儲けてくれ」という台詞に、見世物小屋の小人が言う「俺たちみたいな人間には運も必要だ」という台詞が答えになっていて、とても現実的に感じました。 トリーヴスたちの行いは偽善なのか?見世物小屋に来る大衆と、病院に彼に面会に来る著名人、夜警に金を払って見に来る連中、劇場で彼に拍手を送る観客は同類なのか?世間という見えない存在が、彼をどう思うかでなく、彼自身がどう思うかが大事かも。 同じ見られる存在にしても、見世物小屋と舞台女優は違います。ジョン本人が会うこと・見られることを望むか望まないかが大きな違いです。  難しいテーマですが、彼はトリーヴスに助けられ、人間らしく生きる権利、自分で選ぶ権利を得たことが重要に思います。 でも彼は、夜警が自分を見世物にしても助けを求めない。彼が選ぶのは自分をどうするか?だけで、他人にどうしてほしいなどは望みませんでした。 そんな謙虚な彼が唯一他の人に望んだこと、駅で追い詰められた時「僕は人間だ」と叫ぶ姿が心に突き刺さります。 彼が最後に選んだのが横になって寝ることでした。聖書を愛読した彼が自死を選んだとは考えにくいですが、もし目を覚ますことがなくても後悔はない、そんな決意での就寝は、悲しくも幸せな結末でした。
[地上波(吹替)] 8点(2024-02-26 12:05:56)(良:1票)
136.  スターシップ・トゥルーパーズ 《ネタバレ》 
~Starship Troopers~宇宙船の突撃部隊。宇宙の戦士ってSF小説が原作。 少年「僕だって戦うよ!」兵士たち『ハハハハ!』コレです、このワザとらしい演出。ヤラされてる感がキモい。 兵士の手から弾丸を貰い、嬉々として軍用ライフルを構える子供たち。死刑の生中継が娯楽になり、ゴキブリを踏み殺すとママ大喜び。 「良い虫は死んだ虫だ!」実際の災害現場で決めゼリフ。まるでバラエティ番組のような死者数のカウント。WARの文字の入り方。 人類が先に戦争仕掛けたって?虫相手に戦争を?そんなの成立するの?なんか、素直に信じられんのですけど…  軍事政権下、恋にスポーツに、若者らしい青春を謳歌したあとは、秀才もバカも当たり前のように軍に入隊する。 男も女も全部平等。訓練も食事も寝る部屋もシャワーも一緒。これならフェミニストも文句ないべ? 参政権ほか魅力たっぷりな市民権を得る為に、良く解らん巨大昆虫と戦ってバタバタと死んでいく若者たち。 走る兵士の息づかい、勇ましい音楽、飛び散る手足。死の生々しさがダイレクトに伝わる。戦車?パワードスーツ?そんなのもったいない、銃持った人間使った方がコスパ良いし…ってかい。死に方グロいわ。無残で恐いわ。観てて過呼吸になりそうだったわ。 巨大な宇宙船の発進シークエンス。宇宙ステーションに漂う被弾した戦艦たち。轟沈するロジャー・ヤング、宇宙に吸い出されるクルーたち。脱線する脱出ポット、宇宙を漂う死体。なんだこの作り込み具合は。 「恐怖心だ…怖がってるぞ!!」『イエアー!!(空に銃バババッ)』ISISか?何と野蛮な、何て無慈悲な、テンション下がるわ。 目の前でボーイフレンドが脳みそ吸い取られて死んだ直後、自分がフった元カレと笑顔でズッ友宣言。変態だ。コイツら絶対変態だ。  主人公側の勝利なのにこのモヤモヤした感じ、一緒に喜べない感じ。この血みどろの戦いを、一歩引いて、戦争とは無縁の安全な場所で観る私らの感覚。 考えたら人類の歴史は戦争の歴史、長い歴史から見ると、今の私たちみたいな平和な状況が稀で、一見野蛮な彼らの姿が、本来の人間社会、人間の本質なのかもしれない。だって彼らのその気持ち、ちょっと理解出来てしまうから。そして“あぁ、平和な国・平和な時代に生まれてよかった”って再認識。 しかし何て映画だ。作った人間も変態だわ…って何だバーホーベンか。スゴいっす。
[DVD(字幕)] 8点(2021-10-27 18:21:20)(良:1票)
137.  我輩はカモである 《ネタバレ》 
~Duck Soup~朝飯前。簡単なこと。 オープニングで生きたまま煮られるアヒルで笑えるかどうかで評価は分かれそうな気がする。 90年ほど前の作品だけど、ドリフの大爆笑と同じジャンルの笑い。ドリフで笑える人なら間違いなく面白いだろう。 というのも、ドリフ全盛期が1970年代だとして、その40年近く前に、この作品で同じレベルのコメディが作られていたのに驚く。 良く言えば当時すでに完成されていて、悪く言えばこれ以上の進化が望めないジャンルかもしれない。 80年代後半にドリフが下火になって、日本では廃れたジャンルだと思うし。  私は…残念だけどドリフもこの作品も、あまり笑えない方。小さい頃、8時だよ全員集合から、オレたちひょうきん族に鞍替えしたクチ。 ピンキーがあれこれハサミでちょん切るけど、それが面白いと言うより、何でそんな事するんだろう?って。 レモネード売りが帽子をなかなか返してもらえないのも、どうして邪魔するんだろう?って、思ってしまうんだ。  でも鏡芸は面白かった。…いや面白いと言うか、上手い!流石だな~って感じ。近年だとオースティン・パワーズのノリに近いかも。 革靴→ヒール→蹄鉄の流れ。あと、頭から被った水瓶に顔描くとこ。ココは本当に笑えた。面白かった。 この辺、ドリフと言うよりカトちゃんケンちゃんのノリに近く、こういう笑いは好きだ。  タイトルのダック・スープから『戦争なんて簡単なことだよ。水に浮かべたアヒルをじわじわ煮るのと同じくらいに』って意味かと思う。。 当時の世界情勢から、煮られるアヒルのように、世界がとんでもない方向(戦争)に向かっていたのが、誰の目にも明らかだったんだろう。 何だよ、我輩はカモであるって邦題…意味がわからん。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2021-05-14 01:41:18)(良:1票)
138.  ムトゥ/踊るマハラジャ 《ネタバレ》 
ムトゥ~踊る領主~邦題サブタイトルでネタバレしとる… インド映画は初見。最初のほう辛いです。いやかなり辛かった。私のコメディ映画のDNAがハリウッドと香港基準なので、ノリが馴染まない。 ドラマ・パートで役者さん何かして、そのうちミュージカル・パートに入り、またドラマ・パートなんだけど、歌の一曲一曲が長い。5分以上ありそう。『ベジタリアンの鶴が魚を見て主義を変えた』???さっきのストーリーとこの歌、何か関係があるの?? 長い歌でさっきまでのストーリーを忘れる。ドラマ→歌→ドラマ→歌…160分もコレが続くのか……… そんな負のイメージで観ていたが、ムトゥとランガナーヤキが言葉の通じない地域に行く辺りから、笑いのツボが心地よくフィットしてきた。ドラマの内容とミュージカル歌詞のシンクロ率も高くなってきた(ように感じた)。 ムトゥが叔父さんに嵌められて追い出される辺りには普通に物語にハマってて、出生の秘密に涙して、急展開のハッピーエンドにスカッと出来た。こりゃ後味良いわ。ノリが解れば前半も楽しめそうだから、リピートしたくなる気持ちもわかる。 ムトゥのタオルアクション、無駄格好いい。泣いてるかシャックリしてるかのパドミニが幸せになって良かった。 エキストラの多さも目を引く。道の両脇にエキストラが沢山いて、その真ん中を無人の馬車が走るシーンなんて、よくあんな危ないの撮ったよな。 面白かったけど、この長さは何だろう。90分くらいで小気味良く終わった方が良いのでは?と思うけど…インドの人は『わざわざ映画館に行って、貴重なお金と時間を使うんだから、長く楽しめないと損した気分になるじゃない?』って感じに、上映時間が長~くなっていったんじゃないだろうか? 当時日本ではムトゥからボリウッド映画が短期的ブームになったが、ヒットは実質この一本で終わってしまった感がある。 それだけこの映画が良く出来ていて、満足度が高くて、みんなお腹いっぱいになってしまったんだろうか? 私は未見だが、こののちロボットとかバーフバリとかインドの話題作も見られるようになったのも、このムトゥが日本で紹介されたからだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2021-02-08 22:25:45)(良:1票)
139.  フラガール 《ネタバレ》 
紀美子がフラに出会い、1人前のトップダンサーに成長するまでを描いた、スウィングガールズやウォーターボーイズのような作品として観ていた。それも間違いじゃないけど、あんまり残らない映画だったなぁ。 今回二回目の鑑賞。落ちるとこまで落ちたダンサー平山まどかの自分探しと成長の作品として観ると、これがよく出来た作品だと思えたから、不思議だ。 町の風景や居酒屋、フラ教室、登場人物の服装まで、60年代の炭鉱町をよく再現できていると思う。一部東北の方言がオーバーに思える人もいるが。 イチからフラダンスを習うのに集まったド素人の炭鉱娘たち4人と、ある程度基礎は出来ている人に本場のダンスを伝授するんだと思って呼ばれたであろう平山。話が違うと初っ端からハレーションが起きる。プロを呼べばいいじゃない。とか、来てしまったあのタイミングで言うところから、平山の状況の理解してなさが伝わる。山を何とかしたいと思う吉本の努力が裏目に出てしまったんだな。ド素人の集まりだといえば平山は呼べなかったろうし、基礎が出来てないと駄目だと言えば、炭鉱娘は集まらなかっただろうし。 紀美子達は平山の教え方に誰もついて行けない。それはそうだ、平山はきちんとしたゼロからの教え方なんて専門外なんだから。それでも親の借金で先がない平山は、プライドを捨てて炭鉱町に残り、ド素人にどうやって教えたら良いかを、一生懸命工夫する。 平山にとって早苗の事件はかなりショックだった、早苗の父を風呂場まで殴りに行く。彼女のまっすぐな性格が出てしまった。翌朝「父ちゃんを殴った東京もん」として、早苗との別れの日に顔を合わせられなくなる。これは洋二郎にバケツの水を掛けた後に居酒屋で会ってしまった時も同様。突っ走って後から後悔する性格のようだ。フラを教える条件に『どんなに辛くても絶対に泣かない』と言っておきながら、早苗との別れに泣いてしまう平山。 炭鉱の映画で落盤事故は付きものだけど、平山はフラ決行の決断を一人で背負う。罵声を浴びせられながらも、借金を返す手段(仕事)と引き換えにフラガールたちを守り切る。東京から逃げてきたと言われ続けた彼女だが、彼女は親の借金も生徒たちも、自分を犠牲にして受け止めた、不器用な女なんだ。  松雪泰子と蒼井優のソロパートは圧巻。だけど最初観たとき、練習(特訓)風景があまり無いのに、みんないつの間にかフラが上手くなっているのが、なんか都合よく見えた。だけど、他のダンサーはプロかと思ったら、全員ダンス経験の無い女優さんたちなんだそうな。凄い猛特訓、猛練習をしたんだろうな。そこをもっと映画のなかで描いても良かったかも。 最後に早苗の再会とか作ってほしかった気もするが、当時の常盤と夕張の距離を考えると、それは無理。もし最後に早苗が登場して、ステージで一緒に踊ったりしたら、単なるお気楽な青春映画に成り下がっていただろう。 そしてこの映画は平山先生、紀美子、紀美子の母の三人の女性の生き様、成長を5:4:1くらいの割合で描いたため、それぞれが描き切れてないように思う。紀美子がどうしてセンターになったのか、才能なのか努力なのか。そして母の心情の変化をもうちょっと丁寧に描いた、3時間バージョンなんかもあると良かったな。
[地上波(邦画)] 8点(2020-12-20 11:06:32)(良:1票)
140.  あゝひめゆりの塔 《ネタバレ》 
今年の終戦の日に観たのはこちら。10年ほど前にひめゆり平和祈念資料館に行ったときは、無言の写真たちが訴えてくる重さ、ググゥッと肩を押されるような重さに、言葉を失ってしまった。なので、もうタイトルだけで重たく感じてしまう作品。 そこを吉永小百合と浜田光夫を起用して、日活青春映画そのまんまなオープニングで惹きつける。当時まだ戦後から23年。戦時中の若者がどのような青春時代を過ごし、命を落としていったかを、次の世代、特にあの子たちと同年代の若い人に観てもらいたいという思いが感じられる。モノクロなので耐性のない人でも最後まで観られると思うけど、実際の場面を想像するだけで充分に恐ろしい。  真面目に創られた映画にしては、ちょっと気になった点が二つ。まず口で手榴弾の安全ピンを抜くトコ。当時の武器は“天皇陛下からの預かり物”だから、丁寧に扱ったはず。それも兵隊でもない女学生が口でグイって…きっとTVドラマ“コンバット”辺りの影響だろうな。 それとアメリカ軍の攻撃機…には見えない。どう見ても民間機。あの飛行機はロッキード・モデル10という輸送機。水浴びを襲うグラマン・ヘルキャットは特撮で表現しているのに、どうして輸送機で代用したんだろうか。 アメリカ軍の攻撃機が女学生を追い回し、機銃を撃つ。きっとこの画を1つのカットに収めるために、撮影用に手配出来る実機を使う必要があったんだろう。パイロットの視力なら、砂地を走るトミちゃん達が非武装なのはもちろん、“一目散に逃げてる女子供”だと解ったはず。 それを、撃つんだ。狙って、撃ててしまうんだ。 この映画にはアメリカ人俳優が出てこない。きっと意図して出さないことにしたんだろう。誰が撃ったかも解らない、無感情な“鉄の雨”だけが彼女たちに襲い来る。そんな劇中、女学生を撃つ攻撃機のカット。撃てば死ぬ。あのアメリカ兵は、どんな気持ちでトリガーを引いたんだろう。その画のためのモデル10。  日本軍の学徒隊の扱い方も酷い。動員されたのが卒業直前なのって、校長先生の人望を利用するのと、学生の方がまとめやすいからだと思う。 学徒にも暴力を振るう軍人。男性器を出してお小水の介助。切断する足を押える手に伝わる体温とノコの振動。生きる希望より青酸カリのミルク。まだ10代の少女たちにはあまりに想像を絶する過酷な数ヶ月。 戦場を連れ回すだけ連れ回して、最前線での解散命令。実際はあの子たちを生かすためじゃない、見捨てる道を軍は選んだ。結果的に1,503名(映画より)もの学徒の命が奪われた理由として、あまりに理不尽じゃないか。  何の抵抗も出来ず、誰にも守られず撃たれて死んでいく学徒。捕虜となって、軍人に聞かされてきた辱めを受けるより、自決を選ぶ少女たち。 軍人でもない少年少女が、呆気なく散ってゆく姿に『無駄死に』という言葉が浮かんでしまう。 それじゃあんまりだ、決してそうじゃない。と思いたいけど、じゃあ、あの子たちの死は『意味のある死』だったのか。 現地訪問よりおよそ10年。この映画を観ても、やっぱり言葉を失うしか出来ない。 ひめゆり学徒隊の悲劇を知った私に出来るのは、平和の有り難みを実感して一生懸命生きることと、あの子たちの犠牲を忘れないでいてあげることくらい。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2022-08-23 23:41:58)(良:1票)

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